昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百十五話 狼狐

 暗い穴の中で、テリィは力なく横たわっていた。

 雪解けのぬかるんだ土が口の中にまで入り込んで不味(まず)い。せっかくの帽子も、帝都で母に買ってもらった外套(がいとう)も泥だらけだろう。

 みじめな自分の姿を想像して、テリィは泣いた。

 涙に濡れた目で、土の上にふわりと落ちては消えていく雪を見つめる。

 

 この雪のように、自分もこの泥の中で消えていくのだろうか……? 

 あぁ!

 こんなことなら花なんて取りに来なきゃよかった。

 ビョルネ先生に文句を言うつもりはないが、たまにこうしてお節介をするとこうなる。だから嫌なんだ。

 

 自虐して気弱になるテリィの目の端に、ティアのためにとった雪鈴草(フェリティア)が見えた。

 泥で汚れて、花びらも散って、みすぼらしい姿になっている。

 もうこんなのをあげるわけにもいかない。

 球根は洗えばオリヴェルの絵の具で使えるだろうが……もう自分には、オリヴェルにそのやり方を教えてやることもできないだろう。

 

 オリヴェル……あの子はいい子だった。

 武人の父親に似ず、ちゃんと芸術の理解も深いし、なにより優しい。

 なぜか頻繁に騎士団訓練の見学に来たりして、正直、テリィはそれが嫌ではあったが、そこで散々な目にあって情けない姿のテリィを見ても、オリヴェルは馬鹿にしたり、さげすむようなことはしなかった。

 

「どうせ君も、僕がオヅマみたいじゃないから、内心では馬鹿にしてるんじゃないのかい?」

 

 一度、ちょっとむくれて言ったことがあったけども、それこそオリヴェルは少し怒って言い返してきた。

 

「なに言ってるんだよ! テリィ、君だってすごいんだよ。負けたって負けたって、ちゃんと立ち上がるじゃないか。嫌でもちゃんと皆と一緒に訓練もしてるし、走ってもいる。それだけでもすごいんだよ。君は自分のすごさがわかってない!」

 

 テリィは呆気にとられてしまった。

 今まで、自分の情けない姿を見て、誰もがせせら笑うか、あきれた溜息をつくだけだった。近侍らはもちろん、アドリアンですらも。

 だからテリィは騎士としての訓練に関しては、どんどん卑屈になっていたのだが、オリヴェルはそんなテリィですらもすごいのだと言う。

 もちろん、テリィはそのまま受け取ってしまうほど子供ではなかった。

 オリヴェルは体が弱くて、自分には出来ないことができるテリィを羨ましく思う気持ちもあるのだろうと思った。それでもやっぱり嬉しかった。少しだけでも、自分の価値を認められた気がした。

 ただまぁ……

 

「それにオヅマと比べても仕方ないよ。オヅマは天才だから」

 

と、ちゃっかり自分の兄を自慢してきたので、感動の涙は出なかったけども。

 

 テリィは泥に汚れた雪鈴草(フェリティア)に手を伸ばした。

 

『可愛いティア』。

 本当に名前通りの花だ。

 薄く淡い紅色も、そのまま彼女の髪色と同じ。

 兄であるアドリアンと母が違うとはいえ、きっと兄妹共々、美しく成長するのだろう。あの髪を結い上げて、絢爛(けんらん)たる衣装に身を包めば、きっと誰もが目を見張る美人となるだろう。

 そうそう、例の皇太子主催の園遊会に現れたダーゼ公女も確かに美しかったが、どこか妖精みたいで人の雰囲気じゃなかった。ティアはしっかりと地に足をおろした、それこそこの花のように可憐で清楚な女性になるに違いない。

 

 そして、自分は ――――

 

 今、こうして辺境の片田舎の北の果ての大地で、誰知られることもなく、降り積む雪の中、眠るように死んでゆくのだ…………。

 

「………………」

 

 ゆっくりと目を閉じたテリィは、いきなりグイと掴まれるなり、地面から剥がされるように起こされた。

 

「おい。寝るなよ」

 

 聞き覚えのある声が耳朶(じだ)を打って、テリィはパチリと目を開けた。

 

「へっ?」

「へっ、じゃねぇよ。なにをのんびり寝てるのさ、テリィさん。あんたが野宿が好きとは知らなかったな」

 

