昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百三十二話 出迎え

 すっかり雪も解けて、耕作の始まる種蒔( たねま)き月を過ぎ、萌芽(ほうが)の月を迎えると、アールリンデンの公爵邸はにわかに忙しくなった。

 帝都への訪詣(ほうけい)を控え、北東部に分散するグレヴィリウス家門の諸家が公爵邸へとやって来るからだ。

 

「あれ? 今日はエーリクさんいないの?」

 

 勉強室に入って開口一番オヅマは尋ねた。

 授業前に近侍たちは勉強室に集まることになっているのだが、いつもオヅマは一番遅いので、来たら全員揃っているのが常だった。

 しかし今日はエーリクの姿がない。

 

「具合でも悪いのか?」

 

 尋ねながら椅子に座ると、マティアスが鹿爪らしい顔で話し出す。

 

「エーリクは今日、エシルからイェガ男爵がお()でになるから、出迎えだ。荷入れや騎士団宿舎の設営を手伝うから、今日いっぱいは休務となると………昨日、本人が言っていただろうが! 忘れたか!?」

 

 マティアスは普通に話そうと思っているのだが、結局怒鳴ってしまうのは、もはや習慣と言ってよかった。

 また始まった二人の口喧嘩に、口挟む者は誰もいない。

 

「あぁ~、そうだったっけ?」

「ちなみに私は明日、テリィもこの数日中には来るからな! その時にはお前! ちゃんと近侍としての役目を忘れずに…」

 

 また説教を始めようとするマティアスを無視して、オヅマはキャレに尋ねた。

 

「キャレ、お前は? お前のとこはいつ来るんだ?」

「あ…僕の…ところは……」

 

 キャレはおどおどと目を泳がせた。

 こちらに来てから、オルグレン家からは何の音沙汰もない。アールリンデンにいつ頃来るかなど、全く知らされていなかった。

 しかし、その問いにテリィがあきれたように言った。

 

「何言ってるんだよ、オヅマ。ファルミナはアールリンデンより帝都に近いから、来ないよ。帝都への道すがらに合流するだけさ」

「あ、そうなのか」

「ちゃんと所領配置について頭に叩き込んでおけば、そんな間抜けな質問などしないだろうに」

 

 マティアスが嫌味っぽく言うと、オヅマは肩をすくめた。

 

「覚えなくたって、地図を見ればいいじゃねぇか」

「覚えないから考査を二度も受ける羽目になるんだろう!」

「二度受けて駄目なら、三度目で覚えればいいのさ~」

「貴様ァ……」

 

 また口喧嘩が再燃する。

 テリィはため息をついて、軽く頭を振ると読書に戻った。キャレもルティルム語の復習で忙しかったので、関わらないようにした。

 エーリクかアドリアンがいてくれれば、丸く収めてくれるが、エーリクはさっき言った理由でおらず、アドリアンもまだ来ていない。もっとも最近ではエーリクとアドリアンですらも、自然消火しそうなときには放っておきがちだった。

 この場合、自然消火はマティアスが疲れて降参するか、オヅマが面倒くさくなって投げ出すかだが……

 

「ハイハイハイハイ。わかったわかったー」

 

と、まったく気のない返事をしてオヅマが強引に終了させる、というのがほとんどだった。

 

 マティアスはまだ何か文句を言いたげだったが、そこにちょうど具合よくアドリアンが現れた。

 走ってでも来たかのように、息が乱れ、肩を大きく上下させている。

 

「オヅマ! なにしてるんだ!」

 

 いつになく興奮気味に呼ばれて、オヅマはキョトンとなった。

 

「どうした……んですか?」

 

 後半に敬語をつけ足したのは、当然ながらマティアスが厳しく睨みつけてきたからだ。

 

「ヴァルナルがもう来るって。早く迎えに行かないと…」

「へ?」

「さっき鳩が来たらしい」

 

 鳩、というのはグレヴィリウス公爵邸の正門に入った時に、館に向かって来客を報せる鳩のことだ。

 

「あれ? 朔日(ついたち)に出発って言ってなかったっけ?」

 

 オヅマがそう尋ねるのは、マリーと頻繁に手紙のやり取りをしているアドリアンから、ヴァルナルが萌芽の月朔日にレーゲンブルトを出発する予定という話を聞いていたからだ。

 

