昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百十話 オリヴェルとテリィ

 レーゲンブルトにおいて、もっとも意外な組み合わせとなったのは、オリヴェルとテリィだった。

 

 そもそもはテリィが騎士団での訓練を仮病で休み、趣味のピアノを思う存分満喫していたのを、オリヴェルが偶然耳にしたからだ。

 

「すごいね! こんな上手な演奏、初めて聴いたよ!!」

 

 オリヴェルの素直な感嘆に、テリィは当然鼻高々となった。

 

「まぁ、なかなかこんな田舎……いや、レーゲンブルトにピアノを弾きこなすような人は少ないだろうね」

「ハンネさんが弾いてくれて、マリーが教えてほしいって言って、一応教えてはくれているんだけど、ハンネさんも自分が教えるのはよくないって言うんだ。独学だから、ちゃんとピアノを学んだ先生から教わったほうがいいって」

「あぁ……」

 

 テリィは少しばかり馬鹿にした笑みを浮かべ、肩をすくめた。

 

「まぁハンネ嬢も、上手に弾きこなしてはおられるけど、確かに指遣いだとかは、色々と無駄な動きが多いね。強く弾くときも、肩が上がって力がきちんと鍵盤に伝わっていない」

 

 いかにも詳しそうに品評するテリィに、オリヴェルはますます感服したようにため息をついたあとに、

 

「ねぇ。よければ、また別の曲を弾いてくれる?」

 

と、期待に満ちた眼差しで頼み込んだ。

 そうなればテリィの独壇場である。ここぞとばかりに腕自慢を披露して、三曲弾き終わったときには、それこそ騎士団での訓練後のように汗をかいていた。

 

「すごい! 素晴らしい!!」

 

 オリヴェルはすっかり興奮した。

 いつもマリーやティア、ハンネの弾くようななごやかな曲と違い、テリィの弾いてくれた曲は勇壮で、まるで嵐の中にいるかのような激しさを伴って、オリヴェルの心琴を揺り動かした。だがあまりに熱が入ったせいなのか、立ち上がった途端にふらつく。

 

「オリー!」

 

 ちょうどケレナの授業を終え、ピアノの音を聞きつけたマリーらもいたので、すぐさまミーナに知らされ、オリヴェルは部屋に戻された。

 

「ちょっと! テリィ……だったわよね。あんまりオリーに無茶させないで!」

 

 オリヴェルが従僕二人に支えられて出て行った後、マリーは残って呆然としていたテリィにビシリと言った。

 

 実のところ、テリィはテリィで驚いていた。

 紹介される前にオリヴェルが体が弱いとは聞いていたものの、普段の会話や食事においてまったくそれらしい節が見当たらないため、大袈裟なだけだろうと思っていたのだ。

 だがこうして目の前で顔色が急に悪くなって、倒れそうになっていたオリヴェルを見て、それが大袈裟でも嘘でもないと知ったのだった。

 とはいえ、自分を睨みつけてくるそばかす顔の娘に偉そうに言われると、さすがにムッとなってしまう。

 反射的に思い出したのは、エーリクのあの小生意気な妹だ。

 どこの家も妹というのは、こうも生意気なのだろうか。いや、サラ=クリスティア公女様は別として……。

 

「無茶って……ピアノを聴いていただけで、あんなふうになるなんて誰がわかるんだ」

「あんなガチャガチャとうるさい、怖そうな曲、聴いていたら卒倒しちゃうわ。もっと明るくて穏やかな曲を弾いてくれればいいじゃないの」

「ガチャガチャうるさい……? フン、君は音楽というものの奥行きをわかっていないね。楽しい牧歌的な曲だけが人の心を感動させるわけじゃないんだよ。心震わせる曲というのは……」

「ああ、そんなの知らないわ! 私はともかく嫌い! オリーも興奮してしまうから、やめて頂戴!!」

「なんだい! なにもわかっちゃいないくせに!! これだから田舎娘は無教養なんだ。君の母親は公女様の世話係も申し分ないほど気品があるのに、君ときたら……まったく、母親の資質の半分も受け継いでいないね!」

