昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百六十八話 神女姫となる皇女

 桟橋(さんばし)にたどり着くと、アドリアンは水夫が手を出す間もなく舟から飛び出した。

 走って近づこうとして、途中で突き出た岩に足を取られ、待っていた人の手前にぶざまに膝をつく。

 

「まぁ、アドリアン。そそっかしいことね」

 

 美しい声が降ってきて、そっとアドリアンの手を取った。

 フワリ、と甘い香りが漂ってくる。

 

魔除けの花(シファルデリ)の……」

 

 アドリアンがつぶやくと、目の前の女性がニコリと笑う。両端を上げた唇に、(うっす)らと(べに)が引いてあることに気づくと、アドリアンは奇妙な部分がドキリとして、思わず目を伏せた。

 

「まったく。姉上を見た途端に豹変(ひょうへん)するじゃないか、小公爵。手まで握っちゃって」

 

 あきれたようにアレクサンテリが言ってくる。アドリアンは自分に添えられた手に気付き、あわてて手を離した。

 

「す、すみませんっ! 皇女(こうじょ)様」

 

 あわてて立ち上がる。すると皇女・イェドチェリカは目を丸くしてアドリアンを見つめた。

 

「まぁ……アドリアン。貴方(あなた)にだけ時間が早く回ったのかしら? 随分と背が伸びたのではなくて?」

「あ、それは……はい」

 

 アドリアンは、イェドチェリカに成長した自分の姿を見られるのが、少しだけ恥ずかしかった。背をやや丸くして、赤くなってうつむいていると、フフとイェドチェリカは笑って、アドリアンの手を再び取った。

 

「さぁ。こちらにいらっしゃい。この暑さの中、舟になんか乗ったから、顔が赤いわよ。削氷(けずりひ)を頼んであるから、あそこで食べましょう」

 

 手を握られてアドリアンがドギマギと挙動不審になるのもお構いなく、イェドチェリカは四阿(あずまや)へと進んでいく。

 

「おぉぉ、さすがは次代の神女姫(みこひめ)様。ちゃんと蜜はかけていただけるんですよね?」

 

 アレクサンテリは削氷(けずりひ)と聞いた途端に、目の色を変えた。二人を追い越して、我先にと四阿(あずまや)へ駆けていく。イェドチェリカはクスクス笑った。

 

「相変わらず、甘ったるいものが好きねぇ、アレクは」

 

 あきれたように言う、柔らかな声音が懐かしい。アドリアンが聞き入っていると、イェドチェリカが振り返った。

 

「風は少し涼しくなってきたかしら……ね、アドリアン?」

「……は、はい」

「フフ……声も少しだけ変わったわね」

「え……あ、そう……でしょうか?」

「えぇ、そうよ。変わったのはわかるけど、貴方(あなた)がおチビちゃんだった頃の声が、もう思い出せないわ」

 

 その婉麗な微笑を、アドリアンはボーっと見ていたが、それが強い日差しのせいでのぼせているのか、久しぶりに会ったその(ひと)に魅入られているのか、自分では判然としなかった。

 湖の上を渡ってきた冷たい風に、イェドチェリカの真っ直ぐに伸びた純黒(じゅんこく)の髪が、サラサラと揺れる。その様はまるで古代の絵から抜け出てきたかのような、どこか異質で玄妙な、言葉にできない美しさだった。

 

 皇帝の第五皇女であるイェドチェリカ・シェルバリ・グランディフォリア。

 当年十七歳になる彼女は、ヤーヴェ湖を隔てた西南の小国からやってきた王女を母として生まれたが、王女はイェドチェリカ()を産んだときに亡くなった。

 イェドチェリカはその黒髪と、黒き瞳 ―― 月映し綺羅星(きら)めく『夜貴(よき)ノ瞳』を持っていることで、生まれたその場で神女(みこ)となることが決められた。

 

 皇家(こうけ)においては、基本的に金髪碧眼(きんぱつへきがん)の子が多く生まれる。歴代皇帝はそれと決められてはいなかったものの、全てが金髪であった。これは代を重ねるごとに、皇帝は太陽と同じく光り輝く金の髪でなければならぬ……という不文律になっていった事情もあっただろう。