 ちなみにオヅマはレーゲンブルトから届く手紙を読みはするものの、返事は滅多と返さなかった。自分のことを書くのが億劫であったし、何を書けばいいのかもわからない。ようやく書いたとしても「元気。問題ない」という素っ気ないものであったので、段々とオヅマに届く手紙は少なくなった。

 当人に聞くよりも、アドリアンとやり取りをしているマリーからの情報の方が、オヅマについての近況を詳しく知ることができたからだ。

 反対にオヅマもレーゲンブルトでの出来事については、マリーからの手紙を読んだアドリアン伝手に聞くため、今回の訪問日時のこともアドリアンから聞いていた。

 

 朔日に出発であれば、おそらくアールリンデンに到着するのは五日あたりと言っていたのに、今日はまだ三日。

 

「ヴァルナルと数名の騎士達は黒角(くろつの)馬で来たみたいだ。輜車(にぐるま)とかは後から来るみたいだけど」

 

 アドリアンに言われて、オヅマは納得した。

 ヴァルナルやカールを始めとする司令部隊は全員、黒角馬に乗っている。馬車でもなく騎馬で、しかも黒角馬で、ヴァルナル達だけで先行するのであれば、早く到着してもおかしくない。

 

 とはいえ―――― 。

 

「なんで迎えに行かないといけないんだ?」

「なんでって…」

「どうせ今日は無理でも、そのうち修練場で会うことになるだろ、たぶん」

 

 面倒そうに言うオヅマにアドリアンは目を丸くした。

 

「会いたくないの?」

 

 当然のように尋ねると、オヅマはムッスリと渋い顔になる。

 

「会いたいとか、会いたくないとかじゃなくて……別に必要じゃないなら、無理して会う必要もないだろ……っていうだけだ」

 

 予想外のオヅマの反応に、アドリアンは少し気勢をそがれた。

 アドリアンの予想では、オヅマが驚きつつも「一緒に行こう!」と、飛び出して行くのだと思っていたのだ。それこそアドリアンなど追い抜いて、一人で本館の方へと走っていくぐらいだろうと思っていたのに…。

 

「じゃあ、いいよ。僕、一人で行ってくる」

 

 アドリアンが踵を返して行こうとするのを、マティアスがあわてて止めた。

 

「お待ち下さい、小公爵様! ルティルム語の授業はどうするおつもりです?」

「エーリクと一緒に補講を受けるよ」

 

 マティアスは珍しく ――― というより、初めてアドリアンに大声で反対した。

 

「いけません! 今、本館に行けば諸侯が集まっているのです。その中で、小公爵様が特定の者に対して出迎えるなど、あってはいけません!」

「……去年…はいなかったけど、毎年、迎えに出てるよ」

「今までは許されていても、今年からはお控え下さい」

「どうして? 僕のことなんて、誰も目くじらたてたりしないさ」

 

 マティアスの強硬な姿勢に、アドリアンも流石にムッとなって言い返す。

 しかしマティアスは頑として譲らなかった。

 

「小公爵様は今年から我ら近侍を持たれました。これは小公爵様を半分大人(シャイクレード)として扱うことを、公爵様が認められたからです」

 

 半分大人(シャイクレード)

 帝国貴族特有の言い回しで、文字通り成人に達してはいないものの、子供と呼ばれる年齢を過ぎたと見做される。

 品行についても子供であれば許されていたことが、ある程度の責任をとる年齢であるとされ、厳しい見方をされるようになるのだ。

 

 アドリアンは十一歳という年齢だが、近侍を自分の周囲に置くことは、命令を下せる立場であると同時に、相応の責任を課せられる。

 まさしく()()()()、ということだった。

 

「小公爵様は、公爵様同様に、家門のすべての者に対して公平であるべきです。人目のある…まして、上参訪詣(トルムレスタン)のために公爵邸にやって来た諸侯の前で、特定の人間に対して特別に振る舞うことは、いらぬ誤解を招きます」

 

 アドリアンはマティアスの言いたいことはわかったものの、やはり納得できかねた。

 建前では公平だとか言っているが、ある程度の贔屓差があるのは、誰もがわかりきっている。居並ぶ諸侯の中に、自分の味方が少ないことも。

 反論しかけたアドリアンを止めるように、オヅマが手を挙げた。

 

「マティに賛成」

 

 アドリアンは驚いてオヅマを見た。

 一方の当事者であるマティアスも含め、その場にいた全員が意外な挙手にポカンと口を開いた。

 

