昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百三十話 公爵が天秤にかけたもの

 公爵の問いに、ヴァルナルの答えは早かった。

 

「私はミーナと別れるつもりはありません。オヅマも…大公殿下に稀能(きのう)の教えを受けることになったとしても、息子であることに変わりはありません」

「………そうか」

 

 公爵は頷いた。相変わらず表情は乏しかったが、うつむけた顔はどこか苦く、憂いを帯びて見えた。

 

 ヴァルナルは少し気になったが、ルーカスが話を先へと進めていく。

 

「父権については、ある程度の時間をかければ、ヴァルナルであっても主張することは可能でしょう。再婚相手の連れ子とはいえ、今は正式に息子であるのですから」

「勝算があるのか?」

 

 公爵が不機嫌そうに尋ねると、ルーカスは余裕のある笑みを浮かべた。

 

「私自身は非才の身ですが、歴代の妻たちは有能な者が多いもので。二番目の妻は、こうしたことでの実務に()けておりましてね」

「あぁ…」

 

 ヴァルナルはすぐに思い当たった。

 

 ルーカスの二番目の妻、レティエ・フランセンはいわゆる訴訟代理人(或いは交渉人)だった。

 その職業は国に正式に認められているわけではないのだが、法に疎い者たちに代わって、裁判などの交渉事を行う人間は古くから存在している。

 彼らの身分は貴族であったり、平民であったり、果ては博徒(ばくと)であることすらもあったが、一貫しているのは優秀でなければ続けられないということだった。

 訴訟代理人を名乗るのは勝手であったが、実績がなければ信頼を得られない。誰からも必要とされなくなると同時に、彼らは仕事を失うのだ。

 

 有象無象にいる訴訟代理人の中でも、レティエはその界隈では有名で、顧客の多くは中流貴族の女性だった。これは元々、不幸な結婚をした友達の相談に乗るうちに、法律を学ぶようになったせいでもある。

 

「女性側からの離婚の相談なども多くこなしていますから、当然ながら子供のことについても俎上(そじょう)にのぼることが多いようです。効果的な方法くらいは考えてくれるでしょう」

 

 ヴァルナルは少しばかり気まずかった。

 前妻も彼女の相談者であったと聞いていたからだ。

 

「俺に力を貸してくれるのか? レティエ女史が」

 

 心細げにヴァルナルが言うと、ルーカスは鼻で笑った。

 

「なんだ? 心配しているのか? お前は彼女から言わせると、そう悪くない夫だそうだ。なにせ離婚に早々に応じた上に、ほとんど希望通りに慰謝料も払ったからな。金をケチらなくて良かったな」

 

 ヴァルナルは何も言えなかった。それも結局は面倒だったから、さっさと済ませたかっただけなのだ。

 あの当時は戦争が一旦終結したものの、いつまた戦端が開かれるかもしれないという緊張状態が続いており、とても家族のことなど考えていられなかった。

 

 今更ながらに自分の身勝手に後悔し、悄然となるヴァルナルを無視して、ルーカスは話を元に戻す。

 

「いずれにしろ、新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)に男爵夫人を連れて行くのは、控えたほうがいいだろうな。先程、公爵閣下も言われたように、万が一にでも大公の目に入れば、気付かれる可能性は高い」

 

 ルーカスの指摘にヴァルナルは頷いた。

 

「それは、最初からそのつもりだった。ミーナもオリヴェルのことが心配であるからと…帝都へ行くことは前向きでなかったし」

「それこそ物見高い輩に群がられては、たまったものではなかろうしな。だが、今回は許されても、毎年病弱な息子を理由にして、奥方が帝都に訪詣(ほうけい)もせぬでは、陛下への不遜だと騒ぎ立てる者も出てくるやもしれん。覚悟はしておくことだ。オリヴェルの病気についても、寒い北の地では体にこたえるのではないのか? 温暖な帝都の方が、案外快方に向かうかもしれんぞ」

「………考えておく」

 

 二人の話し合いがまとまったところで、公爵はゆっくりと椅子の背に凭れかかった。

 

「よかろう」

 

 短く言って瞑目する。これは『話は終わった』という意思表示だ。

 

