昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百七十九話 針子の家の少女

 エラルドジェイに連れられてエッダという針子の住む家を訪ねると、ドアを開いて出てきたのは少女だった。

 マリーと同じくらいだろう。頭に巻いた赤いスカーフから、薄いピンクの髪がゆるやかに波打って垂れている。その髪色は、いつか見たアドリアンの母・亡き公爵夫人リーディエを思い出させた。ただ瞳の色は赤みの強い茶色で、丸っこい、おっとりした目だ。

 まだあどけなく、ふんわりした柔らかな印象で、正直、こんな下町の雑多な場所には似つかわしくなかった。

 少女はまじまじと自分を見つめてくるオヅマに怖気(おじけ)付いたように、少し後ずさりしたが、ドアノブをしっかりと握りしめて、やや震えながら尋ねた。

 

「ど…どちらさまですか?」

「よっ! ティア! エッダはいるかい?」

 

 エラルドジェイがオヅマの背後からズイと乗り出してきて、気軽に声をかけると、ティアと呼ばれた少女は、途端にホッとした顔になった。

 

「ジェイさん! あ…あの、こんにちは。久しぶりです。あの、エッダさんは今、ちょっと納品に行ってて」

「あー、そっかー」

「あ、でもそんなに遠くないから。すぐに戻ってくると思います。あの、どうぞ」

 

 ティアは早口に言って、エラルドジェイとオヅマを招き入れた。

 招いても、針子の家で客人にお茶を出す習慣などない。勧められるまま、明らかにどこかで拾ってきたと思われる不揃いの椅子に座る。オヅマは気まずそうに立ち尽くすティアを、しばらく見るともなしに見ていた。

 

「おいおい~、お前。そうジロジロと見るもんじゃないぜ~。わかるケドさ~」

「は? なにが…?」

「ティアが将来別嬪(べっぴん)さんになりそうで、今でも思わず見とれちゃうのはわかるけど~」

 

 ジェイがふざけたように言うと、ティアは真っ赤になってうつむいた。

 オヅマはあきれたようにエラルドジェイを見てから、抗議しようとしたが、ちょうどその時にエッダが帰ってきた。

 

「あら! ジェイ!! やーっと私のところに来てくれたのね!」

 

 入るなり、エッダの目にはエラルドジェイしか見えていなかったようだ。ガバッとジェイに抱きついてからは、オヅマとティアの存在などお構いなしに、いちゃつき始めた。

 

「ひどいわ。こっちに来てるって聞いてから、ずっと待ってたのに、ぜーんぜん来てくんないんだものッ! どうせミリーゼのほうから会いに行ったんでしょう? でもあのコ、春には嫁ぐのよ。あー! だから今のうちにって、迫ってきたのね! そうでしょ?」

 

 エラルドジェイは軽くエッダにキスしたあとに、クルリと体をひねってオヅマを紹介した。

 

「エッダ、客。コイツがお前さんに仕事を頼みたいらしい」

「え? …なに?」

 

 エッダは久々の邂逅(かいこう)を邪魔されたと思ったのか、急に不機嫌になった。

 

「アンタ、誰?」

「オヅマ。この布で、服を作ってもらいたいんだ」

 

 オヅマがエッダに布を見せると、エッダは布地をスッと触ってから、オヅマから取り上げて、厚みやら触り心地を確かめていた。

 

「フーン。これでね。ハイハイ。請け負いましょう。で、誰の服? アンタの?」

 

 オヅマが頷くと、エッダはティアに指示した。

 

「じゃ、ティア。このコの採寸よろしく」

「えっ? あ、あの…はい」

「じゃ、私たちは、久々の祝杯といきましょう!」

 

 エッダは有無を言わさずエラルドジェイを引っ張って行く。エラルドジェイは仕方なさげに ―― とはいえ満更でもない顔で、エッダと共に出て行った。ドアの向こうから手を振るエラルドジェイを、オヅマは白けた表情で送り出した。

 

 本当に、あの男は…。

 この前にいたシュテルムドルソンでも、その前のズァーデンでも、行くところ行くところで気軽に女をつくる。

 とはいえ、驚くことでもなかった。()でも聞き上手でやさしいエラルドジェイは、女に好かれていたから。特に、仕事でつらい目に遭っている女ほど。

 

