昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百四十七話 グレヴィリウス家の夜会(5)

 一方 ―――――

 

 エーリク・イェガにとって、夜会という活動はもっとも無意味なものだった。

 せめてアドリアンの警護という役割があれば、すこぶる意味のあるものとなり得たが、ただ親族と一緒に過ごせといわれても手持ち無沙汰でしかない。

 

 広間に入って早々に家族らの姿を見つけたものの、父母らは既にハヴェル公子と談笑しており、エーリクに気付いたのは次兄・イェスタフだけだった。

 

「なに、お前? なにしに来たんだ?」

「……小公爵さまに、今日は家族と過ごせと言われた」

 

 不満げに話すエーリクに、イェスタフは軽く肩をすくめる。

 

「ふん。せっかく小公爵さまが気を遣ってくださった…ってのに、ブーたれた顔してやがる」

「うるさい。ラーケル兄さんは?」

「エシルからも警備の騎士を出してるからな。そっちの監督官だ」

 

 エーリクは溜息をつくと、羨ましげにつぶやいた。

 

「いいな。俺も一緒にできないかな」

 

 イェスタフはそんな弟にあきれたように言った。

 

「ハー…やれやれ。勤勉クソ真面目どもめ。せっかくの夜会だってのに、ちっとも楽しむ気がないな。その制服からして。さっき、チラッと見たけど、お前と同じ近侍の奴はやたらとビラビラした服着てたってのに」

 

 マティアス、テリィ、キャレは三人とも夜会用の服を着用していた。中でもチャリステリオは、それこそ一週間前から選びに選び、帝都に来てから靴下やら手袋、ブローチなどの小物類をわざわざ新調したというから、よっぽど気合が入っていたようだ。

 

 しかしエーリクはアドリアンの警護をするつもりであったので、最初から動きづらい夜会服ではなく、いつもの近侍用の制服を着ていた。

 おそらくオヅマがいれば、同じ格好をしていたことだろう。

 今日ばかりは、小生意気な年下の少年の不在が恨めしかった。オヅマならば、きっとアドリアンを説き伏せて、二人で警護できていたはずだ。

 

「夜会服なんて、動きにくいだけだ」

 

 エーリクは脳内でテリィのやたらゴテゴテした、レースがはみ出しまくった夜会服を思い出し、苦々しく言った。

 イェスタフは(しか)りと頷いたあとで、ワインをぐびりとあおる。

 

「おい。飲み過ぎるな、ってラーケル兄さんに言われてんだろ」

「うるさいねぇ。まだ一杯目だっての」

「ここ、家じゃないんだからな。酔っ払って脱ぎだすなよ」

「お前、近侍になって口うるさくなったんじゃねぇの?」

 

 エーリクはムッと口を閉ざした。口うるさいのはマティアスの専売特許だというのに、自分が言われるなど心外だ。

 

 それでもイェスタフは弟からの忠告を守って、チビチビと舐めるようにワインを飲みながら、ぐるりと辺りを見回した。

 集中して耳を澄ませると、人々のさざめきの中から、チラホラと気になる単語が聞こえてくる。

 

「……さっそくグルンデン侯爵夫人が……」

「小公爵様はどうして一人で…」

「ベントソン卿とクランツ男爵が……」

 

 イェスタフは皮肉げに口を歪めると、弟に聞かせるともなく言った。

 

「しかし、夜会なんて行事に近侍を連れ歩かないなんてな。普通、ここぞとばかりに見せびらかすもんだってのに」

「……そうなのか?」

「よくは知らないけど…そういうもんじゃないの? いわゆる権威付けってやつだよ。ま、見たところお前らの中に、華のある奴っていなさそうだからなぁ。小公爵様お一人で十分ってのもあるけど…」

 

 近侍に見目好い者が数名含まれるのは、まさしくこうした場において、誇示するという理由もある。

 エーリクは憮然となった。

 

「一応、いるさ」

 

 そうは言うものの、それが自分でないことはわかっている。

 

 イェスタフはアールリンデンで一度だけ会った少年のことを、すぐに思い出した。

 

「あぁ、そういやオヅマ・クランツがいたか。でも、今はどっか行ってんだろ? 他にいないのか?」

「ほかは…」

 

 考えつく限り、あとはキャレぐらいなものだろう。ただ、オヅマと違って引っ込み思案で、いつもオドオドしているので、とてもではないが『華』があるようには見えない。 

 

 弟の言葉が途切れると、イェスタフは話を変えた。

 

「それにしても、小公爵様ってのはお優しい方だな」

 

