昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百四十四話 グレヴィリウス家の夜会(2)

「まぁ、ハヴェル」

 

 ヨセフィーナは息子が急に割って入ってきたことに、少々驚いたようだった。しかしすぐに笑みを取り戻す。

 

「イェガ男爵とのお話は終わりまして?」

「えぇ」

 

 ハヴェルは母親と同じような心のこもらない笑みを貼りつかせて、ヴァルナルに問うた。

 

「どうかされましたか? クランツ男爵」

「いえ……」

 

 ヴァルナルは一歩さがった。今は自分がしゃしゃり出る必要はないだろう。

 ハヴェルはヴァルナルからアドリアンに目線を落とすと、小首を傾げた。

 

「どうしたんだい、アドリアン。顔色が悪いね」

「いえ。そんなことはありません」

 

 いつになく強い口調で言い切って、アドリアンはハヴェルと目を合わすのを避けた。

 ヴァルナルは何気なくアドリアンを隠すように立ち、ルーカスがハヴェルに声をかけた。

 

「お母上をお探しでしたか」

 

 質問ではなく断定して言ったことで、ここでもルーカスは婉曲な本心を滲ませた。つまり ――― 母親を探しに来たなら、とっととその女どもを連れてあっち行け!――― ということだ。

 

 しかしハヴェルはわざとなのか、それとも本当にわからないのか「いや」と即座に否定した。

 

「母上を探していたわけじゃないんだが、リーディエ様のことを話しているのが聞こえてきたので、何の話かと思って…」

 

 言い終わらぬうちに、ヨセフィーナがまた無邪気に(見せかけて)割って入る。

 

「まぁ、ハヴェル。大したことではありませんよ。アドリアンが公爵閣下にあまりにそっくりだと話していただけです。亡き公爵夫人がご覧になられたら、自分に似たところのない息子に、少しばかり、がっかりなさるんじゃないかしら? とね」

「がっかり…?」

 

 ハヴェルは顎に手をやってしばらく考えながら、ヴァルナルの背後にいるアドリアンを見やる。

 目が合うと、アドリアンはまた視線を下に向け、逸らした。

 ハヴェルは優しく微笑んで言った。

 

「リーディエ様なら、がっかりどころかお喜びになると思いますよ。公爵閣下の小さい頃の姿を見ることができた、と。なにせ公爵閣下のご幼少の頃の絵は一切ございませんから」

 

 ピクリとルーカスは眉を上げる。

 ハヴェルの意図に、一瞬、怒りが沸騰した。

 

 現公爵エリアスの母は、前公爵の正妻であったソシエ=レヴェとなっているが、実のところはソシエの妹であったミシアだった。

 第一子であるエレオノーレ公女が生まれたのちには、前公爵夫妻はほとんど言葉を交わすこともなく、当然ながら夜を共にすることもなくなってしまっていた。そうした中で前公爵は妻の妹であるミシアと情を交わすようになり、生まれたのがエリアスだった。

 だがエリアスを産んだミシアは、姉との不和が生じることを望まず、公爵邸から遠く離れた別邸で息子と共に暮らすことを選択した。ミシアはエリアスが三歳の年に風邪をこじらせて肺を病み、そのまま亡くなった。

 その頃には側室のエルダフネがヨセフィーナを産み、また二人目を妊娠していたために、ソシエは急遽、妹が生んだ子供を実子として引き取り、彼を後継者として認めさせたのだ。

 自分の地位を安泰させるために引き取っただけの、自分の夫を掠め取った妹の子供に、愛情などあるはずもない。エリアスは公爵家において放置されたも同然だった。

 一般的な貴族の親であれば、幼少時の可愛い盛りに、自分の子供の絵を描かせるものだったが、そうした理由でエリアスの幼少時の絵は一切ないのだった。

 

 公爵家内において、エレオノーレの恥辱にまみれた死以上にこの話は禁忌で、アドリアンですらも父の出生についてなど知らなかった。

 しかしハヴェルはあえて匂わせるような発言をすることで、自分もまた、公爵閣下からの信任が厚いことをルーカスに示したのだ。

 

 しかも糾弾される前に、それ以上の言及を避け、早々に話題をリーディエに戻す。

 

「母上、それにオデル子爵夫人も、リーディエ様についてよく知りもしないのに、勝手なことを申し上げて、小公爵様の御心を乱すようなことはお控えください。()()()()()()()()()()()()、亡くなられた母親のことを、小公爵様が()()()ご存知のはずもございません。本当か嘘かも、判断できぬことでしょう」

