昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百二十話 毒見の当番

 アドリアン小公爵への挨拶を終えたあと、西館の主な出入りする場所 ――― 食堂、勉強室、図書室、応接室などに案内され、キャレが最終的に辿り着いたのは自らの部屋だった。

 

「ここがお前の部屋になる。この『青い鳥』を目印にするといい」

 

 マティアスは扉に貼り付けられた、青い鳥の描かれたタイルを指さして言った。次に周囲の部屋についても説明してくれる。

 

「この斜め前の一番大きな扉が、さっきお前を連れてきた小公爵様のお部屋だ。お前を通したのは、寝室の次の間にあたる私室だが、小公爵様は主にそこで過ごされている。

 近侍の部屋は小公爵様の部屋の周囲に、それぞれ一部屋与えられている。

 私はお前の隣、小公爵様のお部屋の向かいにある『白の鳥』、チャリステリオは私の隣の『黄色の鳥』、エーリクとオヅマは小公爵様の部屋を挟んでそれぞれある。

 チャリステリオの部屋の向かいにある『赤い鳥』がエーリクで、お前の部屋の向かいの『黒の鳥』がオヅマの部屋だ。覚えたか?」

「………たぶん」

 

 チラリと背後の扉を窺うと、キャレの部屋の扉と同じように中央よりやや上に小さなタイルが貼り付けられ、そこに黒い鳥の絵が描かれてあった。

 キャレが頭の中でそれぞれの鳥の色と、近侍たちの顔を結びつけている間も、マティアスの解説は続いていた。

 

「この配置は当然のことながら、小公爵様をお守りするためだ。何かあったときには、すぐにでも駆けつけられるようにな。夜中であっても関係ない。そのつもりでいるように」

「……はい」

 

 素直に頷きながら、キャレの顔は強張った。

 それじゃあ、夜もまともに寝るな、ということだろうか。ただでさえ気詰まりだというのに、まったく気の休まる時がない。

 

「お前の荷物はもう部屋に運ばれている。早々に整理を済ましたあとには、藍一ツ刻(らんのひとつどき)に晩餐だ。ちゃんと衣服を整えて食堂に参るように」

 

 いつの間にやらキャレはすっかりマティアスの指揮下に置かれたようだ。同じ近侍というよりも、目上の監督生から指示されているように感じる。

 だが、キャレとしてはこうした人間がいることの方が有り難かった。どうせ自分にはできそうもない役割を、代わりにやってくれる人がいるなら、任せた方が安全だ。

 

「それでは、私は小公爵様に報告してくる。各自解散」

 

 マティアスが去ると、案内の間ずっと黙っていたエーリクが声をかけてきた。

 

「キャレ」

 

 太く低い声に、キャレはビクリとなる。もはやクセになっているようだ。大人の男の声に、今から怒られるのではないか、と身構えてしまう。

 エーリクはキャレの怯えた反応に少し戸惑ったようだが、気にせず言った。

 

「マティアスは一応、心構えとして言っているだけだ。小公爵さまは夜中にむやみやたらと起こすような我儘なことはされない。そんなに心配する必要はない」

 

 すると、これも案内の間、マティアスからの質問に頷くぐらいであったテリィが同意する。

 

「うん。小公爵さまはとても優しい方でいらっしゃるから、そんなに心配しなくていい。よっぽど無礼なことを言ったりしなければ、お許しくださるよ」

「そうですね…」

 

 頷きながらも、キャレは複雑だった。

 自分が今、ここにいる事自体が、既にして十分に無礼なのだ。真実が明らかになったときに、あの優しく朗らかな顔が、どれほど怒りに満ちるだろう。

 端正なアドリアンの顔を思い浮かべ、その顔が冷たく自分を睨みつけることを想像すると、キャレの心臓は絞られるように痛んだ。

 

 

***

 

 

 キャレは部屋で持ってきた物を箪笥に片付けるなどして過ごしていたが、遠くから藍一ツ刻を報せる柱時計の音が聞こえてきて、ハッと我に返った。

 マティアスに言われていたことを思い出し、あわてて外に飛び出す。

 とりあえず階段ホールまで出てきて、食堂の場所がどこだったかを必死に思い出そうとしていると、背後から声をかけられた。

 

