昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百六十六話 正義の公女と大公ランヴァルト

 アドリアンはテリィから大公家(たいこうけ)のシモンという名前を聞いた途端に、一昨年前の(いさか)いを思い出し、すぐさま向かった。

 昨年はあちらが病を患ったとかで、皇家(こうけ)での宴席にすべて欠席していたので顔を合わすこともなかったが、やはり何かしら(くすぶ)っていたのだろう。

 えっちらおっちらと、ほとんど歩いているに近い速度のテリィを追い立てるように走って、ようやくその場所にたどり着くと、少年たちに囲まれて暴行を受けていたキャレが、今しも力を失って倒れそうになっていた。

 

「やめろ!」

 

 鋭く制止すると、アドリアンの声にビクリと震えてシモンが振り返る。

 キャレを足蹴(あしげ)にしていた近侍たちの動きも止まり、その隙に、エーリクがアドリアンを追い越して、彼らの前にズンと立った。自分たちよりも年上と(おぼ)しき ―― おそらくエーリクのほうが年下ではあるのだが ―― 長身の男に威圧され、シモンの近侍たちが後ずさると、エーリクは彼らをギロリと睨みつつ、倒れたキャレを抱き起こす。

 

「どういうことです、これは?」

 

 アドリアンが尋ねると、シモンは病のせいか痘痕(あばた)の残る顔に、嫌味たらしい笑みを浮かべて言った。

 

「それはこちらも聞きたいことだ。グレヴィリウス小公爵には、我らになにか遺恨(いこん)でもおありか? 近侍を使って、無礼を働くとは」

「無礼? キャレがなにかしましたか?」

「僕を誰ぞに間違えて呼び止めたのです。しかも注意をしたら、唾を飛ばしてきて……」

 

 アドリアンは厳しい顔で、エーリクに抱えられたキャレを見る。

 キャレはきれぎれに「すみません…」を繰り返すばかりだ。汚れた頬には、何か鋭利なもので切られたかのような赤い切創があった。

 ギリ…とアドリアンは歯ぎしりした。

 

「確かに無礼があったかもしれません。ですが、それならばまずは、僕に対して抗議するべきでしょう。このように直接、罰を与えるのは行き過ぎではありませんか?」

「ふん。本当に罰を与えるのやら。そのように可愛らしい近侍では、小公爵も()()()()()()()()()をかけられるのでは?」

 

 アドリアンはその意味が、よくわからなかった。だが、シモンのあばた顔に浮かんだ嗤笑(ししょう)に、どこかしら卑猥(ひわい)な、ひどくいやらしいものを感じて、一気に不快感が沸き立った。

 

「無礼はそちらだろう、シモン公子! 他家の近侍に対して乱暴を働いた挙句、勝手な憶測で僕を侮辱する気か!?」

 

 二年前であれば、シモンも同じようにいきり立って、また暴力沙汰となったかもしれない。だが、二年の間にアドリアンが成長したように、シモンはより狡猾になったようだ。

 

「これは失礼。少々口が過ぎたようだ」

 

 すぐさまに鉾を収められ、アドリアンはそれ以上の抗議を封じられた。

 

「だが、そこの近侍も謝っているように、無礼があったは事実。罰を与えるは必定(ひつじょう)。害を受けたは当方にある。後で罰したと言われても、こちらには確かめようもないこと。(しか)らば、我らが目の前にて、この近侍、罰して頂きたい」

 

 アドリアンはまたチラリとキャレを見てから、ぐったりした姿に唇を噛み締めた。シモンの言葉が聞こえていたのか、キャレはまだ謝ろうと、エーリクの腕の中で身じろぎする。

 アドリアンはすぐにシモンに向き直って言った。

 

「彼は今、動けません。代わって僕が謝罪いたします」

「ほぉ……」

 

 シモンは待ちかねたとばかりに、口を歪めた。アドリアンを睥睨(へいげい)して、ツイと地面を指差す。

 

「そこに……頭をつけて、衷心(ちゅうしん)より詫びて頂こうか」

「…………」

「無理であるならば、近侍の誰ぞに代わってもらってもよいのですよぉ」

 

