昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百七十五話 悩む策士とその妹

「……それで朝になったら、ベッドはもぬけの空で、親子はキャレ……じゃなく、カーリン嬢の持っていた金をすっかり盗んで消えていた、ということか」

 

 ルーカスはエーリクからの報告を聞いて、天を仰いだ。多少、難渋するだろうとは思っていたが、まさか逃げるとは。

 

「それにしても……」

 

 言いかけてルーカスはカーリンを窺った。青ざめた顔は疲れきっていて、今しも倒れそうだ。

 

「カーリン嬢、ひとまず今日は休んだほうがいい」

 

 声をかけると、一拍置いて、カーリンはハッと顔を上げた。

 

「も、申し訳ありません! あ、あの…なにか、申されましたか?」

「相当に疲れているようだから、体を休めるようにと言ったのだ」

「いえ! 大丈夫です。お気遣いさせて、すみません」

 

 一生懸命に背筋を伸ばして言う姿は、痛ましさしかなかった。ルーカスは一息ついてから、厳しい顔になって命令した。

 

「いや、駄目だ。今からクランツ男爵と密談があるのでな。すまないが、退席してもらおう」

 

 はっきりと退出を命じられ、カーリンは恥ずかしそうに、頭を下げて謝った。

 

「す、すみません。気が回らなくて……」

 

と言うのは、おそらくルーカスがさっき言った「体を休めろ」というのが、退席を求める婉曲な言い回しだと思ったからだろう。

 ルーカスはカーリンの誤解をあえて解こうとは思わなかった。すぐに女中を呼ぶと、客室に案内させた。

 

「それにしても……まさか実の母と弟がそんなだとはな」

 

 ルーカスはカーリンがいなくなってから、嘆息混じりに先程言いかけた言葉を続けた。

 エーリクはカーリンの前であったので、極めて抑えた表現をしていたが、それにしても聞くだに苛立たしい関係性だ。弟ばかりを異様に依怙贔屓(えこひいき)する母親に、久しぶりに会った姉の話をまともに聞こうともせず、幼児のように暴力を振るう弟。

 ルーカスの予想としては、カーリンの事情を聞けば、母親は渋々ではあっても受け入れるであろうと思っていたのだ。

 いくら可愛がっている息子のことが心配とはいえ、とうとう娘が初潮を迎えたと知れば、()()()()母親ならば、そのまま娘に男のフリして、近侍を勤めろなどとは言わないだろう。ましてこちらでは、その息子の病気についても了承した上で、医師による診察もしようと申し出た。ファルミナの片田舎で療養するよりは、より良い治療が受けられるだろう……と、()()()()親であれば考えると思ったのだ。

 そう。()()()()()()()()

 

「正直、あの弟では無理だろうと…僕は思いました」

 

 エーリクはカーリンがいないので、はっきりと言った。

 

「我儘で横暴で、とてもじゃないですけど、近侍の役目を担うのは無理だと思います。だけど、彼を連れて行かないと……カーリンをこのままにもしておけないから、ひとまず連れて行って、ベントソン卿に会ってもらって、判断してもらおうと思っていたんです」

 

 どこまでも実直なエーリクをねぎらうように、ルーカスはぽんと軽くその肩を叩いた。

 今更ではあるが、少々焦りすぎたきらいがある。キャレがカーリンという女であることに驚いて、焦って、事を急ぎすぎた。

 

「すまなかったな、エーリク。お前にも色々と面倒をかけた。お前は公爵邸に戻れ。小公爵様に報告を済ませて、少し休むといい」

 

 エーリクはすぐに立ち上がった。彼もまた、自分がここにいることを望まれないとわかったのだろう。だが、やはりどうしても気にかかることがあった。

 

「あの、カーリン……嬢については、どうなるのでしょう?」

「そのことも含めて、今から考える」

 

 ルーカスの返事にエーリクはしばらく言いにくそうに下を向いていたが、やがて思いきった様子で顔を上げた。

 

「あの! カーリンをそのまま近侍として……」

「駄目だ」

 