 特にアレクサンテリなどは、色濃い鬱金(うこん)の髪と、紺青(こんじょう)の瞳という初代皇帝エドヴァルドと同じ特徴を持っていたので、先の皇太子が亡くなり、彼が皇太子として立太子したときには、「エドヴァルド大帝の生まれ変わりたる、アレクサンテリ殿下!」と、喝采を叫ぶ者もいた。

 

 無論、皇后側妃(そくひ)は帝国内外から皇帝に嫁いできて子を()すわけだから、母方の血を引いて赤毛や茶髪、銀髪の皇子もいたし、緑や栗色の瞳を持つ皇女もいる。だが二百有余年の歴史を持つ皇家(こうけ)においても、黒髪の子供はほとんどいなかった。

 というのも、そもそも黒髪を持つ一族は、徹底的に排除されたからだ。

(アドリアンやエリアス公爵もまた黒に近い髪ではあるが、厳密には暗い橙味を帯びた黒檀(こくたん)色の髪である)

 

 黒髪 ――― 特にイェドチェリカのような純黒の髪は、ホーキ=シェン神聖帝国において貴人(きじん)と呼ばれる人々だけが持っていた。

 神聖帝国を征服する過程で、エドヴァルドは彼らを徹底的に駆逐・殲滅(せんめつ)していき、エドヴァルドの死後も、歴代皇帝治世下のパルスナ帝国において、いわゆる『貴人狩り』は続けられた。

 

『神聖帝国の貴人は根絶やしにする』。

 

 それはパルスナ帝国創建時からの国是(こくぜ)であった。()に下ったわずかな生き残りですらも抹殺され、彼らはこの世から絶滅した。

 

 だが、皆殺しにされた貴人の中で、唯一生存を許された者がいる。

 その唯一人こそが、初代皇帝エドヴァルドの伝説の妻にして、宝冠なき皇后 ―― いわゆる『名もなき神女姫(みこひめ)』だった。

 彼女の黒髪は子である二代目皇帝ヴェルトリスには引き継がれず、その次代を経て彼女にとって曾孫(ひまご)にあたる皇女の代において発現した。当初は不吉とされ、この皇女を殺すことすら考えられたが、女児が誕生した日の夜に皇帝の枕辺に『名もなき神女姫(みこひめ)』が立ち、告げた。

 

 ―――― 皇家(こうけ)に誕生する黒髪の赤子は、神女(みこ)として、主母神(しゅぼしん)サラ=ティナに(つか)えさせよ。

 

 以来、皇家(こうけ)に生まれた黒髪の女児(不思議とこれが女児にしか黒髪は生まれない)は、生まれると同時に、ヤーヴェ湖に浮かぶ孤島・シュルハーナの神殿にて、生涯をサラ=ティナ神に仕えることが決められた。

 黒髪の女児が生まれぬ場合においても、帝国の安寧を祈る立場である神女姫(みこひめ)の存在を途切れさせるのはよくないとして、彼女らが老いたり病気などで亡くなった場合は、その時、皇家にいる未婚の皇女が神女姫(みこひめ)となることが決められた。

 

 そんなわけでイェドチェリカは、生まれた翌日には皇宮(こうぐう)を出て、シュルハーナ神殿にて次代の神女姫(みこひめ)となるべく育てられた。

 ちなみに現在の神女姫(みこひめ)は先代皇帝の娘で、既に老齢でほぼ寝たきりとなっているらしい。そのため、毎日のお祈りも含めた実際の神女姫(みこひめ)としての役割のほとんどを、イェドチェリカが(にな)っているのだという。

 だからアドリアンは、今日、皇宮(こうぐう)に来ても、彼女に会えるとは思っていなかった。きっと新年の祭祀(さいし)などで忙しいだろう……と。

 

 元々、アドリアンとイェドチェリカを会わせてくれたのは、先代の皇太子であったシェルヴェステルだった。彼が亡くなって以来、イェドチェリカとアドリアンを繋ぐ縁は途絶えてしまい、昨年も一昨年も、シェルヴェステルが(やまい)()せるようになったその前の年から、アドリアンは彼女と会えなくなっていた。