「おぅ、キャレ。迷子か? 一緒に行こうぜ」

 

 くだけた口調は振り返る必要もなく、誰であるのかわかる。

 そろりと振り返って、キャレは小さくつぶやいた。

 

「オヅマ…さん」

「さん、なんぞいらねぇよ。俺たちゃ同じ穴のムジナなんだからな」

 

 キャレは少し首を傾げた。それはちょっと意味が違うような気がしたが、「はぁ…」と、曖昧に頷いておく。

 並んで歩きだしてから、キャレは少しばかり後悔した。

 もっと早くに出るか、あるいは怒られることを承知でもっと遅くに出れば、声をかけられることもなかったろうに。

 

 キャレは最初に会ったときから、このオヅマ・クランツという人間がどうも苦手だった。初対面にもかかわらず、妙に距離の詰め方がうまいというか、気づけば近くにまで来ている。

 

「あの、オヅマ。もうちょっと急いだほうが」

 

 既に晩餐開始の時間は過ぎてしまっているのに、オヅマの足取りはゆっくりだった。キャレは急がせようとしたが、オヅマはまったく頓着しない。

 

「大丈夫だよ。アドルは今、エーリクさんと一緒にルンビックの爺さんとこに行ってるし」

「………」

 

 また、だ。

『小公爵様』に対していかにも馴れ馴れしい言いよう。他の近侍とは明らかに違う。

 思わず上目遣いに睨むように見てしまうと、オヅマが気付いたのか目が合う。キャレはあわてて俯いて視線をそらした。

 

「マティの案内はわかりやすいだろ?」

 

 オヅマはキャレが睨みつけていたことには触れず、いきなりマティアスの話を始めた。

 

「え? あ…はい」

 

 キャレは戸惑いつつも頷く。

 

「あいつは口やかましいけど、自分を頼ってくる人間にはいい格好したいから、何かと面倒みてくれるさ。わからないことがあったら、基本的には奴に聞くといい」

「はい」

 

 キャレは返事しながら意外だった。

 出会った当初から何かとやりあっていた二人なのに、オヅマはマティアスのことをそれなりに認めているらしい。

 

「あとはアドルの世話に関することは、サビエルさんに聞けばいい。まぁ…世話っ()っても、アイツたいがいのことは自分でやっちまうけどな。他所(ヨソ)のお坊ちゃんだったら、それこそシャツから靴下までいちいち着せてもらうところだろうけど、アドルはそういうのも基本的には自分でやっちまうんだ。騎士団で見習いとして生活していたからな」

「騎士団で…見習い?」

「そう。レーゲンブルト騎士団でな。俺はそれからの仲だから、他の奴らよりは、過ごしている時間が長い分、多少気安いんだよ。俺が小公爵さまをアドルって呼ぶ理由は、そういうことだ。ま、西館(ココ)でだけにしておくから、大目に見てくれ」

 

 途端にキャレはバツが悪くなって、また俯いた。

 やはり気付かれていたのだ。やけにアドリアンと親しげなオヅマに対して、キャレが内心、おもしろく思ってないことを。

 チラリと横目で窺うと、オヅマはピンと背を伸ばして悠然と歩いて行く。

 

 ふわりと柔らかそうな短い亜麻色の髪、妙に自信ありげに見える薄紫の瞳、どこか異国の雰囲気を漂わせる浅黒い肌。成長期なのか、やたらと手足が長細くてバランスが悪そうに見えるが、二、三年の間には均整のとれた体格になるだろう。

 いかにも大貴族の若様の近侍として選ばれそうな容姿だ。

 近侍として選ばれるのは血筋のほかにも、側にいて不快さを感じさせない見目好い者というのも、実のところ考慮に入れられる。

 

 キャレはそっと溜息をついて、目にかかる自分の前髪を引っ張った。

 今のところ、自分を象徴するのは、このオルグレン家特有の赤毛だけだ。それだって結局のところ、キャレの自信になるものではない。

 いちいち差を感じてしまって、キャレの溜息は増すばかりだった。

 

***

 