 シモンの言葉に、すぐに進み出たのはマティアスだったが、アドリアンは止めた。

 

「いい、マティ」

「いけません小公爵さま。これではグレヴィリウスの品位に……」

「いいから……」

 

 アドリアンはマティアスを押しとどめ、その場に膝をついた。

 きつく拳を握りしめて、頭を下げようとしたとき、鋭い女の子の声が響いた。

 

「お待ちなさい!」

 

 その場にいた面々はすべて、声のする方へと視線を向ける。

 キャレはエーリクの腕の中で顔を動かした。シャッシャッと衣擦(きぬず)れの音がして、膝をついたアドリアンの横に立ったのは、先程去ったとばかり思っていたダーゼ公女だった。

 

「な……なんだ……」

 

 シモンはいきなり現れた公女に、完全に面食らったようだった。

 アドリアンもまた、初対面ながら自分をジロリと睨むように見る公女の迫力に、少し気圧(けお)された。

 近侍らに至っては、なべて全員が驚いて口を開けっ放しになっていたが、理由はどちらかというと公女の神々(こうごう)しいまでの美しさに圧倒されてのことだろう。

 二人の公子の様子をそれぞれに見てから、公女はフゥと息をついた。

 

「グレヴィリウス小公爵様、お立ちになって下さい。あなたが謝る必要はございません」

「え?」

「そのような謝罪は無用と言っています。彼は……」

 

 ダーゼ公女はチラリと背後のキャレを見て、少し痛ましそうに眉を寄せた。

 

「無礼など働いておりません。むしろ、(わたくし)を助けてくれたのです」

 

 アドリアンは呆気に取られた。

 目の前の少女の美しさよりも、その青翠(あおみどり)の瞳に宿る、燃え盛るような怒りに引きつけられる。

 

「どういうことですか?」

 

 アドリアンは立ち上がりながら尋ねた。

 少女はジロリとシモンを睨みつけ、その強い視線に、ビクリとシモンは震えて後ずさる。

 

「な、なにを……」

「しらばっくれることですね、シモン公子。私が気付いていないとでも思ったのですか? 貴方(あなた)は先程、私が貴方に対して、すげない態度を取ったことに腹をたてて、どうにか仕返ししてやろうと、私の後をつけてきたのでしょう?」

「ばっ……そっ、そんなことは……っ」

「後をつけて何をしてくるのかと思えば、幼稚にも飴細工を私になすりつけようとしていましたね? 否定なさる気? でしたら、そこの彼の頭にへばりついているものは何かしら? せっかく美しいルビーの髪が台無しだわ」

「ぬっ、濡れ衣だッ」

 

 シモンは喚いたが、公女はまるで相手する様子もなかった。持っていた扇をベシリと手の中で打って、シモンを威嚇し黙らせると、クルリとアドリアンに向き直る。

 

「順を追ってお話ししましょう、グレヴィリウス小公爵様。私は今日、このシモン公子に舟遊びに誘われたのですけれど、気分が優れなかったので断ったのです。それから皇太子殿下との謁見を終えた後に、一人きりになれそうな場所を探して歩いていたら、誰かが後をつけてきました。

 正直、そうしたことは珍しくもありません。私は無視してそのまま歩いていたのですが、突然、後ろから大きな声が聞こえました。貴方の近侍が声を上げたのです。振り返ったら、今しもシモン公子が私の頭に飴をなすりつけようとしていました。

 私はそのままそこにいたら、この幼稚な公子様の(すね)を蹴りつけそうでしたので、お父様の教えに従って、しばらくその場を離れ、気持ちを落ち着かせていました。それから気付いたのです。貴方の近侍はおそらく、私がシモン公子に悪戯されそうだと察して、声を上げてくれたのだろうと。

 それで私が戻ってきたら、貴方が今しもこの卑劣な男に、無用の謝罪をなされようとしていたわけです。お分かり頂けまして?」

 

 おそらく自分よりも年下ながら、公女の堂々とした話しぶりにアドリアンは圧倒されっぱなしだった。それはシモンも同様であったが、ハッと我に返ると、あわててブンブンと頭を振る。

