昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百八十一話 ティアと母親

「おぅ、レオシュ。今日は仕事か?」

 

 オヅマが声をかけると、レオシュは振り返ってニッと笑った。手にはワインが三本入った(かご)を持っている。軽く持ち上げてみせた。

 

「おぅ、配達でさ」

「ご苦労さん。それで最後か?」

「あぁ」

「じゃあ、ちゃっちゃと終わらせて、やるか」

 

 オヅマが軽い調子で誘うと、レオシュは「おぅ」と頷いて微笑んだ。

 

 あの日の喧嘩から、オヅマはレオシュと度々、打ち合い稽古をするようになっていた。当初は負けたことで、レオシュはオヅマに対してへりくだる態度を見せていたが、オヅマは早々にやめさせた。

 

「やめてくれよ。同じ年なんだし、友達ってことでいーじゃんか」

 

 レオシュはオヅマのそうしたあけっぴろげな態度に驚いた。

 元は平民とはいえ、今はれっきとした貴族の若君で、しかも聞けばあのグレヴィリウス小公爵の近侍だという。威張りくさってもいいくらいなのに、孤児の少年の稽古相手になると言ってくれるばかりではなく、友達として接してくれるなど、とても考えられなかったのだ。

 レオシュは戸惑いつつも、オヅマの自然な振る舞いに合わせて、徐々に友達としての関係性に慣れていった。

 

「お前、この前も酒屋の配達してたけど、そこで働くのか?」

 

 歩きながらオヅマは尋ねた。

 レオシュは三年前に両親を事故で失い、今は孤児院で暮らしている。働くために、そろそろ孤児院を出るよう言われているらしい。

 下町に暮らす少年たちは、親が商売をしていればそのまま店の手伝いをし、兄弟が多ければ他の店に奉公に出された。レオシュのように孤児である場合は、口利きや飛び入りで店の手伝いなどをさせてもらう中で、雇われる機会を得ることが多い。(但し、これはアールリンデンが比較的治安が良いから可能なことで、帝都などでは貧困地域に住む孤児がまともな商売につくことなど、ほぼ有り得なかった。)

 

「わかんねぇ……親爺さんは色々任してくれるけど、女将さんはいい顔しねぇし」

 

 レオシュが諦めたような顔で言うのも無理ないことだった。

 元々レオシュはアールリンデンの生まれではなく、両親は他国から流れてきた者たちだった。帝都であれば他国人も多く暮らしているが、長くグレヴィリウス公爵家のお膝元であるアールリンデンにおいては先祖代々、その地で暮らしてきた土着の民が多く、余所者はそれだけで偏見を持って見られた。しかもレオシュは下町の悪ガキ共のリーダー格として、一部の大人からは非行少年として見なされていたのだ。

 

「チッ! わかってねーなー」

 

 オヅマは苛立たしげに舌を鳴らす。

 少年らの上に立つ者としての面子(メンツ)があるために、悪ぶってみせているところがあるが、レオシュは極めて真面目で面倒見のいい男だった。ちゃんと話せばすぐにわかることだ。

 

「よし。じゃ、お前、レーゲンブルト騎士団に入れよ。俺、口利いてやるから」

 

 オヅマが満更冗談でもない口調で言うと、レオシュは大人びた笑みを浮かべた。

 

「レーゲンブルトねぇ……俺ゃあ、寒いのが苦手だからなぁ」

「なに甘えたこと抜かしてんだ。寒いのなんか、すぐ慣れるさ」

「いやー、でもレーゲンブルト騎士団って荒くれ者が多いって聞くぜ。俺なんか、アールリンデンでお上品に育ったから……」

 

 のらりくらりと、レオシュは冗談でかわす。

 オヅマは首をかしげた。

 

「なんだよ、お前。騎士になりたくて、剣の稽古してんじゃねぇの?」

「まぁ、最終的にはそうなんだけどな」

「最終的?」

「俺にもいろいろと計画がある、ってことだよ。俺は俺の実力で騎士になるさ。見習い騎士サマのお世話にゃならねぇよ」

「なんだよ……」

 

