そこはいくつかある公爵家本館の応接室の中でも、最も小さな部屋であった。
それでも内装は簡素ながら上質な調度品で揃えられており、飾り物らしき美々しく装飾された甲冑まで飾られてあった。
正直、オヅマが領主館で暮らしていた小屋よりも広い。
「さて、本題だ」
女中が茶を運んできて出ていき、確実にその足音が遠のいたのを確認したあとで、ルーカスが唐突に話を切り出した。
「オヅマは
「なんだって?」
聞き返したのはヴァルナルだった。
「オヅマは小公爵様の近侍だぞ。小公爵様が帝都に行かれないということか?」
「そんなわけがないだろう」
ルーカスはあっさり否定する。
涼しい顔でお茶を口に含んでから、オヅマをジロリと見て問いかけた。
「何か言いたいことはあるか?」
オヅマは急な話すぎて、何のことだか意味がわからなかった。ルーカスに言われたことを反芻してから、確認する。
「俺は帝都に行かないってことですよね?」
「そうだ」
「まさかと思いますけど、やっぱり俺に近侍は向いてないってことで、匙を投げた…とか?」
若干の希望を含みながら尋ねると、ルーカスはハッと吐き捨てるように言った。
「今更なにを…。お前みたいな態度もデカけりゃ、口も立つ、こまっしゃくれの
だったらどうして近侍なんかにしたんだ! ―――― と言いたかったが、今はその事について文句を言うべき状況ではない。
オヅマはしばし考えてから、また別の可能性について尋ねた。
「じゃあ皆が帝都に行っている間、俺はレーゲンブルトに戻っておくんですか?」
「そんな訳あるか」
ルーカスはあきれたように言ってカップを皿に置くと、オヅマに命令した。
「お前は我らが帝都に行っている間に、ズァーデンに行ってもらう」
「ズァーデン?」
「それは…」
ヴァルナルはいち早くルーカスの意図を察した。「師匠のところにか?」
「師匠?」
オヅマが首をかしげると、ヴァルナルは頷いた。
「私の師匠がおられるところだ。そこで私も『
オヅマはにわかに胸がざわめいた。ヴァルナルが使う
「俺に稀能の修行をしに行けってことですか?」
「嫌か?」
ルーカスの問いにオヅマは即答する。
「まさか! 行かせてもらえるなら、今からでも」
「ハッ! いい返事だ。じゃ、今日にでも紹介状を書いてやろう。その間に準備を整えておけ」
ルーカスはオヅマの気持ち良い返事に上機嫌で言ったが、ヴァルナルは顔色を変えた。
「ちょっと待て。本気で言ってるのか?」
「あぁ、そうだが?」
ルーカスがさも当然とばかりに首を傾げると、ヴァルナルは怒鳴った。
「まだ早い!」
「はぁ?」
「オヅマはまだ十二歳だぞ! 早すぎる」
「来年には十三です」
オヅマがムッとして言うと、ヴァルナルも負けじと声を張り上げる。
「当たり前だろうが! 新年には私だって三十七だ」
「へぇ? お前、もう三十七なのか。年とったな~」
ルーカスが感心したふうを装って混ぜっ返すと、ヴァルナルはキッと睨みつけた。
「話を逸らすな、ルーカス! 修行なんて早すぎだ。まだ十二歳だっていうのに」
「そんなこともないだろ。お前の修行の方が遅かったくらいだ。最も成長の著しい時期……お前、コイツがここに来てどれだけ背が伸びたと思う? この前支給された訓練着も早々に仕立て直さないといけなかったくらいなんだぞ。今は適齢期なんだよ、むしろ。俺のひいじいさんもこれくらいの年齢が一番素直に吸収するって、覚書に書いてたぞ」
ルーカスの曽祖父であるディシアス・ベントソンは、当時のグレヴィリウス公爵であったベルンハルドの腹心の部下だった。ルーカスの前に『真の騎士』の称号を与えられ、それは名誉だけのものではなく、実際に二つの稀能を使いこなしたという剛の者でもあった。
ヴァルナルは既に故人とはいえ、偉大なる先達の言葉を無下にする訳にもいかず、俯いてなんとか反駁の言葉を探した。
その間にルーカスはのんびり茶を飲みながら、オヅマに尋ねる。
