昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百八十九話 帝都の出会い(2)

 その名称はかろうじて、アドリアンの口の中に封じられた。あわてて両手で口を塞いで、道行く人々に聞かれることのないようにしたからだ。

 大公ランヴァルトは、心底仰天しているアドリアンに、ニコリと微笑んだ。

 

「久しいな、小公爵。元気そうで何より」

「……どうして」

 

 アドリアンは思ってもみなかった邂逅に混乱していた。

 どうしてこんなところに大公殿下がいるのだろうか? 警護の人も連れずに……?

 

「今は忍びできているのだ」

 

 ランヴァルトはアドリアンの心を見透かしたかのように言った。

 確かに言われてみれば、ランヴァルトの姿は質素なシャツとズボンに、薄っぺらなフード付きの上着を羽織っただけの、一般的な平民の格好だった。

 

「まさか、お一人なのですか?」

 

 ざっと見回してもそれらしき警護の騎士がいないので、アドリアンが心配になって問うと、ランヴァルトは不思議そうに首をひねった。

 

「私に警護の者が必要か?」

「それは……」

「我が臣下は優秀であるが、いまだ私に(かな)う者はおらぬ。息抜きに来たというのに、警護など面倒なだけだ」

 

 あまりにも堂々とした言いように、アドリアンは言葉もなかった。

 確かにこの国において、剣や体術などの勝負でランヴァルトに勝てる人間などそうそういるわけもない。強烈な自負に圧倒されながらも、それは嫌味に聞こえなかった。むしろ穏やかで深みのある声同様に安堵感を与え、同時に尊敬に近い好もしさを感じた。

 ランヴァルトは再びフードを目深にかぶりながら言った。 

 

「それにしても……小公爵は誠に臣下思いであられることだ」

 

 ランヴァルトは先程のアドリアンの言葉を聞いていたのだろう。フードの奥の紫紺の瞳が、やさしくアドリアンを見つめている。

 しかし今のアドリアンは素直に喜べなかった。

 ふと脳裏にさびしそうな顔をして、レーゲンブルトに旅立ったキャレ……カーリンが浮かぶ。

 暗い顔になってうつむくと、ランヴァルトがポンと肩を叩いた。

 

「立ち話も嫌いではないが、場所を変えたほうがよかろう。よろしければ、ご一緒していただけるかな?」

「あ……はい」

 

 アドリアンはほとんど反射的に返事していた。断るという選択肢すら思い浮かばなかった。エーリクもサビエルもただただ驚いてしまい、(あるじ)の急場の決断について、意見することすら忘れてしまった。

 

 ランヴァルトは大通りの道から、細く伸びた路地の奥へと入って行くと、こぢんまりとした店の前で立ち止まった。

 鍛鉄(ロートアイアン)を組み込んだガラス入りの扉の横に、小さな看板が架かっている。よく見ればそこには黒い文字で『茶寮(ラデュ=シィーク)・七色蜥蜴(トカゲ)の巣』と書かれてあったが、看板自体が焼いた板であるので、読みづらく、およそ店の存在を知らせるための看板としての役割は果たしていなかった。おそらく普通に通りかかったら見逃してしまうだろう。それに見つけたとしても、重厚な趣のあるその店構えに、おいそれとは入れそうもない。

 だがランヴァルトは躊躇することもなく、その店の扉を開けた。中は薄暗く、少しだけひんやりとしていた。

 

「もうそろそろ涼雪石は必要ないだろう」

 

 入るなり、ランヴァルトが言うと、受付のカウンターに腰掛けていた店の主人とおぼしき男がのっそりと立ち上がって、トボけた顔で首をひねる。

 

「左様ですかな? 私などは、まだまだ暑いような気もするのですが」

 

と言うのは、彼のでっぷりと太った体を見れば想像ができた。ぴっちりしたシャツの(ぼたん)は今しも取れそうだ。

 ランヴァルトはフンと笑って、店主の肉付きのいい胸を指でグイと押した。

 