 いつもながら、どこか不遜な感じのする口調で、オヅマが言ってくる。

 テリィはあわてて否定した。

 

「な……誰が野宿なんて好き好んでするもんかっ」

「そうかい? じゃ、そろそろ起きてくれよ。さっきから、なんか百面相してたから見てたけど、いよいよ寝始めるからさ」

「なっ、なんで百面相……って、見てたんなら声をかけろよ!」

「なんで気付かないんだかね。俺もアドルも見てたのに」

 

 言いながら指さす先には、少し高くなった場所から、アドリアンが苦笑いを浮かべて見下ろしている。

 

「しょっ、小公爵様!」

 

 テリィはあわてて立ち上がったが、うっとまたうずくまった。

 どうやら穴 ―― というよりも、ちょっとした窪地程度のもの ―― に落ちたときに痛めたらしい。

 

「あーあー。もう、ドジだなぁ。ったく……」

 

 言いながらオヅマがテリィに背を向けて座る。

 むぅ、とテリィは仏頂面になった。ただでさえ情けないのに、オヅマにおんぶされて領主館に帰るなんて、恥の上塗りもいいところだ。

 だがテリィを背負おうとしたオヅマに、周囲を見回していたアドリアンが静かに言った。

 

「待て、オヅマ……出てこないほうがいいかもしれない」

 

 妙に緊迫した声に、オヅマはすぐさまテリィを離す。テリィはまたもや、さっき倒れていた場所に転がった。

 

「なんだ?」

「林の中に……山狗(やまいぬ)か……狼か……何匹か……集まってきてる」

 

 二人はすでにテリィなど念頭にもないように、囁き声で会話しながら、周囲の状況を窺っていた。

 狼と聞いて、テリィは泣きそうになった。

 

 さっき自分が逃げてきたのは、狼からだったのだろうか?

 せっかく食われずに済んだのに……今、この二人が連れてきちゃったんじゃないの?

 

 泣きそうになってブルブル震えるテリィの耳に、つんざくような吠え声が響いた。

 

 ロォォォーン!!

 

「アドル、お前、こっちいろ!」

 

 オヅマは鋭く言って、アドリアンの腕を掴むと同時に、窪地から跳ねるように出た。

 

「うわっ!」

 

 オヅマに無理やり引っ張られた上、後ろからドンと押され、アドリアンも窪地に落ちる。だが、そこは普段からの格闘術訓練の成果なのか、しっかり受け身をしてすぐさま起き上がった。

 

「オヅマ!」

「そこから出るな! テリィ、小公爵様をしっかり守れ!!」

 

 オヅマが叫び、剣を鞘から取り出す。

 テリィは驚きつつも、今しも窪地から出て行こうとするアドリアンを必死に止めた。

 

「離せ、テリィ!」

「駄目です! 危ないんですから!!」

「オヅマだって危ないだろうがッ」

「小公爵様は駄目ですってば!」

 

 泥まみれになりながら二人がもみ合っている間にも、オヅマの目の前には針のように毛並みを逆立てた灰色の獣が続々と集まってきていた。

 

「よりによって……狼狐(おおかみぎつね)かよ」

 

 狼狐 ―― 別名大狐(おおぎつね)群狐(むれぎつね)、とも呼ばれるヴェッデンボリ山脈周辺を生息地とするその狐は、普通の狐の三倍近くの大きさがあり、しかも狐と違って群れで行動する。

 効率的な狩りによって、図鑑上最も巨大とされるヴェッデンボリ(ひぐま)ですらも、(なぶ)り殺しにするほどだ。そう。この獣は狙った獲物を囲んで、徹底的に、相手が力尽きるまで攻撃する。仲間が返り討ちにあって死んでも、一切止めることなく、ひたすらに攻撃を繰り返す。

 今も、オヅマらを囲んで威嚇している。最初の一匹が飛びかかってくるや否や、息つく暇もなく襲いかかってくるのだろう。

 

「なんでコイツらがこんなとこに……」

 

 オヅマはつぶやきながら、既に脳内では答えを出していた。

 数日前に騎士団に対して、狼狩りの要請がきていた。今年はヴェッデンボリ周辺に狼の数が多く、家畜類への被害も例年の二倍となっている。

 どうやら優れた個体が首領についたらしい。そうした個体がいると狩りも上手く、群れとして安定するため、繁殖も盛んになる。そうしてより集団として強力なものになっていく。

