昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百九十三話 皇宮の化かし合い

「明日、アドリアンがアールリンデンに戻るようです」

 

 アレクサンテリが告げても、イェドチェリカの表情が変わることはなかった。

 聞いているのか聞いていないのか、窓の外を飛んで行く水鳥の群れを眺めている。そんな姉をまじまじとアレクサンテリが見つめていると、その物言いたげな視線にイェドチェリカはぷっと吹いた。

 

「なにをそんなにしげしげと私を見ているの? なぁに? 何か言わなければいけなかったかしら? もう実織(みおり)の月に入ったのだから、帰って当然でしょう」

「そりゃそうなんですけど……ちょっと意外でした」

「なにが?」

「あと数回は呼ぶのかと思っていたんですよ。兄上が生きておられた頃には、しょっちゅう遊んでいたじゃあありませんか」

「あれは兄様(にいさま)が呼んでいたのよ。だから私も一緒にいただけ」

「じゃあ、アドリアンには興味もないんですね」

「興味?」

 

 イェドチェリカは聞き返して、クスクス笑い出した。

 

「私が彼に興味をもって、どうするの? ただの神女姫(みこひめ)でしかない私に、彼をどうこうすることなど出来るはずもない」

「でも、アドリアンは姉上のことを好いてますよ」

「えぇ、そうね」

「否定しないんですね」

「知っているもの。当然でしょう。父親に(うと)まれて、広い公爵邸でたったひとりぼっちの可哀相な小公爵様ですもの。憐れに思って優しくしていたら、なついたのよ。誰にでもそうよ。私だけじゃなく兄様にだって、なついていたし」

「……僕には一向になつかないんですけど」

 

 ぷんとむくれた顔になるアレクサンテリの額を、イェドチェリカはツンと指でつついた。

 

「それはあなたの底意地が悪いのを、アドリアンが感じ取っているのでしょうね。あの子、(さと)いから」

「聡い? 本当に聡かったら、姉上のような魔女を好きになると思えないんですけどね」

「まぁ、ひどい。神女姫をつかまえて、魔女だなんて」

「神女姫も魔女も紙一重ですよ。いや、表裏一体かな?」

「まったく、あなたはそういう口さがないところが嫌われるのよ。おしゃべりな人間は、男も女も嫌われてよ」

「どうせ僕なんて嫌われてますし、黙っていい子にしていても、ロクなことにならないのは身に沁みてわかりましたからね。言いたいことは言うことにしたんです。幸い、それが許される立場になれたので。姉上のお陰です」

 

 しゃあしゃあと言ってくる弟をジロリと見て、イェドチェリカは林檎酒の入った銀のゴブレットを手にした。ゴブレットに施された優美な桜草の浮き彫りをそっと撫でながら、不満げに言う。

 

「私に恩義を感じるなら、月に一度、刺客(しかく)を送るのをやめてもらいたいものね」

「ハハハ。やだなぁ。ちょっとした冗談みたいなものですよ」

「あら、冗談なの? 随分と面白みのない冗談ね。場末の三文芝居以下だわ」

「厳しいなぁ。僕だって子供なんですよ。アドリアンと同じ十二になったばかり」

 

 イェドチェリカは肩をすくめ、林檎酒を一口飲んだ。素っ気ない姉の態度に、アレクサンテリはふいに視線を落とすと、深刻そうな表情でつぶやいた。

 

「…………時々、訳もなく怖くなるんです。あのまま……もし、あのまま皇帝陛下(ちちうえ)の言うことに従っていたらどうなっていたんだろう……って。今も……今度は姉上に利用されているだけなんじゃないかって……」

「…………」

「だ・か・ら……」

 

 アレクサンテリは顔を上げると、じっとイェドチェリカを見つめた。いや、もうほとんど睨みつけていた。だが弟の強い視線をまともに見返しながら、イェドチェリカの表情は()いでいた。なんらの痛痒(つうよう)も感じていないかのように。

 急にアレクサンテリはニコッと破顔した。

 

()()()()()()()()の姉上を、ときどき無性に殺したくなったって、仕方ないじゃあ、ありませんかぁ~」

 

 わざとらしく甘ったれた口調で言ってくる弟に、イェドチェリカは心底あきれたため息をもらした。

 

「とんだ勘違いね、アレク。私だってすべてを知っているわけではないわ。私の口を封じたところで、何も変わりはしないわよ」

「それは僕の秘密を知る者がまだいるということですか? 誰かに教えたんですか?」

「さぁ……どうかしらね?」

 

