昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百九十九話 サラ=クリスティア公女

「珍しいね、母さんが寝坊とか」

 

 オヅマは自分の斜め向かいの空席を見ながら言った。

 普段であれば誰よりも早く来て、使用人らに朝食の細かな指示を出して、特にオリヴェルの食べるものに関しては、料理人のソニヤと食材を見つつ確認までするのに、今日は起きてきてもいないらしい。

 

「どうしたんだろ? 病気かな?」

 

 オリヴェルが落ち着かない様子で、食堂のドアを見遣る。

 するとバタンと勢いよく開いて、足取りも軽く現れたのはハンネ・ベントソンだった。

 

「おはようございます、皆様! あら、やっぱりミーナ様はいらっしゃらないようね」

「やっぱり?」

 

 オヅマが聞き返すと、ハンネはニンマリ笑った。

 

「昨晩遅くに領主様がお帰りになったのでしょ? そりゃ、朝寝したくもなるわよね」

「領主様が帰ってきた? 嘘だ。そんな訳ないだろ」

「あら、どうしてそう思うの?」

「だって、今日の朝駆けにいなかったぞ。もし、帰ってきてるなら、領主様が来ないはずがない」

「アハハハ! そりゃ、領主様だって深夜に馬を駆けて帰ってきたんだから、今日ぐらいはゆっくり寝るでしょうよ」

「だったら、私が起こしてくる!」

 

 マリーが椅子からぴょんと降りると、ハンネはあわてて止めた。

 

「ああぁ~。待って待って、マリー。ホラ、領主様も疲れてるから寝ているんだし、寝かせておいてあげないと、お可哀想よ~」

 

 まるで通せんぼするかのように扉の前に立つハンネに、オヅマは首をかしげた。

 

「なんでそんなに必死になって止めようとするんだよ?」

「えっ? そ、そんなことないわよぉ」

「…………なんかニヤけてるし」

「まあっ、失礼ね! そんなやらしいこと考えたりしてないわよ、私」

「はぁ? 誰もそんなこと言ってないけど?」

「あぁ~もう! ともかく食べるわよ。せっかくのスープが冷めてしまうわ」

 

 ハンネは怒ったように会話を断ち切ると、自分の席に座り、黙々と食べ始めた。

 オヅマは釈然としないながらも、あんまり深く考えないことにした。それが自分にとっても平穏であるような気がして。

 だが、オリヴェルはまだ心配そうに振り返って、扉を見ている。

 

「オリー、そんなに心配しなくっても、大丈夫だろ。領主様が帰ってきたんだったら、母さんがもし無理してりゃ、それこそ無理矢理にでも寝かせてビョルネ医師(せんせい)に診てもらうさ」

「う……ん。そうだね」

 

 オリヴェルは納得していない様子であったが、とりあえず頷いて食べ始めた。

 マリーもやや残念そうにしつつ再び椅子に座って食べ始める。

 そろそろ食事が終わろうかという頃合いで食堂の扉が開き、ヴァルナルとミーナが揃って現れた。

 

「お父さん!」

 

 マリーが思わず立ち上がり、ヴァルナルに駆け寄る。

 ヴァルナルはすぐさま相好(そうごう)を崩して、マリーを抱き上げた。

 

「あぁ、マリー! なんて大きくなったんだ。相変わらず元気そうで嬉しいよ」

「うん! 好き嫌いせずに食べてるし、乗馬もちょっとしてるのよ」

「本当か? それはすごいな!」

「お馬さんのお世話もしようと思ったんだけど、それは駄目だって言われちゃった。お嬢様はそういうことしちゃ駄目なんだって」

「そうだなぁ。……まぁ、餌をやるくらいならさせてやろう」

「本当!? ありがとう、お父さん。大好き!」

 

 マリーは屈託なく言って、ギュッとヴァルナルの首に抱きつく。

 極めて仲睦まじい、もはや本当の親子でしかないその光景を見て、オヅマはややたじろいだ。どういう顔をしていいものか困っていると、ふとヴァルナルと目が合う。

 オヅマはすぐさまビシリと背を伸ばして騎士礼を行った。軽く辞儀をして顔を上げると、真っ直ぐにヴァルナルを見つめる。

 

「お久しぶりです、ヴァルナル様」

「…………あぁ」

 

 ヴァルナルはマリーと打って変わって、いまだ他人行儀なオヅマに少しだけ寂しそうに返事してから、ニコリと微笑んだ。

 

「お前も……大きくなったな、オヅマ」

 

 ゆっくりとマリーを降ろすと、立ち上がった面々に座るように促し、自らも領主の席についた。

 

「さて。知らぬ間に多くの客人を迎えていたようだ。まずは初めましてと言っておこう、カーリン・オルグレン嬢。健やかになられたようでよかった」

 