「それはお前が年がら年中、一枚多く()()を巻いているせいだ」

「おぉ、ひどい言われよう」

「嘆くなら、少しは動け。日がな一日、ここで本ばかり読んでは砂糖菓子ばかり食っておるから、そうも太るのだ」

「ヤレ、ハァ……耳の痛きことを言われますなぁ……」

 

 アドリアンは緊張していたのだが、思わず始まった店主とランヴァルトの軽妙なやり取りに、思わずぷっと吹いてしまった。店主がピクリと顔を上げて、(すが)め見てくる。ランヴァルトは体を横に向けると、アドリアンを店主に紹介した。

 

「ゾルターン、こちらはグレヴィリウス家のアドリアン公子だ。アドリアン、こちらはこの茶寮の主人であるゾルターンだ」

「初めまして、公子様」

 

 ゾルターンはニコリと商売人らしい笑みを浮かべてお辞儀する。見たときから丸顔で細い目をしたその姿は、時折公爵邸の庭の隅で日向ぼっこをしている丸猫を思い起こさせたが、笑うとますます似ていた。

 

「初めまして、ゾルターン」

 

 アドリアンはつられるようにニコリと笑って、手を差し出した。

 ゾルターンはまさか貴族のお坊ちゃんから握手を求められるとは思わず、びっくりしたように手を泳がせたあとに、あわてて服で手汗を拭ってから、恭しく握手した。

 

「恐縮にございます、公子様」

「挨拶が済んだのなら、我らは二階に行く(ゆえ)、従者たちの案内を頼む」

 

 言ってから、ランヴァルトは勝手知ったる様子で、受付横の階段を上って行く。心配そうなサビエルとエーリクに「大丈夫だよ」と声をかけてから、アドリアンはランヴァルトの後に続いた。

 二階は壁際に書棚が並び、大きな窓近くにゆったりとしたソファが置かれてあった。窓の向こうには、紅葉と黄葉が美しく入り混じった楓が、秋の風に葉を揺らしている。その色とりどりの葉の間から青い空と、運河を行き交う箱船(ゴンドラ)が見えた。太い焦げ茶の窓枠の中、その景色はまるで一枚の絵のように美しい……。

 ぼんやり見ているアドリアンに、ランヴァルトが朗らかに呼びかけた。

 

「どうぞ、アドリアン。あぁ、馴れ馴れしかったかな? 小公爵と言ったほうがよいか?」

 

 ランヴァルトがソファに腰掛けて、向かいの場所を示す。アドリアンは勧められるまま、その場所に腰掛けながら答えた。

 

「いえ、構いません。名前を覚えてくださっていて、有難く思います」

「ふむ。その様子だと、ここでの決まりについては、おおよそ想像できたようだ」

「そうですね……」

 

 店主は大公であるランヴァルトに丁重な態度で接しつつも、その身分で呼ぶことはなく、ランヴァルトはアドリアンを紹介する際に「グレヴィリウス家のアドリアン公子」と言っていた。普通、人に紹介する際は貴族であれば、かならず爵位についても伝えるものだが、ランヴァルトはあえて公爵家と言わなかった。

 

「身分の差なく振る舞う場所であるならば、それに(なら)うべきかと思いましたので」

 

 アドリアンの言葉に、ランヴァルトは満足げに頷いた。

 

「やはり君は頭が良い。非常に、場というものを(わきま)えている。その年で大したものだ」

「誉められるほどのことではございません」

「いや。正直なところ、私がここに人を連れてくることは少ない。シモンも連れてきたことはない。今日も、一人でのんびりと読書でもしようかと、急に思いたって来たのだ」

「それは、ご迷惑だったのでは……」

 

 アドリアンは腰を浮かしかけたが、ランヴァルトは無用と手で制した。

 

