昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百五十九話 詠唱

 いよいよ剣が出来上がったとモンスから連絡を受け、オヅマとエラルドジェイはすぐに向かったが、その途中、道端で木樵(きこり)らしい老人が倒れ込んでいるのに出くわした。

 

「おい!」

「どうした、爺さん?」

 

 オヅマとエラルドジェイは、老人に駆け寄って声をかけた。

 

「う…う…胸が…」

 

 老人は胸を押さえて、苦しそうに息していた。額には冷や汗が浮かんでいる。

 

「おい、しっかりしろ」

 

 オヅマはそのまま意識を失いそうになる老人に呼びかけた。「持病か? 薬か何か持ってないのか?」

 

 老人はゆっくりと首を振り、かすれた声で言った。

 

「サク…せん…せ…い…の、とこ…に……連れ…って、くれ」

「サク先生?」

 

 オヅマが問いかけると、後ろで様子を見ていたエラルドジェイの眉がわずかに寄る。しかしオヅマは気付かなかった。

 荷車を引いた男が通りかかり、教えてくれた。

 

「あぁ、サク先生な。こっから少し行ったとこにある、旧神殿を借りて、俺らみたいな貧しいモンの病気をみてくれてるのさ」

 

 オヅマはそんな奇特な人間がいるのかと半信半疑であったが、とりあえず男に頼み、荷車に老人を乗せて旧神殿へと向かった。町の中心部から少しだけ離れた、こんもり茂った小さな林の中に、半ば朽ちた神殿があった。かつてはシュテルムドルソンの神殿として、各種の行事などが行われていたようだが、今は郊外の小高い丘に新たな神殿ができて、そちらに神官は移ったのだという。

 

 オヅマたちが老人を運んでくると、こうしたことは珍しくないようで、その場にいた男たち数人が、老人を神殿内の一番広い空間に並べられたベッドの上へと寝かせた。彼らもまた怪我や病気でここを訪れた者らしかったが、互いに助け合うのが当然になっているようだ。

 

 やがて呼ばれてやって来たのは、水色の薄物の上着を羽織った男だった。オヅマはおや? と思った。オリヴェルの主治医であるロビン・ビョルネもまた、時折あの上着を着ているのを見たことがあったからだ。

 男は老人の顔色を見ながら脈をとり、胸の音などを確認すると、かたわらにいた同じ服装の若い男に手早く指示する。最後に老人に一言声をかけてから、こちらに向かってきた。

 

「アンタがサク先生?」

 

 オヅマが近づいてきた男に尋ねると、男は少し驚いた顔をしたあとに、ニッコリと笑って言った。

 

「はい、私はサク・レミァンと申します。ヨルフを運んでくれてありがとうございます」

 

 明るい栗色の髪に、同じ色の瞳の、柔和な微笑みを浮かべた男 ―― 年齢は三十を少し過ぎたほどだろうか。

 礼を言われ、オヅマは素っ気なく返した。

 

「俺らは別に大したことはしてない。荷車に乗せてもらえたから、早く運べたんだ」

 

 荷車の男は神殿の前でオヅマらに老人を託した後には、さっさと帰ってしまっていた。

 

「そうですか。色々な人に助けられて、ここに来ることができたのは、きっとヨルフの徳でしょうね」

「徳?」

「えぇ。彼には、困っているときに助けられるだけの、徳があったということです」 

 

 オヅマは首をかしげた。なんだかよくわからない。

 チラとエラルドジェイを見ると、珍しく不機嫌そうであった。

 

「どうした?」

 

 問いかけてもエラルドジェイは答えず、じっとサクを見ている。

 

「アンタ、ここで金のない人間相手に、医者みたいなことしてるようだが、本当の医者か?」

 

 エラルドジェイが冷たい表情で尋ねると、サクは少しだけ顔を曇らせた。

 背後にいた数人の少年や若い女、先程老人をベッドに運ぶのを手伝ってくれた男などが、ムッとした表情で睨みつけてくる。

 

「本当の医者ってなんだよ!」

 

 最初に怒り出したのは、少年だった。

 

「本当の医者なんか、こんなところで、俺等なんか()てくれるわけないだろ! 本物の医者じゃなくたって、先生はちゃんと俺等の体を診て、ちゃんと薬だってくれて、治してくれるんだ!」