「あ、あの…オヅマ…さん。あの…」

 

 後ろから怖々と呼びかけられて、オヅマは振り返った。

 どこかで見たかのような、赤い褐色の瞳と目が合う。

 

「あぁ、ごめん。ティアだっけか? それで、俺どうすればいいんだ?」

「あ、あの…そこに立っててもらって…」

 

 言われた通りに立っていると、ティアは踏み台を持ってきた。よいしょと台の上に立って、オヅマの肩にいくつか型紙を合わせていく。

 貴族の子弟などであれば、きちんと巻き尺などをつかって測り、なるべくぴったりにつくるのが当然とされたが、裕福でない平民がオーダーメイドの服を(こしら)えることは少なかった。彼らの多くはいくつかの大きさの型紙を合わせ、一番しっくりきたもので服を(あつら)えた。そもそも誂えるということすらも少ないくらいで、多くは他人の古着をもらったり、自分で作ることがほとんどだ。そのため針子という職業は多くの場合、その取引相手は中堅商家のおかみだったり、専門の仕立て屋(テーラー)、ドレスショップからの下請けなどであった。

 

「あの、オヅマ…さん。この服は、あの、お葬式用ですか? それとも…」

 

 ティアが聞いたのも、普段であれば服を誂えることなどしない平民が、わざわざ服を仕立てるとすれば、たいがい結婚式か葬式といった、礼装でしかなかったからだ。

 

「いや、訓練着っつーか、普段でも着るようなやつ。襟つきのチュニックみたいなのがいいんだよな。さっきジェイが着てたのみたいなやつ。あ、でもあそこまで丈が長いのじゃなくて、膝上くらいでいい。できたら胸にポケットがあると便利だな。あと肩口を補強して……」

 

 オヅマの矢継ぎ早な注文に、ティアはにわかにパニックに陥った。

 

「えっ、えっ…と、え、あの……」

 

 あわてた様子で型紙を持ったまま小さな部屋をうろつきまわる。

 オヅマはたまらず、プハッと吹いた。ちょこまかと動く様が、マリーを思い出させる。まるで小栗鼠(リス)のようだ。

 ティアは少し困ったような、けれどほんの少しだけムッとしたようにオヅマを睨んだ。

 

「あぁ、悪りぃ悪りぃ。なんか妹を思い出して…」

「妹さんが、いらっしゃるのですか?」

「うん。レーゲンブルトにいる」

「じゃあ、オヅマさんはこちらには…えっと、ご奉公に来たんですか?」

「あぁ、うん。まぁ、そんなやつ」

 

 オヅマは適当に答えてから、『奉公』という言葉にふっと笑みが浮かんだ。

 言われてみれば、今の自分の立場はアドリアン小公爵様に()()()せねばならないのだろうが、これまでの自らの態度を振り返っても『奉公』というのは、しっくりこなかった。

 

 ティアは首をかしげたが、それ以上は聞いてこなかった。

 真面目くさった顔でオヅマの要望を小さな反故紙(ほごし)に書き、オヅマの体形に合った型紙と一緒にピンで留めた。

 

「いつ頃できそう?」

「あ…えっと、さっきドレスの仕事が片付いたから、たぶんそんなにかからないと思いますけど……おいそぎですか?」

「急ぐわけじゃないけど、さすがに一年後とかだと困るな」

「えっ? まさか…そんな……」

 

 ティアは戸惑ったようにオヅマを見てから、冗談だとわかるとクスクス笑った。

 穏やかな笑顔に、オヅマはその様子にうーんと首をひねって言った。

 

「なーんか、ティアって町の子って感じじゃないな」

「え……ど、どこか、おかしいですか?」

 

 オヅマの言葉に、ティアはどこかおどおどしたように尋ねてくる。

 

「いや。おかしいとかじゃなくて。なんかのんびりしてるっつーか、あくせくしてないっつーか」

 

 オヅマとしては、どちらかというと褒めたつもりだったのだが、ティアはその言葉にシュンと肩を落とした。

 

「そんなこと……ないです。わたし…わたしも、ちょっとだけだけど、エッダさんのお手伝いして、きちんと働いて……ます」

 

