昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百十四話 テリィの冒険とうさぎパイ狩り

 テリィは曇り空の下、だんだんと冷えてくる森の中で途方に暮れていた。

 大帝生誕月(たいていせいたんづき)に入って雪の降る日も少なくなり、今日なども朝はきれいに晴れ上がっていたので、少しくらいなら外に出ても大丈夫だろうと思っていたのだ。そもそもはレーゲンブルトの街で、オリヴェルのために絵の具を買ってやろうと雑貨商をうろついていたのだが……

 

 

***

 

 

「高いなぁ……どうしてこんなに高いんだよ」

 

 北の辺境で絵を描くなどという優雅な人間はいないのか……。

 帝都に比べると、どの画材も高かった。色の原料となる鉱石や貝殻から抽出した顔料(がんりょう)自体も高いが、これらを紙に定着させるために使う専用の糊材(こざい)も高い。

 実家からの仕送りのほかに、一応公爵家からも威儀を整えるためという名目で、毎月小遣い程度にはもらっているので、金に不自由しているわけではないが、同じ画材が帝都でもっと安く買えることを知っていると、なんだか無駄な出費をしている気がして、出すのが()しくなる。いくつか買ったら差額分で、レースのハンカチが一枚買えそうだ。そのレースのハンカチにしても、ここだといちいち高いけども。

 

展色剤(メデューム)でしたら、作ることも可能ですよ」

 

 糊材の前で考え込んでいるテリィに声をかけてきたのは、オリヴェルの専属医であるロビン・ビョルネだった。

 こちらに来て早々、水が合わなかったのか腹を下して、診察してもらってから、何度となくお世話になっている。ほとんどはレーゲンブルトの寒さに嫌気がさしたテリィの愚痴を聞いてもらっているだけだったが。

 

「ビョルネ先生」

 

 テリィが顔を上げると、ロビンは「こんにちは」と、軽く頭を下げた。

 

 ちなみに現在、領主館に『ビョルネ先生』は二人いるのだが、なぜか自然とロビンに対しては『ビョルネ先生』、トーマスに対しては『トーマス先生』と子供らが呼び変えるので、今では女中、下男に至るまで二人をそのように呼び習わしている。

 

 ロビン・ビョルネに対するテリィの信頼は厚かった。

 理由は二つある。

 一つは、ロビンもまた絵に多少の造詣(ぞうけい)があったからだ。

 ロビンはロビンで、研究のためのスケッチなどで絵を描くことがあるらしく、その点においてオリヴェルやテリィとも話が合った。正直、画材についてなど領主のクランツ男爵ですらもちんぷんかんぷんのようであったが、ロビンはちゃんとわかってくれる。

 今も、テリィの前にある糊材の入った瓶を手に取りながら言った。

 

「チャリステリオ君は、この糊材の原料についてご存知でしょうか?」

「え? 確か……スユノキの樹液から作るんでしたよね?」

 

 スユノキはヤーヴェ湖に浮かぶように()えている、帝都ではそう珍しくもない木だ。だから向こうであれば、この三分の一の値段で売っている。

 

「そうそう。ここには当然、スユノキはないんですが、似たような作用を持つものがあるんですよ」

「え? なにかの樹液ですか?」

「いえいえ。雪鈴草(フェリティア)と呼ばれる花の球根です。これをすり潰して、一晩水につけておくと、自然と溶解するので、顔料と混ぜて使ったら同じように絵の具になります」

「本当ですか?!」

 

 テリィは思わず大声で問い返した。いつも仏頂面をした老店主がジロリと睨みつけてくる。ロビンと二人、目を見合わせてから店の隅に行って、続きを聞いた。

 

「どこにあるんですか? 領主館の庭ですか?」

「いや。さすがにないです。あれ、わりと繁殖力が強くて、下手に植えると他の草木までやられちゃうそうなんですよ。私はいつもサジューの森まで行きます」

「サジューの森……」

 

 テリィの声は嫌悪を帯びた。

 何度かその森まで行軍(こうぐん)訓練として歩かされていたからだ。

 遠陽(とおび)(つき)に入ってからは、ロビンに泣きついて、どうにか適当な病名をでっち上げて免除してもらっていた。(これが彼に信頼を置く理由の二つ目だ。)

 経緯(いきさつ)を知っているロビンはフフッと笑って言った。

 

「まぁ、動機というのは重要ですからね。騎士団の訓練となると嫌々でしょうが、オリヴェル君のためであるならば、一肌脱げるのではないですか?」

「うーん、まぁ……そうですね」

 

