昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百四十話 流れ者たち

 次の日になって、オヅマとハルカが朝の走練を終えて帰ってきても、エラルドジェイは寝ていた。

 

「別に問題はないさ。おそらくこの数日、まともに寝てなかったんだろう。目の下にクマができていたしね」

 

 ルミアの言う通り、ぐっすり眠っていて呼吸は穏やかだった。

 オヅマはひとまず胸をなでおろすと、豆猿たちの稽古の前にエラルドジェイを見つけた森の方へと入っていった。

 昨日約束していた胡桃(くるみ)を探すため、(かし)の木の周辺をキョロキョロと見回す。

 

「なにを探しているの?」

 

 女の声に振り返ると、そこにはやや茶味がかった金髪の、化粧の濃い女が立っていた。やたらと胸を強調したような肉感的で、派手な色合いの服を着ていることからしても、村人の類でないことは知れた。山賊の首領が囲っている女か何かだろうか。

 

「フン。坊やがジロジロと見ることねぇ」

 

 薄茶の瞳を細め、婀娜(あだ)っぽい口調で言う女を、オヅマは半ば軽蔑の眼差しで見て、無視した。早く稽古に戻りたかったし、そのためにはさっさとエラルドジェイの胡桃を見つけてやらねばならない。

 

 何も見ず、何も聞こえていなかったように無視するオヅマに、女はギリッと奥歯を噛み締めた。

 

「坊やが探しているのは、コレじゃないの?」

 

 凝りもせずにまた声をかけてくる。

 オヅマは鬱陶しそうに振り返って、女の手の中に胡桃を見つけた。

 

「あっ、それ」

 

 言いながら手を伸ばすと、女は胡桃を握りしめて自分の胸元に引き寄せる。

 ニィと紅い唇が吊り上がった。

 

「やっぱりね」

 

 オヅマは女のつぶやきを怪訝に思いながら、怒鳴りつけた。

 

「オイ! それ返せよ!!」

「あら、どうして?」

「欲しがってるやつがいるんだ」

「あら、そう」

 

 女はますます楽しげに笑って、オヅマに問いかけた。

 

「誰が、欲しがってるの?」

 

 その悪意を滲ませた微笑みに、オヅマは直感する。

 

「…………お前か?」

 

 問いかけながら、ほぼ確信していた。

 エラルドジェイのあの傷。 

 

 

 ――――― 昔の知り合いが人質になっちまって……

 

 

 たとえ人質がいて、殴られるようなことがあったとしても、あの脇腹の傷はそう簡単に負わせられるものではない。

 

 

 ――――― 見事に騙されちまって…

 

 

 それこそ、騙し討ちにでもあわない限り。

 

「お前だな? ……ジェイを刺したの」

 

 女は一気に様相の変化したオヅマに、やや後ずさる。しかし口元には皮肉げな笑みをどうにか浮かべた。

 

「ふ…ふ……あの男、やっぱり死んでないのね。アンタが助けたの?」

「答える必要があるか?」

 

 低く答えながら、オヅマは女を睨みつけて一歩、近づく。

 女はまた一歩、あとずさった。

 

「ちょ…っと、待ちなさいよ。アンタに関係ないでしょ?」

 

 薄茶の瞳は焦りの色を浮かべながら、必死でオヅマを睨みつける。

 しかしオヅマは冷然と女を見て言った。

 

「助けた以上、関係ないとは言えない」

「やさしいこと! でも、無駄よ。あんな男に」

「あんな男?」

「ヤツは冷酷な男よ。悪魔よ。お菓子でも貰って、使いっ走りにでもされた? 人当たりは良くても、アイツは最低の男よ。騙されてるのよ、アンタ」

 

 早口に悪口雑言を並べ立てる女を、オヅマはしげしげと見つめたあとに、ハァーッと溜息をついた。

 髪を掻き上げて、ポリポリと額を掻きながら、あきれたように言う。

 