 結局、気まずくなって黙っている間にキャレ達は食堂に辿り着いた。

 オヅマの言う通り、アドリアン小公爵はまだ来ていない。細長いテーブルの主人席は空いていた。

 オヅマはドアから一番近く、アドリアンの座る席から見て左斜め横の席に座る。

 テーブルを挟んだその向かいには、テリィが着席していた。どことなく青い顔で、ひどくビクビクした様子だ。

 テリィの横にはマティアスが澄ました顔で行儀よく待っていた。

 

「お前、そこ」

 

と、オヅマはマティアスの隣に用意された席を示した。既に食器はセッティングされている。

 キャレはふぅと気付かれぬようにため息をもらした。やはり後発してやって来た自分などは、席次も小公爵たるアドリアンから一番遠い場所に用意されるらしい。

 キャレは無言でその席に座った。

 

「お前」

 

 座るなり、マティアスがジロリと見てくる。キャレはその顰めた顔だけでビクリと震えた。

 

「な…なにか?」

「なんだ、そのみすぼらしい格好は。寸法も合ってないようだし…まともな晩餐用の服も持ってきていないのか?」

「あ……」

 

 キャレは恥ずかしさで真っ赤になって俯いた。

 

 家から持たされた幾つかの服は、兄達がさんざ着回して色褪せたお下がりだった。中には一体いつの時代のものかと思えるような、古びたデザインの虫食いのものまであった。その中から、まだしも状態の良さそうなものを着てきたのだが、それでもマティアスから見れば、みすぼらしいものなのだろう。

 寸法も、恰幅のいい兄らと比べて、細くて小さなキャレではブカブカなのはわかりきっている。なんとか袖や裾などは詰めてみたのだが、縫い目も荒くて、明らかに下手だった。針仕事は苦手なのだ。

 

 キャレは泣きそうになるのを必死でこらえた。じっと黙って、震えそうになる体を固くしていると、チッとオヅマの舌打ちが聞こえた。

 

「着るモンなんぞなんでもいいだろ。みすぼらしい…って、十分じゃねぇか。破れてないんだから」

「馬鹿なのか、お前は。破れた服など着ていては、小公爵さまの近侍としての品位を疑われる」

「どうせ、そのうちお仕着せくれるんだろ? それまでなんだから、いいじゃないか」

「近侍の制服はあくまでも外出や勉強の時のものだ。食事時には、それ用の服に着替えるのが当たり前だろうが」

「面倒くさ」

「そういう態度が…」

 

 また二人がやりあっている間に、ようやくアドリアンとエーリクが現れた。

 キャレは一瞬、バチリとアドリアンと目が合い、あわててお辞儀するフリをして泣きそうな顔を隠した。

 

「…なにかあった?」

 

 アドリアンは自分の席につきながら、誰にともなく尋ねる。

 マティアスが澄まして答えた。

 

「特に何もございません」

 

 アドリアンはチラリとオヅマに視線を送る。

 しかしオヅマは反論する様子もなく、同じように澄ました顔で「何も」と言葉少なに答えるのみだった。

 

 キャレはホッとした。

 ここで妙な正義感を発揮して、キャレの情けない状況について訴えられても、一層惨めになるだけだ。

 

 アドリアンはしばらくオヅマとマティアスを見比べていたが、追及しなかった。

 エーリクがオヅマの隣に座ったのを見て、「じゃあ、食べようか」と朗らかに宣言し晩餐が始まる。

 

 しかしキャレの前にはすぐに運ばれてきた前菜が、アドリアンのところにはない。不思議に思っていると、アドリアンの右斜め横に座っているテリィがカチャカチャと無作法な音を立てている。

 キャレは眉をひそめた。

 気になって見ていると、テリィはキャレと同じ前菜のパテを少量、ナイフで切ろうとしているようだが、手が震えているせいなのか、まったくパテにナイフが入っていかず、皿にナイフとフォークがカチャカチャ当たっているのだった。

 キャレはアドリアンの顔を窺い見た。そこに苛立ちといったものはなく、むしろ気の毒そうにテリィを見つめている。

 

「あ…あ…ああ…」

 

 焦っているのか、テリィの顔は青く、額には冷や汗がうっすら浮かんでいた。

 いつまでも進まないテリィに、とうとう業を煮やしたマティアスが怒鳴りつけた。

 

