一方、ズァーデン村にて ――――
「えぇ~、やだよ~」
助けた対価として、オヅマの修行につき合うように言われたエラルドジェイは、手をヒラヒラ振って拒絶した。
「俺、誰かに教えたりとかすんの苦手だし、稽古とか、ちょー面倒」
「うるさいね。お前さんの得手不得手も、好き嫌いも知ったこっちゃないんだよ」
「横暴だなぁ、
「なにが権利だ。お前やら私みたいな、地獄行きが確定している奴に権利なんぞあるもんかい」
「言ってくれるねぇ」
エラルドジェイは不承不承に受け入れたものの、本人も言った通り、誰かに教えたりすることに
「ちゃんと相手しろよ!」
オヅマは怒ったが、
「本気だって~。オヅマが強いんだって~。降参、こうさーん」
と、まったくもって張り合いのないこと甚だしい。
オヅマが相変わらず
「よし、わかった。取引だ」
オヅマは業を煮やして、エラルドジェイに言った。
「豆猿の森に入れ。一つも実をぶち当てられずに、川までたどり着けたら、もう修行につき合わなくていい」
「へぇ?」
「ただし、木の上に登るのはナシだぞ」
豆猿たちは、まぁまぁ頭もいい。修行のときはルミアが口笛で呼ぶと集まってきて、木の下を通る人間に対して実を投げるように訓練されている。つまり木に登ると攻撃はしてこない。
エラルドジェイはポリポリと耳裏を掻いてから、
「あぁ、いいよ。乗った」
と、気軽に引き受けた。
日頃からオヅマらが修行している姿を見ていたので、おおよそは心得ているらしい。
「じゃ、始め!」
開始するなり、オヅマは隣にいるハルカに目配せすると、二人ともスルスルと木に登った。
ハルカは枝々を飛び移って先へと急ぐ。
オヅマはエラルドジェイの動きを見ながら、自分もロンタの木から実をとって投げた。
季節が過ぎたので、もうスジュの実はなく、豆猿たちはロンタの若い実を投げてくるようになっている。赤ちゃんの拳ほどの大きさで、皮の部分がまだ分厚くて固く、当たると地味に痛い。それに衝撃を受けると、赤い粉のようなものを出す。
これで当たったかどうかの判別がしやすいのはスジュの実同様だが、洗濯が大変というところまで一緒で、オヅマは豆猿たちとの訓練の時は、もうそれ専用の服にしてあった。その服はもはや元の色がなんであったのかわからないほどに、気味悪く染まっている。
「おいっ! なんでお前まで投げてんだよッ」
エラルドジェイはすぐにオヅマが投げてきたのに気付いて抗議してきた。
抗議しながらも、豆猿からの実をよけているあたり、やはり尋常ではない。
「俺が投げないとは言ってない」
オヅマはいけしゃあしゃあと答えながら、両手に四粒持って、一気に投げつける。
「そういう
豆猿たちとは違う速さの、かなりの勢いで飛んできた実に、エラルドジェイは飛び退ってよけ、その隙にまた別方向から飛んできた実をバシリと一つは足で蹴り、一つは拳で殴って落とした。
「あッ! 当たった!」
オヅマは声を上げた。
しかしエラルドジェイは、ポイと石を放り投げて笑った。
「ざーんねん!」
いかにも馬鹿にしたように言って、また先へと走っていく。
オヅマはエラルドジェイが落としていった石をチラと見て、チッと舌打ちした。どうやらいつの間にか石を掴んでいて、それに実を当てて落としたらしい。石に赤い粉がついていた。
オヅマはまた枝を渡りながら追いかけた。
しかし思っている以上に、エラルドジェイは身軽で素早く、もう木々の向こうに川面がキラキラ光るのが見え始めていた。
「おいッ! 蹴るのずるいだろ!」
オヅマが怒鳴ると、エラルドジェイは面倒そうに見てから、こっちに向けて実を蹴ってきた。
どこまでも人を食っている。
「クソッ! あいつ、本気だな!!」
オヅマは腹が立ってきて、もう木から降りて走り始めた。
すると今度はオヅマにも実が降ってくる。
もはや実を
途中でどうしても
だが、もうエラルドジェイは川へと出ていくところだった。
「ハルカ!」