 イェドチェリカはうっすらと微笑み、林檎酒をまた一口含んだ。

 アレクサンテリがムゥと口をとがらせる。

 

「そういう態度だから、いつまでたっても僕の心が落ち着かないんだ」

「将来皇帝になろうという人間がなにを言っているの。宮中には()()()()もわんさといるのよ。私程度で泣き言を言わないでちょうだい。せっかく()()()()()()というのに」

「せっかく助けた可愛い弟に、平穏な人生を送らせてあげようという気持ちはないんですかぁ?」

「あら、残念ね。だったらお父様にでも言って、廃太子にしてもらいなさい。ただの子供になったあなたに従う者がどれだけいるのかは知らないけれど。まぁ……もっとも」

 

 イェドチェリカは言いかけて止めると、クスリと笑って立ち上がった。

 

「皇后陛下(*アレクサンテリの実母)がそんなこと許さないわね。それこそ玉座にあなたを座らせて、金の鎖で繋いでおしまいになるわ」

「あの人が本気でしそうなことを仰言(おっしゃ)らないでくださいよ」

 

 アレクサンテリはぶるるると体を震わせて、冷めてしまったローズティーをがぶ飲みした。

 イェドチェリカは澄まし顔で林檎酒を飲み干すと、静かにテーブルにゴブレットを置いて背を向ける。衣擦(きぬず)れの音をさせて、ゆっくりと扉へ向かっていく姉に、アレクサンテリは言った。

 

「オヅマでしたっけ? 大公の隠し子は」

 

 イェドチェリカが足を止める。

 振り向くことのない顔は、どんな表情なのかも窺い知ることが出来ない。

 

「誰知ることもなかった流浪の貴公子が、今や英雄クランツ男爵の息子で、アドリアンの近侍だなんて……ずいぶんと出来過ぎた話じゃあないですか? まるで『神々の配剤した駒のごとし』だ。しかも用意周到にグレヴィリウスに間諜(かんちょう)を忍ばせておくなんて……。予知でもされましたか? 神女姫(みこひめ)らしく」

 

 アレクサンテリの皮肉に、イェドチェリカは大きく深呼吸してから振り返った。口元にうっすらと笑みが浮かんでいるが、石像の微笑にも似ていて、心中を計り知ることはできない。

 

「おかしなことを言うのね、アレク。ヤミはもうあなたにあげたでしょ? あの子にグレヴィリウスに行くように命じたのはあなたではないの」

「それはそうですけど、そうなるように姉上が仕向けたと言えなくもないでしょう? 将来的にグレヴィリウスが必要になるだろうから、情報収集はしておくように……って」

「あら? だって、その通りでしょう? 皇帝(ちちおや)には嫌われて、皇后(ははおや)のことは信じていないあなたが、後ろ盾もなく生きていけるほど、皇宮(ここ)はやさしい場所ではないわよ」

 

 忌憚(きたん)のない姉の意見に、アレクサンテリはまた肩をすくめた。

 

「それは認めますけど。でも宰相閣下はわりと中立だと思いますよ。口やかましいおじいさんではあるけど」

「そうね。確かにダーゼ公は清廉(せいれん)な方よ。でも、あの人は皇帝(おとうさま)とのつき合いが長すぎて、絆を断ち切ることは難しいでしょう。そういえば彼の娘はあなたの(きさき)候補だったわね……」

 

 白髭宰相から、彼の一人娘の美しい公女のことを思い出したらしい。イェドチェリカはふと考え込んだ。

 

「どうしました?」

 

 アレクサンテリが尋ねると、イェドチェリカはボンヤリとつぶやく。

 

「……あんな美しい娘のことを、どうして()()()()()()のかしら? ()()()()()()()()()()()()……」

 

 アレクサンテリは、いきなりどこか遠いところへと心を飛ばしている姉を見て、またかと嘆息した。

 

「なーに言ってるんですか、姉上。ヴィオラのことは前に、ご紹介したでしょう?」

 

 指摘されて、イェドチェリカはややぼんやりとアレクサンテリを見返してから、ニコリと笑った。

 

「そうね。……いずれにせよ、ヤミをグレヴィリウスに行かせて正解だったじゃないの。お陰で大公に隠し子がいることもわかったでしょ? あの子は優秀よね。ちゃあんとあなたのために働いていてくれているわ」

