昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百二十一話 駒

 時間は二十日ほど前に戻り、帝都近郊ガルデンティアにて ――――

 

 

 ランヴァルトはアドリアンに手紙を送ったあとに、ふと思い出して家臣の一人を呼びつけた。

 

「ベネディクト・アンブロシュ。お呼びと伺いまして、(まか)り越しました」

 

 (あるじ)の執務室に呼ばれたベネディクトは、恭しく礼をしてから、ピシリと背を伸ばしてその場に直立した。

 大きな執務机の向こうに座っている大公ランヴァルトは、それでもしばらく声もかけず、何かの報告書を読み進めていた。キリのいいところまで読み終えると、顔を上げて、ベネディクトを見るなりフッと顔をゆるめる。

 

「あぁ、アンブロシュ卿。帰ってきたばかりで、わざわざすまぬ」

「いえ。大公閣下にご報告もございましたので、近々伺おうと思っておりましたゆえ」

「あぁ、コズンのことか」

 

 ベネディクトは大公からの命を受けて、この数ヶ月、大公領のコールキアから旧イェルセン公国、そのままコズン王国まで巡歴していた。

 

「そうだな。詳しい話は会同の際にでも聞くが、ひとまず卿の見たところの感触はどうであった?」

 

 ランヴァルトは立ち上がって、来客用のソファへと足を運ぶ。ベネディクトも促されて、ランヴァルトの前のソファへと腰掛けた。壁際に立っていた小柄な従僕がそっと出て行く。

 

「コールキアにおいては、閣下の寛仁(かんじん)たるご配慮が行き届き、万民不自由なく暮らしております。ただ、旧イェルセンについては、総督府の人員も少なく、荒廃が進んで治安も悪くなっておるようです。閣下の肝煎りで『祈りの手』らの医師らが貧民の救済に当たってはおりますが、日々増える患者に相当疲弊しておるようです。私にも増員を要請されましたが……」

「アンブロシュ卿にはそのような権限などないものを……よほど切羽詰まっておるようだ」

「はい。彼らも必死なのでしょう。一度などは救済所にまでも匪賊(ひぞく)が現れて、それはすぐに対応できましたが」

 

 ランヴァルトはフッと頬を歪めた。

 

「アンブロシュ卿のいるときに襲うとは、運のない賊もいたものよ。奴らの背後は?」

「一応、取り調べましたが、特に問題ある繋がりはないようでした。貧しさゆえ、徒党を組んで物品のあるところを狙っていたものと思われます。その後、教誡者(きょうかいしゃ)らに諭されて、一部の者は手伝ってくれるようになりました。警備の手順なども教えておきましたので、救済所周辺の安全はしばらく確保できるでしょう」

「それは重畳(ちょうじょう)……」

 

 ランヴァルトが頷いたところで、コツコツと扉の打つ音がする。そのまま(あるじ)から「無用」の声がないのを確認して、先程出て行った従僕がワゴンを押して入ってきた。手慣れた動作で従僕がカップに珈琲を注ぎ、ランヴァルトとベネディクトの前に置くと早々に去って行く。

 

 ランヴァルトは一口珈琲を含んでから、話を続けた。

 

「コズンについては?」

「王は病によって威権が弱まり、宰相ヒビデオ=ル・ムサイの影響が王宮内において強くなってきております。首都ジャレドゥの界隈においても、そのうちクーデターが起きるのではないかという噂がございます。本来であれば、王太子が摂政として王に代わって政務をすべきところですが、如何(いかん)せん、素行に色々と問題がおありのようで……現王も息子にはあまり期待しておられぬようです」

「素行に問題のある息子だとわかっていて廃位せぬのであれば、先の孫に望みを託したいといったところか」

 

 ランヴァルトが先を取って言うと、ベネディクトは驚いたように顔を上げてからクスリと笑った。

 

「さすがはご慧眼にございます。王太子の長子であられるボホルド=ア=デンン王子は、父とは違って聡明な方でいらっしゃいます」

「その言い方であれば、会ったのか?」

 

 ベネディクトはまるで心を見透かしたかのように相槌を打つランヴァルトにやや驚きつつも、もはや主の非凡なることは当然であったと納得して頷いた。

 

「一度、お忍びでコズンに開設した救済所にもいらっしゃいました。『祈りの手』の活動をご覧になられて、大層感銘を受けたようで……お手ずから(めしい)の老婆に水を飲ませておられました。英明なだけでなく、誠実なるお人柄とお見受けしました」

