一応、サルシムは役人としては優秀であるようだ。
ペトラの遺体を確認したあとに、医者を呼び、死亡診断書を書かせた。その後には公爵家の墓守人たちを呼んで、手早く葬儀を手配した。
葬儀といっても、公爵家において罪人であるペトラは、既に家族もおらず、親戚からの縁も絶たれて、知り合いもない。見送るのはティアだけだった。
オヅマは隣でティアに付き添ったものの、昨日の出会いがよくなかったのもあって、正直、その死を素直に
ただ、棺桶に寝かされたペトラの遺骸を見つめている間に、茶色だと思っていた髪の中に、数本ティアと同じ薄いピンク色の髪を見つけて、おそらく昔は、彼女もピンクの髪であったのだろうと思った。髪の色は成長して変わることがある。特にピンクブロンドは、長ずるに従って茶色や赤髪になることが多い。
オヅマはなんとなく、ペトラが公爵家に第二夫人として迎え入れられた理由がわかった。わかると、公爵の執着と冷酷さに、ますます
ペトラの遺骸は灰色の棺桶の中に安置され、ティアに見送られた後には、早々に墓地へと運ばれ埋葬された。
すべてのことが終わった頃には、日が傾きかけていた。
オヅマはティアを家まで送っていくつもりだったが、サルシムは分かれ道にさしかかると、ヘコヘコと頭を下げて言った。
「それでは、
そのまま早々に立ち去ろうとするサルシムを、オヅマは鋭く止めた。
「ティアはどうするんだよ?!」
サルシムは足を止めると、困った顔で振り返る。
「どうする……と、私におっしゃられましても、この娘……いや、お嬢様のことについては、私の一存ではどうにもならぬことでして」
「じゃあ、このままティアを一人にしとくってのか?」
「そのことも含めて、ルンビック様のご指示を仰がねばならぬことでして」
「指示って……配達人が帝都まで行って、また戻ってくるのを待ってる間は?」
「それは……あの館にてお待ちあるように……」
「一人で!?」
オヅマがはっきりと非難をこめて聞き返すと、サルシムは気まずそうに目を伏せた。さすがにサルシムも、まだ十歳になったばかりの女の子を、たった一人、あの古びた家に置いておくのは気が咎めたのだろう。
黙り込むサルシムに、オヅマはますます声を荒げた。
「今すぐにルンビックの爺さんに手紙を送ったって、帝都までどれだけかかると思ってんだ? 行って戻ってくるまでに、
「公子のご意見はご
サルシムは弱々しく言い訳してから、ハッと思いついたように顔を上げた。
「一時的に孤児院のほうに身を寄せるというのはどうでしょう? そちらであれば、知り合いもおりますので、ご紹介できます」
「嫌です」
はっきりと断ったのはティアだった。
蒼ざめた顔だったが、断固とした強い
「孤児院には行きません。私はお母様とあそこで暮らすように言われているんですから、これまで通り、あそこで暮らします」
「ティア」
オヅマは急に大人びたティアに驚きながらも、腰を落として視線を下げると、なだめるように言った。
「お前の気持ちもわかるけど、あの家にお前一人で暮らすなんて危険だ。この街は安全なほうだけど、悪い奴らがいない訳じゃない。女の子が一人っきりで暮らしてるなんて知られたら……」
言いかけてオヅマは口を噤むと、素早く周囲を見回した。
誰かが、こちらを見ている……?
