昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百二十六話 弓試合(3)

 マウヌ・ヘンスラーの弓術の腕は間違いないものだった。

 速射においては、グレヴィリウス配下のどの騎士団の騎士よりも多く矢を射ることができたし、長弓を使った遠射においても、誰よりも遠くまで矢を飛ばすことができた。

 だからこそグレヴィリウス公爵直属騎士団における弓部隊の隊長を任命されたのであり、弓使いであることに誇りもあった。(騎士の主流はやはり剣術であったので、弓使いはやや下に見られることがあった)

 

 彼の配下の騎士たちは、やや直情径行な性格であっても、ヘンスラーの実力は認め、弓使いとしての研鑽を怠らない彼を、それなりに尊敬していた。

 ただ、騎士らは実力も十分にある隊長の、唯一にして最大の弱点もわかっていた。

 ヘンスラーは極端にプレッシャーに弱かったのだ。

 

 これまでに公爵家で行われた闘競会(ダルスタン)で優勝できないのは、まさにそれが原因であった。

 特に正確性を求められる【的射ち(テル=ディオット)】においては、その緊張が如実に現れる。

 オヅマが【的射ち(テル=ディオット)】を提案してきたときに、自分の得意な種目を言っても良かったのだが、そこはやはり相手が子供ということもあって、油断していたのだろう。

 

 オヅマはヘンスラーが闘競会(ダルスタン)で優勝していないことを知った時から、彼がおそらく緊張に弱い類なのだろうと推測していた。

 公爵直属騎士団の弓部隊の隊長が、本職である弓の競技で優勝できないなんてことは、実力主義を旨とするグレヴィリウス配下の騎士団において有り得ないことだったからだ。

 

 だからこそ順番を入れ替え、自分が成功することによって、彼にかかる重圧をより重くしたのだった。

 無論、自分が失敗する可能性もあったが、より『勝つ』ことにこだわれば、こうした小細工めいた戦法を取らざるをえない。 

 

 案の定、ヘンスラーは押し黙ったまま座り込んで、まだ射場に入ることすらできずにいた。

 離れた場所からでも、額からふつふつと汗が噴き出ているのがわかる。

 

「隊長」と声をかけて促したのは、ヤミだった。

 相変わらず何を考えているのかわからない表情をしている。

 少なくともヘンスラーを励ましているようには見えなかった。

 

「わかっている!」

 

 ヘンスラーは怒鳴って立ち上がった。

 壁に掛けてあった長弓を取ると、足音も荒々しく射場へと入る。

 何度も深呼吸を繰り返してから、ようやく足を開いて構えの体勢をとった。

 

 しかしこの時、極度の緊張状態にあったのだろう。

 ヘンスラーの動作は、やたらと強張っていた。矢をつがえ、弓を上げて的を狙うも、なかなか()てない。

 

 ヘンスラーの顔色はどんどん悪くなっていった。ギリギリと(つる)を引き絞る音が、彼自身を圧迫するかのように……。

 

 オヅマは素知らぬ顔で、ヘンスラーの息遣いを注意深く窺っていた。

 やや震えながら、必死に気持ちを落ち着けようと呼吸を繰り返している。

 

 吸って、吐いて、吸って、吐いて……大きく吸って、いよいよ矢を放つという寸前の、いざ息を吐くその瞬間に ――――

 

「はぁ…」

 

 オヅマは軽く溜息をもらした。

 

 ヘンスラーの矢は的を大いに外し、修練場の板塀にザクリと刺さった。

 

「うああっ!」

 

 ヘンスラーはすっかり狼狽した様子で叫んだ。

 その場にへたりこみ、頭を抱え込む。

 

 アドリアンは少し気の毒に思えてきて、声をかけようとしたが、その時パチパチと背後から拍手が聞こえてきた。

 その場にいた全員が一斉に振り返る。

 

 そこには眼鏡の男が立っていた。

 穏やかなアンバーの瞳が、ざっと居並ぶ騎士らを見回す。

 強い風が吹いて、乱れた樺茶(かばちゃ)色の髪を掻き上げると、くしゃりと笑った。

 

「あいつは……」

 

 オヅマは見覚えがあった。

 初めて本館を訪れて迷っていたときに、ルンビックの執務室を教えてくれた男だ。

 

「ハヴェル様!」

 

 ヘンスラーは叫ぶと、あわてた様子で立ち上がり、男の前へと駆け寄った。

 

「ハヴェル公子がいらっしゃるとは…なんとも周到な」

 

 マティアスが苦々しい顔でつぶやいた。

 テリィもそろそろとエーリクの背後から、ハヴェルの前で跪いてひどく恐縮した様子のヘンスラーを見て、毒づいた。

 

「あの隊長、ハヴェル公子が来ているから、いいところを見せようとしたんじゃないの? じゃないと、こんなバカげた試合に乗らないだろう」

「だとしたら、隊長殿は下手こいたな」

 

