昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百八話 「本日は終了です」

 ヴァルナルはサビエルを伴って北の塔に出向くと、牢屋の中にいたアドリアンに呼びかけた。

 

「そろそろ出ていただいてもよろしいですかな?」

 

 いつもと変わらぬ(ほが)らかな声に、アドリアンはホッとして笑う。

 

「やぁ、男爵。今、みんなで今日の夜更かし計画を話し合っていたんだ」

「夜更かし計画?」

「テリィもこんなベッドもない場所で眠れないっていうし、毛布も少ないからね、どうせなら、皆で夜更かしして遊んで過ごそうかと思って」

「ほぅ、それは楽しそうだ」

 

 ヴァルナルは意外に元気な様子のアドリアンに安堵した。

 食堂を出るときには、それこそそのまま公爵邸を去って二度と帰らぬと決めたかのような悲壮感であったが、こうして近侍らと一緒に夜を楽しく過ごそうなどと考えるあたり、したたかなものだ。あまり悲観し過ぎないところは、亡き公爵夫人(リーディエ)を思い起こさせる……。

 

「楽しき計画を練られているところを申し訳ございませんが、今宵は、それぞれ自室に戻って寝よとのことです」

 

 言いながらヴァルナルが看守に目配せする。

 看守は生あくびを殺しながら、またガチャガチャと鍵を開けた。

 

「あぁ~、良かったぁ」

 

 いの一番に走って出たのはテリィだった。

 正直なところ、マティアスらに流されるように来たものの、初冬の夜にこんな牢屋で過ごすのは真っ平御免であった。

 

「まったく小公爵様よりも先に出るとは……」

 

 マティアスが牢の中からジロリとテリィを睨みつける。

 しかし自分もアドリアンに促されて、仕方なく先に出ると、ようやく肩の荷が下りてホゥとため息をついた。

 エーリクは頑として先に出ることを断ったので、アドリアンは格子戸をくぐって牢屋を出ると、ヴァルナルに尋ねた。

 

「まさかこれで帳消しになったわけでもないよね?」

 

 ヴァルナルはその質問には答えず、おもむろに(ひざまず)くと、深く頭を下げた。

 

「……お許しください」

「…………」

 

 アドリアンは黙ってヴァルナルを見つめたあと、そっとその肩を叩いた。

 

「もういい。頭を上げてくれ、男爵。僕はあなた達を責めるつもりはない」

「しかし……」

「ここに来たのは、僕自身が反省するためだ。さっきも言ったように、本来僕が言うべきことを、オヅマに言わせて公爵様のご不興を買ってしまったからね。近侍に罪をなすりつけておいて、主面(あるじづら)するなんて格好が付かないだろ?」

 

 話しながらアドリアンはヴァルナルを立ち上がらせる。

 振り返って、オヅマに呼びかけた。

 

「オヅマ、行くよ」

「…………俺はいい」

 

 オヅマはまだ牢屋から出ず、壁際に座り込んだまま動かない。

 

「風邪ひくよ」

「この程度で……そんなヤワじゃねぇよ」

 

 かたくななオヅマにアドリアンはため息をつくと、

 

「じゃあ、ヴァルナル。よろしく」

 

と、ヴァルナルに後を託して、近侍たちとサビエルを伴い去って行った。

 

 いきなり強情な息子の説得を任され、ヴァルナルは少し戸惑った表情を浮かべたが、一つ息をついて呼びかけた。

 

「オヅマ……とりあえず、出ないか?」

「…………あいつらはとばっちりですよ。騒ぎの元をつくったのは俺です」

「そうだな」

 

 ヴァルナルは頷いて、ガチャリと格子戸を開くと中に入った。ぶらぶらと歩いて、オヅマの隣に座る。

 

「……なんですか?」

 

 オヅマは少しヴァルナルと距離をとって、(いぶか)しげに尋ねた。

 ヴァルナルはフッと自嘲めいた笑みを浮かべてから、オヅマを真っ直ぐに見て言った。

 

「ありがとう」

「…………」

 

 オヅマは意味がわからぬようにヴァルナルを見ると、また目を逸らしてつぶやいた。

 

「それ、先にアドルに言うべきですよ」

「あぁ。そうだな。小公爵様にもこれまでのこと、今もああして許して下さることを、感謝せねばならない」

「許す?」

 

 オヅマは聞き返してから、フっと頬を歪めた。

 

「ヴァルナル様も甘いですね。アドルは許したわけじゃないですよ。だいたい謝罪の時期は、もうとうの昔に過ぎているんです。今更謝ったところで、アドルが態度を変えると思いますか?」

 

 ヴァルナルは胸を衝かれたように息をのんだ。

 苦しげに顔を歪めると、小さくつぶやく。「そうか……」

 

 オヅマは蝋燭(ろうそく)の揺れる炎を無表情に見つめた。

 今更、謝られたところで、もうアドリアンには必要もないのだ。

 あまりに長すぎた冷遇は、アドリアンの心にもはや拭いがたい闇を作った。いまはただ、それを抱えて生きていくしかないことを知ってる。もうそこで寂しく震えて助けを求める幼い時期は過ぎてしまったのだ……。

 

「さっき、アドルは責めることはしないと言っただけです。許してもらったと思ってるなら、それは虫のいい誤解です。アドルは公爵閣下より大人なんです。要は今後は、そういうつきあい方をしようってことです」

「そういうつきあい方?」

「過去は水に流して、恨みっこなしでつき合いましょうってこと。円滑につきあっていかないとね。ベントソン卿も、ヴァルナル様も、公爵閣下の腹心ですから」

「そんなふうに考えられるようになったのか……」

「アドルがそこまで意地悪く考えているかは知らないですよ。表面上は変わらないでしょう。今までと同じように、思慮深く賢い小公爵様です。公爵家にとっては、それで十分では?」

