「オヅマ親分。また、奴からだよ」
ティボが
「お、戻ってきたか」
明日からはいよいよ
「よう。羊肉の串焼き、頼むぜ」
会って早々、挨拶代わりに要求してくる。
オヅマはあきれつつ、店の給仕に羊肉の串焼きを注文して、エラルドジェイの前に腰をおろした。テーブルには
「まだ昼だってのに、すっかり出来上がってんじゃねぇの?」
「なんだよ。久々の再会に早速の小言かぁ? まぁーったく、すっかりお坊ちゃんが板についちゃってさ」
「誰がお坊ちゃんだ」
オヅマはムッと言い返しながら、厨房から漂ってくる匂いに釣られるように、通りがかった
「『雪の下』とアニスのパイ」
「『雪の下』って、なに?」
「来たらわかるさ」
待っている間に、エラルドジェイが西の国の話を始める。オヅマに頼まれたものを受け取るついでに、西方諸国をうろついてきたらしい。
「どうもキナ臭いっちゃキナ臭いんだよな」
「キナ臭い?
「うーん。どうなんだろう? あったとしても、あっちの国内でのことになりそうだけどな。ただ、まぁ……大公の出番になるかもな」
「大公が……?」
オヅマは低く問い返す。その顔にやや翳りが生じたが、エラルドジェイは気付かず話を続けた。
「前に大公がイェルセン公国を滅ぼしただろう? そのあとは総督府を置いてたけど、今はほとんど形だけになってて、隣のコズン王国に任せてるんだよな。東部のコールキアあたりは大公の所領だから、治安もしっかりしてるけど、旧イェルセンの首都ジャレドゥ周辺は物騒でなぁ。俺も何回か絡まれたよ」
「そりゃ可哀相に」
「お、慰めてくれんの?」
「いや、相手が。アンタ相手に絡むとか、命知らずでしかない」
「……ひっでぇな。俺だって、めったやたらと殺すわけじゃねぇぞ」
「殺さないだろうけど、二度と話しかけられないようにはしてるだろ」
「まぁ、否定はしない」
「なに気取ってんだ」
フンと笑いながら、オヅマはうずらの卵をもらって食べる。
エラルドジェイはまたゴリゴリと袖の中で胡桃を回しながら、話を続けた。
「コズンがどうもあやしいんだよ。王様が年取っちまって、宰相が取り仕切ってんだけどさ。これがどうも……」
「なに? 馬鹿なの?」
「いや、反対。切れ者なんだよ。国内の人気はまぁ、ある。正直、王に取って代わるんじゃないか……なんて話まで出てくるくらいだ」
「ふぅん。なるほどね……」
オヅマは頷いたものの、さほど興味もなかった。
自分が生まれたときにも戦争は起こっていたが、それらはたいがいの場合、帝国の国境沿いか、
このレーゲンブルトも、かつては北東部にあった旧リオレティネ王国と激しい攻防戦が行われたが、後に現在のシェットランゼ領にいた豪族を
話している間に、女給が羊肉の串焼きとオヅマの注文したものを運んできた。
「これが『雪の下』?」
エラルドジェイがオヅマの前に置かれたマグを見て尋ねてきた。
鼻の下についた泡をペロリと舐める。
「なんだ?