 その言い方に若干の皮肉を感じて、エーリクは眉を寄せる。兄はニヤと笑うと、弟の肩を軽く叩いた。

 

「まぁ、そう威嚇すんなよ。見てみろ、あれを」

 

 クイと顎をしゃくるほうを見てみれば、ハヴェルが両親と話していた。

 母の斜め後ろには、ハヴェルと婚約した妹が控えている。

 いつも活発で、なんであればお転婆な部類の妹が、俯いてじっとしているのが、なんだか可哀相だった。

 

「今日来るのだって嫌がったんだぜ、あのルイースが。おそらく公子様からすれば、自分と結婚できるなんて名誉だろー…ってなモンなんだろうな。十二の娘の気持ちなんて、お構いなしだ。同じ貴族でも、さすがにあそこまで格が上がると、面の皮も厚いとみえる。そんな御人を相手にするには、小公爵様は少々、()()()()だと思ったのさ」

 

 エーリクは兄の指摘に頷くことはできなかった。

 確かに小公爵であるアドリアンは、ハヴェル公子のような権謀術数に長けたところはないのかもしれない。それは年齢からいっても、無理なことだ。いくら大人びているとはいえ、まだ十一歳でしかないのだから。

 だが、少なくともエーリクはこの数ヶ月、七竈(ナナカマド)館(*小公爵の住居の別称)で一緒に生活する間に、自然と彼を(あるじ)と認めるようになった。

 きっと見ているだけでは、わからないのだ。

 アドリアンの言葉も態度も、偉ぶったところはないが、公爵の後継者としての威厳は十分にある。

 

「小公爵さまは、優しいだけの人じゃない」

 

 エーリクがはっきり言うと、イェスタフは少し意外そうに眉を上げた。

 

 エシルにいる頃、弟が声に出して主張することはなかった。だからといって従順というわけでもない。反論はしないが、黙って従わない。それがエーリクだった。

 

 イェスタフはエーリクが小公爵の近侍になることが決定したとき、心配だった。

 この無口で強情な弟が、誰かの下で腰も低くおべっかなぞ言うはずもなし、本当にやっていけるのだろうか…と。

 まして()()小公爵相手に。

 その頃の小公爵といえば、従僕の少しばかりのミスに癇癪を起こし、理不尽なことを言って、執事諸共に辞めさせた、などという噂も広まっていたのだ。

 

 しかしどうやらエーリクには徐々に小公爵への忠誠心というものが育っているようだ。小公爵という人の為人(ひととなり)について、再考したほうがいいのかもしれない。

 

 一方、エーリクはふとこちらを見てくる視線に気付いて目を向けると、母の頭越しにハヴェルと目が合った。

 反射的に顔が引き締まる。

 

「俺、ちょっと風にあたってくる」

 

 声をかけられる前に、エーリクは踵を返してその場から離れた。

 どうせ今話したところで、父母も含め気まずいだけだ。

 この前も弓試合の話が父の耳に入って、不要な対立は控えろと、釘を刺されたばかりなのだから。

 

 家族から離れると、人気のない場所を探して、誰もいなかった小さなバルコニーに出た。

 

 すでに夕闇だった。

 さっきまで降っていた雨が蒸れた風を運んでくる。

 

 エーリクはこれまでに一度だけ、帝都を訪れたことがあったのだが、雨季の時期特有の湿気を帯びた風が好きになれず、以降は家族が帝都に向かうのを見送ってきた。夏場であっても冷たい、エシルの早朝の風が懐かしかった。

 

 来る途中で従僕のトレイから取ってきたライム水をちびちび飲んでいると、いきなりガシャガシャと耳障りな音がして、思わず視線を向ける。

 エーリクのいるバルコニーから柳の木を隔てた別の部屋の窓が開いて、そこのバルコニーに誰か出てきたらしい。

 涼しげに揺れる柳の枝の間を、見知った顔が横切っていった。

 

「……キャレ?」

 

 薄暮の残照と、部屋から漏れ出るわずかな明かりの中に、キャレのルビーレッドの髪が見えた気がした。

 しかも誰かに腕を掴まれて、無理やり引っ張られているようだった。

 

 エーリクは目をしばたかせ、今見た光景について、しばし考えた。

 

 こうした宴会においては、バルコニーはしばしば男女の逢引場所とされる。

 でもって、先程兄がワインを飲んでいたように、宴席が始まる前から酔っ払っている者がチラホラいる。

 そのうえで貴族の中には、しばしば少年を好んで、遊び興じる者がいるという。……

 

「まさか…」

 

 エーリクはすぐさまバルコニーを飛び出した。 

 

 

 

***

 

 

 

 キャレはしばらく目をつむったままだった。

 すぐにも兄に頬を()たれると思ったのだが、なぜか痛みはやって来ない。それどころか、掴まれていた髪も離された。

 

 どうしたんだろう?