「構わぬ。招いたのは私だ。この場にそぐわぬ者であれば連れて来ることもなかったが、君であれば、この茶寮(ラデュ=シィーク)静謐(せいひつ)を破ることもなかろう」

茶寮(ラデュ=シィーク)……」

 

 アドリアンは先程看板で見かけたときから気になっていたその名をつぶやいた。帝国においては、あまり馴染みのない言葉だ。

 

「あぁ。西の国では茶や煙草を喫する店があちこちにあってな。向こうで使われていた言葉を、そのまま充てたのだ」

「そうだったのですね。では、大公……ランヴァルト様がこの店のオーナーでいらっしゃるのですか?」

 

 ランヴァルトはアドリアンの問いに、シッと口の前に人差し指をたてた。

 

「そのことは内緒だ、アドリアン。私がこんな小さな店に出資したと知れては、またうるさく騒ぎ立てる雀どもが、好奇心で押し寄せるであろうからな。ここは基本的には、通う者から紹介を受けた者しか入ることはできないが、貴族という特権で無理強いをしてくる連中というのは、残念ながら少なからずいる」

 

 アドリアンはコクリと頷いた。

 確かにこの場所に、観劇の最中であろうとおしゃべりをする叔母や、平民であるゾルターンに横柄な態度をとるであろうシモン公子などはふさわしくない。

 近侍の中でも、今日はエーリクが一緒で良かった。ちょうどテリィが母親に会って、別れたのも今となれば僥倖(ぎょうこう)といえるだろう。もし、一緒だったら、おそらく大公はここにアドリアンを連れてこなかったような気がする。

 近侍の中であれば、マティアスなどは一応、大声を出したりはしないだろうが、この雰囲気に落ち着かなくて、始終アドリアンに話しかけてきそうだ。オヅマは……どうだろう? 本を読んでいる間は大人しくしていそうだけれど……。

 思わず考えこんでいると、従業員らしき男が飲み物を持って来た。独特な幾何学模様のカップに、銀色のケトルから黒い液体が注がれる。

 

「これは……?」

 

 アドリアンは見たことのないその飲み物に眉を寄せた。

 

珈琲(カフィ)だ。君は初めてかな? この数年で街の屋台などでも売られるようになったようだが……」

「申し訳ございません。存じ上げませんでした」

「謝ることではない。よければ飲んでみたまえ。あまり口に合わぬかもしれないが」

 

 言いながらランヴァルトがその液体を口に運び、おいしそうに飲むのを見て、アドリアンはカップを手に取った。立ち上る湯気とともに若干焦げたような、独特な香りがしてくるが、不快なものではない。アドリアンは覚悟を決めると、一口啜った。熱い液体と一緒に苦みが喉におちてきて、思わず顔をしかめた。

 

「ハハハッ! 君にはまだ少し早い味であったかな」

 

 ランヴァルトが楽しそうに笑う。

 そのときに気付いた。そういえば大公もまた、皇家(こうけ)の人なのであった。かのエドヴァルドの血を継ぐ人々は、揃いもそろって悪戯好きらしい。

 アドリアンは少し悔しくなって「大丈夫です」と言うと、再び飲もうとしてランヴァルトに止められた。

 

「まぁ、待ちたまえ。アドリアン。君のような者にも楽しめる飲み方というものがあるのだ。スヴェン、ミルクと蜂蜜を持ってきてくれ」

 

 スヴェンと呼ばれた鉛色の髪の男は、黙って頷くと階下へと降りていく。しばらくしてミルクと蜂蜜を持ってくると、テーブルの上に並べ、ランヴァルトの無言の指示を受けて、再び階下に去った。

 ランヴァルトは手慣れた様子で、アドリアンのカップにミルクと蜂蜜を注ぐと、ソーサーに置いてあった銀のスプーンで丁寧に掻き混ぜた。黒と白を混ぜ合わせて出来上がった薄茶色の飲み物に、アドリアンは躊躇した。

 

「毒の心配があるならば、私が先に一口いただこうか?」

「い、いえ。まさか……そんなことは考えていません」

 

