昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百十八話 素晴らしい友人

 その日の午後。

 

「ともかく謝るよ。ごめん」

 

 いきなり学習室に現れるなり、頭を下げてきたアドリアンにオヅマは目を丸くした。

 

「なにが?」

「この前……狼狐(おおかみぎつね)に襲われたときのことだよ。変なこと言って、ごめん。少し気が動転していたみたいだ。君の髪の色も変わってたし。あ、もう戻ったんだな。あれも似合っていたけど、やっぱりオヅマはその色がしっくりくるよ」

 

 オヅマはますます訳が分からなかった。

 急に謝ってくることもそうだが、普段のアドリアンからすると、妙に早口で饒舌(じょうぜつ)で、どこか上滑りしているように聞こえた。それでいて顔は切実なので、なんとなく()されるように頷くしかない。

 

「あぁ……うん」

「じゃ、いいな。これで仲直りしているよな?」

「はぁ? なんなんだよ、いきなり」

「いや。ちゃんと仲直りしたってことをわかってもらわないといけないから」

「わかってもらう……って、誰に?」

「マリーに。いや、マリーだけじゃないな。下手をしたらティアやカーリンも勘違いしているかも……」

「なにをぶつくさ言ってんだ、お前」

 

 オヅマはさっぱり意味がわからず眉を寄せたが、アドリアンはきっぱり会話を打ち切った。

 

「いいんだ。これで、この話は終わりだ」

 

 言うだけ言って、いつもの場所に座ると、行政官の置いていった資料を手に取って読み始める。

 

 今、学習室にはオヅマとアドリアンだけがいた。

 エーリクは例のアドリアンから紹介してもらった郷土史家を訪ねており、マティアスは昨夜遅くまで小論文をまとめていたらしく、自室にて仮眠中。テリィはオリヴェルと二人で水彩画の特訓。ついでにマリーら女子は、ミーナから礼儀作法の授業を受けている。

 

 まったくもって納得できないまま、謝罪を受け入れる羽目になって、オヅマはモヤモヤした。そもそも仲直りといっても、一方的にアドリアンが怒っていただけで、オヅマは何とも思っていない。

 狼狐に襲われたあとにアドリアンがやって来て暗い顔をしているから、いつもと変わりない調子で声をかけただけだった。それが、いきなり様子が変わって怒りだしたと思ったら『澄眼(ちょうがん)』を習得したいとか言い出すし、泣きそうな顔で出て行くし、そのあとやって来たマリー達に見られて怒られるし、もう散々だった。

 

 今も謝ってはきたものの、結局アドリアンが怒った理由はわからないままだ。

 といって、またこの前みたいに聞いても怒らせるだけなのだろう。こういうときは放っておくしかない。どうせ自分で悩んで悶々とした挙句、勝手に解決するか、それでもどうしようもなくて相談してくるだろうから。

 

 そもそも今は、アドリアンのご機嫌を伺っている場合ではなかった。

 例のトーマスからの問題に頭を悩ましているのだから。

 

 物語形式の推理論述は、すべてがルティルム語で書かれている上に、出てくる暗号は帝国古語だとかで、いちいち込み入っていて、面倒くさいことこの上もなかった。辞書を二冊用意して、首っ引きで読み進めねばならない。しかも時間制限があり、一刻ほどしたらトーマスが回収しに来る予定なのだ。

 机上(きじょう)の問題と、離れた場所に見えるアドリアンの澄まし顔がいちいち鬱陶しくて、怒ってなかったのに、オヅマはなんだかイライラしてきた。

 

 ふくれっ面を頬杖に乗せながら、コツコツと中指で机を叩く。

 

 もはや解く気も失せたまま、トーマスの問題を読み進めていると、ふと視線を感じた。

 顔を上げて、オヅマはギョッとなった。アドリアンがひどく強張った顔で、こちらを凝視していたからだ。

 

「あ……悪い。気になったか」

 

 あわてて自分の癖に気付いて、オヅマは中指をひっこめた。

 さっきまでの苛立ちも吹っ飛んでしまう。それくらいアドリアンの顔は愕然(がくぜん)と色を失っていて、見てはいけないものを見たかのようだった。

 

「君、それ……癖か?」

「え? あぁ……」

「いつから……いや……そういえば何度か見たことがあった……」

 

 ブツブツとつぶやいて、アドリアンはぎこちなく目線を資料に戻す。だが、まったく動かない瞳が、目の前の文字を追っていないのは明らかだった。

 

 オヅマはハアーッとわざとらしく溜息をついて立ち上がった。

 もう無視できそうにない。トーマスの問題は後回しだ。

 

 ドスンとアドリアンの前の机に尻を乗せると、不機嫌も露わに問うた。

 

「ほんとお前、何なの? さっきから。っつぅか、この前から」

 

 アドリアンはオヅマを見ようともしない。こういうときに発揮される鉄壁の無表情は、不本意にも幼い頃から鍛えられたせいで、まさしく取り付く島もない。平坦な口調も。

 

「机の上に座るなと言われているだろう」

「……くだらねぇこと抜かすな。言いたいことあるんなら言えよ」

 