 ルーカスはみなまで言わさず、即答した。

 これまで聞いてきたエーリクの話、その話をしているときの態度、現状を考慮すれば、真面目で堅物の最年長近侍がそう言うであろうことは、容易に想像できた。

 まして好意のある相手であるならば、なおさら力になってやりたいと思うのも無理はない。(もっとも、この鈍感な近侍の少年は、その好意の種類をまったく自覚していないようだが)

 

 一方、エーリクは一切の妥協の余地もないルーカスの返答に、力なく項垂れた。

 わかっていたことだった。そんなことは許されない。なにより彼らの主人であるアドリアンが決して赦さないだろう。一昨日のアドリアンの態度からも、それは明らかだった。

 キャレがカーリンという()であることがわかって以降、アドリアンがカーリンと目を合わせたのは、糾弾したときくらいで、その後は見向きもしなかった。

 はっきりとした拒絶と、苛立ち、嫌悪。ここまで信頼を失って、近侍でいることなど許されるわけがない。

 それでも訊いてしまったのは、カーリンがそれこそ必死に、床に頭をこすりつけるようにして、エーリクに頼み込んできたからだった。

 

 

***

 

 

 (キャレ)と母親が失踪したとわかったとき、エーリクはすぐに探そうとした。朝方に出たのであれば、(イクセル)を走らせれば、どこかで見つけ出すことも可能かと思ったからだ。

 だがカーリンは出ようとするエーリクを止めた。

 

「お願いです! 弟のことは、諦めてください!」

「そんな訳にはいかないのは、わかってるだろう?」

「無理なんです! キャレには無理です。私も久々にこっちに戻って来て、わかりました。あの子には、小公爵さまの近侍なんてお役目、できっこありません!」

 

 エーリクもそれには同意できた。だが、ルーカスから連れてこいと言われている以上、ひとまずは何としても連れて帰らねばならない。その上で(キャレ)の性状を見て、判断してもらうしかない。そう思っていたのに、当人が逃亡したとなっては……。

 

「……俺も正直、お前の弟に適性はないと思う。でも、決めるのは俺たちじゃない。それはわかっているだろう?」

「わかってます……でも、お願いです! どうか、お願いします! 私を連れて、戻ってくれませんか?」

「そんなこと……」

 

 できるわけがない、と……エーリクには言えなかった。

 本来、連れて帰らねばならないキャレをこのまま逃し、カーリンを連れて帰れば、事態は解決しないまま、エーリクは叱責を受けるだろう。だがこのままここにカーリンを残せば、母親と弟をなくした彼女が、今まで以上に孤立するのは目に見えている。

 オルグレン家のほうでは、弟のキャレはまだ公爵邸にいると思われているから、母親だけが失踪したことになるだろうが、そのことも含めてカーリン()()が責められ、ひどい扱いを受けるに違いない。

 エーリクが悩んでいる間も、カーリンは必死に、それこそエーリクの腕に縋りついて、頼み込んでくる。

 

「お願いします! どうか、お願いします!! せめて、ちゃんと謝りたいんです。騙すつもりはなかったんです。お願いです! 小公爵さまに……」

 

 エーリクは唇をかみしめた。カーリンの気持ちはわかるが、そう簡単に決めていいことではない。それに問題はほかにもある。

 

「この館の人間が、逃げた母親と弟を見つけたらどうする? あの二人が捕まったら、今回、俺たちがここに来たことも話すだろう。すべてが明るみになれば、小公爵様のお立場を危うくするんだぞ」

 

 だがエーリクの問いに、カーリンは皮肉げな笑みを浮かべ、ゆるゆると首を振った。

 

「この館の人達が私達親子を探すなんてこと、有り得ません。ずっと厄介者と言われてきたんですから。面倒な仕事を押しつける相手がいなくなって、多少は困るかもしれませんけど、きっといなくなって、せいせいしたと思うはずです」

「しかし……」

 

 なおも渋るエーリクに、カーリンは言い重ねる。

 

「母とキャレも、見つかれば、公爵邸に連れて行かれると怖れていましたから、必死で身を隠そうとするでしょう。キャレは自分の身を守るためなら、きっと……なんとしてでも、逃げます。あの子はそういうことだけは、知恵が回るんです。病気になっても、そこだけは変わらなかった……」

 

