昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百十三話 清毒

「オヅマ親分。また、奴からだよ」

 

 ティボが胡散臭(うさんくさ)そうに言って、差し出したのは紙に巻かれた胡桃(くるみ)だった。

 

「お、戻ってきたか」

 

 実織(みおり)月半(つきなか)ば頃にレーゲンブルトにやって来て、オヅマが頼んでいたものを取りに行っていたエラルドジェイだったが、それから三ヶ月が過ぎて帰ってきたらしい。

 明日からはいよいよ大帝(たいてい)生誕月(せいたんづき)に入る。祭り本番となる満月の日を目指して、流れの商人や旅芸人たちもそろそろ移動し始めるので、それに合わせたのだろう。

 

「よう。羊肉の串焼き、頼むぜ」

 

 会って早々、挨拶代わりに要求してくる。

 オヅマはあきれつつ、店の給仕に羊肉の串焼きを注文して、エラルドジェイの前に腰をおろした。テーブルには麦酒(ビール)のたっぷり入ったマグと、ウズラ卵の燻製(くんせい)、干し肉、キャベツの酢漬けが置いてある。

 

「まだ昼だってのに、すっかり出来上がってんじゃねぇの?」

「なんだよ。久々の再会に早速の小言かぁ? まぁーったく、すっかりお坊ちゃんが板についちゃってさ」

「誰がお坊ちゃんだ」

 

 オヅマはムッと言い返しながら、厨房から漂ってくる匂いに釣られるように、通りがかった女給(じょきゅう)に自分の分も注文した。

 

「『雪の下』とアニスのパイ」

「『雪の下』って、なに?」

「来たらわかるさ」

 

 待っている間に、エラルドジェイが西の国の話を始める。オヅマに頼まれたものを受け取るついでに、西方諸国をうろついてきたらしい。

 

「どうもキナ臭いっちゃキナ臭いんだよな」

「キナ臭い? (いくさ)でも始まるのか?」

「うーん。どうなんだろう? あったとしても、あっちの国内でのことになりそうだけどな。ただ、まぁ……大公の出番になるかもな」

「大公が……?」

 

 オヅマは低く問い返す。その顔にやや翳りが生じたが、エラルドジェイは気付かず話を続けた。

 

「前に大公がイェルセン公国を滅ぼしただろう? そのあとは総督府を置いてたけど、今はほとんど形だけになってて、隣のコズン王国に任せてるんだよな。東部のコールキアあたりは大公の所領だから、治安もしっかりしてるけど、旧イェルセンの首都ジャレドゥ周辺は物騒でなぁ。俺も何回か絡まれたよ」

「そりゃ可哀相に」

「お、慰めてくれんの?」

「いや、相手が。アンタ相手に絡むとか、命知らずでしかない」

「……ひっでぇな。俺だって、めったやたらと殺すわけじゃねぇぞ」

「殺さないだろうけど、二度と話しかけられないようにはしてるだろ」

「まぁ、否定はしない」

「なに気取ってんだ」

 

 フンと笑いながら、オヅマはうずらの卵をもらって食べる。

 エラルドジェイはまたゴリゴリと袖の中で胡桃を回しながら、話を続けた。

 

「コズンがどうもあやしいんだよ。王様が年取っちまって、宰相が取り仕切ってんだけどさ。これがどうも……」

「なに? 馬鹿なの?」

「いや、反対。切れ者なんだよ。国内の人気はまぁ、ある。正直、王に取って代わるんじゃないか……なんて話まで出てくるくらいだ」

「ふぅん。なるほどね……」

 

 オヅマは頷いたものの、さほど興味もなかった。

 自分が生まれたときにも戦争は起こっていたが、それらはたいがいの場合、帝国の国境沿いか、附庸国(ふようこく)(*帝国から一定の自治権を与えられた国家)が救援を求めてきて出兵するくらいであるので、基本的には帝国内は平穏であることがほとんどだ。

 このレーゲンブルトも、かつては北東部にあった旧リオレティネ王国と激しい攻防戦が行われたが、後に現在のシェットランゼ領にいた豪族を懐柔(かいじゅう)し、大攻勢をかけて併呑(へいどん)している。元々北限(ほくげん)と呼ばれるほどであるので、他に反抗する勢力もなく、今やのんびりしたものだ。

 

 話している間に、女給が羊肉の串焼きとオヅマの注文したものを運んできた。

 

「これが『雪の下』?」

 

 エラルドジェイがオヅマの前に置かれたマグを見て尋ねてきた。

 麦酒(ビール)と同じマグに、たっぷりと白い細かな泡が(こぼ)れそうなほどに乗っている。オヅマはマグの手を持つと、ゴクゴク飲んで、プハァーと酒飲みがよくやるように息を吐いた。

