昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百六十九話 皇宮の噂話

 楽しい時間はあっという間に過ぎるというが、アドリアンは正直ものすごく長い時間が経ったようにも感じたし、小島の桟橋(さんばし)で手を振るイェドチェリカの姿が見えなくなった途端に、さっきまでのことが夢なんじゃないかとすら思った。

 

「おーい、小公爵」

 

 ボーッとなっているアドリアンに、アレクサンテリが声をかける。

 アドリアンは我に返ると、魂が抜けたようになった自分の姿をアレクサンテリに見られたことが、ひどくきまり悪く思えた。

 

「な、なんでしょうか?」

 

 あわてて取り繕って答えるアドリアンを、アレクサンテリは半笑いで見つめる。

 

「まったく、わかりやすすぎるよ、小公爵。君が姉上のことが()()好きだというのはわかったけどね、生憎(あいにく)神女姫(みこひめ)様は生涯独身で、身綺麗に過ごすっていうことになっているんでね」

「そ、そんなこと…当然でしょう! わかってます!!」

「どうだかねー。君も()()グレヴィリウス公爵の息子だからなー。お父君同様、好きになったら、どうなることだかねー?」

 

 父母のことに触れられて、アドリアンは急にムッと押し黙った。

 機嫌の悪くなったアドリアンを見て、アレクサンテリは薄ら笑むと、水面に浮かぶ花を見ながら話を続けた。

 

「当代の神女姫(みこひめ)であられるエヴァサリア様も、お若い頃はそれはそれはお美しい方だったそうだよ。亜麻色の髪の麗しい乙女で、イェドチェリカ姉上のように黒髪じゃなかったから、十六歳までは普通に皇宮(こうぐう)に暮らしていて、貴族の若君連中は何としても自分に降嫁(こうか)してもらおうと躍起(やっき)だったらしい。そのせいで決闘なんかもあったとか。それで曽祖父(おおじい)様が余計な争いの種にならぬように、って神女姫(みこひめ)にしてしまったらしいけど……さぁて、それで本当に収まったんだか」

 

 なんとなく、アレクサンテリが嫌な方向に話を持っていこうとしている気がして、アドリアンは、顔をしかめたまま黙り込んだ。しかしアレクサンテリは組んだ足に肘をついて、顎を手に乗せながら、特に面白くもなさそうな顔で続ける。

 

「君も両親のことで色々と悩ましいようだけど、このシェルバリの家系もけっこう面倒な人が多くてねぇ」

 

 シェルバリ、というのは初代皇帝エドヴァルドの元の姓で、代々皇家に継がれた古い姓名だ。

(ちなみに『グランディフォリア』は四代目の皇帝が即位したときに、初代神女姫(みこひめ)によって伝えられた、神より(たまわ)りし大いなる名とされている)

 そんな由緒ある名前を、まるで揶揄(やゆ)するかのように口にするアレクサンテリに、アドリアンはそっと注意した。

 

「殿下。お立場を(わきま)えて下さい。ここは皇宮(こうぐう)の中です」

「わかってるよ。だから言う相手は選んでるんじゃないか。僕も、君を信頼しているんだよ、ア・ド・ル」

 

 ニンマリとアレクサンテリが笑うのを、アドリアンは仏頂面で見つめた。

 絶対に、ワザと言っている。

 「アドル」と。

 公爵家においてはオヅマ以外、誰も言うことのないアドリアンの愛称を。

 

 アレクサンテリはアドリアンが不機嫌になるのが、楽しいらしかった。嬉しそうに「フフ~ン」と鼻歌を歌いながら、ユラユラと体を揺らせて、わざとに小舟を不安定にさせる。それでも水夫は慣れたもので、上手に(かい)を動かして、なるべく波立たせないように舟を安定させた。

 アレクサンテリの体がようやく止まると、今度は口が(せわ)しなく動き出す。

 