 そうしてずっと気にかけていたからだろう。アレクサンテリとの謁見の場で、当代の神女姫(みこひめ)の容態がよくないという話が出ると、思わず口走ってしまった。

 

「あの……イェドチェリカ様は、お元気でいらっしゃいますか?」

 

 会うことは諦めていたが、せめて消息なりと知りたかったのだ。

 その言葉を聞いたときのアレクサンテリの反応は、特に変わらなかった。

「元気だよ」といつもの調子で軽く答えつつ、こっそりシュルハーナの神殿にいるイェドチェリカに、鳩でも飛ばしたのだろう。

 

 アドリアンはチラリとアレクサンテリを見遣(みや)った。視線を感じたのか、目が合う。アレクサンテリはパチパチとわざとらしくまばたきすると、ニィッとおおきく口の両端をつり上げた。劇の合間に出てくる回し者の道化のような、作り物めいた笑顔だ。

 アドリアンは軽くため息をつくと、イェドチェリカに尋ねた。

 

「あの……よろしかったのですか? お忙しいのでは?」

 

 神女姫(みこひめ)として忙しいイェドチェリカに迷惑だったのではないかと、アドリアンは恐縮して言ったが、当の神女姫(みこひめ)(正確には次代)であるイェドチェリカは、「いいえ、まったく」と笑った。

 

「まったく?」

「えぇ。神殿にいて、神女姫(みこひめ)が忙しいことなんてなくてよ。ほとんどのことは巫女(みこ)たちがやってくれるもの。神女姫(みこひめ)なんて(いにしえ)の言伝えで出来上がった、ただの張り子よ」

 

 少し投げやりなイェドチェリカが気になったが、アドリアンは何も言えなかった。

 確かにイェドチェリカの言うように、神女姫(みこひめ)という存在は一種の象徴だ。彼女らは神女姫(みこひめ)となることを定められた日から、シュルハーナの神殿に籠もる。出てくるのは、新年の行事のときにパルスナの安寧を祈る舞を舞うときと、新たな皇帝に祝福を与えるとき、それと皇帝が亡くなったときの鎮魂(ちんこん)の儀式のみ。それらですら皇宮(こうぐう)の中の一部領域でしかなく、普段においてシュルハーナ神殿は皇家(こうけ)の人間以外、入ることは禁じられているのだ。だから『お祈り』と言っても、実際に何をしているのかはアドリアンすら知らなかった。

 

 それ以上イェドチェリカは神女姫(みこひめ)の仕事については触れず、他愛ない天気の話なんかをしながら歩いて行く。

 話しながら、薄黄色の木香薔薇(モッコウバラ)に覆われた四阿(あずまや)の中へと入っていくと、目を引いたのは、ワゴンに乗せられた巨大な物体だった。茶色い布が(かぶ)されたそれを見て、アドリアンはすぐにわかった。さっきイェドチェリカが「削氷(けずりひ)」と言っていたから、おそらく氷であろう。

 まだ夏の日差しの残るこの季節に、あんな大きな氷を、こんなささやかな茶会に持ってきてしまう皇家(こうけ)権力(ちから)を、今更ながらに思い知る。

 しかし一方で、白いテーブルの上に並べられていたお菓子の中に、皇宮(こうぐう)(きょう)されるものとしては珍しいピーカンナッツのパイを見つけて、思わずアドリアンはまじまじと見つめてしまった。

 

「どうかして? アドリアン」

「あ……いえ」

 

 自分の行いがはしたないことだと気付き、アドリアンはすぐに目線をそらせたが、イェドチェリカは注意深く窺っていたようだ。

 

「ペカンパイが気になるようね。もしかして、貴方も好きなの?」

「は、はい。あ……皇女様もお好きなんですか?」

「……えぇ。偶然にね。食べることがあって」

 

 イェドチェリカは微笑みながら、アドリアンを席につかせると、手ずからパイを切り分けてくれた。目の前に置かれたパイは、前にアドリアンがレーゲンブルトで食べたものとほぼ同じだ。違いは、わざわざイェドチェリカが、アドリアンのために切って取ってくれた、ということ。