 いなくなった弟の姿を虚空に見つめながら、カーリンのあきらめきった声が苦く響く。 

 

 エーリクは迷った。自分がどういう行動をとるべきなのか、カーリンにどう言ってやるべきなのか。

 考えるなかで、思い浮かんだのはカーリンの兄であるセオドア公子のことだった。このままカーリンをここに残していって、彼がすんなりと見逃すだろうか? 弟と妹が入れ替わったことに気付いたように、再び入れ替わって元に戻ったことに気付くのは有り得る話だ。そうなった場合、カーリンはまたあの狡猾な兄によって利用されるかもしれない……。

 考え込むエーリクのかたわらで、カーリンはしばらくボンヤリとしていたが、ハッと我に返ったようだ。あわててその場に跪くと、頭を下げて、必死にエーリクに懇願してくる。

 

「お願いです! 一度だけでもいいから……小公爵さまに、もう一度だけ会わせてください!……お願いします。どうか……」

 

 その涙声の混じった訴えを、心優しきエーリクに無視できるわけがなかった。最終的にエーリクはカーリンの希望を受け入れた。……

 

 

***

 

 

「カーリンは小公爵さまに一言だけでも、謝罪したいと言っています」

 

 エーリクが低い声に懇願を滲ませると、ルーカスは渋い顔で腕を組んだ。

 

「それは……小公爵様がお決めになることだ。報告したときにでも、申し上げるといい。お会いになると言うのならば、こちらに来てもらう必要はあるが……いずれにしろ、カーリン嬢が今のまま公爵邸に戻ることは有り得ない」

 

 きっぱりと言われて、エーリクはただただ黙って頭を下げると、肩を落としたまま出て行った。

 しょんぼりと出て行くエーリクを見送って、ヴァルナルはつぶやいた。

 

「いい子だな……」

 

 同じ近侍が女であったと知って、大いに戸惑っているであろうに、ひとまずは自分の気持ちを押しこめて、主であるアドリアンの命令のために働き、かつての同僚であったキャレ(=カーリン)の不遇に同情して、懸命に彼女を守ろうとしている。

 ヴァルナルは騎士の訓練として、何度かアドリアンと共に近侍らの稽古もつけていたので、自然、エーリクのことも、剣を通してその為人(ひととなり)を理解するようになっていた。兄のイェスタフと違い、大胆な切り返しや駆け引き技といったような、見た目にわかりやすい派手さはなかったが、どっしりと腰の据わった、剛直な剣使いだった。

 真面目で実直、というのがエーリクに抱いた印象で、その通りの行動にヴァルナルは感心していた。

 

「まったくだ」

 

 ルーカスも同意してから、やや皮肉げにため息をもらした。

 

「ま。エーリクも例の妹御のせいで、いろいろと大変だったようだからな。()()妹に比べると、カーリン嬢の気の毒な状況には、一層、憐れみを感じることであろうよ」

 

 年末に開かれたグレヴィリウスの夜会で、とんでもない失態を犯したエーリクの妹、ルイース・イェガは、あの後すぐに母親と一緒に領地へと戻った。実質的な謹慎だった。

 エーリクにそれとなく事情を聞いたところ、実際には妹よりも母親のほうが精神的に参ってしまったのだという。婉曲な非難の手紙がしばらく続き、他家の夜会などに出ても、グルンデン侯爵夫人の息のかかった貴婦人連中が、ヒソヒソと噂しあって、針の(むしろ)であったようだ。

 しかし母が弱るのに対して、娘の方は相変わらず大胆というか、思慮が浅いというか、エーリクにしつこくアドリアンの近況などを訊いてきたらしい。父母のどちらにも似ず、なかなか図太いお嬢さんらしい。

 もっともエーリクからその話を聞いたルーカスは、一切、妹にはアドリアンについての話をしないように厳命した。これ以上、あの娘に引っ掻き回されるのは御免である。

 

「それにしても、カーリン嬢についてはどうするんだ? ここでしばらく預かっておくのか?」

「あぁ……」

 

 ルーカスは苦い顔で頷いて、これからの予想される出方を考える。

 