 鼻の下についた泡をペロリと舐める。

 

「なんだ? 麦酒(ビール)じゃないよな?」

 

 エラルドジェイはクンクンと鼻をひくつかせて、興味津々と尋ねてくる。

 

「中身は温めた林檎(りんご)酒だよ。でも、たぶん俺が飲むからって、しっかりアルコールとばされてんな。まぁ、おいしいからいいけど」

「その白いのは? まさかビールの泡だけすくって置いたとか?」

「ハハッ。そんな訳ねーだろ。飲んでみろよ」

 

 オヅマがマグを渡すと、エラルドジェイは怪訝に受け取ってゴクリと飲んだ。同じように鼻の下の泡を舐め取ってつぶやく。

 

「あぁ……メレンゲか。甘いな」

 

 元々、サフェナ地方ではメレンゲを凍らせて食べる一種の冷菓があったのだが、誰かが温めた林檎酒の上にそれをのせることを思いついたらしい。それから『雪の下』という妙に風流な名前がついて、今やここいらでは羊肉の串焼き同様に名物になっている。林檎もサフェナの特産であるので、いわば土地気候を利用した郷土料理といえるだろう。

 

「なんだよ、飲んだことなかったか?」

「あるわけあるか。俺、水以外は酒しか飲んだことねぇぜ」

「あー、はいはい」

 

 エラルドジェイは酒が強かった。それこそ()でも、子供の頃からワイン瓶一本は毎日開けていたという、本当だか嘘だかわからない話を聞かされたことがある。どんな強い酒であっても、酔っているのを見たことがなかった。周囲のどんちゃん騒ぎに合わせて酔ったフリをしていることはあっても。

 

「……で?」

 

 おおかた平らげたあとに、オヅマは切り出した。

 エラルドジェイは途端に渋い顔になる。

 

「いるの?」

「いるから頼んだんだろ」

「本当にいるか~?」

「早く渡せ。ラオにはもう全額支払ってるんだからな」

 

 オヅマはいつまでも渋るエラルドジェイの足を軽く蹴りつけた。

「もう~」と口をとがらせつつ、エラルドジェイはようやく胸のポケットから緑の小瓶を取り出した。

 

 ラベルも何もついていない。だが薄汚れた小瓶は、いかにも中におどろおどろしいものが入っていそうだった。

 実際、そうなのだが。

 手にした小瓶を無表情に見つめるオヅマに、エラルドジェイがブツクサ文句を言う。

 

「なんでお前に必要があるんだよ。今や領主様の息子で、公爵家のお坊ちゃんのお気に入りだってのに。俺だって、そんなモン()んだことねーぞ」

「毒見だよ」

 

 オヅマが理由を言うと、エラルドジェイはあっとなって、急に小声でコソコソと尋ねてくる。

 

「えぇぇ~、そんなにヤバいの? 小公爵って、しょっちゅう殺されかけてんの?」

「アンタ……その片棒担ぐようなことしておいてよく言うな」

「その片棒担いだ奴と、よく飲んでられるね」

「フン。あっちがアンタを利用したなら、俺も利用させてもらうまでだ」

 

 オヅマが胸をはって威張ると、エラルドジェイはハァと溜息をついた。

 

「やれやれ……本当にお貴族サマはこれだから。こんなガキにまで、こんなモノ()ませてまでやることかァ?」

「言っとくけど、アドルが俺に命令したわけじゃねぇぞ。俺が勝手にやることだ。アイツのためじゃなくて、俺のためだ。俺も毒見なんかで死にたくねぇからな」

「死にゃしねぇが……モノによっちゃ、相当苦しむときもあるって言ってたぜ。それこそ、のたうち回ることもあるって」

「知ってるよ。体に馴染むまでのことだ。一、二年ほど染みこませりゃ、あとはラクになるさ」

「なんでそんなこと知って……」

 

 エラルドジェイは言いかけて止まった。まじまじとオヅマを見つめる。

 

「例の()か?」

「…………」

 

 オヅマは返事をしなかった。

 

 

 清毒(せいどく)

 

 相反(あいはん)するかのような名前を持つ清毒(ソレ)自体に毒性はない。だが摂取すると、毒が効かない体になる。すべての毒に対して耐性があるのかはわからないが、致死するような強力な毒ですら……いや強力であるほどに、効果を発揮する。

 

 この毒の精製にあたって必要とされるのは二つの生き物。

 一つは西の深海に棲むという鴆魚(ちんぎょ)と呼ばれる(なまず)のような魚。もう一つは蒼目(あおめ)蝙蝠(こうもり)と呼ばれる、西南海の孤島の洞窟にのみ棲むという蝙蝠だ。

