昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百二十五話 弓試合(2)

 弓部隊側の一番手はヨエルだった。

 彼は普通の弓を使い、落ち着いた所作で射場に立つと、あっさりと矢を放って、【正中(トル)】に射ち込んだ。

 

 オォッ、と見物していた騎士たちが声を上げる。

 ヨエルは特に喜ぶこともなく、次の射手であるアドリアンに軽く目礼すると、後ろに下がった。

 どうやらヨエルにとってこの程度のことは、朝飯前であるらしい。

 

 アドリアンはヨエルと同じ普通の弓を持ち、まず一矢を放つ。

 ヨエルほどの勢いはないものの、やや弧のある放物線を描いて、トスリと的に当たった。

 

「三の円」

 

 審判の騎士が朗々と告げる。

 中心部分から三番目の輪の中。

 幾人かの騎士たちは、軽く感嘆の声をもらした。

 

 この年齢であれば的に当てること自体、難しい。

 膂力がついていないと、的に届きもしないからだ。これは普段から小公爵が騎士の訓練に真面目に取り組んでいるという証であった。

 

 アドリアンは一つ深呼吸してから、二の矢をつがえた。

 教えてもらったように、力が入り過ぎないように、姿勢を正しくして ―――― 放つ。

 

 鋭く飛んでいった矢は、【正中(トル)】の近くに当たった。

 これには騎士たちがどよめき、ヘンスラーも思わず身を乗り出した。

 

 オヅマはニヤリと笑う。

 レーゲンブルトでアルベルトから教えてもらっているときも、弓ではアドリアンの方が上手だった。特に、こうした儀礼的な色合いの強い【的射ち(テル=ディオット)】などにおいては、冷静沈着なアドリアンはより強みを増す。

 

 その後の三本もアドリアンは的に命中させた。

 射場から立ち退くアドリアンに、ヨエルが拍手を送った。

 

「見事にございます、小公爵様。そのお年で、ここまで修練を積まれるとは、大したものでございます」

「ありがとう、ヨエル」

 

 アドリアンはニッコリと笑って、熟練の弓騎士からの賛辞を受け入れた。

 オヅマらの待つ場所へと戻ってから、フゥと息をつく。

 

「あぁ、緊張した…」

「見事です、小公爵さま」

「素晴らしいです」

 

 マティアスとテリィは、拍手しながら大袈裟に褒めそやす。

 キャレはアドリアンの襟が汗で濡れているのを見て、そっと手ぬぐいを渡した。

 アドリアンは少し驚いたようにキャレを見たあとに、「ありがとう」と笑って受け取る。涼しい顔をしていたが、正直なところ、心臓は飛び出そうなくらい激しく打っていたし、今だって手は震えていた。

 

 一方、オヅマとエーリクは次の射手であるヤミが持っている弓を見て、顔をしかめた。

 

「野郎…長弓でやる気だ」

「……ヨエル卿と小公爵さまを合わせて良かったな」

 

 試合が始まる前から、長弓を使わない騎士 ――― ヨエルに対し、アドリアンをぶつけることは決めていた。とてもではないが、長弓であればアドリアンは矢をつがえることもできなかったろう。

 

「フン、あんなモンで的に当たるのか…」

 

 オヅマは希望も含めて毒づいたが、射場に立ったヤミの姿は湖に立つ鶴のように、優美でありながら、一切の動揺もなかった。自らの身長ほどもある長い弓を苦もなく引き絞ると、流れるような動作で矢を放つ。

 鋭く、勢いのある矢が、ドスリと的の左上辺にある三日月型の枠【金色州(サス)】に突き立った。

 

「やった!」

「さすが、ヤミ!」

 

 騎士たちは一気に歓声を上げたが、ヤミ本人はまるで関心もないように、射場を後にする。通り過ぎざま、チラリと蒼氷色(フロスティブルー)の瞳がオヅマらを見た。

 

「どうする?」

 

 エーリクが厳しい顔で問うてくる。

 

「エーリクさん、長弓は?」

「一応やってはいるが…正直、五本すべてを当てるのは無理だと思う」

「一本でもいいさ。俺もそのつもりでやるし」

「じゃあ…」

「とりあえず、先行ってくれ。どうせあの人参頭の隊長殿も長弓で来るだろうから…そっちはどうにかする」

「わかった」

 