 

 ハヴェルは巧みに同情を交えながら、母親とその取り巻きたちを叱責した。

 

 アドリアンは無表情に聞きながら、また背にゾッと寒気が這い登ってきた。

 いつもこうだった。

 ハヴェルはいつもこうやって、アドリアンの心を凍りつかせ、身動きさせなくするのだ。

 

 ヴァルナルもルーカスも、()()()()()()アドリアンを守ろうとしているハヴェルを止めることができない。

 

「小公爵様にとって、母上はもっとも(ちか)しい、女性の親族であられるのですよ。母代わりとして、情誼(じょうぎ)を尽くすは当然のこと。もしリーディエ様が母上の立場であれば、きっと慈愛をもって温かく接してくださったことでしょう。そういう方でございましたよ、()()()は」

 

 ハヴェルは懐かしそうに、その呼び方を口にする。眼鏡の奥の琥珀(アンバー)の瞳には、かすかな寂寥が滲んでいた。

 

 ヨセフィーナは鼻白んだ顔になってから、すぐに隠すように笑ったものの、どこか強張っていた。

 ジロリと上目遣いに息子を見る目には、明らかな苛立ちがあった。

 しかしハヴェルは、母親からの強い視線にもまるで気付いていないかのようだった。

 うっとりとした微笑を浮かべて、アドリアンを見つめる。

 

 ヴァルナルはアドリアンの肩にそっと手を置くと、ズイとより前へと進み出て、ハヴェルからの視線を完全に遮った。

 

 アドリアンは下を向いたまま、固まっていた。

 自分が何を言われたのか、理解できなかった。

 耳に入ってきたハヴェルの言葉について、頭が考えることを拒否している。

 

「おや? 小公爵様のご気分がすぐれないのかな?」

 

 ハヴェルがいけしゃあしゃあと問いかけ、ルーカスが受けて立とうとしたとき。

 

 公爵の登場を予告する音楽が、重々しく鳴り始めた。

 

 ルーカスは開きかけた口を閉じると、ハヴェルに辞去の礼をすることもなく、さっさと公爵の椅子が置かれた高座へと向かっていった。

 

「小公爵様、参りましょう」

 

 ヴァルナルもアドリアンを促して、ルーカスの後についていく。

 その場を離れる間際にチラリとハヴェルを一瞥した目は厳しく、怒りが滲んでいたが、ハヴェルはにこやかな笑みを崩さなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「ごめん、ヴァルナル。もう大丈夫だ」

 

 アドリアンは高座の手前で、送ってきてくれたヴァルナルに礼を言って離れた。

 

「気になさる必要はございません」

 

 ヴァルナルが断固とした口調で言うと、アドリアンは口元にだけ笑みを浮かべつつも、その顔は苦しそうに歪んだ。

 だが、短い(きざはし)を上り、ルーカスを始めとする護衛らの前、公爵の座る椅子の脇に直立したその姿には、もはや先程までの気弱なところは微塵もなかった。

 公爵の面差しそのままに、冷たく、何らの感情も見せない。

 

「公爵閣下の御出座(おでま)しにございます」

 

 ようやく公爵の登場を知らせる従僕の声が響く。

 それまで雑談、あるいは悪口に興じていた人々は、すぐに口を閉じ、一気に広間は静まり返った。小さな(しわぶき)の音ですらも響くほどに。

 

 高座の横にあるドアが開き、公爵エリアスが姿を現すと、居並ぶ人々は揃って頭を下げた。

 エリアスは高座の中央に用意された、従僕五人がかりで運んできた大きな椅子に腰掛ける。軽く手を上げて、静かに告げた。

 

「よい。頭を上げよ」

 

 その言葉で、人々は一様に頭を上げたものの、目の前に座るエリアスのどんよりとした、端正なだけに一層冷たく感じる無表情に、また自然に目線を下に向けた。

 中にはそのまま目が離せなくなって、熱く見つめる婦人や令嬢もいたが、彼女らをエリアスが見ることはなかった。若い頃からそうした熱い眼差しを向けられてきたせいなのか、いつしか無意識に、自らに纏わりつく熱心な視線を遮断するようになっていた。

 

「みな、無事に帝都に到着したこと祝着至極である。今宵はゆるりと過ごせ」

 

