昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百三十四話 北宸宮の花

「なんだって!?」

 

 ルティルム語の授業が終わり、次の授業までの間、勉強室で読書をしていたアドリアンは、ようやく戻ってきたオヅマの言葉に目を剥いた。

 

「それはつまり、新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)の同行禁止ということなのか?」

 

 次の授業の予習をしていたマティアスは立ち上がり、オヅマの方に寄ってきて、強張った顔で尋ね返す。

 オヅマが頷くと、テリィがそれ見たことかとばかりに言った。

 

「やっぱり。そんなことになるんじゃないかと思ったよ」

 

 キャレはにわかに張り詰めた雰囲気に身を竦ませた。

 いつもは温厚なアドリアンが厳しい顔になっている…。 

 

「誰がそんなことを決めたんだ!?」

 

 アドリアンが怒鳴りつけるように問うと、オヅマは平然と答えた。

 

「ルーカスのおっさん」

「ベントソン卿が? どうして…」

 

 公爵邸において、自分を次期公爵として扱ってくれるルーカス・ベントソンは、アドリアンにとってヴァルナルと並んで信頼できる大人だ。そもそもオヅマをアドリアンの近侍として推挙したのも彼であるのに、なぜオヅマに新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)を禁じるなどと言い出したのか…?

 

 そのアドリアンの問いに答えるかのように、マティアスがつぶやいた。

 

「やはり、さすがにベントソン卿も、お前の行いを危惧されたということか……」

「どういうこと?」

 

 アドリアンが鋭く問うと、マティアスはビクリと身を震わせたものの、コホンと咳払いしてから、鹿爪らしい顔で述べた。

 

「それは、オヅマの日頃の行動を思い返せば小公爵さまとて理解できると思います。今とても…」

 

 言いながらマティアスは横目でオヅマをジロリと睨みつける。

 椅子に大股で跨がり、反対向き ―― 背もたれに腹をあてて座るなど、無作法極まりない。しかしオヅマはマティアスの非難をこめた眼差しも、どこ吹く風とばかりに無視していた。

 マティアスは苦虫を噛み潰し、やや大きな声で続けた。

 

「…多少は礼儀作法を身につけたとはいえ、小公爵さまに対する気安い態度、先の公爵閣下への謁見においても無礼があったのは覚えておられましょう? 帝都においては、今よりも厳しい目にさらされるのです。オヅマの不用意な行動で、小公爵さまに迷惑がかかっては一大事、と……ベントソン卿も考えられたのでしょう」

 

 テリィもうんうん、と頷いて続ける。

 

「あちらに行けば、グレヴィリウス家門だけでなく、多くの貴族が集まるのだものね。下手したら皇帝陛下にだって、拝謁するかもしれないのだから」

「そんな、(おそ)れ多い……」 

 

 キャレは皇帝陛下という言葉そのものにすらも恐懼して声が震えた。

 しかしマティアスは重々しく首肯(しゅこう)する。

 

「確かに。小公爵さまは皇家(こうけ)主催の園遊会などにも招かれるだろう。そのときには、我らも付き(したが)うことになる。畏れ多くも皇家の方に対して、万が一にもご不興を買うようなことがあれば……」

「あれば…?」

 

 キャレが怖々と尋ねると、テリィが手刀をつくって自分の首を斬る素振りをする。キャレは真っ青になった。

 

 アドリアンは近侍たちのやり取りをジリジリした怒りを持って見ていたが、ふとオヅマが何も言わずにいることに気付く。見れば、ニヤニヤと笑っている。

 いつものオヅマであれば、テリィにもマティアスにも一言二言は言い返しているはずだ。

 

「オヅマ! なにを笑ってるんだ」

 

 アドリアンが怒鳴りつけると、オヅマは椅子の背もたれに顎をのせて、彼らのやり取りを面白そうに眺めていたのだが、うーんと背伸びした。

 

「いやいや、確かに言われてみれば…と思ってさ」

「なにを他人事みたいに…もういい!」

 

