昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百九十話 エリュザのブティック

「おや、またお出かけですか?」

 

 背後から呼びかけられて、その聞き慣れた声にアドリアンは一瞬、ギクリと顔を強張らせた。だがすぐに笑って振り返り、なんでもないように返事する。

 

「あぁ、ベントソン卿。そう……今日こそはオヅマの服を買おうと思ってね」

「おや? 以前に買いに行かれたのでは?」

「あのときは、あまりいいのがなくて」

「迷われておられるようですな。私がご同行致しましょうか?」

「いや、いい!」

 

 思わず強く言ってから、アドリアンはあわてて取り繕った。

 

「いや……あの、卿がいたら任せてしまいそうだから。オヅマの服は、僕がちゃんと選びたいんだ……」

「ふむ……」

 

 ルーカスはジロリとアドリアンを見てから、クスリと笑った。

 

「ま、よろしいでしょう。お気を付けて」  

 

 ヒラヒラと手を振ってルーカスが去って行くと、控えていたサビエルが進み出た。

 

「すみません。以前に小公爵様がズァーデンに行っているオヅマに腹を立てて、ちょっとした嫌がらせを(くわだ)てている話を父にしてしまいまして……」

「あぁ、そのことなら別にいいんだ。でも()()()のことは、黙っていてね」

「もちろんでございます」

「エーリクもね」

 

 頭を下げるサビエルの隣にいるエーリクにも念押しすると、すぐに「御意」と返ってくる。

 頷いてから、アドリアンは玄関に待たせてある馬車に乗り込んだ。

 

 大公に会ったことは、あの日一緒にいた三人だけの秘密になっていた。それはランヴァルトからの頼みでもあり、アドリアンが望んだことでもあった。

 

 

***

 

 

 街での思わぬ邂逅(かいこう)から、次に会う約束をして別れるとき、ランヴァルトは少し思案したあとに尋ねてきた。

 

「君はまだ聞いておらぬか? 亡くなった我が妻が、君の伯母であるということを」

「えっ?」

 

 驚くアドリアンに、ランヴァルトは苦い笑みを浮かべた。

 

「やはり……教えておらぬか。まぁ、双方ともにあまり楽しい話でもない故、仕方ない。大公妃はすでに亡く、もはや昔のこと。私はそう気にしておらぬが、公爵家においてはいまだに思うところもあるのだろう。いずれ仔細(しさい)については、君が公爵位を相続する折にでも聞くであろうが……今は、私と会うことについて、あまり君の家の人間には知られぬようにしたほうがよい」

 

 アドリアンはすぐに返事できなかった。

 今の今まで、伯母という人がいることすら知らなかったのだ。家系図にも載っていなかった。ましてランヴァルトと自分が親戚関係であったことなど、だれからも聞いたことがない。あるいはこうして会うことも、本当は(はばか)られることであったのだろうか……?

 困惑して黙りこむアドリアンの肩に、ランヴァルトは静かに手を置いた。

 

「アドリアン。今日、私達は不思議な縁を持った。私は忍びで街を歩くときは、身分を持たぬ。ゆえに街中(まちなか)で貴族の知り合いを見つけても、滅多と声をかけることはせぬ」

「え? じゃあ……やはりご迷惑だったのでは」

 

 アドリアンは謝りかけたが、ランヴァルトは紫紺の目を細めて、ゆるゆると首を振った。鷹揚(おうよう)な微笑が、戸惑うアドリアンをやさしく包み込む。

 

「奇妙に思うだろうが、私は君とは虚心(きょしん)坦懐(たんかい)につき合いたいのだ。君にはその器量が十分にあると思っている」

「あ……」

 

 アドリアンは不意に胸が熱くなり、感謝の言葉が喉に詰まった。

 グレヴィリウス家の小公爵という身分であれば、皇宮(こうぐう)においても、他の貴族に比べて特別視されるのは珍しいことではない。だがランヴァルトのそれは、小公爵である自分に対してではなく、アドリアン個人への尊重であった。

