昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百十七話 小公爵との対面

「はじめまして、キャレ。着いて早々、喧嘩に巻き込まれて大変だったね」

 

 小公爵の第一声は優しかった。

 キャレは驚いて思わず顔を上げた。

 

 入ってきた時には、黒檀色の髪と鳶色の瞳の、公爵に似ているという端正な顔が冷たく思えて、すぐに頭を下げたのだが、今、微笑を浮かべたその表情はやわらかく、穏やかで、安心感さえある。

 

「どうした?」

 

 固まったキャレに、オヅマが声をかけてくる。

 自分の状況を思い出し、キャレはあわててふたたび頭を下げた。

 

「おっ、お初にお目にかかります。ファルミナ領主セバスティアン・オルグレン男爵の息子のキャレ・オルグレンと申します。本日、小公爵様にお会いできる機会を与えて頂いたこと、誠に嬉しく、ありがたき幸せにございます」

「こちらこそ。いいよ、もう顔を上げて」 

「は……」

 

 キャレはそのまま上げそうになって、あわてて止まった。貴人に対して、一度の許しで頭を上げることは不敬にあたる…と、騎士から聞いた儀礼についての話を思い出す。

 なかなか頭を上げないキャレに小公爵がふたたび言った。

 

「いいから、顔を上げて、キャレ。今後は僕がいいと言ったら、一度目で顔を上げてくれ」

 

 ややあきれたように言われて、キャレはおずおずと顔を上げた。

 

「礼儀というのは必要だけど、不要な部分もあるね。こんな意味のない習慣はなくなっていいと思うんだけどな…」

 

 面倒そうにつぶやく小公爵に、マティアスがしかつめらしい顔で滔々と述べる。

 

「意味がないということはございません。礼儀というのは、指標(ガイド)だと、私の作法の教師は申しておりました。これがなくては、人はどのように行動すればいいのかわからなくなってしまいます。特に下々の者などは」

 

 小公爵は「そうかな?」と肩をすくめてから、キャレに視線を戻す。まじまじと見つめてから、感嘆の吐息をついた。

 

「確かにオルグレン家の人に違いないね、その髪の色は。見事なものだな。父親のオルグレン男爵よりも美しいルビーレッドだ」

「とんでもございません」

 

 キャレはすぐさま否定する。

 謙遜ではない。この髪をちょっとでも自慢しようものなら、父も兄も烈火の如く怒った。庶子の自分が、オルグレンの紅玉(ルビー)の髪を持って生まれたことすらも、彼らには苛立たしく腹立たしい。

 たとえここに彼らがいなくとも、どういった経緯で彼らの耳に入るかもしれないと思うと、キャレはなんとしても否定したかった。

 

 小公爵は断固としたキャレの口調に首を傾げたものの、それ以上、髪については言わなかった。

 

「じゃあ、改めて自己紹介しようか。僕はアドリアン・グレヴィリウスだ。アドルと呼んでくれていいけど、今のところ実践してくれているのは、オヅマくらいだ」

 

 鳶色の瞳はチラリとオヅマを見た。

 マティアスは苦虫を噛み潰したような顔になり、エーリクも直立しながら、茶色の瞳だけをジロリとオヅマに向ける。小公爵 ――― アドリアンの隣の椅子に座っていた、柑子(こうじ)色の髪のやや小太りな少年も、恨めしそうな目でオヅマを見ていた。

 それぞれの表情から、キャレは彼らの勢力均衡がだいたい理解できた。

 

 おそらく近侍たちはほぼ全員、オヅマに対していい感情を持っていない。

 キャレが油断なく観察している間も、アドリアン小公爵の話は続いていた。

 

「オヅマとマティが犬猿の仲であるのは、さっきのでわかったよね? たいがいはつまらないことで喧嘩しているだけだから放っておいてもいいけど、どうしても困ったらエーリクか僕に言ってくれ。エーリクはもう自己紹介は済んだ?」

 

 問いかけに、エーリクは無言で頷く。

 あまりに愛想のない態度にアドリアンは苦笑いしていたが、咎めることはなかった。

 すぐに隣に座る柑子色の髪の少年に声をかける。

 

「じゃあ、残るはテリィだけみたいだ」

「あ…は、は、は…はい」

 

『テリィ』と呼ばれた少年は立ち上がって、キャレと向かい合った。

 

 座っているときには縮こまっていたので気付かなかったが、わりと大柄で()()()()な体型をしている。ぷっくり膨れたお腹あたりの、どうにかして留めたボタンがいまにも弾けそうだ。

