昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百二十九話 迷いの中の選択

「出来上がりましてござります」

 

 ミーナはしとやかにお辞儀したが、入るなり床に跪いたヴァルナルに気付いて目を丸くした。ヴァルナルはごまかし笑いを浮かべて、あわてて立ち上がり、ソファに腰掛ける。

 ミーナは釈然としなかったが、従僕がカップに黒い液体を注いでくれたので、まず公爵に運んだ。

 

「公爵様はそのままでお飲みになられますか?」

「……あぁ」

 

 公爵は返事しながらも、ミーナの質問の意味がよくわからなかった。というのも、彼が今までに飲んだことのある珈琲は、いつも出されたものをただ飲むだけであったから。

 ミーナは無表情な公爵のささいな疑問など知ることもなく、ルーカスとヴァルナルにも勧めた後に、ミルクの入った器をヴァルナルの珈琲の横に置いた。

 すぐにルーカスが見とがめる。

 

「なんだ、それ。お前だけ」

「いや、苦くて」

 

 言いながらヴァルナルが珈琲にそのミルクを入れると、ルーカスも公爵も驚いたように目を見開いた。

 

「ミルクなんぞ入れて、大丈夫なのか?」

「あぁ。まろやかになって飲みやすい」

「ふん。俺ももらおう」

 

 ルーカスは残りのミルクを入れると、色の変わった珈琲を見て眉をしかめた。

 

「これ、本当に大丈夫なんだろうな?」

「自分で入れておいて今更」

「いや。雨が降ったあとの川みたいに濁ってるからさ。まるでドロ…」

 

 さすがに淹れてもらった人を目の前にして泥水と言うのは気が引けたのか、ルーカスはあわてて弁明した。 

 

「失礼、男爵夫人。私も珈琲を飲んだことはあるのですが、さすがにこのような珍奇な飲み方を見たことがなかったもので」

「えぇ、そうだと思います」

 

 ミーナは頷いて微笑んだ。

 

「昔、これを初めて飲んだときにとても苦くて、私が勝手にミルクを入れたんです。だから、正式な飲み方かと聞かれれば違うのでしょうね」

「初めて…というのは、いつの頃だ?」

 

 不意に割り込んで尋ねたのは公爵だった。

 

「それは…」とミーナは答えかけて、急に口を閉じた。

 微笑んでいた顔が急速に緊張を帯びる。

 しばしの沈黙のあとに、目を伏せて謝罪した。

 

「申し訳ございません。遠き記憶ゆえ…つまびらかに思い出せませぬ」

 

 公爵は心細げに佇むミーナを厳しく見つめつつも、咎めることはなかった。

 カップの中の黒い液体を一口含む。以前に淹れてもらったものと同じ味だった。

 苦味と、後口に残るわずかな酸味。鼻腔に入り込む燻した豆の芳醇な香り。

 

「確かに、聞いていた通り男爵夫人は珈琲を淹れるのがお上手なようだ」

「お褒めに預かり恐縮にござります」

「不思議なものだ。私が以前に飲んだ時と同じ味がする。実はその時は大公殿下がお手づから淹れて下さったのだ」

 

 ハッとミーナは息をのんだ。

 その場で小さく身をすぼめるミーナを見て、ヴァルナルは立ち上がると、そっと肩を抱いた。  

 

「公爵閣下…」

「私は事実を言ったに過ぎぬ」

 

 素知らぬ顔の公爵に、ヴァルナルは苦しげに懇願した。

 

「お汲み下さい。先程も申した通り、ミーナは息子のオヅマにも告げるつもりはないと言っているのです。それも()()()の迷惑とならぬ為です」

「まったく…」

 

 公爵はあきれたようにフッと皮肉げに頬を歪めた。

 

「男爵夫人はともかく、お前も嘘をつけぬ男よな、ヴァルナル。適当に言い繕うこともできたであろうに」

「それは……」

「男爵夫人は西方のターディの民の血を引き継いでいるらしいな。今は散り散りとなって、民族としては失われたが、嘘なき民(タード=イ・ェリア)と呼ばれる種族の(さが)ゆえ、嘘をつくよりは沈黙を貫くということか」

 

 ヴァルナルは公爵がそこまで知っていることに驚いた。

 

