昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百七十四話 カーリンとキャレ

 二人揃って暗い顔でうつむく姿を見て、ルーカスは軽くため息をついた。

 どうやら交渉は失敗に終わったらしい。

 ベントソンの私邸からの連絡を受け、ルーカスと一緒に来たヴァルナルが、エーリクに尋ねた。

 

「何があった?」

 

 エーリクは頭を下げると、うめくように言った。

 

「申し訳ございません。ご命令を果たすことができませんでした!」

 

 ルーカスは二人の前の椅子に腰掛けると、理由を話すように促した。チラリとエーリクの隣で、身を縮こまらせているカーリンを見やる。この数日の出来事に疲弊しきった顔は、青白く、痩せこけていた。

 

「ご命令通り、ファルミナに向かいました。途中、カーリン嬢の具合が悪くなることもあって、少しばかり到着時間は予定より遅れたのですが、ちょうど夜の訪れた頃合いでファルミナの領主館に到着したので、人目に付くことなく、キャレ公子と母親の住まう家を訪ねることができたのですが……」

 

 

***

 

 

 エーリクは勝手知ったるカーリンの手引で、領主館裏手の林から、邸内へと入った。

 ファルミナの領主館は、他の多くの領主館と同じようにやや勾配のある土地の上に建てられており、前面には町が、後背(こうはい)には雑木林が広がっていた。邸内の主要な建物と領主家族が過ごす館は、おもに前面側に集中しており、林の方は一応動物()けに塀があったものの、所々崩れた部分もあり、門に見張りもなかった。領主家族の住む中心部の館周囲に堅固な内壁があるため、外壁についてはおざなりになってしまったようだ。戦の日々が遠のき、財政状況も芳しくない貴族の屋敷においては、よくあることだった。

 内壁と外壁の間にある裏手の庭には、使用人たちが自分達用に作ったわずかな畑のほかは、旧修練場のあった場所も雑草だらけで、すっかり荒れ果てていた。その古い修練場にあった、騎士らの休憩所であったところが、カーリンら親子の住む小屋だった。

 

「あちらから人が来ることはほとんどないので……」

 

 カーリンは警戒するエーリクに、弱々しく言った。

 基本的にカーリンたちは無視される存在だった。彼女らの住まいは、鬱蒼としたイチイの木に隠されるようにしてあったが、これは親子達が現男爵夫人の目に触れることのないよう、茂る枝葉をはらうこともせず、あえて伸ばし放題にしていたためだった。

 もっともそのおかげで、エーリクの黒角馬(くろつのうま) ―― イクセルを連れて入っても、気付かれずに済んだのではあるが。

 

 日も沈んでそろそろ寝ようという時間にやって来たカーリンとエーリクに、カーリンの母・ゾーラはまるで幽霊でも見たように腰を抜かした。

 驚く母に動揺した弟のキャレは、ひどく混乱したようだ。

 

「い、いいい、い、い、一体、なにィ? ()ぁに? なんぁんだよ! お前らはァ!? 勝手に来て、何ぁんだ! 誰だ? 出てけ、出てけ、出てけェッ!!」

 

 金切り声を上げながら、なだめようとするカーリンにやみくもに殴りかかる。手をブンブン振り回して、顔でも胸でも叩きまくって、腹にも蹴りをいれる。

 カーリンは彼らが落ち着くのを待っているかのように、黙って弟からの情け容赦ない暴行を甘受していたが、見ていたエーリクは当然ながら黙っていられなかった。

 

「いい加減にしろ!」

 

 一喝して、その弟の腕を掴み上げる。すると今度は母親がヒィィと、これまた甲高い悲鳴を上げて、エーリクの足に縋りついた。

 

「やめてェ! やめてやってちょうだい!! そんなことをしたら、キャレが死んでしまうぅー」

「うわぁぁん! 痛いいィィ、痛いいィィ」

 

 母親の悲鳴を聞いた弟は、同じように叫びながら、大袈裟に泣き始める。泣きながら、ブンブンとエーリクの手を振り回す力は、まぁまぁあったので、エーリクはすぐに彼の現状について把握できた。要するに、十分に元気だろうということだ。

 

 エーリクはざっと(キャレ)の容姿を見た。

 ランプの明かりだけなので、細部はわからないが、確かにカーリンの言ったように、異性の双子とはいえ顔つきは似ていた。

 今はおそらく(カーリン)に化けているからだろう。長く伸ばした髪は、確かに赤い。ただ、カーリンのように定期的に洗髪をしていないからなのか、お世辞にもルビー色の(つや)やかな美しさはなかった。