「そうよ!! それに文字だって教えてくれて、本だって読ませてもらえるんだから!」

「先生のことを悪く言うなら、出てけ!!」

 

 あっという間に敵だらけになったようだった。オヅマが戸惑っていると、サクがいきり立つ人々を「まぁまぁ」と制した。

 

「彼は訊いてきただけですよ。僕は別に気にしていませんから。ミッツもラドリーも、本の続きを読んでおきなさい。イルモさんも、戻って戻って」

 

 サクはそれぞれに声をかけて散らせた。瞬く間に燃え上がった熱気が落ち着くと、振り返ってオヅマとエラルドジェイにニコリと微笑みかける。

 

「すみません。皆さん、僕よりも正義感が強いというか…この場所を大事に思ってくれているものですから。前に一度、この領地の役人や騎士団の人たちがやって来て、色々と詮索されたもので…それで嫌な思いをされた方もいて」

「ふぅん。で、結局アンタは医者じゃないんだろ?」

 

 オヅマはあえて軽い調子で尋ねた。

 サクは笑ったまま頷いた。

 

「えぇ。アカデミーを出てはいません。ただ、ザルゴリ医師の下で八年学び、一応免許状は頂いています」

 

 医者にも色々あって、勿論、一番信頼されるのはアカデミーを卒業した後、実地での修行を積み、アカデミーの外部組織である医会(サナテル)で証明をもらった医師だ。彼らこそが『本物の医師』と呼ばれる。だが、非常に数が限られており、そのほとんどはグレヴィリウス家などの貴族家か富裕な商人のお抱え医師となったので、平民を診療することは稀だった。サクはおそらくそうした医師の下で弟子となり、免状をもらって、いわば第二の医師として活動しているのだろう。

 

「それにしたって、わざわざこんな辺鄙(へんぴ)な場所で、しかも貧乏人相手になんか…金にならないだろ?」

 

 第二の医師と呼ばれる存在であっても、医者はあらゆる場所で必要とされる。町中で金持ち相手に診療する方が儲かるだろうし、貧民を相手にしても忙しいばかりで、実入りは少ないはずだ。

 

「お金を目的としているわけではありません。私たちは、より多くの、傷ついた人々を救いたいだけです」

「はぁ?」

 

 サクの言葉の意味が、またわからない。

 傷ついた人々? 救う? 誰のために? 何のために?

 オヅマが呆気にとられていると、またエラルドジェイが鋭く尋ねた。

 

「救うにしたって、薬でもベッドでも、用意するには金が必要だろ? 自分の金で(まかな)ってるのか?」

 

 ずっと剣呑とした表情のエラルドジェイにも、サクは笑顔を崩さなかった。

 

「もちろん僕にそんな財力はありません。ここの運営は、数多くの方々のご好意で成り立っております」

「要は、寄付()()()()わけだろう?」

()()()()()わけではありません。どなた様も皆、私たちの活動に賛同して下さった上で、自らに出来うる限りにおいて、ご寄付いただいているだけです。中には多大なるご寄付をくださる方もいらっしゃいます。貴族の方にも、そうした奇特な方がいらっしゃるのです。数多くではございませんが…」

 

 話している間に、神殿の奥から、ひっつめ髪をやや乱した中年の女が、あわてた様子で走ってきた。

 

「先生! サク先生! ミョーリが産気づいたんだけど、顔色がどんどん悪くなってきちまって…」

 

 サクの温和な顔が、一瞬で引き締まる。中年女のあとから現れたのは、先程、木樵老人の処置について指示されていた青年だった。同じような服を纏っているので、彼もまた第二の医師として、先輩であるサクの活動を手伝っているのであろう。(第二の医師が弟子をとって免状を与えることはできないので、弟子ではないと思われる)

 

「エルッケ。『ゴハ』はもう焚いているか?」

 

 サクが緊張した面持ちで尋ねると、エルッケと呼ばれた青年が頷いた。

 サクは向かいかけて、ふと振り返ると、オヅマとエラルドジェイに申し訳なさそうに言った。

 

「すみませんが、これで。まだ何か聞きたいことがおありでしたら、いつでも訪ねていらして下さい。私達の理念についてお聞きくださったら、きっとご理解いただけると思います」

