昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百七十三話 錯綜する思惑

「それで、どうする?」

 

 ルンビックが尋ねると、ルーカスはさっきまでキャレの座っていた椅子に腰掛けてから、壁にはりついていたサビエルに声をかけた。

 

「密談には喉を潤すものが必要だ。頼めるか?」

 

 サビエルは無言で頭を下げると、部屋を出た。これで本当に茶を持ってくるのは、従僕としては真面目だが、状況理解ができない愚か者に分類される。つまりはしばらく部屋を出ろ、という含意(がんい)なのだ。

 三人だけになった部屋で、ルーカスはまず、アドリアンに声をかけた。

 

「随分と怒っておられますねぇ、アドリアン様」

 

 ややからかうような口調に、アドリアンはムッと眉を寄せた。「当然だろう」と憮然として言うと、ルーカスはハハハと声に出して笑い出す。

 

「なにがおかしい?!」

 

 アドリアンが憤然と抗議すると、ルーカスは笑いをおさめ、鋭く問うた。

 

「それはキャレ……改めカーリン嬢が小公爵様を(たばか)っていたとお考えになるからですか? それとも自分が知らぬまま、初潮(はじまり)を迎えたような女性を近くに置いていたという、後ろめたさからですか?」

 

 アドリアンは言い返そうとして、唇を噛み締めた。

 正直、キャレが女であったことを知ったときに、すぐに思い浮かんだのは今日、シモンに言われたことだった。

 

 

 ―――― そのように可愛らしい近侍では、小公爵も()()()()()()()()()をかけられるのでは?

 

 

 アドリアンにまったくその気はなくとも、周囲にはなんとなく見抜かれていたのだろうか。そう思うと一気に恥ずかしくもあり、知らぬまま同じ年の女の子と接していた自分に、ひどく苛立った。

 同時に、急に見せられた女性の証に反射的な嫌悪と、罪悪感も感じた。

 それにシモンの言いがかりから、せっかく自分を庇ってくれたランヴァルト大公や、ダーゼ公女にも申し訳ないような気持ちになり……ともかく、アドリアンはすっかり混乱していたのだ。

 この内心の動揺を抑えるために、これまで騙してきたカーリンの責任にして、己の怒りを正当化したかったのかもしれない。

 押し黙るアドリアンを見てから、ルンビックが軽く首を振った。

 

「仕方なかろう。まだ小公爵様のご年齢であれば、(こな)れた対応などできるはずもない。ベントソン卿の息子がいてくれたお陰で、そう騒ぎになることもなく済んだのだ。後から(ねぎら)ってやってくれ」

「ハハ。それは家令殿の方から直接言ってやって下さい。私が言ったところで、素直に受け取る息子ではございませんのでね。さっきも白い目で見られて、背筋が凍りそうでしたよ」

「……妙なところで似た者親子だの」

 

 あきれたように言って、ルンビックは「それで…」と本題に入った。

 

「どうしようとお考えだ? 策士殿は」

「そうですな。普通であれば、小公爵様の申される通りに、オルグレン家の失態を糾弾した上で、相応の罰を与え、カーリン嬢を送り返す……という手順なのでありましょうが」

「それでは問題があると?」

 

 ルンビックの問いかけに、ルーカスはうっすらと笑みを浮かべたが、その青い瞳は冷徹に揺れるランプの炎を見つめていた。

 

「もし、そうなった場合、オルグレン家への処罰は公爵閣下がお決めになるとして、面目を失ったオルグレン家においては、現当主であるセバスティアンが、当主としての資格を問われることでしょうな」

「それはそうであろう。知っていたにしろ、知らなかったにしろ、このような失態……おそらく隠居して、身を引くことを余儀なくされるであろうな」

「その場合、誰が一番得をします?」

 

 ルーカスの問いかけに家令は太い眉をピクリと動かし、アドリアンはハッとした顔になった。

 ルーカスは腕を組むと、背もたれにのっしりと寄りかかった。

 