「君のお父上は突発的にあぁなったのかもしれないけど、皇家(こうけ)の人間は昔っから、ちょっとばかり『愛情』ってやつの()()がおかしいことになっててねー。それこそ初代皇帝だって、名も残さなかった神女姫(みこひめ)にこだわって、最後まで皇后を置かなかっただろ? あれから三百年近く経っても、呪いみたいに皇家の人間は、一人の人間を深く愛してしまうとおかしくなるんだ。

 僕の現皇帝(ちちうえ)もそうさ。いまだに亡き兄上のことはもちろん、十年以上前に死んだセミア妃のことまで、いつまでも恋い慕っておいでさ。妃のお気に入りの宮殿は、死んだときのまま、鍵の壊れたドアさえそのままにしてあるというんだから。それでいて、一つの物も動かさずに掃除しろっていうんだ。前に気付かないだろうと思って、花瓶をちょいとずらして掃除した下女は、腕を切られて帝都から追い出されたってさ。なかなかだろ?」

 

 アレクサンテリは同意を求めてくるが、当然アドリアンは頷かなかった。

 

「………皇帝陛下のなさることですので、僕から申し上げることはございません」

 

 しかつめらしく返事すると、アレクサンテリはつまらなそうにため息をついた。

 

「ま、そういうことだから。神女姫(みこひめ)にしたところで、皇家の人間に変わりない。エヴァサリア様も、同じ。だぁれも来ない神殿奥で、いったい誰と、何をしていたかなんて、だぁれも知らない」

「殿下!」

 

 さすがにアドリアンは強く非難した。

 たとえアレクサンテリが皇太子であろうと、いや皇太子であるならば、自分が(まも)るべき皇家の人々について()(ざま)に言うなどもってのほかだ。そもそも彼のためにもならない。

 しかしアレクサンテリは、相変わらずニヤニヤと腕を組んで笑っていた。

 

「おお、怒ってる。怒ってる。いいね。これが、喧嘩ってやつ? 信頼ってこういうことだよね?」

「フザケたことを言ってないで、口を慎んでください。恐れ多くも国を守護するために、毎日祈ってくださっている神女姫様に向かって……」

「なーにを。さっき、姉上だって言ってたじゃないか。暇だって。あんな湖の上にぽつーんと浮かんだ神殿で祈ってようが、祈ってまいが、だぁれも知らないさ。口を慎むゥ? なーにを言ってるんだか。皇宮にはあいにく、()()()()()()()人間しかいないよ。僕以外は」

「誰が……」

 

 アドリアンはいよいよ呆れかえり、ため息も隠さなかった。

 すると急にアレクサンテリはアドリアンの隣に腰掛けてきて、耳元で囁いた。

 

「『貴畜』って言葉、聞いたことある?」

「……キチク?」

「最も貴くて、最も忌むべき(ケダモノ)

「……どういうことです?」

 

 アドリアンが眉をひそめて尋ねると、アレクサンテリは(たの)しげに紺青(こんじょう)の瞳をすうぅっと細めた。

 

皇宮(こうぐう)にはね、皇宮でだけ働いて、そのまま柱の染みにでもなっちゃうんじゃないかと思うくらい、ながーく働いている、ヌシみたいな女官やら侍従がいてね。そういう()()()()()()()奴らは、皇紀にも()らない裏事情を、ご丁寧にもうすーく、うすーく何十年もかけて噂として広めてくれるんだ」

「……なにを仰言(おっしゃ)りたいんです?」

「ランヴァルト大公が先代皇帝であられる、僕の曽祖父・シェルスターゲ皇帝の末息子ということは知ってるよね?」

「それは、もちろん」

 

 大公ランヴァルトはシェルスターゲ前皇帝の末子で、今の皇帝よりも年下の叔父であることは誰もが知っている事実だ。その母であるマイア妃は女官として勤めていて、皇帝からの信頼も厚かったので、年は離れていても、二人がそういう仲になったことに驚く者はいなかった。

 

