昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百二十七話 善良なるもの、それは…

「気にするな」

 

 オヅマはアドリアンに言った。強い口調に迷いはない。

 

 訓練を終えて、次の授業まで小休憩となっていた。

 それぞれが自室に戻ったが、オヅマは汗をかいた衣服を着替えると、すぐにアドリアンの部屋を訪ねた。

 アドリアンは当然ながら浮かない顔をしていたが、その憂いを払うようにオヅマは毅然として言った。

 

「俺らの目的は達成できてる。今日は元々、ヨエル卿を弓の先生にすることと、ヤミ卿に接触できればよかったんだから」

 

 それは、ルーカス・ベントソンがサフェナ=レーゲンブルトに行く前に、アドリアンに書いて寄越したメモのことだった。 

 

 曰く ―――

『ヨエルを師とし、ヤミ・トゥリトゥデスを引き入れるべし』

 

 脆弱な支持基盤しか持たない小公爵のために、ルーカスとしては今のうちからアドリアンの下で働く人間を厳選して、確保しておかねばならないと考えたのだろう。

 

 

***

 

 

 ハヴェル主従が去ったあと、オヅマは当然のこととして、自分たちの弓の指導役を選んだ。ヘンスラーはブスッとしていたが、自分が負けたことは間違いないし、約束は約束だ。

「好きにしろ」と言い捨てて、去ってしまった。オヅマはかねての計画どおりに、ヨエルとヤミに指導を任じた。

 

奴吾(やつがれ)にそのような大役を任せていただけるとは…喜んでお受け致します」

 

 ヨエルは素直に拝命したが、ヤミは面倒そうに首を振った。

 

「私は人を教える任ではありません」

「手取り足取りとは言わないさ」

 

 当人に言われるまでもなく、オヅマにもヤミが指導者として適任でないことはわかっていた。それでもルーカスがああまで指示してくるのであれば、彼と接点を持つことでの利点があるのだろう。

 幸いにもヘンスラーが彼らを選んでくれたおかげで、指導役をお願いしてもそうは不自然に思われない。おそらくルーカスは以前から、彼らが弓部隊の中での実力者であることを知っていたのだろう。

 

「アンタは前で手本を示してくれるだけでいい。俺らは見て盗む」

「……できるものなら」

 

 ヤミは冷たく言ったが、アドリアンは微笑んだ。

 

「ありがとう、トゥリトゥデス卿」

 

 

***

 

 

 当初の目的は果たされたに違いなかった。

 それでも、アドリアンは憂鬱だった。

 

「君…いつの間にハヴェル公子と知り合いになっていたんだ?」

 

 暗い顔で尋ねると、オヅマがキョトンとなる。

 

「あれ? 言ってなかったか? ルンビックの爺さんに頼まれて、初めて本館に行ったときに会ったんだよ」

「それ、いつの話?」

「さぁ…? こっちに来たばっかくらいかな?」

「………」

 

 アドリアンは難しい顔で黙り込む。

 ハヴェルは気安い様子でオヅマに接していた。まるでずいぶん前からの知り合いであるかのように。

 

「会って、なんの話をしたの?」

「なんの話……って」

 

 オヅマは珍しく機嫌が悪そうなアドリアンに戸惑った。

 その時にしていた話はアドリアンの亡くなった母のことだ。それも、その母と、父である公爵と、幼いハヴェルの描かれた絵の話。

 なんとなくそのまま正直に話すのもためらわれる。

 

「本館で迷子になってたから、道を聞いたんだよ。ルンビックの爺さんの執務室まで案内してもらった…ってだけだ」

 

 嘘ではない。―――― すべてではないが。

 

「案内してもらった? 彼が君を?」

 

 アドリアンはひどく意外そうに尋ね返す。

 訝しんだ様子でオヅマをまじまじと見つめた。

 

「それ、本当にルンビックの執務室だったのか?」

「あぁ。ちゃんと鍵も開いたし」

「嘘は教えなかったんだね……」

「嘘をつきやがったのは、鬱陶しい従僕の野郎だよ。それに女中もぜんぜん教えてくれねぇから、あっちこっち行って迷子になっちまって…」

「そう……」

 

 アドリアンは沈んだ顔になって相槌をうつと、陰気に言った。

 

「それで君はハヴェル公子に親切にされて、嬉しかったんだろうね」

「は?」

 

 オヅマはまったく訳がわからなかった。なんだっていきなり、自分が非難されているのだろう? 

 

「なに言ってんだ、お前は」

 

 困惑しきったオヅマをアドリアンはジロリと見てから、ハァと嘆息して背もたれに倒れ込んだ。

 

「みんなそうなんだ…」

「なにが?」

「みんな、ハヴェル公子のことが好きなんだよ。この屋敷の人間は。従僕も女中も、騎士たちも。みんなにとって、彼はいい人なんだ」

 

 アドリアンは無表情に、抑揚のない声で言い放つ。

 めずらしく投げやりな様子のアドリアンに、オヅマは首をかしげた。

 

「お前は?」

 

 問いかけると、アドリアンは鈍くオヅマを見つめる。

 

「僕?」

「お前はアイツのこと、嫌いなのか?」

「…………」

 

 アドリアンはどんよりと絨毯の模様を見つめていたが、キュッと唇を噛みしめたあとに、ボソリとつぶやいた。

 