 ヴァルナルは無言で頭を下げると、部屋を出た。

 

 

***

 

 

 一方、ルーカスは閉じられた扉の前で、去っていくヴァルナルの足音が徐々に遠くなっていくのを聞き、その場にいないことを確信してから振り返った。

 その顔にはさっきまでの余裕綽々とした小憎たらしい笑みもなく、むしろどこか切実だった。

 

「エレオノーレ様のことを、故意に話題から遠ざけましたね…?」

 

 公爵はゆっくりと瞼を開く。(とび)色の瞳が冷徹さを帯びてルーカスを見ていた。

 無言の公爵に、ルーカスは重ねて問うた。

 

「閣下。オヅマとエン=グラウザを天秤に乗せるおつもりですか?」

 

 公爵はのっそりと背もたれから体を起こすと、再びヒュミドールから葉巻を取った。先を切って火をつけ、味わったあとに、ふぅと煙を吐く。

 

「エン=グラウザは重要な土地だ。喜んで渡したわけではないのだからな」

 

 その言葉は肯定を意味していた。

 ルーカスは難しい顔になって考え込んだ。

 

 おそらく公爵は、十三年前のエレオノーレ元大公妃の自死と、ミーナがオヅマを妊娠したことに関係があるとみているのだろう。

 

 公女エレオノーレは元から皇帝の(きさき)になるべく育てられた娘だった。

 その相手が当時皇太孫であったジークヴァルトであろうが、それ以外の皇子であろうが、『皇帝』という身分に嫁ぐべく教育を受けてきたのだ。

 しかし先代皇帝死亡後に起きた政争で、グレヴィリウス公爵家が積極的に皇太孫ジークヴァルトへの支持をしなかったこと、エレオノーレが当時の彼の愛妾に度重なる嫌がらせを行ったことで、彼女は皇后の地位から除外された。

 新皇帝となったジークヴァルトは、半ば強引にエレオノーレを大公家に()させた。

 

 当然ながらエレオノーレは不満であったし、()()()()()()()()()()に興味もなかった。

 それが黒杖までも賜るような勇者であり、帝国建国以来の秀才と呼ばれる男であっても、彼女の矜持を満足させられるものではなかったからだ。

 

 エレオノーレと大公との仲は冷え切っていた。

 そんな夫婦は貴族であれば珍しいものではなかったろう。

 大公のような身分の男が、他に愛妾を持つことも、特に責められることでもない。事実、エレオノーレの輿入れの後に伯爵家の娘が側室に入って、早々に子供をもうけている。(現在、彼女が実質的な大公夫人としての役割を担っているが、すでに大公の情はなくなっているようだ。)

 

 ミーナの何がエレオノーレの気に入らなかったのかは、わからない。

 

 夫の相手としては、あまりにも身分の低い、西方の血の入った娘を嫌ったのかもしれない。

 帝国において、貴族階級であれば特に、西方の民を差別する因習は隠然と残っている。公爵邸にいた頃にエレオノーレが露骨に彼らを嫌った様子はなかったが、これは当時の公爵邸に、西方地域の出身者が下女下男くらいしかいなかったせいであろう。エレオノーレにとって下女下男の類は、木立の影程度にしか認識されなかったのだから。

 またあるいは驕慢な態度を示しつつも、大公に対して独占的な愛情を持っていたのかもしれない。さっきヴァルナルと話していたようにランヴァルト大公のその昔といえば、帝都中の女性の憧れの的であったのだから。

 

 公女として生まれて、何をしても罪の意識のない彼女のことだ。

 皇宮女官として育成している側仕(そばつか)えの娘一人、罵倒して追い出すことに躊躇などなかったろう。

 先程ミーナは穏便な言い方をしていたが、あるいはエレオノーレ本人から聞くに堪えない怒罵を浴びせられた末に、追い出されたのであったら…?

 

 掌中の珠のごとく可愛がってきた側女(そばめ)が、ある日突然姿を消した。

 それがひとかけらの愛情もない妻によって放逐されたのだと知ったとき、あの大公が、果たして何もせずにいるだろうか……?

