昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百十六話 アドリアンの暗い澱

 アドリアンは窪地(くぼち)の中から、頭だけ出してオヅマの戦いを見ていた。

 

 確実に稀能(きのう)澄眼(ちょうがん)』を使っているのがわかる。

 今までにもその技を使っているのを見たことはあった。

 名人技とまで言われるカールの千本突きをかわし、はじき返す鮮やかな剣技。

 ひたすら猿相手に鬼ごっこをしていたなどとフザけたことを言っていたが、その成長ぶりは確かにオヅマが『澄眼』を修得したと納得できるものだった。

 

 だが、こうして獣相手の実戦を()()たりにすると、訓練上での剣技など、まだまだ本気を出していなかったとわかる。

 身のこなしが全く違っていた。

 自らも獣になったかのような、しなやかで隙のない動き。

 三体同時に襲いかかってきても、まったく動じることなく、正確に見切った上で斬っている。しかもその斬撃速度も訓練時とは比べものにならない。剣を振るったとわからないうちに、獣たちは地面に倒れ伏している ――― 。

 

 知らず知らずのうちに、アドリアンは拳をきつく握りしめていた。

 睨みつける勢いで、オヅマの戦闘を凝視する。

 

「しょ、小公爵様……あの、もう少し下がっておいたほうが」

 

 テリィが後ろから小さく呼びかける声も聞こえない。

 

 今、オヅマが目の前で戦っているのは自分の為なのだ。

 自分やテリィを守る為に、獰猛(どうもう)な獣の群れに飛び込んでいって、返り血を浴びながら戦ってくれている。

 それが十分にわかっていながら、アドリアンの胸中は落ち着かず、不穏な気持ちがまたザワザワとこみ上げてくる。

 

 身分の上で、オヅマと対等でないことはわかっていた。

 それはもう仕方なかった。

 だからせめて騎士としては、剣を交える相手としては、同等でいたかった。同等であれると思っていた。

 だが修行から帰ってきたあとのオヅマは、とてもじゃないが太刀打ちできない。

『澄眼』のことだけでなく、剣技においても体術においても、あまりにも差が開きすぎて、もう追いつけそうにない。

 

 苛立ち、焦るアドリアンが囁く。

 

  ―――― このままでいいのか? と。

 

 もはや共に肩を並べて戦うことなどなく、ただ守られるだけ。

 そんなことで『友』と呼べるのかと。

 

 思慮深い訳知り顔の小公爵が(さと)す。

 

  ―――― いいじゃないか、と。

 

 オヅマは配下だ。

 自分の配下の優秀な人間を使ってこそ、グレヴィリウスを継ぐ者なのだと。

 

 だが、本心は?

 自分の本心はどこにある?

 

 

  ―――― 君は……強いな……

 

 

 ランヴァルトの言葉が甦ってきて、不意にアドリアンは泣きそうになった。

 

 ちっとも強くなんかない。

 自分は強くなんかないのだ。

 今もこうして守られながら、戦うオヅマを見て、どうしようもない力の差に打ちのめされている。

 焦っている……。

 いや、もっというならば、嫉妬しているのだ。

 

 自分の中に大きく開いた真っ暗な穴の中から、冷たい風がゴウゴウと吹いて、アドリアンは震えた。

 なんて自分は醜い人間だ。

 どこが誠実で、優しいと言うんだ。

 今、目の前で戦っているオヅマに対して、感謝するどころか、自分の弱さを見せつけられて苛立っているというのに!

 

 

  ―――― 心の痛みは、ひととき(しの)げても、沈殿して奥底に(おり)をつくる。長く積もれば…………人を闇とするだろう。

 

 

 紫紺(しこん)の瞳に空虚を浮かべながらつぶやいたランヴァルト。

 

 あぁ。

 あの人がいてくれたなら……今のアドリアンに適切な助言を与えてくれただろうに。あの人であれば、アドリアンの胸底に積もる、この暗く重い闇を理解し、慰めてくれたであろうに ――― !