 鴆魚(ちんぎょ)のほうは一口食べれば、口から泡を吹いて死ぬと言われるほどの猛毒をもっており、蝙蝠のほうは毒の実や、毒キノコ、あるいは毒蛙、時には毒性鉱物ですらも好んで食べるという、奇妙な食性を持っている。この鴆魚(ちんぎょ)の肝と蝙蝠の内臓をすり潰し、種々のハーブ(毒草も含む)などを混ぜて作ったものが、清毒となるらしい。

 

 二つとも稀少な生体である上、その製法を知っている者も少なく、滅多と出回ることはない。おそらく帝国においては、知る人間もほぼいないだろう。知っているとすれば、それは西方の事情に明るく、そうしたものを用立てる必要のある人間くらいなものだ。

 だが、知っていたとしても普通は容易に手を出さない。というのも、この清毒が単に毒を無効化するというものでもないからだ。

 

 清毒の服用を開始したら『毒』も定期的に摂取せねばならない。そうして徐々に体を作り変えていくのだ。清毒自体に中毒性はないものの、毒の服用を怠った場合、激しい禁断症状に襲われた。しかも毒を摂取して、毒が体に馴染むまでの間 ―― いわば毒に耐性のある体に作り変えられるまでの間 ―― は、その毒によって様々な症状が出る。

 中には舌を噛み切りたいくらいに苦しむことも。

 

 ()の中では、オヅマも服用開始からの一、二年近くは、毒を摂取するたびに苦しんだものだった。五年もすると、もはやどのような毒であっても、ほぼ無症状になった。せいぜい爪が黒くなるか、腕や肩に紋様のような(あざ)が出た程度だ。

 だがどれだけ有用なものであったとしても、その身体への影響は計り知れない。

 確かに毒を無効化するが、反面、薬などの効果も半減する。麻薬なども通常量ではまったく効かないために、重傷を負ったときの縫合(ほうごう)などで、麻酔効果のある香を焚いてもほとんど意味がなかった。

 

 そもそも毒といっても、必ず死ぬと決まったわけでもなく、相応の解毒薬もある。そちらでの回復をはかったほうが、身体への負担は少なくて済む。そのためどれだけ清毒に使用価値があるとしても、ほとんどの人間は二の足を踏むのだ。

 オヅマの知る限りにおいて、()でも清毒を服用していたのは、オヅマ本人と……。

 

 

 思い出しかけたその姿を、オヅマは目をつむって消した。

 苦い表情を隠すようにうつむいたままのオヅマに、エラルドジェイが思い出したように尋ねる。

 

「じゃあ、これも知ってるかもしれねぇけど……子供が出来にくくなるって」

「子供?」

「あぁ。なんか出来にくくなるとかなんとか……それくれた婆ァが言ってた」

()たなくなるってこと?」

 

 オヅマは首をひねった。

 そんなことはなかったような気がするが……?

 

「いや、そうじゃない。むしろソッチは……って、それはまぁいいとして。なんせ子供が出来にくくなるらしいぜ。だから、ちょうどいいとか言って商売女が飲んだら、そのまま次の月には毒飲むのを忘れて死んじまったとか。馬鹿な男がそれ飲んで、結局結婚しても子供が出来なくて、どうにかしろって泣きついてきたとか……」

「俺がそれ聞いて、やめると思ってんの?」

 

 オヅマはあきれたように言った。ここまで言われると、エラルドジェイの老婆心が少々鬱陶しくなってくる。

 

「いやー、将来はわからんだろ。お前だってさ」

「どうでもいいよ。別に」

 

 オヅマは吐き捨てるように言うと、また女給に声をかけ、ジュネヴァ(*蒸留酒の一種)を頼んだ。

 

「おいおい。ここで飲むのか?」

「あぁ。領主館に持ち帰って、下手に誰かが間違って飲んだりしたら大変だし……これ、キツイ酒と一緒に混ぜて飲まないと、溶けないんだよ。俺が蒸留酒(シュナップス)とか欲しがったら、何かと聞かれるだろ」

「…………」

 

 また渋い顔になるエラルドジェイの前に、ジュネヴァの入った小さな陶器のコップが置かれる。オヅマはコップを自分の前に持ってくると、クルクルと指で酒をかき混ぜてから、小瓶の中のものを注いだ。

 ドロリと落ちてきた黒い炭のような粘着質の液体は、透明なジュネヴァの中に溶けて、やや青みを含んだ銀色に変わる。

 

