昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百五十二話 澄眼習得(1)

 オヅマは帝都から遠く離れた場所で、ヤミ・トゥリトゥデスが公爵直属の諜報組織の一員だと気付いたものの、だからといって今、なにをするということもなかった。

 わざわざアドリアンに知らせるようなことでもないし、ルーカスに答案用紙よろしく「アンタが引き入れろ、って言ったのは、ヤミが公爵の諜報員だからだろ?」なんてことを手紙で書き送るなんて、馬鹿馬鹿しすぎる。

 

 とりあえずは自分のやるべきことをするだけだ。

 オヅマはヤミについては、また公爵家に戻ってから考えることにして、目下は修行に専念することにした。

 

 浄闇(じょうあん)の月に入って早半月が過ぎ、季節は夏本番を迎えている。

 

 まだ朝の涼しい風が吹く中、ハルカと共に走りに行こうとしたオヅマを、ルミアが呼び止めた。

 

「待ちな。今日は走りはナシだ。オヅマ、お前さんはあの酔っぱらいを起こしてきな。ハルカ、アンタは足輪を外しな」

 

 オヅマもハルカもキョトンとして目を見合わせたが、それぞれ言う通りに動いた。

 ハルカがその場に座りこんで足輪を取っている間に、オヅマは家に戻って、屋根裏部屋へと向かった。隅っこに(しつら)えたハンモックを揺らすと、中でいびきをかいて寝込んでいるエラルドジェイが、ひどく渋い顔で呻くようにつぶやく。

 

「勘弁してくれ……夜通しだったんだぞ……」

 

 オヅマはあきれてため息をついた。

 エラルドジェイはここでオヅマの修行につき合うようになり、時々村のほうにも出向くようになった。余所者(よそもの)にはなかなか心を開かない村人も、ルミアの客人であることを含め、気さくでざっくばらんなエラルドジェイの人柄に、すぐに打ち解けた者が多かったようだ。

 そのせいか、度々村に一軒だけの酒場を訪れては、夜遅くまで飲んでいた。

 

「朝まで飲んでんじゃねー」

 

 オヅマがゲシゲシと下から蹴り上げながら、小言めいて言うと、エラルドジェイはかすれた声で訂正した。

 

「飲んでない…飲む暇なんかあるか」

「なにやってたんだよ、夜通しで」

「そりゃお前…」

 

 言いかけて、エラルドジェイは目をつむったまま、ムフフと気味悪く笑う。

 オヅマは呆れ返った眼差しで、ニヤケ顔のエラルドジェイを見た。

 

「寝たまま笑うな。気味悪い」

 

 冷たくオヅマが言うと、エラルドジェイはパチリと目を開いた。

 ぼんやりとオヅマを見つめて、パチパチ目をしばたかせると、ムクリと体を起こす。

 

「やべぇ、やべぇ。お子様相手にくっちゃべっちまうところだ」

「はぁ? どうでもいいから起きろよ。婆さんが呼んでるんだ」

「あーあ」

 

 エラルドジェイはため息をついてから、ヒョイとハンモックから飛び降りた。うーんと背伸びしながらぼやく。

 

「あー…本当に。カトリどもが来る前にとっとと逃げておきゃよかった」

「よく言うぜ。すっかり馴染んでるくせして」

「そりゃ、どうせ休むんなら満喫しないとな。まぁ、いっても開店休業みたいな状態だったけど」

 

 エラルドジェイの言葉に、オヅマは首をかしげた。

 

「そういや、アンタ。そもそもなんでこんなところに来てたんだ? まさか帝都であいつらに捕まって、わざわざこっちにまで連れてこられたわけじゃないだろ?」

「まーね」

 

 エラルドジェイは否定しなかったものの、それ以上のことは言わなかった。どうやら仕事らしい。こういう口堅さも、相変わらずだ。これ以上は訊いても、教えてくれないだろう。

 オヅマは早々に追及をあきらめ(そもそもそんなに興味もない)、エラルドジェイを促した。

 

「ほら、行くぞ」

 

 外に出ると、ルミアとハルカは並んで立っていた。

 

「おまたせ~」

 

 エラルドジェイが、さっきまでの眠そうな様子とは打って変わって、上機嫌でルミア達に挨拶すると、ジロリとルミアが睨んだ。

 

「…酔っ払ってたわけじゃないようだね。腰は? 傷めてないだろうね?」

「ご覧の通り」

 

 エラルドジェイが澄まして言うと、ルミアはフンと鼻を鳴らしてからオヅマに説明した。

 

「いいだろう。じゃあオヅマ、今からここで、この二人を相手にしてもらうよ。相手といっても、アンタは()けるだけだ。手を出すのは禁止。ハルカには短剣をもたせてある。木でできたものだから大丈夫だろうが、よぉく削ってあるから下手すりゃ怪我するよ。アンタはこれ」

 

 ルミアは自分が持っていた木剣をエラルドジェイに渡した。

 通常の剣と同程度の長さだ。

 エラルドジェイはブンブン振り回してから、微妙に柔らかくしなるその剣に、クスッと笑った。

 