エラルドジェイはクンクンと鼻をひくつかせて、興味津々と尋ねてくる。
「中身は温めた
「その白いのは? まさかビールの泡だけすくって置いたとか?」
「ハハッ。そんな訳ねーだろ。飲んでみろよ」
オヅマがマグを渡すと、エラルドジェイは怪訝に受け取ってゴクリと飲んだ。同じように鼻の下の泡を舐め取ってつぶやく。
「あぁ……メレンゲか。甘いな」
元々、サフェナ地方ではメレンゲを凍らせて食べる一種の冷菓があったのだが、誰かが温めた林檎酒の上にそれをのせることを思いついたらしい。それから『雪の下』という妙に風流な名前がついて、今やここいらでは羊肉の串焼き同様に名物になっている。林檎もサフェナの特産であるので、いわば土地気候を利用した郷土料理といえるだろう。
「なんだよ、飲んだことなかったか?」
「あるわけあるか。俺、水以外は酒しか飲んだことねぇぜ」
「あー、はいはい」
エラルドジェイは酒が強かった。それこそ
「……で?」
おおかた平らげたあとに、オヅマは切り出した。
エラルドジェイは途端に渋い顔になる。
「いるの?」
「いるから頼んだんだろ」
「本当にいるか~?」
「早く渡せ。ラオにはもう全額支払ってるんだからな」
オヅマはいつまでも渋るエラルドジェイの足を軽く蹴りつけた。
「もう~」と口をとがらせつつ、エラルドジェイはようやく胸のポケットから緑の小瓶を取り出した。
ラベルも何もついていない。だが薄汚れた小瓶は、いかにも中におどろおどろしいものが入っていそうだった。
実際、そうなのだが。
手にした小瓶を無表情に見つめるオヅマに、エラルドジェイがブツクサ文句を言う。
「なんでお前に必要があるんだよ。今や領主様の息子で、公爵家のお坊ちゃんのお気に入りだってのに。俺だって、そんなモン
「毒見だよ」
オヅマが理由を言うと、エラルドジェイはあっとなって、急に小声でコソコソと尋ねてくる。
「えぇぇ~、そんなにヤバいの? 小公爵って、しょっちゅう殺されかけてんの?」
「アンタ……その片棒担ぐようなことしておいてよく言うな」
「その片棒担いだ奴と、よく飲んでられるね」
「フン。あっちがアンタを利用したなら、俺も利用させてもらうまでだ」
オヅマが胸をはって威張ると、エラルドジェイはハァと溜息をついた。
「やれやれ……本当にお貴族サマはこれだから。こんなガキにまで、こんなモノ
「言っとくけど、アドルが俺に命令したわけじゃねぇぞ。俺が勝手にやることだ。アイツのためじゃなくて、俺のためだ。俺も毒見なんかで死にたくねぇからな」
「死にゃしねぇが……モノによっちゃ、相当苦しむときもあるって言ってたぜ。それこそ、のたうち回ることもあるって」
「知ってるよ。体に馴染むまでのことだ。一、二年ほど染みこませりゃ、あとはラクになるさ」
「なんでそんなこと知って……」
エラルドジェイは言いかけて止まった。まじまじとオヅマを見つめる。
「例の
「…………」
オヅマは返事をしなかった。
この毒の精製にあたって必要とされるのは二つの生き物。
一つは西の深海に棲むという
二つとも稀少な生体である上、その製法を知っている者も少なく、滅多と出回ることはない。おそらく帝国においては、知る人間もほぼいないだろう。知っているとすれば、それは西方の事情に明るく、そうしたものを用立てる必要のある人間くらいなものだ。
だが、知っていたとしても普通は容易に手を出さない。というのも、この清毒が単に毒を無効化するというものでもないからだ。
清毒の服用を開始したら『毒』も定期的に摂取せねばならない。そうして徐々に体を作り変えていくのだ。清毒自体に中毒性はないものの、毒の服用を怠った場合、激しい禁断症状に襲われた。しかも毒を摂取して、毒が体に馴染むまでの間 ―― いわば毒に耐性のある体に作り変えられるまでの間 ―― は、その毒によって様々な症状が出る。
中には舌を噛み切りたいくらいに苦しむことも。
だがどれだけ有用なものであったとしても、その身体への影響は計り知れない。
確かに毒を無効化するが、反面、薬などの効果も半減する。麻薬なども通常量ではまったく効かないために、重傷を負ったときの
そもそも毒といっても、必ず死ぬと決まったわけでもなく、相応の解毒薬もある。そちらでの回復をはかったほうが、身体への負担は少なくて済む。そのためどれだけ清毒に使用価値があるとしても、ほとんどの人間は二の足を踏むのだ。
オヅマの知る限りにおいて、
思い出しかけたその姿を、オヅマは目をつむって消した。
苦い表情を隠すようにうつむいたままのオヅマに、エラルドジェイが思い出したように尋ねる。
「じゃあ、これも知ってるかもしれねぇけど……子供が出来にくくなるって」
「子供?」
「あぁ。なんか出来にくくなるとかなんとか……それくれた婆ァが言ってた」
「
オヅマは首をひねった。
そんなことはなかったような気がするが……?
