昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百九十七話 キャレ騒動の落着と皇家の狗

其方(そなた)にしては、粗いやりようであったな」

 

 そろそろ皆の寝静まる時間に、ルーカスは公爵・エリアスの執務室に呼び出された。挨拶の間もなく切り出されて、ルーカスは苦笑した。

 

「少々、稚拙な手を使ってしまいました。まさか閣下がおいでになると思わず……ご足労をおかけして申し訳ございません」

「……それで、目的は果たしたのか?」

「そうですね……」

 

 単刀直入なエリアスの質問に、ルーカスはしばらく考えた。

 あのとき、牢屋の隅で行われたルーカスとセバスティアンの密談は、いなくなったキャレ・オルグレンに関することだった。

 

***

 

「実はオルグレン男爵にはまだご存じなかろうと思いますが、キャレは母親と一緒に逐電したのです」

「なんと! いつ?」

「さて……何時(いつ)というのも難しいことです。我らも当初はキャレが、姉の容態が悪いと母親から知らせを受けて、ファルミナに一時的に帰ったものと思っていたのですが、なかなか帰ってこず……。そろそろ帝都を出発しようかという頃合いで、意外な人物が訪問してきましてね」

「意外な人物?」

「キャレの姉君であられるカーリン嬢です」

「カーリン……? あぁ、そういえばそんな者もおりましたな」

 

 仮にも自分の娘だというのに、セバスティアンは下女が産んだ娘にまったく興味がなかったらしい。

 ルーカスは内心呆れながらも、話を続けた。

 

「なんでもカーリン嬢が言うには、母親はキャレの不在をひどく悲しがって、姉が病気と嘘をついて呼び戻したというのです。どうやら母親は、大事な息子がいなくなったことで、すっかり心を病んでいたようです……」

 

 戻ってきたキャレは、心身ともに衰弱した母親を見て、もはや帝都に戻ることはできないと判断したらしい。といってこのままファルミナに(とど)まっていることもできず、仕方なく母と姉を連れて、三人でファルミナの館を飛び出した……。

 

 ルーカスはそこでチラリとセオドアの方を見た。

 

「この点については、少々不思議に思いましたよ。なぜ、キャレはあなたや、兄であるセオドア公子に頼らなかったのか、と。相談すれば医者にかかるなり、なんらかの方法はあったろうに。しかし(キャレ)の出自については、いろいろとそちらには思うところがおありなのでしょうから、私が好き勝手に憶測して話すことは控えます」

 

 ルーカスの婉曲な嫌味に、セバスティアンは鼻白んだ。

 

「その後、親子三人、旅を続ける途中で山賊の襲撃に遭って、そのときにカーリン嬢は母と弟とはぐれてしまったようです。彼女は色々考えた末に、私共のところに来ました。なかなかしっかりした御方ですね、カーリン嬢は。弟の非礼をそのままにしておくのは、父である貴方にも迷惑がかかると思ったようです」

「ふん。それはそうでしょうな。我が娘のことですから」

 

 セバスティアンは誇らしげに少し胸を反らせた。

 さっきまでその娘の存在すら忘れ去っていた父親とは思えぬ態度に、ルーカスは冷ややかな視線を送りつつも、話を続ける。

 

「しかしさすがに一人での旅が(こた)えたようで、カーリン嬢には今、休養して頂いております。そこで提案……いや、お願いがございましてね」

「お願い?」

「カーリン嬢を、サラ=クリスティア嬢の侍女とすることをお許しいただきたい」

「カーリンを?」

「えぇ。先程もあったように、ペトラ・アベニウス亡き後、公爵閣下の血を継ぐ娘が遺されました。まだ公爵閣下におかれては、はっきりとは決めておられませんが、近く引き取って公女とされるおつもりです。そうなれば侍女は必要。カーリン嬢のようなしっかりした人物がそばにおれば、公女となったばかりのサラ=クリスティア嬢……いや、サラ=クリスティア様も安心できますでしょう」

「それは……ありがたいことです。が……」

 

 セバスティアンは、突然のルーカスの申し出に戸惑った。

 普通に考えれば、公女の侍女に自分の娘がつくことは名誉である。だが、相手はあの罪人の娘だ。縁を繋げて問題ないだろうか……?