 ヴァルナルはカーリンを見てホッとしたように笑ってから、少しだけ強い口調で言い足した。

 

「……今後はあるべき(かたち)によって、公爵家への礼を尽くされることを願っている」

 

 カーリンはヴァルナルの遠回しの叱責に身をすぼめたが、その隣に座っていたハンネがすかさず解釈を付け加えた。

 

「つまり、公爵家としてはカーリンの無作法を許したということですわね?」

「あぁ。ベントソン卿がよろしきに取り計らってくださった」

「お兄様が? また、どうせ悪辣(あくらつ)なことをなさったのでしょう?」

 

 冗談めかしてハンネが言うと、ヴァルナルは苦笑してから、ティアへと目を向けた。

 正直、ミーナからの話を聞いても、ヴァルナルはペトラへの嫌悪からティアを厳しく見てしまいそうだった。だから食堂に入ってからも、その目立つ鴇色(ときいろ)の髪に気づきながら、あえて視界の端の方へと追いやっていた。

 だが今、初めてまともに見て、そこに座る鴇色の髪をゆるく三つ編みに結った少女に、ヴァルナルは絶句した。

 幼き頃のリーディエ公爵夫人を思わせるがごとき姿ではないか……。

 

 ティアはヴァルナルと目が合うと、すぐさま立ち上がって、ミーナから教えてもらったばかりの礼をした。

 右手でスカートを軽くつまみ、左手はそっと胸に添え、頭は下げずに、目を伏せて腰をやや落とし(かが)める。貴族子女が行う目上に対しての辞儀だ。

 ぎこちない所作ではあったが、懸命にできる限り礼を尽くしている姿に、ヴァルナルは好感を持った。

 

「サラ=クリスティア・アベニウスと申します。あの……ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」

 

 それまでに、いずれ領主であるヴァルナルが帰ってきたときの挨拶を考えて、ミーナにも相談し、毎日練習していたティアであったが、いざその時になると、頭が真っ白になってしまった。ともかくも迷惑をかけているのだということだけは自覚していたので、そのことだけでも謝りたかった。

 

「迷惑なんてしてないわ。私、ティアとカーリンが来てくれて、とっても楽しいもの。私たち、お友達になったのよ、お父さん」

 

 マリーが緊張しているティアを庇うように言うと、ヴァルナルはニコリと笑った。軽く手を上げてティアに着席を促し、(ほが)らかに話しかける。

 

「そうか。マリーも新しい友達ができて良かった。ここで楽しく過ごせているならば、何よりです、サラ=クリスティア様」

「い、いえ。私のほうこそマリーにはとても……あの、助けられています。いつも色々なことを教えてもらってて」

「それは私もよ! お父さん、ティアはね、とっても刺繍が上手なの! お母さんよりも上手なくらいなんだから」

「ほぉ……それは相当だな」

 

 ヴァルナルは心底驚きつつも、さりげなくミーナへの賛辞を怠らない。

 かすかに頬を赤らめる母と、その母に微笑みかけるヴァルナルを見て、オヅマはやや白けた顔になった。

 

「このたびは母君を亡くされて、色々と難儀なことでした。公爵閣下もお聞き及びになられ、心配しておいでです。ついてはあなたの処遇について、お知らせしておくことがございます」 

 

 ティアは急に畏まった様子のヴァルナルに、少し怪訝な目を向ける。身を固くして、ギュッと膝の上の手を握りしめた。

 

「公爵閣下より、ご沙汰がございました。今後、あなたの名はサラ=クリスティア・アベニウスではなく、サラ=クリスティア・エンデン・グレヴィリウスとなります」

 

 明るい口調でヴァルナルが告げると、ティアはしばし(ぼう)っとなった。

 何を言われたのか、すぐに理解できない……。

 

 ティアの戸惑いを知らず、ヴァルナルはにこやかに続ける。

 

「これであなたはグレヴィリウス公爵家の公女となられたのです。正式に公爵閣下の娘として認知されました。おめでとうございます」

「…………」

 

 ティアは何も言えず固まった。

 母が生きていた頃、何度となく公爵家にティアを公爵の娘として認知し、公女として迎え入れるように頼んでいたときには無視していたのに、どうして母が亡くなった今になって、公女にするのだろうか?

