昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百六十七話 皇太子アレクサンテリ

「……やれやれ。相変わらず、気味悪いのを引き連れてるなぁ」

 

 アレクサンテリは大公の姿が見えなくなってからつぶやく。

 アドリアンはムッと眉を寄せた。

 

「大公殿下はどのような者であれ、能力を見て判断されておられるのです。そうして今の盤石(ばんじゃく)なる大公家を作られたのだから、素晴らしいことではありませんか」

「おやおや。随分と、急に、またコロリと懐柔(かいじゅう)されたものだね~。僕にはぜーんぜん、なついてくれないってのに」

「なつくとかそういうことじゃ……」

「そういうフザけた態度をお示しになるから、小公爵様からの信頼を得られないのですわ」

 

 アドリアンが反論するのを遮って、鋭く言ったのはダーゼ公女だった。

 アドリアンは今更ながらに、挨拶もしていないことに気付いて、あわてて自己紹介しようとしたが、それも公女は止めた。

 

「先に近侍の方の手当をなさったほうがよろしいでしょう」

「あぁ、そうだ。エーリク、チャリステリオ、マティアス。君らでキャレを医務所に連れてゆきたまえ」

「え?」

 

 近侍を始めとしてアドリアンも呆気にとられた。

 どうして皇太子がグレヴィリウス小公爵の近侍の名前を(そら)んじているのだろうか? だが疑問を問いかける暇もなく、皇太子の合図でやって来た騎士らに連れられて、渋るマティアスも含め、近侍たちは強引に連れて行かれてしまった。

 見送ってから、ダーゼ公女が急に気落ちした様子で言った。

 

「ごめんなさい、グレヴィリウス小公爵様」

「え?」

「私、面倒ごとになるのが怖くて、少しためらったんです。お分かりかと思いますけど、シモン公子は何かと厄介な御方でしょう? できればあまり関わり合いたくなかったんです。でもそのせいで、あなたの近侍のあの方はひどい目に遭ってしまって。申し訳ないことをしましたわ」

「そんなことはありません。ダーゼ公女様のお陰で、僕は不用意なことをせずに済みました」

 

 アドリアンは公女の生真面目な告白にやや面食らいながらも、彼女の誠実な態度に感謝し、頭を下げた。すると公女は麗しいその顔の中心に、不満そうな皺を作って、アドリアンの額をツイと指で押し上げる。

 

「それは確かにそうですわね。グレヴィリウスの名を背負う方が、そうそう頭を下げるなどしてはいけません」

 

 ダーゼ公女はいかめしく言ってから、急にニッコリと笑った。その微笑は人並み外れた美貌からすると、どこか親しみがあって、アドリアンは少しハッとなった。

 公女はツイとスカートの片方をつまみ、腰を少し下げて挨拶する。

 

「今更ですけど、初めてお目にかかります。ヴィリヤミ・アンセルム・リルクヴィスト・ダーゼの娘、ヴィオラ=ヴィーリア・ティルザ・リルクヴィスト・ダーゼと申します。忘れていただいても構いませんけど、今度会うときにはダーゼ公女ではなく、名前で呼んでいただけると、私も気安く接することができますわ」

 

 アドリアンはハキハキとしたヴィオラの物言いに、(こころよ)さを感じた。クスリと笑ってから、自分も挨拶する。

 

「エリアス・クレメント・エンデン・グレヴィリウスの息子、アドリアン・オルヴォ・エンデン・グレヴィリウスです。僕の方も、気安くアドリアンとお呼びください、ヴィオラ嬢」

 

 ニッコリ笑いあうと、アレクサンテリが間から割って入ってきた。

 

「なんだよ、なんだよ。僕も混ぜておくれよ。あ~…ジークヴァルト・サムエル・ボーヌ・シェルバリ・グランディフォリアの息子、アレクサンテリ・エサイアス・カミル・シェ……」

「知ってます」

「存じております」

 

 ヴィオラとアドリアンがほぼ同時に遮ると、アレクサンテリは「も~っ」と地団駄踏んだ。

 

「まったく、なにさ~。僕だって、わりと功労賞ものだったと思うのに」

「大公殿下のお言葉を胸に刻んで下さいませ。日頃からの行いによって、信頼と品性が育つのです」

「ヴィオラ、君は本当に十一歳なのか? 時々、僕の伯母さんかなにかなんじゃないかと思うよ」

「それは光栄ですわ。皇太子殿下の伯母であれば、からかわれることもないでしょうから」

 

 ツンと言って、ヴィオラはそっぽを向いたが、そこに声がかかった。

 

「お嬢様! お探ししましたよ」

 

 彼女を探していたらしい従者が、あわててやって来る。ヴィオラの顔が一瞬、嫌悪に歪んだが、すぐにフゥとため息をつくと、アレクサンテリとアドリアンに軽く頭を下げた。

 

