昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百八十八話 帝都の出会い(1)

 ふたたび時間は戻り、カーリンがレーゲンブルトに旅立って数日後の帝都。

 落穂(おちほ)の月、初め頃のことである。

 

 

 アドリアンはオヅマの服を買いに出かけていた。それは帝都に着いて、オヅマからの素っ気ない手紙を読み、そのときにはオヅマを少し困らせてやろうという、ちょっとした冗談で言っていたのだが、今となっては、そんな軽い悪戯心は失せていた。

 しかしキャレ改めカーリンの件以降、すっかり意気消沈した小公爵を心配した従僕のサビエルが、気分転換にと勧めてきたのだ。

 

 その日はマティアスが領地に帰る父の見送りのため不在であったので、サビエルとエーリク、それに「衣服のことならば、お任せを!」と自信満々のテリィが随行した。都でも一番の高級店が並ぶ通りを歩いていたが、道行く人々の楽しげな様子を見るアドリアンの顔は、やはり浮かない。

 

「アッ、あんなところに新しい店が出来てるぞ! なんだろ? 美味しそうな匂いがしてくる……」

 

 そんなアドリアンにお構いなく、テリィは店々を見て回る。

 エーリクが渋い顔で注意した。

 

「テリィ、お前の買い物じゃないんだぞ。小公爵様の買い物なんだ」

「わかってるさ。でも、少しぐらい食べたりもするでしょう? おなか空いてませんか、小公爵様。そろそろお昼ですよ」

「……あぁ、そうだね」

 

 アドリアンが適当に返事すると、テリィは合意と受け取ったのか「じゃあ、行きましょう!」と、意気揚々と歩き出す。

 エーリクが止めようとするのを、アドリアンは手を上げて制した。

 

「いいよ。テリィも歩き回ったから、おなかが減ったんだろう」

「しかし、まだ小公爵様が買い物もされていないのに」

「いいよ。まだ決められないから」

 

 アドリアンはそのまま先導するテリィの後をついていったが、急にテリィは「あっ」と声を上げると、いきなり走り出した。

 

「おい、待て! テリィ、勝手な真似をするな!!」

 

 エーリクがあわてて止めるが、テリィは聞こえていないようだ。アドリアンは走って行ったテリィが目指す方向へと目を向けた。

 通りを歩く人々の群れの間から、薄い緑色の昼用ドレスを着た婦人と、その隣でクセの強い赤茶色の髪の男の姿が見える。二人とも走ってくるテリィに気付いてか、足を止めていた。

 婦人の方は、テリィが近くまでくると、ニコニコと笑って抱きしめた。その様子を見ていた男が二言三言、声をかける。テリィが婦人の手から離れて、こちらを振り返り、アドリアンを示すと、二人の顔が固まった。

 一瞬、アドリアンはこの様子を見て、なんとなく歓迎されていない感じを持った。だが、男のほうは驚いただけだったのかもしれない。あわてたようにアドリアンに近付いてくると、(ひざまず)いて挨拶しようとするので、すぐに止めた。

 

「人通りのある場所です。そうした挨拶は控えてください」

「おぉ、これは……確かに、申し訳ございません。まさかこのような街中(まちなか)で小公爵様にお会いできることがあるなどとは思わず」

「ガイスおじさんは、小公爵様に会うのは初めてだっけ?」

 

 テリィが親しげに話しかけると、ガイスと呼ばれた男は頷いてから、(かしこ)まった様子でアドリアンに挨拶した。

 

「失礼致しました。まずご挨拶すべきところを……私はガイス・プシビルと申します」

「小公爵様、前にもお話ししましたよね? ガイスおじさんは、僕のお祖母(ばあ)様方の縁戚で、僕にとっては先生のような人なんです」

 

 テリィはめずらしく、どもることなく、すらすらと説明する。

 アドリアンは以前にテリィから聞いていた話を思い出して頷いた。

 

 テリィの父は先の南部戦役に出征し、死亡している。当時幼かったテリィに父の記憶はなく、祖父も爵位を再承継したばかりで忙しかったために、遠縁の小父(おじ)に教育されたのだという。おそらくその小父というのが、目の前にいるカーキ色の髪の男のことなのだろう。

