昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百五十八話 ハヴェルとリーディエ

 ブラジェナはその後も、折に触れてリーディエのことを語って聞かせてくれた。

 それまで我慢していた分、真正直で誰におもねることもないオヅマには、嘘偽りなく話せたのかもしれない。

 

「元々、リーディエ様は先代の公爵夫人で、閣下の母上であらせられるソシエ=レヴェ様の侍女だったの。なんでも夫人の遠縁であられたらしいわ。その頃には、実は別の方との婚約も決まっていて、グレヴィリウス家には花嫁修業として、お越しになったそうよ。そこで閣下と知り合われて…。リーディエ様は当時十五歳でいらしたから、二つ年下の閣下のことは、弟のようだったと、仰言(おっしゃ)っておられたわ」

「年下? 公爵夫人って、閣下より年上だったのか?」

 

 オヅマは驚いた。

 帝国においては、結婚するとき、男よりも年下の女が好まれる。それは当然ながら、その方が子供ができる可能性が高くなるからだ。(もっとも貴族間であれば、そこは双方の思惑なども絡んで、年齢など後回しにされることも往々にしてあったが)

 

 これまで聞いただけでも、二人の結婚は障害が多かったであろうに、まして女性側が年上とあっては、尚のこと周囲からの反対は想像に難くない。

 

「えぇ、そう。女は…その…十二歳くらいから急に体つきも含めて成長が著しいから、きっと公爵閣下に会った頃は、それこそお姉さんと坊やといった感じだったのでしょうね」

 

 もちろんブラジェナも、その頃のリーディエのことは知らない。だからエリアスとの馴れ初めについては、すべてリーディエから聞いた話だった。

 

「本当はこんな話を、小公爵様にお聞かせできればいいのだけれど……」

 

 ブラジェナは寂しげに言って、お茶を一口飲んだ。

 ちなみにいつもこうした話を聞くのは、ブラジェナから午後のお茶に招待されたときになっている。

 オヅマはクッキーを齧りながら、内心首をかしげた。

 両親の馴れ初めなんて、さほどに興味もないだろう……と、オヅマなんかは思うが、アドリアンはまた違うかもしれない。

 

 ブラジェナは暗くなりかけた雰囲気を払うように、あわてて話を変えた。

 

「そうそう。それにヴァルナルを見つけてきたのも、リーディエ様だったのよ」

「え?」

「町で、剣の稽古をしているヴァルナルを見つけて…紆余曲折あって、騎士見習いとして公爵家の騎士団に入ることになったみたい。今にして思うと、やっぱりリーディエ様のご慧眼というか、先見の明あったればこそよね。だから、ヴァルナル・クランツもリーディエ様にだけは頭が上がらなかったの。それこそリーディエ様にとっては公爵閣下に続く、弟分みたいな存在だったのでしょうね。そのせいで閣下がたまにヴァルナルにまで嫉妬していたけれど」

 

 ブラジェナは当時のことを思い出し、クスクス笑った。

 オヅマは元からグレヴィリウス家門の騎士でもなかったヴァルナルが、どうして公爵に対してああまで頑なに忠実であろうとするのか、なんとなくわかったような気がした。

 皇帝陛下から黒杖を拝受してもなお、皇家直属の騎士とならなかった理由も。

 自らを見出してくれたリーディエと、そのリーディエの意思を尊重して取り立ててくれたエリアスへの恩義に、生涯かけて報いる。それこそがヴァルナル・クランツという騎士の(もとい)なのだろう。

 

「一つ、聞きたいんだけど…」

 

 オヅマはライム水を一口含み、この際であるので公爵家の中で何かと話しづらくなっていることを、ブラジェナにぶつけることにした。

 

「ハヴェルってのは、どういう奴なんだ? 元々は別の家の子供だったんだろ? なんだって公爵の養子になったんだ?」

 

 オヅマの質問に、ブラジェナはしばし黙り込んだ。

 少し冷めたお茶を啜って、苦い顔で話し出す。

 

「それは……公爵ご夫妻が結婚されて、五年が過ぎてもお子様が出来なくて……それで色々と文句を言う者が多かったのよ。中には大っぴらに、離婚するよう迫ってくるようなのもいて……」

 

 公爵夫妻が貴族には珍しい恋愛結婚で、相思相愛であることは疑いもなかったが、にも関わらず、子供はなかなか生まれなかった。公爵夫人として後継者を生み育てることが、もっとも重要なことであると考える人々からすれば、この事実はリーディエという女性の()()を問うに恰好の的となった。