「……誰だ?」
なんとなく視線を感じた方向に向かって問いかけると、フッと笑う気配がして、木々の暗がりから、ヌウッとヤミが姿を現した。
「さすが……オヅマ公子には隠しおおせぬようですね」
「だ、誰だッ?」
サルシムは音もなく現れ出た長身の男に驚いて、
「なんの用だ?」
オヅマは背後にティアを隠しながら尋ねる。
ヤミは静かに歩み寄って、オヅマの前で立ち止まると、いきなり片膝をついて、恭しくティアに向かって頭を下げた。
「初めてお目にかかります、サラ=クリスティア公女様。私は公爵閣下の配下、グレヴィリウスの騎士、ヤミ・トゥリトゥデスと申します。気軽にヤミとお呼び下さい」
その場にいたオヅマもサルシムも、もちろんティアも呆然となった。
ヤミは固まっている三人に優美に微笑みかける。その微笑だけで、ティアの警戒を取り去った。
「ヤミ……卿」
ティアがつぶやくように確認すると、ヤミは軽く頭を下げて立ち上がった。
「早速、覚えていただいて光栄にございます、公女様。ところで、オヅマ公子。そろそろ日も暮れようという頃合いです。立ち話するようなことでもなし、ひとまず公女様には
「楡の館?」
「公女様が暮らしておいでの館の名前です。ご存じではありませんでしたか?」
ヤミ独特の
「サルシム卿には早急に報告書を書いてもらわねばなりませんし、ここで別れるのがよろしかろうと思いますよ」
サルシムは騎士であるヤミの急な登場に目を白黒させていたが、その言葉を助け船と思ったのだろう。「では、失礼」と早口に繰り返しながら、そそくさと中心街のほうへと走り去った。
「……小役人が」
微笑を浮かべたまま、吐き捨てるようにつぶやいたヤミの声は冷酷な響きを帯びていた。
あからさまな警戒の目でヤミを見つめてから、オヅマはプイと顔をそむけると、ティアに手を差し出した。
「ティア、帰ろう」
ティアは少し戸惑いつつも、オヅマの手を握る。
まるで兄と妹のように、手を引いて歩く二人の後ろを、三歩ほど間隔を空けてヤミが従った。
「で?」
帰ってくるなり、急に気が抜けたのか、ソファで眠り込んでしまったティアに毛布をかけて、オヅマはヤミに問いかけた。招待してもいないが、図々しく上がり込んでいる。ヤミは一人掛けソファに長い足を組んで座り、オヅマの問いに首をかしげた。
「なにか?」
「なにか、じゃねぇよ。どういう魂胆だ?」
「魂胆とはまた…不穏な言い方をしますね、オヅマ公子」
「アンタの正体については、おおよそ見当はついてる。今更だろ。俺を張ってたのか? それともティアか?」
「やれやれ」
ヤミはため息をついてから、また冷たい声音になる。
「辺境の田舎者領主のにわか息子と、こんなボロ家に幽閉された力もない公女を、どうしてわざわざ見張る必要が?」
「テメェ……」
先程、ティアに対して行った騎士の礼が、心からのものではないとわかっていたとはいえ、こうして堂々と言われるとやはり腹が立つ。
だが、ヤミは怒るオヅマにも平然としたものだった。
「たまたまですよ、今回については。少々、役所に用があって訪ねたら、公子が派手に
「なにがだ?」
「先程の件です。お嬢様の護衛のことですよ。確かにこんなボロ家で、愛らしい少女が一人で暮らしているとなれば、早々に人買い共が
オヅマはギリと歯噛みした。
また、ここでも公爵の無関心がオヅマを苛立たせる。
おそらくヤミの言うことは正解なのだろう。前に言っていた公爵直属の諜報組織に属するヤミであれば、より公爵の真の姿を知っているのだろうから。
オヅマは一度、強く拳を握りしめてから、パと開いて力を抜いた。ここでヤミに怒っても仕方ない。
「それで、ここまで来て何する気だ? アンタがティアの護衛として、ここに泊まってくれるのか?」
「さすがにそれは無理ですね。私もこれで忙しい身でして」
「なんだ、それ。じゃあ、なんで声かけたんだよ?」
「おや? どちらかというと、声をかけたのはオヅマ公子であったと思いますが?」
いけしゃあしゃあと言うヤミを、オヅマは睨みつけた。その言葉で尚のこと、あのときヤミがわざとオヅマに気付かせるよう、気配を