 

 キャレがそろそろと目を開けると、なぜかそこにはエーリクがいた。しかもセオドアが振り上げた手を、しっかと掴んでいる。

 

「この子は小公爵さまの近侍ですよ。おわかりですか?」

 

 低く、剣呑としたエーリクの声を、キャレは初めて聞いた。

 日頃は無口で無愛想ながらも、基本的にエーリクは穏やかな人だ。声を荒げることもしないし、苛立たしく舌打ちするなんてこともない。

 だが今は、小さい胡桃(くるみ)色の目が、冷たくセオドアを睨み据えていた。

 

 セオドアはいきなり現れた闖入者に苛立ちをみせたが、すぐにそれがキャレと同じ近侍の一人と気付くと、ヘラっと笑った。

 

「いや…誤解をなさっているようだ。私はこの子の兄でしてね」

「兄?」

「とりあえず手を離していただこうか?」

 

 セオドアはエーリクの手を振り払うと、ジロリと睨み上げる。

 

「失礼だが、貴殿は? 弟と同じ近侍の方とお見受けするが」

 

 エーリクはキャレのぐしゃぐしゃになった髪を見て、眉を寄せた。同時に目の前の男が同じ髪色であることを確認する。

 

「エーリク・イェガと申します」

 

 硬い声で答えると、セオドアは軽く驚いたようにうめいた。

 

「おぉ…イェガ男爵家の。存じております。確かハヴェル様と婚約された…」

「婚約したのは妹です」

 

 セオドアの差し出した話の接ぎ穂を、エーリクは頓着することなく切り捨てる。セオドアはやや鼻白んだ顔になったが、無理に笑顔を貼りつかせた。

 

「ハハッ! それは勿論そうです。イェガ男爵家の方々とは懇意にしたいと思っておりましたので、こうして知遇を得ることができて嬉しい限り」

 

 セオドアは上機嫌で言ったものの、エーリクの表情は変わらなかった。

 

「なぜキャレの頭を掴んでいたのです?」

 

 硬い声で問いかけると、セオドアは侮蔑も露わにキャレを見て、半笑いで言った。

 

「おやさしいことですな、エーリク公子。しかし生意気な弟を正す責務が兄にはございましてね。エーリク公子も、兄君たちに幾度となく叱責されたことはおありだと思いますが…?」

「叱責? キャレが何かしたのですか?」

 

 エーリクが真面目くさって尋ねると、セオドアは苛立ちを眉に浮かべた。

 

「無礼を無礼とも弁えぬ者です。ほかの方々にご迷惑をかける前に矯正しておくのが、オルグレン家の長子である私の責務です」

 

 セオドアは傲然と言い放って、またキャレをジロリと見据える。

 キャレが身を竦ませると、エーリクはキャレを庇うようにセオドアの前に立ち塞がった。

 

「おや? 他家の事情に口出しなさると?」

 

 セオドアは腕を組み軽い口調で言ったが、エーリクをじっとりと見つめる瞳は、蛇のそれであった。

 

 キャレはエーリクの後ろから二人の様子を怖々と窺っていたが、ふと見れば、エーリクの手は少し震えていた。

 大柄なエーリクは、セオドアの背を超えてはいたが、それでもまだ子供だ。大人相手に意見するなど、相当の勇気が必要だろう。まして相手が悪意しかないならば、特に。

 それでも顔だけは、いつものように平静だった。あるいはこうしたときに動揺を悟られぬために、普段から無愛想にしているのだろうか…?

 

 二人はしばらく睨み合っていたが、やがて開いた窓から聞こえていた楽曲が変わると、セオドアは肩をすくめて言った。

 

「公爵閣下がおみえになるようだ。これにて失礼するとしよう。キャレ、わかったな? くれぐれも目立つことのないように」

 

 最後に『隅に引っ込んでいろ』と念押しして、セオドアは立ち去った。

 

 エーリクはフゥと深呼吸すると、キャレに向き直った。

 

「お前、本当に兄なのか? あの…人は」

 

