新年をあと数日後に控えて、アールリンデンも帝都ほどではないにしろ、どこか浮き立った雰囲気だった。市場などはいつもの店に加え、新年特有の
レーゲンブルトもいる頃には、ラディケ村と比べてその規模の大きさに目を丸くしたものだったが、アールリンデンはまたひときわ盛大で、もはやラディケ村で行われていた新年の祭りなど、子供のままごとのようにすら思える。
浮かれ気分の人々の間を抜け、
「じゃ、ひとまずここで別れるか」
しかしオヅマは「いや」と、首を振った。
「ラオを紹介してくれ」
エラルドジェイに頼んだのは、アールリンデンにあるホボポ雑貨店の亭主との橋渡しだった。店頭に置いてある花器だの、煙草入れだのを買うだけならば、エラルドジェイの顔利きは必要なかったが、オヅマが欲しいのはラオが隠れて扱うような品だ。
「え? あ、そっか。ラオのことも知ってたっけ」
エラルドジェイが驚くと、オヅマはもはや
「あぁ。禿げ頭のおっさんだろ。髪の毛の代わりにヘンな入れ墨した…」
「入れ墨? そんなのしてないと思うけどな…」
エラルドジェイが首をひねる。
オヅマはハッと口を噤んだ。
「まぁ…とりあえず、行こう」
オヅマはそのまま中心街に向かおうとして、エラルドジェイに止められた。
「おいおい。そっちじゃねぇよ」
「え? 日時計広場からメルドゥク路を抜けて、角にある噴水の前じゃなかったっけ?」
「そんないい場所にあるわけないだろ、あのボロ店が」
「ボロ店?」
「こっちだ」
エラルドジェイについていった先は、中心街から少しばかり離れた、粗末な住居が密集したいわゆる貧民街らしかった。ただ、オヅマの
「まぁ、若様の近侍なんぞが、こっちにゃ来ないか」
「いや…レーゲンブルトから来て、朝の遠駆け以外で公爵邸から出たことなくてさ。あそこにいたら、必要なもんほとんどあるし」
「そりゃそうか」
話しながら歩いていると、少し開けた広場のような場所に、人々が集まっていた。大きな天幕が張られた下で、身なりのきちんとした男と、下女らしき女が数人、やってくる人々に毛布を渡している。奥の方では何かスープのようなものと、いかにも固そうな黒パンが配られていた。
いわゆる『施し』というやつだ。新年の前後になると、やたらと増える。
ラディケ村でも、レーゲンブルトでもこうしたことは行われていた。
もっとも昨年のレーゲンブルトにおいては、新年の祝いというよりも、領主であるヴァルナルの再婚を祝して、そのお披露目も兼ねた大盤振る舞いといった様相ではあったが。
今も目の前で行われていたが、アールリンデンという
オヅマたちが近づくと、天幕の中にいた薄茶の砂色の髪の男が目敏く見つけた。
「おや、公爵家の方ですか?」
問いかけられ、オヅマは頷くしかなかった。
アールリンデンに着くまでは、正直そこらの農民と変わらないような格好をしていたのだが、今日は公爵邸に入るので、騎士の訓練服を着て、公爵家の紋章が染め抜かれた、グレヴィリウスの色である青藍のマントを羽織っていたのだ。
「何をしてるんですか?」
オヅマが尋ねると、男は微笑んで言った。
「ハヴェル様の篤志にて、アールリンデンに住む民が健やかに新年を迎えられるように、ささやかながら物品をお配りしております」
「ハヴェル…?」
オヅマは眉を寄せて、居並ぶ人々と渡されている品物を見た。
帝国の東北部に位置し、夏でも比較的涼しいアールリンデンとはいえ、この時期に毛布は必要としないだろう。おまけにスープとやらも、チラと木の椀の中身を見たが、なんだかよくわからない草のようなものが入っているだけで、
目線を天幕に向けると、そこにはグルンデン侯爵家の紋章である白百合と金の弓矢が二本、刺繍されてあった。