 テリィであればビビって泣き始めるオヅマの低い声の恫喝(どうかつ)にも、アドリアンは静かなままだった。ただ、大きく深呼吸すると、ぼそぼそと暗い声で言った。

 

「気を悪くしたなら謝る。少し……知っている人を思い出してね」

「は?」

「君と同じような癖を持っている人がいたのを思い出して、驚いてしまった」

「なんだ、それ。イヤな奴だったのか?」

「まさか!」

 

 アドリアンはキッとオヅマを睨み上げると、すぐに否定した。

 

「素晴らしい人だよ。大事な友人だ!」

「……友人?」

 

 オヅマは眉を寄せると、(いぶか)しげに問うた。「誰だ? そいつ」

 

「……君に言う必要はないだろう」

「なんだよ、それ。誰かって聞いただけだろ」

「うるさいな。僕の友人関係について、逐一(ちくいち)、君に報告する義務でもあるのか?」

「お前が俺ら以外に友達とか、おかしいだろうが!」

 

 言ってからさすがにオヅマもしまったとは思った。しかし今更、飛び出た言葉を中に戻すこともできない。

 目の前ではアドリアンがブルブルと震えていた。むろん泣いているわけではなく ――

 

「僕にだって、君ら以外の友達くらいいるんだッ!」

 

 立ち上がるなり怒鳴ると、アドリアンは持っていた資料の束をオヅマに叩きつけた。普段のアドリアンであれば、せっかく集めてくれた資料をそんな乱暴に扱うことなど絶対にしない。

 異様ともいえる状況に、オヅマは呆然となった。

 

 そのままスタスタと、アドリアンは学習室を出て行こうとする。

 オヅマは追いかけながら、あわてて謝った。

 

「悪かった、ごめん。謝る。今のは違った。俺が悪かった……って」

 

 アドリアンは扉の把手(とって)を掴むと、冷えた声で言った。

 

「悪いと思うなら、しばらく君から声をかけてこないでくれ」

 

 それ以上は聞く耳を持たないとばかりに、扉はオヅマの前でバタンと閉まった。

 

 

***

 

 

 どうして、あんな些細(ささい)なことを覚えていたんだろうか ―― ?

 

 アドリアンは自分の部屋に戻ると、自己嫌悪に項垂(うなだ)れて長く嘆息した。

 

 コツコツ、と中指で叩く癖。

 ランヴァルトもよく、本を読みながら肘掛けに乗せた手が、そのように動いていた。

 貴族であれば珍しくもない所作だ。打指(だし)によって、それこそ使用人らに指示するのだから。普段、口数の少ない父も、これをよくしていた。ただ、父は多くの場合、人差し指であったが。

 

「偶然だよ。偶然……偶然……」

 

 アドリアンは自分に言い聞かせるようにつぶやいたが、それは願いに近かった。

 このあいだからアドリアンの前に示されたいくつかの事柄が、いよいよ一つの答えを迫ってきている……。

 

 ランヴァルトについて、アドリアンは確信していることが一つあった。

 それは、彼が『優秀な人間を好む』ということだ。

 ランヴァルトの周囲に(つど)う、彼が認める人々はなべて一廉(ひとかど)の能力を持った人間であった。あるいは、まだ若く未知数であっても、将来有望と思われる者であれば、身分差なく彼らに適した援助を行っていた。

 エリュザもまた実家から勘当されたものの、服飾についての才能を見出され、ランヴァルトの後援もあって、あの店を立ち上げることができたという。今や知る人ぞ知るデザイナーとなって、大っぴらにではなくとも貴族の客も多いらしい。

 

 そうして貴賤の区別なく有能な人々に敬意を持って接する反面、ランヴァルトは愚かな人間には容赦なかった。アドリアンの前であれば、特に息子のシモンに対して、言葉の端々に苛立ちと軽蔑が見て取れた。

 

「いっそ、救いようもなく馬鹿であるならば、こちらもあきらめようがあるものを……中途半端に頭が回る故、その狡智をどうしてほかに活かせぬのかと、小言も言いたくなるのだ」

 

 そのシモンはアドリアンと同じように十三歳でアカデミーに入学して、来年には成人(*十七歳)となるのに、学習進度の指標となる【葉】はまだ二つしか取れていないという。さすがにアドリアンもこれには、お世辞でも「頑張っておられますね」とは言えなかった。

 貴族子弟は入学において優遇される代わりに、概ね十三歳で入学してから成人になるまでの四年で卒業要件(【五葉】修得)を満たさねばならなかったが、あと一年で【三葉】を取るなど、ほぼ不可能に近い。そもそもきちんと授業に出席して、与えられた課題をきちんとこなしていれば、四年間で十分に卒業は可能だと、家庭教師らから聞いている。

 

「それだと……卒業は難しいかもしれませんね」

 

 アドリアンはうまく取り繕うことができず、それでも一応遠慮がちに言ったが、ランヴァルトは平然としたものだった。

 

「十七歳で卒業せよと決められたわけではない」

 