 いつもながらの短く、心のこもらぬ挨拶に、居並ぶ人々もまた形式的な辞儀を返す。

 家令ルンビックの合図で楽隊が音楽を奏で始めると、人々は再び動き始めた。

 

 この宴での公爵の出番というのは、ほぼ最初の挨拶に尽きた。

 彼がこうした宴席に興味がないのは明らかで、それでも公爵という立場柄、早々に立ち去るわけにもいかない。そのため、彼はワインを一本あけるまでは、その座にいることにしていた。

 

 あらかじめ家令と補佐官で選定し、限られた者だけが公爵と談笑する(実際に公爵が『笑う』ということはほぼなかったが)権利を得た。その選定の基準となったのは、多くの場合、この一年の間にその家で結婚や出産といった慶事があったときである。弔事は会話が弾まないので忌避されるが、一旬節*1を周るような大往生であった場合などは、故人の功績を讃えて偲ぶこともあった。

 

 今年初頭に亡くなった前シェットランゼ伯爵について、息子の新たなシェットランゼ伯爵がエリアスと話し終えた後、呼ばれたのはヴァルナルだった。

 高座に上がり、エリアスの前に立って深々と挨拶したヴァルナルに、公爵は肘掛けに頬杖をつきながら、くだけた口調で話しかけた。

 

「早々に難癖をつけられたようだな」

 

 既にヴァルナルがヨセフィーナに嫌味を言われたことを聞いていたらしい。

 

「……大したことはございません」

「フ…さぞ、皆、興味津々なのだろう。手ぐすねひいて待っていたようだが、今回は出鼻を挫かれたといったところか。しかし存外残念なのは、其方(そなた)のほうではないのか?」

 

 そう言って公爵が秀麗な面に少しばかり微笑をひらめかせると、高座の下からチラチラと窺い見ていた数人の婦人たちから、軽い驚きの声と溜息が混ざって聞こえてきた。ヴァルナルは声のしたほうをチラリと一瞥してから、またエリアスに向き直って問い返した。

 

「…と、申しますと?」

「見目麗しい妻女を自慢したかったのではないのか? 本心では」

「え?」

 

 考えてもいなかったことを言われ、ヴァルナルは詰まった。

 酒が入ったせいだろうか。いつも峻厳な(とび)色の瞳は柔らかく、長年の気安い友人への()()()()が混ざっていた。

 ヴァルナルは苦笑しながらも、咳払いすると、澄まして答えた。

 

「まぁ、否定はいたしませぬ」

「フ…言うことよ。そういえば、男爵夫人の饗応への礼がまだであったな」

「そのような…当然のことをしたまでです」

「いや、辺境の地であるのに、必要にして十分なる心遣いであった。ああしたときに、過度な饗応(もてなし)をしてくる者もいるが、男爵夫人は誠に最善を知る。男爵の薫陶のよろしきもあったのであろう。後ほど目録を送るゆえ、受け取れ」

 

 目録、というのはつまり礼品の目録のことだ。

 これはヴァルナルに対して、先だってのレーゲンブルト訪問について感謝の品を贈るということだった。

 目録のある礼品を贈る、ということは、公爵家の公式年事録に記載されることを意味する。膨大なグレヴィリウス家の史録に、たとえ一文であったとしても名が残るのだ。

 それまでにもクランツ男爵の名は、公爵家史録に幾度となく記載されているのに、戦乱が静まって尚栄誉を受けることに、人々は羨望と同時に、彼が確実に()()()()()()()()をつけていっていることを感じた。

 

 このことも含め、彼の息子が小公爵の近侍として付くようになったことを鑑みても、公爵であるエリアスが、ヴァルナル・クランツ男爵を()()()信頼していることは明らかだ。

 無論、エリアスもそうした人々の反応を計算の上で言っているし、その公爵の意図を汲み取るのが貴族というものであった。

 

 先年の新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)への随行を禁止されて以来、クランツ男爵は公爵の不興を買い不仲となったと、まことしやかに囁かれていたが、今回のことでその噂が立ち消えるのは間違いなかった。

 

 そうして公爵と男爵との会話を聞き齧った者たちによって話が口々に伝わる中で、公爵と男爵との仲を取り持ったのが、クランツ男爵の二番目の妻となった、平民出身の美しい男爵夫人らしいと、人々は新たに噂し合った。

 

*1
六十四年





次回2023.08.20.更新予定です。
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