マッケネンから諭された後、オヅマはとりあえずその日の夜にはミーナのところに行って謝った。ただ、
「オリヴェルは騎士団の訓練とか見てみたいと思うんだ。だから、それは叶えてやりたいんだよ」
とオヅマが言うと、ミーナは嘆息した。
「それは…若君も望んでおられるでしょうけど…無理をさせる訳にはいかないわ」
今日のことでも、オリヴェルは気に病んで、夕方に微熱があったくらいだ。
「わかってる。無理はさせないようにする。考えるから、オリヴェルにもちょっと待っとけって言っておいて」
「またあなたはそういう物言いを…」
「あー…ハイハイ。えーっと、お待ち下し…下さい…って言っておいて」
言い慣れない言葉遣いに舌を噛みそうになりながら、オヅマは早々に母の前から立ち去った。最近、ミーナの小言がひどく鬱陶しい。
とにかくその日から、オヅマはオリヴェルが無理せずに修練場に来て、見学できる方法を色々と考えた。
マッケネンに言われたように、自分の勇姿を見せたいというのもあったが、単純にオリヴェルが憧れている騎士達の剣撃や、馬を見せてやりたかった。
ちょうどそんな時に、下男のオッケと一緒に東塔にある不用品の整理をすることになった。
この前の
その不用品の中に車椅子を見つけた時、オヅマはこれだと思った。
車輪の外れかけた車椅子をもらって帰ると、そこから数日は稽古と仕事の合間に修繕作業に没頭した。
ガタついていた座面には、これも廃棄されていたソファからクッション部分を一部切り出してそれを張り、背もたれの裏側に中が空洞になったポールを取り付け、その先に大きな傘を差した。無論、ミーナが心配していた日差し避けである。
以前に比べれば歩くようになったオリヴェルだったが、それでも修練場と自室の往復はまだ厳しい。おそらく途中でへばってしまい、そうなればいつも通りに庭師見習いのイーヴァリか、騎士の誰かに運ばれることになるだろう。
オヅマはオリヴェルがこの事をとても恥ずかしがっているのを知っていた。
自分の足で満足に歩くことすらできない上に、運びながら「若君は軽いからいつでもどうぞ」なんて言われて、ひどく自尊心を傷つけられたようだ。
悔しくて泣いていた。
だから、少しだけオヅマは不安ではあった。もしかすると、オリヴェルはかえって嫌がるかもしれない…と。
久しぶりにオリヴェルの部屋に訪れる時、オヅマは少しだけ緊張していた。
扉の前でスーハーと深呼吸を繰り返していると、いきなりガチャリと開いてマリーが顔を出した。
「あれ? どうしたの、お兄ちゃん」
「よ、や…やぁ…」
マリーはぎこちなく挨拶したオヅマを見て、ブッと吹いた。
「なにー?『やぁ』だって! おっかしいの」
「うるせぇな! オリヴェルに会いに来たんだよ!」
「じゃあ、入ればいいじゃない。なんでボケーッと立ってるの?」
マリーは大きく扉を開くと、オヅマを中に招き入れた。
入って行くと、オリヴェルが向こうも少しだけ緊張した面持ちでソファから立ち上がっていた。
「あ…あの…」
オリヴェルはなにかを言いかけて、もどかしげに黙り込む。
「なんだよ? …言えよ」
オヅマは待った。いつもならここに訪れるなり、オリヴェルが話す隙も与えずに、オヅマが息切れするまでひたすら喋りまくるのだが、今日は待つことにした。
オリヴェルは大きく肩を上下して深呼吸して、大声で言った。
「僕、本当は行きたいんだ!」
オヅマはしばらくじーっとオリヴェルを見つめた。
「………どこに?」
しれっとして尋ねると、オリヴェルは困惑したように言葉を探す。オヅマはニヤッと笑った。
「もぅ! お兄ちゃんってば、どうしてそんな意地悪言うのよ!」
マリーが相変わらず容赦なくオヅマの背を叩く。
「
「うるさい。ちゃんとオリヴェルの言うこと聞いてあげて」
「わかってるって。今日は、俺の野望を叶えに来たんだからな」
「やぼー?」
「野望?」
マリーとオリヴェルはほぼ同時に聞き返す。
オヅマは頷くと、オリヴェルの手を掴んだ。
「天気もちょうどいい。多少、日が強いけど風が涼しいからな。絶好の見学日和ってやつさ」
言いながら、オリヴェルを部屋から連れ出そうとする兄を、マリーはあわてて止めた。
「ちょっとお兄ちゃん! 勝手にオリヴェルを連れて行かないで! 外に行くなら、ちゃんとお母さんに言って、上着だって着ないと…」
しかし言っている間にもオヅマはオリヴェルを連れて部屋を出ていく。マリーは薄手のカーディガンを持って、後を追いかけた。
