昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百十二話 小公爵さま

 領主館前には、既に先触れから到着を聞いていたのか、ヴァルナルを始めとする残留組の騎士や領主館の使用人達が、並んで待っていた。

 

「アドル!」

 

 一緒に並んでいたマリーは、たまらないように駆けていくとアドリアンに抱きついた。

 

「帰ってきたのね!? 本当に、本当に、アドルね!?」

 

 興奮して早口に問いかけながら、マリーの目からは涙があふれた。

 まさか会えると思っていなかったアドルに会えたことと、アドルが約束を守ってくれたことが、なにより嬉しい……。

 

 アドリアンはにっこり笑って、マリーを抱きしめて頭を撫でた。

 

「ただいま、マリー」

 

 その言葉に、マリーはまたうるうると瞳を潤ませながらも、ニッコリと笑い返した。

 

「おかえり、アドル!」

「おかえり……アドル。ようこそ」

 

 マリーの背後に来ていたオリヴェルが、少しはにかんだ顔で声をかけてくる。

 アドリアンはオリヴェルが以前よりもずっと大きくなって、顔色も良くなっていることに少し驚きつつ微笑んだ。

 

 オヅマは妹が嬉しそうなのはよかったものの、それにしてもアドリアンに()()()()()()のが少々気になった。それとなくアドリアンから引き剥がしながら、マリーに言う。

 

「おぅ、そうだ。マリー、お前、あのコート、アドルに返せよ。お前が持っていったから、見てみろ。こんなやたら仰々しい()()()()、着せられてやがる」

 

 背後から数歩離れて()いてきていたサビエルは、また吹きそうになってあわてて口を押さえた。公爵家からのアドリアン付きの警護の騎士たちも、皆、フルフルと頬の肉を震わせている。

 

 そんな周囲の様子など露知らず、マリーはアドリアンにすまなそうに言った。

 

「そうなの? ごめんなさい、アドル。あの時、私が寝間着だったから…貸してくれたのよね。すぐに返すわ」

「いや…いいよ。別に、あれくらいは…」

「なに格好つけてんだよ、お前は! 支給品なんだから、大事にしろ!」

 

 オヅマはそう言って、アドリアンの背中を容赦なく叩く。

 アドリアンがよろけると、さすがに警護の騎士たちは顔色を変えた。大事な小公爵様を打ち据える不届き者を捕えようと、あわてて駆け寄る。

 だが、その足音にオヅマは反射的に振り返った。瞬時に、戦いに対応するための筋肉が固く引き締まる。

 

 アドリアンは軽く息を呑んだ。

 隣にいるオヅマの態度は、一瞬にして隙のないものに変化していた。一触即発かのような緊張が、張り巡らされる。

 アドリアンは素早く目配せして、自分を守ろうとする騎士たちを後ろに退がらせた。

 

 ふっと、オヅマの薄紫の瞳から緊張が消える。ニヤリと笑うと、何もなかったかのように叫んだ。

 

「よーし! 今日は久々に駒取り(チェス)総当り戦やるかぁー」

「いいね」

「じゃあ、第三期節(サード・シーズン)だね」

 

 オリヴェルとアドリアンはすぐに賛成したが、マリーは一人、ぷぅとふくれた。

 

「やぁだ! つまんない」

「ハハ。じゃあ、まずはオリヴェルとオヅマがやるといい。その間、僕は久しぶりにマリーの話をいっぱい聞くよ」

 

 アドリアンが言うと、マリーはニッコリ笑って頷いた。「それならいいわ」

 オヅマは呆れ、オリヴェルは苦笑する。

 

 相変わらずの四人の姿に、ヴァルナルが目を細めて声をかけた。

 

「さて、四人の悪戯妖精(シャンクリ)*1たち。再会の祝宴はスコーンが焼き上がってからにしてもらえるかな? そろそろ公爵家の使者に挨拶したいのだが」

 

 オリヴェルがハッとして、アドリアンの前をさっとあけた。オヅマも体を横にして、アドリアンがヴァルナルの前まで行けるようにする。訳がわからぬ様子のマリーは、オリヴェルに手を引かれて、その隣に立った。

 

 アドリアンはゆっくりと進み、ヴァルナルの前に立った。

 

「ご苦労さま、ヴァルナル」

 

 微笑んでねぎらうと、ヴァルナルは深く頭を下げた。

 

「ようやくおいでいただけたこと、何よりの喜びにございます」

「うん。僕もまさか公爵様から、こんな大役を仰せつかるとは思ってなかったけど、ここにまた来ることができて、こうして直接お祝いを言えて嬉しいよ。まずは公爵様…いや、父の名代(みょうだい)として、ヴァルナル・クランツ男爵のご成婚を祝福する。おめでとう、ヴァルナル。それにミーナも」

 

 アドリアンはニコリと微笑んでミーナを見た。ミーナも微笑み返して、恭しくお辞儀する。

 