 訥々(とつとつ)とした口調ではあるが、ティアは断固として言う。

 オヅマはすぐに謝った。

 

「ごめん。なんか、嫌な気持ちにさせたんなら謝る。ちょっと、ここんところ、勢いのいいおばさん達の相手してたからさ。その二人に比べると、なーんかのんびりすんなぁ……って思っただけなんだ」

 

 ティアはすぐに顔を上げ、申し訳なさげに頭を掻くオヅマを見て、あわてて謝った。

 

「い、いいえ! あの、ごめんなさい。わたし…ひねくれて考えてしまって……あの、その……オヅマさんは悪くないです。わたしが、勝手に、いやなふうに取ってしまったから…ごめんなさい。あの……」

「あぁ! もういいもういい!!」

 

 オヅマは手を振って、ティアがそれ以上言うのを制止した。それでも申し訳なさそうに身をすくめるティアに、ビシリと言う。

 

「ティアは間違ってない。働いている自分を侮辱されたら、誰だって嫌な気分になるさ。まぁ、多少気にし過ぎって感じはするけど、別に駄目なことじゃねぇよ。それに、すぐに謝ってくれたしな」

「……ごめんなさい」

「だからもう謝るなって。それより、手伝いってなにしてんの? ティアも服とか縫うの?」

 

 オヅマはそれ以上ティアに謝らせないために、話題を変えた。

 

「あ、はい。わたし……刺繍が好きで。それで時々お手伝いしてます」

「刺繍かぁ。そっかー。あ、それじゃあさ、一つ頼んでいいか?」

 

 言いながらオヅマはポケットからハンカチを取り出した。

 白い簡素な綿のハンカチには、レーゲンブルト騎士団の紋章が刺繍されている。ミーナが自ら刺繍して、持たせてくれたものだった。

 

「これ、この紋章さ。これを襟とかに、あんまり目立たないように、小さく刺繍しておいてくれるか?」

「これ……あの、貴族の家の紋章ですか? あの、大丈夫ですか?」

 

 ティアは心配そうに尋ねた。貴族の家紋を勝手に刺繍したりすれば、当然ながら刑罰に処される。

 オヅマは笑った。

 

「大丈夫。俺、レーゲンブルト騎士団の見習いだから」

「あ…騎士様だったんですか?」

「いや、見習いだよ。見習い。だから、大っぴらにはできないけどさ。忘れないようにしておきたいんだ」

 

 ティアはその刺繍をしばらくじっと見つめていた。うつむいた顔の表情はわからない。

 

「レーゲンブルト騎士団って……グレヴィリウス公爵家の騎士団の一つ、でしたよね?」

 

 ボソボソと尋ねてくる声は暗かった。

 オヅマは急に硬化したかに思えるティアの態度に、首をかしげつつも頷いた。

 

「あぁ、うん。そうだけど。なに? なんかやりにくいか?」

「いえ」

 

 ティアは小さくつぶやいて、顔を上げた。ニッコリと笑っているが、どこか強張っているようにも見える。

 

「じゃあ、エッダさんに相談して、小さく刺繍しておきますね」

「うん。頼んだ」

 

 オヅマは快活に言って、前金を払うと出て行った。

 気にはなったが、あんな年頃から働くような子であれば、いろいろと事情があるのだろう。今日会ったばかりのオヅマが聞いて、そうやすやすと話すわけもない。まだあどけなさは残っていても、そうした分別だけはしっかり持っている……そういう目をしていた。

 

「……ん?」

 

 考えていると、なぜか会ったばかりの頃のアドリアンの顔が浮かんだ。

 萎びたニンジンみたいな顔をしていた、あの頃のアドリアン。

 脳裏にしばらく二人の顔を並べてから、オヅマは首を振った。

 大公爵家のお坊ちゃんと、下町の女の子に似たところなんかあるわけがない。

 …………たぶん。

 

***

 

 夕暮れ近くになり、また人通りの戻ってきた道を進んで、ラオの店に繋いであるカイルの元へと急ぐ。普段、オヅマは黒角馬(くろつのうま)のカイルに乗って、アールリンデンに来ていた。公爵邸とアールリンデン市街はさほど離れていないのだが、なにせ公爵邸自体が広いので、たとえアールリンデン市街に一番近い西門から出るとしても、歩きでは一刻近くかかってしまうからだ。

