昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百三十九話 会うことのなかった男

 ルミアの課す修行は日暮れまでで、その後に夕食を食べたあと、寝るまでの時間は自由だった。もっとも自由といっても、洗濯や身の回りの掃除などは自分でせねばならないし、ランプの油も節約せねばならないので、やれることは少ない。

 それでもオヅマはほぼ毎日、剣の素振りだけは欠かさなかった。これはもうレーゲンブルト時代から続けてきたことなので、雨であろうが雪であろうが、やらねば気持ち悪いのだ。

 

 その夜も素振りをしたあとに行水して汗を流し、屋根裏部屋のベッドに寝転がったオヅマに、珍しくハルカが近づいてきた。物言いたげに立っている。

 

「ん? なんだ?」

 

 起き上がると、ハルカは若草色の細長い包みを差し出してきた。

 

「あ……」

 

 それは、ここに来るときに、ヴァルナルがミーナから預かったと渡してきたものだ。

 昨晩、そろそろ夏物の服が必要かと思い、持ってきた荷物の整理をしたときに、(ふくろ)の底にあったそれを取り出して、そのまましまい忘れていたらしい。

 

「落ちてた」

「おぅ。すまねぇな」

 

 受け取ったものの、ハルカはじーっとその包みから目を離さない。

 

「なんだ?」

 

 オヅマが尋ねると、ハルカは首を傾げる。

 珍しく興味をもったようだ。普段、滅多と感情を表すことのないハルカの好奇心に、オヅマは少し嬉しくなった。

 

「中身、見るか?」

 

 言いながらハルカの返事を待つことなく、オヅマは包みを開く。

 そこにはやはり予想していた通り、笛があった。蔦の浮き彫りが施された象牙色の横笛(トラヴェルソ)

 

「…笛?」

 

 ハルカが小さな声で尋ねる。

 

「あぁ。母さんが持っとけって…無理やりな」

「母さん…? 形見?」

「違う違う! 生きてるよ。自分には必要ないから、俺に持っとけって」

 

 オヅマは言ってから、その笛を見つめた。また暗く、懐かしい気持ちがこみ上げる。

 黙り込んだオヅマに、ハルカが尋ねた。

 

「笛…吹ける? オヅマ」

「え? あ…うーん…どうだろうなぁ」

 

 オヅマは自信なさげにつぶやいたが、チラとハルカを見れば、その眼差しは期待に満ちあふれていた。普段は腫れぼったく細い目が、いつもの三倍は開いて『聴きたい、聴きたい』と訴えてくる。

 

 オヅマはポリポリと額を掻いた。

 ハルカがお願いすることなど、まずもってないので叶えてやりたいが、果たして()のときのように吹けるのだろうか…?

 

「家の中だと、婆さんが起きるかもしんねぇから、上に行こう」

 

 そう言ったのは、()の中でも屋根の上で吹いていたからかもしれない。

 ルミアの山小屋の屋根は、隣のロンタの木との間に板を渡してあって、ちょっとした露台が組まれている。そこは普段は主に洗濯物を干す場所だった。

 山の中の木々に囲まれた家とはいえ、見上げると無数の星が瞬いている。

 

「吹けなかったら、勘弁な」

 

 オヅマは一応、あらかじめ断っておいた。

 別に吹けなくても、ハルカがあからさまにガッカリするようなことはないだろうが、期待させている分、できない自分にオヅマ自身がガックリきそうだ。

 

 目を瞑って、思い出す。

 ()の中で無心に吹いていた自分を。

 両手で柔らかく笛を持ち、そっと唄口に唇を添わせる。

 

 軽く息を吹きかけると、懐かしい音が鳴った。

 オヅマは古い友達に久しぶりに会えたような気持ちになった。じんわりとした温かさに包まれる。

 ゆっくりと、最初はたどたどしく音を探りながらであったが、音色を奏でるほどに、もはやオヅマは自分で吹くというよりも、ただ指の動くまま、息の紡ぐままに任せた。

 

 笛を正式に習ったことはない。

 ()の中で、エラルドジェイと旅する途中で一緒になった旅芸人の楽士に、音の出し方を教わっただけだ。

 曲も、よく聞いていた子守唄しか吹けない。

 いつも同じ曲だったのに、飽きもせずに聞いていた ――― ()()()()

 

 不意に訪れた既知感に、オヅマは吹くのをやめる。

 どうしたのかと見つめるハルカと目が合った。

 

 

 ――――― 我が主君(きみ)……

 

 

 幻聴と同時に、眼下の森の一隅でガサガサと不自然な音がして、オヅマはビクリと肩を震わせた。

 