 あわててカップを手に取り、おそるおそる口をつける。一口含んだ瞬間に、アドリアンは目をパチパチと瞬かせた。苦みがミルクのまろやかさと蜂蜜の甘さで中和されたのか、先程と違って断然飲みやすい。

 

「どうだ? 随分と飲みやすくなったであろう?」

「はい。とても美味しいです」

 

 アドリアンが素直に言うと、ランヴァルトは目を細めた。

 

「私はそうした飲み方はあまりせぬが、やはり子供には苦いようだな。これをはじめて見たときには、私も驚いたものだ」

「これも西方から伝わった飲み方なのですか?」

「いや……これは、昔、我が屋敷で世話していた娘が考えついたものだ。今の君と同じ……いや、君よりもハッキリとまずそうな顔をしてな。それでも私が淹れたものを飲まないのも失礼と思ったのか、どうにか美味しく飲もうと考えたのだろう」

「すごいですね。とっさにこんな組み合わせを考えるなんて」

「あぁ。そういう気働きのできる娘だった……」

 

 ランヴァルトは視線を落とし、つぶやくように言ってから、再び珈琲を口に含む。ふと訪れた沈黙を壊してはいけない気がして、アドリアンは黙ってミルク入りの珈琲を飲んだ。

 ランヴァルトは珈琲を飲み干してから、本題を切り出した。

 

「ここに君を招いたのはほかでもない。過日の君の近侍に対しての慰謝について、話し合おうと思ったのだ」

「あ……」

 

 アドリアンは皇宮(こうぐう)での一連の出来事を思い出した。

 そういえばあの時、ランヴァルトは慰謝すると言っていたのだ。但し、一昨年のように家同士の(いさか)いとならぬようにと提案され、アドリアンは受け入れた。この場合、アドリアン側から慰謝金などの請求か、不問に付す旨を伝えるべきであったのだが、例の一件でそれどころではなくなってしまい、すっかり忘れていた。

 アドリアンはしばらく逡巡したあとに、ランヴァルトに頭を下げた。

 

「なんらの連絡もせずにすみません。あのことであれば、もはや慰謝は不要です。お気持ちだけで十分にございます」

「……よいのか?」

「はい……ご迷惑をおかけしました」

「いや。君がそのように決着をつけることは予想していたが……そういえば、あの近侍はその後、特に問題はないか?」

 

 急に核心に触れられた気がして、アドリアンは胸がズキリと痛んだ。

 

「……どうかしたのか?」

 

 急に表情が固まったアドリアンに、ランヴァルトが軽く首をかしげる。アドリアンはあわてて強張った顔を隠すように目を伏せた。

 

「いえ……特に何も。問題なく……」

 

 なんとか返事をするが、既に動揺を見られてしまったあとの声は弱かった。

 クスリとランヴァルトが笑った。

 

「君は嘘がつけぬ性質だな。母上と一緒で」

「母に会ったことがおありなのですか?」

「そう多くはないが、一応、挨拶程度には」

「…………」

 

 アドリアンは黙り込んだ。

 一度も話すことのない、肖像画でしか知らぬ母。

 思い出も何もないアドリアンには、その存在をどのように扱うべきなのかわからない。それなのに以前シモンに言われたような悪口を聞くと、腹が立ってたまらなくなるのだ……。

 

「もしや、亡くなりでもしたか?」

 

 急に問われて、アドリアンはハッと我に返った。

 

「え?」

「あの近侍が、あの後、急死でもしたのかと……それで私に(しら)せるのも躊躇したのではないのか?」

「いえ、違います! そういうことじゃありません」

 

 あわてて大声で否定してから、アドリアンは息を呑む。響き渡った自分の声に身をすぼめた。

 

「……申し訳ございません」

 

 小さい声で謝るアドリアンを見て、ランヴァルトはクックッと肩を震わせた。

 