「じゃあ、僕のお祖父(じい)様であられる当時の皇太子シクステン殿下が、二十四歳の若さで亡くなったことも知ってるよね? 一応、病死ってことになってるけど、こんな話をするんだから、真相はもちろん違う。で、さっき僕は、神女姫(みこひめ)がいつも神殿に籠もって、何をしてるかわからない、と言った。でもってその神殿中枢に行けるのは、皇家(こうけ)の人間だけ。この二つが導く答えが何か……わかるゥ?」

 

 まるで歌い文句かのように、どこかおどけた調子で、アレクサンテリは問いかけてくる。うっすらとした口元の微笑とは対照的に、紺青の瞳はガラス玉のように無機質で、何を考えているのかわからない。

 

 アドリアンは凝然として、アレクサンテリを見つめた。膝の上に置いた拳が震える。自分の脳が勝手に推理して、答えを導くことに、うんざりした。

 アレクサンテリの持って回った話を理解できないくらい、馬鹿だったら良かったのに……。

 こんな話はもっと大人になってから聞きたかった。

 しかも今、イェドチェリカに会ったばかりだから余計に生々しくて、それがアドリアンにはひどく腹立たしかった。まるでイェドチェリカもそうだと言わんばかりではないか。絶対にそんなことあり得るはずがないのに。

 

 アレクサンテリはそんなアドリアンの心を、更にザラザラした言葉で刺激してくる。

 

「あぁ。別にそれが真実かどうかなんてわからないよ。実際にシェルスターゲ皇帝の子かもしれない。だって、神殿に行けるのは皇太子だけじゃない。()()()()()()()()()()()()()()

 

 アドリアンはもう相槌も打てなかった。

 言いようのない気味悪さが背筋を這い上る。

 この国で最も清純とされる神女姫(みこひめ)が、実の父や兄と許されぬ関係であった……なんて。

 そんなおぞましいことは、考えたくもない。

 

 だがアドリアンにとっては衝撃的な皇家のこの()()は、一部の上流貴族や長く皇宮に勤めている者であれば、誰もが一度は耳にしたことのある話であった。

 アドリアンにとって不幸だったのは、多感な青少年期にそうした話を聞いてしまったということだ。それはアレクサンテリも同様であったが、彼は良くも悪くも皇宮に暮らす人間であった。

 

「あぁ、心配しないで。僕はそういうの、まったく興味ないから。兄上も、姉上と仲は良かったけど、まぁ……なかったろうよ。父上は、姉上のことを嫌っておいでだからなぁ。ま、ともかく。姉上は、()()()()()()ないと思うよ。エヴァサリア様に比べたら、()()()だしね。君も、そこはわかるでしょ?」

 

 アドリアンはひどく気分の悪い状態だったが、アレクサンテリの言葉にホッとした。当代神女姫(みこひめ)の過去の行いがどうであったにしろ、自分にとって大切な人たち ――イェドチェリカ皇女と、前皇太子シェルヴェステル ―― が、そんな目で見られるのは我慢ならない。

 しかし胸をなでおろしたのも束の間、アレクサンテリは今度はアドリアン自身に関係する人について話し出す。

 

「ちなみについでに言うと、シクステン皇太子(僕のおじいさま)を斬ったのは、君の祖父のマルツェル公だよ。二人は親友だったというのにね。マルツェル公はエヴァサリア様の熱心な信奉者だったらしくて、シェルスターゲ皇帝(大おじいさま)(そそのか)されて、バッサリ誅殺(ちゅうさつ)したってさ。本当かどうかは知らないけど、その後に君のお祖父(じい)さん、なぜかサフェナの東北部をもらえたね。そう、そう。かのレーゲンブルト騎士団の本拠地。特に勲功(くんこう)もないのに」

 

 アドリアンは静かに深呼吸しながら、目を閉じた。とりあえずアレクサンテリの口が閉じるのを待つしかない。今は下手なことは何一つ言うべきではないのだ。「やめて下さい」と言えば、アレクサンテリはますます面白がって、皇宮の()()をあれやこれやと話し出すに違いない。

 