 アドリアンは憤然として立ち上がると、ドアへと歩いて行こうとして、オヅマに腕を掴まれた。

 

「離せ! ベントソン卿に抗議しに行く!!」

「いや、待てって。冗談冗談」

 

 オヅマは立ち上がると、落ち着かせるようにアドリアンの肩を叩いた。

 

「冗談?」

「いや…帝都に行かないってのは本当なんだけど。理由は俺の素行云々じゃねぇんだ」

 

 言い聞かせながら、オヅマはアドリアンを再び椅子に座らせる。

 

「どういうことだ?」

 

 マティアスが怪訝そうに問うと、オヅマは自慢げに言い放った。

 

「修行だ」

「修行?」

 

 キャレが問い返す。「修行って……あの、剣士とかが山に籠もったりするやつですか?」

 

 幼い頃に読んだ絵物語を思い出して尋ねると、テリィが一笑に付した。

 

「馬鹿じゃないの。いつの時代の話だよ。今どき、そんな時代錯誤なことしてる人間がいるもんか」

「まぁ…山に籠もるかどうかは知らねぇけど……」

 

 オヅマは薄っすらとした笑みを浮かべてテリィを見ると、スゥと息を吸い込んだ。

 テリィは瞬時にいつか味わった恐怖感を思い出し、一歩後に退がったが、そのときにはオヅマはやはりもう目の前に来ていた。避ける間もなく、バチン! と思いっきりおでこをはじかれ、目に火花が飛ぶ。

 うぅーっと呻きながら、テリィはおでこを押さえて丸く縮こまった。

 

 キャレはまたもグズグズと泣き始めたテリィを白い目で見た。

 いつもながらというか、どうしてこの人は無自覚に人を怒らせるのだろうか?

 自慢げに「修行だ」と言ったオヅマの態度を見ていれば、その『修行』を馬鹿にするようなことを言えば、不快に思われることなどわかりそうなものなのに。

 

『泣き虫テリィ』に辟易している近侍たちは、誰も彼を慰めようとしない。

 アドリアンもチラと見ただけで、すぐにオヅマに問うた。

 

「修行? もしかして…稀能(きのう)の?」

 

 オヅマはニカッと笑った。

 

「そう! 領主様の師匠のところに行けってさ!」

 

 アドリアンはあまりに嬉しそうなオヅマの様子に、何も言えなくなった。もちろん、話が急すぎて、考えが追いつかなかったのもある。

 

「キ…ノウ、というのは…なんですか?」

 

 キャレが尋ねると、オヅマは鼻白んだように言った。

 

「なんだよ、キャレ。お前、ファルミナの騎士団で多少は訓練を受けてただろうに、稀能のことも知らないのか?」

「えっ、あっ…す、すみません」

 

 キャレはあわてて謝ったが、アドリアンがとりなすように言った。

 

「仕方ないよ。稀能を持った騎士なんて、そうはいない。グレヴィリウスの家門の中でも、稀能をもった騎士なんて、ヴァルナルだけなんだから」

「へ? そうなの?」

 

 驚いたオヅマに、マティアスが付け加える。

 

「正直、テリィの言ではないが、今じゃおとぎ話に近い話だ。私も実際にその技を見たこともないし、本当にあるのかどうか疑わしく思っていたが…お前がそんなことを言うからには、クランツ男爵の稀能というのは、本当らしいな」

「当たり前だろ! どれだけ凄いか……カールさんの千本突きだって、蝶が舞ってるみたいに見えるらしいんだからな! 今度見せてもらえ!!」

 

 興奮したように言うオヅマを、今度はアドリアンが落ち着かせた。

 

「まぁまぁ、それはともかく。じゃあ、君はヴァルナルのお師匠様のところに、稀能の修行のために行くから、帝都には行かないということか?」

「そ! じゃ、そういうことで!」

 

 オヅマがそのままご機嫌に出て行こうとするので、アドリアンはあわてて腕を掴んだ。

 

