昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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断章 - ハルカの忠誠 - Ⅱ

「お許し下さい。どうか、どうかお許し下さい……」

 

 目の前に跪く領主を、オヅマは無表情に見ていた。

 

「命乞いはそれで終わりか?」

 

 オヅマの隣にいた男が、冷ややかに尋ねる。

 黒い照りのある肌に、つややかな暗金髪(ダークブロンド)を丁寧に幾重にも編み込んだシューホーヤの血を引く騎士。薄暗い部屋の中で、蝋燭と同じ色の瞳は、まだ戦の興奮から抜けきっていないのか、剣呑な光を浮かべている。

 元々、主君からの命令で嫌々オヅマの下につくことになったので、鬱憤がたまっていたのだろう。残忍な戦いぶりだった。今も、不毛な敗戦処理など早々に終えて、さっさと居城(ガルデンティア)に戻りたいに違いない。

 

 男が剣の(つか)に手をかけると、跪いていた領主が後退り、あわてて背後に控えていた女二人を示した。

 

「どっ、どうか命だけは! この娘どもを差し上げますので! どうかッ」

 

 領主は必死になって懇願する。

 そこには髪を結う暇もなく連れてこられた、金髪と赤茶の髪の娘が二人、跪いていた。二人の娘のうち、赤茶の髪の妹らしきほうが姉にすがりつき、金髪の姉はギロリとオヅマを睨みつけた。

 

「ほぉ……」

 

 興をそそられたのは、(つか)に手をかけていたシューホーヤの騎士だった。

 コツコツと姉妹のほうへと歩み寄り、睨む姉の顎を捕らえて、不躾にまじまじと見つめた。

 

「ふん。なるほど……姉妹それぞれに嗜好する者がいそうだな」

 

 舐めるほどの距離で言われて、妹は姉の胸の中に顔を隠し、姉はベッと男に向かって唾を吐いた。

 

「嘆かわしい! 帝国に多大なる恩顧を受けてきたシューホーヤの騎士が、よくもこのような真似を!」 

 

 男はニヤリと笑い、頬についたその唾をグイと手の甲で拭ったあとに、姉の頭を引っ掴んだ。

 

「ふん! さすが皇宮(こうぐう)の侍女であらせられるだけありますねぇ。しかし、生憎と私はシューホーヤの血を引いていても、近衛(このえ)の騎士ではございませんでねェ」

「近衛騎士でなくとも、かの地の民はみな、帝国からの援助を受けて生活しているのです! 貴方(あなた)とても例外ではないッ」

「援助ね……フン!」

 

 騎士はブンと姉をオヅマに向かって放り投げ、姉に駆け寄ろうとした妹の腕を掴んだ。嫌がって身を(よじ)る妹の姿を楽しむように見て、無理やり接吻をする。じっくりと舐め回されたのか、妹はクタクタとその場に脱力した。

 

「ファル……」

 

 オヅマはそこでようやく声をかけた。「あとにしろ」

 

 しかしファルと呼ばれた男は、フフンと鼻で嗤う。

 

「今回は譲ってやったのだ。これくらいの恩賞はあってもよかろう? 心配せずとも、俺が十分に()()してやったあとに、お前にやるさ」

「……くだらないことを」

 

 オヅマは軽くため息をつくと、自分の前で無様にこけたまま睨みつけてくる姉を見下ろした。

 姉はギリと唇をかみしめ、オヅマから目をそらすこともない。

 

(けが)らわしい…! 貴方が皇宮(こうぐう)に姿を現すようになってから、狂っていったのです。すべてが狂っていった!!」

 

 オヅマは自分を(なじ)るその言葉に、なんらの苛立ちもなかった。ただ、問いかける。

 

「言うべきことは、あるか?」

「言うべきこと?」

 

 姉は鸚鵡(おうむ)返しに問い、ケタケタと笑った。

 

「言うべきこと……。あぁ、そうね。あるとすれば貴方が初めて皇宮にやって来たその日に、毒入りのお茶でも飲ませてやれば良かったと思うだけよ!」

「あまり意味がないな……」

 

 オヅマはつぶやくと、剣を抜いたかどうかもわからぬ速度で、首を斬った。

 

 自分に死が訪れたことも知らぬ姉の首が、ゴロリと転がる。

 

【挿絵表示】

 

 妹の悲鳴が響いた。

 

「お姉さまあぁぁッ!! いやあーーぁッッ!!」

 

