昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

132 / 259
第百二十三話 公爵の憂慮とルーカスの思惑

 公爵は息子の近侍たちが去った後、仕事に没頭しているように見えたが、珍しく小一時間ほどで、人差し指がコツコツコツと机を打って、休憩を知らせてきた。

 ルンビックは書きかけの書類をすぐに脇に置いて、チリンとベルを鳴らす。

 すぐさま扉が開き、姿を見せた従僕にお茶の用意をするように命じてから、恭しく公爵の執務机の前に行って、決裁の済んだ書類の束を引き取ろうと手を伸ばした。

 

「ルンビック。お前はあの者を最初に見たとき、どう思った?」

 

 公爵のこの質問に対して「あの者とは?」などと問い返すような家令であれば、このグレヴィリウス家では必要とされない。むしろ、ルンビックにとって意外であったのは、まだ公爵が『あの者』――― オヅマについて、考えていたということだった。 

 

「クランツ男爵が才を見出してわざわざ自らの息子にした、と聞いておりましたので、いかにも騎士であるクランツ卿のお眼鏡にかなうような少年だと思いました。頑健で、そこそこに頭もよろしい」

 

 ルンビックは実際に感じたままのことを言ったが、公爵にはそれ以外の答えが必要であるようだ。

 

「何か気にかかるようなことがございますか?」

 

 聞きながら、ルンビックはあらゆる可能性を考えた。

 オヅマの品行に不備が多くあるのは認めるところだ。だが、そんなことはある程度、当初から予定していた。だからこそ公爵も今日の初対面でのオヅマの数々の無礼について、直接叱責することは控えたのだろう。

 公爵自身が直接罰を与えれば、それはオヅマの親であるクランツ男爵にまで責任が及ぶ。あの場ではオヅマの直接的な上役である小公爵を叱責し、後に小公爵からオヅマに罰を与える…というのが、もっとも穏便な手段なのだ。

 

 考えている間に従僕がお茶を持ってくる。ルンビック自らポットのお茶をカップに注いで公爵へと持っていき、自らの分も注いで一口含んだ。

 

「……あの者に稀能(きのう)があることは知っておろう」

 

 公爵はカップから立ち上る湯気を陰気に見つめながらつぶやく。

 ルンビックは頷いた。

 

 そもそもクランツ男爵の結婚を進めたのは、年少ながら稀能を発現するなどという驚異的な身体能力を持つオヅマを、小公爵の近侍として召すためだ。

 公爵本人よりも、どちらかといえば小公爵に何かと肩入れする騎士団の団長代理たるルーカス・ベントソン卿の肝煎りではあったが、ルンビックはこの人選は間違っていないと評価している。

 

「あの者の発現した稀能が何であるかは知っておるか?」

「『澄眼(ちょうがん)』ではないのですか?」

 

 ルンビックはてっきりオヅマがクランツ男爵からその稀能の訓練を受け、年少ながら非凡な才覚で発現させたものと考えていたのだが、公爵のその質問によって、自分が間違っていたことを悟った。

 案の定、公爵は首を振る。

 

「『千の目』…それに『(まじろぎ)の爪』」

「それは、大公殿下の………」

 

 言いかけて、ルンビックは言葉が詰まった。

 その稀能から連想する人物と、先程の公爵の質問がルンビックの顔を強張らせる。

 

 

 ――――― お前はあの者を最初に()()()()、どう思った?

 

 

 ()()()()…ということは、性格や礼儀などの問題ではないのだ。あくまで初対面でのオヅマの容姿について、公爵はルンビックがどういうことを考えたのか、聞きたかったのだろう。

 

「お前も姉上の結婚の準備などに携わったのであれば、()()()()()()姿()について、覚えておろう?」

 

 ルンビックは無意識に体が固くなった。

 今、公爵が何気なく『姉上』と呼んだ女は、この公爵家にとって禁忌とも言うべき存在だった。

 

 現公爵の姉、エレオノーレ・ベルタ・エンデン・グレヴィリウスは公女として生を受け、尊き身分に相応した貴人、すなわちランヴァルト大公に輿入れしたが、悪業の末に醜悪な死を迎え、公爵家においても、大公家においても、恥なる存在として抹消された。

 

 今に至るまで、ルンビックはエレオノーレ公女については意識して忘れていたし、十数年の時を経て、すっかり忘却の彼方にあった。

 公爵にとっても色々と迷惑をかけられたので、思い出したくもない存在であるはずだが、それでも大公殿下について思いを致すれば、自然と浮かんでくるのかもしれない。

 

「それは…はい、畏れ多くも何度かお声がけして頂いたこともございますれば」

 

 なるべく公女については触れず、ルンビックは答える。

 

()()()()が、()()姿()()()()()()前、あの者と同じような髪色であったと思わぬか?」

 

 大公その人を明らかにするのも憚るかのように、婉曲な言い回しで、公爵は問いかけてくる。

 ルンビックは無理に笑みを浮かべ、引き攣った顔になった。

 