 

 もちろん、エリアスがリーディエと離縁することなど考えられない。

 しかし当時、公爵家を継いで間もないエリアスには、先代公爵以来の宿老たちを黙らせるだけの力がなく、普段は毅然としていたリーディエも、こと後継者問題については頭を悩ませた。こればかりは自分の意志と、行動力によって、どうにかなるようなことではなかったからだ。

 

 周囲の気難しく、口やかましい老人たちを黙らせるために、エリアスはハヴェルを養子として迎えた。

 義母妹であるヨセフィーナと、グレヴィリウス累代家臣であるグルンデン侯爵家の息子であれば、誰も文句など言えようはずもない。

 しかもそれまでエリアスに対して、やや距離を置いていたグルンデン侯爵家との縁を結ぶことで、家内一門の勢力図は大幅に書き換わった。

 

 こうしてハヴェルは大人たちの様々な思惑によって、公爵夫妻の養子となったが、エリアスの幼少期の不遇を知っているリーディエは、同じようなつらい思いをさせることだけはしたくなかったのだろう。

 幼くしてやって来た可愛い甥を、実子同様に愛情を持って育てた。

 

「とても、仲の良い親子でいらしたわ。ハヴェル様も最初は緊張なさっていて、なかなかうち解けることもなかったけれど、徐々にリーディエ様がハヴェル様の心をほぐしていったの。それこそ、知り合われたばかりの頃の公爵閣下と同じように……」

 

 ブラジェナは懐かしそうに、幸せであった日々を惜しむように、ハヴェルとリーディエについて語る。

 

 オヅマは尋ねたものの、どこか釈然としなかった。

 怪訝そうなオヅマの表情に、ブラジェナが首をかしげる。

 

「どうしたの?」

「いや……俺、ハヴェルに会ったけど」

「あら、本当? やさしいお方でいらしたでしょう」

 

 にこやかに言われて、オヅマはますます渋い顔になった。

 脳裏でハヴェルに会ったときのことを思い出す。

 一度目は、本館内にある公爵家代々の家族の肖像画が飾られた画廊、二度目は弓試合のときだ。

 一度目のときはルンビックの執務室を教えてもらったし、二度目のときには自らが負けることで、ヘンスラーの矜持を保ち、アドリアンにも一応花を持たせてくれた。やさしい……と言えば、やさしいのだろうが……。

 

「正直……あんまりいい感じはしなかった」

 

 素直に言うと、ブラジェナは寂しそうにうつむき、ため息をついた。

 

「マティアスからの手紙で、色々と話は聞いているわ。ハヴェル様が弓試合のときに、その場で恥をかいた弓隊長を助けて、小公爵様の印象が悪くなるように仕向けた…と」

「まぁ、そうかな……」

 

 少なくとも、弓部隊の隊長であるヘンスラーは、確実にハヴェルの味方になったことだろう。いや、元からどちらかというとハヴェル寄りではあった気がするが。

 

「私はその場にいなかったから、よくはわからないけど、ハヴェル様は別に小公爵様をおとしめようとしたわけではないと思うの。むしろ、それまであまり親しくしてこなかった弓部隊と小公爵様との間を取り持とうとして…」

「ないない。そういう感じじゃなかった」

 

 ブラジェナが言い終わる前に、オヅマは遮った。

 

「あいつ、笑ってるけど、目が笑ってないんだよ。ああいうやつ、信用できない」 

 

 思ったまま口にすると、ブラジェナの指導が入った。

 

「これ、オヅマ! いけませんよ。ハヴェル様は今でもれっきとした公爵家の継承序列二位でいらっしゃるのですからね。間違っても()()()などと、不遜極まりない呼び方をしてはいけません!」

「えぇぇ?」

 

 不満げに大声をあげるオヅマを、ブラジェナは小さな子供を戒めるように睨む。オヅマはツンと口を尖らせて尋ねた。

 

「なんでそんなに庇おうとするんですか? 伯爵夫人はアド…小公爵さまの味方なんですよね?」

 

 ブラジェナはその問いかけに、ひどく難し気な顔になった。くるくるとスプーンでお茶をかき混ぜながら、その揺らめく波紋をしばらく見つめる。

 

「私は…味方だとか、敵だとか……そんなふうにハヴェル様を見ることができないの」

 

 ブラジェナは哀しげにつぶやいた。

 

「さっきも言ったけれど、ハヴェル様とリーディエ様は血の繋がりはなくとも、本当の親子のように仲良くていらしたの。リーディエ様が小公爵様を妊娠されて、ハヴェル様との養子縁組は解消となったけれど、お二人はずっとお変わりなくお過ごしで、ハヴェル様も小公爵様の誕生を一緒に心待ちにしておられたのよ。リーディエ様にも『兄として可愛がってあげてね』と言われて…」

 

 オヅマは聞きながらあきれた。ブラジェナも、ブラジェナから聞く公爵夫人も、ドレスと宝石のことしか話さない女に比べると頭はいいようだが、少なくとも人を見る目は曇っているんじゃなかろうか?