「先程、カーリン嬢も申されておりましたでしょう。セオドア公子はあるいはわかった上で、自分を寄越したかもしれぬ、と。もしそうであるならば、遅かれ早かれ、こうした事態になることは予想しておったでしょうし、むしろ企図(きと)していたかもしれません」

 

 ルーカスの話に、アドリアンはカッとなった。

 要するに、男爵家におけるお家騒動に巻き込まれたのではないか。継嗣(けいし)がいつまでも居座っている当主を失脚させるために、妹を使って、アドリアンを利用したのだ。

 

「もしそうなら、なおのこと、そのことを問い詰めればいいじゃないか! わざとわかった上で、キャレ……妹を近侍として寄越すなど、僕を馬鹿にしたも同然だ!」

 

 ルーカスは肩をすくめた。

 

「それは先程も申しました。問い詰めたところで『知らなかった』『我々も騙されていた』と、シラを切るのがオチだと。カーリン嬢の話からすると、数年に及んで、弟君と入れ替わっていたようですからね。ましてオルグレン家からは見向きもされていなかった、というのであれば、カーリン嬢が双子の弟と入れ替わっていたことを知らずとも無理はない。おそらく父であるセバスティアンなどは、本当にまったく知らぬことでありましょう」

「…………」

 

 アドリアンは黙り込んだ。ルーカスの言うことは、いちいちもっともで反論の余地もない。アドリアンとしては、ただただ自分の無力さを痛感するだけだ。

 

「……セオドア公子といえば、確か、ハヴェル様の近侍となるべく名前が挙がっていたな」

 

 ルンビックが思い出したようにつぶやくと、ルーカスは大きく頷いた。

 

「えぇ。結局、ハヴェル公子は公爵家から出ましたから、正式な近侍というものでもありませんが。ただ、継承順位二位の立場に見合った待遇を、という閣下のご配慮で、公爵家からもハヴェル公子には、相応の予算が組まれておりますからな。その範囲内で、有力な子息を集めたのでしょう。オルグレン卿の亡くなった前夫人は、グルンデン侯爵夫人の取り巻きでもありましたしね」

「では、此度(こたび)のことで、セオドア公子まで罰するとなれば……」

「当然、黙ってないでしょうね。過重罰(かじゅうばつ)だと、言ってくるでしょう。実際今回のことで、当主のセバスティアンはともかく、嫡嗣(ちゃくし)のセオドアにまで責任を問うのは難しいでしょうしね。……ま、こういう狡猾(こうかつ)な、いやらしいことを考えそうではありますよ。あの女狐の使いの(てん)は」

 

 内心の不機嫌が噴き出したかのようなルーカスの隠喩(いんゆ)に、ルンビックは軽く息をついた。

 彼の言う女狐がグルンデン侯爵夫人ヨセフィーナを指し、その使いっ走りの貂がハヴェルの執事たるアルビン・シャノルを指すことは明白だった。理由はアルビンが勝手に貂をモチーフとした家門紋章をつくり、さりげなく襟やハンカチなどに刺繍していたからだ。もっとも、シャノル家は正式なる貴族ではなく、皇府に紋章使用のための届け出もしていないので、これはあくまで私的なものとみなされ、その増長ぶりを苦々しく思う者も多かった。ルーカスも当然ながらその一人である。

 

「やれやれ。ベントソン卿もまだまだ、青いところがおありのようだな。あのような若造相手に、口を汚すこともなかろう」

「お気になさらず、家令殿。その名前を言えば、かえって口を(すす)ぐ必要がありますので、別名を呼んだまでです。貂はかわいい動物ですからね」

 

 にっこりと笑う公爵の右腕に、ルンビックはもはや意見することは諦めた。

 

「いずれにしろ、この状況下においてオルグレン家の失態は明白であるとしても、その責任を問われるのは当主たるセバスティアン卿で、彼が隠居やむなしとなれば、次に継ぐのはセオドア公子となるわけだ」

 

 ルンビックがまとめると、ルーカスはまた真面目な顔に戻って頷いた。

 