「……オリー? どういうこと? アドルとお父さんは何を話してるの?」

 

 マリーには急にアドルが見知らぬ子供のように思えた。オリヴェルの腕をギュッと掴みながら、怯えたように尋ねる。

 オリヴェルは安心させるようにマリーの肩をポンと叩いた。

 

「アドルは公爵閣下の代わりに、父上の結婚を祝いに来たんだって」

「公爵閣下? でも…さっき父って……」

 

 困惑するマリーと同様に、オヅマもまたアドリアンに平身低頭のヴァルナルと、深くお辞儀をする母を交互に見て、目を瞬かせ棒立ちになった。

 

 アドリアンはクルリと振り返り、オヅマを見つめた。

 鳶色(とびいろ)の瞳に緊張が宿り、スゥと息を吸い込む。

 

 しかしアドリアンが口火を切る前に、オヅマが問うた。

 

「お前…もしかして、公爵…様の……息子?」

 

 先に言われて、アドリアンはコクリと頷く。

 ふぅ、と静かに深呼吸して息を吐ききると、周囲の驚いた様子の人々の姿を見回してから、自らの名を名乗った。

 

「改めて、自己紹介するね。僕の名前はアドリアン・オルヴォ・エンデン・グレヴィリウス。グレヴィリウス公爵エリアスの息子だ」

 

 人々はポカンとなった。

 帝国の公爵家のご子息など、彼らにとっては雲上人(うんじょうびと)同然だった。ゆっくりとざわめきが広がる。しかし――――

 

「えええぇぇぇぇーーーーっっっ!!」

 

 一拍置いて、すべてをかき消すオヅマの叫びが、その場に響き渡った。

 

 

 

 

 オリヴェルの部屋に向かうまでの間、誰も口を利かなかった。

 沈黙は部屋に入った途端に破られた。

 

「どーゆーことっ!?」

 

 マリーは急にアドリアンに詰め寄った。

 

「公爵様の息子って?! オルヴォって、なに? どういうこと??」

「落ち着いて、マリー」

 

 オリヴェルがあわてて制止しようとするものの、マリーの勢いは止まらない。一人だけ訳知り顔のオリヴェルをキッと睨みつけた。

 

「オリー、知ってたの?!」

「え? あ、あの……うん」 

「ええぇぇ??」

 

 マリーは唸るような大声を上げながら、オリヴェルににじり寄ると、矢継ぎ早に尋ねまくった。

 

「いつ? どうやって知ったの? どうして話してくれなかったの? 最初から知ってたの?」

「ち、ち、違うよ」

 

 オリヴェルはあわてて否定する。

 部屋の隅の出窓に腰掛けていたオヅマが冷たく言った。

 

「最初は知らないだろ。だって、オリーは最初はアドル……()()()()()のことを毛嫌いしてたもんな」

「本当にぃ?」

 

 マリーが疑心暗鬼な様子で見つめると、気の毒なオリヴェルはうんうん、と激しく頷いた。

 

「知らなかったんだよ。本当に。本当に本当だよ。知ったのは、ずっと後で…」

「いつなの?」

 

 マリーが再び尋ねると、オリヴェルは困った顔で押し黙った。

 確実に知ったきっかけを言えば、マリーが()()()()()()()を思い出してしまう。またショックを受けるかもしれないと思うと、オリヴェルは話せなかった。

 

 そんなオリヴェルに助け舟を出したのはアドリアンだった。

 

「オリヴェルはグレヴィリウス公爵家について、知ってることも多かったから、僕の正体も見抜いたんだよ。それから言わなかったのは、僕が頼んだからだ。僕も、公爵様…父上からレーゲンブルトで過ごす間は、ただの見習い騎士として、クランツ男爵の下で修行に励むようにと言われていたから…。君たちには僕の口から直接、伝えたかったんだ。それから謝りたかった。ごめん。嘘をつくようなことをして……」

 

 頭を下げるアドリアンを、マリーはしばらく睨んでいたが、ふぅという溜息とともに、膨らんでいた頬が元に戻る。

 

「仕方ないわ。公爵様の命令なんだったら、アドルは子供なんだから、言うこときかなきゃいけないんだし。オリヴェルもアドルに頼まれて黙っていたんでしょ?」

 

「うん、ごめんね。マリー」

 

 オリヴェルはそれでもやっぱり謝った。

 どこかで罪悪感があった。本当は…自分は伝えたくなかったのかもしれない。アドルが小公爵だということを…。

 

「オヅマも…ごめん」

 

 アドリアンは出窓に座って、こちらを向くことのないオヅマのそばまで来て、頭を下げた。

 オヅマはチラとだけ見て、またそっぽを向く。

 

「謝るなよ。別にお前は悪くないんだってことになったんだろ、今」

 

 冷淡に言うオヅマに、アドリアンは不安になった。

 