 アドリアンがそれを食べていいものかどうか迷っていると、横からじろじろと見ていたアレクサンテリが渋い顔になって言った。

 

「なーんだか、ゴロゴロと木の実がいっぱい乗ってて、不格好な食べ物だなぁ。栗鼠(りす)用のパイみたいだ。姉上、まさかこのお茶会に、栗鼠やら熊やらを招待しているんじゃあないでしょうね?」

「あらあら、まったく。文句の多い皇太子様ですこと。うるさい御方を黙らせるには、こちらの方がよろしいようね」

 

 そう言ってイェドチェリカが、ワゴンの前に立っていた下女に目を向ける。

 ワゴンに乗っていた巨大な物体から布が取り払われ、案の定、透明な氷の塊が現れた。専用のナイフを持った下女が氷を削り、それを別の下女が精巧にカッティングされた硝子の器の中に受けていく。

 こんもりと盛られた氷が目の前に置かれると、アレクサンテリは途端に上機嫌になった。

 

「わーい! やったぁ。さー、蜜をたぁーっぷりかけてぇ……」

 

 すっかりはしゃいで、陶器に入った茶色の蜜をたっぷりと氷の上にかけていく。氷が全部溶けるんじゃないかというくらいに、蜜を回しかけるアレクサンテリにあきれて、イェドチェリカが制止した。

 

「アレク、あなたかけすぎよ。アドリアンの分がなくなってしまうわ」

「あ、ごめん。足りなかったら、お前、持ってきてよ」

 

 アレクサンテリは悪びれもせず、側に控えていた下女に命じる。

 

「まったく。取りに行くのだって、手間だというのに。サトリ、頼めるかしら?」

 

 イェドチェリカは怒ったように言いつつも、弟の我儘を受け入れて、下女に頼んだが、アドリアンはあわてて止めた。

 

「いえ! あの、僕は甘いのは苦手なので、いいです。このままで十分……」

「まぁ、アドリアン。氷だけなんて、なんの味もしないわよ」

「……いいんです」

 

 アドリアンは小さく返事しながら、心の中でつぶやいた。どうせまともに味なんてわかりそうもない……と。

 イェドチェリカは困ったように、少し考え込んでから、ニコリと笑った。

 

「だったら、私と同じ蜜でもいいかしら? あまり好む人は少ないけれど……」

「え?」

「やめておけ、小公爵。姉上の味覚は、我々から少々かけ離れておいでだからな」

 

 アレクサンテリが即座に止める。自分はたっぷり蜜のかかった氷を食べながら。

 アドリアンは二人を交互に見てから、おずおずと言った。

 

「あ……よろしければ、イェドチェリカ様と同じものをいただきたい……です」

 

 言いながらまた顔が赤くなってくるのを感じて、アドリアンは自然と俯いた。その様子を眺めて、イェドチェリカはクスリと笑った。

 

「もちろんよくてよ、アドリアン。まったく、この謙虚さを誰かさんにも見習っていただきたいものね」

 

 やんわりとした嫌味も、アレクサンテリはパクリと蜜氷(みつごおり)を食べて受け流す。弟の高慢な態度に、イェドチェリカはため息をついてから、テーブルにあった細口の瓶を手に取った。中には薄い緑色の液体が入っている。サラリとしたその液体が、アドリアンに用意された削氷の上にかけられると、わずかに溶けて、キラキラとした緑色の氷になった。

 

「食べてみて頂戴」

 

 イェドチェリカが悪戯(いたずら)っぽい目で勧めてくる。アドリアンはちょっとだけ逡巡した。昔からこの悪戯好きの皇女様は、たわいもないことだけれども、アドリアンを驚かせるようなことをしてくるのだ。だがアドリアンは自分が驚いているのを見て、楽しそうに笑っているイェドチェリカが好きだった。

 

「……いただきます」

 

 サクリ、と陶器のスプーンですくって食べる。一口、口に入れた途端に冷たさと一緒に酸味が伝わってきて、アドリアンは目をしばたかせた。だが喉に流し込むと、ほのかな甘さが口中に残った。

