昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百十三話 結婚式

 以前にオヅマとアドリアンが剣舞を舞ったあの神殿で、ヴァルナルとミーナの結婚式が執り行われた。

 

 

 

 既に二ヶ月前に公爵から内々の許可をもらっていたヴァルナルは、帝都近郊に住む家族に知らせておいたので、テュコは年老いた母親を連れてレーゲンブルトにやって来ていた。

 前回の式では参席することも許されなかった母親は、「よかったっじゃ~」と何度もつぶやきながら、涙をハンカチで拭っている。

 数日前にはミーナと会って、すぐにその優しい人柄がわかったのだろう。ようやく肩の荷が下りた…と、既に壮年に近い息子のことを、新たな妻に頼んだ。

 

 

 参席者はさほど多くなかった。

 領主館を代表してヘルカ婆とパウル爺、騎士たちを代表してパシリコとカール。それに家庭教師達と、ビョルネ医師。

 その他には領府の行政官ら数人と、近隣の貴族家からの代表者や、その名代である家臣。レーゲンブルトにおいて有力者とされる商人など。

 

 書面上だけであったが、ミーナと養子縁組をしたニクラ准男爵家からは娘が一人、立会人として遠路はるばるやって来ていた。

 ヤーデ・ニクラと名乗った彼女は、帝国の女性にしては珍しく丸い鼈甲(べっこう)の眼鏡をかけていた。この眼鏡をしている限り、美人に見えることはないと諦めているのか、化粧っ気もなく、いつもムッと怒ったような顔を崩さない、堅苦しそうな女だった。

 

「もう少し愛想よくなさればいいのに」

 

と、ケレナ・ミドヴォアは非難したが、ミーナは素っ気ないながらも、ヤーデの飾らない心根が好もしく思えた。

 年は自分よりも三つ若かったが、とてもしっかりしていた。

 病弱な母に変わって准男爵家の内向きのことを差配してきたので、しっかりせざるを得なかったのだろう。

 

 彼女は参列者席にケレナと並んで座った。性格的には水と油の二人であったが、花嫁衣装に身を包んだミーナを見たときには、二人は同時にうっとりとため息をついた。

 

 

 そのミーナは白に金銀の微細な刺繍がされた生地で作られたドレスを着て、頭には真珠の髪飾りをつけていた。

 この二つは婚礼に欠かせぬ花嫁の装束だった。

 

 特にこの真珠の髪飾りは、一般的には母親からのものを引き継ぐが、貴族間では少々特殊な事情があった。

 というのも、この真珠の髪飾りを誰から貸してもらうか、あるいは贈与してもらうかで、その花嫁の貴族社会における立ち位置、あるいは後ろ盾となる者を推し量る材料となったからだ。

 

 今回、ミーナの髪飾りは、特別に公爵から先の公爵夫人であったリーディエのものを貸与された。これはミーナが公爵家に(ゆかり)ある者だと公に知らしめたのと同様であった。

 もっとも、この北の辺境の地においては、その効力はまだ発揮されることはなかったが……。

 

 ただ、そのいわれを聞いてミーナの心は少しだけさざなみ立った。

 

 見事な髪飾りだった。

 いくつものスズランの透かし彫りがされた白金の台座の、花の部分に真っ白な真珠が嵌め込まれている。真珠だけでなく、ダイヤやアクアマリン、オパールなども、さりげなく配されていた。台座の左右、耳の上あたりから、雫型の真珠が連なって肩まで垂れていて、その真珠はミーナの瞳のようにほんのり紫がかっている。

 

 この髪飾りは、元々グレヴィリウス公爵家の女主人に伝わるものであったらしいが、現公爵エリアスの指示によって、妻・リーディエに似合うように随分と作り変えられたらしい。

 さすがは公爵夫人の婚礼用に作られた髪飾りというべき、見事な意匠だった。美しく格調高い。

 

「あぁ…そういえば、こんな髪飾りをなさっておられたなぁ」

 

 式の前日にその髪飾りを確認したヴァルナルは、目を細めて昔を思い遣る。その顔には亡き人への懐かしみと、在りし日の思慕が見えた気がした。

 

「………恐れ多いことでございます」

 

 ミーナはいつものように恐縮しつつ、どこかでこの髪飾りを拒否したい気持ちが芽生えた。無論、そんなことを言うわけもない。ましてヴァルナルが喜んでいるのを見れば尚のこと。

 

「公爵様がわざわざ、亡き奥方様のものを貸して下さるとは、有難いことだ。もし、生きておられれば、奥方様から貴女に直接渡されたことだろうな」

 

 ヴァルナルは亡き公爵夫人を思い浮かべて素直に言っただけだったが、ふとミーナの表情が暗いことに気付くと、首をかしげた。

 

「どうした? なにか問題でも?」

「いえ……このような立派なものを、私などがしていいのかと…少し、緊張しまして」

「ハハハ。ま、恐れ多いことではあるが、公爵閣下からのお気持ちだ。有難くお借りすることにしよう」

「はい……」

 