 そこに現れたのはハルカだった。

 静かに歩いてきて、悲痛な叫び声をあげる妹の姿を一瞥するが、表情が変わることはない。

 

「おやおや。相変わらずご同伴か、まったく。ハルカ、最近オヅマは忙しくて、相手してもらえないんじゃないのか? ()()()、俺が相手してやろうか?」

 

 ファルがからかうと、ハルカはジロリと彼を見て生真面目に答えた。

 

()らない。家中(かちゅう)の者は相手に選ぶなと言われている」

「ハッ! なんだなんだ、オヅマ。お前さん、そんなことまでご指導しているのか?」

 

 あきれたファルの前を通り過ぎて、ハルカはオヅマに一本の巻物を差し出す。

 

「連判状だそうです。ジョルスなる騎士が渡してきました」

「ジョルス!?」

 

 突っ伏して泣くばかりだった妹は、その名を聞いて、驚いたように顔を上げた。ヨタヨタと這いながら、ハルカの足にすがりつく。

 

「ジョルスは? ジョルスは無事なの?」

 

 ハルカはその細く震える手を払い除けることなく、泣き濡れた妹の視線を冷静に受け止めながら頷いた。それからオヅマへと向き直る。

 

「その騎士が、これを渡すことと引き換えに助命を願っております」

 

 オヅマはかすかに眉間に皺を寄せ、ファルはうすら笑いを浮かべ、娘二人を差し出した領主は、ワナワナと震えて天を仰いだ。

 その中でまたも、妹が哀しげに叫ぶ。

 

「嘘よ! ジョルスが…裏切るなんて!! 嘘、嘘ッ!」

 

 オヅマはハルカにジョルスを連れてくるよう指示した。

 現れたジョルスは、蒼白となった旧主には冷たい一瞥をくれたが、泣きぬれた目で自分を見つめてくる赤茶の髪の娘からは目を逸らした。

 

「ジョルス!」

 

 妹はジョルスに駆け寄ると、その腕を強く掴んだ。

 

「どうしてッ? なぜ父様を裏切るようなこと!! あなたは…あなた…言ってくれたじゃないの。私とずっと一緒にいてくれるって……私のことを愛してるって……」

 

 いつまでも自分を見ようとしないジョルスに、ふりしぼるように投げた問いかけは、最後には惨めな涙にかき消された。

 

「やれやれ……」

 

 ファルが半ば笑って、ポンと娘の父親である領主の肩を叩く。

 

「お嬢様は、騎士相手の恋愛ごっこに夢中であられたようですな」

 

 しかし領主はそんなことはどうでもいいように、オヅマの手にある巻物を凝視していた。

 

 オヅマは列記された名前を一通り見てから、領主のそばまで歩いてきて、目の前で広げてみせた。

 

「これが、全てか?」

「…………さようでございます」

 

 領主はもはや観念して、頭を垂れる。

 だがオヅマの瞳は酷薄な光を帯びた。

 

「一人、足りぬであろう?」

「………は?」

「もう一人、いるだろう?」

「………?」

 

 領主が怪訝にオヅマを見上げる。

 オヅマは控えていた従者にペンを持ってくるように言い、そのペンで巻物の中の、列記された氏名の一番最後に『ある人物』の名を書き加えた。再び巻物を広げると、書き加えられたその名を見た領主は、凝り固まった。

 

「ま……さか……」

「その顔は、つまり真実ということか」

「違います!」

 

 領主は激しく首を振り、否定した。

 蒼白の顔が、あっという間に赤紫に変色する。

 

「そのようなこと有り得ませぬ! 決して、決して……なんと畏れ多い、なんという……恐ろしき(はかりごと)を!!」

「ああ……そうだな」

 

 オヅマはそう言うと、巻物をもって背を向ける。

 

「ハルカ」

 

 名を呼んで軽く手を振る素振りをすると、ハルカはためらいもなく領主を斬りすてた。

 続けざまに肉親が殺される姿を見た妹は、もう悲鳴を上げることもできないようだった。呆然と倒れた父親を見るばかりだ。

 一方、死んだ領主を忌々しげに見てから、ジョルスはオヅマの前に跪いた。

 

「……どうか、我が主君として、我が剣に誠実をお与えください」

 

 騎士が主君との契りを結ぶときの、一つの常套句だった。

 オヅマは答えなかった。その場でジョルスを見下ろすだけだった。

 なかなか自分と契約を交わそうとしないオヅマを不審に思ったのか、ジョルスが顔を上げる。

 

「必要ない」

 