 さっきから続けざまに身に覚えのないことばかりが降りかかってきて、セバスティアンはすっかり混乱していた。普段からアルコールの抜けきっていない頭では、とても処理できない。

 

 ルーカスは動きの止まったセバスティアンに、もはや隠すこともなくため息をついた。

 どうもまだ、この状況が理解できていないらしい。

 

「よろしいですかな、男爵。今、あなた方には二つ問題が生じているのです。今回のキャレの無責任な失踪と、サルシムの横領に加担した疑い。しかし()()()()()()()()()()()()()、これらの件について、不問に付すことも考えましょうと言っているのです」

「そ、それは、それならば喜んで!」

 

 セバスティアンはすぐさま了承した。

 顔も覚えていない娘を一人、公女の侍女として差し出す代わりに、この不祥事をもみ消せるというならば、まったく安い話だ。

 

「娘にとっても公女様の侍女となるなど、大出世でありますれば、名誉なことです」

 

 先程までの緊張から脱して、セバスティアンはホクホクと安堵の笑みを浮かべる。

 ルーカスもニコリと微笑んでから、釘を刺した。

 

「それは有難い。であれば今後は()()()()()()()()()、互いに詮索はせぬものといたしましょう。もし、あなたの家中(かちゅう)の者から蒸し返すようなことあらば、今回のサルシム行政官の横領事件でのあなた方の疑惑について……そう、先程セオドア公子もおっしゃっておられた、ファルミナの土地移譲の件などについても、詳しく聞くことになりますでしょうな」

 

 セバスティアンの顔はみるみるうちに笑みが凍り付き、呆然となり、次には息子が口を滑らせたことを思い出して、再び怒りが露わとなった。

 わなわなと震えるセバスティアンに、ルーカスはこれでもかと念を押す。

 

「一応、申し上げておきますが。この件については、ハヴェル公子は関わらぬと先程仰言(おっしゃ)いましたから……セオドア公子にも、()()()お含み置きくださいますよう……お願いしますよ、男爵」

 

***

 

 しばしの反芻の後、ルーカスはニヤリと笑った。

 

「今頃、オルグレン家では父親と長男が喧嘩しているかもしれませんが」

 

 エリアスはまじまじとルーカスを見たあとに、葉巻箱(ヒュミドール)から葉巻を取り出した。カチリと葉先を切りながら、つぶやく。

 

「『真の騎士』の逆鱗に触れたようだな。ファルミナの小僧ごときに、随分と念の入ったことだ」

小賢(こざか)しいことをしてくるので、少し灸を据えてやりたくなりましてね。アルビンについては、最近振る舞いがますます横柄になってきておりましたので、一度、正気に戻してやるのもよいかと思いまして」

「ハヴェルもお前の思惑に気付いたのであろう。今回ばかりは、セオドア公子が泣きついても、助けはなかろうな」

 

 あのときのハヴェルの言葉を思い出しながら、ルーカスは無言で頷く。

 

 

 ―――― オルグレン家については、今後、何かあったとしても、申し上げることは控えましょう……

 

 

 つまり今回の件での幕引きの代償として、セオドアの企みについては、ハヴェルが手を貸すことはないということだ。

 セオドアとしては(カーリン)(キャレ)と偽って小公爵の元に送り込み、不愉快な風聞を流して小公爵の権威を落とすと同時に、父の監督責任を問うて排除するつもりでいたのだろうが、ハヴェルはこれに加担しないと明言した。

 これ以上、セオドアの小賢しい計略に乗ったところで、得るものが少ない上、下手をすればアルビン・シャノルが公女誘拐とサルシム横領について疑惑をかけられる。

 人が物事の優先順位を決めるために天秤にかけるのはよくあることだが、問題はどちらが軽重かということよりも、何を天秤に乗せるかなのだ。多くはそれを見誤って失敗する。

 

「ま、セオドア公子は父親と違って、多少は頭も回るようですから……ハヴェル公子の言葉で十分に理解できたでしょう。オルグレン男爵にはわかりやすく説明しておきましたから、キャレの姉弟については、これで何を言ってくることもなかろうかと」

「相変わらず……腹の探り合いが好きだな。お前は」

「まさか。この程度のこと、閣下には及びもつきません。皇府(こうふ)の狸どもやら、皇家(こうけ)のやんごとなき方々の相手するなど、到底……」

 

 わざとらしく身震いしてみせるルーカスに、公爵はやや苦さを含んだ笑みを浮かべた。葉巻に火を点けると、一口味わってから、再び冷たい表情に戻って問いかける。

 