 

 固く顔を強張らせてうつむくティアとヴァルナルを見比べて、マリーが問うた。

 

「それって、いいことなの? お父さん」

「そりゃあ、公爵閣下が認めて下さったのだから、喜ぶべきだろう」

「でも……」

 

 マリーが抗議しようとするのを、ミーナがやんわりと遮った。

 

「公爵様がサラ=クリスティア様のことを、きちんとお考えになられていることがわかって、よろしゅうございました。公女様、公爵様はあなたにお会いになられるそうでございますよ」

「えっ?」

 

 ティアが(はじ)かれたように顔を上げると、ヴァルナルがミーナのあとを引き取るように話した。

 

「あぁ。ついては公女様の侍女として、カーリン嬢にもついてきてもらう」

「わっ、わたしが侍女?」

 

 カーリンもびっくりして思わず声が大きくなる。

 はっとすぐに自分の無作法に気付いて口を押さえてから、おずおずとヴァルナルに尋ねた。

 

「そ、そのこと……兄は……オルグレン家は承知しているのでしょうか? また私が勝手なことをしたと怒っているんじゃ」

 

 このレーゲンブルトでのんびりと過ごしている間も、カーリンは兄のことを思い出すとそれだけで胃が痛んだ。いずれそのうち自分の処遇が決まったとき、また会うことになるのだろうとは思っていたが、いざその時が目の前に迫ってくると、ブルブルと手が震え始める。

 

 そんなカーリンを安心させるように、ヴァルナルは朗らかに言った。

 

「大丈夫だ、カーリン嬢。この事については、オルグレン男爵も了承している。むしろ、あなたが上手に立ち回ってくれたと、感謝していることだろう」

「え? 私が?」

 

 カーリンは訳が分からなかった。

 自分はただ、ルーカス・ベントソンの指示でレーゲンブルトに身を隠していただけで、上手く立ち回るどころか、迷惑ばかりかけている。

 

 ヴァルナルの説明に、オヅマは胡散臭げに眉を寄せて言った。

 

「なーんか、うまいこと出来過ぎてるよなぁ。ティアが公女になって、その侍女をカーリンにするってさ。ルーカスのオッサン、最初から企んでたんじゃねぇの?」

 

 公爵閣下の側近に対して「オッサン」呼ばわりする息子に、ミーナは厳しい目を向ける。

 注意しようとしたところで、ハンネがブッと吹いた。

 

「あら、失礼。いえ、オヅマ公子があまりにも的確に、兄の性格についてご存知でいらっしゃるので……」

「ホラ、妹公認」

「オヅマ!」

 

 ミーナが厳しくたしなめると、ヴァルナルはハハハと鷹揚に笑った。

 

「まぁ、さすがに最初からは無理だろうな。カーリン嬢を帝都から送り出したときには、まだお前とサラ=クリスティア様が知己(ちき)となっていることなど、知りようもなかったのだから」

「それでも俺がここにティアを連れてくることを知って、利用したんでしょう? あのオッ……ベントソン卿は」

 

 途中で言い直したのは、母の強い視線を感じたからだ。

 

「まぁ、そのあたりについては、ルーカスに直接聞いてみるといい。素直に教えてくれるかどうかは……お前次第だろうがな」

 

 ヴァルナルはにこやかに言いながらも、さりげなくオヅマの疑問を封じた。

 今、この場で当事者を目の前にして話すことではない、と。

 

 久しぶりに、ヴァルナルの領主として、騎士団長としての威容を感じて、オヅマは黙りこくった。

 ここのところ家族として接してくるヴァルナルに、知らず知らず気持ちが緩んでいたのかもしれない。そもそも自分はヴァルナルに対し、騎士として接するのだと決めていたはずなのに。

 

 その後、ヴァルナルは三日後にアールリンデンに向けて旅立つことを告げた。

 当然、ティアとカーリン、オヅマもレーゲンブルトを去ることになる。

 

 マリーは文句は言わなかったが、友達との急なお別れに大泣きした。

 これにはヴァルナルも閉口したが、なかなか泣き止まないマリーを慰めるために、ハンネが残ることを申し出た。

 ミーナは恐縮したが、ハンネは肩をすくめて言った。

 

「いいんです。アールリンデンにいたって、五日に一度は姉さん達が、やれどこぞの子息だとかって釣書持ってやって来るんですから。あんなの相手にしてるくらいなら、マリーと楽しく歌ってたほうが、ずっと精神衛生上いいですわ。あ、これ最近ビョルネ医師(せんせい)に教えてもらいましたのよ。『精神衛生上』って、なかなか便利な言葉だと思いませんこと?」

 

 ミーナはハンネのおしゃべりの裏にある優しい心遣いに感謝した。

 

 

 

 こうして三日後、ヴァルナルとミーナに連れられて、ティアはアールリンデンの公爵本邸に向かった。

 

 公女の侍女として、カーリンも質素ながら淡い緑のドレスを着て、ティアの傍らに寄り添い、オヅマはカイルに乗って一応警護の騎士の列に加わった。

 

 旅慣れない女たちがいることを考慮して、ヴァルナルはいつもよりも休憩を多くとり、六日かけてアールリンデンに辿り着いた一行を迎えたのは、首を長くしてオヅマの帰還を待っていたアドリアンだった。

 

 




次回は2024.06.23.更新予定です。
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