「年はいくつだ?」

「本年、十五歳と聞き及んでおります」

「十五か。……二年は待つかな」

 

 ランヴァルトのつぶやきに、ベネディクトはしばし考えた。二年後といえば、ボホルドが成人となる。

 

「王子の成人を待って、コズン王が譲位なさるとお考えでしょうか?」

 

 ランヴァルトは返事せず、かすかに笑うのみだった。珈琲をまた一口含み、急に話を変える。

 

「ところで一つ聞きたいことがあって、卿を呼んだ。確か卿は先年、レーゲンブルトに行っていたな?」

 

 ベネディクトはいきなりまったく違う話題になって、多少戸惑いつつも頷いた。

 

「はい。黒角馬(くろつのうま)の研究団派遣につき、取り纏め役として現地に赴きました」

「では領主のヴァルナル・クランツにも会っておろうな。そういえば、一度手合わせをしたとも言っていたな」

「はい。『澄眼(ちょうがん)』の一端にも触れさせていただきました。私も未熟ながら技を試しましたが、まったく歯が立ちませんでした。一応、私の面目が立つようにと、手心は加えてくださいましたが……。まことに玄妙なる技でございます」

「あぁ、そうだ。私もリヴァ=デルゼとの立合の際に触れたことがある。()()のは少々粗いゆえ、クランツ男爵であれば技もまた一層(こな)れたものとなっているのであろうな」

「左様でございますね」

 

 ベネディクトは傲慢な女戦士を脳裏に浮かべ、やや冷淡に返事した。同じ稀能(きのう)を扱う者としては、どう考えてもヴァルナル・クランツの方が優秀であるのは間違いない。

 

「そこで、クランツ男爵の息子には会ったか?」

「クランツ男爵の息子……ですか?」

 

 ベネディクトはしばし考えた。

 確か病気がちで、ほとんど館にいるという話だった。もしかすると晩餐に招かれた際にでも顔を合わせたかもしれないが、あまり印象はない。

 

「申し訳ございません。会ったやもしれませんが、あまり覚えておりません」

「おかしいな? クランツ男爵の新たな息子は、相当に腕が立つと聞き及んでいるのだが」

 

 ランヴァルトに言われて、ベネディクトはすぐに思い至った。

 

「あぁ! あの小僧……あ、いえ、そうでした。確かにあの少年も息子となったのでしたね。申し訳ございません。私が最初に紹介されたときには、まだ見習い騎士ということでしたので」

「名前は知っておるか?」

「はい。確かオヅマと申しておりました。クランツ男爵と手合わせしたときに、男爵からの頼みで、彼とも一度立ち合っております」

「ほぉ」

 

 ランヴァルトは楽しげに頷いてから、軽い調子で尋ねた。

 

「どうであった? 卿の感触では」

「さすがは男爵の秘蔵っ子というだけあって、なかなか()()筋をしております。男爵から澄眼についても少し指導を受けていたようですが、こちらはまだまだでしたね。しかし精進すれば、修得いたすことでしょう。多少、生意気なところも見受けられましたが、努力家であると男爵も仰言(おっしゃ)っておりました」

「そうか。……それで実の息子は病弱である故、男爵もその子を正式な息子としたかったのだな。わざわざ身分違いの女を妻としてまで」

 

 単純な養子となるよりも、その子の母と婚姻を結んだ上での子となれば、嫡出子とみなされ、当然、相続と後継の権利を得ることにもなる。貴賤結婚においては、多くが何かしらの目論見があってなされることが多いため、ランヴァルトの推測はいわば一般的な見解としては当然のことだった。

 だが事情を知っているベネディクトは苦笑して、やんわり否定した。

 

「いえ、確かにオヅマ少年の才能に惚れ込んで……という部分があるのは否めませんが、それ以上に男爵においては、オヅマ少年の母親のことがお気に召したようですよ。以前に報告致しました、あの不行状を働いた行政官 ―― ギョルムでしたか……あの件においても、相当な怒りようでしたから」

 

 その名前から連想される一人を思い浮かべて、ランヴァルトはあきれたように吐息をもらした。

 

「ソフォルの(ゆかり)の者か。どうせ彼奴(きゃつ)と大差ない下卑(げび)た人品であったのだろう。ファトム*1程度で狂うとは……情けないことよ」

 