 

 オヅマらに返事する暇も与えず、サクはその場から走り去った。

 

「いや、もう来ないけどさ……」

 

 慌ただしく去っていくサクの背中を見送って、オヅマはつぶやく。

 正直、やっていることは立派なんだろうが、また会って話を聞こうとは思えなかった。どうにもあのテの人間と話すのは苦手だ。根本的に自分とは合わない気がする。 

 エラルドジェイも似たようなものなのだろうか……と隣を見ると、エラルドジェイはいつになく険しい表情で立っていた。

 

「おい、どうし……」

 

 尋ねかけると、エラルドジェイは急に踵を返して歩き出す。

 

「え? あ……オイ」

 

 あわててオヅマは後を追ったが、途中、廊下を歩いていると、フワリと何かの匂いが漂ってきた。

 濃厚で甘ったるい、頭が(とろ)けてきそうな独特の匂いが、鼻腔に貼りついてくる。

 

 オヅマは反射的に鼻と口を腕で押さえた。しかし隙間を縫って忍び込んできた、べっとりとした匂いは、ゆっくりとオヅマの中に浸透してくる。

 キィィンと、奇妙な耳鳴りが聞こえ始め……

 

「…うッ!!」

 

 急に、頭を殴られたかのような激痛が走る。

 オヅマはその場にしゃがみこんだ。

 先を歩いていたエラルドジェイが怪訝に振り返る。

 

「どうした?」

 

 呼びかけてくるエラルドジェイの声が遠くなり、その姿も歪んだ。

 頭の中からも外からも、ガンガンとひっきりなしに叩かれているかのように痛い。そのうち頭が痺れたようになって、キーンと高い耳障りな音が耳奥を刺す。

 

 閉じた瞼の裏には蠢く影……。

 バサリ、と何かに包まれる感覚……。

 低く響く不気味な歌……。

 

「オヅマ!」

 

 エラルドジェイの声に、かすかにオヅマは目を開いた。

 目が回る。ぐるぐると回っている。ひどく気分が悪くて、冷たい汗が全身から噴き出た。

 倒れたオヅマの周りに集まった人々が、ざわざわと何か言っている。

 

「……ここで休養していきなさい」

「あとでサク先生に診てもらって…」

「大丈夫だ。あの先生はとてもいい人だよ…」

 

 降ってくる老若男女の声に混じって、遠く奥深い場所から聴こえてくるのは、妙に間延びした詠唱(えいしょう)……。

 

 

 ――――― (よろこ)(たも)う。(よろこ)(たも)う。いざ、(われ)らが(かみ)なる御世(みよ)へと…

 ――――― (よろこ)(たも)う。(よろこ)(たも)う。(おお)いなる……の(くだ)りし…

 

 

 そのままゆっくりと引きずられるようにして、強烈な眠気が襲ってくる。

 だが目を閉じてはいけない。どこからか、誰か……懐かしい声が、必死で呼びかけてくる。

 

 

 ―――― 目を開けて。目を開けなさい、オヅマ。

 ―――― 苦しくとも、眠ってはいけない……

 ―――― 起きなさい。……エラ……ド……イに…助けを……借り……て……

 

 

 その声が響くと、痺れた頭に稲妻のような痛みがはしった。

 オヅマは奥歯を食いしばり、無理やり目を開けた。声が正しいかどうかよりも、これ以上、遠くから聞こえてくる、気味悪い詠唱(うた)を聞きたくなかった。

 言われた通りに、エラルドジェイの腕を掴む。まるでそれが、ただ唯一の命綱であるかのように。

 

「こちらに連れてきて下さい。とりあえず私が診ましょう」

 

 いつの間にか先程の青年医師エルッケがやって来て、エラルドジェイにオヅマを奥に運ぶように指示していた。

 オヅマは痛む頭を押さえながら、その指の間から彼を見た。

 暗い緑色の細い目。

 その目と目が合った途端、()が囁いた。

 

 

 ――――― 大丈夫にございます、皇子(みこ)様。貴方様は選ばれし方……

 

 

 ()の中、恍惚とした顔で、オヅマを見上げてくる男の顔は、今よりも少し老けている。その目に宿る狂気じみた尊崇に、オヅマはゾッとした。

 