 

 マリーは自分でもお転婆であることは自負しており、穏やかで淑やかな母親と比べるべくもないことは自覚していた。それでもヴァルナルも母も、そんな自分が好きだと言ってくれていたので、無理に改めようとも思っていなかったのだが、今こうして目の前で指摘されると、情けなくてしょうがない。

 泣きっ面になったマリーに、テリィはすぐに言い過ぎたと気付いたが遅かった。

 

「ひどいです、テルン公子。マリーはまだ子供ですよ」

 

 ひくっとしゃくり上げ始めるマリーを抱き寄せながら、ティアが厳しい目で見つめてくる。公女の鳶色(とびいろ)の瞳に責められると、公爵とアドリアンが思い出されて、テリィはううぅと言葉が出てこない。

 

「マリー、気にしないで。テリィ……テルン公子は、ああしたことを悪気なく言ってしまうところがおありなんです。まともに受け取らなくていいのですよ」

 

 カーリンはカーリンで、まったくフォローにもなってないことを言って、マリーを慰めようとする。

 

 テリィはふと、オヅマの言葉を思い出した。

 

『いいかぁ。言っとくけど、女連中を怒らせるなよ。この館の女共を敵に回したら、まともな食事にありつけないと思え』

 

 テリィはさっきかいた汗が冷えていくのを感じた。

 まずい。このまま怒らせたら、今日の晩餐がひよこ豆のスープだけになってしまうかもしれない……。

 

「わ、悪かった。すみませんっ!」

 

 テリィは必死に謝ると、その場から逃げるように立ち去った。

 

 その後、ミーナにオリヴェルの容態について聞いて、面会の許可を得ると、すぐさまオリヴェルの部屋に向かったのだが、そこで今度、感嘆の声を上げたのはテリィだった。

 

「うわあぁー! なんだこれ、なんだこれ……すごいじゃないか! いったい、誰が描いたんだい?」

 

 オリヴェルの部屋には、描きかけの絵がいくつかイーゼルに置かれていたり、壁に立てかけられていたりしたのだが、それらを見るなりテリィは虜となってしまった。

 

「あ、あの……僕が」

 

 オリヴェルが恥ずかしそうに言うと、テリィは目を剥いた。

 

「君が? 君が描いたって? 本当に??」

 

 テリィは心底驚いてから、一つ一つの絵についてまじまじと見入った。

 本当であれば、オリヴェルは自分の絵を人に ―― しかも会ってまだ間もないような人間に見せることなどなかったのだが、テリィのあまりの熱心さに、思わずつられるように許してしまった。

 

「ふーん……なるほど」

 

 テリィはキャンパスにある、オヅマとアドリアンの剣舞の絵を特にじっくりと見ながら、オリヴェルに尋ねた。

 

「君、これ油絵の具だよね?」

「あ、うん」

「何度も描き直してる?」

「えっ? わ、わかる?」

「ちょっと罅割れしてるよね。乾くのが待てなかったりするでしょ? あと、いい色をキャンパスの上で出そうとして厚塗りしちゃってる……」

 

 オリヴェルは恥ずかしくて下を向いた。

 これまで見る人には皆「上手、上手」と誉められてばかりいたので、少し自分でもいい気になっていたのを見透かされた気がした。

 しかしテリィは馬鹿にしているのではなかった。

 

「君、これマリ=エナ・ハルカムを意識して描いてるでしょ?」

「えっ? あ、うん……あ、知ってるの?」

 

 テリィはややうんざりしたように頷いた。

 

「まぁね、そりゃ公爵邸にいたら、否が応でも目にするから。公爵夫人が好きだったみたいで、よく飾られているよ。七竈(ナナカマド)の館にも玄関ホールに一枚、大きいのが……」

 

 話しながら、そのマリ=エナ・ハルカムの絵の前へと歩いて行く。

 机の側面の壁には、以前、オリヴェルがアドリアンからもらったマリ=エナ・ハルカムの絵が飾られていた。三枚贈られた絵の中で、オリヴェルがもっとも気に入っている踊り子を描いた絵だ。