オヅマがジロジロと見回している間に、男のそばにやってきて耳打ちする者がいる。存在感のあるその姿に、オヅマはすぐに思い出した。以前に公爵邸の本館で、オヅマに嘘を教えてきたあの丸顔の、ずんぐりむっくり従僕だ。
「これはこれは。小公爵様の近侍が何故、このような場所に?」
やたらと大声で(特に「小公爵様」を聞かせるように)、顔だけは相変わらず人良さそうな微笑を浮かべて尋ねてくる。
周囲で施しを受けていた人々が、途端に眉をひそめ、コソコソとささめきあった。
「小公爵って、あの、我儘放題だっていう……?」
「とんでもない癇癪持ちで、少しばかり気に食わないことがあったら、すぐに暴れまわるんだってよ」
「公爵様も匙を投げていらっしゃるそうな……」
「まったく。リーディエ様もお嘆きであろう……」
「ハヴェル様はちゃあんとリーディエ様に育てられたから、いまだにわたしらみたいなモンにも、こうして気配り下さって……」
耳を澄まさずとも聞こえてくる人々のコソコソ話に、オヅマは黙り込んだ。
こうまでアドリアンのことが
ここまで
それが誰の意図によるものか……。
オヅマはスゥっと目を細めた。
「名前は?」
オヅマはずんぐりむっくりの質問には答えず、反対に問いかけた。
え? と丸顔従僕はどこか
オヅマはもう一度尋ねた。
「名前だ。お前の」
冷ややかに問いかけられ、従僕は少し鼻白んだが、ヒクヒクと頬を痙攣させながらも
「これは、失礼。小公爵様の近侍が、
「それが名前か?」
「は?」
「『これは失礼。小公爵様の近侍が、私ごときの名前などご存知なくても当然でしょうな。ハヴェル様は、公爵邸の使用人は洗濯女の名前まで全てご存知ですが』というのが、お前の名前なんだな?」
すっかりきれいに
従僕はすっかり笑みを消し、憤然として名乗った。
「わっ、私にはフーゴという名前がございます!」
「だったら、とっととそう名乗れ。くどくどとおしゃべりな従僕だな」
「な…なんと、無礼な」
「無礼?」
オヅマは聞き返しながら、一歩、フーゴへと歩み寄る。
フーゴは自分よりもはるかに年少でありながら、ジワリと這い寄る威圧感に思わず背を反らした。
「お前、何者だ?」
静かに低い声でオヅマが尋ねる。
フーゴは動揺しつつもどうにか平静を装って、必死になって言い返した。
「はっ? な、なんですと?」
「お前は、グレヴィリウス家のなんだ? 使用人だろ? 本館の従僕だよな?」
「さ、左様…」
「じゃあ、俺が誰なのか知っているか?」
「そ…れは」
「まさか、グレヴィリウスの本館で働くような従僕が、小公爵さまの近侍の名前さえわからないとでも言う気か?」
「お…オヅマ……公子」
フーゴは一歩後退り、小さく背をすぼめながら絞り出すように言った。オヅマを見上げる目に、戸惑いと怯えが見え隠れする。
オヅマは腕を組み、うっすらと不敵な笑みを浮かべた。
「わかってるんじゃないか。じゃあ、聞こう。今、ここで無礼があったのは、お前か? 俺か?」
「も……申し訳ございません」
フーゴは薄紫の瞳が迫るのに耐えきれないように、頭を下げた。
オヅマは傲然とフーゴを見下ろして言った。
「色々と俺に対して思う所はあるんだろうな。でも、貴族の屋敷で仕えるのであれば、出自がどうあれ、
家令であるルンビックを持ち出した途端、フーゴはあわてたようにペコペコと何度も頭を下げた。自分の無礼な行為を告げ口されると思ったらしい。
「も、申し訳ございません! どうかお許し下さい!! 私が至りませんでした、どうか…!」
オヅマは答えず、最初に声をかけてきた砂色の髪の男を見た。強張った顔で、じっと見つめている。オヅマがギロリと睨むと、ハッとしたように頭を下げた。追随するように、隣にいた下女たちも同じように頭を下げる。
「公子様と気付かず…失礼を……」
「お前はグルンデン侯爵家から来たのか?」
「は、はい」