 オヅマは全員が呆気にとられた顔をしているのを見て、プッと吹いた。

 

「なんだよ、皆して鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」

「いや……」

 

 マティアスは何を言えばいいのかわからなかった。

 まさかオヅマが自分に同調するなど思ってもみなかった。いっそ聞き間違えかと勘繰ったが、目の前ではアドリアンがオヅマに詰め寄っていた。

 

「どうしてだよ!? 僕がヴァルナルと親しいことなんて誰でも知ってる。今更、気にしたって何も変わらないだろ!」

「今更…ね」

 

 オヅマは片頬に皮肉な笑みを浮かべて、ジロリとアドリアンを見た。

 薄紫の瞳に厳しい光が宿り、アドリアンは声を詰まらせる。

 

「お前の…小公爵さまの言動でいくつか気になることがある」

「え…?」 

「さっきもそうだった。『僕のこと()()()』とか、『()()変わらない』とか。ときどき、小公爵さまはご自分で自分自身を(おとし)める。こういうの謙譲とは言わないよな、なんて言ったっけ?」

 

 オヅマに尋ねられて、アドリアンは答えられなかった。

 この一年で自分としては大きく変化した自覚はあったものの、やはり染み込んだ卑屈な精神は、そう簡単になくならない。

 この公爵家において、目立たぬように…自分という存在を希薄にすることは、望まれたことでもあり、自ら進んで行ったことでもあった。

 忸怩として唇を噛みしめ、アドリアンは黙り込む。

 アドリアンの沈黙にマティアスは当惑しつつ、オヅマの横柄な態度がまた目についた。

 

「オヅマ、失礼だぞ。小公爵さまと話すときに腕を組むな、腕を」

 

 いつものごとく小言を言うと、オヅマはやれやれといった感じで、マティアスの横に立って、その肩をポンと叩く。

 

「ホレ、見てみろ。こんな忠義者のマティアスが、わざわざお前に反対までして、言ってんだぞ。俺は別にお前が領主 ――― じゃなくて、クランツ男爵に会いに行こうが行くまいが、どっちでもいいとは思うけど、コイツがこうまで反対するならやめておいた方がいいと思う」

 

 マティアスは言われたことを反芻してから、眉を寄せた。

 横でなれなれしく自分の肩に手を置いているオヅマをジロリと見上げて尋ねる。

 

「ちょっと待て。お前、それは結局、僕の意見を理解していない…ということじゃないのか?」

「ん? あぁ…最初の方、聞いてなかったんで」

「いいかげんな! 人の意見に賛同するなら…」

 

 マティアスがまたガミガミと説教を始める前に、アドリアンは静かに言った。

 

「わかった。……確かに、マティの言うことが正しいと思う」

「小公爵さま……ご理解いただき、ありがとうございます」

 

 マティアスは安堵の息をついて、頭を下げた。

 しかし急にしょんぼりと肩を落とすアドリアンを見て、少々気まずい様子でうつむく。

 

「オヅマ…あの、君は本当に迎えに行かなくていいの?」

 

 キャレがおずおずと尋ねると、オヅマが答えるよりも早くマティアスが怒鳴った。

 

「そうだ、オヅマ! お前は行ってこい!」

「はぁ?」

 

 オヅマはあからさまに面倒そうな顔になった。

 

「なんでわざわざ…訓練で会えるだろ?」

「必ず修練場に来られるという保証もないだろうが。来たばかりなら色々とやるべきことも多くて忙しいだろうし、そもそも、お前はクランツ男爵の息子なんだぞ! 父親の迎えくらい行って当然だ! エーリクだって行っている。我々だって家族が到着のときには出迎えるのが礼儀なんだ」

「家族…ねぇ」

 

 オヅマは自分でも実感がなかった。

 ヴァルナルと母が結婚して、自分はヴァルナルの息子として、ここにいる。それはわかっているが、『家族』と呼ぶには、まだどこかで違和感があった。

 これはオヅマだけでなく、ヴァルナルもそうなのだろう。

 マリーへの親しげで気楽な接し方に比べると、ヴァルナルはあからさまにオヅマに遠慮し、どこか持て余しているように見えた。

 迎えなんて、望んでもいないだろう。

 

 しかしマティアスはオヅマの複雑な心境については、一切頓着しなかった。

 

「いいから行ってこいッ!」

 

 尻を蹴りつける勢いで追いたてられ、オヅマは仕方なしに本館へと向かった。

 

 