 キャレはしばらく黙り込んでいた。

 一応、礼を言うべきなのだろう。エーリクのお陰で兄に殴られずに済んだのだから。

 けれど、正直なところ余計なお世話だった。

 殴られることなどいつものことでキャレは慣れていたし、人目を気にする兄であれば、夜会という場において、怪我になるような酷い目に遭わせることはなかったろうから。

 それに何より、兄に虐げられている自分を見られることのほうが、よっぽどキャレには恥ずかしかった。いっそ見て見ぬふりしておいてほしいくらいだ。

 

「聞いた通りです。兄に生意気なことを言ったんです。それで叱られていただけです」

 

 すげなく言うキャレに、エーリクはムッと眉を寄せる。

 

「俺だって兄がいるし、生意気だって、拳骨を食らうことだってある。だが、あの人は…まるで、お前を一方的に虐めてるみたいだ」

 

 キャレはギリッと唇を噛み締めた。

 (みじ)めだ。

 兄の理不尽な言葉や暴力よりも、エーリクの同情がキャレを惨めにさせる。

 そのことに気づかないエーリクに、それこそ理不尽な怒りが沸き立ってくる。

 

「わ……僕は、()()()()()()子供じゃないですから」

 

 キャレが自分を嘲るように言うと、エーリクの表情に戸惑いが浮かんだ。

 

「嫡出の子じゃないから、理不尽な扱いを受けても当然だって言うのか?」

「そうですよ!」

 

 キャレは噛みつくように叫んだ。

 

 エーリクの考える『正しさ』が、キャレを一層追い詰める。だがファルミナにおいては、その『正しさ』は間違っていた。

 時々、キャレたちの扱いについて、父やセオドアに物申す人もいた。けれど、そうした人々は皆、口にした次の日にはいなくなった。

 あそこでは父やセオドアだけが『正しい』のだ。

 

「なんですか、今頃になって。僕が庶子だってことも、オルグレン家から見放されてるってことも、知っていたでしょう? この服だって、どうして小公爵さまからの頂き物を着ているのか…。今まで何も言ってこなかったくせに、どうして今、そんなことを言うんですか?」

 

 エーリクは急に饒舌になって、舌鋒鋭く詰め寄るキャレに、圧倒されていた。

 なんだか妹に怒られているような気分になってくる。

 昔、妹のお気に入りの人形の足を引き千切ってしまって、凄まじく怒鳴りつけられて泣き喚かれたときと似ている…。

 

「それは…その……よくわかってなかったっていうか…」

 

 弁解するようにボソボソと言うと、キャレはますますいきり立った。

 

「わかってないんじゃなくて、興味なんかなかったんでしょう? エーリクさんが興味があるのはイクセル*1のことと、剣術のことぐらい。その次に小公爵さまがいて、私のことなんて、ずっとずっと…ずーっと先の先の、いるのかいないのかわからないぐらいで……だったら、そのまま放っておけばいいじゃないですか!」

 

 エーリクは呆然としつつ、激昂するキャレを見つめていた。

 

 キャレの言う通りだった。

 今までエーリクにとって、キャレは近侍の一人というだけの存在だった。

 エーリクと並んで無口な上、引っ込み思案で、騎士の訓練でも勉強でも、とにかく不器用で、正直、見劣りする存在だ。

 だからきっと無意識に、エーリクはキャレという子に価値を見出していなかった。小公爵様を守る盾としての役割を、キャレには期待していなかった。存在があることをわかっていながら、無視していたのだ。

 

 エーリクは途端に自分がものすごく悪いことをしていた気がした。もしかすると、さっきキャレに対してひどいことを言っていたあの男よりも、自分はもっと冷たかったかもしれない。

 

「その…すまなかった」

 

 エーリクは反省してすぐに謝ったが、キャレは受け入れなかった。

 

「謝ってもらう必要はありません。私…僕も、放っておいてもらいたかったから。これまでと同じように接してもらえばいいです」

 

 あまりに頑ななキャレに、エーリクは閉口した。とはいえ、この状況を放っておくことはできない。ここで放り出したら、今度こそエーリクは故意に無視したことになってしまう。

 

 そのまま横を通り過ぎようとしたキャレの腕を、あわてて掴んだ。

 

「待て。もし困ってるなら、一度、小公爵さまにも相談して ―――」

 

 あまりにも能天気なエーリクの提案に、キャレの怒りが飽和した。

 荒々しくエーリクの手を振り払うと、さっさと小部屋に入る窓へと向かう。中に入る把手に手をかけたときに、また肩を掴まれ、キャレは心底苛ついてエーリクに怒鳴りつけた。

 

「放っておいてくれって、言ってるでしょう!!」

 

 

*1
エーリクの馬





次回は2023.09.03.更新予定です。
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