 息子(向こうでは娘と思っているだろうが)と母が出奔したとなれば、おそらく当主であるオルグレン男爵に連絡はいくだろうし、セオドアも知ることになる。

 そうなればオルグレン男爵はさておき、セオドアは『キャレ』として送り込んだ妹に、母親たちの失踪について、何か知ってることはないかと尋ねてくるだろう。より確実な情報を知るために、直接会いに来るかもしれない。

 そのときにカーリンがセオドアを前にして、知らぬ存ぜぬとシラを切るのは難しそうだ。とてもではないが、今のカーリンに狡猾な兄の相手は手に余る。

 それにこの数日の変化は、確実にカーリンを中性的な子供から、女性にしていた。

セオドアは妹がこれ以上嘘をつくのが限界と知れば、すぐにも行動を起こすだろう。

 近侍として行っていたのが実は妹で、父がとんでもない失態を犯した……と、ハヴェルを通じて、訴えてくるに違いない。表向きは謝罪として。

 そうなれば公爵家として、オルグレン家を叱責しないでは済まされない。

 当主・セバスティアンは責任をとって隠居。近侍が女だと気付かなかった小公爵に対する醜聞が一斉に放たれ、人々は面白おかしく(さえず)り合うのだろう。

 こちらとしては、一番良いのは、向こうに貸しを作ることだ。出来うれば、セバスティアンに。セオドアを蚊帳の外にして、現当主のセバスティアンに恩を売ることができれば、あちらの思惑を潰すことができる。……

 

「ルーカス」

 

 考え込んでいると、肩を叩かれた。ヴァルナルがいつの間にか近くに来て、顔を覗き込んでいる。

 

「また先の先の、先の先まで考えているだろう?」

 

 ややあきれたように問われて、ルーカスは苦笑した。

 

「まぁ……そうだな」

「まったく。駒取り(チェス)でもそうだ。卿は考えすぎて、動けなくなる。もっと単純に考えろ。とりあえず、今一番せねばならんことは何だ?」

「今……か」

 

 ルーカスはそれについては、すぐに答えた。

 

「今せねばならんことは、カーリン嬢……いや『キャレ』とセオドアの接触を避けることだな。なにせこの二人が会うのは避けたい」

「だったら、このままここで(かくま)っておけばいいじゃないか」

「出来ないこともないが……できれば同じ帝都にいるという状況を避けたいんだ」

 

 ルーカスは半ば独り言のように、思案をめぐらせながら言った。

 カーリンをこのままここに匿うことは可能だが、セオドアは公爵邸に『(キャレ)』がいない理由をしつこく問うてくるだろう。

 

「俺も周辺には注意しているが、万が一ということもある。もしここに『キャレ』がいるとわかったときに、正面から面会を求められたら、会わせないわけにもいかん。一応、肉親だからな」

 

 下手にシラをきって面会を拒絶すれば、向こうが強硬手段に出ないとも限らない。

 ともかく『キャレ』は帝都にいる限り、どこまでも不安要素なのだ。

 それはセオドアだけのことではなく、カーリン自身の性格もまた危うい。

 アドリアンへの恋心は認めるが、その思慕が募るあまりに突飛な行動をしないとも限らない。そもそも弟に成り代わって、公爵邸に来るという大胆な行動をとる娘なのだから。

 

 ルーカスの話を聞いていたヴァルナルは、要点をまとめた。

 

「ふぅ…む。つまり時間的にも距離的にも離しておきたいというわけか」

「あぁ。しばらくの間『キャレ』には公爵邸を出てもらって、奴らに利用されないようにしたい」

 

 ヴァルナルは公爵の知恵袋とも呼ばれる友が悩む様子を、興味深げにみてから、自分もしばらく考える。

 答えは意外に早く出た。

 

「じゃあ、カーリン嬢を我が領地にお招きしようか?」

「……なんだって?」

「カーリン嬢をレーゲンブルトに連れて行けばいいじゃないか? そうなれば、おいそれと連れてこいとも言えないし、自分で行くにしろ距離もあるし。ともかくは一定期間、会わずには済むだろう」

 

 ヴァルナルの申し出がピースとして差し出されると、次々とルーカスの頭には今後の計画が絵を描くように映し出された。

 