 エーリクは立ち上がると、長弓を持って射場に立った。

 近侍の中では最年長で大柄なエーリクであっても、長弓を扱うのは難しかった。ただ力があればいいというだけでなく、細かな動作を調整せねばならない。

 矢のつがえ方、的を狙う角度、踏ん張る足の間隔。

 自らの体格をよくわかった上で、自然条件も加味して瞬時に計算しながら的を狙うのは、相当な修練を要する。

 

 ギリギリと弓を引き絞る。

 だが、自分で矢を放った瞬間にエーリクは失敗を悟っていた。

 案の定、矢は的に届かず地面に落ちる。

 

「残念!」

 

 後ろからヨエルが励ますように声をかけた。「もっと弓を押せ!」

 

 エーリクは一息ついた後に、再び矢をつがえた。

 ギリギリと(つる)を引きながら、ゆっくりと()を計っていたが、背後から騎士らの「長いな」という小さな声が聞こえた途端に矢を離してしまった。

 また、矢は的に届かず落ちる。

 

 なんとなく騎士らの冷笑を感じて、エーリクの背に汗が噴き出した。

 妙に焦って矢をつがえたものの、何か違和感を覚えて、思わず矢を降ろす。

 

「無効、一本」

 

 射場に立って、矢をつがえる動作を途中で止めた場合、無効となる。つまり一本が無駄になった。

 エーリクは思いきり渋い顔になり、ため息をついて一度、射場から降りた。

 

 明らかに動揺しているエーリクに、オヅマがのんびり声をかける。

 

「そんなに真剣になんなくてもいいって、エーリクさん」

「そうそう」

 

 アドリアンも気安い口調で言って、先程キャレからもらった手ぬぐいをエーリクに放った。

 

「別に命がかかってるわけじゃない。負けたって、僕らがすべきことはそう変わりないんだから」

「は……」

 

 エーリクはアドリアンから受け取った手ぬぐいで額や首の汗を拭うと、深呼吸してから再び射場に立った。

 父や兄から教わったことを反芻してから、再び弓を持って、引き絞る。焦らず呼吸を繰り返し、自らの気が充溢するのを待って放つ。

 矢は鋭く的を射た。

 

「二の円」

 

 審判の判定に、騎士たちがどよめき、数人から拍手が起こった。

 

 ヘンスラーは背後でムッスリと押し黙っている。

 五本すべてを的に当てられなかった場合に負けとしたのは、長弓で勝負すれば少年らの膂力では弓引くこともできないと高をくくっていたからだ。

 しかし、さすがは武門の誉れ高いイェガ男爵家。幼い頃から並外れた訓練を受けてきたようだ。

 

 エーリクはその次も上手く出来たように思えたが、やはり体力は限界だった。

 最後の矢はトスリと的の手前で土に刺さった。

 

 しかし、ともかくも負けとならずに済んだ。

 戻ってきたエーリクをマティアスとテリィがまた褒めそやし、キャレはアドリアンに頼まれ、冷たい水で絞った手ぬぐいを渡した。

 

 オヅマはチラリとヘンスラーを窺った。赤くなった顔は、どんよりとした怒りを秘めて固まっている。

 組んだ手で口元を隠して、オヅマはこっそり意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 ――――― 首尾は上々……

 

 長弓を持って立ち上がったヘンスラーに、オヅマは声をかけた。

 

「隊長殿、提案がある」

「なんだと!?」

 

 ヘンスラーは怒気も露わに、小さな目をひん剥いた。

 

「これ以上、何を要求してくる気だ!? さんざこちらは譲ってやったというのに!」

「そう怒るようなことでもないさ。この最後の勝負については、俺を先攻にしてもらいたいんだ」

「ハァ!?」

 

 ヘンスラーは大声で問い返すと、ヒクヒクと頬をひくつかせながら、オヅマを軽蔑しきった目で見た。

 

「なんだ? 今頃になって、我らが長弓で勝負してきたので臆したか?」

「もちろん、武器についてはそちらで選んだ物を使う。長弓でしろというなら、長弓でするさ。その代わり、先に俺がする…というだけのことだ」

「なに?」

「ただし、俺が五本すべてを的に当てられなかった時も即座に負けとせずに、隊長殿も勝負すること。もし、隊長殿も負けたときは引き分け。再度、俺と隊長殿とで勝負だ」

 