 ミーナの家系は曽祖父の代に西方地域の山奥から出てきて帝都に移り住んだ。

 ミーナは幼い頃に流行病(はやりやまい)で亡くなった両親の代わりに育ててくれた祖父母から、古き民族の歌や習俗などを教えられるでもなく覚えたのだという。

 その中でも独特なのが言霊(ことだま)信仰で、口に出した言葉は力を持ち、不吉なことを言えばその通りになってしまう…というものだった。

 

「迷信でしょうが、もし何かあったらと思うと…迂闊なことは言えなくて」

 

と、話をしてくれたのは結婚後のことなので、ヴァルナルも知ったのはつい最近だった。

 

 ミーナは俯いていたが、何度か逡巡した後、沈痛な面持ちで口を開いた。

 

「お許し下さいまし。私の過ちでありました。何も知らぬ子供だったのです。幼き頃よりひとかたならぬ厚意を受けて、勘違いして…お慕い申し上げました。けれど許されぬことでした。あの子を身籠ったときに、自らの浅慮(あさはか)さに気付かされたのです。これ以上、迷惑をかけてはならぬと…」

「それで今に至るも申し出なかったと? 騙されて奴隷にされても、助けを求めなかったのか?」

 

 公爵は厳しい口調で問うていたが、(とび)色の瞳は痛々しくミーナを見つめていた。言葉だけでは推し量れない公爵の本心を感じて、ミーナは少し気持ちが安らぎ、素直に言った。

 

「……ありました。あの子を生んだばかりの頃は、どうすればいいのかわからなくて、とにかく縋りたい一心で、門前まで行って、門番に頼んだことも。当然、その場で追い返されました」

 

 ミーナはそこまで話してから、苦い笑みを浮かべた。

 

「情けない話でございます。先の夫が亡くなったときも、気が動顛していたのでしょう。一度は都に向かおうとしていたのです」

 

 ヴァルナルは驚いた顔でミーナを見つめる。その視線を感じて、ミーナは顔を上げると、ふわりと微笑んだ。

 

「オヅマに感謝しております。あの子がここに連れて来てくれなかったら、私はきっと今も不安の中で揺れて、縋ってしまっていたかもしれません。つらいとき、苦しいときにはいつも、幼い私を慈しんで育てて下さった日々を、思い出さずにはいられなかったから」

「ミーナ…」

 

 ヴァルナルは懐かしそうに言うミーナの腰を、無意識に引き寄せていた。

 

 公爵は仲睦まじい新婚夫婦から目をそらすと、ぬるくなった珈琲をゴクゴクと飲んだ。

 コトリ、とカップを皿に戻し、ミーナに問いかける。

 

「あと一つだけ夫人に聞く。そなたを育ててくれた恩義ある家から出たのは、そなた自身の選択によるものか?」

 

 ミーナは公爵の厳しい視線を受け止めてから、フッと目を伏せた。

 唇を一度強く噛みしめ、苦い記憶を思い起こす。

 やがて静かに話した。

 

「……(さと)されたのです。私があまりにも無知であったので、自らの身分をわきまえるように言われました。私のような下賤の身から、()()()の血を継ぐ者が生まれたとなれば、()()()の品位に(きず)をつけることになる…と。厳しいお言葉でしたが、それでようやく気付いたのです。ですから…」

 

 再び面を上げ、公爵の鳶色の瞳から目を逸らさずにミーナは言った。

 

「迷惑とならぬ為に、自らの意志で出ました」

 

 公爵はしばらくその薄紫色の瞳と対峙したあとに、軽く息をついた。

 

「男爵夫人の決意は尊重しよう。以降はヴァルナルと話すことがある。退がってよい。ハンス、お前もだ」

 

 公爵の言葉にミーナはホッとした顔になり、深々と頭を下げた。いつも旨とする礼儀作法からは少々逸脱していたが、その分、素直な感謝を表していた。

 

 ミーナが去り、従僕がカップ類を片付けて部屋を出ると、ヴァルナルもまた、深々と公爵に頭を下げた。

 

「ありがとうございます、公爵閣下」

 

 しかし公爵の表情は厳しい。

 眉間に深く憂いを刻み、ボソリとつぶやいた声は重かった。

 

「事はお前が思うほど簡単ではない」

「まだ、何か?」

 

 ヴァルナルが困惑して尋ねると、公爵は軽く溜息をついた。

 