「そうか……二人だけがいなくなるから問題になるわけだ。いっそ三人ともいなくなったとなれば……」

 

 つぶやいて、ルーカスはニヤリと笑った。

 

「さすがはクランツ男爵。いい一手を示して下さった」

「そうか?」

 

 ヴァルナルは首をかしげつつも、気分は良かった。切れ者と自他共に認められている公爵の右腕が、こうした駆け引き事で他者を褒めることは滅多とない。思わず頬が緩んだ。

 

「ま、ウチであればマリーもいるし、オリヴェルもいるから、カーリン嬢が寂しく思うことも少ないだろう」

 

 胸を張って請け負うヴァルナルに対し、ルーカスはこの件において一番協力を仰がねばならない人物のことを思い出した。

 

「おぉ、そうだ。クランツ男爵夫人には、迷惑をかけることになるな」

 

 妻のことを指摘されると、ヴァルナルは待ってましたとばかりに、自慢の妻についてのろけまくった。

 

「大丈夫さ。ミーナは本当に心優しい人間だからな。事情を話せば、むしろカーリン嬢に同情して、色々と世話を焼きたがることだろう。この前も怪我した雛鳥の面倒を見てたくらいだからな。ちゃんと怪我を治したら、空に放ってやって……今でも時々、庭の木に来るらしい。マリーが楽しみにしていて……」

 

 ルーカスは軽く天を仰いだ。

 この前の飲み会でもそうだが、ミーナの話になるともう止まらない。止める手立てのないまま、いよいよミーナが少女の頃に世話してやって、そのまま懐かれたという蛇の話に及んだときに、ちょうど都合よく扉がノックされた。

 

「おぅ! 誰だ? 入れ」

 

 ルーカスが殊更大きい声で返事すると、やや驚いたように、目を丸くしながら入ってきたのは妹のハンネだった。

 

***

 

 ハンネ・ベントソンは、ベントソン家の末娘である。

 若かりし頃から壮年に至っても、女性関係に不自由したことのない父は、生涯に三人の妻を持ち、九人の子供を持った。ハンネは父の三番目の妻が生んだ唯一の子供であったが、母はハンネを生んだ一年後に役者の男と浮気して、あっさり姿をくらましてしまった。

 父譲りの明るいハニーブロンドに、ベントソン家固有ともいえる青い瞳、頬の雀斑(そばかす)は愛嬌だと、生まれながら伊達男(自称)の父はハンネを可愛がってくれたが、その父も八歳のときに亡くなり、ハンネはほぼ姉と兄たちによって育てられた。

 彼らは幼い妹をただ甘やかすこともなく、かといって母の違うハンネをいじめるようなこともなく、それなりに程よく厳しく育ててくれた。

 そのせいかハンネは末娘にありがちな我儘放題のお嬢様になることもなく、むしろ八人の兄姉らを極めて冷静に観察したうえで、自らの持ち回りに合った行動をするという、次兄カールに言わすと「ちゃっかり娘」に育った。

 

 そんなハンネにとって、一番上の兄であるルーカスは、もっとも一筋縄ではいかない人物だった。

 父譲りの伊達男気質を多分に受け継いだ軽薄な男にみえて、その実、この兄が本心を見せることは、ほぼなかった。いつもどこか腹に一物ありそうな、意味深な微笑を浮かべている兄の、めずらしく屈託ない顔に、ハンネは少々戸惑った。

 

「なに? 兄さん、妙に嬉しそうなんだけど……」

 

 兄と同じ青い瞳が訝しげに窺う。

 そんな妹の表情に、ルーカスは苦笑した。

 

「なんだ。俺が嬉しそうだと問題か?」

「問題じゃないけど、なんかありそうで」

「お前、兄を何だと思ってるんだ?」

「油断ならない金髪キザ野郎よ」

「…………」

「言っておくけど、これは私だけの意見じゃなくて、エイニ姉さんはじめとする女一同の総意よ」

「もういい。用件を言え、用件を」

 

 ルーカスは妹の背後に控えた他の姉妹たちの影を追い払うように、手をヒラヒラ振りながら言った。この姉妹連合(元妻も含む)を敵に回して勝てるわけがない……。

 ハンネは軽く鼻をならすと、腰に手を当て、座っている兄を厳しく見下ろした。

 

