昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百四十三話 グレヴィリウス家の夜会(1)

 帝都のグレヴィリウス公爵邸で催された年末の夜会は、家門の一族と家臣団だけの内輪のみというものであったが、その規模は周辺で行われていた諸々の貴族家の(パーティー)を圧倒していた。

 帝都のあちこちから公爵邸に向かった馬車の列、あるいは運河を渡ってくる舟も列をなし、訳知り顔の帝都っ子たちは「またグレヴィリウスの大行列か」と噂した。毎年のことで、もはや名物になっているのだ。

 

 一方、公爵邸内においては、公爵が姿を現して挨拶をするまでのひととき、多くの者達がワイン片手に雑談に興じた。

 一年ぶりに再会した旧友との会話を楽しむ者、帝都での今旬の流行について話し合う者、どこの誰から聞いたのかもわからぬ噂話をまことしやかに囁く者。

 集まった者はそれぞれに夜会の雰囲気に酔いしれる。

 

 アドリアンもまた父である公爵が姿を見せるまで、いつものように壁際のすみっこで、おとなしくライム水を飲みながら待つだけのつもりだったのだが、今年は勝手が違った。

 アドリアンを目ざとく見つけた一人が挨拶を始めると、次から次へとやって来る。

 

「お初にお目にかかります、小公爵様。私は…」

「初めまして、小公爵様。一段と大きくなられましたわね…」

 

 怪訝に思いつつも、アドリアンは一応、形式通りの挨拶を返した。

 彼らも公爵に嫌われていると噂される小公爵と、心底から仲良くなりたいわけではないのだろう。長話することもなく早々に立ち去っていく。

 個別には短い時間であったが、何十人と相手せねばならないアドリアンには苦痛でしかなかった。

 一旦、途切れたときに溜息が出る。

 

「なかなか大変なご様子ですね」

 

 聞き慣れた声に、アドリアンはホッとして振り返った。

 

「あぁ、ヴァルナル…」

「まだ宴も始まっておらぬうちから、疲れたような顔をなさっておいでだ。近侍たちはどうしました? 彼らに適当にあしらってもらえばよろしいでしょうに」

「ずっと家族と離れ離れに暮らしていたから、今日くらいは一緒に過ごしてもらおうと思って……でも確かに、マティには残っておいてもらえばよかったな。彼だったら、うまくさばいてくれたろうから」

「ほぅ。優秀なご令息がおられるようですな」

 

 ヴァルナルは感心したように言って、安堵の息をもらす。

 オヅマ以外にも、アドリアンを補佐する少年がいてくれるのは心強い。やはり同世代の繋がりというのは、大人相手とはまた違った経験を与えてくれるものだ。

 

 ヴァルナルの朗らかな声と眼差しに、アドリアンはようやく力を抜いて、ウーンと伸びをした。

 

「去年までは、こんなに声をかけられることもなかったっていうのに、今年は皆どうしたんだろう? やけに挨拶してくる」

「それはこの一年ほどで、随分と小公爵様が成長なさったからですよ。近侍もつくようになって、半分大人(シャイクレード)として、彼らも認めざるをえないのでしょう」

 

 アドリアンはヴァルナルの言葉に軽く肩をすくめた。

 貴族はそんな曖昧な理由で動きはしない。しかしヴァルナルに貴族(かれら)の思惑について訊いても、おそらくわからないだろう。

 

「どうかなぁ…」

 

 首をかしげるアドリアンに、ヴァルナルはニヤリと笑った。

 

「そのように気弱なことを申されて…噂はお聞きしておりますよ、弓試合のことなど」

「あれはオヅマとエーリクが頑張ったんだよ」

「ご謙遜ですな。小公爵様も見事、(まと)に射られたと聞いております。ヨエル卿が珍しく褒めそやしておられました。私など、いまだに彼には指導を受けるくらいなのに…」

 

 ヴァルナルの称賛が面映ゆくて、アドリアンはあわてて話を変えた。

 

「そういえばオヅマから手紙が来たんだ」

「ほぅ! それは珍しい。私どもには、とんと送ってきません。一度だけもらったのも、たったの二行でして」

「あぁ…」

 

 アドリアンが苦く笑うと、ヴァルナルが「まさか…」とつぶやく。

 

「そう。時候の挨拶とサインを除いて二行だよ。なんでも、帰ったら僕に稀能(きのう)を教えてくれるらしいよ」

「ハハハ。まぁ、きちんと学んでいるのであれば、何よりです」

 

 少しばかり嬉しそうなヴァルナルに、アドリアンは不満げに口をとがらせた。

 