 その言葉と同時に、ハルカがジョルスの首を落とす。

 たった一人残された哀れな妹が、再び悲鳴を上げ、泣き叫びながら、彼の遺体にすがりついた。

 

「やれやれ……」

 

 ファルは肩をすくめて、軽く頭を振った。

 

「恨まれるぞぉ、オヅマ。命と引き換えに渡したものであろうに……」

「元より……関わりある者は、皆殺しせよとのご命令だ。例外はない」

 

 オヅマの声は硬く、冷たく、命令を下す。

 しかしそれまで躊躇なかったハルカは、剣を下げたまま、オヅマをじっと見つめた。オヅマは細いセピアの瞳を見返し、ゆっくりと瞬きする。それでもハルカは動かない。

 

「ハルカ」

 

 オヅマが諭すように名を呼ぶと、ハルカは唇を引き結び、背後から妹をグサリと刺し貫いた。

 

「あ……あぁ……」

 

 哀しげにうめき、妹はジョルスの上に折り重なるようにして息絶えた。

 ファルがその姿を見て、ヒャハハと嘲笑った。

 

「ハハッ! うん、いいじゃないか。報われない騎士と、世間知らずのお嬢様の恋の結末としては、上々だァ」

 

 オヅマはもう興味もなかった。すぐにその場を立ち去ろうとして、ハルカが跪く。

 

「……どうした?」

「………叱責を」

 

 オヅマはしばらくハルカを見つめると、手で軽く鶸茶(ひわちゃ)色の頭を押さえた。

 

「よくやった」

 

 感謝の代わりに言うと、ハルカは驚いたようにオヅマを見上げた。

 その様子を見ていたファルが胡散臭そうに首を傾げた。

 

「なんだかなァ…お前たち。まるで主従のようじゃあないか……?」

 

 

***

 

 

 ハルカが本来の主である大公よりも、オヅマに忠義が厚いことはわかっていた。

 だが、そんなことをガルデンティアにいる曲者(くせもの)たちに知られれば、オヅマ自身も、ハルカも、身の置き所を失うだろう。そうなれば公女の侍女をしているマリーとて、何もなしでは済まされない。

 大公の強固にして強烈な自尊心を知っていればこそ、オヅマは自らが彼に猜疑をもたらすことに恐怖した。

 

 ハルカがオヅマに寄せる忠誠を知られぬために、オヅマはハルカと自分に生じている誤解については、あえて解かずにおいた。

 こうしたことは得てして、当人たちよりも周囲が勝手に盛り上がって噂するものだ。その噂に踊らされた者の中に、ハルカの母親であるリヴァ=デルゼもいた。

 

「フン。私の娘と相当に仲良くやっているようだな。なんだ、私が()()()()()()手管で、我が娘を(よろこ)ばせてくれているわけか?」

 

 昼間から酒を飲んでいたらしい。呂律(ろれつ)の回らぬ舌が、ペチャクチャとくだらぬことを吐き散らす。

 

 数年前からリヴァ=デルゼは体を壊しがちになり、もはや戦士としての価値はなくなりつつあった。

 皮肉なことに、身体能力の向上と滋養強壮のために長年飲んでいた薬が、かえって老化を早めたらしい。まだ四十歳にもなっていないのに、歯も抜け、髪も薄くなったリヴァ=デルゼの面相は、すでに老婆のようだった。

 

 いつもであればこうした世迷(よま)(ごと)は無視するのだが、帝都東部で起きた叛乱鎮圧のために向かう今は、オヅマも少なからず気分が昂揚していた。それと見せないが、明らかに気が立っている。そのせいなのか、思わずリヴァ=デルゼの挑発に乗ってしまった。

 

「前々からハルカがお前の娘だというのが信じられなかったが、今日、ようやくわかった」

 

 軽蔑も露わに言うと、リヴァ=デルゼはギロリと充血した目で睨んでくる。「なぁにおぉぅ?」と、だらしなく涎を垂らしながら吠えた。

 

「おそらくハルカは父親似なんだろう。少なくとも母親のように、酒に溺れて()れ事を吐き散らす、下品な女にはならなかったようだな」

「なんだと…?」

 

 リヴァ=デルゼは目を見開き、ブルブルと唇を震わせた。

 

「貴様…私が…あの男に……あの穢らわしく卑しい賤民に、この私が劣るとでも言うかアッ!?」

「あぁ、そうだ」

 