「私よりも適任がおりましょう、オヅマ公子の周囲に。サラ=クリスティア嬢も、今日会ったばかりの私よりも、多少なりと言葉を交わしたことのある顔見知りのほうが、緊張せずに済む……」
オヅマはヤミの返答にすぐに思い至った。
「ジェイか……」
「彼はオヅマ公子に
「…………」
オヅマはヤミを見つめた。言ってることが、いちいち
オヅマは外泊を禁じられている。
べつに決まりを破って嫌味を言われるくらいであれば構わないのだが、下手をするとアドリアンの近侍を外されてしまうという可能性がある。それは避けたかった。アドリアンの為にも、今となってはティアの為にも。
「じゃあ、アンタがジェイを呼んできてくれよ。どうせジェイの行きそうな場所の心当たりあるんだろ? 知り合いみたいだし」
何気なく言ったオヅマに、ヤミはニコリと笑う。妙に嬉しそうな様子だ。オヅマはなんとなくジェイに申し訳なくなった。どうもヤミにうまく乗せられた気がする。
「アンタ……なに考えてるか知らないけど、ジェイに無理を言うなよ」
「ずいぶんあの男と仲が良いようですね、オヅマ公子。彼がどういう
オヅマは答えなかった。ヤミに聞きたいことは色々とあったが、無表情で蓋をする。今はティアの安全が最優先だ。
ヤミは頑ななオヅマの態度に、少しだけ苛立ちをみせた。
「あの男は、なにか私のことを言っていましたか?」
やけに真剣な声音で尋ねられ、オヅマはきょとんとなった。
「は?」
「あれから、何か言ってませんか?」
「…………」
オヅマはまたヤミをまじまじと見つめる。
どうもエラルドジェイが関わると、この男はいつもの余裕がなくなるようだ。
オヅマはしばし思案した。
前にエラルドジェイが言っていたこと……?
―――― アイツは、性格が良くない! というか変態だ。だから相手すんな!
思い出した言葉がそのままポツリと出る。
「…………変態」
「はい?」
「性格が良くない変態だ、っ
「………………ほぉ」
言われた瞬間、硬直したヤミの顔は、ゆっくりと薄ら笑いを取り戻したものの、つり上げた口の端はやや引き攣っていた。
いきなりガタンと立ち上がる。その音でティアが目を覚ました。しかし先程の丁重な挨拶はどこへやら、ヤミはカツカツと苛立った足音を立てて出て行った。
「……ヤミ…卿は、怒っておられたのですか?」
ティアが心配そうに尋ねてきたが、オヅマは首を振った。
「わかんね。ま、ティアは気にしなくていいさ」
***
それから半刻ほどして、エラルドジェイがやって来た。
とてつもない仏頂面で。
「……お前、あの野郎に俺を売ったな?」
入ってくるなり、エラルドジェイがぼそりと言う。
オヅマは訳がわからなかった。
「は? なにが?」
「アイツとは関わるなって言ったろ? なんで、あの野郎に頼み事とかするんだよ」
「頼み事って……あんたを探して連れてきてくれって言っただけで」
「俺は、アイツに会うのも嫌なの! なに会うきっかけ作ってくれてんだッ」
オヅマは眉を寄せてエラルドジェイをまじまじと見てから、肩をすくめた。怒ってはいるが、本気じゃない。多少、気分を害したようではあるが。
「ごめんごめん。緊急事態でさ。ちょっと頼みたいことがあって」
「……っとに、あの野郎に使いをやらせるなんて、お前どこまで豪胆なんだ。あとで、どんな要求してくるか知らんぜ」
「うん。そん時ゃよろしく」
「恐ろしいこと言うなーッ!」
エラルドジェイは叫んだが、オヅマは無視して話を続けた。
「ジェイ、あのさ、急で悪いんだけど、しばらくこの家でティアの護衛をしてもらいたいんだ」
「は?」
「今日、ティアのお母さんが亡くなったんだ。だからティアを一人っきりにするわけにもいかないだろ?」
「え!?」
エラルドジェイはさすがに驚き、ティアを見つめる。
突然のエラルドジェイの来訪と、そこから続く意味不明な会話に呆気にとられていたティアは、あわてて頭を下げた。
「ごめんなさい、ジェイさん。あの……無理しなくていいです。私は一人でも……ちゃんと戸締まりはしっかりするようにしますから」
「いやいやいや。戸締まりったって、この家じゃ……」
言いかけてエラルドジェイは口を
「俺はティアの護衛なら、喜んでやるよ。ティアはどうだい? こんなおっさんと一緒に家にいるのは御免被りたいか?」