 ミーナはヴァルナルへの疑問を呑み込んで、静かに頷いた。

 式当日、ミーナの憂いに気付いたのはマリーだけだった。

 

「どうしたの? お母さん。どこか痛いの?」

「え?」

「だって、泣きそうな顔してるから」

 

 言われてミーナはあわてて笑った。

 

「大丈夫よ。少し、緊張しているの」

「なぁんだ」

 

 マリーは安心したように言って、兄達の待つ参列者席へと戻って行った。

 

 ミーナは己の中に沸き起こる黒い靄を払いのけようとしたが、うまくいかなかった。

 せめて今日だけは一点の曇りもなく迎えたかったというのに……。

 

 

 神を祀る祭壇の前には年老いた神官と、その斜め前にアドリアンが立っていた。

 公爵の名代であるアドリアンは、神官による婚儀の前に公爵からの結婚許可を皆に知らせる役目がある。

 そのせいか、今日はオヅマと再会した時よりも豪奢な衣服に身を包んでいた。

 

 涅色(くりいろ)上着(ジュストコール)には、百合の花をモチーフにした刺繍が施されており、大きく折り返された袖口には柘榴(ざくろ)石のカフスボタンが付けられている。

 前を開いたジュストコールの間からは、金糸銀糸を混ぜて織り上げられた上品なアイボリーのジレ。白絹のクラバットには、袖口のカフスボタンと同じく、菱形に切り取られた柘榴石のブローチが留められていた。

 

 こうまで豪華な衣装を身に纏っても、アドリアンが着れば、それは普段着であるかのように自然に見えた。

 

「……お前、こうしてみれば、生まれながらの若様だな」

 

 結婚式が始まる少し前、別の部屋で準備していたアドリアンを見て、オヅマが言った。

 

「なに? 皮肉?」

 

 アドリアンは少し強張った顔で尋ねる。

 まだ、オヅマは自分に対して思うところがあるのだろうか…。

 しかしオヅマは「違う」と即座に否定した。

 

「そんな高そうなもん着てても、似合ってるからさ。いや…着こなしてるっていうのか? あーあ…考えてみれば、お前、俺が起こさないと起きないし、しっかりお坊ちゃんだったんだよな。なんで気付かなかったんだろ、俺」

 

 オヅマはブツブツ言いながら、うろうろと歩き回る。

 なにげなく褒められて、アドリアンは少しはにかみつつ、落ち着きなくうろつき回るオヅマを眺めて言った。

 

「そういう君も、なかなかサマにはなってるよ」

 

 今日はオヅマもまた、領主の息子として正装せねばならなかった。そのせいでオヅマは生まれて初めてジュストコールなんてものを着る羽目になっている。

 

 チャコールグレイのベルベットに、前身頃の(へり)にくすんだ金糸で蔦などが刺繍された、わりあいとすっきりしたデザインのもので、オヅマの亜麻色の髪がよく映える。

 

 もっとも当のオヅマは自分の姿になど、まったく興味がないようだった。

 

「冗談じゃねぇ。こんなの着てちゃ、障害物訓練なんぞ出来ないぜ」

「普通、それを着て障害物訓練はしないものなんだよ」

 

 アドリアンはあきれたように言って笑った。

 その後、やっぱりオヅマには窮屈だったようで、いよいよ式が始まるという直前になって、クラバットを外したいなどと言い出した。

 カールに一喝され、今は仏頂面ながらもおとなしく参列席に座っている。

 

 隣にはオヅマと同じ刺繍がされた、深緑のベルベットのジュストコールを着たオリヴェルが座っていた。

 アドリアンが来てから興奮気味で、また少し熱が出たが、もう大丈夫のようだ。顔色も良い。

 

 そのオリヴェルの隣にはマリー。

 若草色の、軽やかなフリルが幾重にも重なったドレスを着て、ちょこんと座っている。

 ナンヌに赤みがかった栗色の髪をきれいに結ってもらって、ヴァルナルに買ってもらったピンクのリボンを結び、すっかり愛らしいお嬢様になっていた。

 ニコニコと嬉しくてたまらぬ様子だ。

 

 

 中央扉が開いて、ミーナとヴァルナルが並んで祭壇へと歩いてくる。

 アドリアンの前で止まると、頭を下げた。

 やや強張った顔でアドリアンは軽く頷き、朱色の絹にくるまれた巻物を開く。静かに深呼吸をした後、ゆっくりと読み上げた。

 

「『グレヴィリウス公爵エリアス・クレメント・エンデンは、臣下ヴァルナル・クランツと、ニクラ准男爵(むすめ)ミーナ・ニクラとの結婚を許可する』。なお、この婚儀について、公爵名代としてアドリアン・オルヴォ・エンデン・グレヴィリウスが立会い、両名の婚姻承認が成立したことを見届ける」

 

 アドリアンは巻物をクルクルと丸めてから、ヴァルナルへと差し出した。

 

「ありがとうございます」

 

 ヴァルナルは受け取ると、祭壇へと足を進める。

 ミーナはヴァルナルの傍らでアドリアンに静かに目礼した。

 それから老神官の前へと二人並んで立つ。

 