 

 それにカーリンからは、ここでは最低限の食料しかもらえなかったと聞いていたが、この目の前の弟は、カーリンが公爵家に来たばかりの頃に比べると、断然に肉付きが良かった。今のカーリンと遜色ないほど……というより、入れ替わるのであれば多少食事制限をして、痩せさせる必要があるように思える。

 その差にエーリクは少し釈然としないものを感じたが、いずれにしろ、どちらのことも修正可能な範囲だと冷静に分析した。

 ただ、エーリクをにらみつけてくる瞳は、同じ緑色であったが、なんだか少し濁って見えた。これは主観的なものも入っていたのかもしれない。つまり、エーリクのこの弟に対する第一印象は、すこぶる悪かった。

 

「エーリクさん、離してあげて下さい。キャレはすぐに(あざ)になってしまうんです」

 

 カーリンからも言われて、エーリクはしぶしぶ弟の腕を離した。

 よろけて無様に尻もちをついた弟に、母親がすぐさま駆け寄って、親子はヒシと抱き合った。

 

「うわぁぁん! 痛いィィ! 母さぁん、痛いィィよぉ」

「可哀相に、可哀相に。おぉ、キャレ。痛かったろうねぇ、可哀相にぃぃ」

 

 いちいち大袈裟な親子二人のやり取りに、エーリクは呆気に取られるばかりだったが、カーリンは無表情に弟と母の様子を眺めていた。

 やがて親子二人がすすり泣くようになると、そっと腰をおろして声をかけた。

 

「キャレ、お母さん。私です。カーリンです」

 

 母親はゆっくりと顔をあげると、まじまじとカーリンを(すが)め見て、つぶやいた。

 

「カーリン…?」

 

 弟もじっと姉を見つめてから、突然すっくと立ち上がると、バシリとカーリンの頬を打った。

 

「びっくりさせるなァ! お、お、俺の心臓が止まったらどうするんだァッ」

 

 エーリクは驚くと同時に、さっきから姉への暴行を繰り返す弟に対して、さすがに我慢ならなかった。一歩、前に乗り出すと、カーリンがすぐさま制止する。

 

「エーリクさん。大丈夫……私は大丈夫ですから……」

 

 落ち着いたカーリンの様子から、エーリクはすぐに理解した。カーリンにとって、こんなことは日常なのだと。

 それからどうにか二人を椅子に座らせ、経緯(いきさつ)を説明したが、親子はカーリンが話している途中でも、いきなり遮ってはまったく関係のない話 ―― 狸が使用人の畑を荒らした話や、当主不在を狙って執事や従僕たちが酒盛りをした話など ―― をして、まともに聞こうとしなかった。

 特に弟はじっとしていられないのか、頻繁に椅子から立ち上がっては、ウロウロと歩き回ったり、自分の上唇と下唇を交互に引っ張ったり、動物の鳴き真似をしたりと、邪魔するようなことばかりをする。

 

 それでもカーリンが辛抱強く説得している間、エーリクはともかく黙っていた。

 本当は動き回る弟の首根っこを掴まえて、無理やり椅子に縛り付けておいてやりたいくらいだったが、エーリクが少しでも動くと、カーリンは敏感に反応して、たしなめるようにエーリクを見てくるのだった。おそらくカーリンは何も指摘しないことが、物事が早々に終わることを経験で知っていたのだろう。

 

「……そういうことだから、やっぱりキャレに公爵家に行ってもらわないといけないの」

 

 ようやくカーリンが話し終えても、母親の反応はなかった。ポカンと口を開け、ボヤーっとしている。弟はそんな母の腕を引っ張って、わめき立てた。

 

「ねぇェ、母さぁん。コイツら、俺をここから連れて行こうとしとるのォ? 嫌ァだ、嫌ァだ! 嫌ァだよぅ、俺。母さんから離れるなんて、嫌ァだよぅ!」

 

 母親は腕を掴んで必死に訴える息子にハッと我に返ると、また「可哀相に」と頭を撫でて抱きしめる。

 エーリクは会ったときから、まったく変わり映えしない親子の様子に、苛立たしげにため息をついた。

 

「……ベントソン卿から、キャレ公子には医者の診察を受けさせると、約束して頂いております。決して、不自由な生活はさせません」

 

 しかし弟はそんなエーリクをビシリと指差して怒鳴りつける。

 