ティアはぷるぷると頭を振った。
「そんなこと思いません。でも……いいんですか?」
「ぜーんぜんッ! 暇、ヒマ~。どうせ飲んで騒いでるだけで」
「でも…でも、エッダさんが、ジェイさんは夜になったら忙しい、って言ってましたよ」
ティアが申し訳なさそうに言うと、エラルドジェイはきまり悪そうに頭を掻く。
オヅマは白い目になって、軽くため息をついた。
「……誰に何を言わせてんだか」
「いや、違う違う。誤解だって! 一応、仕事もあるんだって」
「
あきれたように言って、またため息をつく。どうせまた、あちこち
エラルドジェイは真っ向否定することもできず、逆に怒りだした。
「こンのクソガキ! 人にもの頼むなら、ちょっとはヘコヘコしろ」
「それとこれは別。じゃ、俺はまた明日来るから……ティア、今日はちゃんと食って寝ろよ。食い物はあるよな?」
「あ、はい。それは大丈夫です」
「よし」
オヅマは頷くと、エラルドジェイに目配せして、ポーチまで誘った。
「なんだ? まだなんかあるのか?」
玄関扉にもたれながら、エラルドジェイが尋ねてくる。広がった袖がゆらゆらと動いているのは、おそらく中でまたゴリゴリと
「もう知ってるかもしれないけど、ティアさ、実は公爵の娘なんだ」
「は?」
「知らなかったか? ラオのオッサンは知ってたみたいだけど……」
エラルドジェイは首をひねった。
「言ってたかもしれんけど……俺、ラオの言うことはけっこう筒抜けで聞いてるからな」
「……まぁ、そんなわけだから。とりあえず一ヶ月ほど、帝都からの連絡が来るまで、夜だけでもいてやってほしいんだ。朝にはティアはエッダさんのところに行くだろうし」
生活費のほとんどが、母親の酒や煙草などの嗜好品、高価な食品、ドレスなどに使われていたために、ティアはエッダのところで手伝いをして、わずかながら給金をもらい、細々とした生活必需品を買っていたらしい。
ただ、そうするようにと勧めてくれたのは、実はエッダだった。たまたまティアが庭で母親から
ティアの家庭の複雑な事情を、街に住む人々はなんとはなしに知っていて、ティアたち親子とあまり積極的に関わろうとはしなかった。だが、エッダは自らも同じような境遇 ―― 親からの虐待 ―― にあったらしく、見て見ぬふりはできなかったのだろう。
エラルドジェイもこうして引き受けてくれるあたり、ラオからしたら、二人揃ってお人好しと言われるかもしれない。
「じゃ、頼んだ」
オヅマはエラルドジェイに手を振ると、とっぷりと日の暮れた道を歩き出した。
思いのほか、長い一日になってしまった。サルシムについては、少し態度の気になるところはあるが、ひとまず今日のところは感謝するとしよう。オヅマだけでは、葬式の手配など、どうすればいいのかもわからなかったのだから。
カイルを引き取りに来たオヅマから、今日あった一連のことについて聞かされたラオは、一言だけ商人らしく忠告した。
「オヅマ、ジェイはいい奴だがな、ケジメのわかってない奴には容赦ない。あいつはお前に色々と
オヅマはラオの言葉に
確かに、今回の件でもっとも責任をとるべきは公爵なのだ。公爵当人に言うわけにはいかないが、ルンビックであれば、事情を汲んでそれなりの額を出してくれるだろう。
「さすがだな、オッサン。たまにいいこと言うぜ」
「『たまに』は余計だ」
憮然として答えるラオに手を振って、オヅマは公爵家へとカイルを急がせた。
空には星が光り、すっかり夜だった。
満天の空の下、宵の闇を抜けてカイルが駆ける。
公爵邸までの道のりを走らせながら、オヅマはふとレーゲンブルトの、朝駆けで毎日通った道を思い出した。
途端に懐かしさがこみあげてきて、このままカイルと一緒に帰ってしまおうか……なんて考えてみる。無論そんなことをする気は毛頭なかったが、不意に訪れた郷愁は、オヅマを少し感傷的にさせた。
前にテリィが母親に会いたいと言って、泣いているのを見て笑っていたが、今は少しだけその気持ちがわかる。
レーゲンブルトに来てから今まで、こんな気分になったことはない。だが、今日は……今日だけは、心底
2024.03.24.更新します。