「いや。素直でよろしいことだ。まだ子供であられるのだからな」

 

 ランヴァルトは鷹揚に言って許してくれたが、アドリアンは『子供』だと言われたのが、少し悔しかった。軽く咳払いしてから、しかつめらしい顔で、一応公然となっている理由を話す。

 

「その……あの近侍は家族の具合が悪くて、しばらく休暇をとっております」

「なるほど。それでそんな暗い顔をしているのだな」

「はい?」

「殴られて腫れてはいたが、美しいルビーの髪をしていたし、背も君より低くて華奢そうであった。しばし会えぬことで、君が打ち沈んでも不思議はない」

 

 アドリアンはしばらくランヴァルトの言った意味がわからなかったが、唐突に理解すると顔を真っ赤にして否定した。

 

「ち、違います! そういうことじゃなくて」

「そう気に病むことでもない。君くらいの年であれば、未熟であるがゆえに迷いやすいものだ。近侍など、昔はそうした相手として勤める者もいたようだし」

「本当に違います。閣下のお考え違いです」

「そうなのか? それにしてはこの近侍の話になった途端、君はひどく取り乱しているようにみえるが」

「それは……」

 

 アドリアンは指摘されて、またうつむいた。

 どう言えばいいのかわからない。いまだにアドリアンはカーリンの件について、自分の気持ちを整理できていない。だが、そのことをランヴァルトに相談するのは、あまりに個人的すぎて失礼な気もする。

 黙り込んだアドリアンに、ランヴァルトは話を変えた。

 

「ところで今日は土産でも買いに来たのかね?」

「え? あ、はい。あの、今回帝都に来ることができなかった近侍が一人おりまして」

「ほぉ。彼も病気か?」

「いえ。違います。あの、実は……稀能(キノウ)を習得するためなんです」

 

 ランヴァルトの眉がピクリと上がる。「稀能を?」

 

 アドリアンはすぐにランヴァルトもまた稀能を持っていることを思い出し、先程までの重苦しい気持ちを振り払うように身を乗り出した。

 

「はい。あの、クランツ男爵の息子なのですが、男爵と同じ『澄眼(ちょうがん)』という稀能を学ぶために、その師匠のいる地へと向かったのです」

「ほぉ……それはまた、将来有望なる近侍を持たれたものだ」

 

 ランヴァルトはさすがに少し驚いたように、紫紺の目を見開いた。

 

「しかし息子とは……稀能の技は親子間で自然に伝わるものでもないのに、クランツ男爵の子息は、よほどに父上から篤く薫陶を受けていたようだな」

 

 ランヴァルトが感嘆するように言うと、アドリアンはすぐに訂正した。

 

「いえ、オヅマはクランツ男爵と血の繋がりはないんです。元々は平民だったのを、男爵が才能を認めて騎士見習いにして……そのときにオヅマの母親と妹も一緒に領主館で働くことになって、その後、オヅマの母とクランツ男爵が結婚したんです」

「あぁ。そういえば、どこぞで耳にした。クランツ男爵が新たな妻を(めと)ったと。賢夫人と評判らしいな。……ではそのオヅマというのは、(くだん)の妻の連れ子というわけか」

 

 ランヴァルトは得心してから、少し皮肉げにつぶやいた。

 

「……そういうことであれば、(ちまた)の噂のように、必ずしもクランツ男爵が奥方の美しさにうつつを抜かして……ということでもなさそうだ」

 

 アドリアンは意味深に話すランヴァルトに首をひねった。

 

「どういう意味でしょう?」

「クランツ男爵はそのオヅマとやらの才能に惚れ込んで、正式な嫡子(ちゃくし)とすべく、その母親と婚姻を結んだのでは?」

「まさか! クランツ男爵はそんなことを考えるような人じゃありません。本当に奥方を好いておいでなんです。それは僕も間近で見て知っています。立会人として結婚式にも出席しましたから」

 

 アドリアンが少々ムキになって否定すると、ランヴァルトは素直に謝った。

 