 ヘンスラーはオヅマの言ってきた内容を反芻したあとで、ハハハハと皮肉げに嗤った。

 どう考えても、その条件はオヅマ側が不利だった。引き分けとなって、勝負がつくまでやれば、体力的なことを考えてもヘンスラーの有利は揺るぎない。

 

「ふん。最後のあがきか……」

 

 嗤笑してつぶやくと、オヅマはなおも巧みに言ってくる。 

 

「こちらとしては一応、この勝負を受けてくれた隊長殿に敬意を表して、花道を作ってやろう……ってことさ。俺が失敗して、アンタが成功すればそれで勝敗はつく。最後の最後で笑う方が気持ちいいだろ?」

「………」

 

 ヘンスラーは少しためらった。

 胡散臭げにオヅマを見て、問いかける。

 

「なんのつもりだ? 何か企んでいるのではなかろうな?」

「企むというほどのことじゃない。俺だって、これでも騎士の端くれだ。自滅して負けるよりは、相手方に勝たれて負けるほうが、すっぱり後腐れなく受け入れられる…ってだけのことだ」

「ふむ。それがお前の騎士としての矜持というわけだな」

 

 ヘンスラーはしばし小さな目でオヅマの真意を推し量ったあと、「いいだろう」と承諾した。

 オヅマは長弓を持って、射場に立った。

 スゥと息を吸い込む。

 正直なところ、自信はない。アルベルトから弓の稽古を受けてはいたものの、長弓はまだ早いと言って教えてはもらえなかった。

 とりあえずエーリクの所作を真似てやってみたが、想像以上に長弓は硬かった。矢をつがえることすら難しい。(つる)を十分に引き絞るまでに、指が千切れそうだった。

 

()ッ!」

 

 弓を構える前に、矢がその場にポトリと落ちる。

 

「無効」

 

 審判が無情に告げる。

 オヅマは唇をかみしめた。

 

 背後ではヘンスラーがニヤニヤと笑っていた。

 大の大人ですら手こずる長弓を、成長著しいとはいえ、まだ騎士見習いの少年ごときが扱えるはずもない。

 ようやく企図していた通りに事が進んでいる……。

 

「オヅマ。しっかりと体の芯をつくれ」

 

 エーリクが声をかける。「(つる)を引くより、弓を押すんだ」

 

 オヅマはコクリと頷くも、やはりそう簡単なことではない。

 長弓を持って考え込んでいると、ざわざわと話す騎士たちの声が耳に入ってくる。

 

「やはりまだ子供には早かったんだ……」

「エーリク・イェガは兄たちからみっちりしごかれたんだろう……」

「クランツ卿は、剣は一流だが弓の扱いは……」

 

 オヅマは眉を寄せた。

 

 早い……。

 ()でも同じことを言われた。

 

 

 ―――― まだこの子には早ぅございます、閣下!

 

 

 そう、早かった。

 まだ早いと自分でもわかっていても、それでも早く役に立ちたくて、認められたくて必死だった……。

 

 

 ―――― 本人にやる気があるのだから、やらせてみればよかろう。

 

 

 その声に反射的に怖気(おぞけ)が走る。

 それでもオヅマは恐れながら、()をゆっくりと手繰り寄せる。

 

 

 ―――― 己の中に一つの柱をつくるように……

 

 

 オヅマは射場に立ち、ゆっくりと、静かに、弓に矢をつがえる。 

 

 

 ―――― 力点を置く場所が大事なのだ……

 

 

 一息ついてから、グイッと思いきって弦を引き、弓を押す。

 

 騎士たちがどよめいたが、オヅマには聞こえていなかった。ギリギリと弦を持つ指が痛みを増していく。

 

 

 ―――― 弦を無理に引こうと思うな。弓を遠くへ押せ……

 ―――― 背の骨を近くしろ……

 

 

 脳裏に響く声は的確に指示する。

 

 吐きそうな嫌悪感を押し籠めて、オヅマは矢を放った。

 トスリ、と的の手前の地面に刺さる。

 

 騎士のある者は残念そうに声を上げ、ある者はやはりな、としたり顔になる。

 一本目では余裕の笑みであったヘンスラーは、届かないまでも二本目の矢を飛ばすことができたオヅマに、内心でジリジリとした焦りがこみ上げていた。

 