「夫人については、もはやそなたと結婚したゆえ如何(いかん)ともし難いとはいえ…オヅマをどうする?」

「オヅマは…当然、私の息子として育てるつもりです」

「それで済むと思うのか? 都に行けば、皇帝陛下の覚えめでたいそなたが、放っておかれるはずもない。当然、新たな夫人のことも、その連れ子のことも、口さがない貴族(スズメ)どもの格好の話題となろう。()()()が母子を目にすれば、そこにいるのが自分の息子であることは、誰よりも早くに察せられるであろう。もし、自分に卑賤の血が混じった息子がいるなどと知れば、あるいは ――― ()()を考えられるやもしれぬ」

「まさか……」

 

 ヴァルナルは呆然とつぶやいたが、公爵のどんよりと曇った顔は晴れない。

 しかし暗い雰囲気をかき混ぜるかのように、ルーカスがのんびりと言った。

 

「失礼ながら、私はそうは考えませんね、公爵閣下」

 

 公爵はジロリとルーカスを見つめる。鳶色の瞳は憂鬱そうであった。

 

「……申してみよ」

 

 ルーカスは軽く目礼すると、「さて」と言って、おもむろに立ち上がった。

 

「我らだけであれば、もはや()()()などと、まだるっこしい呼び方をする必要もないでしょう。通り名でお呼びすることに致しますよ。ランヴァルト大公でございますが、先程の男爵夫人の話を聞いていても、大公はおそらくミーナ殿に深い愛情を持っておられたと思うのです。下女相手に戯れに手を出したなどというものではなく。そのような女であれば、あの大公のこと、()()などという無体なことはなさらぬと考えます。むしろ私が危惧するのは、大公がオヅマのことを知って、己が父親であるという主張をしてこられたときのことです」

 

 ヴァルナルの顔は強張り、公爵は変わらぬ表情のままルーカスに問いかけた。

 

「あの大公が、下賤の血を引く者を己の息子などと認めると思うか?」

「確かにランヴァルト大公は貴きご身分にございますが、一方で非凡異才をお好みになられる方でございます。自らに利する者であれば、その身の上が卑しくとも関係なく引き立てるでしょう。あの素性もわからぬ側用人が、いい例ではありませんか」

「…あの生意気な小僧にその価値があると?」

「お忘れでございますか? 公爵閣下。オヅマは稀能(きのう)を発現したのです」

 

 公爵はそこでハッとしたように硬直した。

 ルーカスは公爵からヴァルナルへと視線を移しながら話を続ける。

 

「オヅマの発現させた稀能が『千の目・(まじろぎ)の爪』であっただろうというのは、ヴァルナルの推測に過ぎませぬが、もしそうであれば、大公から教えを受ける機会を与えようと言っておられたではありませんか。ただの小僧であったとしても、素養があれば、ランヴァルト大公はその技を伝えるために、熱心に教育されるでしょう。ましてそれが自らの息子となれば……当然の権利を主張してくると思われます」

 

 帝国において、子供の()()()は父親にある。

 それまで母親によってのみ養育されたとしても、父親が子供を自らのものとして所有の権利を主張したときには、子供と母親が引き離されることも珍しくなかった。

 

 公爵は当然のように頷いた。

 

「そうなれば、オヅマを大公家へと送ることになるであろう」

「それはできません!」

 

 即座にヴァルナルは叫んだ。「私たちは家族です。家族の一人が欠けるなど、許容できません!」

 

 公爵はしかし冷たく言った。

 

「そうして強硬に反発して、大公側から誘拐犯と訴えられたらどうする?」

「誘拐? なぜ、そんな…」

()()()()()()()()()()()()()()()()。夫人をはじめ、お前も責を問われる可能性がある」

 

 ヴァルナルは唖然となった。もし、本当にそんなことになれば、問題は自分だけでは済まない。公爵閣下にも迷惑をかけることになる。

 だが、あの鷹揚なる大公殿下が、本当にそんな狡猾な真似をするだろうか?

 

 少し考えてヴァルナルは苦しげに息を吐いた。

 

 先程ルーカスも言っていたように、大公自身にミーナへの愛情があったのは間違いないように思える。もし、かの方が本気でミーナを取り戻そうとしたとき、あるいは多少強引であっても手段を選ばぬかもしれない。

 そうなれば、自分に抗うすべなどあるだろうか?

