昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百十九話 公爵家の跡継ぎ

「……なんだってんだ」

 

 オヅマは困惑しつつも、庭師に教えられた扉を開けて中に入った。

 急な狭い階段が上へと伸びている。おそらく使用人専用の通用口だろう。階段下の空間にはバケツなどの掃除用具が置かれていた。

 階段を登ると、そこにも扉がある。開くと、薄暗いガランとした空間に出た。

 目がなれると、壁という壁に大小の肖像画が飾られているのに気付く。

 

「なんだ、ここ?」

 

 オヅマは初めてなのでわからなかったが、そこは公爵家代々の家族の肖像画が飾られた画廊だった。

 ウロウロしつつ何となしに見ていると、一枚、見知った顔がある。今よりももう少し幼い頃のアドリアンの肖像画だった。難しげな顔をして一人、ちょこんと豪奢な椅子に座らされている。

 

「くっだらなそーな顔」

 

 オヅマはクスッと笑って他にもアドリアンの絵はないかと周辺をざっと見たが、その絵以外にアドリアンの肖像画はないようだった。

 その他の明らかに古そうな時代の絵も見つつ、とりあえず明るい方へ向かって歩いていく。

 

 柱を挟んで色の変わった壁に、ひときわ大きな絵が架けられてあった。

 絵には三人の人物。

 椅子に座った上品そうな女性と、その女性の斜め前に立っている少年、彼らの背後に立っている冷たい顔をした男。

 

 男の顔を見るなり、その面差しから彼が公爵閣下であることはすぐにわかった。おそらくアドリアンが大きくなったら、こんな顔になるのだろう…と思われるほどに似通っている。

 

「グレヴィリウス公爵とその夫人のリーディエ様だよ」

 

 いきなり背後から声をかけられ、オヅマが振り返ると、そこには眼鏡をかけた男がにこやかな笑顔を浮かべて立っていた。

 

 さっきの従僕のこともあるので、オヅマは男の笑顔を見ても警戒を解かなかった。だが、着ているものは従僕の御仕着せではない。

 柔らかそうな絹のシャツに、上着を羽織っただけの軽装は、使用人には許されない。客人でも、特に公爵家と縁の深い人間でなくては、非礼とされるだろう。

 

 だが、今のオヅマには目の前の男が誰であるのかを知るすべはまだなかった。ただ、注意深く見るしかない。

 返事をしないオヅマを、男はたいして気に留める様子もなく、近付いてきて隣に立った。

 

 これといって目立つような風貌ではない。

 長身というわけでもないが、背が低いというわけでもない。引き締まった体躯に、ピンと伸びた背は、上品でありながら自然で悠揚とした佇まいだった。

 

 おそらく貴族であろう。

 多くの貴族は子供の頃から、その立ち居振る舞いについて注意される中で、立ち姿一つでも洗練されたものになる。

 

 それでいて眼鏡の奥の穏やかなアンバーの瞳と、柔和な微笑みに威圧感はなかった。ゆるやかに波打った樺茶(かばちゃ)色の長髪を、無造作に後ろに流して茶色のリボンで一つに括り、耳には青の小さな石が嵌め込まれたピアスをしている。

 

 年はよくわからない。

 オヅマよりも年上であるのは間違いないだろうが、眼鏡と落ち着いた雰囲気のせいか、二十歳程度にも、あるいは三十歳以上にも見える。

 

 男は隣で絵を見上げながら、聞いてもないのに説明してきた。

 

「この絵画は公爵夫人のお気に入りだったんだ。なんでも夫人曰く『この絵が一番自分を美しく描いてくれた』って。他の絵だって、十分にお綺麗だと思うんだけどね。僕なんかは、ほら、そこにある横を向いたお姿の絵」

 

 そう言って、男は隣の壁に架けてある細長い絵を指さした。そこには公爵夫人の立ち姿が描かれている。

 横向きで、長い髪を後ろに垂らし、白い百合を手にもって慈しむように見つめている姿の絵。見ればその壁には公爵夫人の絵ばかりがあった。

 

 つややかに波打つ鴇色(ときいろ)のブロンドと、深い青の瞳。優しげでありながら、気品ある面差し。

 おそらく彼女がアドリアンを産んだという公爵夫人なのだろう。意志の強そうな、ギュッと引き締まった口元がアドリアンそっくりだった。いや、この場合アドリアンの方が母親に似ている、と言うべきなのだろうが。