「それでは私はこれで。あ、アドリアン様。一つ頼んでもよろしいでしょうか?」

「なんでしょう?」

「あの勇気ある赤毛の近侍に、お礼を言っておいて下さいまし。なんであれ、私は嫌な思いをせずに済みました。ありがとうと、お伝え下さい」

「………はい。わかりました」

 

 アドリアンは頷き、従者と共に去るヴィオラを見送った。

 その様子を見て、アレクサンテリがニヤニヤ笑う。

 

「おや~。やっぱりアドリアンも、『トゥルクリンデンの宝玉』を前にするとメロメロになっちゃう?」

「なんですか、それは。僕は……ご身分のわりには、随分と気さくな方だと思ったまでです」

 

 そう。普通、他家の近侍のために、わざわざ証言するなど面倒なことに首を突っ込まないものだ。まして公爵家の令嬢であれば、世間の雑事など知らぬとばかりに、超然と過ごすことが優雅とされるのに。しかも礼まで言ってきたことに、アドリアンはちょっと驚いて、すぐに返事できなかった。

 アレクサンテリはハハッと笑った。

 

「まぁ~確かにねぇ。ヴィオラは真面目ないい子なんだよ。今をときめくダーゼ公爵家の一粒種だなんてのが、少々可哀相なくらい、いい子なんだよねぇ~。だから僕もちょっとばかりためらってるんだ」

「はい?」

「わかるだろ。彼女も(きさき)候補ってことさ。まぁ、数あるうちの一人だけど」

「そうですか」

「あれ? 嫉妬しない?」

「……皇太子殿下、そろそろ天幕に戻られたほうがよろしいんじゃないですか?」

 

 アドリアンがあきれて言うと、アレクサンテリがガシリと腕を掴んだ。

 

「いやいや。むしろ、僕が君を探していたのは、実のところ別の理由でね」

「え? なんですか……離してください」

「いいからおいで」

「いや、あの……僕、キャレの状態を見に行かないといけないし……」

「死にゃしないよ、あの程度。それより、久しぶりに君に会いたいって人がいてね」

「僕に? 誰が?」

「さぁ~、行っくぞぉ~」

 

 目を白黒させるアドリアンなどお構いなしで、アレクサンテリはがっしりと腕をつかみ引っ張っていく。

 

「ちょっと、どこ行くんです? 皇太子殿下!」

 

 

***

 

 

 そうして連れて行かれて、(うなが)されるままに小舟に乗ってから、アドリアンは嘆息して尋ねた。

 

「頼みますから、どこに向かうのかぐらい教えてください」

「ちょっと離れた四阿(あずまや)だよ。小島の中にある」

 

 パルスナ最大の湖であるヤーヴェ湖畔に立つ皇宮(こうぐう)は、平地部分と複雑な湖の入江を利用して建てられている。ヤーヴェ湖には大小合わせて百以上の島があり、中には本当に小さな庭だけが作られた島もあった。当然ながら安全上の問題から、この風光明媚な土地はヤーヴェ湖も含めて皇家(こうけ)が所有しており、無数の島には各所に警備の騎士が配されている。

 

 小舟に揺られて目的の島に向かっている間、アドリアンは目の前の皇太子を恨めし気に見つめていた。アレクサンテリの突拍子もない行動はいつものことながら、慣れない。しかも(さき)の皇太子が亡くなって、新たな皇太子となって以降は拍車がかかった気がする。単純にその日の気分ですることもあれば、さっきみたいに妙に用意周到に整えていることもある。

 

「……なぜ、大公殿下を連れてこられたんですか?」

「うん?」

「従僕でも、騎士でも、いくらでも仲裁に入ることはできましたよね?」

「やれやれ。アドリアン。君は時々、自分が何者であるのかを忘れるね。大公家の公子と、建国以来の名家であるグレヴィリウス公爵家の嫡嗣が言い争いをしていて、そこらの騎士が止めに入ることなんてできないよ。それこそ取っ組み合いの喧嘩でもしていれば別だけどね」

「……すみません」

「いやぁ、僕としてはあの大公(おおおじ)がヘコヘコ頭を下げるなんて、至極痛快だった。頼んだ甲斐があったよ」

「また、そのような……失礼ですよ」

「だって、あのバカシモンのために大公が頭下げるとは思わなかったんだもの。てっきり、その場で鉄拳制裁かと思ったんだよねぇ。案外、大公もあれで親らしい情なんてあるんだろうか?」

「……十分におありだと思いますよ」

 

 アドリアンは答えながら、父親の姿を思い浮かべた。父は大公のように息子に教え諭すようなことはしないだろう。一昨年もそうだった。ただ無表情に打ち据えて、処罰を与えるだけ。しかもそれはアドリアンの為ではなく、グレヴィリウス家の名誉の為だ……。