 実際、アレクサンテリは、普段こんなことを大っぴらに話せる相手もいないことから、まぁまぁ得意になっていた。同世代でこの話が理解できる上、重要性を十分に認識して、ちゃんと秘匿(ひとく)してくれるであろう人間は少ない。というより、アドリアンくらいしか思い当たらなかったから、ここぞとばかりに口が止まらなかった。

 

「でもそのせいで、現皇帝(ちちうえ)から、グレヴィリウスは目をつけられちゃったんだよなぁ。何と言っても、自分の父親を殺されたわけだから。お陰で現皇帝(ちちうえ)の立場も一時は危うかったしね。今じゃすっかり政治中枢(キエルバウザ)から遠のいちゃって。君の高祖父のベルンハルド公は『影の皇帝』とも呼ばれる大宰相だったのにねー。まぁ、またベルンハルド公みたいに、権力を持たれたら面倒っていうのもあるんだろうけど。そういえば皇宮では豺狼(さいろう)を冠して呼ばれる人間が二人いたな。一人はベルンハルド豺相(サイショウ)公。もう一人は豺狼の子……」

 

 舟はようやく桟橋(さんばし)についた。おそらく水夫はアレクサンテリの合図でつけるように指示されていたのだろう。

 舟から降りたアレクサンテリが、最後にとどめとばかりに刺してくる。

 

「だから、そういうことだよ。ランヴァルト大公が皇宮において、『貴畜(キチク)』って呼ばれる理由(ワケ)は」

 

 アドリアンはようやくそこで、アレクサンテリがこんな話をしてきた理由がわかった。先程、アドリアンが大公のことを尊敬するような素振(そぶ)りを見せたから、彼は早々にアドリアンから大公に対する尊崇(そんすう)を取り払いたかったのだ。

 

『貴畜』。『豺狼の子』。

 そんなふうに陰口を叩かれて、この皇宮の中で生きていたのだろうか、あの大公殿下は。自分にはどうしようもない、父母の無責任の罪咎(つみとが)を一身に受けて……。

 

 ギュッと拳を固く握りしめて、アドリアンは湖の方を見つめた。水面に浮かぶ睡蓮の花を見ながら、静かに告げる。

 

「……長く話しすぎましたね、殿下。いくら夏とはいえ、水の中にずっといては体も冷えます。()()のためにも、今後は舟でのお話は控えられたほうがよろしいでしょう」

 

 言うだけ言って(きびす)を返すと、アドリアンはその場を去った。アレクサンテリが目配せすると、一人の従僕がアドリアンを促して園遊会の場へと案内する。

 

 アレクサンテリはフゥ、と息をついてから、クシャクシャと両手で頭を掻いた。

 水辺にしゃがみこむと、スーッと睡蓮の花が三つ寄ってくる。アレクサンテリは小石をつまむと、ポイと、それぞれの睡蓮の花の真ん中に投げ込んだ。花弁に隠されて見えないが、その睡蓮の真ん中には、なぜか穴が空いていた。

 

「もう、情けないったらないよ。こういうのって、隠密にやってこそじゃん? なにバレちゃってんの? 貴族の坊や相手にさぁ」

 

 言いながら、ポイポイとアレクサンテリは花の中に小石を放り込む。ゴボゴボと花の周囲に泡がいくつも浮かんだ。

 

「でも嬉しいことだよねー。あのグレヴィリウスの小公爵様に心配してもらえてさ。いいね。僕なんて、あんなに教えてあげたのに、まったく有難がってる節もないし。あーあ、これが兄上との人徳の差ってやつー?」

 

 ゴボボッ、と大量の泡とともに、ぷっかりと浮かんでくるのを待つこともなく、アレクサンテリは立ち上がって背を向けた。

 

「アレ、役に立ちそうもないよー」

 

 早足に歩きながら、誰にともなく言う。すぐに「御意」と静かな声が返ってきた。

 そのままアレクサンテリは少し口をとがらせ、ひどくつまらなそうな顔で去っていった。

 




引き続き更新します。
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