 

「真ん中の子供は?」

 

 オヅマは公爵閣下ら三人の絵に視線を戻して問うた。中心に立っている子供…淡い蜂蜜色の髪色からして、絶対にアドリアンではないとわかる。

 

 男は「さぁ?」と首を傾げた。

 

「公爵夫人が生きていた頃に、この屋敷にいた子供といえば一人しかいないね」

 

 いかにも思わせぶりな言い方に、オヅマはあまりいい印象を持たなかった。

 

 もう一度、目の前の絵を見上げる。

 

 まるで家族みたいだった。

 子供の肩にそっと手を置いた公爵夫人の表情には、母親として慈しんでいるのが見て取れる。公爵の方は乏しい表情なのでわかりにくいが、子供の背にぎこちなく手を添えている様子から、嫌々でないことはわかる。中央に立っている子供は、やや緊張している様子だが、それでも嬉しそうな顔をしていた。同じ子供の絵でも、仏頂面のアドリアンとは真逆だ。

 

「なんで ――」

 オヅマは絵を見上げながら尋ねた。「そんなこと知ってるんだ?」

 

「うん?」

「この絵が公爵夫人のお気に入りだって。一番自分を美しく描いてくれた…なんて、本人以外から聞くことないだろ?」

 

 男は眼鏡の奥の目を細めたが、その質問には答えなかった。

 

「君は、迷子かい?」

 

 今頃になって尋ねてくる。

 オヅマはどうにもこの男を信用できなかったが、事実、今の自分は迷子と同じ状態だった。

 頷くと、男は重ねて問うてくる。

 

「どこか行きたいところでもあるの?」

「家令のルンビックさまの執務室に。眼鏡を取りに」

「そんなことのために、わざわざ西の館から? ご苦労なことだね」

 

 自分に関することは何も言っていないのに、オヅマがどこから来たのかもわかっているらしい。この様子だと、おそらくオヅマが小公爵付きの近侍であることも知っているのだろう。

 オヅマが男の名を聞こうとすると、男は「案内しよう」と歩き出した。

 

 一瞬逡巡したが、オヅマは男の後についていった。どこに連れて行かれるにしろ、どうせ自分一人ではこの本館内で迷子になるだけだ。

 また嘘を教えられるかとも思ったが、男は親切にもオヅマを執務室の前まで連れてきてくれた。

 

「ここだけど、鍵がかかってるよ」

「鍵はもらってます」

 

 オヅマはルンビックから預けられた鍵を取り出すと、鍵穴に入れて回した。ガチャリと音がする。間違いなく家令の執務室だ。

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

 オヅマは頭を下げた。

 腑に落ちないことは多いが、とりあえず助けてもらった礼は言わねばならないだろう。

 

「ハハ。大したことでもないよ。じゃあ、僕はこれで」

 

 男は軽く手をあげて、来た道を戻っていった。

 

 

 

***

 

 

 

「遅かったな」

 

 ルンビックは眼鏡を持って帰ってきたオヅマを見るなり言った。

 後ろに組んだ手には懐中時計がある。

 

「あともう少しでサビエルを迎えに行かせようかとも思ったが」

「フン」

 

 オヅマは眼鏡を机に置くと、どっかと椅子に座り込んだ。

 

「で? どういうことなんだよ?」

 

 腕を組んで尋ねるオヅマに、ルンビックはとぼけたように聞き返してくる。

 

「どういうこととは?」

「しらばっくれんなよ。本館に入ってアンタの執務室がどこかを使用人に聞いても、逃げられるし、無視されるし、嘘までつかれた。こっちは小公爵さまの近侍だと挨拶しているにも関わらず、だ」

 

 ルンビックは驚かなかった。予想していたのだ。いや、むしろ十分にわかった上でオヅマを行かせたのだろう。

 

「なかなか難渋したようだ。それでもこうして持ってきたわけか」

「一人、気弱そうな奴を締め上げて、執務室があるっていう北棟まで案内させたんだ。そいつが別れ際に言ってたよ。『七竈(ナナカマド)の館の人間とは関わってはいけない』って。公爵家で働いている下男風情が、公爵さまの次に偉い小公爵さまに対して、どうしてそんな言葉が吐けるんだろうな」

 

 ルンビックはオヅマをジロと見つめた。

 コホリ、と小さく咳払いして澄まして言う。

 