「僕は焦ってるんだよ、ヴァルナル。剣術においてはオヅマと同等でいたかったのに、これでもう確実に追い越されちゃった…」

「オヅマは小公爵様をお守りするのが役目ですから、同等であっても困るのですが…しかし、そうおっしゃるのであれば、少しばかりお教えしましょうか?」

「えっ? できるの?」

「『確実にできる』とは、申せません。しかし精神集中を行うための呼吸法などは、伝授できます。あくまで伝えるだけで、何度も稽古して身につけられるかは、小公爵様の素養と努力によります」

 

 言いながらも、ヴァルナルは難しいだろうと思っていた。

 この先、小公爵であるアドリアンには公爵家後継者として、今まで以上に多く、細かい教育がなされていくだろう。騎士らとの剣術や馬術の訓練は続くとしても、そこに稀能を修得するための稽古の時間などとれようはずもない。

 まして再来年には最高学府であるキエル=ヤーヴェ研究学術府(通称:帝都アカデミー)に入学する予定なのだから、その勉強でますます忙しくなるに違いない。

 

 だが、あえてヴァルナルが教えると言ったのは、アドリアンにも目標を持ってもらいたかったからだ。勉強でも訓練でも、当たり前のように与えられた課題をこなすのではなく、自らの意志で選択したものを学び、身につけることの喜びを味わってほしい。

 呼吸による精神集中は稀能に限らず、種々のことで役に立つ。アドリアンであれば、応用させることはできるだろう。

 

「ぜひ、頼む!」

 

 アドリアンは嬉しくて、少しばかり声が大きくなった。周囲にいた数人が、振り返る。眉をひそめる者もいたが、アドリアンは見ていなかった。

 

「もし、これで僕の方が早くに修得できたら、オヅマもびっくりするだろうな」

 

 想像して思わず笑みが浮かぶ。しかし、ふと気付いた。

 

「待って。ヴァルナルが教えることができるなら、どうしてわざわざオヅマをズァーデンになんて行かせたの? ヴァルナルが教えてあげればいいじゃないか」

 

 急に尋ねられ、ヴァルナルの顔が固まる。

 どう言えばいいのか…と言葉を探していると、なんとも絶妙なタイミングで現れたルーカスが、すかさず助け舟を出した。

 

「それはもちろん、師匠であられるルミア=デルゼ老師のほうが、ヴァルナルよりも優れた指導者であられるからです」

「ルーカス…」

 

 あきらかにホッとした顔になって、ヴァルナルはルーカスを見る。

 ルーカスはヴァルナルをチラと横目で見てから、滔々と理由を説明した。

 

「それにクランツ男爵はこう見えてお忙しい。領主としての仕事、レーゲンブルト騎士団の団長としての仕事、それに帝都においては公爵閣下の騎士としての仕事もあります。オヅマの指導だけをするというわけにはいきません。短期間で十分な成果を出すには、専門の指導者の教えを仰ぐのは当然でしょう」

 

 アドリアンはルーカスの説明に納得はしたものの、顔はまだ不満気だった。

 

「僕もオヅマと行きたかったな…」

 

 ポツリと本音が出る。

 こんなところで、心のこもらない上辺だけの挨拶に首を振るだけなら、いっそオヅマと二人で汗を流して、へたばりそうなくらい走り回っているほうがいい。

 

 しかし現実はアドリアンの想像を冷たく裏切った。

 

「まぁ、アドリアン。すっかり大きくなったこと」

 

 いかにも親しげに、やさしく呼びかけてきた声。

 アドリアンは強張った顔で、声の主を見た。

 

「叔母上…」

 

 そこに立っていたのは、くすんだ金髪に赤茶色の瞳の、ふっくらとした容貌の貴婦人だった。

 たっぷりと白粉(おしろい)を塗った白い顔から年齢を推し量るのは難しいが、ややたるんだ顎下には、所謂(いわゆる)『豊満のネックレス』と呼ばれる、くっきりと深い皺が一筋あった。

 

 ヨセフィーナ・オーサ・エンデン・グルンデン侯爵夫人。

 アドリアンの叔母であり、現公爵エリアスの異母妹。

 実家であるグレヴィリウスから、エンデンの姓を受け継いだ彼女は、間違いなくこの場において、最も高貴な女性であった。

 

「叔母上…お久しぶりです」

 

 アドリアンは丁重に挨拶するものの、彼女のにこやかな微笑みに対して、笑顔を向けることはなかった。

 ヴァルナルとルーカスの顔も引き締まる。

 

「ごきげんよう、ベントソン卿」

 