「恐れながら、公爵閣下。あのような髪色の者は、さほどに珍しくもございません。このアールリンデンにも、いくらでもおりましょう」

 

 多少の濃淡はあっても、亜麻色の髪というのはさほどに珍奇な髪色ではない。むしろ、帝国の貴族というのであれば、公爵のような黒髪と見紛うような濃い髪色の者の方が珍しかった。

 

「髪色だけのことではない。稀能もだ」

「稀能は……血によって継がれるものではございませぬ」

「わかっている」

 

 公爵は苛立たしげに眉間の皺を深くし、冷めた茶を口に含んだ。

 

「だが、あの者の目つきや、他者を覆うような気の強さ…容姿だけのことでなく、近いものを感じさせる」

「まさか…」

 

 ルンビックはゆるゆると首を振った。

 

 確かに公爵閣下と同じく、オヅマの尊大さにはルンビックも奇妙なものを感じてはいたが、それでも多少特徴的な性格と髪色だけで、大公殿下に似ている、などと結論づけるのは少々強引に思えた。

 

「公爵閣下、それだけで()()()との縁を語るのは、いささか無理があるように思います」

 

 ルンビックは率直に言った。

 稀能という共通点がなければ、おそらく多くの人間が、オヅマと大公殿下が似ているなどという感想は持たないだろう。その稀能にしても、最前(さいぜん)話したように、遺伝はないのだ。

 

 公爵は自分と異なる老家令の意見に怒りはしなかったが、納得もしていないようだった。

 

「直接聞いた方が早いかもしれぬな」

「は? 直接…ですか?」

 

 公爵はしばらく考えてから、鋭くルンビックに尋ねた。

 

「確か…ヴァルナルが新たな街道について話が持ち上がっていると言っていたな」

「は。何度かロージンサクリ連峰の麓まで訪れて、調査をしておられるようです。この前には測量士を紹介してほしいと申されまして、何名か派遣しております」

「新たなる街道となれば大事業だ。私が無視しておくこともできぬであろう」

 

 それは公爵本人がサフェナ領を視察する、ということだった。相談ではなく、決定だ。

 

 ルンビックは頭を下げた。

 

「では、日程について直ちに調整致します」

 

 

 

***

 

 

 

 公爵家騎士団の団長代理(*団長は公爵本人)という立場にあるルーカス・ベントソンは、少々特殊な地位にある。

 

 彼の身分は上級騎士に過ぎなかったが、曽祖父が当時のグレヴィリウス公爵を助け、絶対的忠誠を誓ったという過去から『真の騎士』の称号をグレヴィリウス家から与えられた。

 この名称は略したもので、実際には『唯一にして絶対なる忠誠者にして、グレヴィリウス公に直言することを許されし真実の騎士』という長々しいものだが、ようは公爵家内において、唯一公爵に対して、公然と『物言える』人物といえる。

 

 この称号、本来は一代限りで、爵位のように子孫に継承していくものではない。実際、ルーカスの祖父と父には『真の騎士』の称号と権威は与えられなかった。

 だが現公爵エリアスは忌憚のない意見を言ってくれる稀有な存在として、その役割を再びベントソン家の嫡嗣ルーカスに与えた。その上で公爵家直属騎士団の団長代理という実質的な軍事権を掌握する立場でもある。

 同じグレヴィリウス家門の、より身分の高い家柄の者であっても、彼を蔑ろにすることはできなかった。

 

 しかしオヅマはそうした事情を聞いて知ってはいても、目の前のオッサンがさほどに偉い人間だとは思えなかった。

 何かというと二言目には「モテないぞ」というのが口癖で、面倒な事務仕事を放り出しては副官に追い回され、厨房下女を口説いておやつを貰っているオッサンを尊敬しろという方が難しいだろう。

 正直、これがあの真面目なカールと、無口なアルベルトの兄なのかと疑いたくなるくらいだ。

 

 今日も今日とて、アドリアンからオヅマの処遇について委託を受けたルーカス・ベントソンがまず言ったのは――――

 

「そう、カッカして怒りっぽい野郎はモテないぞ、小僧」

「………」

 

 オヅマは無表情に受け流した。予想を裏切らない。その科白(セリフ)も、フフンと右の頬だけを吊り上げた薄笑いも。

 ルーカスは白けた顔のオヅマを見て、肩をすくめた。

 

「やれやれ…わかりやすい。妙なところでお前たち父子(おやこ)は似ているな。血も繋がってないってのに」

 

 無論、この場合ルーカスの言った『父』はヴァルナルのことだった。

 オヅマは眉を寄せる。

 

 似た父と子供というなら、公爵とアドリアンはそっくりだった。どう考えても血が繋がった親子に違いないというのに、あの二人の言動はひどく他人行儀だ。

 

「アンタ達は、なんで何も言わないんだ?」

 

 オヅマの問いに、ルーカスは首を傾げる。

 

「アド…小公爵さまと、公爵閣下のことだ」

 

 躊躇なくオヅマが言うと、周囲の空気がザワリと緊張を帯びる。

 ここは修練場で、オヅマとルーカスからは遠巻きながらも、騎士たちが剣術の稽古を行っていた。

 