「なんだよ…あんた、ジェイに捨てられて、逆恨みしてんの?」

「なっ! 誰がッ!!」

 

 女は途端に真っ赤になった。「ふざけんじゃないわ!」と、持っていた胡桃を投げつけてくる。

 頭と胸、別々の方向に飛んだ二つの胡桃を、オヅマは難なく掴み取った。

 

「たいがい女の人って、言い当てられたら真っ赤になって怒り出すって聞いてるよ」

「アイツが言ったの!?」

「いや。…悪い大人から」

 

 このとき、オヅマの脳裡にいたのはルーカス・ベントソンだったが、当然ながら女はそんなことは知らない。

 

「子供に何を話してるのかしら! あの馬鹿!!」

 

 すっかり勘違いして怒り狂う女を、オヅマは白けた目で見ていた。

 本当にこんな間抜けな女にエラルドジェイがやられたのか? と、信じられなくなってくる。今、ここに来ているのも、刺したはいいが、やっぱり気になって探していたのだろう。

 

「お姉さん、ジェイに会いたいの?」

「そんなわけないでしょ!」

 

 反射的に言ってから、女はハッとした顔になって唇を噛み締める。

 しばらく黙りこくっていたが、オヅマを暗い目で()め上げながら、ボソリと言った。

 

「あの男は…人殺しよ」

 

 オヅマは無表情に聞いていた。

 そんなこと、とうの昔に知っている。

 

 エラルドジェイは闇ギルドの人間だ。

 脅迫でも、窃盗でも、それこそ誘拐、殺人ですらも、金で請け負うような商売をしている。

 だからといって、エラルドジェイを責めても問題は解決しない。

 雇う側の人間がいる限り、エラルドジェイがいなくなっても、別の誰かがエラルドジェイの稼業を引き受けるだけだ。

 

「病気の子供だって……平気で殺すようなヒトデナシよ!」

 

 女は叫んだ。

 悲痛な声が森の中に響く。

 

 オヅマはしばらく黙っていたが、やがて冷たく言い放った。

 

「それがどうした。俺だって人を殺した」

 

 どんよりと曇ったオヅマの瞳は、感情を失くしていた。

 女は呆気にとられたように立ち尽くす。

 

 オヅマはゴクリと、苦い記憶と一緒に唾を飲み下した。

 

 あの日。

 倉庫の中で首を斬った男。

 たとえマリーを助けるためだと言い訳しても、あのとき(じか)に触れて断ち斬った命を、無視することはできない。

 それは()であっても同じだ。

 ()の中で、無造作に殺されていった子供たち。

 オヅマ自身が手を下した者も、そうでない者も、彼らの死はオヅマによってもたらされた。

 (なまぐさ)い血の匂い、死の慟哭(どうこく)、喪われた魂の重さ。

 すべてが生々しい。

 

「あの男に…命令されたの?」

「違う! ジェイがそんなことさせるはずないだろ!!」

 

 オヅマは即座に反論してから、もう一度女を観察した。

 

 最初見たときには、娼婦崩れか何かかと思ったのだが、やたらと厚ぼったく似合ってない化粧といい、パサパサの油っけのない髪といい、どこか素人臭い。

 

 今はどうだか知らないが、きっとこの女は()()()な世界で、()()()に生きてきたのだろう。そこで暮らす人間は善良で、秩序正しく、優しく生きられる。

 それは間違ってない。

 きっとそれが世の中の正しい有り(よう)だ。

 そうした日常こそが、『()()()()()()()()()()()

 

 だけど ―――

 

 オヅマは受け取った胡桃を、エラルドジェイのようにゴリゴリと手の中で擦り合わせながら、女に言った。

 

「あいつはお姉さんと違って、命の値段が安い場所で生きてきた。人を殺す分、自分の命もすり減って軽くなる。理解できないだろうけど……そういう人間は、存在()るんだよ」