「コイツ嫌ァい! さっきから俺を睨んでくるゥ!」

「キャレ、失礼なことを言わないの」

 

 カーリンがさすがに厳しくたしなめると、弟はギッと姉を睨みつけ、机に置かれてあった木の皿を投げつけた。

 エーリクは反射的に手を伸ばし、カーリンの顔をかばった。バシリと手に当たった皿の硬さに、もし当たっていたらと思うと、さっきからの態度も含めて、この我儘極まりない弟への苛立ちが沸騰した。

 

「いい加減にしろ! 姉を一人で公爵家に送っておいて、貴様は今の今まで、母親と一緒にのうのうと暮らしていたんだろうが!! それを詫びるどころか、さっきから……」

 

 太い声で怒鳴りつけられると、弟は震え上がって、母親にしがみついた。ヒック、ヒックとしゃっくりが止まらない息子の背を、母親は懸命にさすってやりながら、エーリクではなくカーリンに文句を言った。

 

「カーリン! お前、こんな時間にいきなり来たかと思ったら、何だい! 私たちを脅しに来たのかい!! なんてひどい子だ。病気の弟に怒鳴りつけて……!」

「カーリンは関係ないだろう! 怒ってるのは俺だ!」

 

 エーリクは吠えるように怒鳴ると、ドスンと拳で机を打った。

 この母親にも腹が立つ。さっきから弟ばかりを庇って、同じ娘であるカーリンのことは、ただの一度も心配する素振(そぶ)りはない。娘が初潮を迎えたことにすら、まるで関心を示さず、いたわる言葉の一つもなかった。

 そのうえ、エーリクと直接言い合うのを恐れて、言い返してこないとわかっているカーリンに非難の矛先を向けるなど、卑怯極まりない。

 

 母親はエーリクの剣幕に、おどおどと目を泳がせて、必死に視線を逸らした。その卑屈な態度も、エーリクには業腹(ごうはら)ものだったが、隣にいたカーリンの深い溜息に、自らも軽く息をついて怒りをどうにか収めた。

 カーリンはようやく大人しくなった弟に、やさしく声をかけた。

 

「キャレ、公爵家はここよりもずっと立派で、ベッドも広くて、パンだって柔らかくておいしいのがいっぱい食べられるよ。服も、きれいな服を小公爵さまから頂いたから……」

 

 カーリンの話を、鋭い声で遮ったのは母のゾーラだった。

 

「冗談じゃない! その小公爵様とやらが、どんなに冷たくて恐ろしい人か! ちょっとでも気に入らないと、すぐに鞭をもってきて()つんだろう! そうして逆らったら、身ぐるみ()いで追い出すそうじゃないか!! そんな恐ろしい場所に行けだなんて……甘い餌で私らを騙そうたって、そうはいかないよッ!!」

 

 一体、どこでそんな噂をきいたのか、根も葉もない母の反論に、カーリンはあわてて首を振った。

 

「小公爵さまが冷たいなんて、とんでもない。とても優しい……本当に、優しい方よ」

 

 少しだけカーリンの言葉に苦さが混じったのは仕方ない。

 昨晩から、帝都を経つ朝になっても、とうとうアドリアンが姿を見せることはなかった。カーリンは謝罪はもちろん、別れの挨拶も、これまでの感謝も、一言もアドリアンに伝えることは許されなかったのだ。

 相当にアドリアンが怒っているということを確信し、カーリンは暗然たる気持ちをかかえてここに戻ってくるしかなかった。もう二度と会えないのだと思うと、今更ながらに泣きそうだった。

 そんなカーリンの苦しみを、双子の弟であるキャレは、なんとなく感じ取ったのかもしれなかった。だが、さっき母親が言ったことを鵜呑みにしていた彼は、姉のちょっとした言葉と言葉の()を、覆い隠せなかった嘘がにじみ出たのだと誤解した。

 

「嘘だ! カーリン、嘘つくな!! お前、今ちょっと言いにくそうにしてたじゃないか。やっぱり小公爵は意地悪なんだあッ」

 

 エーリクはとうとうアドリアンのことまでも誹謗するこの母子(おやこ)に対し、もはや怒り以外の感情はなかった。彼らもまた、このファルミナの領主館において(しいた)げられているのかは知らないが、それでも彼らの態度は許されるものではない。

 ギロリと睨みつけると、弟はすぐにエーリクの怒気を感じたのかして、また母親にしがみついた。

 カーリンはこれ以上、アドリアンの話をしても親子に信用してもらえそうもないとわかると、すぐに話を変えた。

 