 ルーカスはやや意外そうに目を見開いて、オヅマを見つめた。まともに見返してくる生意気な薄紫の瞳に、再びフ…と笑みを浮かべる。

 

「小公爵さまがなにか仰言(おっしゃ)ったのか?」

「あいつが言うわけないだろ。むしろ、心配しなくていいって言われたさ」

「心配? お前が小公爵さまを心配したのか?」

 

 あきらかにその口調は嘲弄を帯びていた。言外に「お前ごときが」と、言っている気がする…。

 オヅマはギロリとルーカスを睨みつけた。

 

「あいつは公爵閣下に嫌われても仕方ないし、納得しているって言うんだ。絶対、そんなわけないのに」

「なぜそう思う?」

「本気で親に嫌われても仕方ないなんて考えてるなら、そんな親の言うことなんぞ、聞いてやる必要もない。無視すりゃいいし、とっとと出て行きゃいいんだ。出て行かないのは ―――― 」

 

 言いかけて、オヅマは急に口を噤んだ。ふと、自分の中に甦りそうになる気持ちに、ひどく苛立ち、気分が悪くなる。

 

 

 ――――― 大丈夫だ、オヅマ……私は決して、お前を見捨てたりはしない

 

 

 オヅマの記憶にあるその言葉は、ヴァルナルに言われたものであるはずだった。初めて人を殺して錯乱したオヅマをなだめるために。なのにどうして、思い出すその声音はヴァルナルでないのだろう?

 まるで呪詛のようにオヅマを縛り付ける。……

 

 一方、ルーカスは急に黙り込んだオヅマをしばらく見つめていたが、ふっと視線を落とすと自嘲するように溜息をついた。

 

 オヅマの言う通りだ。

 小公爵アドリアンは長く、公爵からの無関心に耐えている。自分には嫌われる理由があるのだと、自らに言い聞かせ、無理に納得させているのだろう。

 その健気で痛ましい覚悟をわかっていても、ルーカスは公爵を諫める言葉を持たない。自分にはその役割が与えられており、許されているのに、何も言えなかった。自分が何かを言っても、公爵閣下の沈んで凍りついた心を動かすことなどできないだろう。

 

「それで、何も言わない小公爵様の代わりに、公爵閣下に対して意見しようとしたわけか」

 

 ルーカスはまた薄ら笑いを頬に浮かべて、あきれたように言った。

 

「意見なんぞしてねぇよ。公爵閣下がいきなり意味のわからねぇことを言ってきたから」

「お前…」

 

 ルーカスは額を押さえた。

 よくもまぁ、あの公爵を目の前にして、ここまで不遜でいられるものだ。ある意味、豪胆でさえある。

 

「俺の髪色が誰に似たかなんて、知るわけねぇだろ! 挙句に実の父親のことなんぞ聞いてくるから、知らねぇって言っただけだ」

「お前の実の父親だと?」

 

 ルーカスもさすがに公爵の意図が理解できなかった。なぜ、今になってそんなことを?

 

 しかしオヅマはこれ以上、この不毛なことについて考えることすらも不快だった。

 

「もういい。罰は?」

 

 話を打ち切って、ルーカスを急かす。

 既に決めていたのかルーカスの返答は早かった。

 

「修練場の草むしり」

「……クソジジィ」

「と、修練場十周」

 

 これ以上、下手に文句を言えば言うほど罰が増えると思ったのだろう。オヅマはくるりと背を向けると、さっそく近くの草からむしり取っていく。

 その様子を見ながらルーカスは、公爵の思惑について考えた。

 

 確か、以前行った調査では、ラディケ村で死亡した父親はオヅマと血が繋がっておらず、別の男が父親であるらしい…という、ややあやふやなものではあった。

 だが、幼い子どもをかかえた貧しい平民女が再婚するのは珍しくない。

 だからこそ公爵も深く追求せず、ヴァルナルの結婚を承認したのだ。

 

「……ま、気まぐれということもあるか」

 

 ルーカスはとりあえずその件については思考の片隅に追いやった。

 

 さほど重要なことでもない…と思っていたのだが、案に相違して、その夜にはサフェナ=レーゲンブルトへの同行を命じられた。

 その理由が新たな街道の視察と、オヅマの実父について、オヅマの母親に問い質すつもりらしいとルンビックから聞かされ、ルーカスは正直困惑した。

 

「どうも腑に落ちませんね…」

「私もそこまで大事(おおごと)にすることではないとは思うが…公爵閣下には、色々と考えられることがおありのようだ」

 

 ルンビックの煮え切らない返答にも違和感を持ちつつ、ルーカスは明後日に迫った出発の準備に追われた。

 その中には小公爵と近侍らの訓練を、ルーカス不在の間、誰に任せるかということも含まれている。

 

 ルーカスはしばし考えたのち、二つの書信を(したた)めた。

 一つは留守居中、小公爵らの訓練を任せる騎士に向けて。

 もう一つは ――――

 

 




次回は2023.04.02.更新予定です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。