 

「エレオノーレ様の死が、大公によって捏造されたものであるとお考えですか?」

 

 ルーカスが問いかけると、公爵は煙を吐いてから無表情に語る。 

 

「もし姉がミーナを追い出し、大公が怒り狂ったとしても、大公妃は皇帝の詔勅(しょうちょく)を受けて降嫁(こうか)してきたのだ。そう簡単に離縁もできぬし、公爵家に帰すこともできぬ。非を言い立てられて、あらぬ噂を流されることも避けたかったのであろう。誇り高き姉の心も名誉も無残に傷つけて自死させ、加えて公爵家(われら)からエン=グラウザを手に入れる……ガルデンティア(*大公家の居城)の狡猾なる老爺の考えそうなことではないか」

 

 ルーカスの脳裏に、いつも大公のそばに付き従う不気味な老人の姿が思い浮かんだ。

 

「オヅマを差し出して、大公家に過去の偽証を認めさせ、エン=グラウザを取り戻すおつもりですか?」

 

 ルーカスの問いかけに公爵はすぐに答えなかった。葉巻から、ゆらめき上る煙を眺めていた。

 

「少なくとも…見極める材料にはなるであろう」

 

 固まった顔のまま、冷たく公爵は言った。

 

 オヅマという存在そのものが、場合によっては大公側の急所となる。

 身分の低い愛妾への偏愛が過ぎて、正妻である大公妃 ――― しかも皇帝の媒酌(なかだち)で輿入れした、パルスナ帝国累代の家臣であるグレヴィリウス公爵家の公女を蔑ろにした挙句、あらぬ汚名を着せて、名誉も含め完膚なきまでに抹殺するなど、たとえ大公であろうと簡単に許されることではない。

 

 もし大公側が、オヅマやミーナを元大公妃(エレオノーレ)の死亡捏造に繋がる重要人物であると考えるならば、放っておくわけがない。彼らの存在を抹消しようと動き出すだろう。

 そうなればオヅマには、()()としての価値があるということになる。

 反対にオヅマを大公子として認めて、引き取りたいと言うのであれば、それはそれで()()()()として、せいぜい高く売りつけてやるまでだ。

 

「無論、あちらもそう簡単に認めぬであろう。『影』を送って、再度綿密に調べさせる必要がある」

「それは…」

 

 ルーカスは眉をひそめた。

 

 グレヴィリウス公爵直属の隠密部隊 ―――― 『鹿の影』。

 彼らの詳細についてはルーカスも把握できていない。

 彼らは公爵当人とだけ契約し、その全容は公爵しか知らないからだ。

 

 しかし以前に、それこそエレオノーレの死亡について調査するために、間者としてガルデンティアに送り込んだ者達は、すべて消息を絶ったと聞く。

 だからこそ今に至るもこの件については、詳細がわからないままだったのだ。……

 

「大丈夫でしょうか…」

「ふ。ベントソン卿に心配されるとは、『影』もずいぶん侮られたものよ。そうは思わぬか?」

 

 公爵はいきなり誰に言うともなく、やや大きな声で呼びかける。

 ルーカスは急に背中がもぞもぞして、辺りを見回した。

 当然、部屋には公爵と自分以外誰もいないのだが、どこかの物陰から見られているような気がして落ち着かなかった。

 それこそ今この時にも『影』はその名の通り、鹿(*グレヴィリウス公爵家の象徴であり、公爵当人を指す言葉)の影として、息をひそめているのかもしれない。

 

 ルーカスは軽く咳払いしてから、公爵に言った。

 

「調査についてはお任せしますが、ヴァルナルがオヅマを渡すとは思えませんね」

「あぁ…」

 

 公爵は眉間を押さえ、フゥと煙を吐きながら溜息をつく。

 

「……まったく、真面目な男に貞淑な妻というのは厄介なものだな。夫人がもっと俗物で、辺境の一領主の妻などよりも、大公の愛妾(あいしょう)の方に興味を示すような人間であるなら、簡単に別れたであろうに」

「そのような女であれば、ヴァルナルが好きになるわけがありませんよ」

「……だから面倒なのだ。あの二人が別れて、息子共々大公のもとに送り出し、こちらへの()()()()()エン=グラウザを返還するのであれば、問題は簡単に済む。ヴァルナルも安全であろう」