「さっきエーリクさんが言ってたでしょ? 公爵邸に行って、お医者様にも診てもらったら、キャレの病気もきっと良くなるから」

 

 だが母親はカーリンの申し出に対し、フンと鼻息を荒くしてまくし立てた。

 

「生憎と、こっちでも十分にしっかりとよく診て下さる()()()()がいらっしゃるんだ。私らみたいな貧しい人間にも、分け隔てなく診て下さる方々さ。キャレもあの方たちから薬をもらうようになって、随分と太って、熱を出すことも少なくなって……」

 

 だが母親は急に話を止めると、あわてた様子で否定した。

 

「でも、まだまだキャレを一人になんてさせられないよ。先生たちからの薬はここにいないと貰えないし、それに、この子は私がいないと駄目なんだ! とてもとても一人で公爵邸なんかに行って、気難しい小公爵の相手なんぞさせられないよ!」

「…………」

 

 カーリンは深くため息をついた。

 おそらく母親は弟が健康になってきたことを知られれば、ますますカーリンたちが(キャレ)を公爵邸に送り込む口実にすると考えたのだろう。

 

「……今日のところは、もう夜も遅いから寝ましょう」

 

 カーリンが疲れ切った様子で言うと、母親はすぐさま立ち上がった。

 

「そうだね。明日にしよう。明日、明日! 今日はもう遅い! 明日、ゆっくりと話を聞くよ。それでいいだろう? さ、キャレ。母さんと一緒に寝よう」

 

 親子二人はそそくさと食堂兼居間から立ち去った。

 カーリンは彼らの後ろ姿をぼうっと見送った。うつろな目の下には、濃い影がわだかまっている。

 エーリクがその姿を見ていると、視線に気付いたのか、ハッとした様子で頭を下げた。

 

「すみません、エーリクさん。不快な思いをさせてしまって……」

 

 そうして自分に詫びてくるカーリンが、エーリクには気の毒でたまらなかった。

 領主である父親の無視、異母兄姉(きょうだい)からのいじめ、唯一の安らぎであるはずの実の母と弟からの疎外。

 このファルミナの領主館において、最もまともな人間はカーリンだけだ。そうして、まともであるがゆえに彼女は憂き目をみている。……

 

「俺のことはいい。お前こそ、ここまで無理してきたから疲れているだろう。自分の部屋で寝ておけ」

「……私のベッドは、そこです」

 

 カーリンは暖炉横にある、藁の積まれた場所を指して苦く笑った。

 

「すみません。ろくにベッドもなくて。キャレとお母さんが寝るベッドはあるんですけど、あの二人はあのベッドじゃないと眠れなくて。キャレは寝付きも悪いし、たぶん、今日は夜遅かったので、眠くていつもより不機嫌だったんです。色々と失礼なことを言って、本当に申し訳ありません」

 

 また謝ってこられて、エーリクは自分の不甲斐なさに奥歯をかみしめた。

 本来謝るべきはカーリンではない。だが、もうカーリンにとって、弟のことで謝るのは当たり前のことで、その理不尽さについて考えることを放棄してしまっているようだった。それは、母と弟を見るカーリンの、寂しさを押し殺した無表情が物語っていた。

 エーリクはため息をついてから、額をおさえた。

 

「お前、そういうことをするな。今回のことは、お前だけの責任じゃない。あの弟じゃ、お前が代わりに行こうと思うのだって無理もない」

「…………」

 

 カーリンはうつむいたまま、椅子に腰かける。背を丸く曲げて座った姿は、人生を半分終えた老女のようだった。

 

「一つ、聞いてもいいか?」

「はい?」

「その……」

 

 エーリクは迷ったが、思いきって尋ねた。

 

「なんだって、お前の母親はああまで弟のことを……その、甘やかすんだ? 正直、見たところ病気なんて罹ってるようにみえないし、何だったら、お前のほうが痩せてるくらいだ」

「……高熱を出して、死にそうになるまで……キャレはとても利発な子だったんです」

 

 カーリンは話しながら、その頃の弟を思い出したのか、少し微笑んだ。

 

「私はその頃から鈍臭くて、よく叱られてました。だからキャレが手伝ったりしてくれて。あの子も騎士団でこき使われて大変だったのに……」

 

 少々生意気なところはあっても、その頃のキャレは優しい、頼りがいのある弟だった。だから、母の期待が弟に集中するのも無理ないことだった。

 