此度(こたび)、ヤミ・トゥリトゥデス卿を使ったようだが…………彼は役に立ったか?」

 

 ルーカスはその質問に首をかしげた。

 普段、エリアスが一騎士のことについて関心を寄せることはほぼない。

 ヤミは公爵直属の諜報組織『鹿の影』の一員ではあるが、彼らの存在については基本的に秘されており、それはルーカスに対しても例外ではない。にも関わらず、あえてヤミのことを聞いてきたことに、ルーカスは少々驚いていた。

 

「はい。トゥリトゥデス卿はよく働いてくれましたが……どうされました? なにか、彼のことで気になることでも?」

 

 エリアスはしばし無言で葉巻を吸ったあと、白い息を吐ききってから告げた。

 

「ヤミ・トゥリトゥデスは皇家(こうけ)(いぬ)であろう」

「え?」

「おそらく、だがな」

 

 平然と間諜が紛れ込んでいることを告げるエリアスの顔は虚無に近い。さほどの関心もないようであった。

 一方、ルーカスは驚きを抑えるように少しだけ息をのんでから尋ねた。

 

「失礼ながら……なぜ、そうした結論に至ったかをお訊きしても?」

「違和感」

 

 エリアスはズバリと答えてから、また一口葉巻を吸い、白い息を吐き出しながら続けた。

 

「お前も感じたのであろう? あのような美麗な姿に相反して、存在感が薄い。よほど注意深く見るようにしておかねば、すぐに忘れてしまうかのような……際立っていながら、影もたぬ幽霊のような質」

 

 ルーカスは頷いた。

 エリアスの言う通りだった。その特異な性質であればこそ、ヤミが公爵直属の諜報組織『鹿の影』の一員だろうと推測したのだ。

 エリアスがヤミを『皇家の狗』であると推定した理由はそれだけでなかった。

 

「偶然、古い書き付けを見つけてな。ベルンハルド公の頃のものだ……」

 

 エリアスの曾祖父であるベルンハルドが帝国内において『影の皇帝』として威勢を振るっていた頃、公爵邸には多くの間者が送り込まれた。もちろん見つかった場合、殺されたのだが、その中の一人について、誰かの書いた覚書があったらしい。

 

「今は皇家における裏の任務は、ほとんどがシューホーヤの戦士たちが担っているが、彼らが主流となる前には、見目麗しい間諜がしばしば暗躍したらしい。もっとも、私もそのことを思い出したのは、その書き付けを見つけたときだ」

「何と書かれてあったのですか?」

「『皇家の狗』の特徴だ。容姿端麗、光撒くような銀髪、蒼氷色(フロスティブルー)の瞳、やや尖り気味の耳の形、首の後ろに火炎様の(いれずみ)。女を使って確かめさせたが、まったく同じだ。同一人物ではないかと思えるほどにな」

「それは奇妙なことですな。ベルンハルド公の頃であれば、五十年以上も前の話。子孫でありましょうか?」

「さぁ……。いずれにせよ確証もないことゆえ、身近に置いて様子を見ていたのだ」

「左様でございましたか……」

 

 ルーカスがやや呆然と、つぶやくように返事すると、エリアスは皮肉げに頬を歪めた。

 

「残念であろうが、ヤミを小公爵の()とするは、保留とした方がよかろうな」

「……ご存じでありましたか」

「『鹿の影』は鹿()にだけつくのだ。()鹿()にはつかぬ。それが彼らの矜持だからな。お前が色々と画策して動くは自由だが、彼らは継嗣争いに関わらぬ。公爵となった者の前にだけ、姿を見せる」

「なるほど……ヤミは色々と特殊であったわけですね」

 

 エリアスは頷いてから、話を元に戻した。

 

「ヤミが『皇家の狗』である可能性は高いが、奴を飼っているのは皇帝ではないようだ」

「そうお思いになられる理由をお聞かせ願えますか?」

「この数ヶ月間、帝都にいる間に何か言ってくるかと思ったが、皇帝も彼の周囲の者も、特におかしな動きはない」

 

 ヤミにはミーナの過去について探らせているので、当然、オヅマが大公の隠し子であることも知っている。彼の()()()が皇帝であるならば、この件について何かしら探りをいれてきそうなものであった。

 