「いや、そうじゃない。むしろソッチは……って、それはまぁいいとして。なんせ子供が出来にくくなるらしいぜ。だから、ちょうどいいとか言って商売女が飲んだら、そのまま次の月には毒飲むのを忘れて死んじまったとか。馬鹿な男がそれ飲んで、結局結婚しても子供が出来なくて、どうにかしろって泣きついてきたとか……」
「俺がそれ聞いて、やめると思ってんの?」
オヅマはあきれたように言った。ここまで言われると、エラルドジェイの老婆心が少々鬱陶しくなってくる。
「いやー、将来はわからんだろ。お前だってさ」
「どうでもいいよ。別に」
オヅマは吐き捨てるように言うと、また女給に声をかけ、ジュネヴァ(*蒸留酒の一種)を頼んだ。
「おいおい。ここで飲むのか?」
「あぁ。領主館に持ち帰って、下手に誰かが間違って飲んだりしたら大変だし……これ、キツイ酒と一緒に混ぜて飲まないと、溶けないんだよ。俺が
「…………」
また渋い顔になるエラルドジェイの前に、ジュネヴァの入った小さな陶器のコップが置かれる。オヅマはコップを自分の前に持ってくると、クルクルと指で酒をかき混ぜてから、小瓶の中のものを注いだ。
ドロリと落ちてきた黒い炭のような粘着質の液体は、透明なジュネヴァの中に溶けて、やや青みを含んだ銀色に変わる。
オヅマはかすかに笑った。
間違いない。確かに清毒だ。
コップを持とうとすると、エラルドジェイがその上に手を乗せた。
「どけろよ」
「駄目だ。やっぱ、やめとけ」
「……心配すんなって。これ
「オヅマ、やめとけって。ホントにさ。こんなモン飲まなくても……貴族の家だったら、解毒の薬とかも揃えてあるだろ。あのお坊ちゃんの家だったら、いっぱいあるだろうがよ」
―――― この馬鹿! なんであんなモノ……誰だよ、そんなモンお前に服ませたのは……
やっぱりエラルドジェイは変わっていない。仕事となれば眉一つ動かすことなく人を殺すというのに、妙なところでお節介なのだ。
どうにかしてこの清毒を消す方法がないかと、エラルドジェイが探し回っていたと
「…………守りたいんだよ、俺は」
「あの小公爵様をか?」
「アドルもそうだけど……それ以外にも、守れる可能性があって、その方法を知ってるなら、俺はそっちを選んでおきたいんだよ。後悔したくないから」
「お前、夢ってやつに
「……そうかもしれない」
母が父を殺す
だが、今は違う。
知らぬうちに支配されて、選んでいるのではない。
この目の前のものを再び口にするのは、自分の意志で選び取った、一つの決断だ。
「もし、なにも起こらないなら、それが一番いいんだ。俺がこれを服むのが無駄だったってなるのが、一番いいことなんだろうな」
「だったら服まなきゃいいだろ!」
いつになく険しい表情のエラルドジェイを困ったように見つめてから、オヅマはフッと視線を落とした。
スゥッと目を細め、無表情につぶやく。
「……打てる
あまりにも頑固なオヅマに、エラルドジェイは舌打ちした。
「クソ。取りに行くんじゃなかった。結局、俺、後悔してんじゃねーか」
「アンタは商売しただけさ。金をもらってブツを運ぶ。それだけのことだ。俺らはそういう関係だぜ。忘れんなよ、ジェイ」
あえて秘名を呼ばないオヅマに、エラルドジェイは不満そうに鼻を鳴らしたあとに、コップから手をどけた。
オヅマはそのまま呑もうとして、ふと思い出したように釘を刺す。
「もし倒れたとしても、すぐに気付くから、医者とか呼ぶなよ」
エラルドジェイが「え?」と聞き返す間もなく、オヅマは銀色の液体を一気に
気絶したオヅマにエラルドジェイは血相を変え、女給が何事かとやって来る。
さっき自分が持って来たジュネヴァが空になって、オヅマと一緒に転がっているのを見て、エラルドジェイに怒鳴りつけた。
「アンタァァッ、何考えてんのさッ! 子供にジュネヴァなんぞ飲ませてえッ!!」
「ええぇぇ!!?? 俺ぇ? 俺が悪いの?」
「当たり前だ! この馬鹿野郎ッ」
容赦なくゲンコツで頭を殴られつつも、エラルドジェイはオヅマの言いつけを不本意ながら守った。医者を呼びに行こうとする男を止め、オヅマの顔をビシビシ打って必死に声をかける。
オヅマはぼんやりと目を覚ますと、周辺に集まった心配顔の大人達を見て笑った。
こんなに心配をかけてしまって、ちょっと申し訳ない気分になる。エラルドジェイの言う通り、そこまで無理しなくても良かったかもしれない。
だが、不安だった。
どうしてもこびりついて離れない……断片的な
ある男が寂しげにつぶやいていた。
―――― クランツ男爵は、私の代わりに毒を
次回は2024.09.15.更新予定です。