 

 戻ってきたオヅマに、今から飯屋に行こうとしていたラオが声をかける。

 

「おぅ。小僧、行ってきたか?」

「あぁ。頼んでおいたよ。何なんだよ、一体」

 

 オヅマはもう一度訊いてみたが、ラオはニヤリと笑って教えてくれなかった。

 

「言わん! うまくいくかどうかわからんからな!」

「……なんだ、また実験か」

()()?」

「いや……なんか試してるんだろーな、って思ってさ。アンタのことだから」

「小僧! 大人に向かってアンタとか言うな」

「アンタ時々子供みたいなんだからいいだろ」

「誰が子供じゃーッ!!」

「……そういうのだよ」

 

 オヅマはあきれたように言ってから、カイルにまたがった。

 

「帰るのか? 一緒に飯、食っていかんか?」

 

 こう見えて一人で食べるのはわびしいらしく、ラオは時々、オヅマを夕食に誘ってくる。エラルドジェイは、まだエッダと祝杯を挙げているらしい。

 オヅマはさっきの服の前払いで、手持ちの金がもうなかったので、ラオに尋ねた。

 

「おごってくれんの?」

「……とっとと帰れ」

 

 即座にラオはそっぽを向いて歩いていく。本当に、見事なくらいケチで、わかりやすい大人だ。だから信頼できるというのもあるのだが。

 

「なぁ、オッサン」

「……ラオ大人(たいじん)と呼べ」

「誰だよ、それ。なぁ、オッサン、エッダさんのところにいる女の子、知ってるか?」

「……なんだ、小僧。早速、恋の悩みか?」

「馬鹿か。そうじゃなくて、あの子、普通の町の子か?」

 

 あの場では初対面で詳しく聞くのも(はばか)られて、あっさり帰ったものの、やはり気になる。無論、ラオの言うような意味合いではなく、最初の印象から、どうしてもティアに違和感を持たずにいられなかったのだ。

 ラオは伸びた髭を軽く引っ張りながら思案する。

 

「エッダのところにいる娘ェ? 誰だ? ゾフィは違う店に奉公に出たと言っていたし」

「ティアだよ。ティアっていう、薄いピンクの髪の女の子」

「…………む」

 

 ラオは急に眉を寄せると、じろりとオヅマを見上げる。すぐに目をそらすと、フンと鼻を鳴らした。

 

「あの娘か……エッダもお節介な」

「なんで?」

「こっちの台詞(セリフ)だ、小僧。なんでその娘のことを訊く?」

「なんでって……だから、あの子なんか、変だろ」

 

 オヅマの言葉に、ラオはまた髭を引っ張りながら、なにか探るような目つきで見てくる。

 

「例えば? どういうところが?」

「どういうところって……なんか、町の子にしてはその……おとなしいっつーか、穏やかっつーか」

「……品がいいか?」

「あ! そう、それ! なんか上品なんだよな、雰囲気が。話し方とかも」

「…………」

 

 ラオは一瞬沈黙し、ややあってため息とともにぼそぼそとつぶやいた。

 

「……やれやれ。(ギョク)は泥をまとっても玉か」

「は? なんか言った?」

 

 馬上のオヅマには聞こえなかった。だがラオはにべなく「知らん」と(うそぶ)き、澄まし顔になって言った。

 

「その娘のことなら、どうせそのうちお前の耳には入ってくるだろうよ」

「へ? どういうこと?」

 

 オヅマにはまったく訳がわからない。ラオひとりが知ったかぶった笑みを浮かべ、分かれ道に来て手を振る。

 

「じゃあな、小僧。そうだ、その馬にさっき甘藷(サツマイモ)食わしてやったから、今度、金払えよ」

「はぁ? 頼んでねぇし!」

「小公爵様の近侍がケチなこと言うな。一銅貨(ガウラン)程度で」

「『程度』っていうんなら、それくらい奢れよ!」

「ケチじゃない金持ちはいない。金持ちになるにはケチじゃないとなー」

 

 もっともらしいことを大声で叫びながら、ラオはカラカラ笑って薄暮の道を歩いて行った。

 

 

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