「もう! 勝手に出ちゃ駄目だってば!」
マリーは叫んだが、オリヴェルは既にオヅマの手を借りながら階段を降りているところだった。
下まで降りると、そこには少々風変わりな車椅子が置いてあった。
「これ…って」
オリヴェルはポカンとして車椅子を眺めた。
「なぁに? この椅子。ヘンな椅子ね」
マリーが車椅子の周囲を一回りしながら言う。
背もたれにある長いポールの先に刺さったものを指差した。
「これ、傘? 開くの?」
「おぅ。ホラ…」
オヅマが留め金を外して傘を開くと、マリーはわっと興奮したように声を上げた。
「すごい! すごい!」
オヅマはマリーには威張ったようにそっくり返っていたが、オリヴェルの反応に内心ではヒヤヒヤしていた。
「オヅマ…これ…君が作ったの?」
まだ驚いた様子のオリヴェルに、オヅマは苦笑して手を振った。
「いやいや。さすがに作っちゃいないけど…。この前、東塔の整理した時に出てきたんで、ちょっと修理したんだ」
オリヴェルはまじまじと車椅子を観察しながら聞いていたが、急にクルリとオヅマの方にに向き直る。
その時、ミーナの声が響いた。
「まぁ! オヅマ! 何をしているの!?」
眉を寄せてあわてて走ってくるミーナに、オリヴェルは朗らかに言った。
「見てよ、ミーナ。オヅマが僕のためにわざわざ修理してくれたんだ。車椅子。これだったら、館の隅から隅まで行っても、そう簡単に疲れないよ」
ミーナは奇妙な車椅子の存在に気付くと、眉を寄せて全体を見た後に、不思議そうに傘を見上げた。
「………これは、何?」
訝しげに尋ねてくるミーナに、オヅマではなく、オリヴェルが座りながら答えた。
「車椅子だよ。オヅマ特製の。ね?」
オヅマはオリヴェルが座ってくれたことで、途端にホッとなって、胸を張った。
「おう! どう? 母さん。これだったら、オリヴェルも修練場まで行って帰って来れるだろ? もちろん、気分が良けりゃ途中まで歩いてもいいし、疲れたら座って戻ってこればいいんだ。母さんが押してもいいし、マリーだって押して行けるよ」
「ありがとう、オヅマ。これでもう恥ずかしくないよ」
オリヴェルは心底から言った。
いつも人に抱っこされて運ばれる恥ずかしさを、オヅマはやはりわかってくれていたのだ。
「ま…あ…そう…」
ミーナは嬉しそうなオリヴェルの様子に、何も言えなかった。
数日前に『待っていて』とオヅマが言ったのは、この事だったのだろうか…。
近頃、とみに生意気になってきた息子の扱いに困っていたものの、やはり心根は相変わらず優しい。
ミーナは少し申し訳なくなった。
「じゃ、早速行こう!」
オヅマはゆっくりと車椅子を押した。マリーが歓声を上げる。
「すごい! 座ってるのに動いてる!」
「そういうもんだからな」
「いいなぁ…私も乗ってみたい!」
「じゃあ、僕が押すよ。マリーが乗ってごらん」
オリヴェルは立ち上がると、マリーを乗せて車椅子を押していく。
「なにか掴まるものがあるだけでも、歩くのが楽だよ」
オリヴェルは心配そうに
オヅマは途中から走り出して、修練場にいるマッケネンにオリヴェルが見学に来ることを伝えた。
騎士達は初めて領主様の若君がやって来ると知って、俄然、やる気がみなぎる。
マッケネンは素早くその日の修練内容を修正した。
オリヴェルが馬を見たがっていることを聞いて、本当は予定になかった馬術を急遽入れる。
オヅマと新米騎士の二人があわてて、馬房から馬を連れてきた。
しばらくして車椅子に乗って現れたオリヴェルを見るなり、騎士達は歓声を上げた。
野太い男達の雄叫びに、オリヴェルはやはり自分が来たのが迷惑だったかと勘違いしたが、マッケネンが丁重な挨拶の後に、教えてくれた。
「若君にいらしていただけると聞いて、皆、とても喜んでおります。ありがとうございます」
まさか礼を言われると思わず、オリヴェルは驚いた。
考えてみれば、初めてではなかろうか…大人から『ありがとう』と言われるのは。
ミーナがそっとマッケネンに耳打ちして、そう長居できないことを伝えると、マッケネンは頷いて早速、馬術から始めた。
オヅマは少しばかり不満だった。
修練場での馬術訓練は、非常に繊細な調教訓練でオヅマは苦手なのだ。今回は特にマッケネンの指示で、寄りすぐりの二人だけがオリヴェルに披露したので、オヅマの出る幕はまったくなかった。