 明らかに強張った顔の男たちを気にかける様子もなく、ヨセフィーナは片手を差し出した。

 ルーカスは眉を寄せたものの、差し出された手を持ち上げるように取って、軽く頭を下げ、形式的な挨拶を返した。

 

()き日にございます、侯爵夫人」

 

 元平民の成り上がり貴族と蔑まれていたヴァルナルは、彼女に無視されるのが常であったので、そのまま立っていたのだが、今回なぜかヨセフィーナはヴァルナルにも手を差し出した。戸惑いつつ、ヴァルナルもルーカスと同じように貴婦人への礼を行う。

 

 ヨセフィーナはゆっくりと手を戻しながら、満足そうに笑みを浮かべた。

 それからおもむろに、ヴァルナルに向かって話しかけてきた。

 

「そういえば、クランツ男爵は再婚されたと、お聞きしました」

「は…」

「すぐにも(わらわ)には、紹介いただけるものと思っておりましたのに、アールリンデンにお越しになることもなく、新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)にもおいでにならぬとは……よもや()()()()でも抱えておいでかしら?」

 

 柔らかい物言いの中に含まれた痛烈な侮蔑に、ヴァルナルは言葉をなくした。何を言われたのか、一瞬、わからなくなって、怒るよりも、いっそ呆気にとられる。

 

 患いの種 ―― つまり男爵夫人となったミーナの身体に何かしらの問題があるのか、ひいては不具者であるのかと皮肉っているのだ。

 

 いち早く気付いたルーカスが、それとなくたしなめた。

 

「ご心配には及びません。しかし侯爵夫人、たとえ家臣の一人とはいえ、クランツ男爵は歴とした帝国貴族にございます。その奥方に対し、会いもせぬうちに身体の瑕疵(かし)をまず問うとは、侯爵夫人らしくもない軽忽(けいこつ)なるお言葉でございますな」

 

 しかしルーカスの、怒気を押し殺すあまり平坦になった冷たい声音にも、ヨセフィーナは全く臆さなかった。「あら、まぁ!」とわざとらしく驚いてから、ホホホと笑う。

 

「そのような非道(ひど)いことは申しておりませんことよ、ベントソン卿。ただ、突然に貴い身分となった者であれば、礼儀を身につけるのも大変でございましょうから、さぞ難渋されて、体を壊されたのかと思いましたのよ。でも、そのように()()()をなさるような物言いをしたのは、確かに(わらわ)の不徳でございますわね。ご不快な気分にさせたのであれば、謝りましょう、クランツ男爵」

 

 ヨセフィーナの言葉は、いちいち一筋縄ではなかった。

 最後の言葉などは、言外に「(わらわ)に頭を下げろと言う気か?」と問うている。

 無論、格上の侯爵家、しかも公爵閣下の妹であるヨセフィーナに対し、ヴァルナルが謝罪を求めることなど、できるはずもなかった。

 

「いえ…妻が健康であることをわかっていただければ十分でございます」

 

 ヴァルナルは今になって沸々と怒りが湧いてきていたが、もはや苦言を言う場面は過ぎ去っていた。唇を噛み締め、先程ヨセフィーナが手を差し出してきた理由に、ようやく思い至る。

 それまではにわかに男爵となったヴァルナルを明らかに馬鹿にして無視していたのに、今日に限って礼を求めてきたのは、貴族として認める代わりに、ここに連れて来なかったミーナについて嫌味を言いたかったのだろう。

 

 案の定、ヨセフィーナはまたヴァルナルに問いかけてくる。

 

「それでは、いかような理由があって、男爵夫人は来られぬのでしょう? (かしこ)くも皇帝陛下に対し、年初の礼を欠くなど…よほどのことでございましょうね?」

「それは…領地に残した息子が病弱でございますゆえ、その世話を…」

 

 ヴァルナルが説明を終わらぬうちに、ヨセフィーナは扇で口元を隠して、眉をひそめた。

 

「まぁぁ…そのようなことは女中にでも任せればよろしいことでございましょう、男爵。あぁ、そういえば男爵夫人は元々、ご子息の世話人だとか? でも、だからといって妻女となさった以上、いつまでも世話人同様に扱うというのはいかがかと思いますよ。男爵が奥方に対し、使用人のように接しておられれば、周囲の者たちも奥方を侮ることでしょう。彼女の品位を(きず)付ける真似をなさっておられるのは、むしろ男爵、貴方(あなた)ではございませんこと?」

 

 もし、その言葉が本心からのものであるならば、ヴァルナルも首肯して、自らの行いを反省したことだろう。しかしヨセフィーナの勝ち誇ったような顔に、そうした思慮深さは感じられなかった。むしろ白々しく聞こえてくる。