 沈んだ顔になるアドリアンを見て、アレクサンテリがフフンと笑って問いかけた。

 

「羨ましい? シモンが」

「……別に…」

 

 アドリアンは言葉少なに答えてから、それ以上アレクサンテリにこのことについて問われる前に、反対に尋ねた。

 

「それより、どうして皇太子殿下が僕の近侍について、ご存知なのですか?」

「うん? 近侍? そりゃあ、そういう情報網を持ってるからさ。ついでにさっきシモンについていた近侍の名前も教えようか? リアンとタヴィト、チェスラフ、あと今日は来てなかったけど、ルミールっていうのと、一番気になるのはシューホーヤの特徴を持った奴だろう? どうやら混血児のようだけどね。あいつはね、えーと…面倒くさい名前だったな。ファル=ヴァ=ルフ、だったかな? 西方(あっち)の名前はどうにも読みづらいや。普段はファルって呼ばれてるみたいだよ」

 

 早口に言って、アレクサンテリは肝心要(かんじんかなめ)のことについては、詳細を話さない。こういう抜け目ないところも含めて、信用ならないのだ。

 

「一昨年の君とのことで、そのときの近侍は役に立たないって、総取っ替えされたみたいだよ。ファルは元は貴族の子弟じゃない。確か、家臣の誰かの養子になったんじゃなかったかな? あぁ、そういえば君のとこにも似たようなのがいるね」

 

 問われてもアドリアンは答えたくなかった。なんとなくアレクサンテリには、オヅマのことを知られたくなかった。それにこの様子では、どうせオヅマの名前も、今年帝都に来ていない理由も知っているのだろう。案の定、アレクサンテリは大きく肩をすくめて、ペラペラとまた喋りだす。

 

「やれやれ。よっぽどその近侍はお気に入りらしいね。まぁ、わからないじゃあないよ。あのヴァルナル・クランツが目をかけて、息子にまでしたくらいだ。あぁ、でも母親が美人なんだったっけ? それでうまいことクランツ男爵をけしかけて、結婚にまで漕ぎつけさせて、将来有望株の騎士見習いをまんまと息子にできた…ってわけだ。さすがは結婚と離婚を三度も繰り返すだけあるね、グレヴィリウスの()()策士殿は」

 

 アドリアンはアレクサンテリの言葉が途切れるのを待って、フゥと息を吐いた。静かに警告する。

 

「……皇太子殿下、知り得たことを知ったと仰言(おっしゃ)るなら、それもまた一つの指標(しるべ)となりますよ」

 

 アレクサンテリはしばしアドリアンを見つめたあとに、ニッコリ笑った。

 

「やぁやぁ、まったく。小公爵殿ときたら、随分と大人びたことを仰言(おっしゃ)いますね!」

「……殿下と同じ年ですが?」

「やだな~。聡明謙虚な小公爵殿なんかに比べたら、僕なんてまだまだお子様ですよ。くちさがない、おしゃべりのおバカさんでよろしいのです」

 

 いかにも子供っぽい口調で言いながら、アレクサンテリの紺青(プルシアンブルー)の瞳は無表情で、何を考えているのかわからない。昔からそうだった。色濃いその瞳は、一見小動物的な愛らしさもあるが、瞳孔とその周囲の区別がつかず、まるで塗り潰されたようで、目から彼の意図を読み解くのは困難だ。

 アドリアンはこれ以上アレクサンテリの韜晦(とうかい)につき合うのも疲れてきて、水面に咲く色とりどりの睡蓮を眺めた。

 ヤーヴェ湖自体が、皇宮の庭の一つのようなものであるため、人工的に岩を組み、池のようにして種々の水生植物が植えられている。遠くの入江の方には、水に浮かんでいるかのように群生した木々の林なども見えた。

 アドリアンはしばらく水面を無表情に眺めていた。水夫の(かい)がゆっくりと水を掻き、舟に押されて花が揺れ、葉が揺れる。パシャリと小さな魚が跳ねて、キラキラと飛沫が昼の日差しの中できらめいた。

 時間の流れがひどく緩やかに感じられて、軽く咳ばらいしたときに、アレクサンテリが(ふなべり)から身を乗り出して、大きく手を振りながら叫んだ。

 

「おおーいッ、姉上ーっ」

「姉上?」

 

 アドリアンは怪訝にアレクサンテリを見てから、同じように舷から少しだけ体を傾ける。

 

「あ……」

 

 アドリアンは驚いて固まった。

 小島にある小さな四阿(あずまや)から、小柄な女性が手を振っていた。

 アドリアンと似て非なる漆黒の髪、星月夜をそのまま写し取ったかのような神秘の瞳。

 

「イェドチェリカ様……」

 

 つぶやくようにその名を呼ぶと、長く伸びた黒髪が風になびき、夜の瞳が細く笑った。

 

 





引き続き更新します。
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