 

「違うっ! そんなのは嘘だッ!! 言いがかりだッ」

 

 しかし公女はまったく臆する様子を見せなかった。ギロリと睨みつけると、一歩シモンににじり寄った。

 

「シモン公子。貴方はグレヴィリウス小公爵様ばかりか、(わたくし)までも侮辱なさる気? どうして私が嘘を言わねばならないの? 皇帝陛下から厚い信任を受け、陛下直々に大勲章を賜りし宰相ダーゼ公爵の、ただ唯一の公女たる()()私が、いったい誰におもねって嘘を言う必要があると言われるの?」

 

 シモンは自分よりも年少の公女相手に、すっかり気を呑まれていた。

 公女の美しさはこの場合、確かに武器であった。その神々しいばかりの美貌は、気弱な人間であればひれ伏すしかない。吸い込まれそうな青翠の瞳は、それこそサラ=ティナ神の真誠の瞳であるかのごとく強い光を放ち、懦弱(だじゃく)な嘘など見破って天罰を与えそうであった。

 

 シモンが反論できずに、その場が一瞬沈黙すると、パンパンと手を打つ音がした。

 

「やぁ~、さすがさすが。白髭宰相の娘御なだけあって、なんとまぁ気の強い公女様だ~」

 

 ニコニコと笑いながら、(はや)し立てるように言って現れたのは、太陽の光をそのまま写し取ったかのような、煌めく鬱金(うこん)の髪の少年だった。

 その(かたわ)らには、豪奢な錦の頭巾(ずきん)を被った男が立っている。

 

「皇太子殿下!?」

「大公殿下!!」

 

 その場にいた全員が、それぞれに声を上げる。

 例外はエーリクに抱えられて朦朧としていたキャレと、父大公の出現に蒼白になったシモンだけだった。

 

「どうして、ここに…?」

 

 アドリアンが呆然と尋ねると、皇太子・アレクサンテリはヘヘッと悪戯っぽく笑った。

 

「だって~、アドリアンがえらくあわてて走って行ったっていうからさぁ。しかも、シモン公子となんかあった~とか聞いてさ~。こりゃあ、見物に行かないとねぇ。僕、一昨年(おととし)の喧嘩は見逃しちゃったしね~」

 

 アドリアンは憮然となって、眉間に皺を寄せる。

 アレクサンテリがその皺を二本の指でニョイと引き伸ばしてきて、アドリアンはムッと手を払った。

 

「おやめください。見世物ではございません」

「おやおや。そんなことを言って。穏便(おんびん)に済ませるために、わざわざ大公殿下を連れてきてあげたのに? しかも人払いまでしてあげたのに?」

 

 まるで小動物が甘えてくるときのように、丸くてやや垂れ目の、アレクサンテリの紺青(プルシアンブルー)の瞳が、あどけない表情を見せる。だが、アドリアンはそんなあざとい皇太子の演技よりも、言われたことにハッとなって周囲を見回した。相当大きな声で怒鳴っていたのに、近辺に物見高い貴族の姿はない。

 

「いつから……?」

「さぁ? そんなことはさておき。大公、どうしよう?」

「左様でございますな……」

 

 アレクサンテリに問われ、大公であるランヴァルトが息子へと目を向ける。

 すぐさまシモンは目線を逸らしたが、大公はまるで地面の上を浮遊するかのごとく音なく移動し、息子の目の前に立った。

 

「弁明があれば聞こうか?」

 

 やさしく問いかける父に、シモンは唇を震わせながら答える。

 

「そ…それは…その……ですから、あの……だ、ダーゼ公女の……誤解……」

「ほぅ。誤解? ではグレヴィリウス小公爵の近侍に、暴行したことについては?」

「それは……無礼があったので、少し……戒めの…ために……」

「その上で、小公爵に対してまで、地に頭をつけて謝罪をするよう迫ったと?」

 

 シモンの手がブルブルと大袈裟なほどに震えた。穏やかな雰囲気を漂わせながら、厳しく自分を見つめてくる父の顔をまともに見れずに、ギュッと目をつむる。

 ランヴァルト大公はその姿を見て、かすかな吐息をもらし、息子の肩をそっと掴んだ。

 