 

 ガイスは人の良さそうな笑顔を浮かべていたが、大きな薄灰色の瞳はガラスのような、どこか無機質な印象だった。その目がまじまじとアドリアンを見つめて観察している。やや居心地の悪さを感じつつ、アドリアンが挨拶を返そうとすると、ガイスは急にフイと後ろを向いて声をかけた。

 

「ステラリア、貴女(あなた)も挨拶をしないと」

 

 それまで数歩離れた場所で、目立たぬようにしていた婦人が、仕方なさげに少し前に進み出る。恥ずかしいのか、恐縮しているのか、アドリアンと決して目を合わせようとせず、軽く腰を屈めてお辞儀した。

 

「チャリステリオの母の、ステラリア・テルンと申します。いつも息子がお世話になっております。このような場所でお会いするとは思わず、失礼致しました」

 

 固い声は単純に緊張で強張っているのか、あるいは何か含むところがあってなのかわからない。

 アドリアンが名乗っても、ステラリアは決して目を合わせなかった。

 

「今日は、このような場所で小公爵様はいったい何をなさっておいでで?」

 

 ガイスが尋ねると、アドリアンが答える前にテリィが語ってくれる。

 

「小公爵様は今日は服を買いにこられたんです。でも、なかなかお眼鏡に適うものがなくって、歩き回っていたんです」

「まぁ……」

 

 ステラリアが口元を隠した扇の向こうから、かすかな非難を滲ませる。

 おそらく大グレヴィリウス公爵家の継嗣であるのに、既成服を買いに回ることが信じられなかったのだろう。

 アドリアンとて、当然ながら今までの人生で、服を買いに出かけたことなど、一度もない。

 そんなテリィの母の見当違いを見抜いて、すぐにサビエルが付け加えた。

 

「小公爵様ご本人の服を買いに来たのではありません。今回、帝都に来れなかった近侍への土産(みやげ)です」

「帝都に来なかった近侍のために、わざわざ服を買ってやるとは……小公爵様は誠に臣下思いでいらっしゃることです」

 

 ガイスは賞賛してから「しかし……」と、すぐにやや低い声で付け加えた。

 

「一人にのみ贔屓(ひいき)が過ぎるのは、如何(いかが)なものかと。古くは近侍同士で(ちょう)を争ったこともあったとか。こうした物品は、近侍たち全員に差し上げるべきかと思いますよ。そうすればいらぬ(いさか)いも起きぬでしょう」

 

 ガイスの差し出口に、アドリアンはムッと眉を寄せた。

 どうしてわざわざ諍いが起こることを前提に話すのだろう……。

 

 しかしアドリアンは苛立ちをすぐに表情から消して、勝手な憶測で無礼な提案をしてくるガイスをじっと見るだけにとどめた。

 知ってか知らずか、ガイスは相変わらず本心の見えぬ笑顔を貼り付けて、アドリアンを見下ろし視線を受け止めている。

 そんな二人の不穏な空気に気付かず、テリィがガイスに問いかけた。

 

「今日は二人でどこに行くの?」

「メルツァー劇場です。そろそろ我らも領地に戻るので、見納めておこうかと。今回の劇の公演は今日までですしね」

「えっ?! そうなの? それは……見に行きたいなぁ……僕も」

 

 テリィは急に甘ったれた声になり、チラとアドリアンを見てくる。

 それまでアドリアンの背後に控えていたエーリクがヌッと出てきて、仏頂面で尋ねた。

 

「チャリステリオ公子、我々は小公爵様の買い物を手伝うために来ているのだぞ。わかっているな?」

 

 低い声にそこはかとない恫喝を感じて、テリィは「わ、わかってるよ!」とあわてて取り繕った。

 その様子を見たテリィの母・ステラリアが、いかにも怯えたように「まぁ……怖いこと」と扇子の影でつぶやく。

 アドリアンがやや面倒になってきて嘆息すると、ガイスが取りなすように言った。

 

「よろしければ、小公爵様もご一緒にいかがですか? 今期の芝居はなかなかの傑作でございますよ。役者の熱演もさることながら、筋立てもよろしく、見応えのある内容でございます」