 ランヴァルトは静かに続けた。

 

「大公と小公爵の間柄では、否が応でも家同士のつき合いとならざるを得ない。間を介する人間も増えて、こうして会うことも(まま)ならなくなるだろう」

「それは……僕も望みません」

 

 アドリアンはきっぱりと言って、意を決した。

 

「ご安心ください。元々、誰に言うつもりもありませんでした。お忍びでいらっしゃった方のことを、吹聴して回るような無作法は致しませんから」

 

 高貴な身の上の人がお忍びで都の街を歩くことはまれにあったが、そうしたことを触れ回ることは行儀が悪いとされる。ゆえに基本的には知らぬフリをするのが礼儀であった。(もっとも、大公を目の前にして、素知らぬフリができる人間などそうはいないが。)

 ランヴァルトはニコリと笑って、軽くアドリアンの肩を叩いた。

 

「やはり君は聡明だな、アドリアン」

 

 

***

 

 

 それから数日経った落穂(おちほ)の月五日が、再びランヴァルトと約束した日だった。

 一度、例の茶寮(ラデュ=シィーク)『七色蜥蜴(トカゲ)の巣』で落ち合ってから、ランヴァルトの案内で向かった先は、殺風景な倉庫が建ち並ぶ裏通りの人気(ひとけ)ない道だった。

 

「ここ……ですか?」

 

 思わずアドリアンが尋ねたのも無理はなかった。おそらく普通に歩いていたら、確実に通り過ぎたろう。表の高級店の倉庫が建ち並ぶその裏通りの店には看板すらなく、外観においても、周囲と同じような白の漆喰で塗り固められた倉庫の一つにしか見えなかった。

 

「まぁ、入ればわかるであろう」

 

 ランヴァルトは意味深に笑って、黒い扉を開く。

 入ってみると、外観の印象とは違い、中は広々としていた。

 くすんだ薔薇色の下地に、縞模様に小花を散らしたの壁紙と、年代物のマホガニーの調度品で統一された空間は、今風な感覚と古風なものとの取り合わせが妙にしっくりと似合って、瀟洒(しょうしゃ)な印象だった。高い吹き抜けの窓から射す光が、明るく店内を照らしている。正直、テリィに連れて行ってもらった高級店に比べると、高価そうなシャンデリアやら、某有名画家の絵画などはなかったが、よっぽど落ち着ける雰囲気だった。

 だがそんな店の内装よりも、驚くべきことが待っていた。

 

「あーらー! もういらっしゃってたのね」

 

 ハスキーな声が響いて、カツンカツンと階段を誰かが降りてくる。

 アドリアンは聞こえてきた声と、現れた人がすぐに結びつかず、一気に混乱した。そこにいるのはどう見ても女性の格好をした『男』だったからだ。

 

 くすんだ金縁の丸眼鏡。後ろで引っ詰めて丸めた柑子(こうじ)色の髪。うっすらと白粉(おしろい)()いた顔、唇には紅。体型にピタリと合わせた上着の色は店の内装と同じ、くすんだ淡い薔薇色で、下半身には薄青色のスカートがひらりと揺れる。

 それらを着ているのが華奢な男であれば、あるいは騙されたかもしれないが、どう考えても男にしかみえない厚い胸板といい、がっしりと頼りがいのありそうな腕といい、そのまま甲冑を(まと)えば騎士でも通用しそうだ……。

 

 困惑するアドリアンをよそに、ランヴァルトはその人物と気安げに話し始める。

 

「内装が少し変わったな。だが、相変わらず良い趣味だ」

「あーりがとうございます。職人に伝えておきますわ。これのために不眠不休で働いて……なーんてことはさておいて。今日はまた、ずーいぶんと可愛いお連れ様といらっしゃったこと。まさか、最近になってご子息が増えましたの?」