 

 唇を噛みしめてアドリアンが見つめるその先で、数匹にまで減った獣が逃げていった。

 オヅマが追い払ってくれたのだ。

 

「やった! 逃げてったぞ!! 小公爵様、オヅマがやっつけてくれましたよ!!」

 

 テリィが隣で歓声を上げる。

 アドリアンはゆっくりと深呼吸した。

 そっと胸を押さえる。

 

 落ち着こう。

 今はオヅマが無事であることを、まず喜ぶべきだ。

 

「オヅマ!」

 

 窪地から出て近付こうとすると、オヅマが制止した。

 

「来るな! こいつらの血に触れるな!」

「え?」

「俺はあとから行くから、先に領主館に戻れ。もう近くまで迎えが来てる」

 

 話している間に、木の間からエーリクの姿が見えた。後に続くカールら騎士数人も。

 アドリアンを見つけて駆け寄ってくると、散らばる狼狐の死骸にうっと声を詰まらせた。

 カールはすぐにアドリアンに鋭く問うた。

 

「血を浴びてませんか?!」

「僕は……大丈夫だ。でも、オヅマが」

 

 そう言ってオヅマのほうを見る。

 オヅマは今しも倒れそうにフラフラとよろけると、とうとう膝をついた。

 

「オヅマ!」

 

 一緒に来ていたマッケネンが近寄ろうとするが、オヅマは同じように制止した。

 

「来るな! 血に触れたら……」

 

 言いかけてぐらりと体が(かし)ぐ。ザクリと剣を突き立てて、どうにかこらえたものの、激しく肩が上下していた。

 マッケネンはカールに二言三言伝えてから、一度その場を離れた。

 カールがアドリアンに声をかけてくる。

 

「ひとまず帰りますよ。まったく、どうして一言知らせてくれなかったのです?」

「ただの兎狩りだし、騎士団の訓練中に邪魔しちゃ悪いと思ったんだ」

「お気遣いはありがたく存じますが、小公爵様の安全を守るためにこそ、我らは訓練しているのです。本末転倒です」

 

 ピシャリと言われて、アドリアンは項垂(うなだ)れた。

 問答無用でカールのあとについていく。その後にはエーリクに背負われたテリィが続いた。

 途中で毛布をもってきたマッケネンとすれ違う。

 

「オヅマは……大丈夫なのか?」

 

 尋ねながら、自分でもわからなかった。

 自分は本当にオヅマのことを心配して言っているのだろうか……?

 カールは厳しい顔で振り返り、しばし無言だったが、ボソリと言った。

 

「あの狐の鮮血は毒です」

「え?」

「血を浴びると、しばらくは……」

 

 アドリアンはもう最後まで聞こうともしなかった。

 (きびす)を返してオヅマのところへ向かったが、既にオヅマはマッケネンの持って来た毛布にくるまれて、ゴアンに抱きかかえられていた。すっぽり包まれていて、顔も見えない。

 

「オヅマ! オヅマ!!」

 

 必死になって声をかけるが、返事はなかった。

 あのときの……ダニエルの首を斬ったあの日の、オヅマの白い顔が脳裏に浮かんで、アドリアンは真っ青になった。

 

 ぐい、とカールに腕を掴まれる。

 

「行きますよ。早急に手当する必要があるんです」

 

 そのまま引きずられるように、アドリアンは連れて行かれた。

 

 

 

 

 領主館に着くと、アドリアンはしばらくの間、外出禁止を言い渡された。

 罰を与えたのはカールである。ヴァルナルは三日前に起きた雪崩(なだれ)の調査に行っていて、不在であった。

 

「小公爵様とは思えぬ軽率さです。もう二年前のことをお忘れですか?」

「……忘れたことなどないよ」

「我らも怠慢であったかもしれませんが、せめて一言、家人(かじん)に声をかけてください。たとえエーリクとオヅマが随行するのであっても、です。あなたはグレヴィリウスの跡継ぎなのです。残念ですが、そのことで狙われることは少なくない。今回はそういうことでなかったにしろ、外出の際は用心すべきです」

 

 厳しく自分を見据えるカールの青い双眸(そうぼう)に、アドリアンは顔をふせた。一々ご(もっと)も過ぎて、なにも反論など出来ようはずがない。こういう逃げ場を与えぬ説教もまた、騎士らから『鬼カール』と呼ばしめる所以(ゆえん)であろうか。

 

「ここは帝都と違うのです。辻々に衛士(えじ)(*警察官のようなもの)が立っているわけでもない。治安が格別悪いとは言いませんが、その分、自然の驚異は間近にある土地です。今回とて、マティアス公子が我らに教えてくれるのが遅かったら、下手をすれば吹雪で遭難していたかもしれませんよ」