「………怒ってるのか?」

「怒る? ()()()()()相手に、()()()()()()()が怒るなんてこと、できるわけないだろ」

「………」

 

 アドリアンが寂しげに俯くと、マリーがつかつかと寄って兄に注意した。

 

「お兄ちゃん! 冷たいわよ、そんな言い方」

「何が……」

 

 オヅマは面倒そうにマリーに目をやり、ジロとアドリアンを見た。

 すぐに目線を逸らして出窓から降りると、妹の目の前に立って言い聞かせる。

 

「いいか、マリー。母さんが結婚したら、俺たちは領主様の子供になるんだ。そうしたら、ますます身分ってものに縛られることになる。前と同じようになんて、できるわけねぇ。俺なんか、騎士になるんだから、このままいけばコイツ……じゃない…あー…()()()()()()()()()()()()の配下になるんだぞ」

 

 ジーモン老教授の礼法授業で、覚えたばかりの敬語をひねくりだして、オヅマは皮肉っぽく言う。

 アドリアンはさっきからオヅマが『小公爵さま』と言うたびに、チクチクと胸が痛かった。

 

「それは……」

 

 言い淀んで、アドリアンは口を閉じる。

 実際、この先にはオヅマには近侍として来てもらうことをアドリアンは望んでいる。そうなれば、ますます主従としての関係性は強化されるのだろう。

 

 静まり返った部屋で、口を開いたのはマリーだった。

 

「そんなのおかしいわ」

「……なにが?」

 

 オヅマが怪訝な様子で問いかけると、マリーはじっと兄を見つめて言った。

 

「お兄ちゃんはアドルが小公爵さまって、わかってたら、お友達にならなかったの?」

「……そりゃ…なれねぇだろ」

「どうして?」

「どうしてって……公爵家の若様なんだぞ?」 

「じゃあ、もう友達でなくて平気なの?」

「そ…ん……」

 

 オヅマはそれ以上、言葉をつなげることができなかった。

 自分の望むことと、せねばならないという義務の間には厳然とした隔たりがある。何かを言おうとしても、空回りするばかりだ。

 

 マリーはプイとそっぽを向いた兄と、寂しげに俯くアドリアンを見比べた。

 しばらく考え込み、言葉を選びつつ途切れ途切れに語りかける。

 

「私、アドルに初めて会ったときから、きっとどこかの貴族の若様なんだろうと思ってたわ。オリーと同じように。まさか公爵家の若様だとは思ってなかったけど。でも、アドルは私にもお兄ちゃんにも、無礼だって怒ったりなんかしなかったわ。ずっと優しかったし、だから私はアドルが好きになったの。小公爵さまだとしても、アドルはアドルだもの。これからだって、ずっと仲良くしていたいわ。お兄ちゃんはそうじゃないの?」

 

 真っ直ぐな緑の瞳が、オヅマを見つめる。

 怒っているのではないのに、こういうときのマリーは妙な迫力があった。オヅマは途端に気まずくなる。

 マリーは首を大きくかしげて、アドリアンを下から覗き込んだ。

 

「アドルは? まだ私たちと友達でいてくれる?」

 

 このとき、アドルは本当にマリーが女神のように思えた。

 無垢なエメラルドの瞳は、強く正しい、女神サラ=ティナの真誠(しんせい)の瞳のようだ。*2

 

「……もちろんだよ。ずっと僕らは友達だ」

 

 泣きそうな震える声でアドリアンが答えると、マリーがニッコリ笑った。

 オリヴェルも三人のそばにやってきて同意する。

 

「僕もアドルのこと、友達だと思ってるよ。あのときも、言ったでしょ?」

 

 

 ――――― ずっと友達だよ、僕たちは…

 

 

 今も、気持ちは変わっていない。

 

「ありがとう」

 

 アドリアンはホッとしたように微笑み、もう一度オヅマを見つめた。

 オリヴェルも、マリーもじいっと見つめてくる。

 オヅマは三人からの視線に気圧(けお)されながらも、しばらく眉を寄せて不機嫌そうにしていたが、実のところ、マリーの言うことにぐうの音も出なかった。

 

「お兄ちゃん」

 

 マリーの呼びかけに、オヅマはハアァと長い溜息をついて、くしゃくしゃ頭を掻く。

 

「わーったよ。わかってるよ、そんなこと。アドルが友達なのは、当然だろ」

 

 マリーはニコリと笑った。

 

「じゃ、これまで通り!」

「なんだそりゃ…」

「いいの! 私たちは一人が乞食になって、一人が公爵様になっても友達よ!」

 

 マリーが高らかに宣言する。

 

 少年たちは目を見交わして、同時にくしゃりと笑った。

 ここにいる男共はみな、大きくなってもマリーには敵わないだろうと思った。

 

*1
神話に出てくる妖精

*2
女神サラ=ティナは、すべての物事を見抜く真実の瞳を持っている、という神話から




次回は2023.01.08.更新予定です。

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