 テリィは一応頷きつつも、ちょっと億劫になってきていた。できればロビンが取りに行くついでに、自分の分も取ってきてもらいたいがそう上手くもいかないだろう。

 まだやる気が起こらないテリィに、ロビンはしばし考えてから、少し悪戯っぽい顔になって言った。

 

「さっき、僕が言った花の名前、覚えています?」

「え? えーと、フェテリア……でしたっけ?」

「いえいえ。雪鈴草(フェリティア)です。雪の上でけなげに咲いているお花でしてね。ここいらでは『春を告げる花』『可愛いティア』なんて呼ばれているらしいんですよ」

「『可愛いティア』……」

 

 つぶやきながら、テリィの脳裏に浮かんだのは鴇色(ときいろ)の髪の少女だった。

 急にハッと我に返ると、途端に顔が熱くなる。

 

「い、いやいや。そう、そうなんですね! へぇー、そんな花が」

 

 ロビンはニヤニヤ笑いながら、テリィの顔が赤くなっていることは指摘せずにおいた。ポケットに常備している小さなノートを取り出すと、さらさらと花のスケッチを描いて、紙片をテリィに渡した。

 

「ここに書いてますが、あわーいピンク色をしているんです。それが雪の上で咲いてるのを見るとね、それだけで春の息吹きを感じて嬉しくなるものなんですよ。まぁ、球根だけ取ってくるのもなんですし、どうせであれば花も一緒に摘んできて差し上げれば、喜ぶ方もいらっしゃるんじゃないでしょうか?」

「そ、そう……ですかね?」

「そりゃあねぇ。花をもらって喜ばない人は少ないと思いますよ。私は」

「せ、先生も一緒に行きませんか?」

「申し訳ない。このあと往診が二件入っておりましてね。では、ご健闘をお祈りいたします」

 

 ロビンはニコニコ笑って、雑貨商を出て行った。

 テリィはしばらく紙を持って立ち尽くしていたが、紙に描かれたその花の絵をまじまじと見たあと、フンと鼻を鳴らして気を奮い立たせた。

 

「よし、一肌脱ごうじゃないか。…………オリヴェルのために」

 

 わざわざオリヴェルのためだと言ったが、頭の中に浮かんでいたのは、その花の名を持つ少女の姿であった。

 

 

***

 

 

 それから。

 勢い込んでレーゲンブルトを出てサジューの森に向かったまではよかった。

 道中も、行軍の時にはしんどくてたまらなかったが、()()()()()()()()と思えば頑張れた。

 ロビンの判断は正しく、テリィは自らの動機さえはっきり持てば、十分に力を出せる男であった。

 

 サジューの森は騎士団が頻繁に訓練で訪れるため、木々なども適度に伐採(ばっさい)されており、よほど奥深くに入り込まない限り、危険な動物などもいない。

 テリィは明るい木漏れ日の中で、雪鈴草(フェリティア)を探し回っていたが、そう時間もかからず見つかった。

 ロビンの言っていたように、本当に淡いピンクの花で、雪の上でなければ白と見間違えそうだった。一つ見つけると周辺一面に咲いているので、ほぼ取れ放題だった。

 せっかく帝都で買った山羊(ヤギ)革の手袋は汚れてしまったが、素手で掘ることに比べればマシだ。おそらくアカデミーに合格すれば、母親がプレゼントをくれるはずなので、そのときにでもまた頼めばいい。

 

 必死でテリィが雪鈴草(フェリティア)を掘っている間に、空は徐々に雲ってきていた。

 ふと寒さを感じて顔を上げる。

 そのとき、木々の間からこちらを窺っている目と目が合った。

 

 ヒュウイィィ!!

 

 急に響く鋭い啼声(ていせい)

 テリィはビクリと身を震わせると、反射的に走り出した。

 

 目だけ合った獣は狼なのか、山狗(やまいぬ)なのか、熊なのか……?

 何なのかはわからなかった。確認するのも怖かった。

 ともかく逃げた。

 逃げないと襲われると思った。

 そうして遮二無二(しゃにむに)逃げたあとに、テリィがどうなってしまったのかというと……。

 

「ここ……どこ?」

 

 迷子になったテリィは、途方に暮れたように空を見上げた。

 

 いつの間にか晴天は去り、太陽は厚い雲に覆われていた。

 頬にあたる風は冷たく、強くなってきている。

 なんとなく湿り気を帯びたような空気に、テリィは嫌な予感がした。下手したら雨か、雪か……。

 

「嘘ぉ……」

 

 ヨロヨロと二、三歩後ろによろけたときに、ぐらりと体が傾く。

 

「ひゃああぁぁ!!」

 

 どこかに落下していく自分に驚いて、テリィは悲鳴を上げた。

 