 オヅマは息を吐いた。

 通常の弓の感覚で構えると、姿勢が保てない。長弓に応じた体勢に変えなければ……。

 

 さっきよりも足の間隔を開いて立つ。

 胸深くに息を吸い込み、静かに吐いていく。

 

 集中は周囲の雑音を消し、徐々に静謐な空気がオヅマの中に満ちていく。

 その過程は、稀能(きのう)『千の目』を発現するときと似ていた。

 

 ふと、あの日の恐怖が甦る。

 マリーに襲いかかる男の首を斬ったときの、有り得ない既知感。

 ビクンと震え、意図せず放たれた矢は力なく地面に落ちた。

 

「惜しい!」

 

 ヨエルが叫んだが、オヅマには聞こえていなかった。

 

 じっとりと汗がにじむ。

 頭に直接聞こえてくる声が、ひどく鬱陶しい。それでもその苛立ちを排除し、押し殺さねばならない。

 

「オヅマ」

 

 アドリアンが心配そうに声をかけてくる。「大丈夫か? 顔色が悪い……」

 

 さっきまでふてぶてしいくらいに元気で口達者であったオヅマが、やけに追い込まれたような、余裕のない表情になっているのが気になった。

 

「大丈夫だ」

 

 オヅマは笑った。

 手を上げて、棄権でも言い出しそうなアドリアンを制する。

 

 アドリアンの隣にいたマティアスが渋い顔でつぶやいた。

 

「まったく。言い出しっぺが苦戦してどうするんだ」

「ハッ……」

 

 オヅマは思わず吹き出した。

 こんな時でも、文句を言ってくるあたり、マティアスらしい。

 

「確かにな」

 

 頷いてから深呼吸し、肩を思いきり持ち上げてストンと落とす。どうも余計な力が入っていたようだ。

 

「マティアスの言う通りだ。さっきお前も言ったろう? ()()()()()()()ならなくていい」

 

 エーリクが励ますと、オヅマは驚いたように目をしばたかせた。

 

「珍しく、エーリクさんにしちゃ気の利いたことを言ってくれるね」

「お前が言ったことだろう」

「そうそう。だから気が利いてるんだ」

 

 オヅマはとぼけたように言って、スゥと息を吸い込むと、的を睨みつけた。

 

 あと、二本。

 

 心を澄まして、気持ちを落ち着ける。

 あの声にも動揺しないように、ただ指示としてだけ聞く。

 

 

 ―――― 美しい動作は正しい結果を生む……

 

 

 しっかりと土を踏みしめて、その場に根を下ろしたかのように重心を低く、立つ。真っ直ぐに意識を上下に伸ばして、体に芯を持つ。矢をつがえ、弓を上げて、構える。

 ビュイン、と放たれた矢は、的の縁ギリギリをかすめて的を支える盛土に刺さった。

 

 ああーっと、騎士らも、マティアスたちも声を上げた。

 いよいよあと一本。これを外せば負けとなる。

 しかし、オヅマに焦りはなかった。

 

 

 ―――― 少し下につがえるのだ……

 

 

 今は素直に、その声の言う通りにする。胸の奥に奇妙な懐かしさが沁みたが、無視した。

 最後の矢をつがえて、弓を上げながら、弦を引く。

 (やじり)の先に的を睨み、狙いを定める。

 

 

 ―――― 当てようと思わず、正しく射ることに集中しろ……  

 

 

 まるでオヅマの心を見透かしたかのような、適切な指導。ギリ、と奥歯を噛みしめて、オヅマは矢を放った。

 

 ドスリ!

 

 三の円の下側に、矢が刺さった。

 

「やったぁ!」

 

 テリィが大声で叫び、騎士たちもどよめいた。

 

 オヅマはホゥと息をつくと、弓を下ろして、ゆっくりと射場から出た。

 

「ご苦労さま」

 

 戻ってきたオヅマにアドリアンが声をかける。

 

「まだまだ……」

 

 オヅマはニヤリと笑ってヘンスラーを見た。

 

 急に、自分の弓によって勝敗を決さねばならない状況に陥って、ヘンスラーはすっかり焦って顔色をなくしていた。

 

 




次回は2023.04.16.更新予定です。
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