「そうか。それで、これはハヴェル公子の篤志ってわけだ?」
「左様で、ございます…」
男は消え入りそうな声で言って、身を小さくする。まだ少年といっていい年齢であるのに、その威圧感は自らの仕える主人以上のものがあった。チラと腰にある剣に目がいって、ますます体が固くなる。有り得ないとは思っていても、いきなり抜き打ちで斬られそうな気がする。
だが身を細らせる男の予想に反して、オヅマはそれまでの冷然とした態度を一転させた。組んでいた腕を解くと、軽く頭を下げ、明るい口調で礼を述べたのだ。
「小公爵さまに成り代わり、礼を言っておく。小公爵さまは成人前で、こうしたことが大っぴらにできないんだ。ハヴェル公子の
薄紫色の目を細めて微笑む姿に、男は思わず目を惹きつけられた。隣に並んだ下女たちも、それまでの緊張が解けると同時に、少年の整った顔立ちに
事の成り行きを見ていた民たちまでもが、急に現れたこの傲慢でありながら、優雅に笑う少年に一瞬にして魅了されたようだった。
「行こう、ジェイ」
エラルドジェイに声をかけて、バサリと青藍のマントを翻す姿もまた、堂々としたものだった。その洗練された立ち居振る舞いを見た数人の少年たちは、わかりやすく憧れの眼差しを向けた。
エラルドジェイは少しばかりこそばそうな笑みを浮かべて頷くと、再び先に立って歩き出す。
しばらく黙念と歩き、人の姿がまばらになったところで、いざ冷やかしてやろうかと振り返って、「ゲッ!」と声を上げた。
「どうした?」
オヅマは怪訝に尋ねたが、エラルドジェイは何も言わずにオヅマの背後を睨んでいる。誰かいるのかと振り返ると、そこに立っていたのは、短い銀髪に
「見事でしたね、オヅマ公子」
「ヤミ・トゥリトゥデス卿…?」
オヅマが名前を確認するように尋ねると、ヤミは少し眉を上げて、やや驚いたように言った。
「よく、私のことを覚えておいででしたね」
それから舐めるようにエラルドジェイを見て、
「もっとも、その男と一緒にいるのであれば、不思議はないかもしれませんが……」
オヅマはその言葉にエラルドジェイに向き直った。ヤミと相反して、エラルドジェイは不機嫌極まりない仏頂面だ。
「おい、ジェイ…知り合いなのか?」
尋ねると、エラルドジェイは反対に尋ね返してくる。
「なんで、お前が知ってんだ?」
「なんでって、この人はグレヴィリウス騎士団の騎士だぞ」
「はぁ? コイツが騎士? グレヴィリウスの?」
大声でエラルドジェイは非難するように喚いてから、額を押さえた。
「グレヴィリウスも血迷ったんじゃないのか? なんでこんなのを騎士になんて…」
「失礼だぞ、フィリー。公爵家で勤める者が二人もいる前で、しかもこのアールリンデンで、よくもそのようなことが言えたものだな」
「ヘッ! お前こそ、よくもそんな御託が並べられるな! せいぜいそのお綺麗な顔で騙くらかしたんだろうが、どうせそのうちボロが出やがるさ!」
オヅマは急遽始まった喧嘩(?)に、目を白黒させながら、二人の会話に割って入った。
「ちょっと待ってくれ。えーと、知り合い? なんだよな?」
ヤミは頷き、エラルドジェイはギリギリ歯ぎしりしながら否定も肯定もしない。とりあえず肯定と捉えて、オヅマはエラルドジェイに尋ねた。
「フィリーって? ジェイ以外に名前があるのか?」
「通り名ですよ、いくつかあるうちの」
エラルドジェイが答えるより先に、ヤミが答える。
「うるせぇ! 余計なこと言うな」
「聞かれたから答えただけだ。それにしても ――― 」
ヤミは一旦、言葉を切ってオヅマとエラルドジェイをそれぞれ見つめた。
「まさかお前が、オヅマ公子と知り合いというのは……興味深いな」
「あぁ。俺が怪我しているジェイを助けたんだ。ヤミ卿とジェイは?」
オヅマはすぐに話題を入れ替えた。