「正直、セバスティアン卿が無能であることは知られておりますからな。公子にとっては、ロクに仕事もせずに、いいとこ取りだけする、鬱陶しい父親を排斥(はいせき)できるのだから、オルグレン家の評判が()()落ちたところで、さほどのことでもない。それにあの()のことだ。こちらがオルグレン家の非を言い立てれば、同じように言ってくるでしょうよ。『数ヶ月もの間、近侍として仕えさせておいて、気付かないとは、小公爵様も、周囲にいる人間も、少々愚鈍であろう』と」

 

 言いながらルーカスはチラとアドリアンを見た。

 肘掛けに置いた拳がかすかに震えている。普段の物腰柔らかな態度は母であるリーディエを思い起こさせるが、こうして怒りを押し殺す様は、公爵である父エリアスそっくりだった。

 ルーカスはアドリアンの気を紛らすように、少し自嘲気味に告白した。

 

「私も少々迂闊(うかつ)でしたよ。今にして思えば、気付いている者もいたのです。それとなく示唆(しさ)されていたようですが、生憎とまったく思い至りませんで……」

 

 話しながらルーカスの脳裏に、ヤミ・トゥリトゥデスの言葉がよみがえる。

 

 

 ―――― あの年頃であれば、男女の性差について、色々と悩みをかかえる時期であるのかもしれませんね……

 

 

 わざわざキャレが深夜に図書室を訪れたことも含め、ヤミがわざわざキャレの持って行った本の名前を言ってきた時点で、奇妙だと思ったのだから、もう少し考えるべきだったのだ。あの時はヤミが、諜報組織・鹿の影の一員だという言質(げんち)を取ることばかりに頭がいって、キャレとのことはただの雑談としか考えていなかった。

 

「今更、言うても詮無(せんな)きことはさて()き、それで結局カーリン嬢と、オルグレン家の処遇についてはどうするのか?」

 

 ルンビックに結論を(うなが)され、ルーカスは軽くため息をついた。

 

「さて、それです。こちらとしても、セオドア公子の思惑に乗ってやるつもりもなし……かと言って、女子であるカーリン嬢を近侍のままにしておくこともできません。一番よろしいのは……」

 

 言いかけたときに、コンコンと扉をノックする音が響いた。返事する前に、サビエルが客の来訪を告げる。

 

「クランツ男爵が来られました。それとエーリク公子も戻っておみえです」

 

 ルーカスはチラリとルンビックを見て、無言の承諾を得ると「入ってもらえ」と返事した。少し戸惑うアドリアンに、ニヤリと笑ってみせる。

 

「せっかくですから、ここはクランツ男爵の見解も伺うとしましょう」

 

 

***

 

 

 サビエルは待機中に用意していたお茶を、手早く各自の近くのテーブルに置いた。やや冷めかけたお茶を、ルンビックは静かに一口含み、ルーカスは喉が渇いていたのか、すぐに飲み干した。アドリアンは手もつけない。

 ヴァルナルは入るなり妙な緊張感が漂う雰囲気に、困惑したようにつぶやいた。

 

「なんだ、一体……? 小公爵様まで。このような時間に」

 

 ルーカスが「まぁ、こっちに来い」と呼ぶと、ヴァルナルの動きに合わせて、サビエルがさりげなく椅子を持ってくる。用意された椅子になんとなく座ってから、ヴァルナルはどこか落ち着かない様子で、その場にいる人間を見回した。

 しかしルーカスはヴァルナルの物問いたげな視線を無視して、まずはエーリクに声をかけた。

 

「カーリン嬢は? ちゃんと送ったか?」

「はい。ちゃんと鍵もかけさせました」

「よろしい。満点の回答だ」

 

 ルーカスは言ってから、軽く顎をしゃくって、さっきまでエーリクが座っていた椅子へと(うなが)す。

 サビエルは全員が着席したのを見計らって、再び部屋から出て行った。

 

「おい、どういうことだ? いきなり出て行って、なかなか戻ってこないからどうしたのかと思って来てみたら……」

 