「あの子のことよ。カーリンちゃん。聞けば昨日も今日も馬に乗って移動してたっていうじゃないの。可哀相に。ただでさえ()()の時期は、お腹が痛くなったり、熱っぽくなったり、色々とつらいのよ。最低でも三日は安静にしておくべきなの!」

 

 妹からの思わぬ抗議に、ルーカスはきまり悪そうに目線を泳がせた。

 ヴァルナルもさすがに気まずくなって、なるべく気配を消そうとする。

 大の男二人が、実際にでかい図体を縮こまらせる様子を、ハンネは腕を組んであきれたように見つめた。

 

「まったく。どうして最初に私に聞かないのよ。私じゃなくっても、兄さんだったら、いくらでもそういうことに詳しい女性には事欠かないでしょ」

「……どういう意味だ、それは」

「最近もどこぞの未亡人と、夜の公園でデートしてたらしいじゃない。今の恋人じゃなくったって、相談できる相手はいるでしょ」

 

 ルーカスは苦虫を噛み潰して、しばらく黙った。下手に否定しても肯定しても、今は妹の毒舌の餌食になるのが目に見えている。

 一方、ヴァルナルは兄と妹の間の、緊張感とも違う微妙な空気にモゾモゾしつつ、おそるおそる口を開いた。

 

「その……ハンネ嬢。カーリン嬢には近々レーゲンブルトに行ってもらおうと……思って……いるんだが……」

 

 言っている間にも、ハンネの青い目がジイーッとヴァルナルを凝視する。

 

「いつ?」

 

 ハンネはヴァルナルが言い終わるやいなや、鋭く兄に問うた。

 

「……早ければ早いほど」

「まさか今日とか明日とか言うんじゃないわよね?」

「………無理か?」

 

 ルーカスが小さい声で尋ねると、ハンネは頭を押さえた。

 

「あの子の体調考えてる? 寝れば治るような状態じゃないわよ。体もだけど、本当に精神的に参っちゃってるの。それなのにレーゲンブルトまでなんて、そんな長旅……まさかと思うけど、一人で行かせるわけじゃないわよね?」

「まさか。年若い娘一人を行かせるわけないだろう。レーゲンブルト騎士団から一人ついて行って……あぁ、そうだ、カールに行かせよう」

 

 ルーカスはいつもこういうときに身軽に動ける弟を思い出し、ちょうどよいとばかりに言ったが、ハンネは強硬に反対した。

 

「まぁ……駄目よ! カール兄さんは、ヤーデとせっかくまとまりそうなんだから」

 

 妹からの思わぬ報告に、驚いたのはルーカスだけではない。ヴァルナルも唖然となった。

 

「え? あいつ、ようやく相手できたのか?」

「ヤーデ? ……それは、まさか……」

 

 それぞれに問いかけられて、ハンネはキョトンとしながらも冷静に答えた。

 

「えぇ。そうよ。ヤーデ・ニクラ准男爵令嬢。もちろん、クランツ男爵はご存知よね? 奥様の養子先なんだから。知らなかった? あの二人、付き合ってるの」

 

 まったく予想もしていなかった展開だった。ポカンとしている男二人に、ハンネが語ったところによると。

 

 前年、弟のアルベルトにも先を越されて腐っていたカールではあったが、ヴァルナルの結婚のために忙しく働きまわっている間、ミーナとの養子縁組交渉で何度となくヤーデ・ニクラと会うことが増えていった。もちろん当初は業務上の付き合いではあったが、婚儀の後にも、何かしら連絡は取り合っていたのだという。

 

「で、カール兄さんがこの新年に帰ってきてからは、何度も会ってるうちにデートしてるみたいになっちゃって、そういう話になったみたい」

 

 ルーカスは長い溜息をついて、背もたれに凭れかかりつぶやいた。

 

「あーあ…手頃に使えるやつがいなくなったなー」

 

 一方、ヴァルナルも深く息を吐いてから、しみじみとつぶやく。

 

「縁で繋がる縁か……」

 

 勝手にしんみりしている男たちに喝を入れるように、ハンネがパンと手を打った。

 