 やわらかそうな柑子色の髪は、ゆるやかに波打っているが、耳の上あたりで一房ピンとはねていた。寝癖だろうか。草色の瞳はキャレを警戒しつつ、すぐに逃げる算段をしている小動物的なひ弱さと、(ずる)さが入り混じっていた。

 

「あ、あ、あ……あの、え、え……ちゃ、チャリス…チャリステリオ・テルン」

 

 そこまで言ってから、チャリステリオはハアァーと一息ついた。

 

「まったく。自分の名前くらいスラスラ言えないのか」

 

 案の定、マティアスがイライラと突っ込む。チャリステリオの顔が一気に青ざめた。

 

「マティアス、静かに」

 

 おだやかに(たしな)めつつ、アドリアンの鳶色の目がすっと細められると、マティアスはバツ悪そうに口を噤んだ。

 しかし静かな空気がチャリステリオには余計にプレッシャーだったのか、なかなか口を開かない。

 

「テリィ、僕から紹介してもいい?」

 

 とうとうアドリアンに言われると、チャリステリオは待っていたかのように何度も頷いた。

 

「彼はテルン子爵家の嫡男のチャリステリオ・テルン。ちょっと緊張しやすくてね。ピアノがとても上手なんだよ。今度、聴かせてもらう機会もあるだろう。あ、チャリステリオって長いから、テリィって呼んでる。年は僕らより二つ年上だ。キャレは確か黒鳩(こっきゅう)の年生まれだったと聞いてるけど、合ってる?」

「あ、はい」

「じゃあ、僕と同じ年だ。良かった。全員年上じゃなくて」

 

 ニコリと微笑まれ、キャレは思わず顔を赤らめた。

 普通にしていると端正な顔立ちは、むしろとっつきにくく見えるのに、笑った途端に少年らしいあどけなさが浮かぶ。

 

 この先、この顔に慣れるのだろうか…と、我が事ながらキャレは心配になった。

 

 

***

 

 

「どんな感じ?」

 

 互いの挨拶を終え、簡単な茶話会が開かれた後、キャレはマティアスに西館を案内してもらうことになった。まだ来て間もないエーリクとテリィも、確認のために一緒に向かい、二人きりになったところでアドリアンがオヅマに尋ねた。

 

 オヅマは冷めた紅茶を飲みながら、うーんと思案する。

 

「なんか、小さい」

「ハハッ、確かにね。僕と同じ年にしては小さい気もするけど、どうだろう? オルグレン男爵の庶子だったって話だから、もしかしたら冷遇されていたのかもしれないね」

「庶子だった?」

「今回、僕の近侍になるにあたって、正式に嫡出子認定はされたみたいだよ。まぁ、文書だけの、あくまで形式的なものだろうけど」

「庶子だから、まともにご飯も食べさせてもらえなかったってことか?」

「わからないけど、その可能性はある。とても用心深くもあるようだし」

 

 アドリアンは穏やかに言いつつも、鳶色の瞳を細めて考え込む。

 オヅマは軽く肩をすくめて尋ねた。

 

「で? 小公爵さまのお考えではどちらだと?」

「どちら?」

「敵か味方か」

 

 アドリアンは苦笑した。どうもアールリンデンに来てからというもの、オヅマはすっかり疑心暗鬼になっているらしい。

 

「キャレ自身がどういう考えなのかは、まだわからない。ただ、オルグレン家としてはあまり僕に期待していない、といったところかな。彼を差し出してきたということは」

「なんだ? 気に食わないのか?」

「そういうことじゃないけど。オルグレン家に僕の近侍として出仕する子息を打診したときに、ルンビックが考えていたのは男爵の次男のラドミールだった。ところが男爵が送ってきたのは、オルグレンの家系図に名前も記されていない庶子…ということは、つまりそれが彼らの答えなんだろう」

 

 オヅマはアドリアンの言葉を反芻して、確認する。

 

「つまりオルグレン家は限りなく敵に近いわけだ。キャレ本人はまだ保留か?」

「そうだねぇ。なにせあの子はなかなか本心を見せないと思うよ。よっぽど家でいじめられて、他人の顔色を注意深く見る癖がついてしまったのかな? まぁ、僕としてはキャレが来てくれて良かったと思ってるけど」

「なんでだ?」

「同じ年だから。ラドミールだったら、僕より二つ年上だから、僕が一番年下のチビになっちゃうだろ?」

「なにをつまんねぇことにこだわってんだ、お前は」

 