 ブラジェナは冷淡に話を聞き流すオヅマに、ゆっくりと首を振りながら、またため息をついた。

 

「誤解があるのよ。きっと。そう…そういえば、弓試合のときにはアルビン・シャノルもいたようね」

「アルビン・シャノル?」

「いつもハヴェル様について回ってる、おなかを壊した猫の(フン)みたいな髪の色の、小太りの男よ」

「………」

 

 オヅマはハヴェルのそばに付き従っていた小太りの、嫌味な笑顔を浮かべていた男の姿を思い出したが、それよりもブラジェナの説明があまりにも悪意に満ちているので、思わず押し黙ってしまった。

 オヅマの沈黙を肯定と捉えたのか、ブラジェナはハヴェルへの情愛を滲ませた態度から一変して、いかにも憎々しげに話した。

 

「あの男、ハヴェル様が公爵家にいた頃から、何かとついて回って、しつこかったの。ハヴェル様の乳母の子だかなんだか知らないけど、やたらと頻繁に訪ねてきていたわ。リーディエ様はハヴェル様の友人だとお認めになって、優しく接しておられたけど、私はわかってたの。当時は子供だったけど、あの頃から狡猾だったのよ。サコロッシュの女狐の命を受けて、時々、探りに来ていたのよ。それだけじゃない。わざわざハヴェル様に釘を刺していたの。『リーディエ様のことを信用してはいけない』…ってね」

 

 ブラジェナは今でも覚えている。広い公爵邸の庭の、隅にある四阿(あずまや)で一人泣いていたハヴェル。なかなか口を開こうとしないハヴェルに辛抱強く尋ねると、泣きながらハヴェルは言った。

 

「母上が…お母様……公爵夫人を信じてはいけないって…」

 

 アルビンは必ず口頭で、ハヴェルと二人だけでいるときに、侯爵夫人からの伝言を伝えた。くれぐれも実母である侯爵夫人への恩を忘れることのないように、リーディエの愛情を信じてはいけない…と。

 

「僕は、どうしたらいいんだろう? お母様のことは大好きだけど、信じてはいけないの?」

 

 二人の母親の間で、いつも揺れ動き、惑い、苦しんでいた小さなハヴェル。

 ブラジェナはそれからはハヴェルとアルビンを二人きりにさせないように、わざと気の利かない侍女のフリをして、アルビンの余計な口を封じてやった。

 

 アルビンはこのときのことを覚えていたのだろう。

 ブルッキネン伯爵家への謹慎が解けて、帝都での公爵家の夜会に久々に出席したとき、ブラジェナはハヴェルに挨拶しようと思って行ったものの、アルビンが立ち塞がった。

 

「失礼ですが、伯爵夫人。いかに旧知の間柄とは申せ、ハヴェル様に親しげに声をかけられては、こちらも困るのです。今は一応、許されたとはいえ、またいつ公爵閣下のお怒りに触れるやもしれぬ伯爵夫人と迂闊に話して、こちらにまで累が及んではたまりません。故・公爵夫人の腹心であられた伯爵夫人であれば、まさかハヴェル様に迷惑をかけるようなことを良しとはされませんよね?」

 

 ブラジェナはその時のことを思い出し、拳を握りしめた。

 そうまで言われては、脛に傷持つブラジェナとしては引き下がるしかなかった。自分のせいで、ハヴェルまでが不利益を蒙るようなことがあってはならない。

 

「シャノル家なんて、貴族としては末端も末端だから、どうにかハヴェル様の歓心を買って、のし上がろうと必死なのよ。今も小公爵様との対立を煽って、ハヴェル様を継嗣にしようと画策しているのだわ。女狐と一緒に」

「女狐ねぇ…」

 

 オヅマがややあきれたようにつぶやくと、当人があわてた。

 

「あっ! あら、ごめんなさい。言っちゃってたかしら?」

「言ってました。サコロッシュの女狐……ってのは、グルンデン侯爵夫人のことですか? アドルの叔母さんの」

「えぇ……そう」

 