「そうであってくれれば嬉しいが、残念ながら違ってな。さて、アドリアン。紹介しよう。()()はエリュザリオン・カテル。このブティックの(あるじ)だ」

「ま! やだわー、閣下。そんな(いか)めしい名前で呼ぶものではございませんことよ。エリューとでも、エリュザとでも、お呼びくださいましな。小さなかわいーいお坊ちゃま」

 

 ウインクしながら親しげに呼びかけてくるエリュザに、アドリアンはどう返事すればいいのかわからなかった。

 言葉遣いは女性のそれに近く、だが見た目といい、その声といい、どこからどう見ても男なのだ。

 これまでアドリアンはこんな人間に会ったことがなかった。ただただ呆然としていると、エリュザが肩をすくめる。

 

「ま! 閣下。ワタクシのことを、事前にお話しされておりませんの? すーっかり驚いておいでのようですわよ」

「もちろん話していない」

 

 ランヴァルトはしれっと言ってから、アドリアンの肩を叩いた。

 

「さ、アドリアン。そろそろ挨拶をしようか」

「あ、は……はい。アドリアン・グレヴィリウスと申します」

 

 促されてアドリアンは素直に名乗った。エリュザはランヴァルトのことを『閣下』と呼んでいる。つまり既に大公という身分を知っているのだろう。だとすればアドリアンが隠す理由もない。

 エリュザはその名を聞いた途端に、キラキラと丸眼鏡の奥のアンバーの瞳を輝かせた。

 

「ま! でしたら、やはりあのグレヴィリウス公爵のご子息でいらっしゃるのね! とーっても似ておいでですもの、間違いないわ。ホッホッホッ! その昔は、閣下と女性人気を二分しておいででしたものねぇ。懐かしいこと。今度はシモン公子と二分するのかしら?」

「まさか……」

 

 いかにもウキウキした様子のエリュザに、ランヴァルトは吐き捨てるように言った。

 

「あのような愚鈍な息子と、比べるべくもない」

「ま! 閣下。中身はともかくとしても、シモン公子も閣下の若き頃を彷彿とさせるお姿でいらっしゃいますことよ。ワタクシがキチーンと整えて差し上げられたら、どーんなにか社交界のご令嬢方々を騒がせることか」

「フン。残念だが、あの凡愚は昨年疱瘡(ほうそう)にかかって、みっともない有様だ。そうでなくとも、教養も勇武もなき者。見る者が見れば、顔にも浅慮(せんりょ)惰弱(だじゃく)が現れておろう」

「おや、ま! ……相変わらずお厳しーい」

 

 エリュザはにこやかに相槌をうちつつも否定しない。

 アドリアンは二人の会話を聞きながら、一つ確信した。

 おそらくエリュザは貴族であろうと。その昔、社交界において、父とランヴァルトが女性からの人気が高かったことは聞いたことがある。エリュザの話しぶりからすると、実際にその場に居合わせたかのようであったし、父と会ったこともあるようだった。

 化粧をしていて判然とはしないが、おそらく年齢は四十前後と思われるので、もし社交界にも出入りしていたのならば、知っていても不思議はない。もっともそうなると、どうしてそんな人がこんなところで、こんな格好で、ブティックなんかを営んでいるのか、というのが疑問ではあるのだが……。

 ランヴァルトは黙っているアドリアンに気付くと、苦笑して言った。

 

「これは失礼。シモンのことなど……君にはあまり楽しからぬ話題であったな」

「え? ……あ、いえ。そんなことは。……特に気にしておりませんから」

「時間に限りもあることだ。早速、服を見て貰うとしよう」

 

 そう言ってランヴァルトが視線を送ると、エリュザはコクリと頷いて、アドリアンに壁際のラックにズラリとかけられてある服を示した。

 

「閣下にはオーダーメイドの一点物でお作りしておりますけど、私どもの主なお客様は中産階級の人達ですから、基本的には既製服を作っておりますの。最近は急にやってきて、すぐに欲しいと仰言(おっしゃ)る方もいらっしゃいますので。今回はお友達の服を選ばれるということで、在庫のあるものを取り揃えました。お気に召すものがあればよろしいのですけど」