 実のところヴァルナルとルーカスは、さっきまで二人で、亡くなった友人たちを偲んで飲んでいたのだが、そこへサビエルが慌ただしくやって来て、家令がルーカスを呼んでいる旨を告げた。ルーカスが出て行った後、ヴァルナルはしばらく一人で飲んでいたが、どうにも落ち着かない。何かあったのだろうかと思い、家令の部屋に向かう途中に、沈んだ様子のエーリクに会い、彼も同じ部屋に向かっていたので、一緒にやって来たのだった。

 

「一体、何があったんだ?」

 

 ヴァルナルが尋ねると、ルーカスは唐突に言った。

 

「困ったことになった。キャレ・オルグレンが女だったんだ」

「は?」

「本当の名前はカーリン・オルグレンだそうだ。女だと思って見たら、確かに女だな。どうして今まで気付かなかったんだか不思議だ。どう考えても力も弱いし、体つきも細いし、声にしても……」

「おいおいおい。待て。ちょっと待て。いきなり何を言い出した?」

 

 ヴァルナルは突然すぎて意味が理解できず、遮って再び尋ねたが、ルーカスの答えは同じだった。

 

「小公爵様の近侍であるキャレ・オルグレンは、女だったと言ってるんだ。で、彼女をどうしようか……というのが、今の議題だ」

「…………さっぱり理解できん」

「私がご説明しましょう」

 

 ルンビックがかいつまんで説明すると、ヴァルナルは百面相になりながらも、どうにか納得したようだ。ブツブツと口の中で起こったことを反芻してから、ルーカスに確認した。

 

「つまりオルグレン家、特にセオドア公子に知られることなく、カーリン嬢をファルミナに戻したいということか」

「まぁ、そうだ」

 

 ヴァルナルはさほど考えることもなく言った。

 

「そんなこと、(けい)が悩むほどのことでもあるまい。ファルミナにいる本物のキャレと交代させればよいではないか」

 

 ルーカスは特に驚きもせず、頷いた。

 

「ま、そうなるよな」

「問題でもあるのか? よっぽどの重病人というなら仕方ないだろうが……」

「いやぁ、カーリン嬢の説明を聞く限りは、母親が大袈裟にしているだけのような気がするな。そもそも最初は弟に行くように言っていたくらいなのだから、もし、本当に歩けぬほどの重病人ならば、そんな提案もしないだろう」

 

 ルーカスの言葉に同調したのはエーリクだった。

 

「僕も、さっきキャレ……カーリン嬢に少し聞きました。弟の病状はそんなに悪いのかと。でも、聞く限りは普通に飲み食いもしていて、多少、言語不明瞭なところはあるようなんですが、少なくとも病気というほどの症状でもないような気がします」

「なるほど。お前もあらかじめ考えていてくれたんだな、エーリク。カーリン嬢の行末について」

 

 ルーカスは少しばかり意地の悪い微笑を浮かべたが、エーリクはキョトンと目をまたたかせてから、真面目な顔で言った。

 

「僕は前にセオドア公子がキャレ……カーリン嬢を、その……(いじ)めているような、そういう場面を見たことがあったのです。そのときから、オルグレン家におけるキャ…カーリン嬢の立場が弱いものであることは、なんとなく承知していたのですが、当人から口止めされて、誰にも言わずにおりました。今にして思えば、もっと早くに小公爵さまにお伝えした上で、対処してもらうべきでした。もしかしたら、そのときにでもカーリン嬢から、正直に言える機会もあったかもしれませんから……」

 

 ルーカスは至って純粋なエーリクの言葉に苦笑した。どうにも自分はスレた大人だと、自分自身のうがった見方に辟易する。

 

「じゃあ、つまりカーリン・オルグレンをファルミナに戻し、弟の本物のキャレを連れてきたら、それでこの件については終わりということか?」

 

 暗い声で問うてきたのは、それまで黙りこくっていたアドリアンだった。声と同じく暗い鳶色(とびいろ)の瞳がじっとりとルーカスを見ている。

 ルーカスはアドリアンに向き合うと、軽く首をかしげた。

 