 ブラジェナは少しだけ気まずそうにしつつも、否定はしない。それどころか(くだん)の人物を思い出したせいか、表情はまた険しくなった。

 

「きっと、ハヴェル様もグルンデン侯爵家に戻られてから、あの女に色々と言われたのだと思うわ。なにせあの女、なにかと嫌味で鬱陶しいことばかり言ってきてたから……。フン! リーディエ様が公爵夫人になられる前には、自分がまるでグレヴィリウスの女主人であるかのように振る舞っていたのが、ぜーんぶリーディエ様に取られたもんだから、逆恨みしてるのよ。当たり前よね。年がら年中、ドレスやら宝石やら、皺伸ばしのクリームのことしか話してないような人間に比べたら、リーディエ様のほうが見目麗しい上に、知識も豊富で、おしゃべりも楽しいから、皆夢中になってしまうのよ! あの皇帝陛下のご愛寵深かったセミア妃だって、リーディエ様のことを『お姉様』とお呼びになって、それはそれは仲睦まじくお過ごしでいらしたのだから。それに(さき)の皇太子殿下にも……」

 

 話している間に様々なことを思い出すのか、ブラジェナは早口でまくしたてる。どうもリーディエの話になると、侍女時代に戻ってしまうらしい。口調も声の高さも、日頃の(おごそ)かな伯爵夫人から一変して、かしましい小娘のようだ。

 オヅマはそれ以上、ブラジェナのリーディエ自慢を聞くのも疲れてきて、無理やりに話を遮った。

 

「つまり、そのグルンデン侯爵夫人っていうのが、女狐で、ハヴェル公子の本当の母親で、アルビンっていう腹を壊した猫の糞みたいな頭の奴を駒にして、公爵家を乗っ取ろうとしてるってわけですね?」

 

 ブラジェナは急に話を遮られたので、ポカンとしていたが、オヅマの言葉にハッと我に返ったようだ。

 

「オヅマ、貴方(あなた)……あけすけに言いすぎよ」

 

 うめくように言って、ブラジェナは額を押さえた。

 オヅマは肩をすくめて、ライム水を飲んだ。

 まったく、誰が言っているのだろうか? その言葉をそのままお返ししたい。

 

 ブラジェナは軽く咳払いすると、取り澄ました顔に戻り、再び話をハヴェルに戻した。

 

「ハヴェル様にも色々としがらみや、背負うものがおありなのでしょう。アルビンや侯爵夫人にしつこく言われて、表立って堂々と動けないのかもしれない。でもね、今でもリーディエ様の命日には、私宛にお手紙とお花を届けてくださるのよ。一緒に故人を(しの)びましょう……とね。きっと、ハヴェル様も本当のところは、小公爵様に()()として接してあげたいという気持ちはおありだと思うの」

 

 オヅマは文字通り、苦虫を噛み潰すしかなかった。あの男がアドリアンを()として見てるとはとても思えない。

 あの目。

 明らかにアドリアンを苦しめ、痛めつけようとしているあの目。

 あれは心の底に恨みと憎しみを抱えた人間の目だ。……

 だが押し黙るオヅマに、ブラジェナは熱心に訴えてくる。

 

「オヅマ、お願いよ。もし、ハヴェル様が小公爵様のために、協力を申し出てくることがあれば、そのときは信じてあげてほしいの。きっと彼は小公爵様の力となってくれるはずよ……」

 

 真摯(しんし)に見つめてくるブラジェナに、オヅマは否と言えなかった。そもそもそんなことがあり得るのか疑問だ。いや……

 

「わかりました。一応、覚えておきます」

 

 そんなことは有り得ない、と断定したからこそ、オヅマは頷くことができた。どうせ有り得ないのだから、嘘をついても、嘘ともならないだろう。

 ブラジェナはオヅマの本心を知ることもなく、ホッとした笑みを浮かべた。

 

「時間はかかっても、リーディエ様の望む形になればきっと…小公爵様もハヴェル様も幸せになれるわ」

 

 ブラジェナのリーディエへの信頼は、盲目的と言ってよかった。

 オヅマはそのことが少しだけ気に障った。ブラジェナは善意の人間だ。けれど彼女のその真っ直ぐな思いやりが、オヅマを不安にさせ、苛立たせ、救いのない暗澹(あんたん)とした気分にさせる。

 ただ一人を強烈に尊崇(そんすう)する人間は、たいがい足元を掬われるのだ。……

 

 




次回は2023.11.05更新予定です。
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