オヅマが叫ぶと、エラルドジェイの前にハルカがぶらん、と枝から吊り下がった。
「おおぅ…っと、ハルカちゃん」
正面衝突しそうになって、エラルドジェイはハルカを抱きしめた。ちょうど、そこは森の木々が途切れる境で、豆猿たちからの攻撃は止んだ。
「危ない、危ない。吹っ飛ばすところだ…」
ハルカを抱っこしながら、エラルドジェイはヨシヨシとその背をやさしく叩く。
ハルカはやっぱり無表情に抱かれるままになっていたが、エラルドジェイの背後に来ていたオヅマと目が合った。
オヅマが頷く。
「ジェイ…」
ハルカに珍しく名を呼ばれ、エラルドジェイはすぐに「うん?」と問いかける。その瞬間に、ゲシ、と額にロンタの実をなすりつけられた。
「よっしゃ、当たった!」
背後でオヅマが快哉を叫ぶと、エラルドジェイは固まった笑顔のまま、クルリと振り返った。
「おい…」
「当たったもん。な? ハルカ」
「当たった」
ハルカもエラルドジェイの腕の中でコクリと頷く。
「お前ら…」
エラルドジェイは抱っこしたままのハルカと、オヅマの顔を三度ほど往復してから、ハァーっと息を吐いて、ハルカをゆっくり降ろした。
「……やられた。クソガキどもが」
ボソリとつぶやいてから、エラルドジェイは楽しくてたまらないように大笑いした。
オヅマも笑い声をあげ、ハルカは二人を不思議そうに見ていた。
***
賭け(?)に負けたエラルドジェイは、とうとう手抜きなしで修行につき合う羽目になったが、そうなると今度、音を上げたのはオヅマのほうだった。
エラルドジェイはルミアと同じで、何かを手取り足取り教えることはしない。
稽古の種類もただ一つ、実戦を模した剣撃だ。
ひたすらオヅマがエラルドジェイ相手に打ち込んでいき、確実な打撃 ―― 本物の剣であれば、行動不能となり得るような攻撃 ―― を与えるまで続けられた。
早くて二刻*1、長くなると三、四刻近く、ぶっ通しだ。休憩なんてもちろん与えられない。少しでも隙を見せれば、容赦なく打ち込まれる。
精巧に作られたとはいえ擬似剣なので、むろん斬られるようなことはないが、打ち身やちょっとした切創は日常茶飯事だった。
しかも騎士団と大きな違いは、稽古の場所。
エラルドジェイの気まぐれで決まるその場所は、おおよそ稽古場としてはそぐわないところばかりだ。
時間も
今日の訓練は一つ山を越えたところにある鍾乳洞の中だった。
狭くはないが、
エラルドジェイはその特性をしっかりと活かして、わざと石を壁にぶつけたりしてくるから、本当に厄介だった。
「……あんたもこういう修行させられたの?」
稽古が終わったあと、オヅマは尋ねた。
エラルドジェイは岩の間から流れ出る岩清水をゴクゴクと飲んでから、口を拭いながら少し上を向いて思案する。
「まぁ、そうかな」
エラルドジェイにこうした稽古をつけてくれたのはニーロだった。
いかつい外見からは意外に思われがちだったが、わりと細かい性格で、理屈っぽかった。稽古を始める前には目的と理由を教えてくれたし、終わったときには改善点も指摘してくれていた。
もっとも、それをエラルドジェイが理解していたかといえば……
「なんかごちゃごちゃ言ってたけど、一応、教えてもらってたんだろうな」
という、故人が聞けばガックリ肩を落とす結果ではあるが。
「へぇ。ルミアはあんたがシューホーヤの体術を身につけてるんだろう、って言ってたけど、そういうの?」
「うーん? よくわかんねぇ…」
続くオヅマの質問にもエラルドジェイは首を傾げるしかない。
シューホーヤは西にある山岳一帯を根城とする民族で、彼らの中でも戦士と呼ばれる者たちは並外れた運動能力を持つ。柔軟性をいかした独特の体術が伝わっており、そのためシューホーヤの戦士は、ある国では要人警護、ある国では傭兵部隊、また別では暗殺者として重宝されている。
「でも、シューホーヤの人間じゃなかったな。見てくれからすると」
黒い艶のある肌と、橙色の瞳、縮れた金髪を数十本近く細かい三つ編みにして、