岩柳(レントゥーン)で作った木剣とはねぇ。なかなか扱いづらいものを渡してくるじゃないの」

 

 岩柳(レントゥーン)は、帝都以南でよく見られる枝垂柳と違って、幹が岩のように固い。枝も枝垂柳に比べると太くて固いが、同じようにダラリと垂れ下がっており、吹きすさぶ暴風の中にあってもそうそう折れない。

 細い枝は鞭になり、太い枝は今回のような木剣になったりした。ただ、枝によってしなり具合に差があり、扱いづらいとして、騎士団で練習用に使うことはない。

 

「さて、始め」

 

 朝の挨拶をするぐらいの適当な調子で、ルミアは開始を宣言する。

 

 オヅマが文句を言う間もなく、ハルカが向かってきた。

 高く跳躍して真上から狙ってくる。

 オヅマは瞬時に飛び退(すさ)って、大きく息を吸った。

 呼吸による集中を始める。

 その間にも、足輪を取ったハルカは異様なほどの(はや)さでオヅマを追い詰めてくる。

 

 ハルカばかりに気を取られてもいられない。

 手数はハルカよりも少ないものの、ハルカが一瞬息を整える間を埋めるように、エラルドジェイがオヅマに容赦なく攻撃してくる。

 しなりのある木剣は、ギリギリで避けても、思いもよらぬ角度でオヅマの鼻先をかすめた。

 ピュッと肌を切り裂いて血が飛ぶ。

 

「おいおい、澄眼(ちょうがん)とやらはそんなモンか?」

 

 エラルドジェイが嘲るように言うと、オヅマは冷たく見据えながら、呼吸を深めた。

 二人からの攻撃をかわしながら、どんどん集中を増していく。

 途中から耳鳴りがしてきて、オヅマは少しずつ、自分がある一定の境地に近づきつつあることを自覚した。

 

 ルミアは目の前で繰り広げられる立合いを無表情に見ていた。

 ハルカはもちろん、エラルドジェイもまた職業柄と言うべきか、身軽な上に対人の格闘に(こな)れている。だが、その二人からの攻撃をオヅマはすべて(かわ)していた。

 始めた直後はまだ反射だけで、なんとかかろうじて()けて…といった感じだったが、今は明らかに余裕がある。

 

 ルミアもまた呼吸を深め、集中してオヅマの動きを追った。そうして確信する。

 オヅマが『澄眼(ちょうがん)』を発現していることを。

 おそらくあの薄紫の瞳は、ハルカの俊敏な動きも、エラルドジェイの意表をついた攻撃も、まるで水の中で動いているかのように、ゆっくりと捉えているのだろう。

 

 まったく恐ろしい子どもだ。

 たった二ヶ月そこらで発現まで持っていくとは。

 

 ヴァルナルでさえも、視界の順応や気配の察知といった無意識下での感覚野の拡充に二ヶ月。呼吸法を習得し集中を高め、自らの身体を自在に扱って、稀能(きのう)を覚知するまで四ヶ月。修行を始めて半年で、ようやく『澄眼(ちょうがん)』を発現するに至ったのだ。

 

 ルミアは才能もないのにダラダラと居続けられるのを良しとしなかったので、一応修行の期限を半年と区切っていたのだが、当然ながら中には何としても習得したいと、一年近く居座り続ける者もいた。だがそうした者の多くは、結局、出来ないまま去るしかなかったのだ。

 

 ルミアは軽くため息をつき、目をつむる。

 まったくヴァルナルはとんでもないのを息子にしたもんだ…と、内心で嘆じる。

 

「やめ」

 

 パン、と手を打ってルミアが制止すると、ハルカはピタリと動きを止めた。

 エラルドジェイも振り上げた岩柳(レントゥーン)の木剣を下ろす。

 

 ハルカはいつもの無表情、エラルドジェイも少しばかり笑みを浮かべていたが、軽く息が上がっていた。

 二人共に相当な速さでオヅマを追いこんでいったのに、まるで行動の先の先を読んでいるかのように、オヅマは全ての攻撃を躱していった。しかも二人よりも動きは激しかったであろうに、まったく息切れもしていない。

 

「大丈夫…そうだね」

 

 ルミアはオヅマを見て言った。

 ハルカに近づくと、その手から短剣を取り上げる。それからエラルドジェイには、木剣をオヅマに渡すように言った。

 

「私はこれから森に入る。アンタ、私を見つけて打ちかかってきな」

「それ…」

「三十数えたら、開始だ。ハルカ、頼むよ」

 

 オヅマはルミアの真意に気付き当惑したが、それ以上説明することもなくルミアは森へと入っていく。

 ハルカは声に出すことなく、三十数えてからオヅマの背中をポンと叩いた。

 

 オヅマは頷くと、いつも豆猿(まめざる)たちに固い実を投げつけられていた森に入った。

 今は豆猿たちはいない。出産のシーズンとなり、生まれた子どもの世話があるので数も少なくなっていたし、そもそもルミアから餌の合図がない限りは、(ねぐら)に籠もって、こちらにまでやって来ないのだ。

 