「まぁ……そうですけど。でもグレヴィリウス公にバレたらどうなることか……」

 

 グレヴィリウス家での情報収集活動のためにヤミ・トゥリトゥデスを潜りこませたはいいものの、優秀さが(あだ)になったのか、公爵家においても間諜のような役割を担わされている。

 だがこれは誤算だった。

 公爵直属の間諜組織にいれば、確かに重要な情報を手に入れることもできるが、厳選された情報は、その分、出処もわかりやすい。機密事項というのは、誰もが知るものではないからだ。

 

「僕としては、ヤミには目立たず長く潜り込んで、しっかり信頼してもらった上で、細々(こまごま)とした情報を教えてもらいたかったんですよ。そんなに重要な機密とかじゃない……小公爵の苦手な食べ物とか、ちょっと人に言えない癖とか。あんまり有能すぎて目立っちゃ、そのうちバレちゃいますよぅ」

 

 不満にやや不安を滲ませて、アレクサンテリがこぼす。

 イェドチェリカはフッと笑みを浮かべて断言した。

 

「公爵のことは心配しなくていいわ。あちらのお家事情に踏み込まない限り、何も言ってきやしないでしょう。どうせあの人は皇帝に骨抜きにされたも同然の隠遁者よ。愛する奥方を亡くして以降は、ただ傍観して余生を潰しているだけ」

 

 赤く紅をひいた唇から発せられる辛辣な言葉に、アレクサンテリは半ばあきれつつ首を振った。

 

「まったく怖いなぁ。なにをどこまで知っているんですか?」

「グレヴィリウス公爵と皇帝のことなら、少し調べれば推測できるわ。まぁ、()()程度に留めておかないと、しつこく追求なんかしたら、ヤーヴェ湖に浮くことになるかもしれないけれど」

「ああ……もう。本当にこの人は」

 

 ため息をついて見上げた先では、澄み渡った夜空のような瞳が、静かにアレクサンテリを見つめている。これこそがサラ=ティナの真誠の瞳なのであろうか。だが、アレクサンテリは姉の澄ました美しい顔よりも、動揺を秘めて歪む顔が見たかった。

 

「どうやらアドリアンは最近、大公とよく会っているようですよ」

「あら、それはあまりよろしくないことね」

 

 そうは言いながらも、イェドチェリカの顔は平然としていて、あまり興味はなさそうだった。姉に会った瞬間、嬉しさのあまり言葉もなくし、あわてて駆け寄ろうとして転んでしまったアドリアンの姿を思い出す。アレクサンテリは少しばかり、純情な幼馴染みが不憫になった。

 

「そういえば例の流浪の貴公子くん、ペカンパイが大好物だそうですね。ライムのケーキとやらも」

「…………」

 

 イェドチェリカの顔にかすかな緊張がさざなみだつ。日頃から何を考えているのかわからない姉の、一瞬だけ見せたその微妙な揺らぎを、アレクサンテリは見逃さなかった。ニンマリと笑みがこぼれる。

 

「優秀なヤミが教えてくれたんですよ。姉上にも報告が来てませんか?」

「アレク」

 

 イェドチェリカはゆっくりと近寄ると、アレクサンテリの頬をそっと手の甲で撫でた。ヒンヤリした感触に、アレクサンテリの全身が一瞬ゾワリと総毛立つ。

 瞬きもできずにいる弟をじっと見下ろして、イェドチェリカは気怠(けだる)げに言った。

 

「過ぎた好奇心は身を滅ぼすと、老人は言うでしょう? 私はね、案外とあなたのこと、買っているのよ。()()()()()()()()、あなたがお利口さんで良かったと思っているの。だから失望させないで頂戴ね。あなたを選んだ私を」

 

 そのままアレクサンテリの返事を聞くことなく、イェドチェリカは部屋を出て行く。静かな脅迫に粟立った腕をこすりながら、アレクサンテリは暗がりに潜んでいた男に呼びかけた。

 

「ゼビ。また、刺客送っておいてくれる? 無駄になるだろうけど」

 

 部屋の一隅に控える影が小さく「御意」と答える。

 アレクサンテリは立ち上がると、うーんと伸びをしてから歩き出した。

 

「さて、と。ぜんぜん相手にもされてない、哀れな小公爵様に会いに行こうか。少しばかり釘を刺しておかないと」

 




いつも読んでいただき、ありがとうございます。
申し訳ないのですが、次週はお休みさせていただきます。
次回は2024.05.26.更新予定です。
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