 ギョルムの伯父にあたるソフォル伯爵は、地位はただの侍従長であるが、皇帝からの信任厚く、いまや宮廷内において隠然(いんぜん)とした権力を持つに至っている。ベネディクトは頷いてから、表向きの報告書には書いていなかった事情について語った。

 

「確かにギョルムの罪はファトム使用による職務懈怠(けたい)ですが、より重大であったのは、彼が暴行を働いたことです。先程も申した男爵の実の息子と、そのオヅマ少年の母親に対して」

下衆(ゲス)に官服を着せたところで、行いは変わらぬか」

 

 嫌悪も露わなランヴァルトの言葉に、ベネディクトは頷いた。

 

「幸い、()()()()()()()済みましたが、クランツ男爵の怒りは相当で。当初は事を荒立てることをしたくなかったラナハン卿にも、かなり怒り心頭のご様子でした。よほどにその女を大事に思っておったのでしょう。その後、結婚されることになって、私も式に招かれましたが、ちょうど帝都での黒角馬(くろつのうま)の増産施設の件で、帝都とレーゲンブルトを往還することが多く、辞退致しました」

「成程。つまり卿が見るところ、クランツ男爵が身分卑しき女を妻として迎えたのは、才ある息子欲しさだけではなく、その女自身にも執着があったということだな。存外、質朴(しつぼく)なようでいて、男爵も抜け目ないようだ」

 

 ランヴァルトが(たの)しげに笑うのを見て、ベネディクトも「確かに」と同意する。それからふと気になって尋ねた。

 

「ところでどうしてクランツ男爵の息子のことを?」

「あぁ。()()()()に聞いてな。クランツ男爵の新たな息子となった少年が、シモンと似ていると」

「シモン公子に?」

 

 ベネディクトはすぐさま頭の中で、オヅマとシモンの姿を思い浮かべ、あぁ……と得心した。

 

「確かに……似ていると言われれば、そうですね。疱瘡(ほうそう)にかかる前のシモン様を彷彿とさせる姿ではあります。それに、そうですね。少々生意気なところが、確かにシモン様の、その……()()な性格に通ずるところがあるやもしれません」

 

 ベネディクトは慎重に言葉を選んだが、ランヴァルトはにべなく言い捨てた。

 

「あれは豪放ではなく、無能無策ゆえの空回りというのだ」

「……厳しゅうございます、閣下」

 

 ベネディクトは苦笑いであったが、否定もしなかった。

 ランヴァルトが軽く手を上げる。会話の終了を告げる合図であった。

 ベネディクトは立ち上がると、再び恭しく礼をして立ち去ろうとしたが、扉を開いたところで呼び止められた。

 

「そういえば、アンブロシュ卿。そのクランツ男爵の新たな妻の名前は知っているか?」

「は? 確か……ミーナ、という名であったと記憶しております」

「…………そうか」

 

 返事に少しだけ間があったが、ランヴァルトの態度に変化はない。

 ベネディクトはしばし立ち尽くして、(あるじ)の次の言葉を待ったが、何も言われないので、再び礼をして立ち去った。

 

 扉がパタンと閉まると、ランヴァルトからスッと表情が消える。

 ややあって、ベネディクトが出て行った扉の斜め向かいにある扉から、ヴィンツェンツェが現れた。

 

「ミーナとは……さても()しき相似があったものですな」

 

 ヴィンツェンツェはニタリと笑って、ランヴァルトを見上げたが、主の表情は変わらなかった。

 ランヴァルトはしばらく何かの様子を窺うように沈黙して、ややあって静かに言った。

 

「先程の従僕、近いうちに連絡をとるであろう」

「おや。鼠でしたか」

「この前からやたらと探り回るのがいると思ったら……。ヤーヴェの水鼠(カロン)*2か、鹿の影*3か。どちらか確認せねばな」

「御意」

 

 ヴィンツェンツェはそれだけで主の意図を察して、早速、()()忠誠の厚い家臣にその仕事を任せた。

 

 

 二日後の夜、従僕は大公の第二夫人であるビルギットの使いと言ってガルデンティアを出たところで、ある女に呼び止められた。

 

「誰と会う気かな? 従僕殿」

 

 従僕はまともに応戦もできなかった。

 背後で酒焼けした(しわが)れ声を聞いて振り返った次の瞬間には、自らの背を超す大女に頭を鷲掴みにされていた。

 

 女は従僕を悠々と片手で持ち上げ、

 