 平然と肯定するオヅマを、リヴァ=デルゼは刺し殺さんばかりに睨みつける。しかし、その怒りに燃えた瞳は、かえってオヅマの嗜虐心(しいぎゃくしん)を煽った。

 

「ハルカの優れた資質はすべて父親譲りだ。卑しい(あい)の民よりも、お前は醜く、愚かで、心貧しい人間だ。もっとも、そうなるように仕向けられたとするなら、憐憫(れんびん)の情をかけてやらぬでもないがな」

「貴様…ッ」

 

 リヴァ=デルゼはギリギリと歯噛みして、オヅマを睨みつける。だが、何故か喉の奥が絞められているかのように、言葉が出てこない。ジワリジワリと足元から這い上ってくるその感情にリヴァ=デルゼは困惑し、うろたえる。

 その憫然(びんぜん)たる様子を見て、オヅマは不敵に嗤った。

 

「どうした、リヴァ=デルゼ。昔はその口からするすると悪態、侮言(ぶげん)罵詈雑言(ばりぞうごん)が止まらなかったというのに、今は舌が震えて言葉にもならないか?」

「ぐ…お…オノレ……オノレ…」

 

 酒焼けした掠れ声は、オヅマを恫喝するに至らなかった。

 昔、リヴァ=デルゼが恐怖によって支配し得たと思っていた少年は、今や彼女の背をゆうに越して、仰ぎ見る存在となっている。彼我(ひが)の力の差は歴然で、自分が目の前に立つ男に永遠に勝てないのだと悟った彼女は、明らかに動揺し、怯えた。

 

「リヴァ=デルゼ…」

 

 オヅマが一歩近寄ると、リヴァ=デルゼは一歩後ろに退()がった。

 

「『千の目』を習得することもできず、所詮騎士にすらなれなかったお前であっても、大公家に恩義を感じているのであれば、礼を守る程度のことはできるだろう?」

「な…なに…を」

「今、お前の目の前にいるのは、誰だ?」

「…うぅ…うぅ…」

 

 リヴァ=デルゼは混乱しているようだった。

 これまで傲慢に他者を睥睨して生きてきた彼女にとって、怯えは主君に対してのみ抱くものであって、断じて目の前の、かつてのか弱い小僧相手に感じるものではなかった。

 おどおどと目線を泳がせて、薄紫色の瞳から必死に逃れようとする哀れな師に、オヅマは畳み掛けた。

 

「大公閣下は、お前に()()育てるように申された?」

「それ…は……」

「その表情(かお)であれば、お前はそうと知っていて、私を()()()鍛え上げてくれたのだな?」

 

 オヅマの薄紫色の瞳に金色の影が閃くと、リヴァ=デルゼはヒッと潰れた悲鳴を上げた。

 ザザッとあわてたように後退(あとずさ)って、足がふらつき尻もちをつく。

 オヅマはまた一歩近寄って、リヴァ=デルゼを見下ろした。

 

「答えろ、リヴァ=デルゼ。今、お前の前に立っているのは誰だ?」

「……お、おお…オヅマ…公子……様」

 

 恐怖と驚愕によるしゃっくりが起きて、リヴァ=デルゼの声は裏返った。

 オヅマはうっすらと口許に微笑を閃かせる。

 夜会であれば、その端麗な微笑みに目を奪われる令嬢もいたことだろう。だが、ここにいるのは、怯える老婆だけだった。

 

「あぁ、そうだ。()()が無事『陛下』となられた暁には、貴様は私を『殿下』と呼ぶことになるのだろう。どうする? 今ここで、これまでの過ちを悔いて頭を下げるか。それとも皇宮(こうぐう)の、諸侯が居並ぶ前で惨めに打擲(ちょうちゃく)されたいか?」

 

 リヴァ=デルゼは震えながら、頭を下げた。すると上からズシリと踏まれ、否応なしに額を床にしたたか打ちつけた。

 

「懐かしいな、リヴァ=デルゼ。かつてお前に同じことをされたとき、痛みよりも、抗いようもない恐怖を感じたが、お前はどうだ?」

「お…許し……を…公子…様」

 

 リヴァ=デルゼがそれこそ哀れな乞食婆のごとく、か細い声で寛恕(かんじょ)を乞う。

 オヅマはギリギリと足の力を増しつつも、その表情は虚無だった。平坦な、なんらの感情もない言葉が口から滑り出る。

 

「あぁ、許してやるとも、先生。お前から女を悦ばせる(すべ)まで学んだお陰で、困ることもない。有難いことだ。感謝してほしいか?」

「…うぅ…うぅ……」

 