「大公が嫉妬して、ヴァルナルにまで危害を与えると?」

 

 ルーカスは意外そうに肩をすくめて言ったが、公爵の顔は暗く沈んでいた。

 最後に一口吸った葉巻を銀の皿の上に置くと、灰になっていくさまをじっと見つめている。

 

「お前たちは知らぬのだ。貴き方々のおぞましさを…」

 

 つぶやいた公爵の声は冷え切っていた。

 その場にいたルーカスに言ったというよりも、自らに言い聞かせるかのようだった。それに、本当にこれは微々たるものであったが、いつも傲然とした公爵には有り得べからざる()()が、垣間見えた気もした。

 

 ルーカスはゴホンと咳払いすると、恭しく頭を下げた。

 

「クソ真面目で面倒な家臣のために、色々と苦心なさる公爵閣下であればこそ、我らが主君。永遠なる忠誠を尽くすことを、ヴァルナルの分まで誓います」

「……相変わらず、口が達者だな」

 

 公爵はフゥと息を吐いて、背もたれに倒れるように身を委ねた。

 

「お前達を離してはならぬと…言われたからな」

 

 誰に? と聞く必要もなかった。

 本来、家臣のことなどに頓着もしない冷徹な小公爵であったエリアスを変えたのは、唯一人、妻であったリーディエだけだ。彼女は様々なものを公爵に与えてくれたが、その最たるものは人としての情であったのかもしれない。

 

「小公爵様にとってのオヅマもまた、そうであると思いますよ」

 

 ルーカスが微笑して言うと、公爵は宙を無表情に見つめたまま問うた。

 

「私があの小僧と大公を結びつけた理由がわかるか?」

「髪の色と……目鼻立ちですか?」

「髪色などはありふれたものだと、そなたも言っておったろう。顔も、相似するところはあるが、さほど似通っているというほどのこともない。だが、あの小僧に会った瞬間に、大公の姿が自然と浮かんだのだ」

 

 ルーカスが首をひねると、公爵は皮肉げに頬を歪めた。

 

「身に纏うあの稟質(ひんしつ)。他者を覆う…尊大なる威勢…」

「それは……」

 

 言われてルーカスはここに来る直前に、公爵邸で家令のルンビックと話したときのことを思い出す。

 老家令はオヅマの臨時の礼法教師となって以来、この問題児と話すことが多かったのだが、元々小作人の小倅だったとは思えぬ態度のデカさに、初対面から違和感を持っていたようだった。

 

「傲岸不遜なことこの上もないのに、自然と受け入れてしまうのだ……」

 

 老家令と同じものを、公爵も感じ取ったのかもしれない。

 塵埃(じんあい)の中で育っても輝石は光を失わない…ということだろうか。

 

「正直、今日あの小僧が大公の血を受け継いでいると聞いても、驚きはなかった。シモン公子などに比べても、容色を含めて、大公の優れた資質はオヅマに流れたようだ。もっとも稀能(きのう)については、さすがに信じられなかったが…」

「稀能は血による承継はないものとされていますからな。不思議なことです」

 

 ルーカスは同意しながら、オヅマの持つこの類まれな才能を、しばらくは隠しておく必要があると思った。

 大公にとっては、息子であるという事実よりも、オヅマが『千の目・(まじろぎ)の爪』という稀能を扱うことの方が、より魅力的であることだろう。

 

 当初予定していた、大公に稀能についての教えを乞うことは、避けた方が良いのかもしれない。

 その場合、他に教える人間を見つけなければならないが、今現在、大公の他で『千の目・瞬の爪』を教練できるような遣い手がいるのだろうか?

 いや、いっそのこと……

 

 ルーカスが忙しく頭の中で考えを巡らせている間に、公爵は話を切り上げた。

 

「具体的な方策は、既にそなたに腹案があろう。ヴァルナルと話し合って決めよ。くれぐれも大公家にさとられぬようにな」

 

 公爵に指示され、ルーカスは「承知しました」と頷くと、踵を返して部屋を出た。

 

 扉を閉める間際にチラリと一瞥する。

 椅子に凭れかかって、虚空を見る公爵の顔が、ひどく疲れて見えた。 

 




次回は2023.05.21.更新予定です。

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