 おそらく狼が増えたために、この厄介な狐どもは縄張りを追われて山を下ってきたのだろう。

 

 オヅマは剣を構えて、ギリと奥歯を噛みしめた。

 面倒であった。なにが面倒といって、数が多いことでも、相手がしつこいということでもない。

 一番面倒なのは、この狼狐が毒を持っているということだ。

 噛まれるだけでも厄介だというのに、狼狐の温かい鮮血は毒なのだ。

 水に流すか、乾けば問題ないのだが、鮮血を浴びると肌に湿潤していくほどに痛みが増し、喉が腫れ上がって、高熱が出る。目にでも入れば、下手をすれば失明。体の弱い人間だと、腫れた喉が気道を圧迫し、呼吸困難になってそのまま死亡することも有り得た。

 この辺りの狼や(ふくろう)(わし)などの野生の生き物は、胃が特別丈夫であるのか、狼狐の毒に対して耐性を持っているが、人間はそうもいかない。

 

 オヅマはすぅぅと息を吸った。

 ゾワリとうなじに異質な感覚がそそり立つ。

 ザアァァーと耳の奥から聞こえる奇妙な音は、周辺の音を拾いながらも遮断する。

 オヅマを異次元へと引き上げるために。

 

 一匹が襲いかかってくると同時に、オヅマも跳躍した。

 あえて剣で斬らずに、大きく開いた腹をドスリと蹴りつける。ギャオンッ! と悲鳴を上げて、狐が冬枯れの木の幹に打ちつけられた。

 

 オヅマはそのまま狐の群れに向かって走り出した。

 少しでもアドリアンとテリィのいる場所から離れねばならない。狼狐らを斬っていくのは問題なくとも、血が飛べば()()()危ない。

 

 一匹目の攻撃を嚆矢(こうし)に、次々と狼狐たちはオヅマに襲いかかった。

 オヅマは十分にアドリアンらと距離があることを確認すると、剣をふるって狐らを斬っていった。

 

 ルミアの修行のあと、自主訓練以外にも、レーゲンブルトに戻ってからは、ヴァルナルとカールに相手してもらって『澄眼(ちょうがん)』の鍛錬(たんれん)(おこた)っていない。

 前にヴァルナルが言っていたカールの千本突きも、さすがに蝶が舞うように……とまではいかずとも、普段の剣撃訓練と同程度には相手できるようになっている。

 なによりヴァルナルのつきっきりの指導により、よりスムーズに『澄眼』を発動できるようになっていた。

 集中をより早く行い、相手にも気取(けど)らせずに発現させる。

 それは簡単なようでいて難しい。

 自分の意識はもちろん自分の肉体も自在に扱えるように、より精緻で、より端整な感覚が必要とされる。指の先、爪の先までに自らを充溢(じゅういつ)させねばならない。

 それでこそ『すべての感覚が()()()のだ』と、ヴァルナルは言っていた。

 

 狼狐は大きい分、やはり敏捷性においては、豆猿(まめざる)の比ではなかった。次々に繰り出してくる攻撃も、見切れば単純だ。

 どうやらいっぺんに仲間がやられることを恐れてか、狼狐たちは三匹以上が一度に攻撃してくることはなかった。しかも数が減ってくるに従って、一度に攻撃してくる個体数は減っていく。

 今や指で数える以下にまでなって、一匹ずつが向かってくるが、こうなると『澄眼』を発動しないまでも、十分に戦える。

 

 一匹を殺してから、すぐさま背後から荒々しい息が聞こえてくる。

 振り返ったと同時に、狼狐が上から襲いかかってきた。

 躊躇(ちゅうちょ)なく斬りつけると、びしゃりと頭に叩きつけるように血が降ってくる。

 普通の人間であれば、それで目が潰れてまともに相手などできないはずだったが、オヅマは平気だった。ただ吐く息が、なんだか濁っているような、熱くて苦いような気はしたが。

 

 空はいまや完全なる雪雲に覆われ、北からの冷たい風と雪が吹きつけてくる。

 肌へと張りついた雪は、ジュワッと蒸発した。

 熱が上がってきているようだ。

 

「……っとに、()いてんのか。()()は。まがいモンだったら、ラオの野郎に返金してもらわねぇと……」

 

 軽口を叩きながら、オヅマはまた一匹、向かってきた狐を斬り捨てた。

 




次回は2024.09.29.更新予定です。
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