その後はいかにも見学者にわかりやすいよう剣技の型の集団演舞。こちらもオヅマの不得手なものだった。
それでもオリヴェルはすっかり興奮して、ミーナはその様子に少し心配になって、それで切り上げてしまった。
「また、見にくるね。今度は、普段通りでいいから…」
帰り際にオリヴェルはマッケネンに言った。
マッケネンは領主の息子が、訓練内容を変えていることに気付いていたことに驚いた。同時に、子供とは思えぬ思慮深さに感心した。さすがはあのご領主様のご子息だ…。
「ハッ! お待ちしております!!」
肘をつき出して騎士礼をすると、後方で同じように騎士達が一斉に敬礼する。
その列の端にはオヅマもいた。いっぱしの騎士然として、胸に拳をあてて肘を突き出したオヅマの姿を見て、オリヴェルはクスッと笑った。
それを見てオヅマは少しだけバツ悪くなった。
おそらくオリヴェルは、オヅマの
それはオリヴェルだけではなかった。
「残念だったな、いいところ見せられなくて」
オリヴェルが車椅子に乗って去った後、早速マッケネンとゴアンが、ニヤニヤとからかってくる。
オヅマはムッと睨みつけた。
「おッ! 怒ってるよ…怖いねぇ」
「ま、持ち越しだな。また来ていただけるなら、今度は剣撃訓練から開始してやるよ」
こうしてオヅマにはやや不満の残る結果とはなったものの、オリヴェルにはやはり相当に新鮮で、楽しい時間だったようだ。
それまで話もしたことのなかった騎士と話せたことも、馬を間近で見たことも。
その日は興奮気味で夕食後には早々に寝てしまったが、特に体調を崩したというわけではなく、心地よい疲労感の中で眠りについた。
それもまたオリヴェルには初めての経験だった。
<挿入話 ヴァルナルからの書簡>
帝都到着後、荷解きする間もなく早々にヴァルナルがミーナに書き送った手紙。
『
本日、帝都に到着した。
やはり、この時期は各地諸侯が帝都に一気に押し寄せるため、
帝都は既に夏である。
神殿では新年を迎える準備が進められ、
来年の
皇帝陛下はやはり春先に亡くなられたシェルヴェステル皇太子殿下のことで、かなり気を落とされているようだ。
公爵様は非常に信任も厚く、帝都到着を知らせるなり呼び出された。僭越ながら私もまた拝謁させて頂く栄誉に預かった。
その際に新たに皇太子となられたアレクサンテリ殿下にも拝謁したが、まさしく先祖返りと噂されていた通りの、かのエドヴァルド大帝の容貌を備えた御方であった。
まだ九つであらせられるので、子供らしい稚気はお持ちであるが、皇帝となるに相応しい思慮に富んだ、かつ器量の大きな方であるようにお見受けした。
公爵の息子であられるアドリアン小公爵は、ご幼少のみぎりよりアレクサンテリ皇太子と親しくされておられる。いずれ帝都にて勉学に励まれる年齢となれば、ご学友として近く侍ることを約束されたようだ。
アドリアン小公爵は非常に忍耐強く心根の真っ直ぐな方であられる。
必ず皇太子殿下のお力になると思う。ただ、子供らしい我儘を言うこともないのが、少々不憫である。
小公爵にオリヴェルにとってのオヅマのような友が出来れば有難いのだが。
こうして書いている間に、また雨が降り始めた。
今年は雨季節が早くやってきているようだ。一昨日まで、連続で三日近く降っていた。遅くに出発した者達は、テュルリー川の増水で足止めされているらしい。
健やかに過ごされていることを祈る。
◆
ヴァルナルはこの手紙に封をして後は伝令に預けるだけという状態だったのだが、実家にしばらく帰省する旨の挨拶に来たカールは何気なく言った。
「ミーナ殿にまた手紙ですか? 日報のような味気ない手紙ばかり送らずに、たまには一緒にプレゼントでも贈られてはいかがです? せっかく帝都に来たのですし…」
そのままカールは言い捨てて休暇に入ってしまったので、ヴァルナルはプレゼントなどという慣れぬ買い物をする羽目になってしまった。
この時、ヴァルナルにとって不運だったのが、既に書いた手紙は封をしてあり、この贈り物が
プレゼントなんてものを贈ることに慣れておらず、メッセージカードを同封するという機転をはたらかせることもできなかった。
とはいえ、自分宛ての手紙と一緒に贈り物が届けば、それは普通自分へのものだと思うのだろうが、そこは良くも悪くもミーナが相手であった。
このことで帝都とレーゲンブルトをはさんで一騒動持ち上がるのだが、それについてはまた次回。
次回は2022年6月1日20:00頃に更新予定です。