「ハハ。すまぬ。貴族の結婚というは、なにかしら相互の利益なしに成立することは少ないものだからな。少々うがった見方をしてしまったようだ。――― それで、そのオヅマという近侍の土産を買うつもりであったのか?」

「あ……そう、ですね。その土産というか……」

 

 話が戻ると、アドリアンは少し逡巡しつつ、オヅマに服を贈ることになった経緯について、簡単に説明した。すべてを聞いたランヴァルトは、心底楽しげに大笑いした。

 

「なるほど。つまり君は、修行の地でのびのびと過ごしているその近侍が羨ましくなって、少々意地悪な報復を考えているわけだな?」

 

 要約されると、自分の子供じみた考えが恥ずかしかった。アドリアンは話し終えてから、すぐに撤回した。

 

「でも、やめておきます。話してたら、自分の考えが子供っぽいものだと気付きました」

「なぜ? 構わないだろう。君はまだ子供なのだから」

「……半分大人(シャイクレード)ではありますし、来年にはアカデミーにも入ります。そうしたらあっという間に十七(*成人年齢)になりますから」

 

 精一杯背伸びしてみせるアドリアンを見て、ランヴァルトは微笑みながら、(さと)すように言った。

 

「そう生き急ぐものでもない、アドリアン。十七になる前であろうとなかろうと、いずれ、今のまま過ごすことを許されぬ時期がくる。その時には、否が応でも大人にならざるを得ないのだ……」

 

 そう言うランヴァルトは、十四歳の頃にはすでに皇家の後嗣争いに巻き込まれ、現皇帝の為に自らの兄姉を粛清している。いや、それ以外においても、皇宮の中で、早く大人にならざるを得ない環境であったのだろう。

 言葉だけではない重みを感じて、アドリアンは胸を()かれた。

 ふと皇太子であるアレクサンテリの言ったことが思い出される。

 

 

 ―――― 貴畜(キチク)……

 ―――― 最も貴くて、最も忌むべき(ケダモノ)……

 

 

 アドリアンは唇を噛みしめてうつむいた。

 そんなアドリアンを見て、ランヴァルトは軽く首を振った。

 

「すまぬ。年寄りくさいことを言ったな。忘れてくれ」

「いえ、そんなことはありません。とても有益なお言葉です」

「……そうか」

 

 ランヴァルトは静かに頷くと、残っていた珈琲を銀のケトルから自分のカップに注いだ。ぬるくなった珈琲を一口飲んでから、再び話を戻す。

 

「あぁ、そういえば……君の要望を満たしそうな店が一軒あるぞ」

「え?」

 

 アドリアンが顔を上げると、ランヴァルトは目を細めた。

 

「近侍の……オヅマと言ったか? その者に服をやるのだろう?」

「あ、はい」

「君が溜飲(りゅういん)を下げたいのであれば、場末の古着屋で役者の払い下げの服でもやればよかろうが、今回については君の度量をみせたほうが、彼には効果的であろうよ。今後のためにも」

 

 ランヴァルトの助言に、アドリアンは素直に頷いた。

 

 

 

 アドリアンにとって、ランヴァルトは非常に魅力的な人物だった。

 最初の印象は少し怖くも思ったが、会話をするほどにアドリアンはもっと彼と話したくなった。

 ランヴァルトの穏やかで悠揚(ゆうよう)とした物腰も、時折見せる悪戯(いたずら)っ子のような眼差しも、深い経験に裏打ちされた含蓄(がんちく)ある言葉も、アドリアンにはすべてが印象深く、端正な風格を感じさせた。

 だからオヅマの服を買う店を紹介してもらうために、また次に会う約束をしてもらえたとき、アドリアンは嬉しくてたまらなかった。断ることなど選択肢にもない。再び会えるその日を、それこそ指折り数えて待ったのだった。

 

 

 




次回は2024.04.28.更新予定です。
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