 ヒョウヒョウとヴェッデンボリ山脈から吹きつける風に乗って、泣きそうな叫び声が森の中に響き渡った。

 

 

 

 

 少し時間を巻き戻して、一方 ――――

 

 

 テリィがサジューの森に入っていく直前に、オヅマは遠くからその姿を見つけていた。

 

「……なんかテリィに似た奴が森に入って行ったけど」

「テリィが?」

 

 アドリアンが白い息を吐きながら尋ねる。エーリクも同じ方向を見たが、首をかしげた。

 

「どこだ?」

「あぁー、もう中に入っちゃったみたいだな。見えなくなった」

「いたの? 本当に?」

 

 アドリアンは半信半疑だった。

 そもそも寒がりで、騎士団の訓練でも仮病をつかってまで休もうとするテリィが、こんな雪の中を歩いているはずがない。

 しかしオヅマは確信を持って言った。

 

「いたよ。あの丸い形はテリィだろ」

「…………否定はしないけど、それだけでテリィと決めつけるのは」

「あんな目立つ橙色(だいだいいろ)の帽子、ここいらで(かぶ)ってるのあいつだけだろ」

「うーん……」

 

 アドリアンはうなった。

 テリィがいつも外に行くときに被っている、自分の髪色と似た柑子(こうじ)色の帽子は帝都で見つけた逸品だとかで、確かに覚えている限り、レーゲンブルトで同じような色の帽子を見たことがなかった。お陰でレーゲンブルトの街に散策に出て、はぐれても、あの帽子さえあればテリィを見つけるのは容易だった。

 

「どうしてテリィがこのようなところに? 今日は街に行くと言ってませんでしたか? オリヴェル公子のために、絵の具の材料を買いに」

 

 エーリクが不思議そうに聞いてきたが、もちろんアドリアンだって理由なんてわからない。

 

「聞けばいいだろ。どうせ同じところに行くんだから」

 

 オヅマはそう言って、さっさとまた歩き出す。

 やれやれとアドリアンとエーリクも後に続いた。

 彼らの背には弓矢があった。オヅマの発案で急遽、兎狩りに行くことになったからだ。

 

「うさぎパイが食べたい」

 

というのがオヅマの理由であったが、どうも話を聞いていると、最終的にその理由はマリーにあるようだった。 ―――

 

 

***

 

 

 一刻(*一時間)ほど前、オヅマはトーマスからもらった問題に煮詰まって、学習室を出て行った。そのまま厨房で何か食べ物でももらってこようと、中庭の廊下を通りがかったところを、しょんぼりと肩を落とすマリーらに行き合った。

 最近ではすっかり一緒に行動している少女三人組(マリー、サラ=クリスティア、カーリン)は、雪の上に咲いたクロッカスを見に行ったのだが、残念なことにその花は兎に荒らされてしまっていたらしい。

 この前には冬の間に採れる貴重な大根の葉が囓られていたと、イーヴァリが怒り心頭だったし、どうも勇気のある兎どもが、領主館の庭にエサがあるとみて、度々やって来ているようだ。

 適当に彼女らを慰めた後に、オヅマは厨房に向かったのだが、さっきの話を覚えていたのだろう。料理人のソニヤ相手にうっかり「うさぎパイが食べたい」と言ってしまい、「兎を()ってきたら作ってやる」と追い出されてしまった。

 

 で、学習室に戻って来るなり、叫んだ。

 

「おい! うさぎパイ()りに行くぞ!!」

 

 アドリアンもエーリクもマティアスも、その場にいた者は全員頭の中に「?」しか浮かばなかった。

 

「何を言ってるんだ! お前はッ!!」

 

 いつものごとくマティアスの雷が落ちてから、オヅマが説明し、アドリアンはようやく合点がいった。

 

「そうだね。たまには気分転換にいいかもしれない。行こうか」

 

 アドリアンもいい加減、毎日毎日アカデミー試験のための勉強に辟易(へきえき)していたのもあって、オヅマの提案を受け入れた。

 唯一、渋い顔になったのはマティアスだった。彼は三日前の訓練で足を捻挫していたし、そもそも提出予定の小論文も例のジーモン教授の一件で遅れがちだった。

 

「じゃあ、マティは留守番を頼むよ」

 

 アドリアンの言葉に、マティアスはますます渋面になった。

 

「オヅマがいるのに、(わたくし)が行かないわけには……」

「どういう意味だ、それ!」

 

 すぐさま吠えてくるオヅマに、マティアスもキッと睨んで言い返す。

 