「……嫌いじゃない」

「なんだ、そうなのか」

 

 オヅマが気抜けしたように言うと、アドリアンはまた眉をしかめた。

 

「嫌いじゃないけど、好きにもなれない。今日のことだって、彼が一筋縄ではいかない人間だとわかったろう?」

「まぁ、それはな。上手に持っていかれた」

「呑気だな、君は。それとも君もハヴェル公子に心酔したのか? ヘンスラー卿のように」

 

 イライラした様子で言ってくるアドリアンに、オヅマは目を丸くした。本当に今日のアドリアンは珍しい。

 

「なーに苛立ってんだよ、小公爵。さっきも言ったろ? 今日はヨエルの爺さんとヤミ卿に繋がりを持てれば目的は達成。それ以外のことなんて、大したことじゃねぇよ」

 

 言いながらピシリと軽くアドリアンの額を指ではじく。

 痛そうに顔をしかめて、アドリアンは少しだけ赤くなった額を押さえた。しばらくそのまま考え込んでから、おずおずとオヅマに尋ねる。

 

「オヅマ…君は、いなくなったりしないよね?」

「はぁ?」

「僕から離れたりしないよね?」

 

 オヅマはフッと笑った。

 いつもは大グレヴィリウス公爵家の若様として、肩肘張って大人びたことを言ったりしているが、まだまだ(おさな)いところもあるのだと思うと、少しばかり安堵する。

 

「バーカ。誰のために、アールリンデンくんだりまで来たと思ってんだよ。ルンビックの爺さんに堅っ苦しい礼儀作法まで仕込まれて」

「……ごめん。無理させて」

 

 小さな声で謝るアドリアンに、オヅマは決然と言う。

 

「無理はしてねぇ。必要だからやってるだけだ」

 

 アドリアンは弱々しく笑ってオヅマを見てから、また目を伏せた。

 

「僕は……自信がない」

 

 消え入りそうな声でつぶやく。

 

「なにが?」

「ハヴェル公子は…いい人なんだ。今日のことだって、僕にとっては不快だったけれど、周囲の人間からすれば、彼の方が公明正大で優しい人間なんだと思うだろう。誰もが彼を認める。それは当然のことなんだ。僕だって、グルンデン侯爵夫人(おばうえ)だとか、シャノル卿にはいろいろと嫌味なことも言われたけど、ハヴェル公子本人が僕に対して冷たい態度をとったりしたことはないんだ。今日も注意されたけど……あの時、ヘンスラー卿を負かすことばかり考えて、彼の名誉を考えていなかったのは確かだしね。公爵様もハヴェル公子を信頼されて、いろいろ任されているし、きっと僕なんかより……」

 

 その先に続く言葉を言うことができなかったのだろう。

 アドリアンは口を噤むと、膝の上で組み固めた両手に目線を落とす。また唇を噛みしめてから、力なく言った。

 

「ハヴェル公子はいい人なんだよ。………たぶん」

 

 オヅマはアドリアンの言葉と、ハヴェルに会ったときのこと、今日のことを反芻してから、皮肉げに顔を歪めた。

 

「まぁ、確かにお前の言う通り、いい人かもしれねぇけど……」

 

 一旦言葉を切って、アドリアンの肩をポンと叩く。

 

「俺はああいう笑い方をする奴を、無条件に信じる気はねぇよ」

「オヅマ…」

「知ってるか? 優しい顔で、優しい声で、優しいことを言ってくる奴が、必ずしも善良な人間とは限らねぇんだぜ」

 

 アドリアンはハッと顔を強張らせた。

 それはまさしく、アドリアンがいつもハヴェルに対して感じる、得体の知れない不気味な印象を肯定してくれる言葉だった。

 

「君も……そう、思うのか?」

「ハヴェルに対してはまだわからねぇ。だから、これからは敵になるにしろ、ならないにしろ、知っていかねぇとな。苦手だからって避けてたら、手の打ちようもないだろ? ああいうのは、相手するとなったら面倒だ」

 

 アドリアンはオヅマの話を聞いて、パチパチと目をしばたかせた。

 アールリンデンに来てから、自分はオヅマを庇護する立場として振る舞っていたが、やはりオヅマは年上なのだ。苦手意識からハヴェルを避けていた自分より。……

 

 ようやく心が穏やかになって、アドリアンの顔に微笑みが戻った。

 

「そうだね。僕も一度、じっくりハヴェル公子と話すべきなんだろうな」

「そのうちな。まだ、今はやめとけ。あの野郎の方が上手(うわて)なのは、今日のでわかった」

「うん。もっと勉強して、自信をつけないと」

 

 アドリアンは両手に拳をつくって、自分に言い聞かせる。

 先の見えない将来も、茫漠とした不安も、これまで一人で立ち向かってきた。そばで支えてくれる、見ていてくれる人間がいると思うだけで勇気が湧いてくる。……

 

 しかしふと見上げれば、オヅマの顔はどこか空虚で、寂しげだった。

 

「もし…ハヴェルの野郎が()()()と同じような奴なら、容赦する必要もない……」

 

 アドリアンは呼びかけようとしたが、喉が詰まって声にならなかった。

 

 つぶやくオヅマが、急に知らない人間になったかのように思えた。

 




引き続き、更新します。
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