「………」

 

 女はまじまじとオヅマを見つめていた。

 白粉(おしろい)の浮いた顔に困惑を滲ませながら、震える声でつぶやく。

 

「なによ……私だって…私だって……殺すんだから…アイツを……殺すんだから」

 

 オヅマの薄紫の瞳はまた、スウッと表情を失くした。

 

「そう」

 

 一言いってから、ゆらりと動く。

 次の瞬間にはいつの間にか取り出していた小さなナイフを、女の首に触れるか触れないかでピタリと構えていた。

 

 女はオヅマが一瞬で自分の近くに来ていたことに驚き、次には首に冷たいナイフの刃を感じて、ヒッと息を呑んだまま微動だに出来なかった。

 

「お姉さんがどうしようが勝手だけど、俺の目の前でジェイを殺すなら、俺がためらうことはない。今、ここで殺さないのは、ジェイがあんたを()()()()()からだ。あの男が本気で報復するなら、あの程度の傷で逃げるわけがないんだからな」

 

 また低い声で言ってから、オヅマはゆっくりと後ろにさがった。そのときにはもうナイフは手の中にない。

 

「命拾いしたのがどっちなのか、わかっておいた方がいいよ」

 

 女は無表情に話すオヅマを、蒼ざめた顔で見つめた。

 よろけるように後ずさって、地面から突き出した木の根に足をとられて転ぶ。そのままあわてて立ち上がると、ガクガク震える足で、森の中を逃げていった。

 

「おい」

 

 オヅマが呼びかけると、ガサリとわざとらしく草を揺らす音がして、のんびりとした声が響いた。

 

「やれやれ…おっかないガキだなぁ」

 

 オヅマは軽く溜息をついてから、持っていた胡桃をエラルドジェイに投げた。

 

「見てたんなら、出てこいよ」

「いやぁ。また刺されても嫌だし」

 

 まったくもって緊張感のないエラルドジェイに、オヅマは腹が立った。

 なんだって、あんな女に付け狙われるようなことをしたんだろうか。

 ()では、エラルドジェイのつき合う女といえば、たいがい娼妓(しょうぎ)の類だったはずなのに。

 

「フン。言ってろ、色男」

「色男!? 俺が?」

「女に追っかけ回されるようなのを色男って言うんだろ?」

「誰だよ、そんなの言ったの?」

「悪い大人だよ」

 

 当然ながら、これもまたルーカス・ベントソンの言語録に()る。 

 

 エラルドジェイは頭をかかえて深い溜息をついてから、気を取り直したように顔を上げるとニカッと笑った。

 

「ま、どうせお前もそのうち色男になるんだろうよ」

「言ってろ、馬鹿。くだらねぇ」

 

 オヅマは言い捨てると、足早にルミアの家へと戻っていった。

 

 

 

***

 

 

 

 ルミアはエラルドジェイの引き締まった体にある無数の傷痕や、爪鎌(ダ・ルソー)という特殊な武器を見たときから、堅気の人間ではないとわかっていたようだ。

 家に戻ってきて、早々に去ろうとするエラルドジェイに言った。

 

「あんたが闇稼業の人間だってことくらい、最初からわかっていたよ。そのくらいのことで、この私がビビるとでも思ってんのかい?」

 

 エラルドジェイはルミアの迫力に肩をすくめた。

 

「いやいや。さすがは稀能(キノウ)の戦士でいらっしゃることだ。でも、俺のせいで厄介事に巻き込まれるのも面倒だろう?」

「寝入りばなを起こされて、傷を縫わされた時点で、十分に厄介で面倒だったよ」

「そいつは申し訳ない。でも」

「命を助けてもらった礼は?」

 

 ルミアはエラルドジェイの言葉を遮って、ズイと顔を寄せて迫る。

 エラルドジェイは背を反らせながら、笑みを浮かべた。

 