 

 だが反論もできず、ヴァルナルが黙りこんでいると、ヨセフィーナの左右に立っていた貴婦人たちが、それぞれに声を上げる。

 

「さすがでございますわ、グルンデン侯爵夫人」

「侯爵夫人のお言葉を聞けば、きっとクランツ男爵夫人も勇気づけられることでしょう」

「侯爵夫人のおやさしいお心遣いには、いつもながら頭が下がる思いでございます」

 

 彼女たちは大仰なほどにヨセフィーナを称賛し、中にはヴァルナルにあからさまな皮肉を言ってくる者までもいた。

 

「殿方は何かというと、妻子を残して都に来たがるものですもの。まだ新婚であられるのに、男爵夫人もお可哀そうに…」

 

 婦人方からの白眼視に、ヴァルナルはひたすら耐えるしかなかった。女性相手に声を荒らげることなどできない。まして今は夜会の最中なのだ。華やかな宴席で怒声を上げるなど、もってのほかだ。

 ヴァルナルは気づかれぬように、静かに長く息を吐いて、心を落ち着かせた。

 

 しかし無表情になって口を噤むヴァルナルの姿に、そばにいたアドリアンは我慢できなかった。

 貴婦人連中に向かって、鋭い視線を向ける。

 

「クランツ男爵は誰よりも奥方に対して礼を尽くしておられます。勝手な憶測で、本人を目の前にして誹謗するなど、それこそ無礼なことです」

 

 それまで静かであった小公爵が急に口出ししてきたので、貴婦人たちは驚いて固まった。

 それこそ自分の悪口を目の前で言われても、何も言ってこないおとなしい小公爵が、まさか自分ではない他人を庇うなど思ってもみなかったのであろう。

 

 だが、ヨセフィーナは扇で口を隠したまま、すっと目を細めた。

 ツイ、と一歩近づくと、アドリアンの前髪にそっと触れて、ニコリと笑った。

 

「本当に、どんどんお兄様に似てきて…こうして『二本の剣』を従えている姿も、まるでお兄様の真似事をなさっておられるかのよう」

 

『二本の剣』は、ヴァルナルとルーカスを指し示したものだろう。

『真似事』という言葉も含めて、そこはかとない揶揄(やゆ)を感じながらも、アドリアンも言われた二人も反論はしなかった。

 

「…亡きリーディエ様がご覧になられたら、きっと喜ばれたことでしょうね。それとも寂しくお思いになるかしら? 残念ながら小公爵様の容姿には、御母上に似たところが、()()()()ございませんもの」

 

 (たの)しげにヨセフィーナは言ってから、ホホホと声に出して笑う。

 チラ、と隣の貴婦人に視線を向けると、亡き公爵夫人の名前が出てきて、強張った顔になっていた彼女らも、慌てた様子で次々に同意した。

 

「えぇ…まったくでございますわ」

「公爵閣下にはよく似ておいでですけれど、公爵夫人のお姿を思い浮かべることはできませんわね」

「リーディエ様は(とき)色の髪の色でございましたし、瞳もサファイアのように青くていらっしゃいました」

「そうそう。そういえば、ハヴェル様のあの青のピアス。元々は公爵夫人の瞳の色に合わせて公爵閣下が職人に作らせたものだそうですわね。大変、お気に入りだった大事な品を、ハヴェル様に譲られたのだとか」

「それは仲良くされておられましたものねぇ。まるで実の親子のように…」

 

 言いかけて、彼女は口を噤んだ。さすがに本当の母親のいる前で言うには、不適切と感じたのだろう。

 だがヨセフィーナは笑みを崩さず、胸にそっと手を充てて、いかにも大事なものを抱くかのようにして、優しく話を続けた。

 

「よいのですよ。本当に公爵夫人には感謝するしかございません。ひとときの時間ではございましたが、我が息子を我が子同然に慈しんでくださって…ハヴェルには今も忘れえない大事な御方でございます」

 

 叔母の話を聞くほどに、アドリアンの心は冷えていった。

 無表情な顔が凝り固まり、(とび)色の瞳はガラス玉のようになった。

 

 これにはヴァルナルは自分のことよりも怒りが湧いた。

 一見、無邪気にみえる婦人らのおしゃべりに、悪意しか感じなかったからだ。

 

 進み出て注意しようと思ったときに、新たに現れた人物が、やんわりと彼女らを制止した。

 

「小公爵様の前で、あまり故人について、訳知り顔に語るものではありませんよ」

 





引き続き更新します。
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