 

「これなんて、特に彼女の()()が表れてる」

 

 テリィの言い方があまり好意的でないのを感じ取って、オリヴェルはおそるおそる尋ねた。

 

「テリ……チャリステリオ公子は、あんまり彼女の絵が好きじゃないの?」

「そういうわけじゃないよ」

 

 テリィはあっけらかんと答えた。

 

「嫌いじゃないよ。ただ僕は特に彼女の初期の絵のほうが好きなんだ。まだ、こういう……何というか抽象的なことをする前の、どこか不安定で迷っていそうな雰囲気が良かったんだよ。でもまぁ、画家の考えることなんて一般人に理解できないことが多いし、仕方ないよね」

 

 オリヴェルはまたも感心した。

 テリィの鑑賞眼は自分などよりも、深く作家とその作品を捉えているように思えた。しかも適切な助言までしてくれる。

 

「君のを見るに……僕は君は油絵よりも水彩画のほうが向いている気がするね」

「水彩画?」

 

 オリヴェルは少し眉をひそめた。

 

 水彩画は古くからある絵画様式ではあるが、それらは多く博物誌などのスケッチであったり、測量士が地形などを描く際に使われるもので、一般的に広く絵画として上流社会に認められるのは油絵であった。正直、水彩画は絵画ではない……というのがオリヴェルの認識している()()だった。

 だがテリィはオリヴェルの固定観念もあっさり見抜く。

 

「最近じゃ、水彩画も絵画の一つとして認められつつあるんだよ。帝都ではそこそこ人気のある画家も出てきてて……。まぁ、無理に変える必要はないけど、僕には君が描こうとしているのがなんというか、軽やかで透明感のある水彩のほうが()()見えるような気がするんだよ」

「でも、僕……水彩画なんて描いたことないんだ」

「そんなこと! 僕が教えてあげるさ」

「え? いいの?」

「もちろんだとも! それでこの絵を完成させて見せておくれよ!!」

 

 頬を上気させて言うテリィにオリヴェルは目を丸くしたが、その言葉に勇気をもらった気がした。

 

 それからの彼らの行動は早かった。

 数日後には、オリヴェルはテリィと一緒にレーゲンブルトの雑貨商におもむいて、水彩画の絵の具を買いに行った。

 

 買い物のときに話してくれたのだが、テリィは元々、絵を描くのが大好きだったのだという。何であればピアノよりもよっぽど。

 そのため、子供の頃からずっと絵を描いてすごしていたのだが、父が戦争で亡くなって以降、祖父には絵を描くのを控えるように言われた。

 跡継ぎとしての自覚を持てと。

 それでも祖父の顔色を伺いながら、こっそり描いていたのだが、いよいよ十歳も過ぎて半分大人(シャイクレード)としての振る舞いを求められるようになると、母から「絵なんて貴族の跡取り息子の趣味として相応(ふさわ)しくない」という理由で、全面的に禁じられてしまったのだという。

 それまで集めてきた絵の具も、筆も、すべて捨てられた。

 せめても、ということで絵を見ることだけは許されたので、すっかり見巧者(みごうしゃ)になってしまったが、

 

「本当はね……僕は、画家になりたかったかもしれないよ」

 

 テリィは少し寂しげに言った。

「……かもしれない」と言うことに、貴族の後継者であることの不自由さを感じて、オリヴェルは内心、テリィに同情した。

 

 自分はこの脆弱な体のせいで、そもそも跡継ぎになることを求められてもいない。それは身軽で自由でもあったが、反面、期待されていないことへの落胆も少しだけあったのだ。

 だがテリィのように、本当は才能があるだろうに、その方面に進むことはもちろん、絵筆を持つことも禁止されてしまう境遇は、心底可哀相に思えた。

 ただ、テリィが子爵家の一人息子であり、小公爵の近侍であることに矜持を持っていることもわかっていたので、そうした感情を見せることは控えた。

 

 こうして二人は絵という共通の趣味を通じて、あっという間に仲良くなっていったのだった。

 




次回は2024.08.25.更新予定です。
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