 

 エリュザは遠慮した物言いをしていたが、かかっている服はどれも見事な出来栄えだった。店の内装と同じく、ここでもエリュザの趣味が現れているのか、使われている生地は、あまり貴族の衣服には使われていない柄であったり、色合いであったりしたが、決して奇抜さだけにはしることもなく、不思議に調和した上品な仕上がりになっていた。わかりやすい見た目だけでなく、生地もしっかりと丈夫そうで、縫製も丁寧だ。

 

「どうぞ。試しに着てみてくださいまし」

 

 エリュザに勧められるまま着てみると、いつも着た途端にずしりと重く感じる肩周りがすっきりと軽く、腕を回しても気にならない。

 

「とてもいいですね。動きやすい」

「ありがとうございます。それはおそらく、生地の裁断などを工夫したせいだと思いますわ。それに糸も新しい技術で()った、丈夫で柔らかなもので仕立てておりますの。貴族と違って、この階級の人々は実際に毎日、体を動かして仕事する人達が多いものですから」

「……よく考えて作られているのですね」

 

 アドリアンは見た目と違ってエリュザの真面目な仕事ぶりに感心した。本当に人というのは見た目だけで判断してはいけないものだと思う。

 その後も説明を受けながら、アドリアンは上着を中心に見ていった。とはいえ、それでも二、三十着ある中から選ぶとなると、正直どれを選べばいいのかわからない。

 ルーカスにはああ言ったものの、普段、アドリアンは自分の服など選んだことがなかった。公爵邸に来る仕立屋はアドリアンの採寸だけして、いつの間にか出来上がったものがクロゼットに収められ、それらの中から毎日サビエルが当日のスケジュールに合わせて出してきてくれる。さすがに着ることまで召使いにさせることはないが、服を選ぶということは、基本的にアドリアンの日常にはなかった。

 迷うアドリアンに、ランヴァルトが声をかける。

 

「どうした? 随分と慎重に選んでおられるな」

「あ……はい。どう選べばいいのかわからなくて」

「近侍であれば、君の選んだものにケチつけることもなかろうに。なんであれば、端から端まで全部欲しいと言っても、君は買えるであろう?」

「いえ! それは……彼もこんなにたくさんもらっても困るでしょうし」

「君が彼に服を贈る趣旨としては、困らせることであったのだから、それはそれで問題ないと思うが……ま、よろしい。まずは彼の身長や、体型などはわかるか? 大まかでよい。君と同じくらいか?」

「えっと……確か僕よりも頭半分くらいは高かったと……体型は僕とそう変わらないと思いますけど……」

 

 思い出しながらアドリアンは話していて、きっとこの数ヶ月の間にオヅマもまた大きくなっているかもしれないと思った。自分も帝都に到着したときに着ていた服が、この前着ようとしたら少し小さくなっていたくらいだ。

 

「その近侍の髪色や目の色なども参考にしたら、より選びやすいだろう」

 

 考えているアドリアンに、ランヴァルトがさらに助言してくれる。

 髪色のことを言われて、アドリアンは手っ取り早くランヴァルトにわかってもらうのにぴったりな人物のことを思い出した。

 

「あっ、そういえばシモン公子と似ているんです」

「……シモンに?」

 

 ランヴァルトはその名前だけで、眉をひそめた。

 しかしアドリアンとしては、オヅマの説明をするのには、シモン公子は格好のモデルではあった。

 

「はい。髪色はほとんど同じです。背格好とかも似ていて、だからこの前、僕の近侍も思わず声をかけてしまったみたいで……」

「ふ…ん。あやつにな……まぁ、さほど珍しい風体でもないから、そういうこともあるだろうが……」

 

 ランヴァルトはシモンの話になった途端に、少し白けた顔になった。先程来の言動からして、あまり好いてはいないようだ。ただそれも自分の息子への期待の裏返しであるような気がする……。