 オヅマは森の半ばまで歩いてくると、切り株の横に少し開けた場所を見つけた。

 ストンと片膝をつき、ハアァーと長く息を吐く。

 

 ルミアの意図するところは明らかだ。

 オヅマに『千の目』を見せてみろと言っているのだ。

 確かに、今のこの昂揚…尋常でないほど鋭敏になっている感覚であれば、発現はおそらく可能だろう。 

 

 木剣を左手に持ち、右手は膝の上に置いて、その上に額を乗せる。

 スゥゥと息を細く柔らかく吸い込んで、一度軽く止める。それからゆっくりと、徐々に、口からだけでなく、全身から吐き出していった。

 首の後ろ辺りがチリチリして、鋭敏な神経が伸びていく感覚がする。

 

 うっすらと開いた目は、曇っていった。

 眩しい木漏れ日が揺らめいて、消える。

 虫の音も、どんどん遠くなる。

 漆黒の、まるで次元の違う空間に置かれたような孤独感。

 

 そこにビリッとした不快な違和感が生じるや否や、オヅマは動いていた。

 

 木々の間を音もなく抜ける。

 人間の気配に敏い動物ですらも、オヅマの通ったことに気付いていないようだった。一瞬、何かが過ぎていったことだけを感じて鈍く見たものの、既にそのときにはオヅマの影すらもない。

 

「ハアッ!」

 

 鋭い気合と共に、ガッ! と、ルミアは寸前でオヅマの木剣を短剣で受け止めた。

 オヅマは見開いた目の先に、額から汗を一筋垂らしたルミアの姿を見つけた。

 

「…見事」

 

 ルミアがしわがれた声で言ってニヤリと笑う。オヅマはホッとすると同時に、木剣を離し、その場に座り込んだ。

 

「なに…させて……くれてんだ…よ」

 

 一気に汗が噴き出す。

 先程までの静かな呼吸が嘘のように、荒い息遣いだった。

 

 ルミアは肩をすくめて笑った。

 

「なんだい? 私を殺すかもしれないとでも思ったかね?」

「……まさか、木剣にやられるようなことはねぇと思ったけど……」

 

 オヅマは答えながらも、実のところ心配ではあった。

 自分でもこの技を使うとき、どこまで制御できるのか、わからないのだ。

 

 そう考えると、あの埠頭倉庫でよくもエラルドジェイを殺さなかったものだ。

 あのとき、確実にオヅマは目の前の()である、エラルドジェイを殺すつもりだった。殺さずに済んだのは、おそらくオヅマがまだ未熟であったことに加え、エラルドジェイの驚異的な身体能力がそうさせなかったのだろう。

 

「おぉ~、(ババ)様さ~すがぁ~」

 

 当の本人は呑気に歩いてきて、パンパンとわざとらしい拍手なんぞする。

 

「いきなりオヅマが消えたから、まさかと思ったけど、さすがは稀能(キノウ)の戦士。『師匠(マスター)』と呼ばれるだけはあるねぇ~」

「ふん。おちょくるんじゃないよ。ちょうどいい。アンタ、坊やを運んどくれ」

「え?」

「…大丈夫だよ」

 

 オヅマは息を切らしながら言って、無理に立ち上がったが、ぐらりと視界が回った。平衡感覚がなくなっているのか、二三歩よろけて、ドサリと地面に突っ伏して倒れる。

 

「あ~あ~」

 

 エラルドジェイがあきれた声を上げる。

 

稀能(キノウ)の副作用だ。ま、体はまだこれから鍛えていく必要があるだろうね」

 

 ルミアの声が遠ざかっていく。

 

 キィィィンと高い耳障りな音が頭の中で響いていた。

 オヅマは顔を歪めながら立ち上がろうとするものの、視界が暗く、眩暈もひどくて、どうやって立てばいいのかわからない。

 

 急にふいと体が浮いて、間近にエラルドジェイの声がした。

 

「ったく…無茶するもんじゃねーぜ。ただのガキのくせして」

「……誰…が…ガキ…だ……」

 

 切れ切れにオヅマがつぶやくと、エラルドジェイはからかい半分に言ってくる。

 

「無理して背伸びするもんなんだよ、ガキは。無茶するのがカッコイイと思ってやがるんだよな、ガキなだけに」

「……うる…せ…ぇ」

 

 文句を言いながらも、オヅマは心の中で笑っていた。

 

 エラルドジェイはきっと、オヅマの奇妙さに気付いている。

 まるで昔、会ったことがあるかのように話すことも含め、オヅマが時折見せる子供とは思えぬ酷薄な表情も、おそらく今、ルミアとの立合いを見て、埠頭倉庫で襲ってきたオヅマが、稀能(キノウ)を使っていた事にも気付いたろう。

 

 それでも『ただのガキ』と言ってくれたことに安堵する。

 きっとこのまま何も言わなくても、エラルドジェイがしつこく尋ねたりすることはない。

 

 いつでもエラルドジェイは、オヅマをありのまま受け止めてくれた。

 きっと、ずっと、そうなんだろう…。

 





引き続き更新します。
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