 オヅマはかすかに笑った。

 間違いない。確かに清毒だ。

 コップを持とうとすると、エラルドジェイがその上に手を乗せた。

 

「どけろよ」

「駄目だ。やっぱ、やめとけ」

「……心配すんなって。これ()んだくらいで、死なねぇから」

「オヅマ、やめとけって。ホントにさ。こんなモン飲まなくても……貴族の家だったら、解毒の薬とかも揃えてあるだろ。あのお坊ちゃんの家だったら、いっぱいあるだろうがよ」

 

 

  ―――― この馬鹿! なんであんなモノ……誰だよ、そんなモンお前に服ませたのは……

 

 

 ()の中でも怒鳴られたのを、懐かしく思い出す。

 やっぱりエラルドジェイは変わっていない。仕事となれば眉一つ動かすことなく人を殺すというのに、妙なところでお節介なのだ。

 どうにかしてこの清毒を消す方法がないかと、エラルドジェイが探し回っていたと人伝(ひとづて)に聞いたとき、鈍く心が痛んだのを思い出す……。

 

 ()で、これを服むのを止めてくれた人はあそこにいなかった。むしろ()()()の望みであるならば、服んで当然だと、苦しむオヅマに手を差し伸べることもなかった。…………

 

「…………守りたいんだよ、俺は」

「あの小公爵様をか?」

「アドルもそうだけど……それ以外にも、守れる可能性があって、その方法を知ってるなら、俺はそっちを選んでおきたいんだよ。後悔したくないから」

「お前、夢ってやつに(とら)われすぎだよ。そこまで考えなくってもさ……」

「……そうかもしれない」

 

 母が父を殺す()を見て以来、時々今自分がどちらにいるのかわからなくなるときがある。

 ()()()()()()()が侵蝕してきて、呑み込まれそうになっている……そんなふうに感じることもある。

 だが、今は違う。

 知らぬうちに支配されて、選んでいるのではない。

 この目の前のものを再び口にするのは、自分の意志で選び取った、一つの決断だ。

 

「もし、なにも起こらないなら、それが一番いいんだ。俺がこれを服むのが無駄だったってなるのが、一番いいことなんだろうな」

「だったら服まなきゃいいだろ!」

 

 いつになく険しい表情のエラルドジェイを困ったように見つめてから、オヅマはフッと視線を落とした。

 スゥッと目を細め、無表情につぶやく。

 

「……打てる布石(ふせき)はうっておく。それが俺の役目だ」

 

 あまりにも頑固なオヅマに、エラルドジェイは舌打ちした。

 

「クソ。取りに行くんじゃなかった。結局、俺、後悔してんじゃねーか」

「アンタは商売しただけさ。金をもらってブツを運ぶ。それだけのことだ。俺らはそういう関係だぜ。忘れんなよ、ジェイ」

 

 あえて秘名を呼ばないオヅマに、エラルドジェイは不満そうに鼻を鳴らしたあとに、コップから手をどけた。

 オヅマはそのまま呑もうとして、ふと思い出したように釘を刺す。

 

「もし倒れたとしても、すぐに気付くから、医者とか呼ぶなよ」

 

 エラルドジェイが「え?」と聞き返す間もなく、オヅマは銀色の液体を一気に(あお)った。ゴクリと飲み下したのを自分で確認すると同時に、そのままバターンとひっくり返った。

 

 気絶したオヅマにエラルドジェイは血相を変え、女給が何事かとやって来る。

 さっき自分が持って来たジュネヴァが空になって、オヅマと一緒に転がっているのを見て、エラルドジェイに怒鳴りつけた。

 

「アンタァァッ、何考えてんのさッ! 子供にジュネヴァなんぞ飲ませてえッ!!」

「ええぇぇ!!?? 俺ぇ? 俺が悪いの?」

「当たり前だ! この馬鹿野郎ッ」

 

 容赦なくゲンコツで頭を殴られつつも、エラルドジェイはオヅマの言いつけを不本意ながら守った。医者を呼びに行こうとする男を止め、オヅマの顔をビシビシ打って必死に声をかける。

 オヅマはぼんやりと目を覚ますと、周辺に集まった心配顔の大人達を見て笑った。

 

 こんなに心配をかけてしまって、ちょっと申し訳ない気分になる。エラルドジェイの言う通り、そこまで無理しなくても良かったかもしれない。

 

 だが、不安だった。

 どうしてもこびりついて離れない……断片的な()の記憶。

 

 ある男が寂しげにつぶやいていた。

 

 

 ―――― クランツ男爵は、私の代わりに毒を()けて……死んだのです……

 




次回は2024.09.15.更新予定です。
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