「ちょっと待て! いつ行くっていうんだ!?」

「さぁ? おっさんから紹介状もらったら、すぐにでも出ようかと思ってるけど」

「すぐ…って、まさか今日!?」

「善は急げって言うからな~」

「修行に行くことが()()ことなのか、お前には…」

 

 マティアスがややあきれたようにボソリとつぶやく。

 キャレも内心で頷いた。騎士の訓練でも厳しくて音を上げそうになるのに、それよりも厳しそうな修行なんて、嬉々として行くオヅマの心境が理解できない。

 

 しかしオヅマはむしろそんなマティアスらを見下すように言った。

 

「どうとでもいえ。俺は帝都になんか、これっぽっちも行きたいと思わないんでね。あんな汚ねぇ川ばっかの湿気た街、黴が生えそうだ」

「………え…?」

 

 アドリアンはにわかに生じた違和感に、微かに声を上げる。

 しかし小さな声はかき消された。ようやく泣くのをやめたテリィが立ち上がって、憤然と抗議していた。

 

「それって貧民街の話だろう? 貴族の居住区は綺麗に整備されて、川だって定期的に掃除されているさ」

 

 しかしオヅマはフンと鼻で笑うと、傲然と言い放った。

 

「あぁ、そうだよな。掃除するたびに、沈められた白骨死体も出てきてちょっとした騒ぎになるんだろ? ましてヤーヴェ湖の底には数万と骨が積み上がってるんだろうぜ。毎夜毎夜亡霊が湖から這い上がってくるから、北宸宮(ほくしんきゅう)魔除けの花(シファルデリ)で囲われて、プンプン甘い匂いが鼻につく」

「…………」

 

 アドリアンも近侍たちも、そのとき何も言えなかった。

 彼らが作り出した沈黙は、それぞれに意味が違っていた。

 マティアスを始めとする近侍たちは、オヅマの話の後半の内容がよくわからなくて、意味を掴みかねてキョトンとしているだけだったが、アドリアンは一人、混乱していた。

 先程から自分の認識とオヅマの言葉に奇妙な齟齬を感じて、どう言うべきなのかを迷っている間に、サビエルが教師の来訪を伝えに来る。

 

「じゃ、俺、準備があるから行くわ。先生らに伝えておいてくれ。あ、それとクランツ男爵は明日の修練に来てくれるってさ」

 

 オヅマは早口に言うと、逃げ出す勢いで出て行った。

 アドリアンが声をかける暇もない。

 まるで嵐が去ったあとのような空白の沈黙がしばし続いたあと、マティアスがコホリと咳払いした。

 

「まったく。授業を受けたくないから、今日すぐに出るなどと言ったのではないのか、あいつ…」

 

 鹿爪らしい顔で小言を言いながら、手早く用意してあった本を抱え、隣の講義室へと向かっていく。テリィも同調しながら続いた。

 アドリアンはのろのろと準備しながら考えていた。

 

 オヅマは帝都に行ったことはない ―――― はずだ。

 それは当人から確かに聞いた。

 生まれてこの方、一度も行ったことなんてない。行きたいとも思わない、とも。

 でも、だとすればなぜ、知っているんだろうか?

 

 帝都は運河だらけの街で、確かに貧民街と呼ばれるような一部集落においては、夏ともなれば川の水がひどい臭気を放ち、疫病もはびこる。黴臭い、せせこましい街なのだ。

 貴族の居住地では、そのようなことのないように定期的に川浚いが行われる。

 その時に白骨死体が出るというのも、実際にある話だ。

 それに何より……

 

「小公爵さま?」

 

 考え込んでいるアドリアンに、おずおずと声をかけたのはキャレだった。

 アドリアンはハッと我に返った。

 

「あ、ごめん」

「いえ。考え事をされているのに、邪魔をしてすみません」

「いや…いいんだ」

 

 言ってから、アドリアンはキャレに尋ねた。

 