 オヅマは腕を組んで、ハヴェルとヘンスラー二人の様子を見ていた。

 どっちにしろ、こちらの意図したことは成功したのだ。むこうの思惑など、知ったことではない。

 

 一方、アドリアンは無表情にハヴェルらを見ていた。

 土下座する勢いで謝るヘンスラーに、ハヴェルはいつも通りの優しい笑顔で接している。「気にするな」と励まされて、ヘンスラーがいたく感激しているのがわかった。

 

 ハヴェルの斜め後ろには、腰巾着よろしくアルビン・シャノルが控えている。

 小太りで人の良さそうな笑みを浮かべているが、それが顔に貼り付けられた愛想であることは、彼の為人(ひととなり)を知っていればわかることだ。

 アドリアンの視線に気付いたのか、つと、顔をこちらに向けた。視線が合うと、アルビンは苔緑(モスグリーン)の瞳を細めて、軽くアドリアンに会釈する。

 

 気付いたハヴェルが顔を上げ、アドリアンを見た。

 柔和で上品な面差しに変化はない。

 じっと立って自分を凝視するアドリアンに、悠揚と歩み寄ると、朗らかに声をかけた。

 

「久しいね、アドリアン。また、背が伸びたようだ」

「……お久しゅうございます、ハヴェル公子」

 

 硬い面持ちで挨拶をするアドリアンの横に立ったオヅマは、胡散臭げにハヴェルを見つめた。

 

「あんた…」

 

 声をかけようとすると、先にハヴェルが手を上げた。

 

「やぁ、オヅマ。大したものだね。さすがはクランツ男爵の秘蔵っ子なだけある」

「……なんで俺の名前」

「この前会ったじゃないか? もう忘れたかい?」

「会ったけど、名前を教えた覚えはない」

「ハハッ! よく覚えているね」

 

 ハヴェルは笑って誤魔化すと、今度はエーリクに声をかけた。

 

「お久しぶり、エーリク。君もまたひときわ大きくなったね。そういえば、この前ルイース嬢にブローチを送ったのだけれど、喜んでもらえたかな?」

 

 エーリクの妹、本年十二歳になるルイース・イェガは去年、ハヴェル公子と婚約したばかりだ。妹の婚約者ということであれば、それは自然な質問ではあったが、エーリクは気まずそうに答えた。

 

「その…こちらに来て、まだ妹とは連絡をとっていませんので…わかりかねます」

「ハハッ! そりゃそうだね。アールリンデンには慣れた? エシルが恋しくなってないかい?」

「大丈夫です」

 

 エーリクはなるべく言葉少なに答えた。

 いずれこうした場面に遭遇することは予想していたものの、よりによって今とは、なんとも間が悪い。

 

「あぁ、すまない。エーリクには気まずいことだよね。今のこの状況は」

 

 ハヴェルはエーリクの内心を見抜いたかのように、ハハハハと屈託なく笑った。

 

「あの…なにか御用でしょうか?」

 

 アドリアンは緊張した顔で、一歩前に進み出て尋ねた。

 エーリクは措くとしても、オヅマまで知っているらしい様子に胸がざわつく。

 ハヴェルは表情の硬いアドリアンの胸中を知ってか知らずか、のんびりと話した。

 

「いや、アルテアン侯が借金のカタに渡してきた銀山の件で、公爵閣下に会いに来たんだけど、生憎と不在でいらしたから、どうしたものかとブラブラ歩いていたら、なんだか面白そうなことになっていたから見物していたんだ」

「見物…」

 

 必死にやっていたオヅマやエーリクのことを侮辱されたように感じて、アドリアンはムッと眉を顰めた。

 

「途中から見ていたんだけれど、楽しそうじゃないか。弓部隊相手に大したものだよ。だけど ―――」

 

 ハヴェルは微笑みを浮かべたまま、前屈みになると、アドリアンの耳元に囁きかけた。「ヘンスラー隊長の立場も考えてあげないと」

 

 柔らかさの中に、細かい針が混じっている気がする。アドリアンはゾワリと背筋に寒気を感じた。

 

「何か問題でもあるんですか?」

 

 オヅマが横からやや横柄な口調で問いかけると、ハヴェルは快活に言った。

 

「もう一度勝負しよう!」

「はぁ?」

 

 オヅマは明らかに不満げに声を上げる。

 ハヴェルはあわてた様子で付け加えた。

 

「もちろん、君らの要望は受け入れるよ。今回の勝負は、間違いなく君らの勝ちだ。それは弓部隊の諸君も、隊長も無論、受け入れるさ。ただ、単純に僕が勝負してみたい…ってだけだよ」

「あんたが? あんたが弓をやるのか?」

 

 驚いてオヅマが尋ねると、ハヴェルはおどけたように肩をすくめてみせた。

 

「おや? ずいぶんと馬鹿にされたものだね。僕だってこれでも騎士としての訓練は受けているよ。もちろん、君ほど上手じゃないかもしれないが。さ、さっさとやろう。あ、僕は長弓なんて無理だから、普通の弓でいいよ」