「さっきはああ言ったが、本当に今日出発せんでもいいんだぞ。ヴァルナルと積もる話もあるだろうし、騎士団の奴らとも久々に会いたいだろう」
「それは…」
オヅマはチラリとヴァルナルを見てから、きっぱり言った。
「レーゲンブルトのことなら、アド…小公爵さまから聞いてるんで、たいがい知ってます。それに行くのがわかってるのに、じっとしている方が落ち着かない」
「まぁ…お前、どうせこうなったら、まともに座学の授業なんて受けていられないだろうなぁ」
「そうですよ。このあとに眠い歴史の授業なんて受けてたら、途中で嫌になって、そのまま出て行くと思います。今日は暖かいし、『旅立ちには吉日』ってこういう日のこというんでしょ?」
古典の詩の一節を持ち出したオヅマに、ルーカスはニヤリと笑った。
「イシネラーヴルの詩か。一応、ちゃんと勉強してるんだな」
「そうだ!」
急に叫んだのはヴァルナルだった。
「十二の子供に一人旅なんて危ないだろう!」
どうやら『旅立ち』という言葉で、思いついたらしい。
ようやくヴァルナルがひねくりだした言葉に、ルーカスはまたあきれたように首を軽く振った。
「お前ねぇ…公爵領地内で、公爵家の人間に手を出すような馬鹿がいると思うのか? だいたい、そう簡単にやられるようなガキかよ、コイツが」
ルーカスがクイと顎をオヅマに向ける。
ヴァルナルはオヅマを見た。
さっきまではあからさまに目線を逸らしていたのに、今は真っ直ぐに自分を見つめている。
ミーナと同じ薄紫の瞳は真剣で、必死だった。
ヴァルナルは嘆息した。
どうしてよりによって、息子になったオヅマからの最初の
「言っておくが…師匠は容赦ないぞ」
ヴァルナルは多少、怖がらせようと思って言ってはみたものの、オヅマはまったく動じていなかった。むしろ、その言葉を肯定と捉えたようだ。
「はい! 頑張ります! じゃあ、早速準備します」
嬉しそうに言って立ち上がる。
ヴァルナルは久々にオヅマの笑顔を見た気がした。ミーナとのことがあってから、オヅマとはどこか一歩置いた距離感になっていて、こんな嬉しそうに素直に笑いかけられるのは久々な気がする。
「あ、そうだ。小公爵様に一応、ちゃんと報告しておくようにな」
ルーカスに言われて、オヅマの脳裏にアドリアンの顔が浮かぶと同時に、元々ヴァルナルに会いに来た用事を思い出す。
「あっ、そうだった。あの領主…じゃなくて、男爵様。アドル…じゃなくて小公爵さまが、是非にも稽古をつけてほしいと
「あぁ…わかった」
ヴァルナルは頷いた。
内心では、いまだに自分の呼称が家族としてのものではなく、身分上の敬称になっているオヅマに少々複雑な気持ちを抱いたが、まだ親子となって一年も経っていないのだ。それまで騎士見習いと、領主という関係だったのだから、無理もない。
「明日の修練で伺うと申し伝えてくれ」
「はい。では、失礼します」
ピシリと騎士礼をとって辞儀すると、オヅマは弾むような足取りで部屋を出て行った。
***
「さて…」
ルーカスは茶をすべて飲み干してから、おもむろに胸ポケットから手紙を取り出した。
「レティエからだ」
ヴァルナルは一気に緊張した面持ちになり、手紙を受け取ると一息ついてから読み始める。
読み進めながら、どんどんと渋い顔になっていき、読み終わったときにはハァと深い溜息をついた。
ルーカスは苦笑した。
ヴァルナルの今の気持ちはわかる。
ルーカスの二番目の妻であり、訴訟代理人として活躍するレティエ・フランセン。
彼女に手紙を送ったのは、レーゲンブルトにおいてオヅマが大公の息子であり、今後、大公がオヅマの父親であることを主張してくることを危惧された為に、何かしらの手立てを講じる必要が生じたからだった。
たまに帝都にいるときには、ルーカスからのちょっとした食事の誘いであっても無視か丁重に断ってくる元妻であったが、仕事に関連するような事となると、返事は早かった。
当然ながら、詳しいことは伝えず、あくまで知り合いの話として、登場人物については曖昧なままに相談したものだったが、レティエは真摯に答えてくれた。