「なんだ…?」

 

 闇に包まれた森の中に目を凝らす。

 雲に覆われていた月が出てきて、木々の間に光を落とすと、白っぽい布のようなものがちらと見えた。それから地面に何か落ちたか、倒れたような音。

 

「人…」

 

 ハルカがつぶやく。

 オヅマは頷くと、笛をハルカに預けた。

 

「俺が見てくる。戻ってこなかったら、婆さんに知らせろ」

 

 オヅマは囁くように言ってから、屋根の上からヒョイと飛び降りた。

 布の見えた場所に向かって早足で、しかし音をたてぬように細心の注意を払って近づく。

 また月は雲に隠れたのか、辺りは暗かった。

 枯葉が堆積してできた柔らかい土の上を踏みしめていくと、樫の根本に何かの塊のような影が見えた。

 

 そっと近づくと、「う…」とかすかなうめき声が聞こえ、塊がもぞもぞと動く。

 どうやらそれは人で、起き上がろうとしているようだ。

 

 オヅマは足を止め、低く身構えた。

 いつも腰にかけているナイフの柄に手を伸ばす。

 

 しかし人影はどうにか身を起こしても、立ち上がることはできなかったらしい。そのまま樫の幹に凭れるようにして、仰向けに倒れ込んだ。

 

 オヅマは再びゆっくりと近づく。

 ゆっくり、ゆっくり……そうしてやがて、白い月光がまた射して、樫の木の根本に身を投げだした男の姿を見た途端、オヅマは息をのんだ。

 

「エラルドジェイ…?」

 

 呆然とつぶやく。

 

 まるで、あの()が繰り返されるかのように。

 薄汚れた衣服、すっかり解けた頭の巻布(ターバン)から伸びた紺の髪。手から転がった胡桃。

 

「……よぉ」

 

 小さく呼びかけられる。

 うっすらとエラルドジェイの夜空を宿したような濃紺の瞳が開いて、オヅマを見ていた。

 

「笛の音に惹かれて来てみたら……あのときの坊やか…」

 

 きれぎれに言って、フッと笑う。

 気が抜けたのか、グラリと体が(かし)いだ。

 

「エラルドジェイ!」

 

 オヅマは叫ぶと、あわてて駆け寄った。

 

 

***

 

 

 オヅマがエラルドジェイを引きずるようにして、どうにかルミアの家まで連れて行くと、既に異変を察していたルミアが家の前に立っていた。

 ハルカが走り寄ってきて、オヅマの反対側でエラルドジェイを支えて、助けてくれる。

 

「また、()ッたないのを連れてきたね」

 

 ルミアは腕を組んで言い放ち、眉を寄せたものの、オヅマに目配せして家の中に運ぶように指示する。

 オヅマはそのままエラルドジェイを家の中に運ぶと、部屋の隅にある診療用のベッドの上に寝かせた。

 

 ルミアはかつて傭兵であった時代の知識を活かして、たまに村人たちが怪我したり骨折したりしたときに、簡単な医療行為を行っている。食堂兼居間となってる部屋の隅には、患者を診察するときのために、簡易なベッドが置かれていた。

 

 ルミアはベリベリと容赦なくエラルドジェイの服を破き捨て、腕に仕込んであった四本爪の爪鎌(ダ・ルソー)も手早く取り外した。

 その間にもエラルドジェイの体を診察していく。いくつかの打撲、擦過傷、それに脇腹にはかなり深い刺し傷があった。

 既にそのときには、ハルカはきれいな水を汲みに泉に向かい、オヅマは(うみ)止めの薬を煎じ始めていた。

 

「……俺を助けないほうがいいかもしれんぜ」

 

 エラルドジェイがつぶやく。

 オヅマが助けてから、意識が戻ったかと思ったら、急に気を失ったりを繰り返していた。

 ルミアは皮肉げに言うエラルドジェイに、眉を寄せて尋ねた。

 

「なんでだい?」

「……ゴロツキどもが狙ってやがるのさ。探しているかもしれない…」

「私らの心配をしているのかい?」

「一応…ね…」

 

 エラルドジェイは言いながらまた気を失った。

 ルミアはあきれた溜息をつきながら、(さらし)布を破いていく。

 やがてハルカが水を(たらい)に入れて持ってくると、破いた布を水につけ、固く絞って汚れた傷口周りを拭いていく。ハルカも一緒に刺し傷でない部分の泥汚れなどを拭った。

 オヅマは煎じた膿止めの薬を木の椀に入れ冷ましている間に、戸棚から蒸留酒を持ってきてルミアに渡す。ルミアは受け取ると口に含み、プーッと刺し傷におもいきり吹きかけた。