「それがこのアールリンデンにおける小公爵様の立場だ」

「まるでアドルに問題があるみたいに言ってるけど、使用人にそんなことを許している人間が、そもそも不甲斐ないって話だろ」

 

 率直で辛辣なオヅマの指摘に、ルンビックは内心で苦笑する。

 

「それは私に問題があるということだな」

 

 静かに自分の非を認めたが、オヅマはより追求を深めた。

 

「あんた()含めて、だ。使用人に息子の……」

「それ以上のことは言うな。ここで暮らすなら」

 

 暗に公爵への批判を言いかけたオヅマを、ルンビックはあわてて厳しい顔で制止した。

 しかしオヅマは怯むこともない。

 

「言わせるなよ、だったら」

「………まったく」

 

 ルンビックはそっとため息を漏らした。

 元は小作人の小倅だと聞いていたが、このふてぶてしいほど堂々とした態度はどうだろうか。その上、ただ単に腕っぷしが強いだけでもなく、頭も回る。これはなまじの礼法の教師では太刀打ちできないだろう。

 

「お前の指摘は間違っていない。しかし、現状においてはそう簡単に私の一言で変わることでもない。この問題については、お前もいずれわかってくるだろう」

 

 ルンビックは鹿爪らしい顔で言いながら、声には苦渋が滲んでいた。

 

 オヅマはルンビックの様子から、彼がこの状況を作り出しているわけではないのだとわかった。

 では一体、誰が、あるいは何が、小公爵たるアドリアンに対する無礼を許しているのだろうか?

 

 しばし考えてオヅマが思い出したのは、北棟の画廊だった。

 あれだけ絵があった中で、アドリアンの絵は一つだけだった。

 ひきかえ亡くなった公爵夫人の絵は、大小様々のものが十以上は飾られていた。

 それに ――――

 

「あんたの部屋に行く前に、なんか絵がいっぱい飾ってある広間みたいなところに出たんだ。そこに妙な絵があった」

「妙な絵?」

「公爵さまと、たぶん奥さんだろうな。鴇色(ときいろ)の髪の上品そうな女の人。それと真ん中にアドルじゃない子供が立ってる絵だよ」

 

 ルンビックはすぐにその絵を思い浮かべることができた。

 同時に、この話における急所を突いてきたオヅマに、気付かれぬよう動揺を飲み込む。

 

「あれは、なんだ? アドリアンに兄ちゃんでもいたのか?」

「兄か。兄…とも言えるな」

「なんだよ、奥歯に物が挟まったみたいな言い方して」

「小公爵様が生まれる前、この公爵邸の継嗣として育てられていたのは、公爵の甥御であったハヴェル様だ。公爵様と奥方には長く御子ができなかった。それで公爵様の妹であられるヨセフィーナ様のお産みになられたハヴェル様が養子として、この公爵邸に参られたのだ。奥方様は、我が子同然に慈しみ育てられた。しかし、その後に奥方様は小公爵様を身籠(みごも)られ、公爵様はハヴェル様との養子縁組を解消された」

 

 ルンビックの話を聞きながら、オヅマはその『ハヴェル』という名前に眉を寄せた。聞き覚えがあると思ったら、さっき庭師の男がつぶやいていた名前だ。

 

 

 ――――― 今日はハヴェル様もいらっしゃってるってェのに…

 

 

「つまり、あの絵の子供はそのハヴェルって奴で、この公爵邸の人間はそいつの味方ってことか?」

 

 オヅマが単刀直入に訊ねると、ルンビックはさすがに渋い顔になった。

 

「……ハヴェル様は今も公爵邸に足繁く来られる。公爵夫人が養子縁組解消を了承する代わりに、解消した後にもハヴェル様が自由に公爵邸に出入りできるよう、公爵様に懇願されたからだ。公爵夫人が亡くなった今も、それは続いている。使用人の古い者は、ハヴェル様の不遇に同情する者も多い。彼らから話を聞いた者達もまた同様に…」

 

 オヅマは話を聞きながら胸糞が悪かった。

 皆してハヴェルという奴を悲劇の子供みたいに祀り上げているようだが、それで実際に身の置き所がない状態になっているのは、本来正統な跡継ぎであるアドリアンだ。

 しかも当人にはどうしようもない、生まれる前のことで。

 