 アドリアンは言葉を失った。

 確かに十七歳の成人で卒業というのは、貴族子弟における不文律(ふぶんりつ)のようなもので、アカデミーにおいては在籍七年の間で卒業要件を満たすこととされている。そのため一般入試で入ってきた平民などは、多く二十歳過ぎまでアカデミーで勉学に(いそ)しんでいた。彼らの多くは学費を稼ぐために、働いている者も少なくなかったからだ。

 

 だが貴族が二十歳を過ぎてまで在籍するなど、ほぼ有り得なかった。そんな恥辱に耐えるくらいであれば、卒業せずに自主退学する者が大半で、アカデミーも救済措置として一応、在籍証明書は発行してくれたから。

 

 しかしランヴァルトは息子にそんな安楽な道を選ぶことは許さぬようだ。たとえ嘲笑されようが、恥をかこうが、一定以上の成果を上げるまで、中途退学(リタイア)などさせないらしい。

 

二十歳(はたち)までにどうにもならぬのであれば、母子共々、ガルデンティアを出て行ってもらうことも考えねばならぬだろうな」

 

 冗談とは思えぬ口調で当然のように言う。

 

「まさか……ご嫡子(ちゃくし)でいらっしゃるのに」

 

 アドリアンがさすがに強張った顔で言うと、それこそランヴァルトは大したことでもなさげに言った。

 

「大公家など……私への褒賞として仕方なく皇帝陛下が寄越したもので、存続させることなど向こうも望んでいない。むしろシモンの器量に合わせるのなら、フェドガモンドの田舎領主あたりのほうが分に合っているだろうよ」

 

 フェドガモンドはシモン公子の母親の実家の領地であった。

 つまりアカデミーの成績如何(いかん)によっては、シモンは大公家ではなく、母親の実家であるノルドグレン伯爵を継ぐことになるというのだろうか……?

 有り得ない話でもない。シモンの叔父である現ノルドグレン伯爵には、まだ嫡子はいないはずだ。

 

 アドリアンはあまりにも苛烈な対応に唖然となったが、同時に身が引き締まる思いだった。

 実の息子であればこそ、シモンはこの情けない状況にあってもガルデンティアの住人として認められているのだ。ランヴァルトは厳しいことを言っているが、それは期待の裏返しでもある。父の真意を知って、シモンが学業に励めば、ランヴァルトは息子の頑張りを認め、ちゃんと大公家の嫡子として扱うだろう。

 

 だが自分はランヴァルトにとって、ただの友人だ。

 今はまだ()()()()()()()()として遇してくれているが、ゆくゆくアドリアンに何ら見出すものがないと分かれば、おそらく去って行くだろう。むろん優しいかの人のこと、いきなり冷たくされはしないだろうが、やんわりと距離をとって、やがて声をかけられることもなくなる。

 そう。自分もまた、シモンと何ら変わりない立ち位置なのだ。

 

 (ひるがえ)って、オヅマはどうか。

 既に『澄眼(ちょうがん)』という稀能(きのう)を習得し、まだ未熟とはいえ騎士としての素養は、ヴァルナルを始めとして多くの騎士の認めるところだ。

 そもそもオヅマがアドリアンの近侍となったのも、いやもっと前にヴァルナルがオヅマを騎士見習いとして引き取ったのも、既にオヅマという少年が逸材であったからだ。

 それに勉学においても、数年前には文字を書くのもおぼつかなかったなど信じられぬほどに向上している。特に数学などは、トーマス先生も太鼓判を押すほどだ。

 

「…………」

 

 考えてからアドリアンはまたウッと息を呑んだ。

 数学。

 確かランヴァルトも数学が得意であったと聞いている。

 それこそアカデミーの数学者ですらも、ランヴァルトには教えを乞うほどに。

七色(なないろ)蜥蜴(とかげ)の巣』でも、よく難しそうな命題について話し合っていた。

 

 ギリギリと机の上で握りしめた拳が硬さを増す。

 また、見つけたくもない相似を見つけてしまった……!

 

「あぁ……」

 

 アドリアンは椅子に(もた)れこんだ。深呼吸しても、ちっとも息苦しさはなくならない。

 

 ランヴァルトは、きっとオヅマを気に入るだろう。

 あの人は優秀な人間が好きなのだ。

 より優れた、より賢い、より抜きん出た存在が。

 彼がオヅマの傑出した才能を愛さないわけがない。

 誰よりも……シモンよりも、アドリアンよりも、称賛し、欲するだろう。

 ましてそれが…………。

 

 アドリアンはもうその先を考えるのが怖かった。それはもう想像ではなく、ほぼ間違えようもない事実に違いなかった。だが認めたくない。なんとしても認めたくなかった。

 

 ランヴァルトから見放されるかもしれないという不安と、オヅマへのドス黒い羨望がキリキリと体の中心に穴を穿(うが)つ。同時に湧き起こる自己憐憫に吐き気すらした。

 

 助けて……。

 

 心の中の叫びは虚しく響き、誰に届くこともない。

 椅子の上で身を縮こまらせるアドリアンに、いつの間にか戻ってきていたサビエルが呼びかけた。

 

「小公爵様、()()からのお便りですよ」

 

 




次回は2024.10.13.更新予定です。
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