「いやぁ~、いずれそのうちに…あ、金なら」

「あいにくと、金には困ってないね。今のところ」

「そう言わずに。金で解決ってのが、お互い気楽じゃありませんか、婆様」

「私は必要とする以上には持たないことにしているのさ。金でも物でも」

 

 にべないルミアに、エラルドジェイは笑ったまま、話の接ぎ穂を失って目を泳がせる。

 オヅマと目が合うと、助けを求めた。

 

「オヅマ~、お前見たろ? な?」

 

 情けない声で言ってくるエラルドジェイを冷たく見たあとで、オヅマはルミアに言った。

 

「こいつ、女に追い回されてます」

「違う違うッ! そうじゃないッ! そうじゃないだろッ」

 

 あわてるエラルドジェイをルミアはあきれたように見て、煙管(キセル)を咥えた。

 

「なんだい、そういうことかい。ってことは、その腹の傷も女にやられたんだね。あえて刺されてやったのかい?」

「いやいや、まさか。そこまで俺もお人好しじゃないし」

「フン。どうだかね」

 

 フワーっと煙を吐いて、灰捨てにポトリと煙草の灰を落とすと、ルミアは立ち上がった。

 

「いずれにしろ、まだ傷口だってまともに閉じちゃいないってのに、放り出すようなことはできないさ。それと恩はなるべく早く返してもらわないと、私も年なんでね」

「だから金は…」

「金よりも、アンタには傷が治ったらやってもらいたいことがある。それまでは、ここで養生しな」

 

 それ以上は聞く耳を持たないとばかりに、ルミアは家から出ていってしまった。村に用事があるらしい。 

 

「あぁ~行っちゃった。もー、どうすんだよ。またカトリが男共連れてきたら」

 

 エラルドジェイはガシガシ頭を掻いて、ハーッとうなだれた。

 オヅマは何気なく言った名前を聞き逃さない。

 

「あの女、カトリって言うんだ」

「へ? あれ…言ってた?」

「あんたたまに、抜けてるんだよな。ま、師匠がああ言ってるんだから、おとなしく養生してろ」

 

 自分よりも年下の少年になだめられ、エラルドジェイはむず痒そうな顔になったが、結局留まった。

 要因はいくつかあったが、最終的にこの家の居心地がいいというのが、最大の理由であった。

 しかしその選択をした自分に、エラルドジェイは後に嘆息して反省することになる。

 

 

 

***

 

 

 

 夜。

 草木も眠ろうかという時間に、ザワザワと森の中から現れたのは、帝都での縄張り抗争に負け、流れに流れて東の村にまでやって来た無法者たちの一団だった。―――――

 

 

 

 

 彼らは逃亡している途中で、偶然に金回りのいい女と出会い、彼女と契約して、ある男を探すことになった。

 昔からの伝手や、女の資金を使って裏社会の情報網からようやく男を見つけ出すことができたのだが、頼んできた女はその男をすぐに殺さなかった。

 

「痛めつけるだけ痛めつけて、十分に後悔させてやるのよ。殺すのは、それから」

 

 無法者たちの首領であるボフミルは、女の言葉に首を傾げたが、ひとまずは言う通りにした。

 その女を襲ったフリをして男を誘い込むと、彼女を人質(もちろんこれもフリだ)にして散々に痛めつけた。女の迫真の演技に、男も騙されたようだ。黙ってされるがままにされていたが、一瞬の隙をついて、ボフミルの部下の一人をたちまちのうちに倒してしまった。

 すっかり泡を食ったボフミルたちが慌て惑う間に、男は彼女を連れて逃げようとした。

 ボフミルは仲間を失った上、金づるの女まで奪われてはたまらないと追いかけたが、男は唐突に止まった。

 

「……カトリ」

 

 男が女の名前を呼ぶと、カトリと呼ばれた女は、血のついた短剣を持ったまま、ヨロヨロと後ずさった。

 脇腹を押さえる男の指の間から、血が流れていた。

 