「気に入りませんか?」

「……オルグレン家については、不問ということか。セオドア公子も」

「そうですな。この場合、彼らを糾弾することこそ、あちらにとっては好機となりかねませんから」

「………そうか」

 

 アドリアンはほとんど消えるような声で言うと、立ち上がった。

 

「じゃあ、明日の早朝にもカーリン・オルグレンをファルミナに連れて行ってくれ。黒角馬なら半日で行けるだろう。エーリク、君が連れて行け」

 

 淡々とした口調で命令して、出て行こうとするアドリアンに、エーリクはあわてて問いかけた。

 

「あのっ、キャレにはもうお会いにならないのですか?」

 

 アドリアンはジロリとエーリクを見た。その鳶色の瞳は、父公爵と同じくどんよりと曇っていた。

 

「……()()()には、会おう。君が連れてくれば。だが彼女はキャレではない。もう会う必要もないだろう」

 

 そのまま呆然となるエーリクを残して、アドリアンは部屋から出て行った。

 

「やれやれ…」

 

 ポリポリとルーカスが突き出た頬骨を掻きながら(ひと)()ちた。

 

「どうにも、よほど腹に据えかねるようだ」

「あんなに怒っておられるのは、珍しいな。それにキャレ・オルグレンのことは、何かと気にかけていらっしゃったのに」

 

 ヴァルナルが腑に落ちないように言うと、ルーカスは少々鈍感な友の肩を叩いた。

 

「仕方あるまい。小公爵様にとっては、キャレは弟のような存在であったのに、いきなり妹になったと言われても、困惑されて態度が硬化してしまうのは、あの年頃であれば、あり得ることだ。それにキャレは……」

 

 そこまで言いかけてエーリクの存在を思い出すと、ルーカスは一旦、口を噤んだ。軽く咳払いをして、誤魔化すように笑みを浮かべる。

 

「じゃ、お前は小公爵様のご命令通り、早朝、目立たぬように出立しろ。カーリン嬢をファルミナに送り届けて、今度こそ()()()キャレ公子に来てもらうように。母親には公爵家の医者が定期的に診察するから、心配ないと請け負ってくればいい。それでも何か問題があったときには、そうだな……ゴルスルム通りの俺の家に連絡をくれ」

「はっ」

 

 エーリクは短く承知すると、騎士礼をして出て行った。

 ヴァルナルはエーリクの足音が遠ざかるのを確認してから、ルーカスにまた物問いたげな視線を向ける。ルーカスは気付いていたが、手を上げて制止した。

 

「ちょっと待ってくれ。一服したい。家令殿、葉巻を一本頂いてもよろしいですかな?」

 

 ルーカスは許可を求めながら、既に机の上の葉巻箱(ヒュミドール)から、一本手にしていた。ルンビックは自分もまた一本取り上げると、ジョキリと葉先を切って、ルーカスに鋏を渡した。

 

「さっき、お前も言ったろう? 小公爵様がキャレ・オルグレンのことを、何かと気にかけていらっしゃった……と」

 

 同じように葉先を切って火をつけながら、ルーカスは先程詰まらせた話を始める。ヴァルナルは頷いた。

 

「あぁ、正直、キャレはあまりよく出来たほうでもなかったからな。小公爵様も気遣って、色々と手助けされていたんだろうと思うが」

「そうだ。小公爵様としては、あくまでも少々出来の悪い近侍の()()を助けてやろう…という、まぁ親切心だったわけだ。それが女であったとなれば、馬鹿にされたようにも感じるであろうし、どこか気恥ずかしくもあるのだろう。そこについては、特に問題ではない。どちらかといえば、問題なのはキャレ ―― いや、カーリン嬢の方だ」

 

 言ってからルーカスはハアァと長い溜息まじりの煙を吐いた。

 以前に感じた危惧が、こうした展開を迎えるとは……

 