「チャリステリオ! なにをしている!? さっさとしろ!」

「すっ、すみませんっ」

 

 テリィは謝ると、泣きそうな顔になりながらようやくパテを小指の先ほど切って、その欠片をフォークで刺した。震える手でそれを口元に運び、ギュッと目をつぶってパクリと食べる。二三度咀嚼してから、ゴクリと飲み下す。しばらく目をつぶったままで、そろそろと目を開くと、ホーッと息をついた。

 

「だ、だ…大丈夫、みたい…です」

 

 テリィが言うなり、アドリアン付きの従僕であるサビエルが、テリィの目の前にあった皿をアドリアンの前に置いた。

 キャレは内心でつぶやく。

 

 ――――― 毒見…

 

 キャレの想定はすぐさまマティアスによって肯定された。

 

「キャレ・オルグレン。このように毎日の食事において、小公爵さまの召し上がるものについては、我らが毒見をせねばならぬ。明日の当番はお前だ」

「当番?」

「そうだ。毎日交代で毒見の検分役をすることになっている。わかったな?」

「………はい」

 

 途端にキャレは一気に食欲がなくなった。

 テリィが動揺して手が震える理由もわかった。

 誰であっても、死を目前にして怖くならないはずがない。

 しかしそんなキャレとテリィの動揺を軽く蹴飛ばすようにオヅマが言った。

 

「ったく、怖がり過ぎだっての。だいたい毒見ったって、一応、厨房でも確認はしているんだろ? こんなの要るかねぇ?」

「馬鹿者。近侍が主人の毒見を務めるのは、古来より決められたことだ」

 

 案の定、マティアスが渋い顔になる。

 オヅマはフン、と鼻を鳴らすと、これみよがしに目の前に置かれた二皿めの料理を、あっという間に平らげた。

 マティアスが眉間に皺を寄せて、オヅマを睨みつける。

 

「まったくみっともない。丸呑みしているかのようではないか。もっと落ち着いて食べられないのか?」

「そんなチンタラ食ってたんじゃ、怒られるんだよ、騎士は。な? エーリクさん」

 

 いきなり自分に差し向けられた問いかけに、エーリクはさほど驚いた様子もなく、にべなく言った。

 

「時と場合による。今は、ゆっくりと黙って食べるべきだろう」

「チェッ! なんだよ、自分だってもう食っ……食べ終わってるってのにさ」

 

 舌打ちするオヅマに、マティアスは自分が優勢とみるや、火に油を注ぐがごとく付け加える。

 

「エーリクは貴様と違って、みっともない食べ方はしていない」

「みっともない食べ方ってなんだよ!」

「貴様のような食い意地の張った食べ方だ!」

 

 テーブルを挟んで二人の言い合いが激しさを増し、いよいよどちらかが立って喧嘩が始まるか ―――― という頃合いで、パン! と手を叩く音が大きく響いた。

 

「そのくらいにしておきましょうか?」

 

 ニッコリ笑いながら制止したのは、小公爵付きの従僕であるサビエルだった。彼は給仕も行っている。

 本来であれば、爵位のある貴族子弟に対して物言える立場ではないはずだが、オヅマもマティアスも不承不承な表情を浮かべながら黙り込んだ。

 

 キャレは不思議に思いつつも、とりあえず目立たぬよう食べることにした。

 オヅマではないが、キャレもまた出てくる料理がすべて豪華で、本当ならがっつきたいくらいだった。

 最初は特別に今日やって来た自分のために、わざわざアドリアンが用意してくれたのか、と勘違いしたくらいだ。

 

 キャレは故郷(ファルミナ)に残してきた家族のことを思った。

 ここに来る前に、母らの待遇が少しでも良くなるよう、兄に頼んできたが、大丈夫だろうか。

 今、自分が食べているような豪勢な食事は望むべくもないが、せめて空腹を抱いて寝るようなことがないようにはしてほしい……。

 

 暗い顔で、キャレはローストされた小羊肉(ラム)を噛み締めた。ジュワリと肉汁と濃いソースが口中で混ざって、とてつもなくおいしかった。




次回は2023.03.19.更新予定です。


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