 オヅマは少し鼻白んだ。騎士になることに憧れているレオシュであれば、すぐにでも飛びつくと思ったのだ。しかし文句を言いかけて、オヅマはゆっくりと口を閉じた。

 たとえ孤児でもレオシュにだって矜持(きょうじ)はある。彼は彼なりに、自分の行く道を決めているのだ。それを夢見がちな少年の青臭い選択だと(わら)う者もいるかもしれないが、オヅマにはレオシュの意志が眩しかった。ただの見習い騎士でしかないくせに、大口を叩いた自分が恥ずかしくなった……。

 

「騎士団のことより、今の俺にゃ、この先のお得意さんのほうが気が重いぜ」

 

 レオシュは自己嫌悪で黙り込むオヅマの気を紛らすように話を変えた。

 

「は? なんで?」

「ちょっとなぁ……困ったおばさんでさ」

「困ったおばさん? なんだよ、払いが悪いとか?」

「払いはまぁ……今日は無理でも、後で持ってきてくれるからいいんだけどさ。酒が切れると、暴れるんだよな」

 

 オヅマはすぐに思い当たって眉を寄せた。酒に酔って当たり散らす人間の厄介さは、嫌というほど理解している。

 

「酒乱か……」

「いつもじゃないんだけどさ。いつもはどっちかというと、メソメソ泣いて……あー、でも泣きながら暴れてることもあったな」

「うわ、面倒くさ」

「まぁ、俺は酒だけ渡して帰ればいいから、いいんだけどさ……」

 

 言っている間に、その家の前にたどり着くと、レオシュは肩を大きく上下させて深呼吸した。

 住宅の立ち並ぶ場所からは、少しだけ離れたところにある、この辺りでは大きめの家だった。だが門扉は傾いており、荒れた庭を取り囲む外壁には蔦が生い茂っていて、まるで廃屋にも近い様相だった。

 半ば開いている門から、体を斜めにして入っていくレオシュの後に()いて、オヅマも中に入った。門から玄関までの間には石畳が敷かれていたのだろうが、今や石は割れて、間から草がぼうぼうと伸びている。

 

「……ここに住んでるのって、貴族?」

 

 オヅマが尋ねると、レオシュは振り向いて頷いた。ひそひそと囁く。

 

「俺も詳しくは知らねぇんだけど、なんか公爵家から追い出されたらしいんだよ」

「公爵家から?」

 

 このアールリンデンにおいて公爵家といったら、グレヴィリウスを指す。しかし追い出されたということは、元は公爵邸で暮らしていたということになる。誰なのかとレオシュに訊こうとしたときに、玄関の扉が荒々しく開いた。

 

「早く買ってきなさいよ!」

 

 ガサガサの酒焼けした女の怒鳴り声が響く。同時に女に腕を引っ掴まれていた少女が、乱暴に放り出されて、オヅマ達の前に倒れ込んだ。見覚えのある服装と、薄いピンク色の髪を見るなり、オヅマは叫んだ。

 

「ティア!」

 

 オヅマの声を聞いて、ティアは反射的に顔を上げたが、目が合うなり、すぐにうつむいた。

 

「ティア、大丈夫か?」

 

 オヅマが声をかけて手を差し伸べても、ティアはギュッと両手を握り合わせて立たなかった。目を合わさないよう顔を伏せたまま、肩を震わせている。

 

 一方でレオシュに気付いた ―― というよりも、レオシュの持っているワイン瓶に気付いた女は、険しかった表情を一変させて近寄ってきた。

 

「あらぁ、遅かったじゃないの。あんまり遅いから、娘に買いに行ってもらおうかと思っていたところよ」

 

 レオシュは顔をしかめながらも、客相手に商品を渡さないわけにもいかない。仕方なさげに持っていた(かご)を女に差し出した。

 

「どうも、ご苦労さま」

 

 酒臭いゲップをしながら、女はニヘラと笑って籠を受け取る。

 その女の手首をオヅマは掴んだ。

 女はギョッとしてオヅマを見てから、そこにいるのが、籠を持ってきた少年と同じ年頃の子供だとわかると、すぐに傲慢な顔つきに戻った。

 

「な……なにするのよ! 無礼者! 手をお離し!!」

「あんた……ティアの母親か?」

 

 問うたのは、女が『娘』と言っていたからだ。だが目の前で酒臭い息を吐く女の、落ち窪んで濁った青の瞳にも、乱れた茶色の髪にも、ティアと似たところはあまり窺えなかった。

 おそらく長く飲酒しているせいだろう。くすんだ黄褐色の、病人めいた(つや)のない肌をしていた。どこか体を悪くしているのかもしれない。

 