「キャレ、さっきのオヅマの話だけど…おかしいと思わなかった?」

「え? あ…すみません。ちょっと内容がよく…私には…理解できなくて」

「いや、オヅマは帝都に行ったことなんかないはずなんだよ。それなのに、帝都のことをよく知ってるみたいに言ってなかったか?」

「それは……」

 

 キャレはオリーブグリーンの瞳を落ち着きなく動かし、必死で考えながら答えた。

 

「帝都に行ったことのある騎士などから、聞いたりしたのではないですか? 私も、帝都に行ったことはありませんが、水の都と呼ばれるところですし、あちこちに運河があるって、聞いてます。皇宮にも確か舟で行くことができるのだと聞いたことがあるのですが…」

「あぁ…うん」

 

 アドリアンは少しだけ落胆する。

 自分の違和感を共有する人は近侍の中にいないようだ。準備をして講義室に向かい、授業を受けながらも、まだアドリアンは考えていた。

 

 北宸宮(ほくしんきゅう) ―――― それは広大な皇宮の中にある、皇帝一家の住まう場所だ。

 ここは皇帝一家の完全に私的な領域で、皇宮の中でも、もっとも厳重に警備されている。それこそ宰相であろうとおいそれと入れる場所ではない。当然ながら、公爵家の騎士団の一騎士などが立ち入れるはずもない。

 皇帝陛下の覚えめでたいヴァルナルであっても、さすがにここに呼ばれたことはないだろう。あったとしても、北宸宮でのことは他言無用が不文律で、真面目なヴァルナルであれば、行ったことすら誰にも話さないはずだ。

 それに北宸宮という呼び方自体、あまり一般的に知られているものではないから、キャレが理解できなくても当然だ。きっと反応を見るに、マティアスとテリィも似たような感想だったのだろう。

 

 なのに、オヅマは確かに言った。

「北宸宮」と。

 当たり前のように。

 しかも…

 

 ――――― 北宸宮は魔除けの花(シファルデリ)で囲われて、プンプン甘い匂いが鼻につく…

 

 北宸宮の中は、皇帝の寝居である主宮、(きさき)たちの住まう後宮、皇太子の居住する皇太子宮がある。

 アドリアンは前に一度だけ、皇太子宮に行ったことがあった。

 まだ、(さき)の皇太子であったシェルヴェステル殿下が生きておられた頃だ。

 オヅマの言う通り、確かに宮殿の周囲には、シファルデリという花が甘ったるい匂いを漂わせていた。

 

 長く伸びた白の花蕊(かずい)、ヒラヒラとなよやかに風に揺れる純白の花びら。

『魔除け』というには儚げな印象の花だったが、一斉に咲くと夜には仄かに光るのだと言っていた。そのため、闇夜を守る光りの花として、魔物を退けると伝えられるようになったのだろう…と。

 アドリアンは後にも先にも、北宸宮でしかシファルデリを見たことがない。

 

 

 ――――― どうしてこのお花をいっぱい植えているのですか?

 

 

 アドリアンが尋ねると、皇太子殿下(シェルヴェステル)悪戯(いたずら)っぽく微笑みながら、小さな声で言った。

 

 

 ――――― 内緒だよ、アドリアン。北宸宮にはね、()()()()()()()()が大勢いらっしゃるんだ。いちいち相手しているのも大変だから、この花を渡してお帰りいただくんだよ……

 

 

 あのときは意味がわからなくて、そのままにしていた。

 今さっき、オヅマに言われたときに思い出し、同時にようやく理解したのだ。

 過去からのお客様 ――― それはつまり死んだ亡霊のことを指していたのではないか…?

 

 一つの疑問の解消は、新たな疑問を生じさせる。

 いったいどうして、オヅマはそんなことを知っているのだろう?

 

「…………」

 

 アドリアンは黙念と考え込み、教師からの問いかけも耳に入らなかった。

 

 





次回は2023.06.18.更新予定です。
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