「マティが?」

 

 領主館での留守居役を任せられたマティアスは、しばらく悶々としつつ小論文の下書きをしていたのだが、ふと気になって騎士団の修練場に行き、カールに尋ねた。

 

「あの、念のため、お伺いしますが、小公爵様には誰か騎士が警護について行ってますよね?」

 

 何のことかとカールが問い返し、そこでアドリアンらが警護の騎士を連れずに、兎狩りに行ってしまったことが発覚したのだという。その後すぐさま出て、領主館に向かっていたエーリクとちょうど行き合い、あわててサジューの森に急行したのだった。

 

 結局、カールの説教から解放された後に、そのマティからもお小言をもらい、アドリアンはただただ項垂(うなだ)れるしかなかった。

 自分の部屋に戻る前に、オヅマの部屋へと向かうと、ちょうど中からビョルネ医師が出てきた。

 

「ビョルネ先生、オヅマは? 大丈夫ですか?」

 

 小走りに駆け寄ってきたアドリアンにビョルネ医師は少し驚いた様子だったが、ニコリと笑って言った。

 

「大丈夫ですよ。なんだか話に聞いていたのと随分と違っていましたが……」

「違う?」

「騎士団の方々からは、随分と重い症状が懸念されるようなことを聞かされていたのですがね。案外、当人はケロリとしたものです。一応、このあとに狼狐(おおかみぎつね)の毒について調べるつもりですが、現状においては心配されるほどの重篤(じゅうとく)な状態ではありません」

 

 快活に話すビョルネ医師に、アドリアンはホッと息をついた。オヅマと話せるかと尋ねると、一つだけ注意された。

 

「一応、大丈夫だとは思うのですが、髪には触れないようにしてください」

「髪?」

「どうもよくわからない症状なのですが、髪が変色していまして」

「髪が変色?」

「念のため数本調べます。結果が出るまでは、触れないでくださいね」

 

 ビョルネ医師はやや早口に言うと、そのまま去って行った。

 アドリアンはいまいち意味がわからなかったが、扉を開けて「よぉ」と声をかけてきたオヅマを見た途端、すぐに理解できた。

 

「オ……ヅマ。君、その……髪」

「おーぅ。さっきビョルネ先生に鏡見せてもらってさ。すげーのな。なんか、お前のと似てない?」

 

 話しながら、オヅマは手鏡で自分の姿を見て笑っていた。

 ベッドに座っているのは見慣れた亜麻色(あまいろ)の髪の少年ではなく、自分とそっくりの黒い髪のオヅマだった。

 

 アドリアンは困惑しつつもベッドの側まで来ると、まじまじとその見慣れない姿を眺めた。基本的に自分のような髪の色をした人間は、父とイェドチェリカ以外に見たことがないので、ひどく新鮮だった。

 

「それ、染めたとかじゃないよね?」

 

 思わず尋ねてしまうと、オヅマはぷっと吹いた。

 

「あの状況でいつ染める時間があったっつーんだよ。俺、あのあと服()ぎ取られて、上からバシャバシャ湯かけられて、また毛布でくるまれてここに運ばれたんだからな。あーあ。あの服、全部焼却処分だってさ。シャツも。エッダさんにまた作ってもらわねぇと……」

「何枚作ってもらう気だ」

 

 アドリアンは少しあきれたように言った。

 今、オヅマが着ているのも、その作ってもらったシャツの一枚なのだ。よほど気に入ったのかして、衣服になどとんと興味のないオヅマにしては珍しく、数枚持っているようだ。

 

「良かったよ……。一応無事みたいで」

 

 アドリアンはホッと息をつきながら、ベッドの端に腰をおろした。

 

「カール卿から、あの狐の血は毒だって聞いてたけど、その髪色以外は大丈夫なのか? 目とか……下手したら失明するって。喉も腫れて、高熱が出るって言ってたけど」

「あー……喉はまぁ、ちょっとは、そういうのもあったけど……今は全然」

「そうか……」

 

 アドリアンは静かに頷くと、ふと重い気持ちになってうつむいた。

 

「どうした?」

 

 沈んだ様子のアドリアンに、オヅマが首をかしげて問うてくる。「具合でも悪いのか?」

 