「ヴァルナル・クランツ、ミーナ・ニクラ」

 

 老神官のおごそかで悠揚な声が、式殿の高い天井に響いた。

 

「本日、主母神サラ=ティナの御前(おんまえ)にて、伉儷(こうれい)*1の約を結ぶことに異議はないか?」

「ございません」

「ございませぬ」

 

 ヴァルナルとミーナが答えると、老神官は列席の人々へと目を向けて、同様に尋ねる。

 

「居並びし者の中に、異議はあるか?」

 

 この形式的な文句に実際に異議を唱える者など、いたためしがない。

 参列者は何も言わずに沈黙を過ごす。ややあって答申者 ――――これは通常、その場にいる中で最も年配の者に割り当てられる――― が、神官の審問に答えた。

 

「ございませぬ、神官様」

 

 今回、この役を仰せつかったのはパウル爺だった。

 まさか自分が領主様の婚儀に出席できるなど、まして答申者になるなど思ってもみなかったので恐縮しきりだったが、領主様直々に頭を下げられ、ミーナからもお願いされては断ることなどできなかった。

「冥土の土産話にはなるじゃろう」とヘルカ婆に話しながら、自らの生きてきた長い歳月を思った。

 たった一言。

 短い言葉だったが、やや震える声でパウル爺はその大役を全うした。

 

 老神官は頷くと、クルリと回って祭壇に向かって頭を下げ、小さくなにごとかをつぶやく。神語とよばれるもので、神官だけが使う言葉だった。

 言い終えて頭を上げると、老神官は祭壇中央にあった螺鈿細工(らでんざいく)の匣から金の腕輪を二つ取り出した。

 貧しい平民であればこうした儀式は簡略化するが、貴族や裕福な商人などは、腕輪を互いの手首にすることで、より象徴的な婚姻の証とした。

 

 ヴァルナルとミーナは老神官から腕輪を受け取り、互いの腕に嵌めた。

 

「主母神サラ=ティナの御前にて、ヴァルナル・クランツとミーナ・ニクラの婚姻が成立したことを言明する」

 

 老神官が音吐朗々と儀式の終了を告げると、参列者から拍手と祝福が溢れた。

 

 

 その後、宵の頃には領主館で祝宴が開かれた。

 ヴァルナルは領主館の大広間と庭を開放して、領民たちが自由に入れるようにした。

 領主館内は騒がしく幸せな空気に包まれ、酔いの回った者たちが歌い出すと、招かれた辻音楽師たちがそれぞれの楽器で音を奏でる。

 やがてその音と歌に合わせて、人々は集って踊り始めた。

 

「あっ、これ…あの時の円舞だわ」

 

 マリーが気付いて、ステップを踏んだ。いつかの春祭りで、アドリアンが踊れなくて教えてやったものだ。

 

「みんなで踊ろう!」

 

 言うや否や、そばにいたオリヴェルの手を掴み、少し離れた場所にいたアドリアンの手も取る。こっそりワインを舐めていたオヅマにも声をかけた。

 

「お兄ちゃん、みんなで踊るわよ! アドル、お兄ちゃんと手を繋いで!」

 

 この日、アドリアンはあのときの約束を果たした。

 

 

 ――――― 皆で踊ろう。今度こそ

 ――――― 絶対よ! 絶対に約束よ!! アドル!

 

 

 あの日、突然の別れに泣きじゃくっていたマリーは、今、アドリアンの隣で満面の笑みを浮かべて踊っている。

 白い顔で眠っていたオヅマも、アドリアンを勇気づけてくれたオリヴェルも、皆で一緒に踊る。歌う。

 子供たちのはじけるような笑い声が響いた。

 

 楽しそうな子供たちを見ていたヴァルナルとミーナは、互いに目を見交わして微笑んだ。そっとヴァルナルの手がミーナの手を包み、ミーナは少しヴァルナルにもたれかかる。

 

 宴は夜更けまで続いた。

 

 結婚式にも出ず、領主館でこの祝宴の準備に奔走していたネストリは、時間が経つにつれ、もはやこの宴の後片付けについて考えることを放棄してしまった。

 勧められるままにワインを飲んで、ケレナと踊りだす。

 ヴァルナルは咎めなかった。むしろ、ネストリの仕事ぶりを褒めて、手ずからワインを注いでやったりする。

 

 あらゆる料理を作りきったソニヤも、ゴアン相手に出鱈目なステップを踏んで踊り始め、タイミとナンヌは息の合ったコーラスを響かせた。

 酔っ払って陽気になったパウル爺とヘルカ婆までもが踊りだすと、やんやと歓声が上がった。

 

 誰もが笑顔で、誰もが喜んでいた。

 

 オヅマにとって、この夜のレーゲンブルトは世界で一番平和で、幸せな場所だった。

 

 

 

<第一部 了  第二部につづく>

 

*1
夫婦のこと




ここまで読んで頂き、有難うございます。
来週に番外編更新後、しばしお休み頂きます。

今後も読んでいただけるよう頑張ります。


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