「よいか、シモン。先程の公女の言葉、(われ)はあれを嘘と思わぬ。なぜか? それは公女の品格がそうさせる。グレヴィリウス小公爵も(しか)り。(とうと)き身分であれば、品性を磨くことで、()るべき信頼というものがあろう。だが、其方(そなた)にはそれがない。(われ)が日頃、教え諭すは、そのことよ。まだ、わからぬか?」

「………わ、わかっております」

「わかっておるならば、今、ここで其方(そなた)の品性を示せ」

「…………」

 

 父の求めることがわからず、シモンは首をすぼめて縮こまるしかなかった。

 ランヴァルト大公は軽く目を閉じて、深くため息をつくと、アレクサンテリに向き直った。

 

「帝国の(うるわ)しき太陽樹の青き枝、皇太子殿下の催される会にて無粋な騒ぎを起こしました。お許し下さい」

「いいよいいよ。むしろ、僕は面白かった」

 

 アレクサンテリは本当に愉しげに言って笑う。

 ランヴァルト大公はもう一度頭を下げると、今度はダーゼ公女と目を合わせる。

 

「ダーゼ公女、愚息が失礼致した。親として代わって謝罪する。お許し願えるだろうか?」

「もちろんでございます。むしろ、大公殿下にそのような気遣いを受けるなど、もったいないことでございます」

 

 ダーゼ公女はその麗しい姿を一切裏切ることのない、完璧なまでの作法で受け答えた。

 次にアドリアンを見るランヴァルト大公の紫紺(しこん)の瞳は、とても穏やかだった。

 

「グレヴィリウス小公爵。一昨年に続き愚息の数々の無礼、お詫びのしようもござらぬ。貴公の近侍については、十分に慰謝致しますゆえ、此度は()()()お収めいただけるだろうか?」

 

 アドリアンは大公の意をすぐに汲み取った。つまり、前回のような家同士のいざこざにならぬようにしようと、申し出ているのだ。

 アドリアンとしても、それは願ったり叶ったりだった。これでまた問題を起こしたとなって、その発端がキャレだと公爵に知られたときに、キャレをこれ以上(かば)いきれない。おそらく近侍の任を解かれて、ファルミナに戻されるだろう。そうなればまた、異母兄を始めとするオルグレン家の人々から、()がひどい扱いを受けるのは明らかだ。なんであれば、家の体面を傷つけた…と、より一層に虐待されることだろう。

 

「はい。僕も少し言い過ぎた面があったやもしれません。大公殿下のご配慮に感謝致します」

 

 アドリアンは心から感謝を込めて言うと、ランヴァルト大公はフッと笑った。

 

「グレヴィリウス公が羨ましい限りだ。このように賢明なるご子息が跡継ぎであれば、安心でありましょうな」

「……そんなことは」

「いいや、小公爵は近侍のために膝をつくことすら(いと)われぬ。自らの部下を宝と思ってのことでしょう。故にこそ、あなたの近侍もまた、あなたに尽くすことを厭わぬ。これこそが理想的な主従の形です。(わたくし)も学ばせていただいた」

 

 あまりの賛辞にアドリアンは赤くなった。どう返答すればいいのか困っていると、大公はそっとアドリアンの頭に手を乗せた。

 

「また、ご指導いただきたいものだ」

 

 柔らかく微笑んで、ランヴァルト大公は去った。

 シモンらも後に続き、いつの間にかその場に来ていた大公家の騎士らしき人々も続く。

 列の最後尾には、夏だというのに灰色の長衣を着て、フードをすっぽりと被った、宴席には少々みすぼらしい恰好の人物が、ゆるゆるとついていった。

 アドリアンはすぐに思い出した。一昨年前にシモンとの喧嘩の仲裁に入った老人だ。名前をなんと言ったか……と、その背を凝視していると、ふいに老人が立ち止まり、振り返った。フードの奥から濁った目がこちらを見ている。焦点の合わぬ視線にアドリアンがたじろいでいると、ニヤリと笑って去っていった。

 





次回は2023.12.10.更新予定です。
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