「そうそう! 僕も一度、母上と見に行きましたが、楽しかったですよ。間抜けな肉屋たちの合唱が面白くて! それに、メルツァー劇場の軽食は豪華なんですよ。鹿肉のクレープ包みが、すごくおいしいんです」

 

 テリィはその料理を想像してか、とろけるような顔になって、熱心にアドリアンを誘う。

 だがアドリアンはすぐに首を振った。申し訳ないが、劇場という場所はアドリアンには鬼門だった。

 芝居好きの叔母、ヨセフィーナ・グルンデン侯爵夫人は、その劇場の後援者の一人で、おそらく今日が最終公演となれば、会う可能性は高い。会えば婉曲な嫌味の一つ二つで済まないばかりか、下手をすれば同じボックス席に案内されるかもしれない。

 考えるだけで、憂鬱になる。

 

「僕はいい。チケットもないことだし」

「そのようなこと! グレヴィリウスの小公爵様がお越しとあらば、最も良い席を用意するでしょう」

 

 ガイスが大仰に言うのが、アドリアンにはひどく苛立たしかった。

 

「僕は、そうした行為を好まないんだ、プシビル卿」

 

 ピシャリと言うと、ガイスは少しだけ鼻白んだ。

 アドリアンはその顔を見ることもなく、すぐにテリィを送り出す。

 

「君は行ってくるといいよ、テリィ。お母上もそろそろ領地に帰られるのだろうし、家族で観劇できる機会もそうないだろう。服のことは気にしなくていい。どうせ今日は、買う気がしないから」

「で、で……でも」

 

 テリィは落ち着きなく視線を泳がせた。エーリクはもちろん、サビエルもやや冷たい目で、テリィを見ていたからだ。

 だがアドリアンは朗らかに笑って二人を制すると、ガイスにテリィのことを頼んだ。

 

「じゃあ、プシビル卿。観劇が済んだら、テリィを公爵邸まで送り届けてくださいね」

「もちろんでございます。小公爵様のおやさしいお心遣いに、感謝するばかりです」

 

 ガイスの大袈裟な敬語が、アドリアンにはいちいち癪に障ったが、顔には出さなかった。

 テルン一家 ―― 正確にはガイスは一家に入らないのだろうが、去って行く三人の後ろ姿を見る限り、どう見ても仲の良い父母と息子にしか見えなかった ―― が行くと、エーリクが不満げに問うてきた。

 

「よろしいのですか? あのようなことをお許しになって」

「構わないよ。正直、テリィの意見は、あまり参考になりそうもない」

 

 買い物を始めて一刻(*約一時間)が過ぎていたが、テリィはオヅマの服を選ぶというより、後日、自分が買うとき用に自分好みの服を物色するばかりで、あまり役に立っていなかった。

 

「しかし……最近のテリィは目に余ります。小公爵様に対して甘えが過ぎる」

 

 めずらしく憤然と言うエーリクを、アドリアンは物珍しげに見て、肩をすくめた。

 

「そうだね……マティがいたら、きっとひどく叱りつけていただろうな。なんだったら、テルン夫人とプシビル卿にも説教していたかもしれない」

 

 いつもは色々と厳しくて口やかましい(自称)筆頭近侍のことを思い出して、アドリアンがクスクス笑いながら言うと、エーリクがシュンとなった。

 

「申し訳ございません。お力になれず……」

「なに言ってるの、エーリク。君には君の、マティにはマティの役割があるってことだよ。十分に、君は僕を助けてくれているよ。いつもありがたいと思ってる」

「…………」

 

 エーリクはそのアドリアンの言葉に、じんわりと胸を熱くした。ここで忠誠の誓いを立てたいくらいであったが、その時、パン、パンと乾いた拍手が響いた。

 エーリクはとっさに剣の柄に手をやって身構える。

 アドリアンも一瞬、顔を固くして警戒した。

 その人物は拍手を止めると、ゆっくりと歩み寄ってきて、頭を覆っていたフードを少しずらした。フードの影になって見えなかった顔があらわとなった途端、アドリアンは息を呑んだ。

 

「た……大公殿下?!」

 

 




次回は2024.04.21.更新予定です。
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