 また、自分と父のことを比べてしまいそうになって、アドリアンはあわててオヅマに話を戻した。

 

「あ、でも瞳の色は紫です。薄紫(ライラック)色の瞳で」

「珍しいな。生粋の帝国人に薄紫の瞳は少ないが……」

「はい。母親が元々西方の民の血を引いていて……だから肌の色も少しだけ浅黒いんです」

「……その母親というのは、前に言っていたクランツ男爵の新たな奥方のことか?」

「はい。そうです」

「…………」

 

 ランヴァルトが一瞬黙りこんだので、アドリアンは首をかしげた。しかしすぐにランヴァルトは顔を上げ、話を続ける。

 

「いや、すまぬ。しばし思い出すことがあってな。それで……その近侍は浅黒肌で、薄紫の瞳で、シモンと似ているのだな? 確か名前は……オヅマ、と呼んでいたように記憶しているが」

「はい。オヅマ・クランツと申します」

「であれば……そうだな」

 

 ランヴァルトはラックの中から、数着、()り出してくれた。アドリアンはそれでも迷ったが、最終的にはランヴァルトが特に勧めてくれた一着に決めた。

 唐草の紋様が織り込まれたやや厚手の黒の絹地に、右肩から胸にかけて、イヌバラやキク、(つた)などの植物が、金銀を含めた様々な彩りの糸で刺繍され、一つの大きな鳥の形になった、大胆な構図のものだ。

 

「この鳥は人神サザロンの化身だな。芽吹きたる命の鳥、荒廃の大地を再生せし約束の大鳥……翠耀鵬(アーデューン)と呼ばれるものだ」

翠耀鵬(アーデューン)……神殿の壁画で見たことがあるような気がします」

嘘なき民(タード=イ・ェリア)の言葉では、また別の名で呼ぶが……その近侍であれば知っておるやもな」

 

 ランヴァルトは意味深に笑って、それ以上の説明はしなかった。

 アドリアンは意味がわからなかったが、ランヴァルトがそう言うのであれば、オヅマに訊くしかない。

 いずれにしろようやく決まって、アドリアンは安堵のため息をもらした。

 

「疲れたようだな」

 

 ランヴァルトに指摘され、アドリアンはハッと姿勢をただすと、頭を下げた。

 

「すみません。結局、閣下を頼ることになってしまいました」

「気にすることはない。他人の服を選ぶなど初めての経験であったが、なかなか楽しいものだった。これで君の近侍が気に入ってくれれば、私の差し出口も、多少意味のあるものとなろうな」

「きっと気に入ると思います。こういう少し変わった、新しい感じのするものが彼は好きなんです」

 

 片身側にだけ刺繍された少々変わったデザインだけではなく、立ち襟であったり、引き締まってみえるウェストの仕立てであったり、これまでにアドリアンが着てきた上着とは、明らかに違った斬新なものだった。おそらくテリィだと形が崩れてしまうだろうが、オヅマなら着こなせるだろう。

 アドリアンの返事に、ランヴァルトは紫紺の目を細めた。

 

「そうか。ならば、いずれ帝都に来たときには、彼も連れてくるとよい。もっともこの店の亭主は気まぐれで、勤労意欲は少ないゆえ、確実に開店しているのは月に三日。五のつく日だけだ」

 

 やや批判を込めたランヴァルトの台詞に、エリュザは肩をすくめた。

 

「それ以外の日は、私の創作のための時間ですのよ。豊かな発想を得るためには、世俗の流行や美術、新たな技術、その他にも沢山のことを見聞しなければいけません。これで私も色々と忙しい身ですのー」

 

 言ってからまたウィンクをされて、アドリアンは内心困ったが、とりあえず笑っておいた。エリュザの才能には敬服するが、どうしても野太い声と、()の着ている衣装が脳内でうまく噛み合わない。

 戸惑っているアドリアンの肩をランヴァルトが軽く叩いた。

 