「いや、大丈夫だよ」

「大丈夫じゃない顔して大丈夫って言われると、理由を訊くしかなくなるんだけど?」

 

 相変わらず情け容赦なく問い詰めてくるオヅマに、アドリアンはかすかに苛立った。

 

「……本当に君は……もう少し穏やかにというか……聞き方ってものがあるだろう」

「俺にその手の優しさを期待するなよ。俺はお前じゃないんだからな」

 

 何気ないオヅマの言葉が、いちいちアドリアンの胸をえぐる。

 

「っ……どうせ僕は君みたいにはなれないよ!」

 

 思わず怒鳴りつけたが、オヅマはわずかに眉を寄せただけだった。しかも肩をすくめて、あきれたように言ってくる。

 

「何にイラついてんだかわかんねーけど、言いたいことあるなら、この際だから言えよ。お前、この前からちょっとなんかおかしいし」

「なにが……別に、おかしくなんか」

「三回」

 

 いきなりオヅマが指を三本立てる。

 アドリアンが戸惑っていると、オヅマはフンと鼻をならした。

 

「マティに二回、マリーに一回。聞かれたんだよ。俺がお前を怒らせたんじゃないのか? って」

「え?」

「時々、お前が俺に何か言いたげに、睨みつけてることがあるってさ。気付いてたか?」

「まさか……」

 

 アドリアンですらも、そんなことはまったく気付いていなかった。だがその二人が嘘を言うはずもない。彼らにそう見えていたのならば、きっとそうなのだろう。

 自分でも知らず知らずのうちに、オヅマへの羨望の眼差しは嫉妬のそれへと変貌していたのだろうか……。

 アドリアンはギュッと両手を握りしめた。

 

「怒ってるんじゃないさ。ただ……君が、君ばっかりが強くなっていくから、時々、自分が歯痒(はがゆ)くなるんだ。『澄眼(ちょうがん)』だって、ヴァルナルも君も教えてくれるって言ってたのに、全然教えてくれないし」

「教えてるじゃねぇか。呼吸法とか瞑想とか」

「あんなあやふやな、やってるのかどうなのかわからないことじゃなくて、ちゃんとしたことを知りたいんだよ!」

「ちゃんとしたこと……ってなぁ」

 

 少し困ったように笑うオヅマが憎らしくて、アドリアンはますます声を荒げた。

 

「僕だって『澄眼』を使えるようになりたいんだよ! 君みたいにちゃんと修行したいんだ!!」

「おいおい」

 

 すっかり(いき)り立つアドリアンに、オヅマはあきれたように笑った。そうして、決定的なことを言い放った。

 

「お前が『澄眼』なんて使う必要ないだろ。俺がついてるんだから」

「…………」

 

 アドリアンは愕然(がくぜん)とした。

 立ち上がっていたら、膝から崩れ落ちそうだった。

 

 その言葉はアドリアンに告げていた。

 

 お前はもう、俺の相手じゃないよ……と。

 もはや同等に肩を並べるべくもない。

 好敵手(ライバル)なんてとんでもない。

 ただ、守られる()()の存在なのだと。

 

 心の奥底に覗く(くら)い穴が、より深く、アドリアンを(えぐ)っていく。

 ヒリヒリとした痛みと、煮え(たぎ)る怒りを(ともな)って。

 

 アドリアンを徐々に侵蝕していく嫉妬を知ることもなく、オヅマはのんびりと話を続けていた。

 

「だいたい、アカデミーの試験対策やらなんやらでクソ忙しいってのに、修行なんて、まともにやってられるわけないだろ。アカデミーに入ったら入ったで、ますますそんな暇もなくなるんだろうし。公爵閣下にヴァルナル様がいるように、お前に俺をつけたってだけだ。それがルーカスのオッサンの思惑だろうよ」

「…………わかってるさ」

 

 アドリアンはつぶやくように言って、立ち上がった。そのまま足早に扉へと向かう。

 今の顔を、絶対にオヅマには見せたくなかった。

 

「おい! アドル?!」

 

 オヅマがあわてたように呼びかける。

 ベッドから出てくる気配を感じて、アドリアンは駆け足で部屋を飛び出すと、そのまま逃げるように走り去った。

 




次回は2024.10.06.更新予定です。
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