「ともかく! そういうことだから、カール兄さんは駄目。アルベルト兄さんも、まだ新婚だから駄目。それ以外の人選で、もちろん馬車を用意してよ。まかり間違っても、今回みたいに馬に乗せての移動なんて言語道断。その上で、付添人として私も同行します!」

 

 当たり前のように宣言されて、ルーカスは顔色を変えた。

 

「お前が? お前も一緒に行くってことか?」

「当然よ。あんな若い()と、騎士だけで行かせる気? 言っておくけど、カーリンちゃんは()()の手当ての仕方だって、まだよくわかってないの。私がついて行ってあげないと、一人じゃ困っちゃうわよ」

 

 それについて言われると、男二人はもはや黙り込むしかない。

 ルーカスは渋い顔になって、眉間の皺を揉みながら、妹に尋ねた。

 

「で、つまるところお前の目的は?」

 

 話の早い兄の質問に、ハンネはにっこり笑った。

 

「そりゃあもちろん、クランツ男爵夫人に会いたいからよ! ヤーデから聞いたの。とーってもキレイで、()()()人だって! カール兄さんも……あのアルベルト兄さんでさえも、褒めてたのよ。それに夜会で公爵様が、わざわざクランツ男爵の奥様に贈り物したって、評判になってたでしょ? ご存知? クランツ男爵。貴方の奥様は今、帝都の一部の社交界では、幻の男爵夫人なんて呼ばれておいでよ」

「は、ハハ……」

 

 さっきまで聞いてるほうが面映ゆいほどに妻自慢をしていたヴァルナルでさえも、このハンネからの噂話には、愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 まさか自分の知らない間に、そこまで妻が話題になっているとは思っていなかったのだ。正直なところ、綺麗で心優しい、思慮深い、この上なく美しい妻であるということに異論はないが、いざミーナが帝都に来たとき、そうした好奇の視線に立つのは、あまり喜ばしくない。

 それはルーカスも口には出さなかったが同意見だった。なにせ目立つのは色々な面で困るのだ。

 しかしハンネは男たちの困惑した顔にも平然としたものだった。

 

「そういうことで、私はカーリンちゃんと一緒にレーゲンブルトに行くから。クランツ男爵の奥方と、お子様たちへのプレゼントを買う時間くらいは下さるわよね?」

 

 言うだけ言って去ろうとする妹に、ルーカスはあわてて声をかけた。

 

「おい、ハンネ。言っておくが……」

 

 しかしハンネは兄譲りのしたたかな笑みを浮かべて振り返る。

 

「わかってるわよ。カーリンちゃんのことは、内緒なんでしょ」

「…………」

 

 ルーカスは嘆息して顎をしゃくると、妹に出て行くよう促した。

 詳しい事情についてはもちろん話していないが、妹は相変わらずの観察力で、なんとなしにカーリンの存在が知られてはいけないものだと感じ取っていたらしい。

 まったく、我が妹ながら聡い。―――

 

 似た感想を持ったらしいヴァルナルが、感心したように言ってくる。

 

「随分としっかりされるようになったものだな、ハンネ嬢は。いくつになられたんだったかな?」

「二十歳だ。息子(サビエル)と同じだからな」

「あぁ、そういえばそうだったな。いやぁ、そう考えたら卿の父上も、大したものだな。孫と同じ年の娘を授かるとは」

「……俺の父のことはさておき、卿こそどうなんだ?」

「は?」

「四人目」

 

 ヴァルナルはしばらく考えて、意味を悟ると、一気に顔を赤くした。

 

「そっ…れは、まだっ……いや、まだ…というか、考えてはいないというか……」

「やれやれ。行くぞ、純情中年」

 

 ルーカスは肩をすくめると立ち上がって、ヴァルナルを誘った。

 

「ようやく不肖の弟が(かたづ)くらしいからな。一応、兄としては祝いをしてやらんといかんだろう。卿も一緒に祝え」

「もちろん!」

 

 ヴァルナルもすぐに立ち上がり、二人はそれぞれに弟であり、部下でもあるカールをどうからかってやろうかと、ニヤニヤ笑いあった。

 




次回は2024.01.28.更新予定です。
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