***

 

 

 新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)に集まった人々の群れで、本館へと向かう廊下はごった返していた。

 オヅマがその中を縫って歩いていると、近侍服に気付いた者が物珍し気に見ては、近くにいる者を捕まえてコソコソと話したりしている。多くの者は眉を(ひそ)め、口の端に冷笑を浮かべていた。

 オヅマはますます仏頂面になって、早足で人々の間をすり抜けていく。

 ようやく馴染みのある騎士服とマントを見つけて、引き締めた顔の筋肉が緩んだ。

 

「マッケネンさん、久しぶり」

 

 マッケネンは振り返ると、まじまじとオヅマを見てからプッと吹いた。

 

「なんだ…お前……いっぱしの近侍やってるじゃないか」

 

 チャコールグレイの繊細な模様が織り込まれた生地に、グレヴィリウスの家門が胸に刺繍された近侍服は、元より怜悧で整ったオヅマの容貌によく合っていた。

 レーゲンブルトにいた頃には、ツギ当てした粗末な服を着ていた印象であるので、雲泥の差と言っていい。

 もっとも残念ながら、中身はそう変わっていないようだ。

 

「近侍なんだから当たり前だろ」

「ハハッ。違いない」

「オヅマ」

 

 マッケネンの背後から、厳しくオヅマを見ていたカールがズイと前に出てきて言った。

 

「先にヴァルナル様に挨拶しないか」

 

 オヅマは軽く息をついてから、あえて視線を外していたヴァルナルに目を向けると、深くお辞儀した。

 

「お久しぶりです、領主……いや、クランツ男爵様」

 

 言い慣れた「領主様」という言葉から変えたのは、公爵邸において『領主』という限定地域の主君を表す言葉に『様』をつけていいのは、公爵閣下唯一人であるからだ。また、他地域の領主との混同を避けるためもある。

 それでいてヴァルナル様とも呼べないのは、オヅマの微妙な距離感というべきものだった。

 

「あぁ、久しいな。オヅマ」

 

 ヴァルナルは相変わらず朗らかに言ったが、ややぎこちなかった。

 二人はそこで一旦、互いに何を言うべきかを考えあぐねているようだった。

 奇妙な沈黙が流れる。

 

「あ…ミーナは……元気にしてるぞ」

 

 ヴァルナルはとりあえず思い浮かんだ中で、オヅマが最も気にかけているだろうミーナについて触れた。

 しかし案外と、オヅマの反応は淡泊だった。

 

「あぁ、そうですか。良かったです」

「マリーも、オリヴェルも元気だ」

「あぁ。はい…知ってます」

「知ってる?」

「アドルから聞いてます」

 

 何気なく言った名前に、周辺で聞き耳を立てていた者達がザワリとする。

 オヅマが咄嗟に言い繕うよりも先に、ハハハと快活な笑い声が響いた。

 

「いやぁ、聞いていた通りだな」

 

 明るい茶髪に青い瞳の、騎士らしき男がゆっくりとこちらに歩いてくる。

 兜以外は鎧に身を包み、その胴当てに刻まれた交差した剣と戦斧(せんぷ)の紋章を見てオヅマはつぶやいた。

 

「エシル…?」

「そう。初めまして、オヅマ。エーリク・イェガの兄のイェスタフ・イェガだ。よろしくな」

 

 弾むような口調で言いながら、イェスタフは驚いているオヅマの手を掴んで持ち上げると、有無を言わさず握手してくる。拒むつもりはなかったものの、少々強引な挨拶にオヅマはたじろいだ。「どうも」と軽く返事して、早々に手を離す。

 イェスタフは特に気にする様子もなく、すぐにヴァルナルに屈託ない笑顔を向けた。

 

「久しいですねぇ、クランツ男爵。去年はおられなかったから、随分とがっかりしたんですよ。今年こそはみっちりとお相手願います」

 

 ヴァルナルも相好を崩して、親しげな様子で言った。

 

「さて、どこまで私を追い込んでくれるのか、楽しみだな。ラーケルは元気か?」

「もちろんです。兄も今年こそは一本取ると息巻いてますよ。それに、今年は弟もいますしね。ご子息から聞いているとは思いますが」

「うん?」

 

 ヴァルナルがキョトンと聞き返すと、イェスタフは悪気もなくオヅマに目線をやる。戸惑いを浮かべるヴァルナルに、オヅマは素っ気なく言った。

 