「エーリクだけで、お前の無茶な行動を止められるわけがないだろう!」

「お前がいたって止まらねぇよ!」

「そもそも自制しようという気はないのか、お前は!」

「うさぎパイ狩りごときで、無茶なんぞするかっての」

「さっきから気になってたが、そもそも()()()()()()()って、なんなんだっ?! それを言うなら()()()()()だろうがっ」

「どうせうさぎパイにしてもらうんだから、同じようなモンだろうが」

 

 こうして言い合いをしている間に論点がズレていくのは、もはやお約束だった。

 アドリアンは二人のやり取りをひとしきり見てから、パンパンと手を打った。

 

「とりあえず、マティは留守番。オヅマが無茶しないように注意しておくから、今日のところはお許し願えるかい?」

 

 マティアスはアドリアンもまた行きたがっているのだと理解し、不承不承頷いた。

 

「では断腸の思いではありますが、留守居役を務めさせていただきます」

 

 大仰な、古めかしい言葉で送り出したのは、ちょっとばかり自分も行きたかったという表れだろう。

 仏頂面のマティアスに見送られて、オヅマたちは領主館を出た。 ―――

 

 

***

 

 

 それから兎たちが根城にしているであろうサジューの森あたりまで歩いてきていたわけだが、そこでオヅマが本来であればこんなところにいるはずもないテリィを見つけたと言ったのだった。

 

「足跡があるな。何しに来たんだ、アイツ」

 

 オヅマは雪に残る足跡を見て、森へと続く道へと目をやったが、そこにテリィの姿はない。

 

「ともかくも兎を仕留めて、早く帰りましょう。どうも雲行きがおかしいです」

 

 エーリクは高く(そび)えるヴェッデンボリ山脈から迫ってくる黒い雲を警戒していた。

 このレーゲンブルトに来てから、気候の急変は何度か経験していたので、たとえ今がどれだけ晴天であっても、北向こうの山の天気を見る癖がついていた。これは騎士団の面々から教えられたことでもある。

 春と冬が行き交うこの季節は、南からの風と北からの風が頻繁に入れ替わる。

 今は北からの冷たい風が徐々に強くなってきていた。

 

「よっしゃ、うさぎパイ……行くぞ」

「うさぎパイが跳ねてるわけじゃないんだけど……」

 

 うきうきしたように弓を持つオヅマに、アドリアンは小さく訂正しながら、自分も弓を手にする。

 しばらくすると、倒木の向こうを飛び跳ねていく兎が見えた。

 素早くオヅマが弓を構えて矢を放つ。アドリアンも打ったが、最終的に逃げる兎を仕留めたのはエーリクだった。

 

「あー、さすが」

 

 エーリクは元々、弓矢に興味があったのに加え、例の弓部隊隊長のヘンスラーとの弓試合のあとには、名人と呼ばれるヨエルや、レーゲンブルトにおいては比類なき達人アルベルトに師事して、積極的にその技を学んでいる。そのため弓については、今や近侍の中でも抜きん出たものとなっていた。

 

「よっしゃ、次は俺だ」

 

 オヅマは兎の逃げた方角へと向かっていき、エーリクは仕留めた兎を腰のベルトにぶら下げた。もう一度、空を見上げて声をかける。

 

「あんまり奥まで行くな。雪が降り始めたら、すぐに帰らないといけないぞ」

 

 その後、オヅマも一匹、アドリアンも一匹仕留めたところで、エーリクは狩りの終了を申し出た。

 いよいよ太陽も灰色の雲に隠れ、風も強くなってきていた。

 オヅマとしてはまだまだ十分とはいえない成果であったが、天気を甘く見ていいことがないのは熟知しているので、おとなしくエーリクの指示に従う。

 アドリアンも物足りなかったが、

 

「ま、次はマティアスやテリィも一緒に行くことにしよう」

 

と、歩き出した途端に、聞き覚えのある悲鳴が風にのって聞こえてきた。

 

 三人は目を見合わせた。

 

「今の……テリィ?」

「…………似ていました」

「いや、アイツだろ!」

 

 オヅマはすぐさま走り出した。

 アドリアンは追いかけようとして、エーリクに素早く指示を出す。

 

「エーリクはカール卿に知らせてくれ!」

「小公爵様!」

 

 エーリクは止める間もなく駆けていくアドリアンの背を呆然と見ていたが、すぐさま踵を返して走り出した。

 このわずかな時間に、天候はどんどんと悪化してゆき、とうとう雪が降り始めた。しかも風も強くなってきている。早くしないと、下手をしたら三人とも遭難するかもしれない……。

 

 エーリクは雪に足をとられつつ、領主館への道を急いだ。

 




次回は2024.09.22.更新予定です。
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