 

 言いながらハヴェルは弓を取る。

 オヅマは眉を寄せた。気づけばハヴェルのペースで進んでいる。しかし今更、嫌だとも言えない。

 不穏なものを感じつつも、オヅマが壁から弓を取ると、ハヴェルが言った。

 

「あ、相手は君じゃないよ、オヅマ」

「なに?」

「相手はアドリアンだ」

 

 ハヴェルが名前を呼び、視線をアドリアンに向けると、その場はシンと静まり返った。

 オヅマはギッとハヴェルを睨みつけ、アドリアンは硬い面持ちでハヴェルを見つめる。

 

「ハヴェル公子…それは」

 

 エーリクが声をかけると、ハヴェルは首を傾げた。

 

()()()()()()()考えなくてもいいさ、エーリク。単純に、僕はアドリアンが射つのを見逃したから、見たいと思っただけで」

「そんな程度なら、俺がやる」

 

 オヅマが言うと、ハヴェルは肩をすくめた。

 

「君はさっき長弓を五本も射ったから、疲れているだろう?」

「もう大丈夫だ」

「………オヅマは優しいねぇ。ね、アドリアン?」

 

 ハヴェルは横目でアドリアンを見てくる。

 眼鏡の奥のアンバーの瞳が、アドリアンを試すように窺っていた。アドリアンは拳を握りしめると、ハヴェルの前に進み出た。

 

「わかりました。でも、これ以上長く試合するのは騎士たちの迷惑になります。互いに一本で終わりにしましょう」

「あぁ、それはいいね」

 

 ハヴェルはニコリと笑って頷くと、軽い足取りで歩いて行く。射場に入る手前で立ち止まると、クルリと振り返った。

 

「ここは、先に小公爵様のお手並みを拝見しましょう」

 

 恭しく頭を下げてアドリアンを射場へと促す。

 アドリアンはハヴェルの笑顔がいちいち不気味だったが、オヅマから弓を受け取って射場へと上がった。

 

 スゥと息を吸って、ゆっくりと吐く。

 矢をつがえてから、しばし瞑目して、静かに瞼を開くと、弓を上げて(つる)を引き絞る。

 焦らず、いつも通りに ―――― 十分に溜めて、放つ。

 

 矢はトスリと的のほぼ中央に当たった。

 

「当たった!」

 

 テリィが声を上げ、マティアスもエーリクも、明らかにホッとした表情を浮かべる。

 

「おぉ~、すごいな。ほとんど真ん中じゃないか」

 

 ハヴェルは素直に感嘆し、戻ってくるアドリアンを褒め称えた。

 

「大したものだよ、アドリアン。君の年で的に届くなんて。真面目に訓練に取り組んでいるようだね」

「……ありがとうございます」

 

 アドリアンは小さな声で礼を言うと、早々にハヴェルから離れた。

 オヅマは戻ってきたアドリアンの浮かない様子に、軽く肩を叩く。

 

 ハヴェルはアドリアンとオヅマの無言の応酬を微笑ましそうに見てから、射場へと立った。

 特にもったいぶるでもなく矢をつがえて、弓を構える。

 シュッと放たれた矢は、的を外して盛り土に刺さった。

 

「あぁ~!」

 

 ハヴェルは情けない声を上げると、くるりと振り返って恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

「やれやれ。自分から言い出して、失敗するなんて…とんだ恥晒しだ。しかし、やってみてわかったよ。ヘンスラー隊長が失敗するのも無理ないことだ。なかなかどうして、実際に射場に立って居並ぶ巧者たちの前で、最後の最後に当てなければならない…というのは、相当の緊張感だね」

 

 ペラペラと喋るハヴェルに、アドリアンの顔が強張った。ようやくハヴェルの意図を悟って、ギュッと拳を握りしめる。

 

 最初からハヴェルは失敗するつもりだったのだ。

 多くの部下の前で失態を演じたヘンスラーを許すことで、自らの度量を示すために。

 これでヘンスラーは、ますますハヴェルへの忠義を深めることだろう…。

 

 案の定、ヘンスラーはハヴェルの前に駆け寄り、いたく感動した様子で跪いた。

 

「お気遣い、ありがとうございます! 今日の日の公子様のお優しさに、このマウヌ・ヘンスラー、身を賭しても報いる所存」

「ハハ、大袈裟だなぁ」

 

 言いながらハヴェルが弓を差し出すと、ヘンスラーは小姓のように頭の上で捧げ持った。

 

「じゃ、お邪魔したね、諸君。これからもグレヴィリウス公爵家の為に励んでくれたまえ」

 

 ハヴェルは朗らかに言って、去っていった。

 あとに続くアルビン・シャノルが一度、振り返って、オヅマらにニヤリと笑みを放つ。彼らの思惑がうまくいったのは、明らかだった。

 

 




次回は2023.04.23.更新予定です。
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