 今更ながら、オヅマは自分がここに連れてこられた意味がなんとなくわかってきた。

 近侍として、アドリアンの警護的なことをしておけばいいだけだろうと思っていたのだが、無論、そのことも含めて、この公爵邸で孤立しているアドリアンを(たす)けなければならないらしい。

 

 しばらく考え込んで、オヅマはルンビックに尋ねた。

 

「そのハヴェルは今日も来てるって?」

「……そのようだ」

「俺が絵で見たのは淡い色した金髪の子供(ガキ)だったけど、もしかして、そいつ大人になって髪色が変わったのか?」

 

 ルンビックはオヅマの問いに、さすがに驚きを隠せなかった。「そうだが」と頷いて、訊ねる。

 

「なぜそれを?」

「俺が会ったのは、暗いくすんだ茶色っぽい髪の奴だったんでね。眼鏡をかけた、ニコニコ笑ってる兄ちゃんだ。青いピアスもしてたな。ハヴェルってのはそいつか?」

 

 ルンビックは眉間の皺を押さえつつ、とりあえずオヅマに注意した。

 

「今度からその方に会ったら、きちんと接するように。間違っても『兄ちゃん』などと、下賤の言葉で呼んではならぬ」

 

 オヅマは既にルンビックの話を聞いてなかった。

 

 あの男が(くだん)のハヴェル公子であるならば、確かに人当たりは良さそうだ。オヅマのことをアドリアンの近侍と知ったうえで、意地悪せずにルンビックの執務室に連れて行ってくれた。

 だが、自分の正体を言わずにいたことも含めて、見たままの性格かどうかは大いに疑問が残るところだ。……

 

 ルンビックはゴホンゴホンと大きく咳払いし、オヅマの注意を戻した。

 

「いずれにしろ、お前がこの邸内で粗相すれば、その矛先は小公爵様に向くということだ。お前自身が責任を取ると言っても、通じぬ。近侍であるお前の不手際は、お前の主である小公爵様の監督不行届となる。であればこそ、小公爵様のお立場を悪くするようなことは控えねばならぬ」

「だから、物知らずな田舎者の元平民には礼儀作法が必要だって?」

 

 ルンビックは重々しく頷いた。

 オヅマはしばらく老家令と睨み合っていたが、ツイと目を逸らすと、軽くため息をついた。

 

「言っとくけど…俺は()()()()()()()()()()()なんてことは嫌いだ。そこまでアドルに忠誠を誓うつもりもないし、そもそもあいつだって望まないはずだ」

 

 ルンビックは眉を寄せた。

 この公爵家の後嗣である小公爵付きの近侍でありながら、(あるじ)に忠誠を誓わぬなど…あり得ない。

 元平民であるがゆえの無知というものでもないだろう。むしろ平民であれば、もっと公爵家に対して畏怖し、盲目的に従うはずだ。

 

 だとすれば、この傲慢な態度は一体どこから出てくるのだろう。

 生意気を通り越して、威風堂々と、何ら悪びれることのない自信に満ちた立ち居振舞い……それこそまるで、貴族の若君そのものではないか。

 

 

 ――――― この少年を本当に小公爵様の近侍にして良かったのか…?

 

 

 ルンビックの危惧に気付くことなく、オヅマは話を続ける。

 

「だけど、あんたの言う通り、ここで生活する上で、俺にある程度、礼儀作法が必要なのはわかってる。だから、俺は俺の意志で学ぶさ。ただし、やたらと卑屈なのも、意味もなく鞭打つ奴もゴメンだ。俺自身が尊敬もできない奴から礼儀を習うなんぞ、おかしな話だろ」

「成程」

 

 ルンビックは頷いた。

 

 その二日後。

 新たな礼法の教師としてオヅマの前に立ったのはルンビック本人だった。

 

「どうやらこのアールリンデンで、お前を教えるに値する礼法教師は私しかおらぬようだ」

 

 

 

 それから三ヶ月が経って。

 

 

 

 他の近侍たちが来てからは、オヅマも彼らと同じ礼法教師の元で教わるようになった。家令から直々に礼法の教育を受けた成果であるのか、今のところ教師を辞めさせるには至っていない。

 

 それでも時々ルンビックはオヅマを自らの執務室に呼び出した。

 きちんと学習が出来ているかを確認するためであったが、茶菓子の用意を整えて家令の執事室を出た女中は肩をすくめて言った。

 

「なんだか、おじいちゃんと孫みたい。あの二人」

 




次回は2023.03.12.更新予定です。

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