「やったのか?」

 

 ボフミルが呆然として尋ねると、カトリはコクリと頷く。

 カトリも信じられないように、自分の手にあった短刀をまじまじと見つめたあとに、急に「ヒッ!」と声を上げて、短刀を落とした。

 

 ボフミルは眉を寄せた。内心で嘆息する。

 やはりこの女は無理だったのだ、と。

 本気で殺す気などない。殺すなんてことはできない女なのだ。

 

 刺された男もそれをわかっていたのだろう。

 かすかに笑い、ホゥと息を吐ききったあとに、恐ろしいほどの速さでその場から走り去った。

 

「追いかけて! 早く!」

 

 女に言われて追いかけたものの、ボフミルは追いつくとも思えなかったし、正直これ以上、男とカトリを会わせたくもなかった。

 

 地元民たちが弓の森と呼ぶ、さほど広くもない山へと逃れたことはわかったが、夜の森を探索するのは、十分に手入れの行き届いた里山であっても危険だった。狼や熊に襲われて死ぬ杣人(そまびと)は毎年いるのだ。

 実のところボフミルの父もまた木樵(きこり)だったが、腹をすかせた狼に襲われて片腕を食われて以降、まともに仕事もできなくなって、酒浸りになった挙句にボフミルを人買いに売ったのだった。

 

 戻ってきたボフミルから、男が森に(のが)れたことを知ったカトリは、おそらく朝のうちから見て回ったのだろう。

 帰ってきて、男がいる場所を見つけたと言ってきたが、その顔は青かった。

 

「わかった。じゃあ、俺らでやる」

 

 ボフミルが言うと、カトリは逡巡していた。

 

「でも、誰かがあの男に殺されるようなことがあったら…」

「馬鹿にすんじゃねぇ。そんなひ弱な野郎どもじゃねぇよ」

 

 ボフミルは怒ったように言って、カトリには来ないように強く言って聞かせた。

 来られても、男に対してまだ複雑な感情を残したままでは、かえって急場で変心するかもしれない。

 あの男は見たところ、闇稼業を生きてきた人間だ。殺す気迫で来た人間に対して、容赦しないだろう。命を賭けてやりあうときに、迷いを残した人間が中途半端に出てきては、かえって邪魔になる。

 

 ボフミルは手下に、カトリの言っていた森の中の家を探らせた。

 男の姿は見えなかったが、どうやら老婆が孫二人と暮らしているらしい。 

 

「男の子は、只者じゃないわ。恐ろしい子供よ」

 

 カトリが口出ししてきたが、ボフミルはわずらわしくなって無視した。

 

 食料を買うついでに村でさりげなく聞いてみれば、森の中の一軒家で老婆とその孫娘が住んでいるという。

 その老婆はかつて戦士であったようで、貴族家の騎士などが修行に訪れる師匠(マスター)クラスの古強者らしい。

 ただ、ここ数年は、昔戦場で痛めた足が悪くなって引きずり歩くようになり、そのうえ最近では持病の腰痛に悩まされて、不自由することが多くなってきたという。

 

「それで、ずっと世話になってきたグレヴィリウス公爵家が、下僕を送ってきて面倒を見てやってるんだとよ」

 

 その話を聞いて、ボフミルは眉を寄せた。貴族に関係する人間がいる、というのは、少しばかり想定外だ。

 

「どうします? 親分」

 

 手下が尋ねると、ボフミルは軽く溜息をついて言った。

 

「仕方ねぇ。坊やにゃ、運が悪かったと思ってもらうしかねぇさ」

 

 村に一軒しかない酒場の亭主はおしゃべりで、聞いてもいないのに、老婆が昨晩、森で行き倒れになっていた男を救助したのだということまで教えてくれた。重傷を負って、寝込んでいるらしい。

 