「カーリン嬢がオルグレン家で肩身の狭い思いをしていた、というのは想像に難くない。実際、話を聞いてもそうであったようだしな。おそらく彼女にとって、小公爵様は初めて目上で、自分に対して優しくしてくれた人物であったわけだ。加えて小公爵という立場も、公爵閣下譲りの容姿も、憧れるには十分だろう。憧れが過ぎて、淡い恋心となるのは当然の成り行きだ」

 

 ルンビックもまたため息まじりに煙を吐くと、軽く首を振りながらボソボソと言った。

 

「あるいは小公爵様も薄々、感じておられたのかもしれませんな。それで女とわかった途端に、カーリン嬢に対してより拒否感が強まったのやもしれません。容姿も同じながら、あの年頃の公爵閣下も、女性に対しては厳しく接しておられましたからな」

「あぁ、女嫌いであらせられたものな。リーディエ様に出会うまでは」

 

 ルーカスも同意すると、ヴァルナルは一人驚いた顔になった。

 

「そうなのか? 俺と出会った頃には、そうでもなかったような気がするが」

「閣下の人生はリーディエ様に会う前と会った後で分かれるんだ。会う前ときたら、今の小公爵様など可愛いと思えるくらいに、それはそれは恐ろしいくらい暗くて大人びた……もう子供というよりも、感情のない人形に近かったな」

 

 ルーカスは言ってから、少しばかり喋りすぎたとしばらく黙り込んだ。全員が少し疲れた吐息をつく。淀んだ沈黙の中で、煙が闇へと漂っていく。

 ルーカスは何度か煙を味わって、虚空へと吐いてから、再びカーリンに話題を戻した。

 

「……もし、カーリン嬢が小公爵様に惚れることまで見込んで、奴らが彼女を送り込んできたのだとすれば、これは相当にしたたかな企みだぞ。それこそ策に乗ってオルグレン家の失態だと責め立てれば、気付かなかった小公爵様を()(ざま)に言うばかりか、下手をすれば女だとわかった上で、男装させて仕えさせていたのではないか……などと、それこそ尾びれ背びれをつけて、いやらしい噂を流していたかもしれん」

「そのようなこと……!」

 

 ルンビックは目を見開き、わなないた。持っていた葉巻を、苛立たしげに灰皿へとなすりつける。「そのようなこと、断じて避けねばならぬ!」

 

「もし、そのようなことになれば、キャレ……いや、カーリン嬢の小公爵様に対する純粋な気持ちも、奴らに利用されかねない、というわけか」

 

 ヴァルナルも眉をひそめて重々しくつぶやき、ギリッと奥歯をきしませた。「そうまでしても、小公爵様の評判を落としたいか……!」

 

 取るに足らない噂であっても、貴族社会において、それを武器とするのは常套手段であった。そうして、それらをうまく取り扱い、もっとも効果的に使ってこそ、()()()()()()()()貴族といえた。いまだに平民感覚の残るヴァルナルには、まったくもって肩の凝る話だ。

 ルーカスは二人の様子を見ながら、葉巻を吸い、考えをまとめていく。煙を吐ききると、不敵な笑みを浮かべた。

 

「セオドア公子としては、厄介者の妹を送り込んで、自分はオルグレン家の当主となり、一方で小公爵様の評判を落とすことができれば、ハヴェルへの忠誠を示せる好機と思ったのであろう。妹のことなぞ、最初から使い捨ての駒程度にしか考えておらん。あるいは小公爵様に気に入られれば、それはそれで利用価値があるとでも思ったのかもしれないな。ま、一男爵家の公子風情の思惑にこちらが乗ってやる必要もなかろうよ」

 

 ひとまずは()()()の思惑をかわすことはできた。それが今回の件についての、とりあえずの結論だった。しかし、物事はいつもそううまく運ばないものなのだ。

 

 

 翌日、アドリアンとルーカスから言われて、カーリンを伴ってファルミナへと向かったエーリクは、翌々日の夜にはゴルスルム通りのルーカスの私邸に現れた。かたわらに暗い顔のカーリンを連れて。

 

 




次回は2024.01.14.更新予定です。
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