「……母にとって、弟は希望だったんです。いくら庶子とは言っても、この紅玉(ルビー)の髪は、オルグレン家の血を引く何よりの証です。しかも今の奥方様のお子様はどちらもこの髪を持っていなかった。もちろん、この家を継ぐのはセオドアお兄様です。でも……」

 

 そこでカーリンは少し声を落とした。囁くようにエーリクに問いかける。

 

「……エーリクさん、覚えてますか? グレヴィリウス大公爵ベルンハルド老閣下のこと」

 

 その名前を聞いて、すぐにエーリクはカーリンが言いたいことに思い至った。

 

 グレヴィリウス公爵ベルンハルド。

 アドリアンの高祖父にあたる人物で、その頃、借金がかさみ、領地を切り売りするまでになっていたグレヴィリウス家を再興させ、帝国宰相にまで登り詰めた、別名『影の皇帝』。その圧倒的な統率力と、冷酷無比とも呼ばれた政治力は、時の皇帝すら彼の前で玉座に着座するのをためらうほどだったという。

 まさしくグレヴィリウスが()を冠するまでになった、その(いしずえ)を築いた人であった。

 しかしそんな偉大な彼の生涯において、いまだに軽蔑もあらわに囁かれるのがその出自だった。

 

「ベルンハルド公が、元は庶子であったことを母は知って、希望を持ってしまったんです」

 

 カーリンは皮肉げに頬を歪めた。

 そう。ベルンハルドは元は庶子であった。しかも嫉妬した父公爵の妻たちによって、身重であった母諸共に奴隷商人へと売られたのだ。そのまま、もはやグレヴィリウス家に関わることもなかったはずの彼が、奇跡的に戻ってこれたのは、本来後を継ぐべき兄や従兄弟たちが相次いで流行病で亡くなったからだった。

 

「母は考えたんです。もし、ベルンハルド公と同じように、はやり病でお兄様たちが相次いで亡くなったら、キャレがオルグレン家の当主になれるかもしれない……って」

 

 エーリクは首を振った。そんなことが、そう簡単に起きるはずがない。

 ベルンハルドの兄達が亡くなったのは、流行病に加えて、生活も相当に乱れていたせいとされる。それに兄達が亡くなったからといって、ベルンハルドが順風満帆に公爵位を相続できたわけではない。決して表向きには語られない策謀や、陰惨な闘争を経て、彼はその地位を得たのだ。

 カーリンの兄であるあの忌々しいセオドア公子はもちろん、二番目の兄であるラドミール公子も、至って壮健だと聞いている。

 むしろ今となっては、キャレにこそ瑕疵(かし)があると見られるだろう。熱病からどうにか生還したものの、話し方を含め著しく対人への接し方に問題がある。

 

「正直、あの弟を連れて帰るのが正解なのか……俺にもわからなくなってきた」

 

 エーリクがボソリとこぼすと、カーリンは哀しそうに目を伏せた。

 

「でも……私が、これ以上、小公爵さまのお側にお仕えすることはできませんから」

 

 絞り出すように言った声は震えていた。暗くて見えないが、かすかな嗚咽に、カーリンが泣いているのがわかった。

 エーリクはしばらく言葉を探したが、こういうときに気の利いたことが言える人間でないのは、自分が一番よくわかっている。

 

「もう、お前も寝ろ。ともかく今日は、寝ておけ。明日の朝には説得して、あの弟を何としても連れて行かねばならないんだからな」

 

 ぶっきらぼうに言うと、エーリクはドア横にどっかと座って、マントをクルリと巻いた。

 

「エーリクさんが、こっちで寝てください。あまり寝心地は良くないかもしれませんが……私は椅子に座ってでも眠れますから」

 

 カーリンがあわてて椅子から立ち上がって言ったが、エーリクは「いい」と短く言って目をつむる。それでも気にして突っ立ったままのカーリンに、むっすりとエーリクは言った。

 

(イクセル)を外に繋いでるから、何かあったときのためにここで寝てるんだ。いいから、お前はそっちで寝ておけ」

 

 しかしエーリクも帝都からファルミナまでの強行軍に、案外と疲れていたようだ。すっかり寝入ってしまい、朝になってカーリンに揺り起こされた。

 

「エーリクさん! エーリクさん! 起きて下さい。お母さんたちが、いないんです!!」

 

 




次回は2024.01.21.に更新予定です。
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