「エーリク・イェガは同じ近侍です」

「あぁ…そうか。そうだったな」

「なーんですか! 親子だってのに、かしこまっちゃって。聞いてますよ、男爵。大恋愛の末に結婚されたと。それで、奥方はもうお部屋に?」

 

 イェスタフは早口に言ってから、キョロキョロと辺りを見回す。

 周囲の貴族連中も興味深げに窺っていた。しかし彼らはヴァルナルの返事に一様に落胆した。

 

「あ…いや。その、妻は領地で息子の面倒を見る必要があるので来ていない」

「えぇー! そうなんですかぁ…」  

 

 辺り構わずイェスタフは叫び、大仰なほどに肩を落とした。

 チラとオヅマの方を見てため息をつく。

 

「公爵閣下一筋のクランツ男爵を()としたって聞いて、どんな(ひと)かと思っていたんですよ。オヅマの顔から想像するに、きっと美人だろうし…」

 

 そういう目で見られていたとわかり、オヅマはムッと顔をしかめた。

 しかしオヅマが抗議する前に、イェスタフの頭に拳骨が落ちた。

 

「この馬鹿が! 下世話な言葉を使うな!」

 

 一喝する声と、殴られた頭の痛みにイェスタフは首をすぼめると、さっきまでの大声が嘘のように小さく「すみませーん」と謝った。

 イェスタフの頭を殴った男 ――― ブルーノ・イェガ男爵はすぐにヴァルナルに頭を下げた。

 

「申し訳ない、クランツ男爵。愚息がとんだ失礼を…」

「いや。いつもながら元気なご子息でなによりだ。気にしないでくれ。言っていることは間違ってない」

「は?」

「イェスタフの言う通り、我が妻は美しいんだ」

 

 堂々と人前でのろけるヴァルナルにイェガ男爵は一旦、言葉に詰まった。目を瞬かせてから、イェスタフ同様にオヅマをチラリと見てから、ようやく頷いた。

 

「………成程」

 

 オヅマはまた眉を寄せて、イェガ男爵親子を憮然と見つめた。

 ざっと見たところ、エーリクは父親に似たようだ。胡桃色の髪と、真一文字に引き結んだ唇。あまり感情を見せることのない小さな瞳も同じだが、瞳の色は青かった。

 

「それでは、また後ほど」

 

 ブルーノ・イェガ男爵はそれ以上、何か言うべきことが見つからず、息子を引きずるようにしてその場から立ち去った。

 嵐が去った後のなんとも言えぬ奇妙な空気に、ヴァルナルは軽く咳払いしてから、(いかめ)しく言った。

 

「小公爵様に対しての言い方はもう少し考えるように」

「はい」

 

 オヅマは静かに頷く。

 目を合わせることのない二人の微妙な距離感に、カールとマッケネンは見合って互いに肩をすくめる。

 

 そのとき、またオヅマを呼ぶ声が響いた。

 

「これはこれは。久しぶりに父親に会えて、嬉しくて声も出ないようだな、オヅマ」

 

 低いながらもよく通る声は、広い廊下の隅々にまで聞こえた。

 オヅマはまったく思ってもいないことを言われ、声をかけてきた男 ――― ルーカスにあきれた視線をやった。

 

「なに言って…」

 

 否定する前に、ルーカスはオヅマの背を強めに叩いた。

 

「秋の暮にレーゲンブルトを出てから半年ぶりくらいか? 懐かしかろう? せっかくの親子の語らいに、いつまでも廊下で突っ立っていては、人目を気にしてまともに喜ぶこともできまい。たっぷりと積もる話もあろうからな。カール、諸々の手配はお前がしておけ」

 

 兄からの問答無用の命令にカールは一瞬眉をひそめたが、すぐにルーカスの意味深な目に気付いて恭しく騎士礼をして頭を下げた。

 

「かしこまりました」

「さ、行くぞ。クランツ男爵と、ご子息」

 

 わざとらしい言い方でオヅマを呼び、ルーカスは先に立って歩き出す。

 

 オヅマは不服であったが、これ以上ここにいて好奇の視線にさらされるのも嫌だった。

 仕方なく、ヴァルナルから数歩おいて後に()いていく。

 途中でチラリとヴァルナルがオヅマを見た。

 なんとなく寂しそうな顔をしているように思えて、オヅマは視界に入らないようにルーカスの背だけ見ていた。

 




次回は2023.06.04.更新予定です。
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