 

「……ッ痛えッ!!」

 

 またエラルドジェイが目を覚ます。

 オヅマはすぐさまエラルドジェイの体を支え起こすと、ハルカに目配せしてテーブルの上の膿止め薬の入った椀を持ってこさせた。

 

「飲め」

 

 口元に椀を差し出すと、エラルドジェイはプイと顔をそむけた。

 

「ゲッ! やだよ、これ。マズイやつじゃん」

「グダグダ言ってんじゃねぇよ! 嫌なら怪我なんかすんな、馬鹿!」

「うわー、怪我人に容赦ないな…」

 

 いつまでも飲もうとしないエラルドジェイを、ルミアが静かに脅す。

 

「早く飲みな。それとも私が口移しで飲ませてやろうか?」

「………いただきます」

 

 おとなしく椀を受け取ると、エラルドジェイは一気に呷った。オゲー、といかにもまずそうに舌を出し、ぽろりと涙をこぼす。

 

「情けないな、これくらいで泣くなよ」

「だってマズイんだもん」

「ガキみたいなこと言うな」

 

 言っている間にも、ルミアが縫合するための準備をしているのを見て、オヅマはエラルドジェイを強引に寝かしつけ、両手を押さえつけた。ハルカは両足の上に覆いかぶさって、全身で押さえつける。

 

「えっ? なにっ? なにすんのっ?」

「縫うんだよ」

 

 江鮫(かわざめ)*1の髭から作ったという特殊な糸を針に通しながら、ルミアがあっさりと言う。

 

「えぇっ? そんな、せめてルトゥくらい吸わせて」

「馬鹿お言い! 子供がいるのに、()ませられるかい!!」

 

 ルトゥは麻薬入りの煙草だ。確か()の中でも言っていたのを思い出す。

 

 

 ――――― 俺、普段からルトゥ吸ってっから、そんなに痛みとか感じないんだ…

 

 

「普段から服んでたら、そんなに痛みとか感じないはずだろ。大袈裟に痛がるなよ」

 

 オヅマが言うと、エラルドジェイはキョトンとした顔になり、ルミアはフンと鼻をならした。

 

「この若造が。そんなもん常用すんじゃないよ」

「いや…そうだけど…そうだけどさぁ……痛ァーーッッ」

 

 容赦なく、いや些か懲らしめるためもあったのだろうか、いつもよりも念入りにじっくりと、ルミアはエラルドジェイの脇腹の傷を縫合していった。

 

 

***

 

 

 縫合のあと、ルミアは早々に寝床に戻った。

 

「あとは任せたよ」

 

 オヅマは頷き、手伝おうとするハルカにも寝るように言った。

 

「あとは俺がやっておくから。お前は先に寝て、明日俺が寝坊しそうだったら、起こしてくれ」

 

 ハルカは不服そうであったが、結局オヅマの言う通りにした。

 実際のところ、オヅマはさっきからハルカの瞼が下がりそうになるのを見ていた。早寝早起きのハルカには、相当に夜更かしな時間帯だ。

 

 新たな晒で脇腹も含めて胴体をグルグル巻きにすると、エラルドジェイは自らの姿を見て肩をすくめた。

 

「なんだか、これって、木乃伊(ミイラ)ってやつみたいだな」

「フザける元気があるなら大丈夫だな」

 

 言いながら、オヅマは一つを残してランプを消していく。さっきまでは手当てのために、あるだけのランプをつけていたが、もう必要ないだろう。

 

 汚れた服や晒などを片付けていると、エラルドジェイが声をかけてきた。

 

「なぁ、お前さ。なんで俺を助けるんだ?」

 

 オヅマは一瞬、ピタリと動きを止めてから、なんてことないように言う。

 

「怪我人は放っておけないだろ」

「今回だけのことじゃないぜ。前もだ」

「あのときは……」

「俺を逃がしたじゃないか、あのとき。正直、あそこから逃げても、とっ捕まると思ってたんだ。でもお前、俺のこと言わなかったろ? 騎士団の奴ら、俺を見ても素通りだったからな」

 

 オヅマは黙り込んだ。

 エラルドジェイとの対決のあと、ダニエルの首を斬ったあたりのことは、その後の悪夢も含めて思い出したくない。

 

「まぁ、俺はいいんだけどさ。どっちにしろ命拾いできたから」

 

 エラルドジェイは答えないオヅマを深く追求してはこなかった。

 こういうところも、変わってないな…と、オヅマは懐かしい気持ちになった。

 

「それで? あんたはどうしたんだ、その傷」

 