 いや、それよりも、今は大公殿下の名誉のために身を隠しているミーナが、あちらから関係を戻すことを望まれたとき、拒む理由などあるだろうか……。

 

 顔色をなくして佇立するヴァルナルに、ルーカスがバン! と背を叩いた。

 

「そう暗く考えるなよ。まだ大公(あちら)は何もご存知ない。知っているのは我らだけだ。つまり、ゲームを始める権利はこちらにあるということだ。公爵閣下も、将来有望な騎士見習いをみすみすくれてやるつもりもないでしょう? 小公爵様とてお気に入りだというのに」

 

 公爵は息子の話題に軽くピクリと眉を動かしたが、むっすりと黙ったままだった。

 

「しかし、ミーナの気持ちがまだ大公殿下に残っていたとしたら……」

 

 ヴァルナルは頭をかすめた可能性がみるみる膨らんで、小さな声でつぶやく。

 ルーカスは腕を組んで、弱気になっている友にあきれた視線を向けた。

 

「いたとしたら…なんだ? どうぞと差し上げるわけか? さっき家族が云々言ってたくせして、もう降参か?」

 

 ヴァルナルは拳を握りしめ俯いた。

 ミーナの気持ちを尊重しようという良心と、誰にも渡したくはないという執着が激しくぶつかって、自分でも自分の気持ちをどこに置けばいいのかわからない。

 

 また悩みはじめた友人に、ルーカスはあきれたように言った。

 

「おいおい。本気で悩むか、お前。いいか? 女ってのは、けっこうあれで薄情な生き物なんだ。新しい男が出来たら、綺麗サッパリ前の男のことなんざ忘れてしまうものなのさ。お前の前妻だってそうだったろうが」

「………彼女はそもそも俺を好いてもいなかった」

「そうだったか? ま、いずれにしろ、そうそういつまでも昔の男を思い続ける女なんてのは、いないのさ」

 

 ルーカスは自らの経験に基いて結論を出したが、それでもヴァルナルはミーナの言動を思い返して、自信なげにつぶやいた。

 

「しかし…さっきは何度も思い出していたと」

「俺の見るところ、ミーナ殿のあれは女として恋い慕うというより、育ててもらった恩を感じているだけだと思うがな」

「それは……そうか…な…?」

「ま、いざ再会してランヴァルト大公がお前よりいい男に思えたら、そりゃそっちに行くかもしれん」

 

 ルーカスの指摘に納得して、少しだけ安堵しかけたのも束の間、意地の悪い親友はニヤリと笑ってすぐさま蹴落としてくる。

 からかわれているとわかっていても、ヴァルナルはガックリ肩を落とした。

 

「おぉーいッ!!」

 

 いつになく卑屈になりがちな友の背を、ルーカスはバンバン叩いて励ました。

 

「しっかりしろよ、ヴァルナル・クランツ! 会う前から及び腰でどうする」

「そうは言っても……その昔、大公殿下は公爵閣下と共に宮中でも有名な美男として並び称されていたではないか。いや、今だって大公殿下を慕う御婦人は多いと聞くし…」

 

 ヴァルナルがブツブツ言うと、負けじと(?)ルーカスも胸を張った。

 

「大公だけではない。公爵閣下だっていまだに園遊会に招かれるたび、渡してくれと俺に文を預けにくる貴婦人が列をなしているぞ」

「……なにを馬鹿げたことを」

 

 さすがに脱線が過ぎる二人の話に、公爵はあきれかえった溜息をついた。鬱陶しそうに伸びてきた前髪を掻き上げて、ヴァルナルをギロリと睨む。 

 

「そもそも、結婚する前からわかっていたのだろう? 大公の側女(そばめ)と知っていても妻としたのであれば、今更、己の容色と較べて落ち込む時期はとうに過ぎておろうが。まったく、これがあの勇猛無双と呼ばれるヴァルナル・クランツとは…」

 

 公爵は馬鹿馬鹿しくてたまらぬといった感じで吐き捨て、深く寄せた眉間を揉んだ。

 項垂れるヴァルナルと対照的に、ルーカスは肩をすくめてうそぶいた。

 

「戦場で悪鬼と恐れられる男であってもこうなってしまうのですからな。まことに女というのは偉大な生き物です」

 

 公爵はうんざりしたようにルーカスを手で制した。この男はいつも男女の話となると、やたらと饒舌になる。

 

「ともかく…ルーカスも言ったように、ゲームの手札はほぼこちらにあるのだ。肝心要のお前の(はら)が定まっておらねば、方策もたたぬ。ヴァルナル・クランツ、お前はどうしたい?」

 




次回は2023.05.14.更新予定です。
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