「畏れ多くもこのガルデンティアの中で嗅ぎ回って、大公家の秘密を盗もうとは……大胆なる盗人もいたものだ」

 

と、いかにも愉しげに話す。

 セピアの瞳は久しぶりの獲物に、舌舐めずりせんばかりの獰猛な狂気を帯びていた。

 

「あ……あぁ……」

 

 従僕はまさしく猛獣の前の家畜に等しかった。助けを乞う間もなく壁に叩きつけられ、気を失った。

 その後、その従僕(になりすましていた者)がどのようにして真相を話すに至ったか、仔細(しさい)に書くことはしない。

 

 最終的にヴィンツェンツェから報告を受けたランヴァルトはつぶやいた。

 

「鹿のほうであったか……。今頃になって元大公妃(エレオノーレ)のことを蒸し返すとはな。彼奴(きやつ)ら、よほどにエン=グラウザを取り戻したいらしい」

「よき()を手に入れて、策を練るに忙しいようでございますな」

 

 ヴィンツェンツェはいつものごとく(はり)の準備をしながら、ヒッヒッと(わら)った。

 

「やはり爺めの申す通り、あの娘の孕んだのは閣下の御子(みこ)でありましたな。あの頃には清毒(せいどく)も薄まっておったのやら。自然の営みは所詮人知及ばぬ聖域。慮外(りょがい)なる事も起こるもの……。あの娘もようやく証を立てることができたようですな」

「…………」

 

 ランヴァルトは黙した。

 暗い翳りを帯びた紫紺の瞳に、苦いものが(よぎ)る。

 

「さて、さて。せっかくの有難い御子様(みこさま)であれば、早急に試したきところでありまするが……」

 

 ヴィンツェンツェは不気味な笑みを貼り付かせてランヴァルトを見上げた。幾年(いくとせ)を数えたか知れぬ老人の目は、もはや白く濁って、見えているのかどうかもわからない。

 

「急がずともよい」

 

 ランヴァルトは無表情に言った。

 

「仔鹿(=アドリアン)の近侍となっておるのであれば、いずれ二人同時に手に入る。いらぬ手出しすれば、あちらも何かと反発してくるであろう。そのためにこそ、先々のことを考えて手を打っておるのであろうからな」

 

 クランツ男爵との結婚も含め、新たな息子を近侍にすること、男爵夫人となったミーナを公女の世話係として後見の役目を与えたこと。これらは既に内外に発表されていることだ。この既定事実を無視して、こちらの権利を主張すれば、公爵家側も黙ってはいない……という暗黙なる警告だ。

 

「グレヴィリウスと我らが争って喜ぶは皇帝(ジークヴァルト)と、あの出っ歯の腰巾着(*ソフォル伯爵のこと)くらいなものだろう。しかも手に入るのが、息子一人だけの話。(いたずら)に事を()く必要はない」

 

 言ってから、ランヴァルトは急に襲ってきた頭痛にうっと顔をしかめた。両手で頭を押さえつけて、しばらく痛みに耐える。こめかみを強く押す親指の爪先は皮膚を破き、血が一筋、腕を伝った。

 

「…………最近、また痛みが(しき)りになってきておりますな」

 

 ヴィンツェンツェは香炉(こうろ)に黒い香薬(こうやく)を入れると、ランヴァルトの近くに置いた。

 

「近きうちに再び手術を……」

「いらぬ!」

 

 ランヴァルトはヴィンツェンツェの言葉を遮り、長く、ゆっくりと息を吐いた。痛みが徐々に緩やかになっていく。ゴロリと寝台に横になると、スルスルと白い蛇が天蓋の柱を伝って降りてきた。

 ヴィンツェンツェは無表情に主を見ながら尋ねた。

 

「では、レーゲンブルトはあのままに?」

「そうだな……」

 

 ランヴァルトはしばしぼんやりと天蓋裏の幾何学模様を見つめてから、ポツリと言った。

 

「一度、確かめさせてもよいかもしれぬ。本当に使える()かどうか」

「では、またリヴァ=デルゼでも行かせましょうか?」

「いや、アレは騒ぎを作る。それよりも……」

 

 胸を這う蛇を撫でながら、ランヴァルトはうっすらと嗤った。

 

「……ちょうど面白がりそうなのがいる」

 

*1
覚醒作用のある葉巻

*2
皇家の間諜の意

*3
グレヴィリウス家の間諜の意




次回は2024.10.27.更新予定です。
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