曰く。
「『既成事実を確固たるものにする。』これがなんだかんだで一番効果があるようだ」
ルーカスが言うと、ヴァルナルは力なくつぶやいた。
「あぁ。最低でも一年は親子としての関係を強固に…ということだが……」
帝国においては、子供の養育権は父親にある ―――ということは前にも書いたが、養父と実父が子を巡って対立した場合においては、実父の権利が先に擁護される。(無論、双方合意した養子縁組の場合は、実父は権利を養父側に譲渡したと見做されるので、この限りにない)
そのため、現状においてはオヅマの実父たる大公・ランヴァルトが、もしオヅマのことを知って、引き取りたいと言ってきた場合、ヴァルナルに抵抗する手段はないに等しい。
しかし、たとえ法の規定があったとしても、解釈や情状酌量という余地によって当事者の利益を最大限に考慮する…というのは、円滑な社会環境のためには必須のことだ。
ましてそれが単純な利益関係ではない、親子や夫婦といった情愛の絡むものであれば尚の事、杓子定規に法に則って解決されるものでもない。
ヴァルナルとオヅマの場合、必要とされるのは、親子関係という『事実』を積み上げることだった。
ヴァルナルとオヅマの親子間の絆がより強くなれば、血の繋がりのない間柄であっても、おいそれと実父の権限だけを主張できない。
まして実父側が自らの子に対して、何らの庇護も与えてこなかったとなれば、養父側における扶育実績も鑑みて、交渉できる余地は十分にあるとのことだった。
「なかなか厳しいところを突いてくる…」
自嘲気味に言うヴァルナルに、ルーカスは首をかしげた。
「なにか問題か?」
「さっきのオヅマの態度を見たろう? いまだに『領主様』『男爵様』なんだぞ」
「ハハッ! そりゃあ、仕方ない。つい先ごろまでは、お前は奴にとって領主様で、奴は見習い騎士だったんだからな」
「わかってるさ…そう簡単でないことは。しかし、こんな状態ではとても親子関係とは言えない。まして今は一緒に暮らしてもいないんだからな。この上、今回の帝都への
弱気に言うヴァルナルを、ルーカスは一笑に付した。
「ふん。貴族の親子で一緒に暮らしているかどうかなんぞ、大した意味もないさ。公爵閣下と小公爵様とて、同じ敷地内にいるってだけで、館は別だし食事も一緒にとらんだろうが。帝都でお役目付きの貴族などは、領地に家族を残して一年の半分は会えないんだぞ。子供に顔を忘れられたと嘆いている者もいるくらいだ」
「彼らは血がつながっているだろう…」
ボソリと低く、ヴァルナルはつぶやいた。
結局のところ、ヴァルナルのオヅマに対する遠慮はそこにつきる。
ルーカスはやれやれ…と、あきれたため息をつくと、強い口調で言った。
「お前、レティエの手紙をしっかり読め! 大事なのは、親に親としての自覚があって、子に子としての自覚があるのか…ってことだ。親であるお前の方は問題ないよな? じゃ、オヅマはどうだ? お前の息子として行動しているか、否か?」
厳しい問いを突きつけられて、ヴァルナルは眉を寄せて考え込んだ。
「自覚……あるのか?」
断定できず、聞き返すヴァルナルに、ルーカスは嘆息した。
戦場であれば、相手方の思惑にいち早く気付いて、臨機応変に対処するというのに、どうして私的なこととなると、こう鈍感極まりないのだろう?
「ハッ! まったく…わからん奴だな。自覚がなかったら、とうの昔にあの坊やはこんな堅苦しい場所からトンズラしてただろうよ。さっきの態度を見たろうが。華やかなりし水の都よりも、厳しいお師匠さんの待ってる田舎に修行に行く方がいいなんて…よっぽどここでの生活に辟易してるんだろうさ」
ヴァルナルの顔がまた苦渋を帯びる。
小公爵様のためとはいえ、オヅマには近侍なんて役目は窮屈この上ないのだろう。最初は当人も無理だと言っていたのだから。
しかし、結局オヅマはここに来ることを選んでくれた。
あのとき、本当は求めていないことを、彼に強いてしまったのではなかろうか…?