 

 淡々と、冷ややかな顔で話すオヅマを、ヴァルナルはまじまじと見つめた。

 

「それでお前は……小公爵様の代わりに怒ってるのか」

 

 オヅマはジロリとヴァルナルを睨んでから、フンと口を尖らせた。

 

「俺は誰かのために怒るなんてことしませんよ。単純に腹が立ってるだけです。あいつがいちいち物分かりがいいから」

「……そうだな」

 

 ヴァルナルは頷いて、闇を見つめるオヅマの横顔をしばし見つめた。

 憂いを含んだ薄紫色の瞳は、すっかり大人びたものになっている。

 そう……いつまでも少年が少年のままでいるわけもないのだ……。

 

 一方、オヅマはすっかり意気消沈しているらしいヴァルナルの様子に、少し申し訳なくなった。

 そもそもヴァルナルは、アドリアンの不遇を哀れに思っていたし、それなりにできる範囲では助けようとしてきたというのに。

 自分が八つ当たりじみたことをしていたと気付くと、オヅマはなんだか気まずくなって立ち上がった。

 

「ったく……あんな父親にまで甘いんだからな。一発殴るのは無理でも、怒鳴りつけてやりゃいいのに」

 

 気まずくなった空気を紛らすように文句を言うオヅマに、ヴァルナルが苦い笑みを浮かべて答えた。

 

「……まぁ、厳しいことは仰言(おっしゃ)っておられたよ。最後はそれこそ閣下に怒鳴りつけてから、出て行かれたし」

「えっ?」

 

 オヅマは驚いた。

 一言物申すことぐらいはしてきたと思っていたが、普段から自制のきいたアドリアンが本気で怒鳴るなど、そうそうない。しかも公爵相手に。

 

 ヴァルナルはふと顔を上げると、懐かしげに遠くを見つめた。そこにいる誰かに向かってなのか、穏やかに話す。

 

「小公爵様の為人(ひととなり)は、リーディエ様に相通ずるところがおありだ。姿は閣下にそっくりでいらっしゃるが、貴賤にこだわらぬ鷹揚(おうよう)な性格は、かの方の優れた稟性(ひんせい)を受け継がれたのであろう。リーディエ様もときに優柔になりがちな閣下に、厳しく申されることがあったしな……」

 

 オヅマは聞きながら、あまり面白くなかった。

 ムゥと眉をひそめて注意する。

 

「それ、あんまり言わないほうがいいですよ。アドルも言われたって、困るだろうし」

「あ……そう……だな」

 

 ヴァルナルはハッとした様子で、また少ししょんぼりした顔になる。

 

 オヅマはかすかに嘆息した。

 ヴァルナルにとっても『リーディエ様』は最上級の人であるらしい。

 

 ややあきれを含んだ目でヴァルナルをチラと窺ってから、ハタと思い出した。

 むくむくと、ちょっとばかり意地の悪い企みが膨らんでくる。……

 

 しれっと、素知らぬ顔でオヅマは忠告した。

 

「母さんの前でも、あんまり公爵夫人のことは話さない方がいいですよ」

「……ん? なぜだ?」

「マリーが言ってたんです。ヴァルナル様が『リーディエ様』のことを懐かしそうに話すたびに、母さんが少しさびしそうな顔をするって」

「…………え?」

 

 ヴァルナルがきょとんとなる。

 どうにもいまいち通じていない感じがして、オヅマは思いきって言った。

 

「ヴァルナル様は『リーディエ様』のことが好きだったんですよね? 初恋の相手だって、ハンネさんが言ってました」

「はぁっ?」

 

 ヴァルナルは思わず大声になり、立ち上がった。

 

「ちょっと待て。ちょっと待て! 違う! いや……違わないかもしれないが、そういうことじゃない!」

 

 思っていた以上のヴァルナルの反応に、オヅマはあわてて両手で制止した。それでも面白くなってきて、思わず口の端が緩む。

 

「弁解は俺にじゃなくて、母さんにしたほうがいいと思いますよ。まぁ、昔のことだから、()()()気にしてないだろうけど」

「そっ……それは……」

 

 ヴァルナルはすっかり気が動転していた。

 ミーナにリーディエへの気持ちを理解してもらいたいとは思うが、全く気にかけてもらえなかったら、それはそれで何だか……複雑だ。

 

 焦りまくるヴァルナルの気持ちを知ってか知らずか(たぶん知ってて)、オヅマは追い込むようにつけ加える。

 

「その話を聞いて、母さんは笑ってましたけど。でも、大好きなはずのローズジャムをたぁっぷりかけたヨーグルトプディングは、まぁーったく食べなかったなぁー。なぁんでだろ?」

 

 ヴァルナルは顔色をなくした。

 今の今まで、ミーナに妙な誤解をされていたと思うと、居ても立ってもいられない。

 

「オヅマ、出るぞ!」

「は? いや、だから……俺はここに」

「いいから出るんだッ! ほら、早く、早く」

 

 追い立てられるように牢屋から出されると、看守が待ちかねていたかのように、格子戸を閉めて鍵をかけた。眠そうな顔で告げる。

 

「……本日は終了です」

「店かよ」

 

 オヅマの抗議にも知らぬ顔で、看守はゆるゆると手を振る。

 

「ほら、行くぞ! 早く!!」

 

 すっかり慌てふためくヴァルナルに押されて、オヅマは仕方なく北の塔を後にした。

 





読んでいただき、有難うございます。
第六章がここで終了です。次回より新章に入ります。
誠に勝手ながら、来週からしばしお休みさせていただきます。
八月に入ってから更新再開予定です。
お待たせしてすみません。

始まりましたら、また読みに来ていただけると嬉しいです。
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