「そろそろ出よう。服については、裏地にクランツ男爵家の紋章を刺繍させるゆえ、後日、君の従僕にでも取りに行かせるとよい」

「はい、わかりました」

 

 アドリアンが返事すると同時に、控えていたサビエルが頷いて、エリュザに出来上がりの期日など詳しいことを尋ねる。

 

「今日はわざわざお越しいただけて、嬉しゅうございました。もしお気に召したなら、今度は小公爵様の服もお仕立てさせていただきたいものです」

 

 エリュザの流暢な言葉遣いは、やはり貴族の教育を受けた者らしい気品を匂わせる。だが本人も、おそらく気付いているランヴァルトさえも何も言わないことを、アドリアンが追求するのは(はばか)られた。

 

「はい。また、いずれの機会に」

 

 型どおりの返答をして外に出ると、そろそろ夕暮れにさしかかろうかという頃合いだった。

 北のレーゲンブルトほどでなくとも、夏は日の入りが遅いので、ついつい時を過ごしがちになる。思っていた以上に時間が経っていたことに気付くと、アドリアンは急に気分が沈んだ。

 

「どうした? アドリアン」 

「いえ……思っていたよりも時間が経つのが早くて」

「それはなによりだ。私といる時間が苦痛でなかったということだな」

「そんな訳がありません! とても……とても、非常に有意義な時間でした。その……閣下は本当に、様々なことを知っておいでで、だから……」

 

 こういう場面になると、しどろもどろになってしまう自分が、アドリアンには歯痒(はがゆ)かった。普段、大して考えることもない言葉はすらすらと出てくるのに、どうして言いたいことは出てこないのだろうか。オヅマであれば、きっと言いたいように言うだろうに。無礼であっても、心のこもった言葉であれば、きっと目の前の人は理解してやさしく受け止めてくれるに違いない。

 ランヴァルトは言葉を途切らせたアドリアンの肩を、またやさしく叩いた。

 

「君が領地に帰るのはいつ頃だ?」

「正式な日にちはまだ決まっておりませんが、おそらく来月の五日頃には」

「そうか。ではまだしばらく帝都にいるのだな。ならば、また会う機会もあろう。毎日ではないが、私はしばしば『七色蜥蜴(トカゲ)の巣』に行くゆえ、君も時間があれば来るとよい」

「えっ? 行っていいのですか?」

「もちろんだ。だからこそゾルターンにも君を紹介したのだから」

「僕は……まだ大人じゃないですよ」

 

 帝都には貴族が開くサロンがいくつかあったが、多くは子供の出入りを禁じていた。あの茶寮もそうしたサロンの一つだと思ったので、アドリアンは今日の待ち合わせでも、中に入ることは控えたのだ。

 しかしアドリアンの質問に、ランヴァルトはハハッと笑った。

 

「あれはそうした場ではない。あの場に集う者は貴賤(きせん)に関わりなく、互いを尊重しながら、己を高めようとする、強い矜持(きょうじ)をもつ者だ。子供であっても、それらが備わっておれば、問題ない。君は十分に資格がある」

 

 アドリアンはまた胸が熱くなった。

 一人の人間として認められたような、これまでの忍従(にんじゅう)の日々も無駄でなかったのだと思わせてくれるランヴァルトの言葉に、アドリアンの心は震えた。

 感動するアドリアンに、ランヴァルトはこっそりと付け加えた。

 

「大人であっても、くだらぬ威権(いけん)を振りかざす者に扉は開かぬ。ゾルターンはあれで、有能な門番でな」

 

 悪戯(いたずら)っぽく笑う顔は『大公』の威厳など微塵も感じさせない。親しげで飾り気のない、ざっくばらんとした、いわば()()()人であった。失礼なことだとは思いながらも、アドリアンはランヴァルトが垣間見せる、そんな凡人めいた部分が、とても好きだった。

 




次回は2024.05.05更新予定です。
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