 ボフミルは酒場を出て、ニヤリと笑った。

 カトリが与えた傷は、思ったよりも深傷(ふかで)だったようだ。それなのに走って逃げたから、相当に出血したのだろう。

 

「ヤツが動けないんなら、大したことないさ」

 

 余裕綽々としてボフミルは言ったが、彼は偽の情報を掴まされたということに気づいていなかった。

 

 

 

 そうして ――――― 夜。

 ボフミルたちは行動を開始した。

 

 

 

***

 

 

 家人たちが深く眠りについたと思われる頃合いで、ボフミルたちは森から姿を現した。

 

 数人が家を囲うように松の枝葉を並べ置くと、持ってきた松明(たいまつ)で火をつける。火そのものよりも、黒い煙があっという間に家を包み込んだ。

 

 バン、と扉が開いて子供が出てくる。

 扉の前はわざと空けておいたので、子供は躊躇することなく走ってくる。ゲホゲホと咳しながら出てきた子供を、手下の一人がさっさと捕えて後手に縄で縛った。

 続いて出てきた老婆は、捕えられた子供を見て叫んだ。

 

「ハルカ! おぉ、なんということ!!」

 

 すっかり気が動転した老婆を、また別の手下があっさり捕え、同じように縄で手を縛り上げる。元戦士の古強者といえど、孫娘の一大事には骨抜きになってしまうものらしい。噂通り足も引きずっており、もはや歴戦の勇士も昔日の栄光だ。

 

 ボフミルはあきれたように笑った。

 

「すまないねぇ、婆さん。俺らもアンタたちをどうこうしようとは思わない。アンタが昨日、助けたとかいう男に用があってね」

「おぉ…お助けを」

 

 老婆は震えて言って、頭を下げる。

 ボフミルは満足そうに頷いた。

 

「そのまま黙ってじっとしときな。悪いようにはしねぇよ」

 

 ボフミルは口を布で覆ってから、手下一人と一緒に家の中へと入った。

 暗がりの中、目を凝らすと、簡素なベッドの上で寝ているらしい人の姿が見て取れる。ボフミルがベッドに近づいて、覆っていた毛布をガバリと取り除けると、果たしてあの男が眠っていた。

 

「寿命が一日伸びただけだったな」

 

 ボフミルは悪党らしい薄笑いを浮かべ、男を刺そうとナイフを掲げる。

 そのとき、男の目がカッと開いた。

 紺の瞳が、窓辺から差し込む火の明かりを宿して、ボフミルを凝視する。

 やがてニヤリと笑った。

 

「……そのとおりだ」

 

 男はつぶやくなり、目にも留まらぬ速さで起き上がり、ボフミルの首に刃を当てていた。

 

「親分!」

 

 一緒に来ていた手下が叫ぶと同時に、もんどりうって倒れた。

 驚くボフミルと対照的に、男は微動だにしない。首の皮一枚分だけ刃をあてた状態で止めて、じいっとボフミルを窺っていた。

 

「殺さないのか?」

 

 ボフミルの背後から尋ねる声は、若かった。

 

「ふむ……どうするかな」

 

 刃をボフミルの首にあてたまま、男は考え込む。

 しかし待てなかったのか、また若い声が軽く咳き込んで言った。

 

「とりあえず外に出ようぜ。煙臭くて」

「うん。そうしようか」

 

 男はボフミルの首をちょんちょんと優しく叩き、扉の方へと促す。怖々と向きを変えたボフミルの前を、背の高い少年が手下を片手で引きずっていた。チラとこちらを見た瞳は、裏の世界である程度の時間を過ごしてきたボフミルをして、戦慄させるほどに冷たかった。

 

 外に出ると、いつの間にか火は消されて、老婆と孫娘を捕えていた手下は二人とも地面に突っ伏して倒れていた。

 

「遅いよ、二人とも」

 

 不満気な老婆の台詞に、ボフミルは自分が嵌められたことをようやく悟った。

 





次回は2023.07.30.更新予定です。
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