いちいち悩みがちな友に、ルーカスは発破をかけるように言った。
「いいか、ヴァルナル。お前が思う以上に、アイツは冷静だし頭も回る。どれくらいまでが許容範囲か考えた上で、まぁ……そこそこにかき回してくれているが、今のところルンビックの爺様も、公爵閣下でさえも、追い出さずにいるんだ。っとに、そういう周到なところはさすがというしかないな」
言ってからルーカスはしまったと口をつぐむ。
しかし遅かった。
案の定、ヴァルナルは一層暗い顔になって押し黙ってしまった。
生来のものと思われるオヅマの素養に、実父である大公の影を感じずにはいられない。…
ルーカスは何度目かになる長い溜息をついたあとに立ち上がった。
ゆっくりした足取りで窓へと向かい開けると、キィン、キィンと騎士たちが修練場で剣術稽古をする音が聞こえてくる。
ルーカスは腕を組んで、騎士らの訓練風景を眺めながら、勿体ぶって切り出した。
「正直、言わんつもりだったんだがなぁ…仕方ない。特別に教えてやろう。あの坊やはな、レーゲンブルトが好きなんだと」
「へ?」
急に思いもかけないことを言われて、ヴァルナルはキョトンとなった。
ルーカスは驚いた様子のヴァルナルを見て目を細めた。
窓辺から、またゆっくりとヴァルナルの方へ歩きながら話を続ける。
「俺も当人から直接聞いたわけじゃない。騎士連中だったり、他の近侍相手に言っていたのを聞きかじったり、又聞きした内容を総合的に判断するに、だ。レーゲンブルト騎士団の一員として過ごしてきたことは、奴の誇りなんだ。騎士団は自分にとって家族同然なんだとさ。だから、ここにはレーゲンブルトを代表して来ている、っていう自覚はあるようだぞ」
ヴァルナルはパチパチと目を
オヅマにとってレーゲンブルト騎士団が、大切な存在であってくれるのは素直に嬉しい。だが…そこにヴァルナル個人は含まれているのだろうか?……
ルーカスはまだ弱気な友の肩にぽんと手を置いた。
「わかっているか? ヴァルナル。レーゲンブルト騎士団は、お前が一から作り上げたんだぞ」
「………」
「あいつは
ヴァルナルはルーカスの言葉をゆっくりと反芻し、徐々に顔をほころばせた。ほのかな自信がじんわりと胸を熱くする。
わかりやすく喜んでいる友の姿を見て、ルーカスは軽く首を振った。
ルーカスからするとヴァルナルの悩みは今回の件において、あまり重要な項目ではなかった。心の中のことなど、他人にはわかりようもないし、本人だってたまにわからなくなるくらい不確かなものだ。
それに正直、取り越し苦労に近かった。
ルーカスから見れば、オヅマもヴァルナルも、十分に親子として認め合っている。それでもぎこちないのは、互いに遠慮しあって足踏みしているせいだろう。
はたから見てわかりやすいくらいだったが、ルーカスに口を挟む気はなかった。そちらについては、親子で勝手に解消してもらおう。
現状、彼らに必要とされるのは、心の絆より ――――
「お前がミーナ殿と結婚した以上、オヅマはお前の息子になったし、法的にも親子と認められている状態だ。あとはこの
「だから、オヅマを帝都に行かせないと?」
「そうだ。まだ
実際に出会う可能性は低いものの、何が起きるかはわからない。以前にシモン公子とアドリアンが広い皇宮の庭で出会って、騒動になったこともある。
「それはわかったが、なんだって師匠のところに…」
「それも色々と考えた結果な、まず一つにはお前らの親子関係に、
稀能は遺伝による承継はない。であればこそ、血の繋がりをもたないオヅマとヴァルナルにとって、同じ技を使うことが、いわば一つの絆として親子関係を補強するものとなる。
だがルーカスの意図するのはそればかりでない。
「結局のところ今は大公殿下にオヅマを指導してもらうわけにもいかんだろう? それでさっきの俺のひいじいさんの覚書の話になるんだが、稀能ってのは大元は繋がりがあるようなんだよな。己の感覚を集中的に研ぎ澄ませることで、常人には不可能と思える技を為す、っていう。その感覚を集中させる方法は色々とあるみたいだが、多くは呼吸によって整える……って書いてたんだが、合ってるか?」
「あぁ、まぁ…そうだな」
ヴァルナルは頷いた。
呼吸による精神集中が一番とっかかりやすいというのもあって、多くの稀能における最初の修養は、己の呼吸を自在に操れるようにすることから始まる。もっとも、実のところはこれが一番の難関で、これさえできればその後の技の習得自体はさほどに難しいものではない。
多くの騎士や戦士、修道者は稀能を体得しようとするが、たいがいがこの呼吸の修練で脱落する。理由は簡単で、地味な上に、体得できるまでに時間がかかるからだ。
「だとすれば、オヅマもその呼吸の整え方ってのを習得しておけば、今後、自分で修練を積むとしても有用だろう。それにそういう理由じゃないと、小公爵様も納得しないだろうしな。本当の意図をお話しするわけにもいかぬし」
「それはそうだな…」
ルーカスの言う通り、オヅマから帝都へ同行できないことを聞いたアドリアンは、血相を変えた。
次回は2023.06.11.更新予定です。