 反対に尋ねると、エラルドジェイは気まずそうに目を逸らす。

 

「また誰かに追われてるのか?」

「また?」

 

 耳聡く聞きつけて、エラルドジェイが問い返すのを、オヅマは適当にいなした。

 

「あんたのことだから、そんなのかと思ったんだよ」

「まぁ、間違いじゃあないけどな」

「いったい誰にやられたんだ? あんたがこんな一方的にやられるはずないだろ」 

「おっ。さすがに一度はやりあっただけあって、俺の実力はお見通しってか」

「フザけるな。ここらのゴロツキや山賊程度に、あんたがこんなになるまでやられるわけない。それこそ人質でもとられない限り…」

 

 オヅマがそう言うのは、また()でのことを思い出したからだ。

 エラルドジェイと共に旅している途中で、マリーとオヅマ二人を人質にとられて、エラルドジェイがそれこそゴロツキどもから散々に痛めつけられたことがあった。このときはオヅマが拘束の縄を切ったことで、反撃の端緒となり、その場にいた全員がエラルドジェイに完膚なきまでに叩きのめされた。

 

「いやー、お恥ずかしい」

 

 エラルドジェイはとぼけたように言って頭を掻く。

 

「昔の知り合いが人質になっちまって、こりゃあ仕方ないかと思ってたら…これが見事に騙されちまって」

「は?」

「いやー。油断油断」

 

 やけにニコニコと笑うエラルドジェイを見て、オヅマはそれ以上は言っても無駄だと諦めた。

 

「もう寝ろよ。心配しなくても、ここは大丈夫さ。ここいらの奴で、師匠に手を出す馬鹿はいない」

「師匠? もしかしてさっきの婆さん?」

「あぁ。あの人は稀能(きのう)を扱えるんだ。そうじゃなくとも、元は戦士だからな。まともにやって勝てる相手なんて、そうはいない」

「へぇ。稀能の戦士なんて、下手な三文小説にしか出てこないもんだと思ってたけど…あ、そういやヴァルナル・クランツがそうだったっけ? え? お前、もしかして修行中? ご領主様に行ってこーい、って送り出されたの?」

「……そうだよ。ホラ、あんた…熱出てきてるんだろ? ったく、具合が悪くなってくると、やたら喋りだすんだからな。寝ろって」

 

 オヅマは無理やり寝かせてから、手持ち無沙汰そうに指を動かしているエラルドジェイに気付く。

 

「明日、胡桃(くるみ)とってきてやるよ。あの樫の木あたりに落ちてるだろ…」

 

 何気なく言うと、エラルドジェイは怪訝な顔になった。

 

「お前……なんで知ってる?」

「え?」

「俺が胡桃で遊ぶの。なんでそんなことまで知ってるんだ?」

 

 またオヅマが返事に窮すると、このことばかりはさすがにエラルドジェイも無視できなかったらしい。

 

「俺、お前とどっかで会ったことあったっけ? あの倉庫で会ったよりも前にさ」

「さぁ…あるのかもな」

 

 オヅマは答えながら、自分でも()と現実が混ざり合って、記憶としておかしな状態だった。

 

 オヅマにとって、エラルドジェイは懐かしい人だった。

 今こうして話せるだけでも、嬉しくてたまらなかった。

 けれど、今のエラルドジェイは一緒に帝都まで旅したことなどない。なんであれば最初の出会いは、()だったのだ。

 

 自分だけに、あまりに鮮明で思い入れの強い()の記憶があることが、オヅマにはもどかしくて、寂しかった。

 ()()エラルドジェイと()()()()()()()()()()自分。

 けれど、()()エラルドジェイに出会うために、むざむざ母を悲惨な死に追いやることなど論外だ。

 コスタスは水路に落ちて死んだ。それがもっとも()()()(コスタス)の死に方だ。 

 

「くそ……ちゃんと聞きたいってのに……眠い」

 

 エラルドジェイはぶつぶつ文句を言いながら、瞼が下りていくのを止められないようだった。

 ルミアに言われて焚いておいた安眠香が効いてきたらしい。

 オヅマが立ち去ろうとすると、はっしと腕を掴み、必死に眠気と戦いながら尋ねてくる。

 

「お前……名前…は…?」

「オヅマだよ」

「オヅマ……オヅマ……誰だっけ……?」

 

 むにゃむにゃと寝言のようにつぶやきながら、とうとうエラルドジェイの瞼が落ちた。

 

「おやすみ」

 

 オヅマはクスリと笑って、ランプを消した。

 

 

*1
*東部の川に生息する鮫の一種





次回は2023.07.23.更新予定です。
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