「なにを言って……クリスティア! こいつはお前の知り合いなの?!」

 

 女はオヅマの質問を無視して、ティアに苛立たしげに問い詰める。

 

「クリスティア?」

 

 オヅマが聞き返すと、それまで地面に座り込んでいたティアがいきなり立ち上がった。母親の手首を掴んでいるオヅマの腕に(すが)りつき、泣きそうな顔で頼み込んでくる。

 

「お願いです、離してください。お母様は体が弱いんです。そんなに強く掴まれたら、骨が折れてしまうんです。お願いします」

 

 か細いながらも切実なティアの声に押し切られて、オヅマは掴んでいた手を離した。

 途端に女はひったくるように籠を背後に隠し、ギロリとティアを睨みつけた。

 

「なんと情けないこと! こんな下賤(げせん)の者を相手に懇願するなんて。これだからお前は駄目なのよ。下々(しもじも)の者と交わっている間に、すっかり心までも卑しく育ったものね!」

「そんなこと……失礼です。この人は……下賤の者なんかじゃ」

「お黙り!」

 

 パシリと乾いた音が響く。女がティアの頬をぶっていた。

 おそらくこうした行為は、頻繁にあるのだろう。それくらい自然に、レオシュもオヅマも止める間もないほど、素早かった。

 

「おい! やめろ!」

 

 オヅマは叫んだが、ティアがまた止めるようにオヅマの腕を掴む。ギリッとオヅマが歯噛みすると、隣にいたレオシュが一歩、進み出て女に言った。

 

「娘さんの言う通りですよ。コイツは俺みたいなのとは違います。れっきとした公爵家の騎士ですから……一応」

 

 最後に小さく一応、と付け加えたのは、オヅマが見習い騎士であるということを慮ったレオシュなりの良心であったが、女はまったく気にも留めていなかった。

 

「公爵家ですって?」

 

 大声で問い返すと、濁った目を大きく見開いて、オヅマへとズイと歩み寄る。

 

「お前……貴方(あなた)はグレヴィリウスの騎士なの!?」

 

 オヅマは返答に窮した。

 オヅマの所属は、正確にはグレヴィリウス公爵家直属の騎士団ではなく、レーゲンブルト騎士団で、しかも見習い騎士という身分だ。だがこの面倒な説明を女がおとなしく聞く様子はない。籠をボトリとその場に落とすと、急にオヅマの両肩を掴んできた。

 

「迎えに来てくれたのね!? やっと、迎えに来てくれた!」

 

 女はガサガサの声で叫ぶと、けたたましい笑い声を響かせた。あまりに急変した女の態度に、オヅマは困惑した。

 

「は? 迎え?」

 

 問いかけるが、女はもう既にオヅマも眼中にない。虚空を見つめる瞳が爛々(らんらん)と輝いて、かすかな狂気を帯びた。

 

「ようやくお許し頂けたのね。待っていたわ。ずっと……待っていたのよ。今日は馬車は来ていないの? あぁ、いきなりなんてことはないわね。ちゃんと戻る準備を整えないといけないもの……ドレスだって、靴だって、もう随分と時代遅れのものばかりで……」

 

 オヅマは勝手に話を進める女に呆気にとられた。

 ティアがあわてて母親に走り寄り、ドレスのスカートを掴んで、必死に訂正しようとする。

 

「お母様、違います。この人は……公爵家の人だけど、違うんです」

「うるさいッ!」

 

 女はスカートにまとわりつくティアを鬱陶しそうに払うと、ぺたりと尻もちをついた自分の娘を冷たく睨みつけた。

 

「お前なんかがいたら、公爵家に戻れないじゃないの! だいたい、お前が女だから棄てられたのよ! お前が男の子だったら、公爵様は私を選んだわ! そうよ……きっとそうよ!私が悪いんじゃない!! お前が女だとわかっていたら、私だって()()()()()しなかったのに!!」

 

 積もり積もった怨念をぶつけるように、女は早口にティアを責め立てる。

 

「私のせいじゃない! 全部、ぜーんぶ、お前のせいだッ!!」

 

 まるで獣のように吠えたてて、女がまたティアに掴みかかろうとするのを、オヅマはあわてて止めた。

 

「やめろ!」

 