「ダーゼ公も常と変わらぬしな」

「なるほど。確かにダーゼ公であれば、知りながら無視することはできそうもない」

 

 清廉にして、やや直情傾向のある宰相公ダーゼならば、態度にも表れやすいだろうと、ルーカスは思ったが、エリアスは首を振った。

 

「あの方も、嘘をつくと決めれば、まことご自分を騙すほどに見事に嘘をつき通す方だからな。むしろそうなれば皇帝などよりも厄介ではあるのだが……おそらくご存じではないのだろう。例の新たな街道の件で数度会ったが、大公のことなどまったく()()()もしなかった」

 

 ここでルーカスは、エリアスがわざわざヤミについて尋ねてきた意図を悟った。

 

「わかりました。私の方でもヤミを見ておくこととしましょう。飼い主が誰であれ、用心に越したことはない」

「話が早いな」

 

 物分かりのいい腹心に、エリアスは笑みを浮かべて葉巻を()んだ。

 ヤミが二重スパイであると推測しつつも、エリアスは彼のことだけに時間をとられるわけにはいかなかった。

 公爵の職務は広範で膨大なのだ。職務権能がそれぞれの大臣に割り当てられている皇帝よりも、直接に裁決せねばならない案件が多く、多岐にわたるため、それぞれの事案についての勉強なども必要で、時間はいくらあっても足りない。

 そろそろ持て余してきた頃合いに、都合よくルーカスがヤミを『鹿の影』の一員と知って近付いてきた。ルーカスがヤミと接触をはかろうとするならば、いっそすべてを伝えて、彼にヤミの動向を監視してもらったほうがよい。ヤミはルーカスが近付いてきた目的を、小公爵(アドリアン)側に引き入れる為と考えている。多少、しつこく話しかけても、疑義を生じることはないだろう。

 

 エリアスは深く息をつきながら背もたれに寄りかかった。話が終了したという合図であったが、ルーカスは立ったままであった。

 

「なんだ?」

 

 エリアスが鬱陶しそうな眼差しを向けると、ルーカスは気まずそうに話を切り出した。

 

「その……ペトラの娘であるサラ=クリスティア嬢のことですが」

「……あぁ」

 

 ペトラという名を聞くなり、エリアスの眉間に皺が寄る。

 

「娘がどうした?」

「今はレーゲンブルトにおりますので、ヴァルナルの帰参次第、こちらに連れて来てもらう予定です。つきましては、正式に公女として認知していただく必要があろうかと」

「…………」

 

 エリアスは視線を落とした。

 

 ペトラの産んだ子を見たのは一度だけだった。

 小さなベッドの中で、足をバタバタと動かす姿は、アドリアンの同じ頃と比べると活発であった。エリアスがじっと見つめると、ピタリと動きを止め、鳶色(とびいろ)の瞳でじっと見返してきた。怖がりもせずにまじまじと見つめてから、やにわにあー、あーと奇声を上げて手を伸ばしてくる。

 エリアスはハッと我に返った。

 赤ん坊の瞳に吸い込まれて、自分が思いもよらぬ行動をとりそうになっていたことに愕然とすると同時に、どこにぶつければいいのかわからぬ怒りが湧いた。すぐさま踵を返して、赤ん坊に背を向けて以降、一度も会ったことはない。

 

「……母親についてはどうするのだ?」

 

 公女として認知するのであれば、皇府(こうふ)に届けを出す必要がある。その際、母親についても申告せねばならない。

 エリアスは自分と並べて、あの女の名前が併記(へいき)されるのかと思うと、腹立たしかった。だが、有能な腹心はエリアスの心中を既にくみ取ってくれている。

 

「名は残さず、第二夫人としてのみ記載します」

「……よかろう」

「では」

 

 短く辞去を告げて出て行こうとするルーカスに、エリアスは声をかけた。

 

「その娘、今はレーゲンブルトにいると言ったか?」

「はい? そうですが」

「ならばこちらに送るにあたって、ヴァルナルと共に男爵夫人にも来るよう伝えよ。不測のこととはいえ、我が娘が面倒をかけたのならば、礼をせねばならぬであろう」

「……承知しました。クランツ男爵に申し伝えます」

 

 ルーカスは承りながらも、内心首をかしげた。

 一体、どういう意図で、わざわざ男爵夫人を呼びつけるのだろうか?

 




引き続き更新します。
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