 リヴァ=デルゼはうめき、コフッとわずかにもどした。嘔吐物の酸っぱい臭気にオヅマは眉を寄せ、リヴァ=デルゼの頭から足を降ろした。

 

 目を閉じ、大きく息を吐く。

 自らの昏い興奮に吐き気がする。

 頭が痛い。ひどく痛む。また薬をもらわないと……。もう、あの薬でなければ、痛みが収まらなくなってきている……。

 

 爪をたてて拳を強く握りしめたのは、このままだと、哀れで弱いだけの存在となったリヴァ=デルゼを殺してしまいそうだったからだ。

 

「酒を抜いて、公女の護衛に戻れ。()()()()()()()()

 

 今や大公家の騎士団を率いるまでになったオヅマの、直属にして腹心の部下となったハルカは、既に公女の護衛というおもちゃでも出来そうな任務から離れ、オヅマと共に戦場に赴くことが多くなっていた。そのため娘の代わりに、リヴァ=デルゼが公女の護衛を任されるようになったのだ。

 

 戦場において戦うことこそ第一義としてきたリヴァ=デルゼにとって、これは屈辱以外の何物でもなかった。そのせいで気分を腐らせて、酒を飲む日々が続き、ズルズルと堕落していったのだろう。

 

 落ち窪んだセピアの瞳は汚く濁り、往年の血気盛んで、倨傲なる女丈夫の面影はすっかりない。それでも僅かの自負と、娘への強烈な嫉妬が、リヴァ=デルゼを()()に戻す。

 

「……公女の…護衛…」

 

 リヴァ=デルゼはつぶやきながら、ゆっくりと体を起こした。

 オヅマは既にその場から立ち去りかけていたが、背後から低く笑う声が聞こえてくると足を止めた。

 

「…ふ…ふふ…公女の、護衛…公女の……侍女は…誰だった…か…なァ?」

 

 瞬時にオヅマは振り返って、タンと軽く踏み出すと同時に、いつの間にか抜いていた剣が一閃して、リヴァ=デルゼの耳をザクリと斬った。

 

「ギャアアァァ!!!!」

 

 リヴァ=デルゼが叫び、左耳のあった部分を押さえてのたうち回る。

 オヅマはどんよりと、リヴァ=デルゼを見つめた。

 醜い女だ。骨の髄まで腐った、どうしようもない女。

 オヅマは落ちていた左の耳をつまむと、苦痛に歪んだリヴァ=デルゼの顔に投げつけた。

 

「その怪我では、護衛の任も無理であろう。自室にて十分に休養するがいい。公女には話しておく」

 

 吐き捨てるように言って、踵を返し歩き出す。

 今、この場で役立たずの戦士くずれを一人殺しても、オヅマが糾弾されることはないだろう。理由などいくらでも作れるし、それが嘘であろうがなかろうが、リヴァ=デルゼを擁護する者などいない。

 

 それでもオヅマは結局、殺すことができなかった。この女がハルカの母親であるという事実が、頭を()ぎったからだ。

 

 たとえ母親を殺されても、ハルカのオヅマへの忠誠が揺らぐはずもなかったが、それでもハルカにとってはたった一人の身内だ。年々体が不自由になっていく母を、ハルカは文句も言わずに面倒見ている。それはハルカ特有の愛情のない義務感からだったが、それでも唯一の肉親を、ハルカはハルカなりに大事にしているのだ。

 

 ハルカの忠誠に、オヅマは何も(こた)えられない。何をしてやればいいのかもわからない。

 だからせめて、形だけの盲目的なものであっても、子としての務めを果たそうとするハルカの気持ちを無下にしたくなかった。―――――

 

 

「総員、配置完了しております」

 

 ハルカが告げる。

 オヅマは遠くに雨で(けぶ)る集落を捉え、憂鬱に眺めた。

 

「ハルカ……」

 

 呼びかけると、かたわらで黒角馬(くろつのうま)に騎乗していたハルカがすぐにオヅマを見る。

 オヅマは前を向いたままつぶやいた。

 

「裏切るなよ……俺を」

 

 ハルカは驚いたように瞬きすると、胸に拳をあてて宣言する。

 

「我が命は、貴方と共に」

 

 その顔が満足げに微笑んでいたのを、オヅマは知らない。

 





誠に申し訳ないですが、作者の体調不良につき、次回2023.10.15.更新はお休みさせていただきます。

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