「まぁ、ヤツがシューホーヤの人間に教えてもらったりはしてたかもしれねぇけど」
「ふぅん。じゃあ、あんたのお師匠さんて元戦士か何かだったの?」
「……随分、興味津々だな」
「そりゃ、そうだろ。聞いたことないんだから」
オヅマは言いながら
一緒に旅したときも含めて、エラルドジェイの強さに脱帽しながらも、彼がいったいそれをどうやって身につけたのか、など訊いたことはなかった。仕事をこなす中で、自然と強くなっていったんだろうと、勝手に思っていたから。
エラルドジェイはオヅマの言い方にかすかな違和感を覚えつつも、ポリポリと耳裏を掻いて思い出す。
「戦士…とは聞いてないな。どっかの貴族の隠密組織にいたって話は、聞いた気がするけど」
「隠密組織?」
「そ。弱小貴族なんかはさすがに無理だけど、そこそこの政治的影響力のある貴族なんかは、私的な諜報組織みたいなの? そういうのを
ニーロが貴族からの仕事にあまり乗り気でなかったのは、おそらくそこでの経験もあるのだろう。手痛い裏切りでもあったのか、あるいは単純に金払いが悪かったのか。
いずれにせよ、そこそこ義理堅い男を失望させる何かがあったのは確かだ。今となっては、もう訊くことなどできないが。
「それって、グレヴィリウスにもあるのかな?」
オヅマは少しばかり考え込む。
そんなものがあるとは、ルーカスからもヴァルナルからも聞いたことがない。
しかしエラルドジェイはヒラヒラと手を振った。
「そりゃ、大グレヴィリウス公爵家にないわけないだろうぜ~」
「でも、俺、会ったことないぞ」
真面目くさって言うオヅマにエラルドジェイは大笑いした。
「ハハハハッ! 堂々と俺は影の組織の一員ですって、名札つけて歩いているわけじゃないからな。普段は普通に仕事してるんだろうよ。従僕とか、庭師とか、あとは馴染みの商人だったりすることもあるし……騎士の中にだっているだろう」
「騎士に?」
「そういう可能性もあるって話」
オヅマは神妙な顔になって、黙り込む。
もし、そういう組織がグレヴィリウスにあるとして、おそらく彼らは公爵直属なのだろう。だとすれば将来的にはアドリアンにも関わってくる話だ。いずれハヴェルとの後継争いは本格化する。そのとき、彼らを手中に収めておかねばならない。あちらにつくようなことになったら…。
そんなオヅマの心中を読んだのか、エラルドジェイがニヤリと笑った。
「そういう奴らの特徴、教えてやろうか?」
「……え?」
「日常でも音をたてない」
「音をたてない?」
「足音がしない、とか。スープを飲むときも、啜る音はもちろん、スプーンが皿にこすれる音もしない。なにせ音をたてないことが自然になっちゃってるような奴は、けっこうな割合で、そういう部類の人間である可能性が高いんだよな。癖だな。もう職業病ってやつ? だから、気配がないんだよ」
「……いきなり背後に立たれて、びっくりしちゃったりして?」
「そうそう。あと、印象が薄い。会ったら思い出すのに、なぜか記憶に留まりにくいヤツ。知らない間に軽く暗示でもかけてんのかねぇ、アレ。たぶん諜報活動のときに、痕跡が残らないようにするためだろうな」
オヅマは記憶を
使用人も含めて、オヅマが思い出せる限りの公爵家と関わりのある人間を、ゆっくりと丹念に思い返す。
「あ……」
「お、いたか?」
「いた…一人、それらしいのが…」
騎士としての訓練を受けて、そこそこ気配に敏感なオヅマをもってしても、いつの間にか背後に立たれて何度か驚かされた人間。
何度も訓練につき合ってもらい、そこそこ面識があるはずなのに、会う度に「こんな顔してたっけ?」と、なぜか見とれてしまう男。今の今まで、しっかりと記憶を
もし
「そうか…そういうことか……」
オヅマはボソリと独り
次回は2023.09.17.更新予定です。
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