以前、エラルドジェイと公爵家の諜報組織について話していたとき、思い浮かんだのはヤミだった。今も、背後に立たれても気付かなかった。彼がもし本当に公爵直属の諜報員ならば、今オヅマに声をかけてきたのも何か意図があるのかもしれない。
ヤミはさらりと答えるオヅマにやや鼻白んだ顔になったが、すぐに元のうっすらとした笑みを浮かべた。
「元々は、奴隷仲間…といったところです」
「奴隷仲間?」
「えぇ。同じ奴隷商人のもとにいて、それぞれ別の場所に売られました。私は一時期、白の館におりまして、偶然にこの男がやって来て、仕事を手伝って欲しいと言うもんですから……」
「白の…館?」
オヅマが眉を寄せて聞き返すと、ヤミはクスリと笑った。
「オヅマ公子はまだまだご存知ないでしょうが、世の中には様々な店がございます。女を買う店を赤の館というのに対して、男を買う店は白の館と…」
オヅマの顔が歪み、軽く唇を噛む。おおよその予想はしていたものの、瞬間的な嫌悪感はどうしようもなかった。
「黙れ! 子供になに言ってんだ、お前は」
エラルドジェイが怒って言うと、ヤミは目を細めて笑った。
「そうやって隠し立てするほどに、妙に怪しまれるものだろうに…」
「仕事だろ?」
いかにも訳ありげな雰囲気を作ろうとするヤミに、オヅマは冷たく切り込んだ。
「ジェイは仕事でそこに来て、あんたも一時期いたってことは、お互い様だったんじゃないのか?」
オヅマの問いに、ヤミは笑みを浮かべたまま、軽く首を傾げる。いかにも昔、妓楼にいたと思わせる
「お互い様?」
「店の
ヤミは笑顔をスッと消して、エラルドジェイを冷たく睨んだ。
「私のことを話したのか?」
「俺がお前のことなんか話すか。だいたい、お前がコイツと知り合いなんて、今さっき知ったんだぞ」
エラルドジェイが吐き捨てるように言うと、ヤミは急に白けたように鼻を鳴らした。
「ふん。まぁいい。私はこれで失礼する。あぁ、オヅマ公子。先程はなかなかに痛快でしたよ。ですが、尻尾をいくら切ったところで同じ。小公爵様に着せられた汚名を返上なさるのでしたら、口先だけでなく、何かしら行動で示すべきでしょう」
「…
オヅマが
「やれやれ。とんだ奴と鉢合わせちまった」
「ヤミ卿がグレヴィリウス公爵家の騎士だって、知らなかったのか?」
「知るわけあるか。野郎と会うなんざ、あの時以来だってのに。まったく…よくもあんなのを騎士なんかにしたな。グレヴィリウスって大馬鹿なのか」
「単純な騎士じゃなさそうだけどな」
ヤミの消えた通りの角を見ながら、オヅマはポツリとつぶやく。エラルドジェイが怪訝そうに首を少し傾げた。
「前にあんたが教えてくれたろ? 公爵家の諜報組織の話」
以前、稽古中にエラルドジェイが言っていたことだった。
グレヴィリウスのような大貴族であれば、私的な隠密組織を抱えているだろう…と。そのときに諜報員の
それはエラルドジェイの態度からも肯定された。
「あぁーあ。うん。まぁ、それは…そうだろうな」
「白の館で会ったのも、お互いにそういう状況だろ?」
「……まぁな」
エラルドジェイは素っ気なく言ってから、歩き出したが、急にクルリと振り返った。
「おい、お前。あんまりアイツと仲良くなるなよ」
「は?」
「アイツはなぁ…アイツは、性格が良くない! というか変態だ。だから相手すんな」
「……どういう知り合いなんだよ、あんたら」
オヅマは訳が分からなかった。どうもエラルドジェイとヤミの間には、元奴隷仲間という以外の繋がりがあるようだ。それにしても『変態』とは…?
「もういい! 行こうぜ、ホラ、行くぞ」
エラルドジェイは訝しげなオヅマの表情に、あわてて背を向けて歩き出す。
オヅマは首をかしげつつも、その後についていった。
次回は2023.11.26.更新予定です。