 オヅマがプッと笑うと、アドリアンはむくれて口をとがらせた。

 

「君にはわかんないよ。年上ばっかりなのが、どれほど気を遣うか…。誰かさんはしょっちゅう怒りん坊さんと喧嘩するし。エーリクは基本的に言うことは聞いてくれるけど、何考えてるかわからないし。テリィはすぐに泣き出すし…」

 

 うんざりしたように言って、アドリアンは深くため息をつく。その様子をオヅマは腕を組んで見つめた。

 

 なんだかんだ言いつつも、アドリアンはこの問題児の集団をよくまとめている。

 グレヴィリウスの小公爵様であれば、近侍の一人や二人、気に食わないと叩き出すなど朝飯前だろうが、アドリアンは辛抱強く接している。

 それは元からの気質なのか、それとも小公爵という立場がそうさせているのか ――――

 

 

 ――――― 両方だろうけど、ま、どっちかといえば元からか…

 

 

 少し考えてオヅマは結論を出す。

 なにせレーゲンブルトで騎士見習いでいた頃には、とんでもない無礼を重ねまくったオヅマに、文句を言いつつも、最終的には従ってくれていた。

 いくら小公爵であることを隠して生活するように命令されたとはいえ、普通の貴族の坊々(ボンボン)なら、とてもじゃないが我慢できるわけがない。

 

 それは、ここへ来て他の近侍たちを見て、確信した。

 エーリクはともかく、マティアスやテリィなどは、おそらく一日持たないだろう。ここでの暮らしを当たり前のように享受している彼らを見ると、一般的な貴族というのが、本当に贅沢なんだということがよくわかる。

 

 ヴァルナルは男爵位を持つ貴族とはいえ、やはり本質は騎士で、元は裕福な商家の出とはいえ平民であったので、生活態度も質実剛健、簡明素朴。普段の服も基本的には詰め襟の騎士服だった。仕事が終わった後の家族だけの時間ともなれば、飾り気のない綿のシャツにトラウザーズ、ガウンを羽織る程度だ。

 それだってオヅマには十分すぎるほどだと思うのに、テリィなどは、服だけでも百着近く持ってきて、老家令に眉をひそめられていた。

 

 こうも育ってきた環境の違う者同士が、当然ながら会ってすぐに仲良くなるわけもない。ましてオヅマなど彼らにとっては異物でしかないだろう。それでもなんとかやっていけているのは、アドリアンの調整力によるところが大きい。

 決してへりくだることもなく、かといって高圧的でもなく、それぞれの言い分を聞いて、オヅマにも物を言うし、彼らの行き過ぎた特権意識について注意することもある。

 

「ご苦労さま」

 

 とりあえず感謝のつもりで言ったが、アドリアンはジロリとオヅマを睨みつけた。

 

「他人事みたいに言ってるな。言っておくけど、この前だってルンビックからお小言をもらったんだぞ、君らのことで」

「アイツと一括りにしないでくれよ」

 

 アドリアンはもはや言い返す気力もなくなって、ハァとまたため息をつくと、話題を元に戻す。

 

「とりあえずキャレについては、しばらく様子見」

「へぇへぇ。承知」

「これで全員揃ったから、そのうちルンビックの方から()()()に挨拶に出向くように言われるだろう。そのつもりでね」

 

 オヅマはかすかに眉を寄せた。

 アドリアンが何気なく言う「公爵様」というのがひっかかる。自分の父親なのに、まるで目上の他人のようだ。

 

「なに? 緊張してるの?」

 

 なんの違和感もない様子でアドリアンが尋ねてくる。オヅマは軽く息を吐くと「まぁな」と頷いた。

 

 アールリンデンに到着してしばらく経つが、まだこの巨大な屋敷の当主であるグレヴィリウス公爵本人には会えていなかった。

 いちいち一人一人、新たな近侍が来るたびに挨拶に来られても迷惑なので、全員が揃ってから挨拶に来るように……とは言われなかったが、要はそういうことだ。

 

 アドリアンは笑った。

 

「さすがのオヅマも、公爵様には緊張するんだな」

 

 まだ家族になったばかりのヴァルナルとオヅマの関係も微妙なものではあったが、アドリアンと公爵閣下の間にも相当に面倒なものがあるらしい。

 そのせいで、この公爵邸において、アドリアンの立場が複雑なものであると気付くのに、そう時間はかからなかった。

 




次回は2023.02.26.投稿予定です。
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