 

「あーあ、酸っぱかったろう? まったく、姉上も何を好き好んで、こんな酸っぱいものをかけて食べるんだか」

 

 まるで自分が食べたかのように、酸っぱそうに口をすぼめてアレクサンテリが悪態をつく。無礼な弟のことはすっかり無視して、イェドチェリカはアドリアンの顔を覗き込んだ。

 

「どう? アレクの言うように、酸っぱかったかしら?」

「あ……いえ。酸っぱかったけど、美味しいです」

 

 アドリアンが素直に言うと、アレクサンテリは信じられないように肩をすくめた。

 

「ライムの汁の蜜なんて、なにがおいしいんだよ」

「あ、ライムの汁なんですね。どこかで食べたような、覚えのある味だと思った」

 

 イェドチェリカはフフっと笑って、自分の氷にもそのライムの果汁の蜜をかけた。

 

「ライムをれんげ蜜に漬け込んだシロップに、色付けのデチュルの葉を加えて、少し煮立たせたものよ。本当は、れんげ蜜に漬け込んだライムを氷の上に乗せて、一緒に食べるとまた美味しいらしいけど……」

「ライムを氷の上に乗せて、食べる?」

 

 アレクサンテリは聞き返して、ウゲーと舌を出した。

 

「ライムを氷に乗せて食べるなんて。勿体ない。栗鼠のパイといい……姉上、いったいどこで、そんな下品なものを覚えてきたんですか?」

 

 ライムを蜂蜜などに漬け込んで食べるのは、庶民の定番料理の一つだった。夏にはそのまま食べたりするし、冬まで残ったものはケーキに乗せて焼いたりもする。

 そういえばレーゲンブルトにいた頃に、ピーカンナッツのパイ以外にも、オヅマの母のミーナがこのライムケーキを作ってくれた。オヅマが上に貼り付いているライムばかりさっさと食べてしまい、マリーからしこたま怒られていたのを思い出す。

 

「……そういうものが好きな人がいたのよ」

 

 イェドチェリカはアレクサンテリの質問に静かに答えて、削氷を一口食べると、思い出し笑いをするアドリアンに問いかけた。

 

「アドリアン、なんだか幸せそうに笑っているわね。なにかいいことでも思い出したのかしら?」

 

 アドリアンはハッとなって、笑顔を引っ込めた。

 時々、この皇女様といい、亡くなられた(さき)の皇太子といい、皇家(こうけ)の人というのは妙に鋭い。

 

「あ、いえ……ちょっと。近侍の一人に、ライムの蜜漬けが好きなのがいたと思って」

「…………あら、そう」

 

 イェドチェリカはニコリと相槌を打った。

 その返答が少しだけ、ほんの少しだけ遅かったのに気付いたのは、アレクサンテリだけだ。その声音がやや沈んで聞こえたのも。

 だが彼は「やっぱり削氷は糖蜜だ~」とわざとらしく言って、姉のかすかな動揺を見逃してやった。

 

「近侍の好きな食べ物まで知っているなんて、アドリアンは目下(めした)の人間にも、ちゃんと気を配っているのね。あなたの近侍になった者は、幸せそうだわ」

「そう……でしょうか。その、彼はちょっと、特別なので」

 

 イェドチェリカに褒められるのが妙にこそばくて、アドリアンは削氷をスプーンでつつきながら、小さな声で言う。

 イェドチェリカは首をかしげて、先を促した。

 

「特別?」

「えぇ。お互いに率直というか……僕も彼に文句を言いますし、彼も僕の悪いところは遠慮なくズケズケ言ってきますし……喧嘩もしますが……」

 

 言いながらアドリアンは考えた。オヅマは、自分にとってどういう存在なのだろう?

 その答えは考えるよりも早く、口からこぼれでた。

 

「……一番、信頼しています」

 

 イェドチェリカは数年前まで、どこか気弱で自信なさげだった小公爵が、すっかり大人びた顔になり、胸を張って言うのを聞いて、にっこり微笑んだ。

 

「そう、良かったわ。あなたも、その近侍の子もね」

 





次回2023.12.17.更新予定です。
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