 鋭く言って、ティアを背後に隠す。レオシュは女を羽交い締めにした。

 馬鹿にしていた下町の少年から、思わぬ(はずかし)めを受けたと思ったのか、女は身悶えしながら激昂する。

 

「お離し! お前ごときが、私に触れていいと思ってるの!?」

 

 レオシュは女からの蔑みの言葉に、痛痒(つうよう)も感じていなかった。自分は下賤で、女は貴族。女の言う通りだと思っている。

 だが、前々からずっと女に対して不満を持っていたレオシュは、身分の差を承知しながらも、女の言葉に従う気はなかった。

 この場において、レオシュを従わせることができるのはオヅマと……

 

「お願い。お母様を離して」

 

 ティアの懇願に、レオシュは顔を(しか)める。チラリとオヅマを見て、頷くのを確認すると、そっと女の腕を離した。

 女はレオシュに毒づきながら逃れたものの、元よりおぼつかない足取りに、よろけて自分が置いたワインの入った籠につまづき、無様に倒れた。

 

「お母様!」

 

 ティアが駆け寄ったが、女は気付いていないようだった。しばらく突っ伏したまま動かない。

 まさか気を失ったのかと、オヅマとレオシュは一歩近付く。

 すると女がゆっくりと起き上がった。

 さっきまでの怒りはどこに消えたのか、放心したように座り込んだまま、目の前に転がっている黒いワイン瓶を見ている。土で汚れた顔を拭いもしない。

 やがて手を伸ばしてワイン瓶を掴むと、ゆっくり起き上がった。

 

「私は……悪くないわ。私は悪くないのに……私は…あの女に唆されて……嫌だった……私は……嫌だったのに……」

 

 ブツブツとつぶやきながら、女は転がっていたほかのワイン瓶も拾い上げて、大事に胸に抱え込む。

 

「お母様、大丈夫ですか?」

 

 駆け寄って心配するティアの声も、もう女の耳には届いていないようだった。

 

「私は悪くない……私は悪くない……私は、悪くない……」

 

 まるで自らに暗示をかけるかのように、何度も繰り返しながら、女は蹌踉(そうろう)とした足取りで、館へと入っていく。

 

「お母様……」

 

 ティアは心細げに呼びかけたが、女が振り返ることはなかった。

 

「ティア、大丈夫か?」

 

 オヅマが問いかけると、ティアは振り返るなり、すぐに頭を下げた。

 

「すみません……ご迷惑をかけました」

 

 丁寧だが、その声音はどこか空虚に聞こえた。ゆっくりと上げた顔は、ぼんやりとしていて、諦めが濃い。

 

「ティア……?」

 

 オヅマはもう一度、呼びかけた。

 ティアはハッと我に返って、また頭を下げて謝ってくる。

 

「すみません。いきなり、お母様がおかしなことを言って……」

「謝らなくていい。お前が悪いんじゃないだろ。それよりあのおば……お前のお母さんに、ちゃんと話したほうがいいだろ? なんか勘違いしてるみたいだ」

 

 ティアは首をプルプルと振ると、いなくなった母親の影に怯えるかのように、小さな声で言った。

 

「ともかく今日は帰ってください。お母様にはあとで、私からちゃんと話しておきますから」

「そんなことしたら、お前また……」

 

 オヅマはすぐに想像できた。妙な勘違いをしている母親に、ティアが真実を告げれば、今よりも一層機嫌が悪くなるだろう。そうなれば、絶対またティアに暴力を振るうに違いない。

 だがティアはオヅマにそれ以上は言わせなかった。赤く腫れた頬もそのままに、オヅマを真っ直ぐ見上げる瞳は、強固にオヅマからの干渉を拒否していた。

 

「大丈夫です」

 

 (かたく)ななティアに、オヅマは何と言えばいいのかわからなかった。迷うオヅマの肩をレオシュが軽く叩く。

 

「今日のところは帰ろうぜ。あ、お代はいつも通りに頼みますよ」

 

 レオシュが酒屋の配達員らしく、極めて淡々として言うと、ティアは小さく頷いた。

 オヅマはまだティアに聞きたいことはあったものの、レオシュに突つかれて仕方なく歩き出す。門を出る前に振り返った。

 

「ティア。なんかあったら、ホボポ雑貨店のラオって親爺のところに行け。ジェイもいるから」

「…………」

 