「嫌だ!」

 

 叩きつけるように叫んで、立ち上がる。だがすぐに足がガクリと萎える。

 かたわらのエラルドジェイに(もた)れかかりながら、オヅマは必死に懇願した。

 

「行こう、ジェイ…早く……!」

 

 エラルドジェイは困惑しているようだったが、頷いてオヅマを支えた。

 

「お待ちなさい! そんな状態で」

 

 エルッケが立ち塞がろうとするのを、オヅマはギロリと睨みつけた。

 

「失せろ! お前の手助けは要らぬ!!」

 

 少年とは思えぬ凄まじい気迫に圧倒され、エルッケは腰を抜かした。

 隣にいたエラルドジェイは、一瞬、オヅマの瞳に閃いた金の光に気付き、それとなく長い袖で隠す。

 

「コイツの心配なら無用だ。俺()はここの領主様の客人でね。そっちで診てもらうよ。じゃあ、邪魔したな」

 

 いつものように皮肉めいた笑みを浮かべて、エラルドジェイはオヅマを引きずるように外に出た。

 

 

*** 

 

 

 旧神殿へと続く草の茂る小道の脇で、オヅマは盛大に吐いた。

 ようやく一息ついたときには、全身汗でびっしょりで、さっきまでとは別の意味で気持ち悪かった。

 少しよろけながら、神殿の柱の一部であったらしい朽ちた石台の上に腰掛ける。

 

「どうしたんだよ、お前。いきなり」

 

 エラルドジェイが水の入った革袋を渡しながら尋ねてきた。

 オヅマは受け取って、水をゴクゴク飲むと、一息ついた。口の端に垂れた水を拭いながら、軽く頭を振る。外に出て、あの匂いから逃れると、不思議と頭痛は収まった。

 

「わかんねぇ…あの匂い嗅いだら、なんか、いきなり頭が痛くなって」

「あぁ、あれな。妙なヤツだったな。俺もあんなの初めてだ」

「初めて? あんたが?」

 

 エラルドジェイは、ある種の後ろ暗い薬 ―― 麻薬や毒薬などに精通している。外傷治療などにおいて使用されることのある麻酔薬なども、その範囲に入るものなので、たいがいは知っていた。

 

「なんか言ってたな? ゴハとか…なんだゴハって」

 

 エラルドジェイは腕を組み、ブツブツとつぶやく。あそこで使っていた薬の名前らしいが、昔、村で薬師の婆の手伝いをしていたオヅマも、あんな香をかいだことはなかった。

 オヅマは酸っぱい唾を飲み込んで、視線を落とした。

 本当に自分でも訳が分からない。

 これまで見てきた()は、なんとなく()()という存在を感じられたのだが、今の()にはまったく自分がなかった。まるで他人の夢を無理やり見させられているかのようだった。 

 

 考えていると、また吐き気がしてくる。

 オヅマは深呼吸してから、話を変えた。

 

「ジェイ、あんたも何かあんのか? あの先生のこと、なんか睨んでたような気がするんだけど」

 

 オヅマが尋ねると、エラルドジェイは眉を寄せた。ポリポリと、軽く鼻の頭を親指で掻く。

 

「まぁ…なんだか気に食わないんだよ、ああいうのは。『先生』なんて呼ばれて、上から救ってやってる気になってるようなヤツは」

「ふぅん」

「ま、いいことしてるんだろうけどな。ここの『先生』とやらは。たぶん。世の中にゃ、看板だけ同じように掲げて、悪どいことするヤツもいるから…」

 

 何か理由があって嫌っているらしいことはわかったが、エラルドジェイはそれ以上は言わなかった。 

 

「で、どうする? 今日のところは、領主様のお屋敷に戻るか?」

 

 エラルドジェイはまだ顔色のよくないオヅマを(おもんぱか)って言ったが、オヅマは首を振った。

 

「いや、行くよ。もう大丈夫だ」

 

 明るく言って立ち上がる。

 このまま屋敷に戻って寝かされたほうが、よっぽど考えてしまいそうだった。もう一度、水を口に含み、軽く口内を(すす)ぐと、ベッと地面に吐きつけた。

 粘りつくような甘い香りから逃げるように、オヅマは足早に歩き出した。

 

 




引き続き更新します。
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