 だがティアは哀しそうに、少し笑っただけで、返事をしなかった。

 

 オヅマは門を出て、しばらく歩いたところでレオシュから、あの家のこと ―― あの頓狂で横柄極まりない女について聞かされた。

 

 曰く。

 あの女は昔は公爵邸で暮らしていたのだという。だがある日、いきなり追い出され、さっきの家に移り住むことになったらしい。

 女はこの仕打ちが不服であったのだろう。レオシュが酒屋で配達の仕事を任される頃には、すっかり酒浸りの生活になっていた。

 

「あの子、ほとんど毎日、八つ当たりされてんだ。さっきみたいに殴られたり、俺が前に見たのは、ずーっとブツブツブツブツ、泣きながら文句言ってるのにつき合わされててさ。あれはあれで、しんどいよ。俺もうんざりした。いい加減にしろって、客じゃなかったら、はっ倒したくなったよ」

 

 オヅマ自身、酒乱の父親を持っていたので、ティアの状況は容易に想像できた。

 酒に狂った人間は、極めて厄介な化け物だ。酒を飲んでいない状態でも、酔ったようにくだを巻く。

 

「レオシュ」

 

 オヅマが呼びかけると、レオシュはすぐに頷いた。

 

「わかってるって。俺も時々、見に来てたんだ。あの子、我慢強いからさ。ずーっと言われっぱなしの、やられっぱなしだから」

 

 何を頼まれるのかはわかっていたらしい。オヅマはニッと笑った。

 

「さすが。ズロッコの悪ガキ共を従わせるだけあるよ、お前」

 

 この面倒見の良さがあるからこそ、オヅマに負けてもレオシュは悪童達からの尊敬を失わないでいられるのだろう。

 

「頼むな」

 

 オヅマは言いながら、ティアとその母親が、一体グレヴィリウスとどういう関係にあるのかが気になった。

 

 

 ―――― 迎えに来てくれたのね!?

 

 

 その言葉が指し示すように、公爵邸から追い出されたというのは本当なのだろう。しかもオヅマが公爵家に関わりのある騎士だとわかっても、尊大な態度のままであったのだから、公爵家において、相当な身分であったのだと思われる。

 

 こういうときに話ができそうなルンビックや、ルーカスは遙か帝都で、ここにはいない。前に意味ありげなことを言っていたラオも、今はにわかに人気となったあの布を今度は本格的に仕入れるために、サーサーラーアンに会いに行っていた。エラルドジェイもどうせ飲み屋か女の家にでも行っているのかして不在であったし、エッダに訊くことも考えたが、勝手にティアの身辺を探るようで、なんだか悪いような気もする。

 いっそティアが助けを求めでもしてくれれば……と、オヅマは嘆息した。

 あの家から出たいと言ってくれれば、あのまま母親がわめき立てようと連れ出してやったが、ティアの態度は終始オヅマから母親を(かば)っているかのようだった。

 だが、そんなティアの気持ちもオヅマには何となくわかった。

 どんなに暴力を振るわれても、それが親であるという一点だけで、子供は必死に親の愛を乞う。

 自分はコスタスにそんな感情を抱かなかったが、もし(ミーナ)があの母親のようであったとしたら、それでもティアのように必死に守ろうとしただろう。母親と自分たちの棲む世界を。

 

 オヅマは消化不良の気分を抱えて公爵邸に戻ってきたが、都合よくと言うべきか、まるでこの状況を見たかのようなタイミングで、ブラジェナからの手紙が届いていた。

 

『略儀 オヅマ・クランツへ 言い忘れていたことがあります。』

 

 あの礼儀作法の権化のようなブラジェナが、時候の挨拶もすっ飛ばして書いてきた内容に、オヅマは最初、ブラジェナがオヅマの近辺に間諜(かんちょう)でも忍ばしていたのだろうかと思った。それくらいブラジェナは、ちょうどオヅマが知りたいと思っていたことを、書き送ってきてくれたのだ。

 

 

『略儀 オヅマ・クランツへ

 

 大変重要なことで、言い忘れていたことがあります。

 公爵閣下がリーディエ様亡き後に、一時的に第二夫人としていた女性のことです。

 彼女の名前はペトラ・アベニウス。この女には気をつけてください。幼い小公爵様を亡き者にしようとしたのです。……』

 

 





次回は2024.03.03.更新予定です。
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